西川鶴三
表示
にしかわ つるぞう 西川 鶴三 | |||||
---|---|---|---|---|---|
本名 | 西川 光夫 (にしかわ みつお) | ||||
生年月日 | 1910年2月19日 | ||||
没年月日 | 1970年2月5日(59歳没) | ||||
出生地 | 日本 京都府京都市 | ||||
死没地 | 日本 東京都 | ||||
職業 | 照明技師 | ||||
ジャンル | 劇場用映画(時代劇・現代劇、サイレント映画・トーキー) | ||||
活動期間 | 1925年 - 1969年 | ||||
配偶者 | 有 | ||||
著名な家族 |
西川紀之 (長男) 増田悦章 (甥) | ||||
主な作品 | |||||
『浪人街 第一話 美しき獲物』 『綴方教室』 『燃ゆる大空』 『武蔵野夫人』 『めし』 「次郎長三国志」シリーズ全9作 『独立愚連隊』 『殺人狂時代』 | |||||
|
西川 鶴三︵にしかわ つるぞう、1910年2月19日 - 1970年2月5日︶は、日本の照明技師である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。牧野省三のマキノ・プロダクションにキャリアを始め[1][3]、戦後、﹁東宝でもっとも速い男﹂と呼ばれ[13]、森弘充、石井長四郎、岸田九一郎とともに﹁東宝照明部の四天王﹂と並び称された[14]。本名は西川 光夫︵にしかわ みつお︶[4][15]。
﹃浪人街 第一話 美しき獲物﹄︵1928年︶、満18歳で技師に昇進。
﹃めし﹄︵1951年︶撮影風景。写真上方を覆うのは撮影器具である レフ板。
同年、ふたたび東宝に戻り、東宝撮影所の照明技師として契約した[1][3]。西川の東宝復帰第1作は、笠置シヅ子・柳家金語楼の主演作﹃大岡政談 将軍は夜踊る﹄︵監督丸根賛太郎、撮影完倉泰一︶、同作は同年5月27日に公開された[5][6][7][8][9][10][11][12]。1951年︵昭和26年︶には、溝口健二が監督した﹃武蔵野夫人﹄︵主演田中絹代、同年9月14日公開︶や成瀬巳喜男が監督した﹃めし﹄︵主演上原謙・原節子、同年11月23日公開︶で撮影技師玉井正夫︵1908年 - 1997年︶と組み、いずれも西川の代表作となる[3][5][6][7][8][9][10][11][12]。
1952年︵昭和27年︶4月17日に公開された﹃浮雲日記﹄︵監督マキノ雅弘、撮影山崎一雄︶には西川も参加したが[3][5][6][7][8][9][10][11][12]、同作に出演した第1期東宝ニューフェイスの鳳弓子とマキノが結婚する際に﹁雅弘はん!あんたの奥さんが決ったんや!﹂と言い、マキノが﹁えッ、誰れや﹂と問うと﹁鳳弓子はんや…﹂と答えて引き合わせたのが西川であった[23][24]。公私にわたるつきあいの深いマキノの結婚を経て、同年12月4日に公開されたマキノの代表作となる﹃次郎長三国志 第一部 次郎長売出す﹄に参加、撮影技師は山田一夫︵1919年 - 2006年︶と飯村正︵1918年 - 2004年︶とが交代したが、照明技師は西川ひとりが同シリーズ全9作に参加した[5][6][7][8][9][10][11][12]。
この時代の西川について、当時助監督であった丸林久信︵1917年 - 1999年︶が、のちに連載の一章のうち半分を割いて記述している[25]。﹁相撲取りぐらいの巨体の持主であり、映画界で彼の名を知らない者はもぐりといわれるほど、名の通った名物男、ライトマン中のライトマン﹂﹁一見、ひと当たりのよさそうな好人物にみえるが、それがくせもの、ひとたび臍が曲がるとどこまでも曲がって、手に負えぬ癇癪持ちに変貌する﹂と丸林は描く[25]。丸林は﹁鶴さん﹂、その後輩の高瀬昌弘︵1931年 - ︶は﹁鶴やん﹂という西川の愛称をそれぞれの著作で紹介している[13][25]。﹃特急にっぽん﹄や﹃天国と地獄﹄の森弘充︵1922年 - 1974年︶、﹃野良犬﹄や﹃山の音﹄の石井長四郎︵1918年 - 1983年︶、﹃生きものの記録﹄や﹃蜘蛛巣城﹄の岸田九一郎︵1907年 - 1996年︶とともに﹁東宝照明部の四天王﹂と並び称されたのもこの時代であり[14]、そのなかでも﹁東宝でもっとも速い男﹂と呼ばれた[13]。その速さの秘訣としては、高瀬昌弘が﹁早くというより少量のライトしか使わずに見事な効果を上げた﹂と指摘している[15]。西川のその手法の源泉について、高瀬は﹁千恵プロ当時、他の撮影所の五分の一という四台のライトしか、使えぬ為の工夫からであったのかも知れない﹂と推察する[15]。戦前・戦中の東宝映画に所属した前述の照明技師の藤林甲は、新東宝を経て日活に移っており、この時代の東宝にはいなかった[26]。
映画界への40年の貢献を記念し、1965年︵昭和40年︶12月1日、日本映画製作者連盟が主催する第10回﹁映画の日﹂永年勤続者表彰を受ける[1]。このときに﹃キネマ旬報﹄に西川が寄せた小文には、自らを電球に譬え、﹁古くなつた電球は、そろそろ新しく取り替える時期かもしれないが、私の電球はまだまだ使えるつもりでいる﹂と記している[1]。岡本喜八の代表作のひとつである﹃殺人狂時代﹄を手がけたのはその翌年末であり、満40年を迎えての現役宣言以降、4年にわたり14本の作品を手がけた。
1969年︵昭和44年︶11月1日には、西川が照明を手がけた﹃水戸黄門漫遊記﹄︵監督千葉泰樹、主演森繁久彌︶が公開されたが、そのわずか3か月後、1970年︵昭和45年︶2月5日、死去した[2]。満59歳没[2]。おもな弟子には中山治雄がいる[27]。東宝のプロデューサーであった西川紀之︵1934年 - ︶は長男[28][29][30]、東映京都撮影所照明部の重鎮、増田悦章︵1931年 - ︶は甥である[31]。
﹃綴方教室﹄︵1938年︶。
﹃阿片戦争﹄︵1943年︶。
﹃加藤隼戦闘隊﹄︵1944年︶。
特筆以外すべて﹁照明﹂である[5][6][7][8][9][10][11][12]。東京国立近代美術館フィルムセンター︵NFC︶、デジタル・ミーム等での所蔵状況も記した[6][32]。
人物・来歴[編集]
サイレントの時代から[編集]
1910年︵明治43年︶2月19日、京都府京都市に生まれる[1][3]。 1922年︵大正11年︶3月、旧制小学校を卒業、初等教育を終え、その後の学歴等は不明であるが、満15歳になる1925年︵大正14年︶には、同年6月に設立され、花園天授ヶ丘に御室撮影所を開いたマキノ・プロダクションに入社、照明部に配属される[1][4][16]。﹃日本の映画人 - 日本映画の創造者たち﹄では入社を翌年の﹁大正15年﹂︵1926年︶としている[3]。照明助手として働き、技師に昇進したのは、1928年︵昭和3年︶10月20日に公開された同世代のマキノ正博︵のちのマキノ雅弘、1908年 - 1993年︶の監督作﹃浪人街 第一話 美しき獲物﹄であった[3][4]。このとき西川はまだ満18歳であった[1]。同作は﹁キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・ワン﹂を受賞する等、高く評価される作品になった[16]。同作における相棒である撮影技師も、若手の三木稔︵のちの三木滋人、1902年 - 1968年︶であり、マキノと三木とは、戦後に至るまでの長い仕事相手になる[5][6][7][8][9][10][11][12]。このころ新調の背広を着て撮影所に現われた西川に片岡千恵蔵が﹁所内の池に飛び込んだら、二着買ってやる﹂と言ったところ、﹁一瞬のためらいもなく池に飛び込み、洋服二着をせしめた﹂のだという[15]。 1929年︵昭和4年︶には、前年5月に同社から独立した片岡千恵蔵による片岡千恵蔵プロダクションに移籍している[1][3][4][17]。同年2月15日に公開された﹃続万花地獄 完結篇﹄︵監督稲垣浩・曾我正史、撮影石本秀雄・池戸豊︶には、﹁西川光男﹂名義で岸田九一郎と共同で照明技師としてクレジットされ[10]、翌3月16日に公開された﹃鴛鴦旅日記﹄︵監督稲垣浩、撮影池戸豊︶にも、﹁西川光夫﹂名義で照明技師としてクレジットされており[15]、同年の早い時期に移籍した。同年7月25日、牧野省三が亡くなり、マキノ・プロダクションは、長男の正博を中心とした体制になるが[16]、新体制において西川の名はすでに見られない[18]。その後も、月形龍之介の月形プロダクション、日活京都撮影所︵のちの大映京都撮影所︶、新興キネマ︵現在の東映京都撮影所︶と転々としたが[1][3][4]、この時期に手がけた作品は明らかではない[5][6][7][8][9][10][12]。 1936年︵昭和11年︶、東京・砧のピー・シー・エル映画製作所︵現在の東宝スタジオ︶に移籍した[1][3]。同社は、1937年︵昭和12年︶9月10日に他の3社と合併して東宝映画になり、同撮影所は東宝映画東京撮影所になった。同社での初期の代表作は、1938年︵昭和13年︶8月21日に公開された﹃綴方教室﹄︵監督山本嘉次郎、主演高峰秀子︶であり[3]、同作での相棒である撮影技師は三村明︵1901年 - 1985年︶であった。1940年︵昭和15年︶9月25日公開の﹃燃ゆる大空﹄︵監督阿部豊、主演長谷川一夫︶では宮島義勇︵1909年 - 1998年︶、1941年︵昭和16年︶3月26日公開の﹃長谷川・ロッパの家光と彦左﹄︵監督マキノ正博、主演長谷川一夫・古川緑波︶では伊藤武夫︵1907年 - 1978年︶とも組んでいる[5][6][7][8][9][10][11][12]。同作の直前、長谷川一夫・山田五十鈴主演の﹃昨日消えた男﹄︵監督マキノ正博、撮影伊藤武夫︶では、西川とおなじマキノ・プロダクション出身の照明技師の藤林甲︵1908年 - 1979年︶がメインであったが、西川も応援で参加したことをマキノ正博がのちに著書﹃映画渡世 地の巻﹄に描いている[19]。 同年12月8日には太平洋戦争に突入したが、製作本数の少なくなった同社に残り、1943年︵昭和18年︶1月14日公開の﹃阿片戦争﹄︵監督マキノ正博、撮影小原譲治︶や、同年2月25日公開の﹃ハナ子さん﹄︵監督マキノ正博、撮影木塚誠一︶、1944年︵昭和19年︶3月9日公開の﹃加藤隼戦闘隊﹄︵監督山本嘉次郎、撮影三村明︶等を手がけ、終戦を迎えた[5][6][7][8][9][10][11][12]。下加茂と東横[編集]
戦後、1946年︵昭和21年︶には、下加茂の松竹京都撮影所に移籍、照明課長に就任した[1][3]。戦争末期の1944年8月1日に同撮影所の所長にマキノ正博が就任しており[20]、それとともに、企画部長に牧野満男︵のちのマキノ光雄、1909年 - 1957年︶、製作部長に辻吉朗︵1892年 - 1946年︶、脚本部長に比佐芳武︵1904年 - 1981年︶が就任[20]、また、同時期には宮本信太郎︵1910年 - 没年不詳︶が編集課長に就任している[21]。前所長の池田義信、前製作部長の大久保忠素といった松竹蒲田撮影所出身者たちはすでに本社に去っており[20]、同年12月31日に公開された﹃満月城の歌合戦﹄︵主演轟夕起子︶では、監督にマキノ正博、撮影に三木滋人︵かつての三木稔︶、照明に西川、と﹃浪人街﹄時代のマキノ・プロダクションの座組みが下加茂で実現した[5][6][7][8][9][10][12]。 翌1947年︵昭和22年︶には、東横映画が﹁大映第二撮影所﹂︵かつての新興キネマ京都撮影所、現在の東映京都撮影所︶で牧野満男らを中心に製作開始の準備に入り、西川も同社に移籍する[3][4][5][6][7][8][9][10][12]。同社の製作第1作﹃こころ月の如く﹄は、監督に稲垣浩、撮影杉山公平、照明に西川、主演は上原謙と轟夕起子であり、同年9月16日公開に公開された[5][6][7][8][9][10][12]。1948年︵昭和23年︶には、同社撮影所照明課長に就任した[1]。マキノ正博が義兄の高村正次とともに宝塚映画製作所︵のちの宝塚映像︶内に同年5月に設立したCAC︵シネマ・アーチスト・コーポレーション︶が、設立第1作として長谷川一夫の新演伎座と提携製作した﹃幽霊暁に死す﹄︵監督マキノ正博、脚本小国英雄︶に撮影技師の三木滋人とともに照明技師として参加、同作は同年10月12日に東宝の配給で公開されている[5][6][7][8][9][10][11][12]。CACは翌1949年5月31日に公開された﹃今日われ恋愛す﹄︵監督島耕二、主演轟夕起子︶を最後に解散するが、西川は全作に関わった[5][6][7][8][9][10][11][12]。同年には、大映を退社した片岡千恵蔵が牧野満男の協力により設立した連合映画作家協会の第1回作品﹃白虎﹄︵監督松田定次、撮影伊藤武夫︶に参加、同作は同年6月20日に松竹の配給で公開されたが[5][6][7][8][9][10][12]、片岡は、片岡と同行した赤木春恵らとともに東横映画に移籍している[22]。 片岡入社以降の東横映画で、﹃獄門島﹄︵監督松田定次、1949年11月20日公開︶、﹃獄門島 解明篇﹄︵同、同年12月5日公開︶、﹃にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘﹄︵同、1950年1月3日公開︶、﹃俺は用心棒﹄︵監督稲垣浩、同年2月19日公開︶等の片岡の主演作を手がけたが、西川は東横を退社、長谷川一夫の新演伎座が鈴木郁三の東日興業と提携して製作する﹃傷だらけの男﹄︵監督マキノ正博、撮影谷口政勝︶に参加、同作は東宝が配給し、1950年︵昭和25年︶4月9日に公開された[5][6][7][8][9][10][11][12]。東宝照明部の四天王[編集]
フィルモグラフィ[編集]
1920年代 - 1930年代[編集]
●﹃浪人街 第一話 美しき獲物﹄ : 総指揮マキノ省三、監督マキノ正博、原作・脚本山上伊太郎、撮影三木稔、主演南光明、製作マキノプロダクション御室撮影所、配給マキノキネマ、1928年10月20日公開 - 照明︵第1作[3]、第5回キネマ旬報ベスト・テン第1位受賞作︶ ●﹃続万花地獄 完結篇﹄ : 監督・脚本稲垣浩・曾我正史、原作吉川英治、撮影石本秀雄・池戸豊、主演片岡千恵蔵、製作・配給片岡千恵蔵プロダクション、1929年2月15日公開 - ﹁西川光男﹂名義で岸田九一郎と共同で照明[10] ●﹃ごろん棒時代﹄ : 監督振津嵐峡、原作・脚本八尋不二、撮影石本秀雄、主演片岡千恵蔵、製作・配給片岡千恵蔵プロダクション、1929年3月6日公開 - ﹁西川光平﹂名義で照明[10] ●﹃鴛鴦旅日記﹄ : 監督稲垣浩、原作・脚本山名英子、撮影池戸豊、主演片岡千恵蔵、製作・配給片岡千恵蔵プロダクション、1929年3月16日公開 - ﹁西川光夫﹂名義で照明[15] ●﹃綴方教室﹄ : 製作森田信義、監督山本嘉次郎、原作豊田正子、脚本木村千依男、撮影三村明、主演高峰秀子、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1938年8月21日公開 - 照明[3]、86分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃われ等が教官﹄ : 製作富岡厚雄、監督今井正、脚本八田尚之、撮影三浦光雄、主演水町庸子、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1939年8月1日公開 ●﹃金語楼の大番頭﹄ : 製作氷室徹平、監督・脚本岡田敬、原作山崎謙太・江口又吉、撮影三浦光雄、主演柳家金語楼、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1939年9月11日公開 ●﹃その前夜﹄︵﹃﹁木屋町三條﹂より その前夜﹄︶ : 製作武山政信、監督萩原遼、原案山中貞雄、脚本梶原金八、撮影河崎喜久三、主演河原崎長十郎、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1939年10月21日公開 - 照明、﹃﹁木屋町三條﹂より その前夜﹄題の86分の上映用プリントをNFCが所蔵[6]1940年代[編集]
●﹃快速部隊 都会篇 戦線篇﹄ : 製作森田信義、監督安達伸男、原作北条雅祥・塚本靖、脚本山崎謙太・葉山四郎、撮影唐沢弘光・木塚誠一、主演佐伯秀男・霧立のぼる、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1940年2月28日公開 ●﹃新妻鏡 前篇﹄ : 製作滝村和男、監督・脚本渡辺邦男、原作小島政二郎、撮影友成達雄、主演山田五十鈴、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1940年5月1日公開 ●﹃新妻鏡 前篇﹄ : 製作滝村和男、監督・脚本渡辺邦男、原作小島政二郎、撮影友成達雄、主演山田五十鈴、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1940年5月8日公開 ●﹃燃ゆる大空﹄ : 製作・監督阿部豊、原作北村小松、脚本八木保太郎、撮影宮島義勇、主演大日方伝、製作東宝映画東京撮影所・映画科学研究所、配給東宝映画、1940年9月25日公開 - 照明︵第17回キネマ旬報ベスト・テン第8位受賞作[12]︶ ●﹃姉妹の約束﹄ : 製作氷室徹平、監督山本薩夫、脚本山下与志一、撮影山崎一雄、主演英百合子、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1940年10月30日公開 ●﹃親子鯨﹄ : 製作滝村和男、監督斎藤寅次郎、脚本志村敏夫、撮影立花幹也、主演渡辺篤・英百合子、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1940年12月18日公開 - 照明、75分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃昨日消えた男﹄ : 製作滝村和男、監督マキノ正博、脚本小国英雄、撮影伊藤武夫、照明藤林甲、主演長谷川一夫・山田五十鈴、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1941年1月9日公開 - 照明応援 ●﹃長谷川・ロッパの家光と彦左﹄ : 製作滝村和男、監督マキノ正博、脚本小国英雄、撮影伊藤武夫、主演長谷川一夫・古川緑波、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1941年3月26日公開 - 照明、88分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃歌へば天國﹄ : 監督小田基義・山本薩夫、原作・主演古川緑波、脚本山崎謙太・岸松雄・如月敏、撮影平野好美、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1941年6月10日公開 ●﹃幸子と夏代﹄ : 製作竹井諒、監督青柳信雄、原作吉屋信子、脚本青柳信雄・八住利雄、撮影伊藤武夫、主演入江たか子・山田五十鈴、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1941年8月14日公開 ●﹃男の花道﹄ : 製作清川峯輔︵滝村和男とも︶、監督マキノ正博、脚本小国英雄、撮影伊藤武夫、主演長谷川一夫、製作・配給東宝映画、1941年12月30日公開 - 照明、73分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃待って居た男﹄ : 製作伊藤基彦・氷室徹平、監督マキノ正博、脚本小国英雄、撮影山崎一雄、主演長谷川一夫・山田五十鈴、製作東宝映画、配給映画配給社、1942年4月23日公開︵白系︶ - 照明、再公開版98分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃婦系図#映画﹄︵﹃婦系圖﹄︶ : 製作伊藤基彦・氷室徹平、監督マキノ正博、原作泉鏡花、脚本小国英雄、校閲久保田万太郎、撮影三浦光雄、主演長谷川一夫・山田五十鈴、製作東宝映画、配給映画配給社、1942年6月11日公開︵紅系︶ - 照明、108分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃続婦系図﹄︵﹃續 婦系圖﹄︶ : 製作伊藤基彦・氷室徹平、監督マキノ正博、原作泉鏡花、脚本小国英雄、校閲久保田万太郎、撮影三浦光雄、主演長谷川一夫・山田五十鈴、製作東宝映画、配給映画配給社、1942年7月16日公開︵白系︶ - 照明、45分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃阿片戦争﹄︵﹃阿片戰爭﹄︶ : 製作・原案松崎啓次、監督マキノ正博、脚本小国英雄、撮影小原譲治、主演市川猿之助、製作東宝映画、配給映画配給社、1943年1月14日公開︵白系︶ - 照明、115分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃ハナ子さん﹄ : 製作星野武雄、監督マキノ正博、原作杉浦幸雄、脚本山崎謙太・小森静男、撮影木塚誠一、主演轟夕起子、製作東宝映画、配給映画配給社、1943年2月25日公開︵紅系︶ - 照明、71分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃名人長次彫﹄ : 製作清川峯輔、監督萩原遼、脚本三村伸太郎、撮影安本淳、主演長谷川一夫・山田五十鈴、製作東宝映画、配給映画配給社、1943年7月15日公開︵紅系︶ ●﹃加藤隼戦闘隊﹄ : 製作村治夫、監督山本嘉次郎、脚本山崎謙太・山本嘉次郎、撮影三村明、主演藤田進、製作東宝、配給映画配給社、1944年3月9日公開︵紅白系︶ ●﹃勝利の日まで﹄ : 製作藤本真澄・本木荘二郎、監督成瀬巳喜男、脚本サトウハチロー、撮影立花幹也・木塚誠一、主演徳川夢声、製作東宝、配給映画配給社、1945年1月25日公開︵紅系︶1950年代[編集]
1960年代[編集]
●﹃暗黒街の対決﹄ : 製作田中友幸、監督岡本喜八、原作大藪春彦、脚本関沢新一、撮影山田一夫、主演三船敏郎、製作・配給東宝、1960年1月3日公開︵映倫番号 21020︶ - 照明、95分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃電送人間﹄ : 製作田中友幸、監督福田純、脚本関沢新一、撮影山田一夫、主演鶴田浩二、製作・配給東宝、1960年4月10日公開︵映倫番号 11770︶ - 照明、85分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃羽織の大将﹄[10]︵﹃羽織の大將﹄︶ : 製作三輪礼二、監督千葉泰樹、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演フランキー堺、製作・配給東宝、1960年4月17日公開︵映倫番号 11653︶ - 照明、107分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃サラリーマン御意見帖 出世無用﹄ : 製作安達英三朗、監督岩城英二、脚本長瀬喜伴・吉田精弥、撮影西垣六郎、主演小林桂樹、製作・配給東宝、1960年5月28日公開︵映倫番号 11590︶ ●﹃男対男﹄ : 製作田中友幸、監督谷口千吉、脚本池田一朗・小川英、撮影西垣六郎、主演三船敏郎、製作・配給東宝、1960年8月14日公開︵映倫番号 11598︶ ●﹃ああ女難﹄ : 製作堀江史朗、監督杉江敏男、原作安岡章太郎、脚本斎藤良輔[要曖昧さ回避]、撮影西垣六郎、主演フランキー堺、製作・配給東宝、1960年12月6日公開︵映倫番号 11667︶ ●﹃サザエさんとエプロンおばさん﹄ : 製作杉原貞雄、監督青柳信雄、原作長谷川町子、脚本笠原良三・蓮池義雄、撮影西垣六郎、主演江利チエミ、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1960年12月25日公開︵映倫番号 11699︶ ●﹃福の神 サザエさん一家﹄ : 製作杉原貞雄、監督青柳信雄、原作長谷川町子、脚本笠原良三・蓮池義雄、撮影西垣六郎、主演江利チエミ、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1961年3月28日公開︵映倫番号 12120︶ ●﹃香港の夜﹄︵﹃香港の夜 A NIGHT IN HONGKONG﹄︶ : 製作藤本真澄・鐘啓文、監督千葉泰樹、脚本井手俊郎、撮影西垣六郎、主演宝田明、製作東宝・キャセイオーガニゼイション、配給東宝、1961年7月1日公開︵映倫番号 12232︶ - 照明、118分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃新入社員十番勝負﹄ : 製作安達英三朗、監督岩城英二、脚本若尾徳平、撮影飯村正、主演船戸順、製作・配給東宝、1961年9月12日公開︵映倫番号 12420︶ ●﹃アッちゃんのベビーギャング﹄ : 製作藤本真澄、監督杉江敏男、原作岡部冬彦、脚本井手俊郎、撮影鈴木斌、主演小林桂樹、製作・配給東宝、1961年9月17日公開︵映倫番号 12490︶ ●﹃ベビーギャングとお姐ちゃん﹄ : 製作藤本真澄、監督杉江敏男、原作岡部冬彦、脚本井手俊郎、撮影鈴木斌、主演小林桂樹、製作・配給東宝、1961年12月9日公開︵映倫番号 12565︶ ●﹃サラリーマン清水港﹄ : 製作藤本真澄、監督松林宗恵、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演森繁久彌、製作・配給東宝、1962年1月3日公開︵映倫番号 12612︶ ●﹃続新入社員十番勝負 サラリーマン一刀流﹄ : 製作安達英三朗、監督岩城英二、脚本若尾徳平、撮影飯村正、主演船戸順、製作・配給東宝、1962年2月4日公開︵映倫番号 12421︶ ●﹃続サラリーマン清水港﹄ : 製作藤本真澄、監督松林宗恵、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演森繁久彌、製作・配給東宝、1962年3月7日公開︵映倫番号 12663︶ ●﹃雲の上団五郎一座﹄ : 製作杉原貞雄・山本紫朗、監督青柳信雄、原作菊田一夫、脚本長瀬喜伴・新井一、撮影鈴木斌、主演フランキー堺、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1962年4月15日公開︵映倫番号 12753︶ - 照明、84分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃香港の星﹄︵﹃香港の星 STAR of HONG KONG﹄︶ : 製作藤本真澄・鐘啓文、監督千葉泰樹、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演宝田明・尤敏、製作東宝・キャセイオーガニゼイション、配給東宝、1962年7月14日公開︵映倫番号 12754︶ - 照明、109分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃箱根山﹄ : 製作藤本真澄・角田健一郎、監督川島雄三、原作獅子文六、脚本井手俊郎・川島雄三、撮影西垣六郎、主演東山千栄子、製作・配給東宝、1962年9月15日公開︵映倫番号 12898︶ - 照明、105分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃河のほとりで﹄ : 製作藤本真澄・金子正且、監督千葉泰樹、原作石坂洋次郎、脚本井手俊郎、撮影西垣六郎、主演山村聡、製作・配給東宝、1962年11月23日公開︵映倫番号 12954︶ - 照明、116分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃女に強くなる工夫の数々﹄ : 製作藤本真澄、監督千葉泰樹、脚本池田一朗・笠原良三、撮影西垣六郎・遠藤精一、主演宝田明、製作・配給東宝、1963年1月15日公開︵映倫番号 13073︶ - 照明、94分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃クレージー作戦 先手必勝﹄ : 製作渡辺晋・森田信、監督久松静児、脚本池田一朗、撮影玉井正夫、主演植木等、製作・配給東宝、1963年3月24日公開︵映倫番号 13116︶ ●﹃ホノルル・東京・香港﹄︵﹃ホノルル・東京・香港 HONOLULU-TOKYO-HONGKONG﹄[6]︶ : 製作藤本真澄・林永泰、監督千葉泰樹、脚本松山善三、撮影西垣六郎、主演宝田明・尤敏、製作キャセイオーガニゼイション・東宝、配給東宝、1963年6月30日公開︵映倫番号 13153︶ - 照明、102分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃ハワイの若大将﹄ : 製作藤本真澄・角田健一郎、監督福田純、脚本笠原良三・田波靖男、撮影内海正治・西垣六郎、主演加山雄三、製作・配給東宝、1963年8月11日公開︵映倫番号 13215︶ - 金子光男と共同で照明 ●﹃香港クレージー作戦﹄ : 製作藤本真澄・渡辺晋、監督杉江敏男、脚本笠原良三、撮影完倉泰一、主演植木等、製作・配給東宝、1963年12月22日公開︵映倫番号 13373︶ ●﹃社長紳士録﹄ : 製作藤本真澄、監督松林宗恵、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演森繁久彌、製作・配給東宝、1964年1月3日公開︵映倫番号 19414︶ ●﹃続社長紳士録﹄ : 製作藤本真澄、監督松林宗恵、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演森繁久彌、製作・配給東宝、1964年2月29日公開︵映倫番号 13435︶ ●﹃こんにちは赤ちゃん﹄ : 製作渡辺晋・田実泰良、監督松林宗恵、脚本長瀬喜伴、撮影鈴木斌、主演梓みちよ、製作・配給東宝、1964年3月20日公開︵映倫番号 13512︶ ●﹃裸の重役﹄ : 製作藤本真澄、監督千葉泰樹、原作源氏鶏太、脚本井手俊郎、撮影西垣六郎、主演森繁久彌、製作・配給東宝、1964年7月1日公開︵映倫番号 13544︶ ●﹃天才詐欺師物語 狸の花道﹄ : 製作山本嘉次郎・菅英久、監督山本嘉次郎、原作町田浩二、脚本平戸延介、撮影小泉福造、主演小林桂樹、製作・配給東宝、1964年8月1日公開︵映倫番号 13612︶ ●﹃侍﹄ : 製作田中友幸・三輪禮二、監督岡本喜八、原作郡司次郎正、脚本橋本忍、撮影村井博、主演三船敏郎、製作東宝・三船プロダクション、配給東宝、1965年1月3日公開︵映倫番号 13587︶ ●﹃陽のあたる椅子﹄ : 製作田実泰良、監督川崎徹広、原作佐野洋、脚本秋山正・川崎徹広、撮影鈴木斌、主演加東大介、製作・配給東宝、1965年3月13日公開︵映倫番号 13300︶ ●﹃太平洋奇跡の作戦 キスカ﹄ : 製作田中友幸・田実泰良、監督丸山誠治、原作千早正隆、脚本須崎勝弥、撮影西垣六郎、主演三船敏郎、製作・配給東宝、1965年6月19日公開︵映倫番号 13831︶ - 照明、104分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃血と砂﹄ : 製作田中友幸、監督岡本喜八、原作伊藤桂一、脚本佐治乾・岡本喜八、撮影西垣六郎、主演三船敏郎、製作東宝・三船プロダクション、配給東宝、1965年9月18日公開︵映倫番号 13970︶ ●﹃大菩薩峠﹄ : 製作藤本真澄・佐藤正之・南里金春、監督岡本喜八、原作中里介山、脚本橋本忍、撮影村井博、主演仲代達矢、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1966年2月25日公開︵映倫番号 14178︶ - 照明、120分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃狸の王様﹄ : 製作菅英久、監督山本嘉次郎、脚本坪島孝・山本嘉次郎、撮影福沢康道、主演小林桂樹、製作・配給東宝、1966年4月16日公開︵映倫番号 14338︶ ●﹃日劇﹁加山雄三ショー﹂より 歌う若大将﹄ : 製作藤本真澄、監督・構成長野卓、撮影西垣六郎、主演加山雄三、製作・配給東宝、1966年9月10日公開︵ドキュメンタリー映画・映倫番号 22424︶ ●﹃狸の休日﹄ : 製作菅英久、監督山本嘉次郎、脚本米沢純一・山本嘉次郎、撮影飯村正、主演高島忠夫、製作・配給東宝、1966年10月22日公開︵映倫番号 14592︶ ●﹃これが青春だ!﹄ : 製作森田信、監督松森健、脚本監修石原慎太郎、脚本須崎勝弥、撮影西垣六郎、主演夏木陽介、製作宝塚映画製作所・東宝、配給、1966年12月17日公開︵映倫番号 14639︶ ●﹃殺人狂時代﹄ : 製作田中友幸・角田健一郎、監督岡本喜八、原作都筑道夫、脚本小川英・山崎忠昭・岡本喜八、撮影西垣六郎、主演仲代達矢、製作・配給東宝、1967年2月4日公開︵映倫番号 14482︶ - 照明、99分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃坊っちゃん社員 青春は俺のものだ!﹄ : 製作菅英久、監督松森健、原作源氏鶏太、脚本山本嘉次郎、潤色山本嘉次郎・池田一朗、撮影西垣六郎、主演夏木陽介、製作・配給東宝、1967年4月1日公開︵映倫番号 14813︶ ●﹃坊っちゃん社員 青春でつっ走れ!﹄ : 製作菅英久、監督松森健、原作源氏鶏太、脚本山本嘉次郎・須崎勝弥、潤色山本嘉次郎・池田一朗、撮影西垣六郎、主演夏木陽介、製作・配給東宝、1967年5月20日公開︵映倫番号 14820︶ ●﹃日本のいちばん長い日﹄ : 製作藤本真澄・田中友幸、監督岡本喜八、原作大宅壮一、脚本橋本忍、撮影村井博、主演宮口精二、製作・配給東宝、1967年8月3日公開︵映倫番号 14850︶ - 照明、157分の上映用プリントをNFCが所蔵[6] ●﹃カモとねぎ﹄ : 製作貝山知弘、監督谷口千吉、脚本松木ひろし・田波靖男、撮影鈴木斌、主演森雅之・緑魔子、製作・配給東宝、1968年3月16日公開︵映倫番号 15014︶ ●﹃空想天国﹄ : 製作渡辺晋、監督松森健、脚本田波靖男、撮影西垣六郎、主演谷啓、製作東宝・渡辺プロダクション、配給東宝、1968年8月14日公開︵映倫番号 15432︶ ●﹃若者よ挑戦せよ﹄ : 製作安達英三朗、監督千葉泰樹、脚本笠原良三、撮影西垣六郎、主演小林桂樹、製作・配給東宝、1968年10月5日公開︵映倫番号 15502︶ ●﹃燃えろ!青春﹄ : 製作山田順彦、監督松森健、脚本松木ひろし、撮影西垣六郎、主演黒沢年男、製作・配給東宝、1968年12月19日公開︵映倫番号 15631︶ ●﹃水戸黄門漫遊記﹄ : 製作佐藤一郎、監督千葉泰樹、脚本笠原良三、撮影長谷川清、主演森繁久彌、製作・配給東宝、1969年11月1日公開︵映倫番号 15967︶ - 照明︵遺作︶、95分の上映用プリントをNFCが所蔵[6]脚注[編集]
(一)^ abcdefghijklmキネ旬[1966], p.85.
(二)^ abc年鑑[1973], p.126.
(三)^ abcdefghijklmnop佐藤[2007], p.453.
(四)^ abcdefg渡邊[2014], p.177.
(五)^ abcdefghijklmnopqTsuruzô Nishikawa, インターネット・ムービー・データベース ︵英語︶、2015年7月2日閲覧。
(六)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagahaiajakalamanaoapaqarasatauavawaxayazbabbbcbdbebfbgbhbibjbkblbmbnbobpbqbrbsbtbubvbwbxbybz西川鶴三、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年7月2日閲覧。
(七)^ abcdefghijklmnopq西川鶴三、文化庁、2015年7月2日閲覧。
(八)^ abcdefghijklmnopq西川鶴三、KINENOTE, 2015年7月2日閲覧。
(九)^ abcdefghijklmnopq西川鶴三、allcinema, 2015年7月2日閲覧。
(十)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaab西川鶴三・西川光男・西川光平、日本映画データベース、2015年7月2日閲覧。
(11)^ abcdefghijkl西川鶴三、東宝、2015年7月2日閲覧。
(12)^ abcdefghijklmnopqr西川鶴三、日本映画製作者連盟、2015年7月2日閲覧。
(13)^ abc高瀬[2006], p.78.
(14)^ ab佐藤[2007], p.240.
(15)^ abcdef高瀬[2000], p.84, 413.
(16)^ abc御室撮影所、立命館大学、2015年7月2日閲覧。
(17)^ 片岡千恵蔵プロダクション撮影所、立命館大学、2015年7月2日閲覧。
(18)^ 1929年 マキノ・プロダクション御室撮影所 所員録、立命館大学、2015年7月2日閲覧。
(19)^ マキノ[1977], p.8-11.
(20)^ abc石割[2005], p.79.
(21)^ 産経年鑑[1964], p.153.
(22)^ 赤木[1994], p.1.
(23)^ マキノ[1977], p.43.
(24)^ 上映会情報 生誕百年 映画監督 マキノ雅広 浮雲日記、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年7月2日閲覧。
(25)^ abc浄土 Monthly jodo 第62巻第3号、法然上人鑽仰会、1996年3月発行、p.32-37.
(26)^ 佐藤[2007], p.520.
(27)^ 山下・円尾[1999], p.33.
(28)^ 年鑑[1987], p.283.
(29)^ 第21回講座・西川紀之、まちだ雑学大学、2012年4月27日付、2015年7月2日閲覧。
(30)^ 西川紀之、東宝、2015年7月2日閲覧。
(31)^ 佐藤[2007], p.548.
(32)^ フィルムリスト 検索結果、デジタル・ミーム、2015年7月2日閲覧。
参考文献[編集]
- 『産経日本紳士年鑑1964』、産業経済新聞社年鑑局、1964年発行
- 『キネマ旬報』第408号通巻第1223号、キネマ旬報社、1966年2月発行
- 『映画年鑑 1973』、時事映画通信社、1973年発行
- 『映画渡世 地の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅裕、平凡社、1977年発行 / 新装版、2002年発行 ISBN 4582282024
- 『映画年鑑 1987』、時事映画通信社、1987年発行
- 『わたしの遅咲き人生』、赤木春恵、講談社、1994年4月発行 ISBN 4062044625
- 『浄土 Monthly jodo』第62巻第3号、法然上人鑽仰会、1996年3月発行
- 『将軍と呼ばれた男 映画監督山下耕作』、山下耕作・円尾敏郎、ワイズ出版、1999年1月発行 ISBN 4898300022
- 『我が心の稲垣浩』、高瀬昌弘、ワイズ出版、2000年8月 ISBN 4898300367
- 『はじめに喜劇ありき - 清水宏、小津安二郎、成瀬巳喜男、山中貞雄、伊丹万作、そして斎藤寅次郎』、石割平・谷輔次・円尾敏郎、ワイズ出版、2005年6月 ISBN 4898301851
- 『東宝監督群像 砧の青春』、高瀬昌弘、東宝出版商品事業室、2006年2月発行 ISBN 4924609927
- 『日本の映画人 - 日本映画の創造者たち』、佐藤忠男、日外アソシエーツ、2007年6月発行 ISBN 4816920358
- 『娯楽映画の骨法 東映を創った二人の男』、渡邊達人、デジタルパブリッシングサービス、2014年12月1日発行
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Tsuruzô Nishikawa - IMDb(英語)
- Tsuruzo Nishikawa - IMDb(英語)
- 西川鶴三 - KINENOTE
- 西川鶴三 - allcinema
- 西川鶴三 - 日本映画データベース
- 西川光男 - 日本映画データベース
- 西川光平 - 日本映画データベース
- 西川鶴三 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 西川鶴三 - 文化庁日本映画情報システム
- 西川鶴三 - 東宝資料室
- 西川鶴三 - 日本映画製作者連盟