藤谷光信
藤谷 光信 ふじたに こうしん | |
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生年月日 | 1937年1月1日(87歳) |
出生地 | 日本 山口県岩国市 |
出身校 | 龍谷大学文学部 |
前職 | 浄土真宗本願寺派西本願寺住職[1][2] |
現職 |
浄土真宗本願寺派西本願寺住職 立憲民主党山口県総支部連合会顧問 |
所属政党 |
(民主党→) (民進党→) (旧国民民主党→) 立憲民主党 |
称号 |
文学士 旭日中綬章 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2007年7月29日 - 2013年7月28日 |
選挙区 | 岩国市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1991年 - 2007年 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1975年 - 1991年 |
藤谷 光信︵ふじたに こうしん、1937年1月1日 - ︶は、日本の政治家、僧侶。浄土真宗本願寺派。教蓮寺︵山口県岩国市︶住職、学校法人理事長、参議院議員︵1期︶、山口県議会議員︵4期︶、旧岩国市議会議員︵4期︶などを務めた[1][2]。
来歴[編集]
山口県岩国市出身[3]。 1955年山口県立岩国高等学校卒業。 1960年龍谷大学文学部卒業。高等学校教諭を経て住職となる。 1960年、岩国演劇研究会﹁劇団のんた﹂を創立し、代表者となる。同劇団の活動で2010年に正力松太郎賞受賞[4]。1988年には児童劇団﹁ゆりかご﹂を設立した。 旧岩国市議会議員︵4期︶・山口県議会議員︵4期︶を経る[1][2]。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬[1][2]、35名中17位で当選。浄土真宗本願寺派としては33年ぶりの国政選挙における組織内候補の擁立であった。 2010年10月7日、衆議院第2議員会館で開催された﹁韓国・朝鮮の遺族とともに遺骨問題の解決へ全国連絡会︵代表‥上杉聰︶﹂に今野東・相原久美子・白眞勲・石毛鍈子・服部良一と共に参加し、﹁︵日本国は朝鮮半島に対する植民地支配の︶責任を認め、︵問題解決の︶早期実現に全力でとりくむ﹂ことを求める決議を採択する[5]。 2011年4月14日、超党派議員による﹁第一次補正予算におけるODA予算削減に関する勉強会﹂に参加し、﹁苦しい時こそ外国への支援・連帯を切らず、G7の一員たる日本の矜持を示すべき﹂として菅直人首相に対し、東日本大震災の復興補正予算の財源として検討されているODA削減の撤回を求めた[6][7]。 2013年3月14日 参議院議員会館開催の﹁排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会﹂を呼びかけた[8]。 2013年5月28日、高齢を理由に同年の第23回参議院議員通常選挙には出馬しないことを表明[3][9]。 2013年秋の叙勲で旭日中綬章受章。 2013年12月18日から20日に戦後補償を考える議員連盟の顧問として江田五月らと訪韓を実行した[10][11][12]。 民進党の分裂後は国民民主党を経て[13]、立憲民主党山口県連顧問[14]。政策[編集]
- 選択的夫婦別姓制度導入に関して、「どちらともいえない」としている。
所属していた団体・議員連盟[編集]
- 戸籍法を考える議員連盟
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 朝鮮半島問題研究会(幹事)
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 特定非営利活動法人日本・ロシア協会理事
脚注[編集]
(一)^ abcd“比例区当選者 藤谷 光信”. 2007参議院選挙. 朝日新聞社. 2023年3月7日閲覧。
(二)^ abcd“比例代表 民主 藤谷 光信”. 参院選2007. 読売新聞社. 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月7日閲覧。
(三)^ ab﹁民主・藤谷氏が政界引退へ﹂﹃中国新聞﹄、2013年5月29日。2013年7月25日閲覧。オリジナルの2013年7月25日時点におけるアーカイブ。
(四)^ ﹃第34回正力松太郎賞 受賞者が決定いたしました!!﹄︵プレスリリース︶全国青少年教化協議会、2010年3月8日。2023年3月7日閲覧。
(五)^ ﹃﹁韓国・朝鮮の遺族とともに﹂全国連絡会遺族招へい行動・第3回証言集会﹄︵プレスリリース︶平和フォーラム、2010年10月7日。2013年7月25日閲覧。
(六)^ ﹁︻東日本大震災︼超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ﹂﹃MSN産経ニュース﹄、2011年4月14日。オリジナルの2012年3月4日時点におけるアーカイブ。
(七)^ 第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会 (2011年4月14日). “申し入れ書”. 2016年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月7日閲覧。
(八)^ “﹁民族排撃デモ﹂、国会内で抗議集会 政治が動き始めた”. 田中龍作ジャーナル (2013年3月15日). 2023年3月7日閲覧。
(九)^ ﹁民主・藤谷参院議員、政界引退へ ﹁若い人に譲りたい﹂﹂﹃朝日新聞﹄、2013年5月27日。2013年7月25日閲覧。オリジナルの2013年12月21日時点におけるアーカイブ。
(十)^ ﹁韓国女性家族部長官が日本議員と面談=慰安婦問題で﹂﹃聯合ニュース﹄、2013年12月20日。2023年3月7日閲覧。
(11)^ 안소영 (2013年12月22日). “여성가족부 장관, 일본정부에 일본군위안부 피해자 문제 해결 촉구 [女性家族部長官、日本政府に日本軍慰安婦被害者問題解決要求]” (朝鮮語). 独島タイムズ︵독도신문︶ 2023年3月7日閲覧。
(12)^ ﹃第3回 韓国訪問報告書﹄︵レポート︶民主党・未来に向けて戦後補償を考える議員連盟、2014年1月20日、2頁。2023年3月7日閲覧。
(13)^ “山口県連について”. 国民民主党. 2018年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
(14)^ “2022年度役員一覧”. 立憲民主党山口県総支部連合会. 2023年3月7日閲覧。
外部リンク[編集]
- 藤谷光信 オフィシャルサイト - 閉鎖。(2013年6月14日時点のアーカイブ)