「多磨霊園」の版間の差分
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[[ファイル:Fountain at Tama Cemetery.jpg|thumb|噴水塔]] |
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'''多磨霊園'''︵たまれいえん︶は、[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]][[多磨町]]および[[小金井市]][[前原町 (小金井市)|前原町]]に所在する都立[[墓地|霊園]]である。[[日本]]初の[[公園墓地]]であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128ha<ref name="gaiyou" />で、[[東京ドーム (単位)|東京ドーム]]27個分<ref>[ |
'''多磨霊園'''︵たまれいえん︶は、[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]][[多磨町]]および[[小金井市]][[前原町 (小金井市)|前原町]]に所在する都立[[墓地|霊園]]である。[[日本]]初の[[公園墓地]]であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128ha<ref name="gaiyou" />で、[[東京ドーム (単位)|東京ドーム]]27個分<ref>[https://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200503/topics04/topic04_02.html 月間基礎知識] 比喩単位</ref>に相当する。
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[[明治]]時代から[[大正]]時代にかけて[[東京市]]では墓地不足が進行していたため、[[1919年]]︵大正8年︶に墓地の新設計画が立てられ、[[1923年]]︵大正12年︶4月に当園が開設された<ref name="reien">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-park.or.jp/reien/ |
[[明治]]時代から[[大正]]時代にかけて[[東京市]]では墓地不足が進行していたため、[[1919年]]︵大正8年︶に墓地の新設計画が立てられ、[[1923年]]︵大正12年︶4月に当園が開設された<ref name="reien">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-park.or.jp/reien/tama/assets/files/tama_map.pdf?date=20240612111214 |title=東京都多磨霊園案内図 |publisher=公益財団法人東京都公園協会 |accessdate=2022-08-29}}</ref>。当初は多磨墓地といい、[[1935年]]︵昭和10年︶に多磨霊園と改称された<ref name="reien" />。
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長い歴史を持つ緑の多い公園墓地であり、著名人の墓も多数所在する<ref>[http://www.tokyo-park.or.jp/reien/facilities/tour.html 東京都公園協会]</ref>。 |
長い歴史を持つ緑の多い公園墓地であり、著名人の墓も多数所在する<ref>[http://www.tokyo-park.or.jp/reien/facilities/tour.html 東京都公園協会]</ref>。 |
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== 概況 == |
== 概況 == |
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府中市の北東端に位置し、敷地の北側は市境を越えて小金井市に跨がる。管理事務所および正門は、敷地の南東端にある。北側で[[東京都道14号新宿国立線|都道14号]]︵[[東八道路]]︶と接しており、南側は正門から南に向かって多磨霊園南参道︵市道︶が伸び、[[東京都道110号府中三鷹線|都道110号]]︵[[人見街道]]︶および[[国道20号]]︵[[甲州街道]]︶と連絡する。また、敷地北側は東八道路を挟んで[[府中運転免許試験場]]および[[武蔵野公園]]に面し、南西に浅間山通り︵市道︶を挟んで[[浅間山公園]]に面する |
府中市の北東端に位置し、敷地の北側は市境を越えて小金井市に跨がる。管理事務所および正門は、敷地の南東端にある。北側で[[東京都道14号新宿国立線|都道14号]]︵[[東八道路]]︶と接しており、南側は正門から南に向かって多磨霊園南参道︵市道︶が伸び、[[東京都道110号府中三鷹線|都道110号]]︵[[人見街道]]︶および[[国道20号]]︵[[甲州街道]]︶と連絡する。また、敷地北側は東八道路を挟んで[[府中運転免許試験場]]および[[武蔵野公園]]に面し、南西に浅間山通り︵市道︶を挟んで[[浅間山公園]]に面する。
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園内の各墓標は﹁区﹂﹁種﹂﹁側﹂﹁番﹂により特定される。墓域は1区から26区までの﹁'''区'''﹂に分けられており、正門付近を1区、その西隣を2区として、[[条里制#里 (単位)|千鳥式坪並]]で番号が振られている。ただし、1939年に拡張された区域︵22区以降︶については、北から順番に付番されている。各区内には﹁'''種'''﹂があり、概ね園内道路に面した部分が1種、それ以外が2種となるほか、7区にのみ特種が存在する︵名誉霊域︶。更に墓標の並びをそれぞれ﹁'''側'''﹂とし、墓標のひとつを﹁'''番'''﹂として区別する |
園内の各墓標は﹁区﹂﹁種﹂﹁側﹂﹁番﹂により特定される。墓域は1区から26区までの﹁'''区'''﹂に分けられており、正門付近を1区、その西隣を2区として、[[条里制#里 (単位)|千鳥式坪並]]で番号が振られている。ただし、1939年に拡張された区域︵22区以降︶については、北から順番に付番されている。各区内には﹁'''種'''﹂があり、概ね園内道路に面した部分が1種、それ以外が2種となるほか、7区にのみ特種が存在する︵名誉霊域︶。更に墓標の並びをそれぞれ﹁'''側'''﹂とし、墓標のひとつを﹁'''番'''﹂として区別する。
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門は正門、東門、小金井門︵敷地北西側︶、北門、西門があるほか、後述するバス通りやその他歩行者用出入口からも出入可能である。園内路は基本的に開園時間であれば車両通行可能で、来園の際も園内の任意の場所に駐車できる。ただし、園外から自動車の出入が可能なのは、正門と小金井門、およびバス通りと大廻りの交差点に限られる |
門は正門、東門、小金井門︵敷地北西側︶、北門、西門があるほか、後述するバス通りやその他歩行者用出入口からも出入可能である。園内路は基本的に開園時間であれば車両通行可能で、来園の際も園内の任意の場所に駐車できる。ただし、園外から自動車の出入が可能なのは、正門と小金井門、およびバス通りと大廻りの交差点に限られる。
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園内の道路名称は、以下の通り。[[公道]]はバス通りのみである。 |
園内の道路名称は、以下の通り。[[公道]]はバス通りのみである。 |
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* '''せんげんやま通り''' - 西1号通りとの交差点(26区・浅間山)から北進、北門付近で壁墓地通りと交差後東進し、小金井門ロータリーで終点となる道路。 |
* '''せんげんやま通り''' - 西1号通りとの交差点(26区・浅間山)から北進、北門付近で壁墓地通りと交差後東進し、小金井門ロータリーで終点となる道路。 |
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==埋葬されている著名人等== |
== 埋葬されている著名人等 == |
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[[ファイル:Graves of Three Commanders.jpg|サムネイル|東郷平八郎、山本五十六、古賀峯一の墓がある名誉霊域]] |
[[ファイル:Graves of Three Commanders.jpg|サムネイル|東郷平八郎、山本五十六、古賀峯一の墓がある名誉霊域]] |
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埋葬者の絶対数が多いため、先述のとおり著名人の埋葬者も多い。[[東郷平八郎]]・[[山本五十六]]・[[古賀峯一]]の3名(共に[[元帥 (日本)|元帥海軍大将]]・[[連合艦隊司令長官]])は名誉霊域(7区 特種)に埋葬されている。 |
埋葬者の絶対数が多いため、先述のとおり著名人の埋葬者も多い。[[東郷平八郎]]・[[山本五十六]]・[[古賀峯一]]の3名(共に[[元帥 (日本)|元帥海軍大将]]・[[連合艦隊司令長官]])は名誉霊域(7区 特種)に埋葬されている。 |
2024年6月19日 (水) 15:17時点における版
多磨霊園入口 | |
詳細 | |
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開園 | 1923年 |
所在地 | |
国 | 日本 |
座標 | 北緯35度41分07秒 東経139度30分35秒 / 北緯35.68528度 東経139.50972度座標: 北緯35度41分07秒 東経139度30分35秒 / 北緯35.68528度 東経139.50972度 |
種別 | 公営 |
運営者 | 東京都 |
総面積 | 128ha[1] |
ウェブサイト | 公式ウェブサイト |