河本嘉久蔵
河本 嘉久蔵 かわもと かくぞう | |
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生年月日 | 1917年3月27日 |
出生地 | 滋賀県高島郡(現・高島市) |
没年月日 | 1990年3月24日(72歳没) |
出身校 |
彦根高等商業学校 (現・滋賀大学経済学部) |
前職 | アヤハグループ社長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 紺綬褒章 |
子女 | 長男・河本英典 |
内閣 | 第2次中曽根内閣第1次改造内閣 |
在任期間 | 1984年11月1日 - 1985年12月28日 |
選挙区 | 滋賀県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1971年7月4日 - 1989年7月9日 |
河本 嘉久蔵︵河本 嘉久藏[1]、かわもと かくぞう、1917年︵大正6年︶3月27日[2] - 1990年︵平成2年︶3月24日[2]︶は、日本の政治家、実業家。参議院議員︵3期、自由民主党︶、国土庁長官︵第13代︶、北海道開発庁長官︵第47代︶。アヤハグループ創業者。
来歴[編集]
1917年︵大正6年︶、滋賀県高島郡本庄村北船木︵現在の高島市安曇川町北船木︶に生まれる[2]。1937年︵昭和12年︶に彦根高等商業学校︵現・滋賀大学経済学部︶を卒業[2]。 同年丸紅に入社したが、まもなく従軍、支那事変と太平洋戦争に参戦する。 終戦後に丸紅を退社し、1946年︵昭和21年︶、山城織物株式会社︵現綾羽︶を設立[2]。1958年︵昭和33年︶4月滋賀大学体育館建設費として10万円寄付により同年10月11日紺綬褒章受章[3]。1967年︵昭和42年︶、社会貢献活動の道に進み、河本社会問題相談所を設立した。 1968年︵昭和43年︶に第8回参議院議員通常選挙に滋賀県選挙区から無所属で出馬し落選[4]。1971年︵昭和46年︶に第9回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で出馬し初当選する[2][4]。以後、3期を務める[2]。自由民主党・田中派に所属。 1977年︵昭和52年︶、第11回参議院議員通常選挙滋賀選挙区で2期目の当選[4]。1980年︵昭和55年︶、財団法人河本文教福祉振興会を設立する。 1981年︵昭和56年︶には参議院大蔵委員長を務める。1983年︵昭和58年︶には、 第13回参議院議員通常選挙滋賀選挙区で3期目の当選[4]。1984年︵昭和59年︶第2次中曽根内閣第1次改造内閣では国土庁長官、北海道開発庁長官を歴任した[2]。1987年︵昭和62年︶春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[1][5]。参議院土地問題等に関する特別委員長に任じられる。1989年︵平成元年︶第15回参議院議員通常選挙では落選した[4]。 1990年︵平成2年︶3月24日死去、72歳。死没日をもって正七位から従三位に叙される[6]。家族[編集]
元公設秘書[編集]
その他[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
●﹃新訂政治家人名事典明治〜昭和﹄、日外アソシエーツ、2003年 ●朝日新聞選挙本部編﹃朝日選挙大観﹄朝日新聞社、1997年。外部リンク[編集]
●綾羽株式会社 - 同社社長として、社会貢献活動に取り組んだ。公職 | ||
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先代 稲村佐近四郎 |
国土庁長官 第13代:1984年-1985年 |
次代 山崎平八郎 |
先代 稲村佐近四郎 |
北海道開発庁長官 第47代:1984年-1985年 |
次代 古賀雷四郎 |
議会 | ||
先代 設置 |
参議院土地問題等に関する特別委員長 1987年 - 1988年 |
次代 古賀雷四郎 |
先代 中村太郎 |
参議院大蔵委員長 1981年 - 1982年 |
次代 戸塚進也 |