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| 事業内容 = 定期航空運送事業・不定期航空運送事業<br/>航空機・付属品の売買・修理・賃貸業 |
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| 代表者 = 代表取締役社長 [[森川實]](2003年6月 - 2004年3月) |
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| 資本金 = 約 |
| 資本金 = 約1615億円 |
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| 決算期 = 3月 |
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| 主要株主 = [[東急|東京急行電鉄株式会社]]<br/>[[日本航空|日本航空株式会社]]<br/>[[近鉄グループホールディングス|近畿日本鉄道株式会社]]<ref name="kintetsu">前身の一つである日東航空→日本国内航空を[[1959年]]から[[1966年]]まで[[近鉄グループ|系列企業]]としていた︵﹃近畿日本鉄道100年のあゆみ﹄P.761 2010年近畿日本鉄道︶。</ref><br/>※いずれも2002年10月の日本航空との経営統合以前。
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'''株式会社'''{{読み仮名_ruby不使用|'''日本エアシステム'''|にほんエアシステム|{{lang-en-short|'''JAPAN AIR SYSTEM CO.,LTD'''}}、{{lang|en|'''JAS'''}}}}は、 |
'''株式会社'''{{読み仮名_ruby不使用|'''日本エアシステム'''|にほんエアシステム|{{lang-en-short|'''JAPAN AIR SYSTEM CO.,LTD'''}}、{{lang|en|'''JAS'''}}}}は、[[日本]]の[[東京都]][[大田区]]に本社を置いている大手[[航空会社]]。
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[[1971年]][[5月15日]]、[[日本国内航空]]と[[東亜航空]]が合併して、'''東亜国内航空'''︵とうあこくないこうくう、英: '''Toa Domestic Airlines、TDA'''︶として発足し、国際線進出に当たって、1988年4月1日付で日本エアシステムに社名を変更した。東亜国内航空時代より[[日本航空]]︵JAL︶、[[全日本空輸]]︵ANA︶とともに日本の3大大手航空会社の一翼を担ってい |
[[1971年]][[5月15日]]、[[日本国内航空]]と[[東亜航空]]が合併して、'''東亜国内航空'''︵とうあこくないこうくう、英: '''Toa Domestic Airlines、TDA'''︶として発足し、国際線進出に当たって、1988年4月1日付で日本エアシステムに社名を変更した。東亜国内航空時代より[[日本航空]]︵JAL︶、[[全日本空輸]]︵ANA︶とともに日本の3大大手航空会社の一翼を担っている。
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==会社概要== |
==会社概要== |
2023年8月3日 (木) 17:41時点における版
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設立 | 1964年4月15日(日本国内航空) | |||
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ハブ空港 |
東京国際空港 大阪国際空港 福岡空港 | |||
焦点空港 |
成田国際空港(国際線のみ) 関西国際空港 新千歳空港 広島空港 | |||
マイレージサービス | JASマイレッジサービス(JMS) | |||
会員ラウンジ | レインボーラウンジ | |||
保有機材数 | 285機[1] | |||
就航地 |
日本国内46都市 日本国外50都市 | |||
本拠地 | 日本・東京都大田区羽田空港三丁目5番1号 | |||
外部リンク | JAS - 日本エアシステム(インターネットアーカイブ) |
日本エアシステムのエアバスA300B4 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | JAS |
本社所在地 |
日本 〒144-0041 東京都大田区羽田空港三丁目5番1号 |
設立 | 1964年4月15日 |
業種 | 空運業 |
事業内容 |
定期航空運送事業・不定期航空運送事業 航空機・付属品の売買・修理・賃貸業 |
代表者 | 代表取締役社長 森川實(2003年6月 - 2004年3月) |
資本金 | 約1615億円 |
従業員数 | 約16000人(うち乗務員約6000人) |
決算期 | 3月 |
主要株主 |
東京急行電鉄株式会社 日本航空株式会社 近畿日本鉄道株式会社[2] ※いずれも2002年10月の日本航空との経営統合以前。 |
主要子会社 |
日本エアコミューター株式会社 株式会社北海道エアシステム 株式会社ハーレクィンエア |
外部リンク | 日本エアシステム(インターネットアーカイブ) |
会社概要
日本航空︵JAL︶、全日本空輸︵ANA︶とともに、かつての日本の3大大手航空会社の一翼を担っていた。1988年までの商号は東亜国内航空︵とうあこくないこうくう、英: Toa Domestic Airlines‥TDA︶航空会社コードはJAS/JD、コールサインはエアシステム︵英: Air System︶。なお、東亜国内航空時代の航空会社コードはTDA/JD、コールサインはトーアドメス︵Toa Domes︶だった。 2004年4月1日に株式会社日本航空ジャパン︵にほんこうくうジャパン、JALジャパン︶に商号変更し、日本航空ブランドの国内線運航会社に転換され、事実上消滅した。そして、その日本航空ジャパンも2006年10月1日に、株式会社日本航空インターナショナル︵現商号は日本航空株式会社︶に吸収合併され、名実ともに消滅した。なお、旧日本国内航空の英語名に由来する2レターの航空会社コード﹁JD﹂は、中国の新興航空会社、金鹿航空︵現‥北京首都航空︶に転用されている。歴史︵東亜国内航空・日本エアシステム時代︶
東亜国内航空
商号変更
日本航空︵JAL︶との経営統合の経緯
運航機材
東亜国内航空から日本エアシステムまで
日本航空との経営統合以後
日本エアシステム→日本航空ジャパン︵1988年~2006年︶
●エアバスA300-B4-2C ●エアバスA300-B2K-3C ●エアバスA300-600R ●ボーイング777-200 ●マクドネル・ダグラスDC-9-40 ●マクドネル・ダグラスDC-10-30 (ER) ●マクドネル・ダグラスMD-90-30 ●マクドネル・ダグラスMD-81 (DC-9 Super80) TDA時代に導入した﹁DC-9 Super80﹂とJAS時代の﹁MD-81﹂はコックピット仕様に差異があるため、運航面では別機種扱いとされていた。 ●マクドネル・ダグラスMD-87 ●日本航空機製造YS-11 ●ビーチクラフト B200スーパーキングエア ●ヒューズ369HS ●アエロスパシアルAS350B契約のみ未導入
●ボーイング747-400 ●ボーイング777-300 - 正確には日本エアシステム機として導入されているが、新生JALの﹁太陽のアーク﹂塗装で引き渡され、型式番号末尾のカスタマーコードも機体引渡し時点ではJASの89ではなくJALの46となっているためこの項にて記す。ギャラリー
東亜国内航空時代およびそれ以前(~1988年)
固定翼機
NAL日東航空
- パイパーPA-18スーパーカブ
- デ・ハビランドDHC-2ビーバー
- デ・ハビランドDHC-3オター
- グラマンG44スーパーウィジョン
- グラマンG73マラード
- コンベアCV-240
- デ・ハビランドDH114-1Bヘロン
- デ・ハビランドDH114タウロン
- ビーチクラフトD-50ツインボナンザ
- エアロコマンダー500A
- セスナ170
- セスナ170B
- セスナ172
- セスナ172B
- セスナ172C
- セスナ172D
- セスナ175B
FAL富士航空
- ビーチクラフトC-18Sツイン・ビーチ
- ビーチクラフトC-50ツインボナンザ
- ビーチクラフトD-50ツインボナンザ
- パイパーPA-23アパッチ
- コンベアCV-240
- デハビランドDH114-1Bヘロン
- デハビランドDH114タウロン
- セスナ172
NJA北日本航空
- セスナ170B
- セスナ195
- ダグラス DC-3A
- コンベアCV-240
- エアロコマンダー680F
TAW東亜航空
- デハビランドDH104-1Bダヴ
- デハビランドDH114タウロン
- コンベアCV-240
- ビーチクラフトD-18 (C-18S)
- ビーチクラフトC-50ツインボナンザ
- YS-11
- セスナ170B
JDA日本国内航空
- パイパーPA-18カブ
- パイパーPA-23アパッチ
- グラマンG44スーパーウィジョン
- ダグラスDC-3A
- ノール262A-14
- コンベアCV-240
- デハビランドDHC-2ビーバー
- デハビランドDH114-1Bヘロン
- デハビランドDH114タウロン
- コンベア880-22M
- ボーイング727-100
- YS-11
- セスナ170
- セスナ170B
- セスナ172B
- セスナ172C
- セスナ172D
- セスナ175B
- セスナ195
TDA東亜国内航空
- コンベアCV-240
- デハビランドDH114-1Bヘロン
- デハビランドDH114タウロン
- ボーイング727-100
- YS-11
- DC-9-31(アメリカからリース)
- DC-9-41
- DC-9-51(アメリカからリース)
- DC-9-81
- エアバスA300B2K-3C
回転翼機(NAL・FAL・NJA・TAW・JDA・TDA)
- 川崎BK-117
- ベル47J
- 川崎ベル47G-2
- 川崎ベル47G-2A
- 川崎ベル47G-3B-KH-4
- ベル214B
- 川崎ヒューズ369-HS
- ヒューズ36P
- 富士204B/B2(ベル・エアクラフト)
- エアロスパシアルAS-350B
- シコルスキーS-76A
- シコルスキーS-62J
ギャラリー
最優秀オペレーター賞
保存機・展示機
以下は各地に展示されている、または近年まで展示されていた日本エアシステム関連の保存機である。YS-11
●JA8662︵東亜国内航空塗装︶、神奈川県・電車とバスの博物館︵頭部のみ︶ ●JA8676︵東亜国内航空塗装︶、アメリカ・インディアナ州グリソム航空博物館 ●JA8763、タイ・JESADA技術博物館 ●JA8776︵日本エアコミューター塗装︶、青森県・三沢航空科学館 ●JA8809︵日本エアシステム塗装︶、青森県・みちのく北方漁船博物館︵2014年解体︶DH104 ダヴ
●JA5007︵東亜航空塗装︶、栃木県・塩原ファミリー牧場DH114 ヘロン・タウロン
●JA6159︵東亜航空塗装︶、福岡県・貝塚交通公園 ●JA6162︵東亜国内航空塗装︶、広島県・中元クリーニング工場CV-240
●JA5130、三重県・横山商店塗装
東亜国内航空時代
●東亜国内航空時代の発足当初の塗装はオレンジを基調とし、窓枠にはオレンジライン、垂直尾翼に気流をデザイン化した社章を施したものだった。その後1974年に本格的に導入されたマクドネル・ダグラスDC-9に、情熱と微笑みを表す﹁レッド&グリーン﹂と呼ばれた垂直尾翼を赤と緑に塗り分け、その2色のラインを窓枠まで延長した形の新しいデザインが施され、YS-11も徐々にこの塗装へ切替、7年にわたり同社のコーポレートカラー的役割を果たした。レインボー・デザイン
●レインボーカラーへの切替に端を発したのは、1981年から導入されたエアバスA300からである。1979年開催の国際航空宇宙ショーにエアバス社は、エアバス・インダストリー社のコーポレートカラーのデモ機に﹁東亜国内航空のロゴと社名﹂を書き込んでデモフライトを行った。これに感激した同社役員がエアバス社にデザインの譲り受けを申し入れ、同社機の新しいデザインが決まった。﹁東亜国内航空﹂のイメージは、同社初のワイドボディ機である同機の導入と共に一新されることになった。 ●続いて導入されたマクドネル・ダグラスMD-81にもエアバス色からオレンジを抜いた類似のカラーが施され、既存の保有機も順次同様のカラーに変更され、﹁日本エアシステム﹂への社名変更2年後の1990年頃までに﹁レッド&グリーン﹂カラーは子会社保有機の一部を除き一掃された。オレンジを抜いた理由は、機体の大きさに合わせたという説と、マクドネル・ダグラス社がエアバス塗装を拒否したという説がある。ただし、DC-10はオレンジを抜いていないエアバス塗装で納入されている。逆に小型のYS-11はオレンジ抜きの塗装となっている。一方でより小型のB200はオレンジ込みの4色であった。黒澤明デザイン MD-90
●続いて1996年から導入されたマクドネル・ダグラスMD-90には映画監督・黒澤明が手がけた全7種のデザインが施され、黒澤の代表作品名をもじって﹁七人の侍﹂の異名でも呼ばれたほか、最終的には16機が導入され各デザイン毎に2 - 3機が存在したため、やはり黒澤の代表作品名にちなみ各デザインの2機目以降は﹁影武者﹂とも呼ばれた。また、黒澤明はこの塗装をデザインした後ほどなくして死去し、一種の遺作ともいえる塗装だった。レインボーセブン︵Rainbow777︶
アドカラー
その他
アルカディア号 漫画﹃宇宙海賊キャプテンハーロック﹄に登場する宇宙戦艦﹁アルカディア号﹂にちなんでDC-9型機に﹁アルカディア号﹂と塗装し、﹁当日にならなければ行き先がわからない。行き先不明の旅。﹂というミステリーフライトのキャンペーンを展開していた。 ピーターパンフライト就航路線
国内線
主な就航先
●新千歳空港 ●女満別空港 ●旭川空港 ●釧路空港 ●帯広空港 ●函館空港 ●青森空港 ●三沢空港 ●秋田空港 ●花巻空港 ●山形空港 ●仙台空港 ●新潟空港 ●松本空港 ●小松空港 ●東京国際空港(ハブ空港) ●成田国際空港(拠点空港)︵国際線のみ︶ ●名古屋空港 ●大阪国際空港(ハブ空港) ●関西国際空港(拠点空港) ●南紀白浜空港 ●岡山空港 ●広島空港 ●出雲空港 ●徳島空港 ●高松空港 ●高知空港 ●松山空港 ●福岡空港 ●北九州空港 ●佐賀空港 ●大分空港 ●長崎空港 ●熊本空港 ●宮崎空港 ●鹿児島空港 ●奄美空港 ●徳之島空港 ●那覇空港国際線
国際線就航時には、将来的にアメリカ本土やヨーロッパの主要都市への就航も視野に入れていたが、バブル崩壊や湾岸戦争の勃発による乗客の減少、さらには成田空港の発着枠制限といった厳しい現実に阻まれた。 特に一旦は定期運航を実現したシンガポール線、ホノルル線などは、成田空港の発着枠が制限されたことや、競合他社によって発着枠の獲得の妨害にあったためにデイリー運航が不可能だった。ツアーに利用しづらく、旅行会社に敬遠されがちで、採算が取れなかったことが早期撤退を余儀なくされた一因とされている。なお、これらの中長距離路線を運航するために、1988年にマクドネル・ダグラスDC-10-30 (ER) 型機を2機導入したが、上記のような状態のため2機のうちJA8551は韓国の大韓航空に1年弱リースされた後の就航となった。最長距離とされていたホノルル線は、集客などに無理が重なり、わずか3年程で運休となった。その後は香港線へとシフトしたが、主力のA300-600Rの機材メンテナンスや集客状況などでの機材変更程度であった。その香港線も、1998年の香港国際空港開港時点で予備のA300-600Rで賄えるようになったことから2機とも2000年には、当時のJASの提携先だったノースウエスト航空︵現在のデルタ航空︶へ売却された。アメリカへ売却後も太平洋路線で成田を介してバンコク路線などで時折日本に里帰りしていた。その後、これら2機はオムニエア・インターナショナルINCで運用されており、時折米軍横田基地などにも飛来している。 一方、日本航空との経営統合までは中国本土の各都市への運航に尽力していた。特に日本航空や全日本空輸が就航していない西安・広州・昆明等の地方都市への運航に活路を見出していたこと、また韓国の首都であるソウルへの毎日2往復での運航が収入源となっていたのも特徴的だった。就航先
定期便はすべて、成田国際空港および関西国際空港発着であった。他にも福岡空港や広島空港などの地方空港からのチャーター便も運航されていた。 韓国 ●仁川国際空港︵2001年まで金浦国際空港︶ 中国 ●上海浦東国際空港︵1999年まで上海虹橋国際空港︶ ●西安咸陽国際空港 ●旧広州白雲国際空港 ●昆明巫家壩国際空港 香港 ●香港国際空港︵1998年まで啓徳空港︶ シンガポール ●チャンギ国際空港︵1995年4月に運休︶ アメリカ ●ホノルル国際空港︵1994年6月に運休︶コードシェア運航
ノースウエスト航空やKLMオランダ航空、中国南方航空と日本国内の主要路線や東京/成田 - アムステルダム線︵KLMオランダ航空の機材・乗務員で運航︶などの国際線のコードシェア運航を行っていた他、マイレージの提携も行っていた。2009年9月時点ではワールドパークスでは日本航空インターナショナルの路線でマイルを加算することはできなかった。ただし実際にはノースウエスト航空が独自に行う︵日本航空を含む国内航空各社とは無関係︶﹁ニッポン500マイルキャンペーン﹂で一般会員の場合年間10回[20]に限り会社・距離・運賃にかかわらず一律500マイルを加算することができた[21]。また、日本航空に統合後も日本航空インターナショナルの路線で特典旅行することは可能だったが、2008年10月1日以降特典旅行に交換できる会員は上級会員か指定された提携クレジットカード会員のみに制限され、その後2009年4月1日をもって日本航空との提携解消に伴いこれらの会員でも交換できなくなった。サービス
東亜国内航空時代より、ブランドイメージと規模で先行していた大手2社との差別化に苦慮していた日本エアシステムは、この状況を打破するためにいくつかの独創的なサービスを導入している。また、以下のようなサービスを日本で最初に導入している。 ●女優のヘアヌードが掲載されている週刊誌などの雑誌の搭載を取りやめ。 ●半額運賃の国内線割引運賃を設定。 ●女性優先トイレを設置。 ●パソコン通信で国内線予約、空席・運航状況の情報提供を開始。 ●機体1機ごとにスペシャルマーキングを塗装。これは日本の航空業界で史上初だった。 ●本格的な広告マーキングを塗装。 ●インターネットで機体デザインを募集。 ●国内線3クラスシートを導入。 ●日本で初めて全席に個人用テレビを設置した機材を導入。 ●コンビニチケットレス予約サービスの設定。 ●バースデー割引の制定。 ●マイレージサービスにおける獲得マイルの有効期間が最長4年︵JAL、ANAより1年長い︶の設定。 飲み物 日本の航空会社として唯一、大塚製薬と提携し、同社およびグループ企業の主力製品であるジャワティやポカリスエットなどを乗客向けに提供していた。他にも暖かいスープ、緑茶やカゴメの六条麦茶、ジュースなどを搭載していた。 ビジネスクラス 成田 - ホノルル線の就航に伴ってDC-10型機に導入されたビジネスクラス。後のスーパーシートの前身と言えるが、形態は日本航空のそれに類似する。機内食もエコノミークラスより豪華であり、主に和食を中心としたものの他、軽食も提供された。なお、ホノルル空港のラウンジはクラスに関係なく利用が可能だった。 スーパーシート ボーイング777-200へのスーパーシート導入に合わせ、1997年4月1日からA300-600R型機においても、スーパーシートを導入。座席数は一機あたり12席、ピッチ102cm、幅47cm。ボーイング777-200との違いは、フットレストが手動式であることと、テレビは通路天井部にビデオモニターを設置していたことである。バゲージ・チェックイン・ラウンジ︵ラウンジのない空港では空港内売店で使用できる商品券︶・機内食などのサービスはボーイング777-200と同一だった。 ボーナスシート 1997年4月1日からの一時期、機体最後尾にエンジンが装備されているDC-9-81、MD-81、MD-87、MD-90型機に導入された格安座席。﹁窓がない﹂、﹁エンジンの音がうるさい﹂、﹁座席がリクライニングしない﹂と不人気だった機内最後部の5 - 7席の運賃を、通常運賃の50%としたもの。事前購入割引ではなく定額運賃だった。当クラスを含むとJASの座席クラスは4種類となる。 チャイ・ランメニュー 2001年より、香港を代表する映画制作会社、ゴールデン・ハーベストの副社長兼プロデューサーで、食通としても知られる蔡瀾︵チャイ・ラン︶が監修した機内食が成田 - 香港線で提供されていた。 民族衣装 2001年に、関西 - 昆明線のみの限定サービスとして、客室乗務員が中国・雲南省の少数民族の衣装を着用して機内サービスを行った。 フローラルルーム︵女性優先トイレ︶ 客室乗員部乗務室長︵当時︶の吉田千鶴子の発案により、1996年3月に日本の航空会社として初めて設置された女性優先トイレ︵化粧室︶。ドライフラワーのハーブが香る個室内には、コロンやハンドクリーム、ウェットティッシュなどアメニティグッズなどが設置されていた。まれに書籍などで﹁女性専用トイレ﹂と表記されることがあるが、あくまで﹁優先﹂であり、男女とも利用可能だった。日本航空との経営統合後も継続して設置している。 機内誌 日本エアシステムは、1988年7月1日の同社初の国際定期便、東京/成田 - ソウル/金浦線の就航に合わせ、機内誌﹁ARCAS︵アルカス︶﹂を創刊し、当初は2カ月に1回、その後は毎月発行していたが、2002年10月の日本航空との経営統合に伴い、翌2003年4月、日本航空の﹁Winds︵ウィンズ︶﹂に一本化する形で廃刊となり、誌名も﹁SKYWARD︵スカイワード︶﹂に変わった。他に機内販売カタログ﹁JAS FLIGHT SHOP﹂などを搭載していた。3クラスシート
スーパーシート
スーパーシートは、1997年4月1日からボーイング777-200型機・A300-600R型機において導入された。追加料金は4000円。座席数は1機あたり12席、ピッチ約107cm、幅53cm。2-2-2の6アブレスト。最大角度25度のリクライニング・ランバーサポートは電動であり、フットレストはレッグレストに収納されていた。座席には﹁レインボービジョン﹂︵テレビ︶のコントローラーが設置されており、チャンネルの切り替え、ゲームの操作、読書灯、キャビンクルーの呼び出しなどを操作できた。スーパーシートの乗客は、チェックインを専用のカウンターで行い、搭乗前に後述する﹁レインボーラウンジ﹂でくつろぐことができる。また朝・昼・夕の時間帯には国内線としては豪華な機内食が提供された。16時以降に出発する便ではワインのクォーターボトルがサービスされた。機内食の出ない時間帯では軽食として弁当か菓子のどちらかを選択することができた。機内では、コートや上着を専用のクローゼットに預けるサービスがあったほか、スリッパと靴ベラもサービスされていた。到着後は、専用のタグをつけた手荷物が優先的に引き渡された。予約は専用電話﹁レインボーコール﹂で受け付けた。JAL便に統合後の2004年6月以降はクラスJとして設定されていたため、﹁乗り得座席﹂として扱われていた(スーパーシートを参照)。レインボーシート
レギュラーシート
日本の航空会社では初めて、すべての座席にテレビモニターが設置されたエコノミークラスであった。ボーイング777型機における2-5-2の9アブレスト配置は、日本航空や全日本空輸にはない独自のものであり、満席状況の最混雑時を除くと実質上2-2-2-2の8アブレストとして運用されるとともに、3-5人グループ客は同列に配席するなど顧客の立場において柔軟な運用が行われた。レインボーラウンジ
主に﹁スーパーシート﹂を利用していた乗客および上級会員︵JASマイレッジマスターズ︶に対し、羽田・札幌・福岡など主要空港で﹁レインボーラウンジ﹂と呼ばれるラウンジサービスを提供していた。落ち着いた内装のレインボーラウンジには、専門の係員が配置され、軽食やドリンクのサービスを実施していた。日本航空に経営統合後は﹁サクララウンジ﹂として提供されている。マイレージ
広告
他の国内大手2社同様に夏季には沖縄・奄美群島キャンペーンや北海道キャンペーンを実施したほか、他の寄港地や貨物部門での広告キャンペーンも行われた。また、1990年頃、﹁ハートフルJAS﹂というコピーが用いられた時期に和田アキ子、ホノルル線就航時に中村吉右衛門といった著名人をテレビCMに起用したこともあった。キャンペーンガール
●鰐淵晴子︵1960年代・日本国内航空時代︶ ●ジョディ・マッケンジー︵1979年︶ ●稲光朱火︵1980年︶ ●石川優子︵1981年/歌手・石川優子とは別人︶ ●松本真実︵1983年︶ ●財前直見︵1984年︶ ●ジーナ・ナナ︵1985年︶ ●シェリー・アサンシオン︵1986年︶ ●武市幸子︵1987年/俳優・高松英郎の長女︶ ●西田ひかる︵1988年︶ ●坂井泉水︵1989年/'89フルロードキャンペーン/蒲池幸子名︶ ●坂井泉水︵1989年/JASカーゴ/蒲池幸子名︶ ●坂井泉水︵1990年/JASカーゴ/蒲池幸子名︶ ●及川麻衣︵1991年︶ ●川島令美︵2000年 - 2001年︶その他
●和田アキ子︵1990年/ハートフルJAS︶ ●中村吉右衛門︵1991年/ホノルル線就航︶ ●平賀雅臣︵1997年/レインボーセブン就航︶ ●山口智子︵2001年/バースデー割得︶ ●山口智子︵2001年/ウルトラ割得︶ ●山口智子︵2002年/ウルトラ割得ジャンプ︶ ●沢田研二・田中裕子︵2002年/結婚記念日割得︶メディア関連
●テレビドラマ﹁西部警察﹂の地方ロケでは、渡哲也扮する大門団長の移動手段として毎回、TDA機が登場している[24]︵東亜国内航空時代︶。 ●﹁太陽にほえろ!﹂、﹁Gメン`75﹂の北海道ロケ、﹁大江戸捜査網﹂の長崎ロケ、﹁誇りの報酬﹂の北海道、長崎ロケでも協力した︵同︶。 ●WANDSの8枚目のシングルである﹁世界が終るまでは…﹂のPVは、羽田空港の日本エアシステムの格納庫で撮影され、その後半には当社のA300型機が映し出されていた。 ●映画﹁釣りバカ日誌14お遍路大パニック!﹂では撮影に協力しており、日本エアシステムの機材が登場していた。 ●ジブリ映画﹁海がきこえる﹂では高知空港のシーンで日本エアシステムのカウンター風景が描かれていた。 ●2時間ドラマ﹁スチュワーデス刑事﹂は日本航空の乗務員が主人公であったが、経営統合直後に放送された第8作﹁ドバイ〜東京8千キロ・列島縦断グルメツアー殺人事件﹂では、統合後の日本エアシステムの機材と乗務員も登場していた。株主
子会社
事故
日本国内航空を経て東亜国内航空時代から墜落、全損事故を含む数回の重大事故を発生させている。国内線の運航が主だったこともあり日本国外での事故はない。脚注
参考文献
- 「あらかると 747」『エアライン臨時増刊 ボーイング747ジャンボ』、イカロス出版、1986年9月、59-68頁。
関連項目
外部リンク
- JAL's History JASの歴史
- JASプレスリリース
- 日本エアコミューター
- 北海道エアシステム
- 統合合意の記事
- 日本航空・日本エアシステム 共同社長記者会見 議事録 - 日本航空キャビンクルー・ユニオン(Internet Archive)
- 経営統合機長組合見解[1](Internet Archive)
- JAS公式ホームページ(Internet Archive)