日英和親条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日英和親条約
日本国大不列顛国約定
通称・略称 日英和親条約
日英約定
署名 1854年10月14日
嘉永7年8月23日
署名場所 日本・長崎
主な内容 長崎・箱館(後の函館)の開港
関連条約 日米和親条約日露和親条約日蘭和親条約
条文リンク 法令全書 - 国立国会図書館
テンプレートを表示

: Anglo-Japanese Friendship Treaty71854[1]

[]




[ 1]185497[ 2][ 3][ 4]

10147823調



1858貿

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日露和親条約交渉のためエフィム・プチャーチンが4隻の艦隊を率いて入港中であった。
  2. ^ 他に、エンカウンター(スクリューコルベット)、スティックスバラクータ(共に外輪スループ)。
  3. ^ 幕府はペリーに次回の交渉時には長崎に行くように伝えていた。
  4. ^ スターリングは同年3月に日米和親条約が締結されたことを米海軍より入手していたが、外交交渉は任務に含まれていなかった。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]