瑞牆山
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瑞牆山 | |
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標高 | 2,230 m |
所在地 | 日本 山梨県北杜市 |
位置 | 北緯35度53分36秒 東経138度35分31秒 / 北緯35.89333度 東経138.59194度 |
山系 | 奥秩父山塊 |
プロジェクト 山 |
瑞牆山︵みずがきやま︶は山梨県北杜市︵旧北巨摩郡須玉町︶にある標高2,230mの山で、奥秩父の山域の主脈の一つ。旧須玉町域の最北部にあたる。日本百名山のひとつ。
概説[編集]
古くからの信仰の山で、洞窟には修験者の修行跡や刻字が残り、山頂の西峰には弘法岩があり、空海開山伝説も伝わる。 全山が黒雲母の花崗岩で形成される。南西部は風化や浸食の影響を受け、独特の岩峰が聳える景観を作っており、地元ではコブ岩と呼ばれる。名称[編集]
﹁瑞牆﹂とは神社の周囲の垣根︵玉垣︶のことだが、山名の由来は山稜を三分割する﹁みつなぎ﹂の転訛説や、崖を意味する﹁がき﹂に由来する説などがある。江戸時代後期に成立した﹃甲斐国志﹄では、玉塁と呼ばれる金峰山に対し、瑞塁を呼び習わしたとする説が紹介されている。文学における扱い[編集]
瑞牆山に関係する文学として、俳人の前田普羅︵1884年 - 1954年︶が1937年︵昭和12年︶1月17日に﹃東京日日新聞﹄紙上に発表した﹁甲斐の山々﹂の五句があり、その中に瑞牆山を詠んだ﹁茅枯れてみづがき山は蒼天に入る﹂の句がある。前田は山梨県を数多く訪問しており、1938年︵昭和13年︶に﹁甲斐の山々﹂を回顧した﹁一句の誕生﹂によれば1917年︵大正6年︶頃に山梨を訪れたときに、五句を着想したという。 詩人の尾崎喜八︵1892年 - 1974年︶は1935年︵昭和10年︶に刊行された随筆集﹃山の絵本﹄に収録されている随筆﹁花崗岩の国のイマアジュ﹂において八ヶ岳や金峰山など北巨摩︵北杜市域︶の山岳について触れ、瑞牆山についても言及している。 また、深田久弥︵1903年 - 1971年︶は、1964年︵昭和39年︶に刊行された﹃日本百名山﹄において瑞牆山を取り上げ、山名の考察を行っているほか﹁針葉樹の大森林からまるでニョキニョキと岩が生えているような﹂と表現した。 鋸岩、大ヤスリ岩など、岩々に名前が付けられている[要出典]。登山[編集]
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周辺にある小屋[編集]
- 瑞牆山荘(みずがきさんそう)
- 富士見平小屋(ふじみだいらごや)
- 大日小屋
ギャラリー[編集]
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瑞牆山と八ヶ岳(奥)
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西麓のみずがき山自然公園から
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山頂より東を望む
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山頂より大ヤスリ岩
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大ヤスリ岩
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桃太郎岩
周辺[編集]
近くに黒森鉱泉(含炭酸食塩泉)、増富温泉(信玄の隠し湯とする伝承をもつ、増富ラジウム温泉郷)がある
隣接する山[編集]
瑞牆山が登場する作品[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 瑞牆山 - 北杜市観光協会