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{{by|2006年}}3月6日、絶滅が危惧されている野生の[[トラ]]を保護するため、トラ保護基金に2006年シーズンの公式勝利数と同じ数のトラ保護レンジャー用の装備を寄付すると表明。そして、2006年の勝利数と同じ84個分の装備品の代金75万6,000円(1セット約9,000円)を寄付した。この活動が評価され、12月12日にインド政府から「阪神の最後まで諦めない姿勢に勇気づけられた。支援に非常に感謝している」などと記された感謝のメッセージを受け取っている。 |
{{by|2006年}}3月6日、絶滅が危惧されている野生の[[トラ]]を保護するため、トラ保護基金に2006年シーズンの公式勝利数と同じ数のトラ保護レンジャー用の装備を寄付すると表明。そして、2006年の勝利数と同じ84個分の装備品の代金75万6,000円(1セット約9,000円)を寄付した。この活動が評価され、12月12日にインド政府から「阪神の最後まで諦めない姿勢に勇気づけられた。支援に非常に感謝している」などと記された感謝のメッセージを受け取っている。 |
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{{by|2007年}}6月8日の対オリックス戦(甲子園球場)の8回裏、打者[[鳥谷敬]]の守備妨害を巡り[[球審]]の[[谷博]]に抗議を行った際に谷の胸を突き飛ばし、現役・コーチ及び監督生活を通じて初めての退場処分を受ける。8月16日の対中日戦(京セラドーム)では、8回裏に一塁走者が二塁でアウトになったことをめぐり二塁[[塁審]]の[[井野修]]に抗議して胸を突き飛ばしたため、2度目の退場となった。なお、同じシーズン中に2度退場になった監督は他にも複数いるが、阪神では岡田が初であり、[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]日本人監督でも初めてであった<ref>[http://osaka.nikkansports.com/baseball/professional/tigers/p-ot-tp0-20070817-242946.html 「過去いないセ日本人監督シーズン二度」 日刊スポーツ]</ref>。 |
{{by|2007年}}6月8日の対オリックス戦︵甲子園球場︶の8回裏、打者[[鳥谷敬]]の守備妨害を巡り[[球審]]の[[谷博]]に抗議を行った際に谷の胸を突き飛ばし、現役・コーチ及び監督生活を通じて初めての退場処分を受ける。8月16日の対中日戦︵京セラドーム︶では、8回裏に一塁走者が二塁でアウトになったことをめぐり二塁[[塁審]]の[[井野修]]に抗議して胸を突き飛ばしたため、2度目の退場となった。なお、同じシーズン中に2度退場になった監督は他にも複数いるが、阪神では岡田が初であり、[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]日本人監督でも初めてであった<ref>[http://osaka.nikkansports.com/baseball/professional/tigers/p-ot-tp0-20070817-242946.html ﹁過去いないセ日本人監督シーズン二度﹂ 日刊スポーツ]</ref>。なお余談ではあるがその2人の審判はのちに[[中日ドラゴンズ|中日]]の[[落合博満]]監督を退場処分としている。
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{{by|2008年}}、チームは開幕からスタートダッシュに成功し首位を独走していたが、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]の[[北京オリンピック野球日本代表|野球日本代表]]に主力である[[新井貴浩]]・[[矢野燿大|矢野輝弘]]・藤川球児を派遣して以後、チーム状態が空転し始め、打撃陣の不振や故障者の続出などで、一時は13ゲーム差をつけていた巨人に終盤で逆転されペナントレース優勝を逃した。この責任を取る形でこのシーズン限りでの辞任を発表した。[[2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]第1ステージ最終戦で敗退したことでこのシリーズが最後の指揮となった。試合終了後、選手会長の赤星憲広の発案により、選手・コーチから監督を務めた年数と同じ5回胴上げされた。 |
{{by|2008年}}、チームは開幕からスタートダッシュに成功し首位を独走していたが、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]の[[北京オリンピック野球日本代表|野球日本代表]]に主力である[[新井貴浩]]・[[矢野燿大|矢野輝弘]]・藤川球児を派遣して以後、チーム状態が空転し始め、打撃陣の不振や故障者の続出などで、一時は13ゲーム差をつけていた巨人に終盤で逆転されペナントレース優勝を逃した。この責任を取る形でこのシーズン限りでの辞任を発表した。[[2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]第1ステージ最終戦で敗退したことでこのシリーズが最後の指揮となった。試合終了後、選手会長の赤星憲広の発案により、選手・コーチから監督を務めた年数と同じ5回胴上げされた。 |
2021年2月19日 (金) 20:29時点における版
![]() 生田神社豆まき神事にて(2019年2月3日) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 | 大阪府大阪市中央区 |
生年月日 | 1957年11月25日(66歳) |
身長 体重 |
175 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、三塁手、一塁手、外野手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト1位 |
初出場 | 1980年4月11日 |
最終出場 | 1995年10月2日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
幼少期からタイガースと共に
阪神入団~ブレイザーとの確執
オリックス時代
コーチ時代
阪神監督時代
阪神監督退任後
オリックス監督時代
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Okada_akinobu.jpg/200px-Okada_akinobu.jpg)
(2011年8月6日 QVCマリンフィールドにて
オリックス監督退任後
監督として
野球関係者からの評価
人物・交友関係
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1980 | 阪神 | 108 | 403 | 376 | 44 | 109 | 19 | 0 | 18 | 182 | 54 | 4 | 2 | 1 | 0 | 23 | 6 | 3 | 45 | 6 | .290 | .336 | .484 | .820 |
1981 | 130 | 524 | 485 | 70 | 140 | 23 | 3 | 20 | 229 | 76 | 1 | 0 | 2 | 4 | 28 | 3 | 5 | 43 | 13 | .289 | .331 | .472 | .804 | |
1982 | 129 | 521 | 466 | 57 | 140 | 22 | 1 | 14 | 206 | 69 | 10 | 5 | 2 | 5 | 44 | 12 | 4 | 30 | 13 | .300 | .362 | .442 | .804 | |
1983 | 79 | 289 | 246 | 44 | 71 | 9 | 0 | 18 | 134 | 44 | 7 | 3 | 1 | 5 | 36 | 5 | 1 | 23 | 3 | .289 | .375 | .545 | .920 | |
1984 | 115 | 366 | 323 | 38 | 96 | 14 | 2 | 15 | 159 | 51 | 3 | 1 | 0 | 7 | 33 | 4 | 3 | 41 | 13 | .297 | .361 | .492 | .853 | |
1985 | 127 | 532 | 459 | 80 | 157 | 24 | 3 | 35 | 292 | 101 | 7 | 3 | 0 | 6 | 64 | 3 | 3 | 41 | 11 | .342 | .421 | .636 | 1.057 | |
1986 | 129 | 551 | 474 | 67 | 127 | 21 | 0 | 26 | 226 | 70 | 11 | 3 | 0 | 4 | 70 | 5 | 3 | 57 | 14 | .268 | .363 | .477 | .840 | |
1987 | 130 | 518 | 474 | 54 | 121 | 24 | 3 | 14 | 193 | 58 | 5 | 2 | 0 | 2 | 40 | 2 | 2 | 75 | 12 | .255 | .315 | .407 | .722 | |
1988 | 127 | 524 | 454 | 65 | 121 | 22 | 1 | 23 | 214 | 72 | 10 | 5 | 0 | 5 | 63 | 6 | 2 | 75 | 16 | .267 | .355 | .471 | .826 | |
1989 | 130 | 557 | 492 | 66 | 138 | 20 | 1 | 24 | 232 | 76 | 8 | 3 | 0 | 7 | 57 | 3 | 1 | 81 | 15 | .280 | .352 | .472 | .823 | |
1990 | 130 | 571 | 486 | 75 | 129 | 27 | 0 | 20 | 216 | 75 | 7 | 2 | 0 | 4 | 74 | 5 | 7 | 87 | 12 | .265 | .368 | .444 | .812 | |
1991 | 108 | 428 | 383 | 45 | 92 | 11 | 0 | 15 | 148 | 50 | 1 | 3 | 0 | 3 | 40 | 3 | 2 | 68 | 9 | .240 | .313 | .386 | .700 | |
1992 | 70 | 212 | 185 | 9 | 35 | 11 | 0 | 2 | 52 | 19 | 1 | 0 | 0 | 3 | 22 | 1 | 2 | 48 | 3 | .189 | .278 | .281 | .559 | |
1993 | 42 | 62 | 53 | 2 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 24 | 0 | .170 | .290 | .245 | .536 | |
1994 | オリックス | 53 | 117 | 101 | 10 | 28 | 3 | 0 | 2 | 37 | 12 | 1 | 1 | 0 | 1 | 14 | 0 | 1 | 20 | 3 | .277 | .368 | .366 | .734 |
1995 | 32 | 46 | 39 | 3 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 9 | 1 | .179 | .304 | .179 | .484 | |
通算:16年 | 1639 | 6221 | 5496 | 729 | 1520 | 251 | 14 | 247 | 2540 | 836 | 76 | 33 | 6 | 56 | 624 | 59 | 39 | 767 | 144 | .277 | .351 | .462 | .813 |
年度別監督成績
- レギュラーシーズン
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | チーム 本塁打 |
チーム 打率 |
チーム 防御率 |
年齢 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | 阪神 | 4位 | 138 | 66 | 70 | 2 | .485 | 13.5 | 142 | .273 | 4.08 | 46歳 |
2005年 | 1位 | 146 | 87 | 54 | 5 | .617 | - | 140 | .274 | 3.24 | 47歳 | |
2006年 | 2位 | 146 | 84 | 58 | 4 | .592 | 3.5 | 133 | .267 | 3.13 | 48歳 | |
2007年 | 3位 | 144 | 74 | 66 | 4 | .529 | 4.5 | 111 | .255 | 3.56 | 49歳 | |
2008年 | 2位 | 144 | 82 | 59 | 3 | .582 | 2.0 | 83 | .268 | 3.29 | 50歳 | |
2010年 | オリックス | 5位 | 144 | 69 | 71 | 4 | .493 | 7.5 | 146 | .271 | 3.97 | 52歳 |
2011年 | 4位 | 144 | 69 | 68 | 7 | .504 | 20.5 | 76 | .248 | 3.33 | 53歳 | |
2012年 | 6位 | 144 | 57 | 77 | 10 | .425 | 17.5 | 73 | .241 | 3.34 | 54歳 | |
通算:8年 | 1141 | 581 | 521 | 39 | .527 | Aクラス4回、Bクラス4回 |
※1 2012年、9月25日より休養。監督代行は森脇浩司
※2 2012年、欠場した9試合(7勝2敗)は監督成績に含まない
- ポストシーズン
年度 | チーム | 大会名 | 対戦相手 | 勝敗 |
---|---|---|---|---|
2005年 | 阪神 | 日本シリーズ | 千葉ロッテマリーンズ | 0勝4敗=敗退 |
2007年 | セ・リーグ クライマックスシリーズ 1stステージ |
中日ドラゴンズ(セ・リーグ2位) | 0勝2敗=敗退 | |
2008年 | セ・リーグ クライマックスシリーズ 1stステージ |
中日ドラゴンズ(セ・リーグ3位) | 1勝2敗=敗退 |
表彰
- 新人王 (1980年)
- ベストナイン:1回 (1985年)
- ダイヤモンドグラブ賞:1回 (1985年)
- 月間MVP:2回 (1985年8月 野手部門:1989年6月)
- オールスターゲームMVP:2回 (1980年第1戦、1988年第2戦)
- セ・リーグ最優秀監督賞:1回 (2005年)
- ベスト・プラウド・ファーザー賞 in 関西 (2013年)
記録
- 初記録
- 初出場:1980年4月11日、対横浜大洋ホエールズ1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に深沢恵雄の代打で出場
- 初打席:同上、9回裏に平松政次の前に三振
- 初先発出場:1980年4月22日、対横浜大洋ホエールズ3回戦(横浜スタジアム)、8番・三塁手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、8回表に加藤英美から左前適時打
- 初本塁打:1980年5月1日、対読売ジャイアンツ5回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に新浦壽夫から左中間へ先制決勝3ラン
- 節目の記録
- 100本塁打:1985年7月13日、対読売ジャイアンツ15回戦(後楽園球場)、9回表に木戸克彦の代打で出場、西本聖から左越ソロ ※史上139人目
- 150本塁打:1987年6月27日、対広島東洋カープ12回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に長冨浩志から左越2ラン ※史上83人目
- 1000安打:1988年5月26日、対ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、10回表に伊東昭光から左前適時打 ※史上150人目
- 1000試合出場:1988年6月22日、対ヤクルトスワローズ10回戦(明治神宮野球場)、4番・二塁手として先発出場 ※史上277人目
- 200本塁打:1989年8月3日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に遠藤一彦から左越ソロ ※史上58人目
- 1500試合出場:1992年8月9日、対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)、12回表に弓長起浩の代打で出場 ※史上102人目
- 1500安打:1994年 6月29日 対近鉄バファローズ12回戦(日生球場)、2回表に江坂政明から中前安打 ※史上68人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:8回 (1980年 - 1982年、1985年、1986年、1988年 - 1990年)
背番号
- 16 (1980年 - 1993年)
- 10 (1994年 - 1995年)
- 85 (1996年 - 1997年)
- 80 (1998年 - 2008年、2010年 - 2012年)
関連情報
出演番組
- Fun!BASEBALL!! - 日本テレビ系列における、プロ野球中継の現行タイトル。
- ABCフレッシュアップベースボール(朝日放送ラジオ)
- 熱視線KHBスーパーベースボール「オリックス×楽天(東日本放送、2017年 - )- 野球解説。
- もえスポ(東日本放送、2018年 - )- 野球解説(番組上の肩書きは「最高顧問」となっている。)
歌
- 逢えば涙になるけれど(1982年、ミノルフォンレコード、KA-2032)
- 阪神タイガースのマスコットガールだった岡田真弓(元ラブ・ウィンクスの平田和子)とデュエット
- ビクトリー(1984年4月1日発売、メインボーカルは細川たかし)
著書
- 『頑固力 〜ブレないリーダー哲学』角川SSC新書 2008年、角川・エス・エス・コミュニケーションズ、ISBN 978-4827550511
- 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』(江夏豊との共著)角川ONEテーマ21 2009年、角川書店、ISBN 978-4-04-710206-4
- 『オリの中の虎 〜愛するタイガースへ最後に吼える』ベースボール・マガジン新書 2009年、ベースボール・マガジン社、ISBN 978-4-583-10231-3
- 『動くが負け 〜0勝144敗から考える監督論』幻冬舎新書、2010年、幻冬舎、ISBN 978-4-344-98178-2
- 『そら、そうよ 勝つ理由、負ける理由』2014年、宝島社、ISBN 978-4-800-21796-7
CM
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 岡田彰布 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
監督歴 |
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業績 | ||
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