藤原賢子
藤原 賢子 | |
---|---|
第72代天皇后 | |
皇后 |
延久6年6月20日(1074年7月16日) (中宮) |
皇太后 |
寛治元年12月28日(1088年1月24日) (追贈) |
誕生 | 天喜4年(1057年) |
崩御 |
応徳元年9月22日(1084年10月24日) |
陵所 | 上醍醐陵(京都市伏見区) |
諱 | 賢子 |
氏族 |
村上源氏 養: 藤原氏(北家・御堂流) |
父親 |
源顕房 養父:藤原師実 |
母親 |
源隆子(源隆俊女) 養母:源麗子 |
配偶者 | 白河天皇 |
入内 | 延久3年3月9日(1071年4月11日) |
子女 |
敦文親王 媞子内親王 令子内親王 堀河天皇 禛子内親王 |
女御宣下 | 延久5年7月23日(1073年8月28日) |
立后前位階 | 従四位下 |
藤原 賢子︵ふじわら の けんし/かたいこ、天喜4年︵1057年︶ - 応徳元年9月22日︵1084年10月24日︶︶は、第72代白河天皇の中宮、第73代堀河天皇の国母。太政大臣・藤原師実の養女。実父は右大臣・源顕房、母は源隆俊の女・隆子。白河天皇の寵愛の后であり、その死をかなしんで天皇は数日食事をとらなかったという。贈太皇太后。名は﹁かたこ﹂ともよむ。[1]