都営バス杉並支所
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都営バス 小滝橋自動車営業所 杉並支所 | |
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Tokyo Metropolitan Bus Otakibashi bus office Suginami branch | |
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所在地 | 東京都杉並区梅里一丁目14番22号 |
座標 | 北緯35度41分51.6秒 東経139度39分5.5秒 / 北緯35.697667度 東経139.651528度座標: 北緯35度41分51.6秒 東経139度39分5.5秒 / 北緯35.697667度 東経139.651528度 |
所管系統数 | 5系統 |
主な運行担当区域 | 新宿駅西口を中心として23区の広い範囲 |
備考 | はとバスに委託。高速バスの待機場がある。収容数110台と、支所では臨海に次いで多い |
地図 |
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dc/Toei-Suginami-inside.jpg/300px-Toei-Suginami-inside.jpg)
概要
管轄路線は比較的長距離のものが多く、また営業所から離れたエリアを走る路線も受け持っている。このため路線は東京23区西部を中心に、杉並区・渋谷区・新宿区・中野区・練馬区・板橋区・北区・世田谷区・港区・品川区・千代田区の11区にまたがっており、宿91系統が大森駅・大森操車所前まで運行されていた時には、目黒区・大田区まで、都03系統や初代・宿75乙系統の所管時には中央区や保谷市︵現‥西東京市︶にも乗り入れていた。 かつては所管路線が多く集まる新宿駅を中心に、西側は荻窪駅を経て東伏見、東は銀座を経て晴海埠頭方面へ至る路線を受け持っていた。特に晴海埠頭方面は、新宿駅から都市新バス︵都03系統︶として運行していた。しかし、都03は長距離のため道路渋滞による遅延が後を絶たないことから地下鉄利用者が増えていき、都市新バスにもかかわらず営業係数が120 - 130ほどの路線だった。さらには晴海見本市会場が東京ビッグサイトに移転したことによる利用者の減少が進んだ。そのため、2000年12月12日の都営地下鉄大江戸線全線開業時に、新宿駅西口 - 四谷駅前間が廃止されたうえで深川営業所へ移管され、杉並営業所は同日、早稲田営業所管下の支所に降格した。杉並営業所時代は管轄下に青梅支所を置いていたが、改正により杉並・青梅は早稲田の管轄下に変わっている。 2003年︵平成15年︶のはとバス委託当時の杉並は、京王バスとの相互乗り入れ系統で、はとバスに委託されない渋66系統を新宿支所に移管し、王78と宿91の2系統のみの運行担当となって山手線内の路線の担当がなくなり、所属車両数も青梅支所よりも少なくなった。しかしその後の2005年︵平成17年︶以降には、品川営業所と新宿支所から品97系統がはとバス委託路線となるため移管を受けて再び都心部や山手線内の路線を担当することとなり、渋66系統もはとバス委託路線となり、新宿支所から復帰、新江62系統︵2013年9月廃止︶のはとバス委託路線がなされ練馬から移管されるなど、はとバス委託路線が増加すると営業エリアが再び拡がりを見せている。 2009年4月1日には、杉並支所を管轄する営業所が早稲田から小滝橋営業所に移管された。青梅支所は早稲田営業所管轄下のままである。沿革
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堀ノ内営業所として発足
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/TokyoNoriaiJidoushaBus_in_Horinouch_Station%2C_1936.jpg/220px-TokyoNoriaiJidoushaBus_in_Horinouch_Station%2C_1936.jpg)
堀ノ内営業所の移転
1963年︵昭和38年︶、都電唯一の狭軌線だった14系統︵新宿駅前 - 荻窪駅前︶が廃止された。青梅街道に面した杉並電車営業所の敷地は遊休地となり、手狭になりつつあった堀ノ内営業所はより広い電車車庫跡地へ移転することになる。1966年11月30日に堀ノ内営業所は杉並電車営業所跡地に移転し、杉並自動車営業所と改称した。環七通りを基軸に
ただ、青梅街道には都電14系統の代替となる地下鉄丸ノ内線が開通しており、交通局は杉並営業所の新たな方向性を練らなければならなくなっていた。折から環七通りの整備が進んでいたことから、交通局では高円寺陸橋に近い場所に立地する杉並営業所を核に、山手線西側の環七通り全域へと路線を伸ばす計画を立て、堀ノ内移転直前の1966年、66系統︵現在の王78系統‥新宿駅西口 - 王子駅線。一時的に志村営業所へ移管︶が開業した。翌1967年には、5系統︵後の宿73→宿91系統︶を延長して高円寺以南の環七通りを縦走する138系統︵後の宿91系統︶を東京急行電鉄︵現‥東急バス︶と相互乗り入れで、新宿駅西口 - 若林駅前 - 大森駅山王口 - 大森操車所も開業した。 また、高円寺陸橋から大原陸橋の間では既存の130系統や131系統︵現在の渋66系統︶、中77系統代田橋 - 中野駅 - 江古田駅などの共同運行相手の関東バス、京王帝都電鉄︵現‥京王バス東︶、東京急行電鉄︵現‥東急バス︶まで巻き込んだ激しい乗客獲得合戦に発展した。1972年には66系統とほぼ似たルートで国際興業バス︵現在の赤31系統‥高円寺駅 - 赤羽駅。関東バスと共管︶も参戦してきた。しかし、大原陸橋を中心とした環七通りの渋滞が悪化し定時運行の確保が難しくなっていくと、路線の廃止や共同運行先の撤退が相次ぐようになる。路線再編と都市新バス
1977年の路線再編は杉並営業所でも行われ、東75系統を新宿駅で運行を打ち切ったほか、中77系統は中野駅で分断された。中野駅から北側が関東バスの運行となったほか、高79系統は不採算を理由に全線廃止された。1979年の再編ではさらに追い討ちをかけるように、東75の系統番号変更による︵旧︶宿75系統[注釈 1] が廃止されたほか、南阿佐ヶ谷駅より西側の路線が全て廃止されたことで事実上撤退となった。さらに1982年には中77系統が廃止されたほか、1984年には宿91系統が野沢銀座まで短縮の上、野沢銀座から南側が東急バスの単独運行となった。 その一方で、志村営業所へ移管されていた王78系統は、1982年の志村営業所閉鎖によって杉並営業所へ再移管された。 ︵旧︶宿75系統が廃止になった後も、銀71系統は山手線を東西に貫く幹線として需要があり、1988年、都営バス3番目の都市新バス路線に選ばれて都03系統と姿を変えた。しかし、東京ビッグサイトの完成により東京国際見本市会場が閉鎖され乗客が激減。道路の渋滞で日比谷以西は地下鉄への流出が止まらなくなり、2000年︵平成12年︶の都営地下鉄大江戸線開業時に行われた再編で四谷駅までに短縮され、深川営業所へ移管された︵後述︶。はとバス委託へ
2003年4月1日より、都営バスでは初となるはとバスへの民間委託が開始された。現行路線
渋66系統
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/Tobus_D-E435_shibu66.jpg/200px-Tobus_D-E435_shibu66.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/30/Keiobus-Higashi_D30616_Shibu-66.jpg/200px-Keiobus-Higashi_D30616_Shibu-66.jpg)
2003年4月のはとバス委託時に渋66系統だけは委託を免れ新宿支所へ移管されたが、同時に都営と京王の本数比率が逆転して京王便のほうが多くなる。その後、交通局の方針変更で渋66系統も2006年4月よりはとバス委託となり、新宿支所から杉並支所に再移管、同時に新宿は分駐所に格下げされた(その後2009年4月のはとバス委託により再び新宿支所となる)。
高71系統
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c8/Tobus_E-E874.jpg/200px-Tobus_E-E874.jpg)
王78系統
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3d/Tobus_D-H245_2016-9-16.jpg/200px-Tobus_D-H245_2016-9-16.jpg)
宿91系統
●︵5→宿73/138→︶宿91‥新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野坂上 - 新宿駅西口 ●宿91‥堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野坂上 - 新宿駅西口 ●宿91‥杉並車庫 - 東高円寺駅 - 中野坂上 - 新宿駅西口 ●宿91‥新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 杉並車庫 杉並支所の所管路線で唯一、所管変更が行われていない︵2017年現在︶路線で、新宿駅から青梅街道を西へ走り、高円寺陸橋から環七通り経由で新代田駅まで向かう。東急バスとの共同運行として大森操車所まで運行していたが、1984年に野沢銀座で分断と同時に大森地区から撤退した。その後、1993年に駒沢陸橋まで延長され、僅かながら大森発着時代の一部区間が復活したこととなった。その後、2013年4月1日のダイヤ改正で駒沢陸橋 - 新代田駅間が廃止︵短縮︶された。 宿91は環七通りの開通後、東京急行電鉄︵現・東急バス︶が運行していた大森操車所 - 駒沢公園間の系統と、都営の5系統をつないで相互乗入れを行うこととなり、1967年︵昭和42年︶6月25日、138系統・新宿駅西口 - 大森駅 - 大森操車所間として運行開始、東急では環七線と呼称した。後系統番号整理で宿91系統となる。その後、1990年に新代田駅折り返しの宿73系統を統合したため、新代田駅以遠に乗り入れるのは全運行回数の3分の1程度に減るように見えた。1993年(平成5年)に宿91系統は駒沢陸橋まで延長され、わずかながら大森駅発着時代の一部区間が復活した。これは野沢銀座発着時の折り返しに使用していた東急バス野沢折返所が廃止され、折り返し地点を駒沢陸橋下のUターンレーンに変更したことによるものである。この駒沢陸橋停留所は都営バスの延長に合わせて新設され、陸橋側を走行する東急の森91系統は停留所の設置箇所(側道上)の影響もあって停車せず、降車専用停留所には「大森行きは止まりません」と表示されている。同時に以前から駒沢陸橋まで回送して折り返していた小田急バス(現:小田急ハイウェイバス)の下61系統も、駒沢陸橋まで営業区間を延長している。
品97系統
●品97‥品川駅高輪口 - 魚籃坂下 - 古川橋 - 天現寺橋 - 西麻布 - 青山一丁目駅前 - 信濃町駅前 - 四谷三丁目 - 新宿三丁目 - 新宿駅西口 ●品97‥品川車庫 → 品川駅高輪口 → 高輪警察署 → 魚籃坂下 → 天現寺橋 → 西麻布 → 青山一丁目駅 → 信濃町駅南口 → 四谷三丁目 → 新宿追分 → 新宿駅西口︵平日朝2本︶ ●品97‥品川駅高輪口 - 泉岳寺 - 魚籃坂下 - 天現寺橋 - 西麻布 - 青山一丁目駅︵平日の3往復︶ おもに新宿通り、外苑東通り、外苑西通り、明治通りを経由して、新宿から品川へ至る路線。区間便を除き、港南支所との共同運行である。品川駅 - 高輪一丁目では行きと帰りで経路が異なっており、品川行きはグランドプリンス新高輪経由、品川発は泉岳寺経由で運行する。また、日祝日の日中は新宿通りで歩行者天国が実施されるため、新宿三丁目 - 新宿駅西口間で歌舞伎町︵靖国通り︶を経由する。 平日朝に2本運行される品川車庫発便は、1便目は品川駅まで全て通過するが、2便目は第一京浜上の各停留所にも停車する。 品川駅前 - 四谷三丁目を結んでいた都電7系統の廃止に伴う代替バス路線507系統として品川管轄で運行を開始した。2000年12月の大江戸線全線開業時の再編までは四97系統として品川車庫 - 天現寺橋 - 四谷駅間を結んでいたが、この再編時に、都03系統の新宿駅西口 - 四谷駅間、および田70系統︵新宿駅西口 - 田町駅東口 - 港区スポーツセンター︶の全線が廃止されたため、これらの代替として四谷三丁目から西に進路を変え新宿通りを新宿三丁目・新宿追分へと向い、新宿駅西口に至るようルートを変更して品97系統となった。四97系統時代は品川営業所が単独で担当していたが、都営地下鉄大江戸線全線開業に伴う路線再編成に伴い、新宿支所が主管として大半の便を担当する形での共管となった。
2003年(平成15年)4月からは、渋66系統が新宿支所に移管されたことに伴う負担軽減と回送距離削減を理由に新宿支所の担当便が減少し、主管が品川営業所に戻された。2005年(平成17年)4月1日付ではとバス受託運行路線となり、全便が杉並支所に移管された。
2008年4月1日付けで港南支所がはとバスに委託され、杉並支所と港南支所による共管系統となった。はとバス委託支所同士による共同運行路線はこの品97系統が初である。また港南支所(および品川ナンバーの都営バス)が新宿駅西口に乗り入れる唯一の系統である。
夜間には、品川駅から国道15号 - 山手通り(大崎駅・中目黒駅・初台)を経由して杉並車庫までの回送が行われている。そのため営業路線とはまったく関係のないエリアで同所の車両を見ることができ、その際には営業路線ではないものの、東98系統の都営バス撤退以後も目黒区内で都営バスの車両を見ることができる。
廃止・移管路線
市02系統
都03・05系統︵グリーンアローズ︶
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Toei-bus-D-S223.jpg/200px-Toei-bus-D-S223.jpg)
原型は銀71→都03系統の折返便で、都05系統として開通してからは深川営業所が単独で担当していたが、1993年(平成5年)3月31日付けで杉並営業所が参入し共管となる。乗務員の交代は東京駅丸の内南口で実施し、乗務員は杉並車庫最寄りの新高円寺駅から丸ノ内線で移動していた。その後都03系統の短縮・移管に伴い深川営業所の単独に戻された。
新江62系統
- 新江62:大泉学園駅 - 東大泉二丁目 - 三原台一丁目 - 谷原二丁目 - 中村橋駅入口 - 練馬区役所 - 練馬駅 - 新江古田駅(末期は1往復のみ)
- 新江62:大泉学園駅 - 東大泉二丁目 - 三原台一丁目 - 谷原二丁目 - 中村橋駅入口 - 練馬区役所 - 練馬駅(末期は3往復のみ)
- 新江62出庫:練馬車庫 → 練馬駅 → 練馬区役所 → 中村橋駅入口 → 谷原二丁目 → 三原台一丁目 → 東大泉二丁目 → 大泉学園駅 (末期は昼1回のみ)
- 新江62出庫:練馬車庫 → 豊玉北四丁目 → 練馬駅通り → 練馬区役所 → 中村橋駅入口 → 谷原二丁目 → 三原台一丁目 → 東大泉二丁目 → 大泉学園駅(練馬駅非経由。末期は朝1回のみ)
- 新江62入庫:大泉学園駅 → 東大泉二丁目 → 三原台一丁目 → 谷原二丁目 → 中村橋駅入口 → 練馬区役所入口 → 練馬駅前 → 桜台駅 → 練馬車庫
秋72系統
●︵都電12→512→︶秋72‥新宿駅西口 - 歌舞伎町 - 新宿三丁目 - 四谷三丁目 - 四谷駅西口 - 本塩町 - 市ヶ谷駅 - 九段下 - 神保町 - 須田町 - 岩本町 1970年3月の都電第5次撤去で廃止された都電12系統の代替バス・512系統として運転開始したものである。都営地下鉄新宿線の岩本町 - 新宿間開業に合わせ、1980年︵昭和55年︶3月15日限りで全線が廃止された。このうち市ヶ谷駅 - 九段下間は2014年︵平成26年︶4月に高71系統が小滝橋営業所から移管されたことにより、杉並支所担当のバス路線が34年ぶりに復活した形となった。宿73・宿91系統
- (5→)宿73:新宿駅西口 - 中野坂上 - 東高円寺駅 - 堀ノ内 - 和田堀橋 - 代田橋 - 新代田駅
- 宿73:新宿駅西口 - 中野坂上 - 東高円寺駅 - 杉並車庫
- 宿73:新宿駅西口 - 中野坂上 - 東高円寺駅 - 堀ノ内
- 宿91:駒沢陸橋 - 野沢銀座 - 上馬 - 若林駅 - 新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野坂上 - 東京医大病院 - 新宿駅西口(1993年から2013年3月31日まで)
- 宿91:駒沢陸橋 - 野沢銀座 - 上馬 - 若林駅 - 新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 杉並車庫
- 宿91:野沢銀座 - 上馬 - 若林駅 - 新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野坂上 - 東京医大病院 - 新宿駅西口(1984年2月16日から1993年まで)
- (138→)宿91:大森操車所 - 大森駅山王口 - 馬込銀座 - 馬込駅 - 夫婦坂 - 洗足駅入口 - 大岡山小学校 - 柿の木坂二丁目 - 野沢銀座 - 上馬 - 若林駅 - 新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野坂上 - 東京医大病院 - 新宿駅西口(1967年6月25日から1984年2月15日まで。東京急行電鉄駒沢営業所と共同運行)
東75→︵旧︶宿75系統
●︵300→︶東75‥東京駅南口 - 有楽町駅 - 日比谷 - 三宅坂 - 隼町 - 麹町四丁目 - 四谷駅 - 四谷三丁目 - 新宿三丁目 - 新宿追分 - 新宿駅西口 - 中野坂上- 東高円寺駅 - 杉並車庫 - 杉並区役所 - 荻窪駅 - 四面道 - 清水一丁目 - 清水操車所 ※こちらがメインで、平日1日50便運転されていた。 ●東75‥新宿駅西口 - 中野坂上 - 東高円寺駅 - 杉並車庫 - 杉並区役所 - 荻窪駅 - 四面道 - 荻窪警察署 - 善福寺 - 関町二丁目 - 東伏見 - 東伏見操車所 ※こちらは、梅70、宿73、91、王78の各系統と重複していたため便数は少なく、平日1日5便のみ運転されていた。 ●︵旧︶宿75‥新宿駅西口 - 中野坂上 - 東高円寺駅 - 杉並車庫 - 杉並区役所 - 荻窪駅 - 四面道 - 清水一丁目 - ︵清水操車所︶ ●︵旧︶宿75‥新宿駅西口 - 中野坂上 - 東高円寺駅 - 杉並車庫 - 杉並区役所 - 荻窪駅 - 四面道 - 桃井四丁目 - 荻窪警察署 - 善福寺 - 関町二丁目 - 東伏見 - 東伏見操車所[注釈 4] 新宿通りから杉並営業所の前を走る青梅街道へとひたすら走る長距離路線・300系統として開設された。1970年までは清水操車所から日比谷まで同一ルートで数寄屋橋から晴海通りをまっすぐ進み、晴海埠頭に達する支線の304系統も存在した︵前述︶。 荻窪駅以西は関東バスや西武バスのエリアだが、この路線は終始都営単独で運行され、地下鉄丸ノ内線の荻窪開業後も新宿以東から荻窪以遠への直通需要に支えられてきたが、第2次再建計画に伴う路線再編成により1977年︵昭和52年︶12月15日限りで東京駅 - 新宿駅間が廃止。初代・宿75︵新宿駅西口 - 清水操車所 / 東伏見操車所︶と系統番号を変えて運行を継続した。有楽町 - 新宿間は、並行路線の銀71系統が増便され代替となった︵前述︶。 改定後も、清水操車所までは平日1日61便の運転があったが、東伏見操車所行は改定後と同じ新宿駅西口始発であり、1日5便と運行本数が非常に少なかった。改定前の清水操車所までの便は、東京駅から運行されて直通の乗客が付いていた。ところが新宿打ち切りとしたことで乗客が一気に地下鉄や国鉄中央本線へと流れ、追加の路線再編成で廃止対象に挙がり1979年︵昭和54年︶11月22日限りで全線廃止となった。中77系統
●︵130→︶︵旧︶中77‥代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 蚕糸試験場前 - 中野駅北口(中野区役所前︶ - 中野五丁目 - 新井薬師駅前 - 哲学堂前 - 丸山車庫前 - 国立療養所中野病院東口 - 江原町二丁目 - 江古田駅前︵1977年12月15日まで。関東乗合自動車→関東バス丸山営業所と共同運行︶ ●中77‥新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野駅南口 - 中野区役所前 1957年、関東乗合自動車︵現‥関東バス︶と相互乗り入れの130系統として代田橋 - 中野駅 - 江古田駅に運転開始。1972年に系統番号が整理され中77系統となった。都営バスの練馬営業所の運用による池65系統と、哲学堂前から江古田三丁目まで、同じ道を運行するが、池65系統は停車しない関東バスの丸山営業所の停留所に、共通路線のため丸山車庫前として停車していた。高79系統
1957年(昭和32年)、9系統として営業を開始。後に京王帝都電鉄(現:京王バス東)が新規参入して136系統になる。1971年(昭和46年)8月31日限りで京王が撤退。都営は高79と系統番号を改めてそのまま存続したが、交通局第2次再建計画に伴う路線再編成により1977年(昭和52年)12月15日限りで廃止、高円寺駅(※王78系統の高円寺駅入口は存続)前から都営バスが消滅した。その後2014年(平成26年)、佼成病院が杉並区和田へ移転する際に当路線の経路が京王バス東の高46高円寺駅 - 杏林大学杉並病院線として、一部区間ながらも37年ぶりに別会社で復活を果たした。
京王も元は高円寺駅前に乗り入れる路線があった。
305系統
- 305:新宿駅西口 - 荻窪駅 - 田無駅入口 - 南街(※現梅70南街入口) - 貯水池下 - 箱根ケ崎 - 青梅駅 - 二俣尾 - 御嶽駅 - 川井駅 - 鳩ノ巣 - 氷川駅(現:奥多摩駅)- 奥多摩湖(奥多摩振興バス→西東京バス青梅営業所と共同運行)
1960年(昭和35年)7月に運行開始。全長71.576 kmと都営バス歴代最長路線で、ほぼ全区間に渡って青梅街道を走行した。3 - 11月休日の1往復のみ(新宿駅8:00発、奥多摩湖発18:00)の運行で、快速便とされ上記の停留所のみの停車であった。もう一便は、奥多摩振興バスによる。
国鉄青梅線の利便性が上がり、加えてモータリゼーションの進行とそれに伴う渋滞悪化で、1970年(昭和45年)11月の運行を最後に運行休止。正式には翌1971年(昭和46年)3月31日限りで廃止された。青梅駅から御嶽駅にかけての都営バス路線は、1990年(平成2年)7月に土曜・休日のみ運行の梅01系統が設定されたことにより19年ぶりに復活した。
深夜中距離バス
- 701:西銀座 → 四谷三丁目 → 新宿駅東口 → 新宿駅西口 → 荻窪駅北口(1969年から1974年まで。関東バス青梅街道営業所と共同運行)
- 深夜中距離:銀座 → 四谷三丁目 → 新宿駅東口 → 新宿駅西口 → 荻窪駅北口 → 北裏 → 三鷹駅(関東バス武蔵野営業所と共同運行)
車両
車掌の廃止、ワンマン化のための準備で、ワンマン運転に対応した車体を架装したバスが、初配置された営業所の一つであった。日野自動車のRB10形に、富士重工業のR13形の車体を載せ、中引戸で、車掌台が設置されているが、前にも折戸を設置した。全面の上部が傾斜している車体であったので、折戸の前半分の上部は、斜めにカットされて、はまる窓硝子も三角形をしていたのが特徴であった。この試作車体の成功により、他社の車輌でも、ワンマン運転を行える前折戸が設置されるようになった。日野自動車RB10の増備と、他営業所用に、日産ディーゼルの4R93、4R94等にも同じ富士重工業R13形の車体が架装された。他社製の車輌、車体もワンマン運転可能な車体が架装されることになった。(都営交通50年誌、都営バス90年史参照)
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脚注
注釈
出典
参考文献
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- 都営バス系統案内図
- 都バス担当(系統)営業所一覧表
- 方面別新旧系統一覧表(以上、東京都交通局発行、1972年12月1日版)
- 都営交通路線案内図(東京都交通局発行、1978年版)