「竹取物語」の版間の差分
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[[ファイル:The_Tale_of_the_Bamboo_Cutter_-_Discovery_of_Princess_Kaguya.jpg|thumb|300px|かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代)[[メトロポリタン美術館]]蔵。]] |
[[ファイル:The_Tale_of_the_Bamboo_Cutter_-_Discovery_of_Princess_Kaguya.jpg|thumb|300px|かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代)[[メトロポリタン美術館]]蔵。]] |
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{{ウィキポータルリンク|文学}}﹃'''竹取物語'''﹄︵たけとりものがたり、{{Lang-en|The Tale of the Bamboo Cutter}}︶は、[[平安時代]]前期に成立した[[日本]]の[[物語]]。﹁現存する日本最古の物語﹂<ref>{{Cite web|url=https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999525_po_137.pdf?contentNo=1|title=﹁竹取﹂物語|accessdate=2024-05-01|publisher=国立国会図書館東京本館}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://library.rikkyo.ac.jp/digitallibrary/taketori/|title=立教大学蔵﹁竹取物語絵巻﹂と﹁竹取物語 貼交(はりまぜ)屏風﹂について|accessdate=2024-05-01|publisher=立教大学}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.town.koryo.nara.jp/contents_detail.php?frmId=4|title=﹃竹取物語﹄のあらすじと奈良県広陵町との関係について|accessdate=2024-05-01|publisher=奈良県広陵町}}</ref>とされて、現在では'''"かぐや姫"'''の話として一般的に知られている。現在まで作者、正確な成立年は不明。
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﹃'''竹取物語'''﹄︵たけとりものがたり︶は、[[平安時代]]前期に成立した[[日本]]の[[物語]]。﹁現存する日本最古の物語﹂とされている<ref>{{Cite web |url=https://rnavi.ndl.go.jp/jp/gallery/post_1229.html |title=第137回常設展示 ﹁竹取﹂物語 |format=PDF |accessdate=2022-09-07 |website=国立国会図書館 本の万華鏡}}</ref>。作者は不明で、正確な成立年も未詳である。
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== 概要 == |
== 概要 == |
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=== 題名 === |
=== 題名 === |
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『竹取物語』は通称であり、平安時代から室町時代には次のように呼ばれていた<ref>南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 p. |
『竹取物語』は通称であり、平安時代から室町時代には次のように呼ばれていた<ref>南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 p.5</ref>。 |
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* 平安時代 |
* 平安時代 |
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** 『'''竹取の翁'''』 (『源氏物語』・[[絵合]]巻) |
** 『'''竹取の翁'''』 (『源氏物語』・[[絵合]]巻) |
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== 成立 == |
== 成立 == |
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[[ファイル:Fragment of Gokogon-in Taketori Codex.png|thumb|250px|伝・後光厳天皇筆古筆切の1つ。﹁火鼠の皮衣﹂の一節が記されている。[[京都府]]・[[毘沙門堂]]旧蔵︵現在所在不明︶]]
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[[ファイル:Fragment of Gokogon-in Taketori Codex.png|thumb|250px|伝・後光厳天皇筆古筆切の1つ。﹁火鼠の皮衣﹂の一節が記されている。[[京都府]]・[[毘沙門堂]]旧蔵︵現在所在不明︶]]
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成立年は明らかになっていない。原本は現存せず、[[写本]]は[[後光厳天皇]]の筆とされる[[室町時代]]初期︵[[南北朝時代_(日本)|南北朝時代]]、[[14世紀]]︶の[[古筆切]]数葉が最古といわれ、完本では[[室町時代]]末期の[[元亀]]元年︵[[1570年]]︶の奥付を有する﹁[[里村紹巴]]本﹂、無奥書だが[[永禄]] - [[天正]]頃とされる<ref group="注釈">[[中田剛直]]や[[阪倉篤義]]は[[慶長]]頃の書写とするが、吉田によれば、﹁題簽朱地短冊に模様のある料紙が、[[三条西実隆]]、[[三条西公条|公条]]などがその書写本に用いているものと同じであり、本文の書風から推しても、慶長まで下るものとは思われない﹂という。</ref> |
成立年は明らかになっていない。原本は現存せず、[[写本]]は[[後光厳天皇]]の筆とされる[[室町時代]]初期︵[[南北朝時代_(日本)|南北朝時代]]、[[14世紀]]︶の[[古筆切]]数葉が最古といわれ、完本では[[室町時代]]末期の[[元亀]]元年︵[[1570年]]︶の奥付を有する﹁[[里村紹巴]]本﹂、無奥書だが[[永禄]] - [[天正]]頃とされる<ref group="注釈">[[中田剛直]]や[[阪倉篤義]]は[[慶長]]頃の書写とするが、吉田によれば、﹁題簽朱地短冊に模様のある料紙が、[[三条西実隆]]、[[三条西公条|公条]]などがその書写本に用いているものと同じであり、本文の書風から推しても、慶長まで下るものとは思われない﹂という。</ref>{{sfn|﹃竹取物語 : 古写本三種﹄|p=254}}﹁[[吉田幸一|吉田]]本﹂が発見されているものの、いずれも室町時代を遡るものではない。
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しかし、[[10世紀]]の﹃[[大和物語]]﹄、﹃[[うつほ物語]]﹄や11世紀の﹃[[栄花物語]]﹄、﹃[[狭衣物語]]﹄、また、﹃源氏物語﹄に﹁絵は[[巨勢派|巨勢相覧]]、手は[[紀貫之]]書けり﹂と言及されていることから、'''遅くとも10世紀半ばまでに成立した'''と考えられている。
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しかし、[[10世紀]]の﹃[[大和物語]]﹄、﹃[[うつほ物語]]﹄や11世紀の﹃[[栄花物語]]﹄、﹃[[狭衣物語]]﹄、また、﹃源氏物語﹄に﹁絵は[[巨勢派|巨勢相覧]]、手は[[紀貫之]]書けり﹂と言及されていることから、'''遅くとも10世紀半ばまでに成立した'''と考えられている。
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==作者== |
==作者== |
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作者についても不 |
作者についても不明。 |
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作者像として、当時の推定[[識字|識字率]]から庶民は考えづらく、[[上流階級]]に属しており、[[貴族]]の情報が入手できる[[平安京]]近隣に居住し、物語に[[反体制]]的要素が認められることから、当時[[権力]]を握っていた[[藤原氏]]の係累ではないと考えられている。
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作者像として、当時の推定[[識字|識字率]]から庶民は考えづらく、[[上流階級]]に属しており、[[貴族]]の情報が入手できる[[平安京]]近隣に居住し、物語に[[反体制]]的要素が認められることから、当時[[権力]]を握っていた[[藤原氏]]の係累ではないと考えられている。
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** 第1種 [[武藤元信|武藤]]本<ref group="注釈">前[[伊賀守]][[上原元純]]の書写本を、[[中院通勝]]が[[安土桃山時代]]の1592年︵[[天正]]20年︶に一度校正、1596年︵[[文禄]]5年︸に﹁松下民部少甫述久本﹂を以て重校した旨の奥付を有する。紹巴本の発見までは最古の写本と言われていた。国文学者[[武藤元信]]の旧蔵で、現在は[[天理大学附属天理図書館]]所蔵、[[重要文化財]]。</ref>・[[平瀬本源氏物語#平瀬家と平瀬露香|平瀬]]氏旧蔵本<ref group="注釈">後述するように古本書入を有する。現在は[[國學院大學]]図書館蔵。</ref>・[[高山市郷土館|高山図書館]]<ref group="注釈">[[高山市図書館]]ではなく[[高山市郷土館]]の方である。</ref>蔵︵[[田中大秀]]旧蔵︶本
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** 第1種 [[武藤元信|武藤]]本<ref group="注釈">前[[伊賀守]][[上原元純]]の書写本を、[[中院通勝]]が[[安土桃山時代]]の1592年︵[[天正]]20年︶に一度校正、1596年︵[[文禄]]5年︸に﹁松下民部少甫述久本﹂を以て重校した旨の奥付を有する。紹巴本の発見までは最古の写本と言われていた。国文学者[[武藤元信]]の旧蔵で、現在は[[天理大学附属天理図書館]]所蔵、[[重要文化財]]。</ref>・[[平瀬本源氏物語#平瀬家と平瀬露香|平瀬]]氏旧蔵本<ref group="注釈">後述するように古本書入を有する。現在は[[國學院大學]]図書館蔵。</ref>・[[高山市郷土館|高山図書館]]<ref group="注釈">[[高山市図書館]]ではなく[[高山市郷土館]]の方である。</ref>蔵︵[[田中大秀]]旧蔵︶本
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** 第2種 [[加賀豊三郎]]蔵本・[[武田祐吉]]旧蔵本<ref group="注釈">現在は國學院大學図書館蔵。</ref>・[[久曾神昇]]蔵甲本 |
** 第2種 [[加賀豊三郎]]蔵本・[[武田祐吉]]旧蔵本<ref group="注釈">現在は國學院大學図書館蔵。</ref>・[[久曾神昇]]蔵甲本 |
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*:このうち、'''久曾神蔵甲本'''は極めて特異な本文を有した写本である<ref group="注釈">武藤本の校正者でもある[[中院通勝]]が[[慶長]]3年︵[[1598年]]︶以前に書写した本の転写本であるが、427項︵誤写等を除いても205項︶もの独自異文を有し、これは古本系と流布本系との異文数546項に匹敵する。中田は、異文に本文を簡略化する傾向が極めて多い点から、﹁[[絵巻]]の絵詞本文ではなかつたらうか﹂と指摘している |
*:このうち、'''久曾神蔵甲本'''は極めて特異な本文を有した写本である<ref group="注釈">武藤本の校正者でもある[[中院通勝]]が[[慶長]]3年︵[[1598年]]︶以前に書写した本の転写本であるが、427項︵誤写等を除いても205項︶もの独自異文を有し、これは古本系と流布本系との異文数546項に匹敵する。中田は、異文に本文を簡略化する傾向が極めて多い点から、﹁[[絵巻]]の絵詞本文ではなかつたらうか﹂と指摘している{{harv|中田剛直|1965|p=170-171}}</ref>。
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** 第3種 [[前田善子]]旧蔵本・[[山岸徳平]]蔵本 |
** 第3種 [[前田善子]]旧蔵本・[[山岸徳平]]蔵本 |
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* 第2類 |
* 第2類 |
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** 第1種 [[蓬左文庫]]蔵本・[[吉田幸一]]蔵本・[[久曾神昇]]蔵乙本・[[静嘉堂文庫]]蔵[[丹羽嘉言]]筆本 |
** 第1種 [[蓬左文庫]]蔵本・[[吉田幸一]]蔵本・[[久曾神昇]]蔵乙本・[[静嘉堂文庫]]蔵[[丹羽嘉言]]筆本 |
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** 第2種 |
** 第2種 |
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*** A群 [[尊経閣文庫]]蔵本<ref group="注釈">[[西洞院時慶]]の筆と見られており、中田は武藤本に校合されている﹁松下本﹂︵時慶と知己であり、[[今川氏真]]の師であったといわれる[[上賀茂神社]]神官の[[松下述久]]蔵本か︶と同一とする。</ref>・[[戸川浜男]]旧蔵本・[[彰考館]]蔵金森本・[[群書類従]]本<ref group="注釈">巻第309・物語部3に収載。[[塙保己一#.E5.AD.A6.E5.95.8F.E3.81.AE.E9.81.93|松平織部正乗尹]]蔵本に﹁古写本三本﹂︵うち二本は滋岡本、内閣文庫本か︶﹁活版本﹂﹁[[整版本|流布印本]]﹂︵正保3年刊本︶を校合した旨の識語を有する。</ref>・︵[[里村紹巴]]本︶<ref group="注釈">紹巴による1570年︵[[元亀]]元年︸の奥書を持ち、年代が明らかな写本としては現在最古。中田剛直 |
*** A群 [[尊経閣文庫]]蔵本<ref group="注釈">[[西洞院時慶]]の筆と見られており、中田は武藤本に校合されている﹁松下本﹂︵時慶と知己であり、[[今川氏真]]の師であったといわれる[[上賀茂神社]]神官の[[松下述久]]蔵本か︶と同一とする。</ref>・[[戸川浜男]]旧蔵本・[[彰考館]]蔵金森本・[[群書類従]]本<ref group="注釈">巻第309・物語部3に収載。[[塙保己一#.E5.AD.A6.E5.95.8F.E3.81.AE.E9.81.93|松平織部正乗尹]]蔵本に﹁古写本三本﹂︵うち二本は滋岡本、内閣文庫本か︶﹁活版本﹂﹁[[整版本|流布印本]]﹂︵正保3年刊本︶を校合した旨の識語を有する。</ref>・︵[[里村紹巴]]本︶<ref group="注釈">紹巴による1570年︵[[元亀]]元年︸の奥書を持ち、年代が明らかな写本としては現在最古。{{harv|中田剛直|1965}}には未収載だが、p.211を始めとする第3類第2種の分類基準に従う。</ref>・︵[[高松宮]]旧蔵本︶<ref group="注釈">現在[[国立歴史民俗博物館]]蔵。{{harv|中田剛直|1965}}には未収載だが、p.211を始めとする第3類第2種の分類基準に従う。</ref>
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*** B群 [[内閣文庫]]蔵本・滋岡氏<ref group="注釈">[[大阪天満宮]]の神職家。</ref>旧蔵本 |
*** B群 [[内閣文庫]]蔵本・滋岡氏<ref group="注釈">[[大阪天満宮]]の神職家。</ref>旧蔵本 |
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** 第3種 |
** 第3種 |
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***イ種 [[大覚寺]]蔵本・[[書陵部]]蔵[[霊元天皇|霊元院]]外題[[宸筆]]本・[[書陵部]]蔵[[竹取物語伊左々米言|伊左左米言]]本 |
***イ種 [[大覚寺]]蔵本・[[書陵部]]蔵[[霊元天皇|霊元院]]外題[[宸筆]]本・[[書陵部]]蔵[[竹取物語伊左々米言|伊左左米言]]本 |
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***ロ種 [[徳本正俊]]蔵本・[[古活字本]]<ref group="注釈">行数と刊行時期による分類で、十行甲本・乙本・︵丙本︶、十一行甲本・乙本・丙本・丁本がある。このうち十行甲本・十一行甲本は[[慶長]]の頃のもので、最も古いとされる。</ref>・[[版本|整版本]] など
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***ロ種 [[徳本正俊]]蔵本・[[古活字本]]<ref group="注釈">行数と刊行時期による分類で、十行甲本・乙本・︵丙本︶、十一行甲本・乙本・丙本・丁本がある。このうち十行甲本・十一行甲本は[[慶長]]の頃のもので、最も古いとされる。</ref>・[[版本|整版本]] など
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*:中田によれば、現存する写本(多くの[[絵巻]]・[[奈良絵本]]を含む)の大半は第3類第3種に属する[[1646年|正保3年]][[版本]]の転写本である |
*:中田によれば、現存する写本︵多くの[[絵巻]]・[[奈良絵本]]を含む︶の大半は第3類第3種に属する[[1646年|正保3年]][[版本]]の転写本である{{sfn|中田剛直|1965|p=258}}。
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現在最も一般的な竹取物語の本文は、第3類第3種に属する古活字十行甲本を底本とするものである。 |
現在最も一般的な竹取物語の本文は、第3類第3種に属する古活字十行甲本を底本とするものである。 |
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[[9月_(旧暦)|なかつき]]ころうつす ながとき<ref group="注釈">書写者名と見られるが未詳。</ref> |
[[9月_(旧暦)|なかつき]]ころうつす ながとき<ref group="注釈">書写者名と見られるが未詳。</ref> |
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:という奥書を持つ。すなわち1815年︵[[文化 (元号)|文化]]十二年︶の写本で、古本系統で唯一の完本である。第3類の諸本よりも第1類の本文に近いとする説︵[[中田剛直]]、[[南波浩]]など︶、第3類第2種のごとき三手文庫本系の転写本であるとする説︵[[吉川理吉]]<ref>[[吉川理吉]]﹃古本竹取物語校註解説﹄[[龍谷大学]]国文学会出版部、1954年 p.4</ref>、[[中川浩文]] |
:という奥書を持つ。すなわち1815年︵[[文化 (元号)|文化]]十二年︶の写本で、古本系統で唯一の完本である。第3類の諸本よりも第1類の本文に近いとする説︵[[中田剛直]]、[[南波浩]]など︶、第3類第2種のごとき三手文庫本系の転写本であるとする説︵[[吉川理吉]]<ref>[[吉川理吉]]﹃古本竹取物語校註解説﹄[[龍谷大学]]国文学会出版部、1954年 p.4</ref>、[[中川浩文]]{{sfn|中川浩文|1985|p=8}}︶、逆に第1類より上位の本文であるとする説︵[[中田武司]]<ref>{{harv|中田剛直|1965|p=12}}︵﹃竹取物語 田中大秀旧蔵﹄[[笠間書院]]、1982年︶</ref>︶があるが、中田剛直は、三手文庫本の﹁古本﹂には極めて近似しているも全くの同一ではなく、後光厳院本本文と比較すると似閑の校合ミスと思われる異文が見られる{{sfn|中田剛直|1965|p=140}}ことからも、三手文庫本の転写ではなく、古本系内の別系統本としている。
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* 第3類 |
* 第3類 |
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** 第1種 [[三手文庫]]本・[[源氏物語大成#桃園文庫|桃園文庫]]太氏本 |
** 第1種 [[三手文庫]]本・[[源氏物語大成#桃園文庫|桃園文庫]]太氏本 |
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** 第2種 [[光藤珠夫|光藤]]本・[[京都大学|京大]]本・[[書陵部]]蔵[[片山恬斎|恬斎]]書入本・[[源氏物語大成#桃園文庫|桃園文庫]]書入写本・[[平瀬本源氏物語#平瀬家と平瀬露香|平瀬]]本<ref group="注釈">流布本系第1類第1種の平瀬本への書入本文のこと。</ref>・[[服部薫|服部]]本・︵[[賀茂経樹]]旧蔵︵中川浩文蔵︶本︶ |
** 第2種 [[光藤珠夫|光藤]]本・[[京都大学|京大]]本・[[書陵部]]蔵[[片山恬斎|恬斎]]書入本・[[源氏物語大成#桃園文庫|桃園文庫]]書入写本・[[平瀬本源氏物語#平瀬家と平瀬露香|平瀬]]本<ref group="注釈">流布本系第1類第1種の平瀬本への書入本文のこと。</ref>・[[服部薫|服部]]本・︵[[賀茂経樹]]旧蔵︵中川浩文蔵︶本︶{{sfn|中川浩文|1985|p=296}}
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*:全て三手文庫本の転写であり、流布本系の本文に対する書き入れ・校合の形で伝えられる |
*:全て三手文庫本の転写であり、流布本系の本文に対する書き入れ・校合の形で伝えられる{{sfn|中田剛直|1965|p=135}}。
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上記の他に、伝承筆者を[[阿仏尼]]とする古筆切の存在が[[藤井隆_(国文学者)|藤井隆]]によって報告されている<ref group="注釈">﹁◯伝阿仏筆竹取物語切 竹取物語は、新井信之氏の紹介された伝後光厳院筆小六半切以外全く知られてゐなかつたが、京都のG書店で伝阿仏筆と云ふ、下絵のある六半切を最近売つたと聞いた。好事家に渡つたらしく、紹介される見込は少ないが注目すべきものと思はれ、公開が望まれる﹂と述べられているのみで、本文などの情報は一切不明である。</ref><ref>藤井隆﹁物語系古筆切について︵補遺篇︶﹂﹃名古屋大学国語国文学﹄第14号、1964年4月 p.10</ref>。
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上記の他に、伝承筆者を[[阿仏尼]]とする古筆切の存在が[[藤井隆_(国文学者)|藤井隆]]によって報告されている<ref group="注釈">﹁◯伝阿仏筆竹取物語切 竹取物語は、新井信之氏の紹介された伝後光厳院筆小六半切以外全く知られてゐなかつたが、京都のG書店で伝阿仏筆と云ふ、下絵のある六半切を最近売つたと聞いた。好事家に渡つたらしく、紹介される見込は少ないが注目すべきものと思はれ、公開が望まれる﹂と述べられているのみで、本文などの情報は一切不明である。</ref><ref>藤井隆﹁物語系古筆切について︵補遺篇︶﹂﹃名古屋大学国語国文学﹄第14号、1964年4月 p.10</ref>。
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古本系本文と流布本︵通行本︶系本文については、南波浩は﹃海道記﹄に引用された和歌二首が、一首が古本系からの引用であるのに対し、もう一首が流布本系と古本系を混用したものになっていることから、[[鎌倉時代]]中期頃には既に両系が並立していたとする<ref>南波浩﹁日本古典全書 ﹃竹取物語・伊勢物語﹄﹂朝日新聞社、1960年 p. 40</ref>。
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古本系本文と流布本︵通行本︶系本文については、南波浩は﹃海道記﹄に引用された和歌二首が、一首が古本系からの引用であるのに対し、もう一首が流布本系と古本系を混用したものになっていることから、[[鎌倉時代]]中期頃には既に両系が並立していたとする<ref>南波浩﹁日本古典全書 ﹃竹取物語・伊勢物語﹄﹂朝日新聞社、1960年 p. 40</ref>。
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古本系本文に対しては、﹁中世における改変本文の可能性が強い﹂︵[[片桐洋一]]︶<ref>片桐洋一﹁校訂付記﹂﹃新編日本古典文学全集12竹取物語、伊勢物語、大和物語、平中物語﹄小学館、1994年12月 p.78</ref>﹁江戸時代の学者が﹃竹取物語﹄の不審部分を合理的に理解しようとしてテキストをいじくったもの﹂︵[[保立道久]]︶<ref>[http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a0a7.html ﹃竹取物語﹄の﹁不審本文﹂ー文学史料の﹁編纂﹂: 保立道久の研究雑記]、2010年8月</ref>といった批判的な意見もあるが、中田剛直は﹃花鳥余情﹄の梗概本文は新井本に近い古本系の一本に近似すること、古型をもつと指摘される京大本や狩野文庫本などの﹃風葉和歌集﹄の竹取和歌が古本系であることから、﹁現存古本系統系の一本が、通行本系に先行せるものではないか﹂ |
古本系本文に対しては、﹁中世における改変本文の可能性が強い﹂︵[[片桐洋一]]︶<ref>片桐洋一﹁校訂付記﹂﹃新編日本古典文学全集12竹取物語、伊勢物語、大和物語、平中物語﹄小学館、1994年12月 p.78</ref>﹁江戸時代の学者が﹃竹取物語﹄の不審部分を合理的に理解しようとしてテキストをいじくったもの﹂︵[[保立道久]]︶<ref>[http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a0a7.html ﹃竹取物語﹄の﹁不審本文﹂ー文学史料の﹁編纂﹂: 保立道久の研究雑記]、2010年8月</ref>といった批判的な意見もあるが、中田剛直は﹃花鳥余情﹄の梗概本文は新井本に近い古本系の一本に近似すること、古型をもつと指摘される京大本や狩野文庫本などの﹃風葉和歌集﹄の竹取和歌が古本系であることから、﹁現存古本系統系の一本が、通行本系に先行せるものではないか﹂{{sfn|中田剛直|1965|p=282}}とし、[[上原作和]]も﹁まさに﹁古本﹂と称する価値の本文を有するもの﹂<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~tu3s-uehr/taketori-9809.htm 絶望の言説-﹃竹取翁物語﹄の物語る世界と物語世界]、1998年9月</ref>と述べるなど肯定的な意見もあり、意見が分かれている。
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== あらすじ == |
== あらすじ == |
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<!--上記の通り、完本での最古の写本が天正年間のものしかない。よって-->''ここでは<!--、原本より改変されたもの(-->現在一般的に知られている話を紹介する。'' |
<!--上記の通り、完本での最古の写本が天正年間のものしかない。よって-->''ここでは<!--、原本より改変されたもの(-->現在一般的に知られている話を紹介する。'' |
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===かぐや姫の誕生=== |
===プロローグ かぐや姫の誕生=== |
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今となっては昔のことであるが、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた翁とその妻の嫗がいた。翁の名は さぬき<ref group="注釈">武藤本(流1-1)・高山図書館本(流1-1)・武田本(流1-2)・島原本(流2)・蓬左文庫本(流3-1)・吉田本(流3-1)等に「さかき」。山岸本(流1-3)・群書類従本(流3-2)に「さぬき」。他流布本、並び古本に「さるき」。</ref><ref>[[南波浩]]「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 p. 141</ref>の[[造]] といった。 |
今となっては昔のことであるが、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた翁とその妻の嫗がいた。翁の名は さぬき<ref group="注釈">武藤本(流1-1)・高山図書館本(流1-1)・武田本(流1-2)・島原本(流2)・蓬左文庫本(流3-1)・吉田本(流3-1)等に「さかき」。山岸本(流1-3)・群書類従本(流3-2)に「さぬき」。他流布本、並び古本に「さるき」。</ref><ref>[[南波浩]]「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 p. 141</ref>の[[造]] といった。 |
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その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になったので、髪を結い上げる儀式を手配し、[[裳]]︵も︶を着せた。この世のものとは思えない程の美しさで、家の中には暗い場が無く光に満ちている。翁は、心が悪く苦しいときも、この子を見れば苦しみは消えた。
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その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になったので、髪を結い上げる儀式を手配し、[[裳]]︵も︶を着せた。この世のものとは思えない程の美しさで、家の中には暗い場が無く光に満ちている。翁は、心が悪く苦しいときも、この子を見れば苦しみは消えた。
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この子はとても大きくなったため、御室戸斎部︵みむろどいんべ︶<ref group="注釈">'''三'''室戸斎部とも。[[斎部氏]]は[[朝廷]]の祭祀を司る氏族。</ref>の秋田を呼んで名前をつけさせた。秋田は﹁'''なよ竹のかぐや姫'''﹂と名づけた<ref group="注釈">なよ竹は﹁しなやかな竹﹂という意味で、ちらちらと揺れて光ることを﹁かがよう﹂という。</ref>。このとき人を集めて詩歌や舞など色々な遊びを催し、三日に渡り盛大な祝宴をした。
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この子はとても大きくなったため、御室戸斎部︵みむろどいんべ︶<ref group="注釈">'''三'''室戸斎部とも。[[斎部氏]]は[[朝廷 (日本)|朝廷]]の祭祀を司る氏族。</ref>の秋田を呼んで名前をつけさせた。秋田は﹁'''なよ竹のかぐや姫'''﹂と名づけた<ref group="注釈">なよ竹は﹁しなやかな竹﹂という意味で、ちらちらと揺れて光ることを﹁かがよう﹂という。</ref>。このとき人を集めて詩歌や舞など色々な遊びを催し、三日に渡り盛大な祝宴をした。
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[[画像:Taketori Monogatari 1.jpg|right|thumb|280px|幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)]] |
[[画像:Taketori Monogatari 1.jpg|right|thumb|280px|幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)]] |
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===公達の求婚失敗談=== |
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世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく[[公達]]は後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。
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世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく[[公達]]は後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。
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===帝からの求婚=== |
===帝からの求婚=== |
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そんな様子が[[天皇|帝]]にも伝わり、帝は姫に会いたがった。使いとして[[内侍]][[中臣氏|中臣]]房子を派遣し、房子は嫗にかぐや姫と対面させるよう迫るが、再三の説得にも |
そんな様子が[[天皇|帝]]にも伝わり、帝は姫に会いたがった。使いとして[[内侍]][[中臣氏|中臣]]房子を派遣し、房子は嫗にかぐや姫と対面させるよう迫るが、再三の説得にもかかわらず、ことごとく拒絶される。
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この事を帝に伝えると、帝は一旦は思いとどまったものの、やはり会いたくなり、翁を呼び出して「姫を差し出せば官位をやる」と告げる。喜ぶ翁の取りなしにもかかわらず、かぐや姫は「帝がお召しになって仰られたとしても、畏れ多いとも思いません」と言い姿を見せようともしない。 |
この事を帝に伝えると、帝は一旦は思いとどまったものの、やはり会いたくなり、翁を呼び出して「姫を差し出せば官位をやる」と告げる。喜ぶ翁の取りなしにもかかわらず、かぐや姫は「帝がお召しになって仰られたとしても、畏れ多いとも思いません」と言い姿を見せようともしない。 |
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と詠んだ。その手紙に、薬を添えて頭中将へ渡させた。中将が受け取ると天人がさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫のこれまで翁を痛ましい、愛しいと思っていたことも消えてしまった。この羽衣を着た人は物思いがなくなってしまうのだったから、かぐや姫は車に乗って昇ってしまった。 |
と詠んだ。その手紙に、薬を添えて頭中将へ渡させた。中将が受け取ると天人がさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫のこれまで翁を痛ましい、愛しいと思っていたことも消えてしまった。この羽衣を着た人は物思いがなくなってしまうのだったから、かぐや姫は車に乗って昇ってしまった。 |
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===エピローグ=== |
===エピローグ 富士山の由来=== |
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帝は手紙を読みひどく深く悲しみ、何も食べず詩歌管弦もしなかった。大臣や上達部を呼び「どの山が天に近いか」と尋ねると、ある人が駿河の国にあるという山だと言うのを聞き「会うことも無いので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何になろう」と詠み、かぐや姫からの不死の薬と手紙を、壺も添えて使者に渡し、つきの岩笠<ref group="注釈">月世界への思いを表現する仕事に相応しい氏。新井本(古2)「いはかど」。その他流布本「いはかさ」。</ref><ref>[[上原作和]]・[[安藤徹]]・[[外山敦子]]編『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』[[武蔵野書院]] p. 105</ref>という人を召して、それらを[[駿河国]]にある日本で一番高い山で焼くように命じた。 |
帝は手紙を読みひどく深く悲しみ、何も食べず詩歌管弦もしなかった。大臣や上達部を呼び「どの山が天に近いか」と尋ねると、ある人が駿河の国にあるという山だと言うのを聞き「会うことも無いので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何になろう」と詠み、かぐや姫からの不死の薬と手紙を、壺も添えて使者に渡し、つきの岩笠<ref group="注釈">月世界への思いを表現する仕事に相応しい氏。新井本(古2)「いはかど」。その他流布本「いはかさ」。</ref><ref>[[上原作和]]・[[安藤徹]]・[[外山敦子]]編『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』[[武蔵野書院]] p. 105</ref>という人を召して、それらを[[駿河国]]にある日本で一番高い山で焼くように命じた。 |
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=== かぐや姫のモデル === |
=== かぐや姫のモデル === |
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『竹取物語』のかぐや姫のモデルとして、『[[古事記]]』に[[垂仁天皇]]の妃として記載される、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「[[迦具夜比売命]]」('''かぐやひめ'''のみこと)を挙げる説がある<ref group="注釈">「筒木」は筒状の木と解すれば竹、また「星」の古語「つづ」との関わりもあり、同音の「[[綴喜郡|綴喜]](山城国綴喜郡)」には[[ツクヨミ|月読命]]を祀る[[樺井月神社]]と[[月読神社]]を祀る式内社が鎮座する。</ref>。この[[大筒木垂根王]]の弟に「'''讃岐'''垂根王」(さぬきたりねのみこ)がいる。『古事記』によるとこの兄弟は、[[開化天皇]]が[[丹波国|丹波]]の大県主・由碁理(ゆごり)の娘「竹野比売」(たかのひめ)を召して生まれた[[彦坐王|比古由牟須美王]](ひこゆむすみのみこ)を父としており、「竹」との関連が深い。『[[日本書紀]]』には開化天皇妃の「丹波竹野媛」の他、垂仁天皇の後宮に入るべく丹波から召し出された5人の姫のうち「竹野媛」だけが'''国に帰された'''という記述がある。 |
『竹取物語』のかぐや姫のモデルとして、『[[古事記]]』に[[垂仁天皇]]の妃として記載される、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「[[迦具夜比売命]]」('''かぐやひめ'''のみこと)を挙げる説がある<ref group="注釈">「筒木」は筒状の木と解すれば竹、また「星」の古語「つづ」との関わりもあり、同音の「[[綴喜郡|綴喜]](山城国綴喜郡)」には[[ツクヨミ|月読命]]を祀る[[樺井月神社]]と[[月読神社]]を祀る式内社が鎮座する。</ref>。この[[大筒木垂根王]]の弟に「'''讃岐'''垂根王」(さぬきたりねのみこ)がいる。『古事記』によるとこの兄弟は、[[開化天皇]]が[[丹波国|丹波]]の大県主・由碁理(ゆごり)の娘「竹野比売」(たかのひめ)を召して生まれた[[彦坐王|比古由牟須美王]](ひこゆむすみのみこ)を父としており、「竹」との関連が深い。『[[日本書紀]]』には開化天皇妃の「丹波竹野媛」の他、垂仁天皇の後宮に入るべく丹波から召し出された5人の姫のうち「竹野媛」だけが'''国に帰された'''という記述がある。 |
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他にモデルとして、[[賀茂建角身命]]の子孫で[[馬岐耳乃命]]または[[伊志麻命]]の娘である[[賀具夜媛命]]などを挙げる説がある。 |
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また、[[イラン]]史研究者の[[孫崎紀子]]は、[[百済]]の[[善光王]]や、675年正月に[[天武天皇]]に拝謁した[[吐火羅国]]人︵[[サーサーン朝|サーサーン朝ペルシア]]人︶の[[舎衞女]]と[[ダラ女]]とする説を出している<ref>[https://gendai.media/articles/-/31790?page=3]孫崎紀子﹁﹃竹取物語﹄のかぐや姫はイラン人だった﹂,現代ビジネス、近藤大介﹁北京ランダム・ウォーカー 革命から33周年 過去10年で最高の危険水域に達しているイランの危機﹂2012年2月13日</ref>。
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また、[[イラン]]史研究者の[[孫崎紀子]]は、[[百済]]の[[善光王]]や、675年正月に[[天武天皇]]に拝謁した[[吐火羅国]]人︵[[サーサーン朝|サーサーン朝ペルシア]]人︶の[[舎衞女]]と[[ダラ女]]とする説を出している<ref>[https://gendai.media/articles/-/31790?page=3]孫崎紀子﹁﹃竹取物語﹄のかぐや姫はイラン人だった﹂,現代ビジネス、近藤大介﹁北京ランダム・ウォーカー 革命から33周年 過去10年で最高の危険水域に達しているイランの危機﹂2012年2月13日</ref>。
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この5人はいずれも[[壬申の乱]]の功臣で[[天武天皇]]・[[持統天皇]]に仕えた人物であることから、[[奈良時代]]初期が物語の舞台だったと考えられている。また、この時期に[[富士山]]が噴気活動中の火山<!--火山学上の﹁活火山﹂という言葉の定義が変わり、﹁休火山﹂という概念が無くなり、富士山は今でも活火山ということになったので言い換え。-->として描かれていることから、科学論文に成立などが引用されることがある古典のひとつである。
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この5人はいずれも[[壬申の乱]]の功臣で[[天武天皇]]・[[持統天皇]]に仕えた人物であることから、[[奈良時代]]初期が物語の舞台だったと考えられている。また、この時期に[[富士山]]が噴気活動中の火山<!--火山学上の﹁活火山﹂という言葉の定義が変わり、﹁休火山﹂という概念が無くなり、富士山は今でも活火山ということになったので言い換え。-->として描かれていることから、科学論文に成立などが引用されることがある古典のひとつである。
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=== 派生用語 === |
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かぐや姫は、長い間子供を欲しがっていた(中年の)夫婦に、授かりもののように生まれた初めての女の子<ref>見坊行徳・三省堂編修所 編著『三省堂国語辞典から 消えたことば辞典』三省堂、2023年</ref>。 |
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== 由縁の地 == |
== 由縁の地 == |
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イタリア語、ドイツ語、英語、ヒンディー語、ロシア語、ルーマニア語、スペイン語、フランス語などに訳されている<ref name="ndl">[https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu137.php#05 第137回常設展示 ﹁竹取﹂物語IV外国語訳]国立国会図書館、平成17年5月19日</ref>。最初期のものにイタリア語訳︵1880年︶<ref name="ndl"/>、ドイツ語訳、ドイツ語訳からの英語訳がある。
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イタリア語、ドイツ語、英語、ヒンディー語、ロシア語、ルーマニア語、スペイン語、フランス語などに訳されている<ref name="ndl">[https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu137.php#05 第137回常設展示 ﹁竹取﹂物語IV外国語訳]国立国会図書館、平成17年5月19日</ref>。最初期のものにイタリア語訳︵1880年︶<ref name="ndl"/>、ドイツ語訳、ドイツ語訳からの英語訳がある。
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日本語原文からの最初の英訳が[[フレデリック・ヴィクター・ディキンズ]]による訳 "The Old Bamboo-Hewer's Story"︵1888年︶<ref name="kawamura">川村ハツエ﹁[https://doi.org/10.5024/jeigakushi.1994.1 F.V.Dickinsと﹃竹取物語﹄]﹂ ﹃英学史研究﹄ 1994巻26号、1993年 p.1-16, {{doi|10.5024/jeigakushi.1994.1}}</ref><ref group="注釈">中川浩文は﹃竹取翁物語解﹄を主な典拠にしていると推測している。</ref> |
日本語原文からの最初の英訳が[[フレデリック・ヴィクター・ディキンズ]]による訳 "The Old Bamboo-Hewer's Story"︵1888年︶<ref name="kawamura">川村ハツエ﹁[https://doi.org/10.5024/jeigakushi.1994.1 F.V.Dickinsと﹃竹取物語﹄]﹂ ﹃英学史研究﹄ 1994巻26号、1993年 p.1-16, {{doi|10.5024/jeigakushi.1994.1}}</ref><ref group="注釈">中川浩文は﹃竹取翁物語解﹄を主な典拠にしていると推測している。</ref>{{sfn|中川浩文|1985|p=325}}であり、次いで宣教師[[エドワード・ローゼイ・ミラー]]による訳 "Princess Splendor : the wood-cutter's daughter"︵1895年︶<ref group="注釈">[[長谷川武次郎]]のちりめん本の英訳。</ref><ref name="ndl"/>、[[ウィリアム・ジョージ・アストン]]による抄訳︵1899年︶<ref group="注釈">著書﹃日本文学史﹄に収載。</ref>がある<ref name="kawamura"/>。
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ディキンズは、[[南方熊楠]]から前訳を批判され、一時は大喧嘩になったものの、熊楠の協力のもと、1906年に"The Story of The Old Bamboo Wicker-Worker"と題を改め、訂正を入れた新訳を発表した<ref name="kawamura"/>。この論争を通じて、ディキンズと熊楠は無二の親友になった<ref>[http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten_matsui_ch2.html#Dickins 松居竜五、月川和雄、中瀬喜陽、桐本東太編﹃南方熊楠を知る事典﹄]講談社︵[[講談社現代新書]]︶、1993年4月</ref>。
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ディキンズは、[[南方熊楠]]から前訳を批判され、一時は大喧嘩になったものの、熊楠の協力のもと、1906年に"The Story of The Old Bamboo Wicker-Worker"と題を改め、訂正を入れた新訳を発表した<ref name="kawamura"/>。この論争を通じて、ディキンズと熊楠は無二の親友になった<ref>[http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/jiten_matsui_ch2.html#Dickins 松居竜五、月川和雄、中瀬喜陽、桐本東太編﹃南方熊楠を知る事典﹄]講談社︵[[講談社現代新書]]︶、1993年4月</ref>。
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== 海外の類話とそれに関する諸説 == |
== 海外の類話とそれに関する諸説 == |
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=== 大乗経典「月上女経」との類似 === |
=== 大乗経典「月上女経」との類似 === |
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[[幸田露伴]]は明治44年(1911年)4月の竹柏会大会講話において、大乗経典「月上女経」と「竹取物語」の類似性について詳しく述べている。 |
[[幸田露伴]]は明治44年(1911年)4月の竹柏会大会講話において、大乗経典「月上女経」(闇那蠣多によってA.D.591年に漢訳。日本への伝来時期は不明)と「竹取物語」の類似性について詳しく述べている。 |
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幸田は両者の類似点として、「主人公の成長の異常な速さ」「主人公の光り輝く属性とそれに由来した名」「屋内が光に満ちた事」「主人公の父が富者である事」「主人公の美しさと、多くの求婚者が殺到した事」「その事に父が苦慮した事」「主人公が結婚相手を選ぼうとした事」「決定機が十五夜である事」「決定機に主人公が空中に浮遊した事」「決定機に人々の欲望が消失した事」「決定機に主人公が地上の人でなくなる事」等を列挙し、「只一つ二つの似て居ると云ふ事とは違ひます、全体の話の調子が似て居るのであります」と両者の全体的類似性をも指摘している。 |
幸田は両者の類似点として、「主人公の成長の異常な速さ」「主人公の光り輝く属性とそれに由来した名」「屋内が光に満ちた事」「主人公の父が富者である事」「主人公の美しさと、多くの求婚者が殺到した事」「その事に父が苦慮した事」「主人公が結婚相手を選ぼうとした事」「決定機が十五夜である事」「決定機に主人公が空中に浮遊した事」「決定機に人々の欲望が消失した事」「決定機に主人公が地上の人でなくなる事」等を列挙し、「只一つ二つの似て居ると云ふ事とは違ひます、全体の話の調子が似て居るのであります」と両者の全体的類似性をも指摘している。 |
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[[伊藤清司]]([[東洋史]])は、原説話が日本とアバ・チベット族に別個に伝播翻案され「竹取物語」と「斑竹姑娘」になったとした<ref>伊藤清司『かぐや姫の誕生 ― 古代説話の起源』講談社、1973年</ref>。これに対し、[[益田勝実]]([[日本文学|日本古代文学]])は、『金玉鳳凰』収載の「斑竹姑娘」の改訂過程への疑問と翻案説に賛成しないとした<ref>益田勝実「「斑竹姑娘」の性格−『竹取物語』とのかかわりで」『法政大学文学部紀要』33号、1987年</ref>。 |
[[伊藤清司]]([[東洋史]])は、原説話が日本とアバ・チベット族に別個に伝播翻案され「竹取物語」と「斑竹姑娘」になったとした<ref>伊藤清司『かぐや姫の誕生 ― 古代説話の起源』講談社、1973年</ref>。これに対し、[[益田勝実]]([[日本文学|日本古代文学]])は、『金玉鳳凰』収載の「斑竹姑娘」の改訂過程への疑問と翻案説に賛成しないとした<ref>益田勝実「「斑竹姑娘」の性格−『竹取物語』とのかかわりで」『法政大学文学部紀要』33号、1987年</ref>。 |
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なお、[[奥津春雄]]︵[[国文学]]︶や[[宋成徳]]などの研究によって、むしろ﹁斑竹姑娘﹂の方が﹁竹取物語﹂の翻案であることが判明している。<ref>奥津春雄﹃竹取物語の研究 - 達成と変容﹄[[翰林書房]]、2000年</ref><ref>宋成徳﹃竹取物語﹄、﹁竹公主﹂から﹁斑竹姑娘﹂へ |
なお、[[奥津春雄]]︵[[国文学]]︶や[[宋成徳]]などの研究によって、むしろ﹁斑竹姑娘﹂の方が﹁竹取物語﹂の翻案であることが判明している。<ref>奥津春雄﹃竹取物語の研究 - 達成と変容﹄[[翰林書房]]、2000年</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=宋成徳 |date=2004-09 |url=https://doi.org/10.14989/137331 |title=﹃竹取物語﹄、﹁竹公主﹂から﹁斑竹姑娘﹂へ |journal=京都大学國文學論叢 |ISSN=1345-1723 |publisher=京都大学大学院文学研究科国語学国文学研究室 |volume=12 |pages=72-77 |doi=10.14989/137331 |hdl=2433/137331 |CRID=1390290699816136064}}</ref>
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李連栄氏は2019年、『民族文学研究』で「藏族民间故事《斑竹姑娘》的生成及其与《竹取物语》关系谫论」を発表し、「『斑竹姑娘』の物語構造、物語の特徴、人物設定などはチベット族の物語の語りと伝承の伝統に合わない」と述べた。最後に、李連栄は「斑竹姑娘」は「竹取物語」に由来し、時代のニーズに合わせて加工し、書き換えた「チベット族風」の新しい物語だと考えている |
李連栄氏は2019年、『民族文学研究』で「藏族民间故事《斑竹姑娘》的生成及其与《竹取物语》关系谫论」を発表し、「『斑竹姑娘』の物語構造、物語の特徴、人物設定などはチベット族の物語の語りと伝承の伝統に合わない」と述べた。最後に、李連栄は「斑竹姑娘」は「竹取物語」に由来し、時代のニーズに合わせて加工し、書き換えた「チベット族風」の新しい物語だと考えている<ref>[http://iel.cass.cn/yjfz/zzwx/ktwl/201910/t20191010_4981732.shtml <nowiki>[李连荣 高木立子]藏族民间故事《斑竹姑娘》的生成及其与《竹取物语》关系谫论</nowiki>]</ref>。 |
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== 刊行本 == |
== 刊行本 == |
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* 管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』 - [[古関裕而]]による1929年の作品<ref group="注釈">イギリスのロンドン市のチェスター楽譜出版社の作曲コンクールに応募し入賞。これは日本人初の国際的作曲コンクール入賞作品で報道もされた(現在その楽譜は失われたとされる)。</ref>。 |
* 管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』 - [[古関裕而]]による1929年の作品<ref group="注釈">イギリスのロンドン市のチェスター楽譜出版社の作曲コンクールに応募し入賞。これは日本人初の国際的作曲コンクール入賞作品で報道もされた(現在その楽譜は失われたとされる)。</ref>。 |
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* [[竹取物語 (室内楽曲)]] - [[貴志康一]]による1933年の作品。ヴァイオリンとピアノのための楽曲。 |
* [[竹取物語 (室内楽曲)]] - [[貴志康一]]による1933年の作品。ヴァイオリンとピアノのための楽曲。 |
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*竹取物語 - [[三善晃]]によるバレエ音楽。シンセサイザー、ピアノ、打楽器による編成の楽曲。 |
* 竹取物語 - [[三善晃]]によるバレエ音楽。シンセサイザー、ピアノ、打楽器による編成の楽曲。 |
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*[[歌劇「竹取物語」]]-[[沼尻竜典]]によるオペラ |
* [[歌劇「竹取物語」]]-[[沼尻竜典]]によるオペラ |
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=== 交通 === |
=== 交通 === |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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{{参照方法|date=2023年11月|section=1}} |
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;単行本 |
;単行本 |
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* 伊藤清司『かぐや姫の誕生:古代説話の起源』講談社〈講談社現代新書306〉、1973年。{{ISBN|406115706X}} |
* 伊藤清司『かぐや姫の誕生:古代説話の起源』講談社〈講談社現代新書306〉、1973年。{{ISBN|406115706X}} |
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* 奥津春雄『竹取物語の研究:達成と変容』翰林書房、2000年。{{ISBN|4877370978}} |
* 奥津春雄『竹取物語の研究:達成と変容』翰林書房、2000年。{{ISBN|4877370978}} |
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* [[関裕二]]『古代史謎解き紀行 I ヤマト編』、[[ポプラ社]]、2006年。{{ISBN|978-4591091920}} |
* [[関裕二]]『古代史謎解き紀行 I ヤマト編』、[[ポプラ社]]、2006年。{{ISBN|978-4591091920}} |
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* {{cite book|和書|author=吉田幸一 |title=竹取物語 : 古写本三種 |publisher=古典文庫 |year=1973 |series=古典文庫 |id={{全国書誌番号|75012290}} |doi=10.11501/12452990 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12452990 |ref={{harvid|『竹取物語 : 古写本三種』}}}} |
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* {{cite book|和書|author=中田剛直 |title=竹取物語の研究 |series=校異篇解説篇 |publisher=塙書房 |year=1965 |NCID=BN03008106 |id={{全国書誌番号|65011394}} |ref={{harvid|中田剛直|1965}}}} |
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* {{cite book|和書|author=中川浩文 |title=竹取物語の国語学的研究 |edition=上巻 |publisher=思文閣出版 |year=1985 |series=中川浩文論文集 |id={{NDLJP|12453006}} |NCID=BN03042250 |ref={{harvid|中川浩文|1985}}}} |
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;論文 |
;論文 |
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* 益田勝実「「斑竹姑娘」の性格−『竹取物語』とのかかわりで」『法政大学文学部紀要』33号、1987年 |
* 益田勝実「「斑竹姑娘」の性格−『竹取物語』とのかかわりで」『法政大学文学部紀要』33号、1987年 |
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=== 自治体関連 === |
=== 自治体関連 === |
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* [http://www.town.koryo.nara.jp/kaguya/index.html かぐや姫情報]、[[広陵町]] |
* [http://www.town.koryo.nara.jp/kaguya/index.html かぐや姫情報]、[[広陵町]] |
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* [ |
* [https://www.city.fuji.shizuoka.jp/kids/k_hime/story/kaguya.htm 富士市に伝わるかぐや姫伝説]、[[富士市]] |
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{{Normdaten}} |
{{Normdaten}} |
2024年6月4日 (火) 12:55時点における最新版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/The_Tale_of_the_Bamboo_Cutter_-_Discovery_of_Princess_Kaguya.jpg/300px-The_Tale_of_the_Bamboo_Cutter_-_Discovery_of_Princess_Kaguya.jpg)
概要
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/Kaguya-hime_by_Mitsutani_Kunishiro_%28Kasama_Nichido_Museum_of_Art%29.jpg/150px-Kaguya-hime_by_Mitsutani_Kunishiro_%28Kasama_Nichido_Museum_of_Art%29.jpg)
題名
[編集]成立
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/Fragment_of_Gokogon-in_Taketori_Codex.png/250px-Fragment_of_Gokogon-in_Taketori_Codex.png)
作者
[編集]諸本
[編集]あらすじ
[編集]ここでは現在一般的に知られている話を紹介する。
プロローグ かぐや姫の誕生
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cf/Taketori_Monogatari_1.jpg/280px-Taketori_Monogatari_1.jpg)
公達の求婚失敗談
[編集]帝からの求婚
[編集]月の都へ
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/Taketori_Monogatari_2.jpg/280px-Taketori_Monogatari_2.jpg)
エピローグ 富士山の由来
[編集]物語としての性格
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e2/Gekkyu_no_mukae.jpg/220px-Gekkyu_no_mukae.jpg)
伝承竹取説話 | |||||||||||||||||||
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| (漢文竹取説話)? | |||||||||||||||||
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| 仮名書竹取物語 |
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今昔物語集 竹取説話 | 部分的改変 現存諸本 | ||||||||||||||||||
登場人物と時代
[編集]かぐや姫のモデル
[編集]時代設定
[編集]派生用語
[編集]かぐや姫は、長い間子供を欲しがっていた(中年の)夫婦に、授かりもののように生まれた初めての女の子[37]。
由縁の地
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/24/Fujinomiya_Hongu_Sengen_Taisha_Honden.jpg/220px-Fujinomiya_Hongu_Sengen_Taisha_Honden.jpg)
外国語訳
[編集]海外の類話とそれに関する諸説
[編集]大乗経典「月上女経」との類似
[編集]アバ・チベット族「斑竹姑娘」との関連
[編集]刊行本
[編集]原文・校注
[編集]現代語訳
[編集]解説書
[編集]関連作品
[編集]映像作品
[編集]- かぐや姫 (1935年の映画)
- 新竹取物語 1000年女王
- 竹取物語 (1987年の映画)
- かぐや姫の物語 - スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画。高畑勲監督。
音楽
[編集]交通
[編集]- かぐや姫エクスプレス - 東京〜富士間を走る高速バス
- かぐや姫号 - 広島〜東広島・竹原を走る高速バス
その他
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
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関連文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 本の万華鏡 第137回常設展示 「竹取」物語、国立国会図書館リサーチ・ナビ
テキスト・解説
[編集]- 竹取物語(國民文庫)、日本古典文学テキスト
- 『古典に親しむ』-「竹取物語」【ふじの煙】 全文訳(意訳あり)
- バージニア大学図書館(日本語テキスト・イニシアティヴ)
- 『竹取物語』への招待、物語学の森
- 『竹取物語』を読む - ウェイバックマシン(2009年6月9日アーカイブ分)
写本・版本
[編集]- 古本系
- 後光厳院本(断簡):第1類 南北朝時代頃写
- 平瀬本:第3類第2種(朱筆書入部分)
- 流布本系
- 平瀬本:第1類第1種(本文部分)寛永16年(1639年)写
- 武田本:第1類第2種 近世初期写
- 國學院大學図書館デジタルライブラリー : 「竹取物語」 近世初期写 胡蝶装
- 群書類従本:第3類第2種A群 江戸後期刊
- 国立国会図書館デジタルコレクション : 群書類従. 第386-388
- 古活字十行甲本:第3類第3種ロ種 慶長年間(1596年 - 1615年)刊
- 国立国会図書館デジタルコレクション : 竹取物語
- 正保3年刊本:第3類第3種ロ種 正保3年(1646年)刊
- 国文学研究資料館 日本古典籍総合目録データベース : たけとりものかたり, 名大小林, 9-29-3, E380, 刊, 1冊, 100001418
絵巻・奈良絵本
[編集]- 『竹取物語』の絵巻や奈良絵本について
- 龍谷大学電子図書館貴重書画像データベース
- 竹取物語(奈良絵本)
- 竹取物語(奈良絵本)中川文庫本
- 竹取物語[奈良絵本]、「歌書と奈良絵本」展
- 竹取物語、国立国会図書館貴重書画像データベース
- 竹とり物語、九州大学附属図書館所蔵貴重資料画像データベース
- 竹取物語絵巻 第一巻、國學院大學図書館デジタルライブラリー
- 竹取物語絵巻、諏訪市博物館
- 竹取物語絵巻デジタルライブラリ、立教大学
- 竹取物語 The Tale of the Bamboo Cutter、メトロポリタン美術館