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|生没年=生没年:[[4月8日 (旧暦)|旧暦4月8日]]誕生([[灌仏会]]、伝承による)<ref>{{Cite web|和書|url=https://jodo.or.jp/everyday/event/kanbutsue/|title=4月8日 灌仏会(かんぶつえ=花まつり)|accessdate=2021-04-08}}</ref> - [[2月15日 (旧暦)|旧暦2月15日]]没([[涅槃会]]、伝承による) |
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ガウタマ([[ゴートラ]])は{{仮リンク|アーンギラサ族|en|Angiras Brahmin}}({{lang-pi-short|aṅgīrasa}})の[[リシ]]の[[ガウタマ (リシ)|ガウタマ]]の後裔を意味する姓であり、この姓を持つ一族は[[バラモン]]である。[[クシャトリア]]のシャーキャ族である釈迦の姓がガウタマであることは不自然であり、先祖が養子だったとする説などがある<ref>{{Google books|KvpTvxyDiHUC|title=The Life of Buddha as Legend and History|page=23}}</ref>。 |
ガウタマ([[ゴートラ]])は{{仮リンク|アーンギラサ族|en|Angiras Brahmin}}({{lang-pi-short|aṅgīrasa}})の[[リシ]]の[[ガウタマ (リシ)|ガウタマ]]の後裔を意味する姓であり、この姓を持つ一族は[[バラモン]]である。[[クシャトリア]]のシャーキャ族である釈迦の姓がガウタマであることは不自然であり、先祖が養子だったとする説などがある<ref>{{Google books|KvpTvxyDiHUC|title=The Life of Buddha as Legend and History|page=23}}</ref>。 |
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名のシッダールタは、古い仏典に言及が |
名のシッダールタは、古い仏典に言及が無いこと、意味が「目的を達成した人」と出来過ぎていることから、後世に付けられた名前とする説がある<ref>[[岩本裕]], {{Google books|B7kJAQAAMAAJ|title=仏教の内相と外相|page=207}}{{quote|佛伝文学によると,幼少時代の名をシッダールタといったと伝えられ,漢訳佛典では悉達とか悉達多などの写音が見られるが,この名は「目的を達成した人」という意味であるので,恐らくは後世の命名であると考えられる。}}</ref><ref>[[春日井真也]], {{Google books|p24cAQAAMAAJ|title=インド仏教文化の学際的研究|page=199}}{{quote|またシッダールタ(悉達多)は釈尊の個人名であったと一般に伝えられているが、それは「目的を達成せる」「義を成した」という意味であるが、古い聖典にはこの名は現れて来ないので、後代の信者達が奉った尊称ではないかという疑いをもたれるのである。}}</ref>。 |
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===尊称・敬称・異名=== |
===尊称・敬称・異名=== |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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釈迦について同時代の一次史料は乏しく、釈迦の |
釈迦について同時代の一次史料は乏しく、釈迦の人種さえ不明である。 |
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釈迦の死後に成立した経典が伝える釈迦の生涯いわゆる仏伝は、説話的な色彩が濃いうえに、後世の信仰や教義を釈迦の生涯と結びつけようとする傾向があるため、実在の人物としての釈迦の生涯を知る上では注意して取り扱わなければならない。 |
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: 仏教学者の[[中村元 (哲学者)|中村元]]や[[植木雅俊]]によれば、釈迦は生前﹁仏教という特殊な宗教﹂を説かず、教義︵ドグマ︶をもつこと自体を否定した︵[[仏教#教義]]︶。[[並川孝儀]]によれば、仏教の修行法や教義は釈迦の死後に、
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:: 最古層経典:修行法はほぼ「戒」や「定」や「慧」に該当する内容で占められる。 |
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例えば、近年の研究では仏教の修行法や教義は釈迦の死後に、 |
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* 最古層経典:修行法はほぼ「戒」や「定」や「慧」に該当する内容で占められる。 |
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* 新層経典:新たに「四念処」「四正勤」「四神足」「五力」「七覚支」という修行法が説かれる。 |
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: ところが、伝統仏教の仏伝では、釈迦は「[[初転法輪]]」の段階で(現代の研究成果では釈迦の死後に成立したとされる)[[四諦]]や[[八正道]]を説いたとするなど、学界の見解と矛盾する記述が多い。本項の以下の記述も伝統仏教の信仰的説話(後世の創作)と史実の境界線が曖昧である点に留意されたい。 |
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⚫ | と段階的に発展してきた(並川2023a<ref name="並川2023a">並川 孝儀「初期韻文経典にみる修行に関する説示 : 三十七道品と三界」(小野田俊蔵教授 本庄良文教授古稀記念号)佛教大学仏教学会紀要 28 1-21, 2023-03-25</ref>,p.14)。ところが、仏伝では釈迦は「[[初転法輪]]」の段階で(後年成立したはずの)[[四諦]]や[[八正道]]を説いたとしている。 |
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本項の以下の記述は、伝統仏教の信仰的説話(後世の創作)の内容を含むものである。 |
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=== 四住期 === |
=== 四住期 === |
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釈迦族の王族として生まれた釈迦は、あとつぎの男子をもうけたあと、29歳で王族の地位を捨て、林間で修行し、悟りを開き、布教の旅に出て、遊行の身のまま世を去った。古代インドの人生の理想﹁[[ヒンドゥー教#四住期|四住期]]﹂︵梵: āśrama︶の考えかたにのっとった人生であった。
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[[釈迦族]]の王族として生まれた釈迦は、あとつぎの男子をもうけたあと、29歳で王族の地位を捨て、林間で修行し、悟りを開き、布教の旅に出て、遊行の身のまま世を去った。古代インドの人生の理想﹁[[ヒンドゥー教#四住期|四住期]]﹂︵梵: āśrama︶の考えかたにのっとった人生であった。
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=== 誕生から青年期 === |
=== 誕生から青年期 === |
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[[File:Śākyamuni coming out of the mountains.jpg|thumb|right|6年の苦行の後に山から出てくる釈迦を表した像。[[室町時代]]の15世紀から16世紀の作。[[奈良国立博物館]]蔵。]] |
[[File:Śākyamuni coming out of the mountains.jpg|thumb|right|6年の苦行の後に山から出てくる釈迦を表した像。[[室町時代]]の15世紀から16世紀の作。[[奈良国立博物館]]蔵。]] |
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そして{{仮リンク|ウルヴェーラー|hi|उरुवेला}}の林へ入ると、父のシュッドーダナは、シッダールタの警護も兼ねて五人の沙門︵のちの[[五比丘]]︶を同行させた。その後6年の間に様々な[[苦行]]を行った{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}<ref name=maru />。[[断食]]修行でわずかな水と豆類などで何日も過ごした<ref name=mn20bohdi />。断食行 |
そして{{仮リンク|ウルヴェーラー|hi|उरुवेला}}の林へ入ると、父のシュッドーダナは、シッダールタの警護も兼ねて五人の沙門︵のちの[[五比丘]]︶を同行させた。その後6年の間に様々な[[苦行]]を行った{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}<ref name=maru />。[[断食]]修行でわずかな水と豆類などで何日も過ごした<ref name=mn20bohdi />。断食修行によりシッダールダの心身は消耗し、骨と皮のみのやせ細った肉体となっていた<ref name=mn20bohdi />。
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{{Cquote| |
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しかし[[スジャーター]]の施しを得たことで(乳粥供養)、過度の快楽が不適切であるのと同様に、極端な苦行も不適切であると悟ってシッダールタは苦行をやめた('''苦行放棄'''){{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}<ref name=mn20bohdi />。その際、五人の沙門はシッダールタを堕落者と誹り<ref name=mn20bohdi />{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}<ref name="maru" />、彼をおいて{{要出典範囲|[[ワーラーナシー]]の[[サールナート]]へ|date=2017年10月27日 (金) 09:59 (UTC)|title=}}去った{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}。 |
しかし[[スジャーター]]の施しを得たことで(乳粥供養)、過度の快楽が不適切であるのと同様に、極端な苦行も不適切であると悟ってシッダールタは苦行をやめた('''苦行放棄'''){{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}<ref name=mn20bohdi />。その際、五人の沙門はシッダールタを堕落者と誹り<ref name=mn20bohdi />{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}<ref name="maru" />、彼をおいて{{要出典範囲|[[ワーラーナシー]]の[[サールナート]]へ|date=2017年10月27日 (金) 09:59 (UTC)|title=}}去った{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=595-599}}。 |
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=== 悟り === |
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=== 漫画 === |
=== 漫画 === |
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* [[梅村真也]] 『[[終末のワルキューレ]]』 |
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* 『[[釈迦 (映画)|釈迦]]』 ([[1961年]]、[[大映 (映画)|大映]] 釈迦役: [[本郷功次郎]]) |
* 『[[釈迦 (映画)|釈迦]]』 ([[1961年]]、[[大映 (映画)|大映]] 釈迦役: [[本郷功次郎]]) |
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* 『[[リトル・ブッダ]]』([[1993年]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]] 釈迦役: [[キアヌ・リーブス]]) |
* 『[[リトル・ブッダ]]』([[1993年]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]] 釈迦役: [[キアヌ・リーブス]]) |
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=== 写真 === |
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* 「[http://www.raichosha.co.jp/book/photo/ph121.html ほとけの乙女 ミャンマーの仏塔・寺院と少女たち]」[[武壮隆志|むそうたかし]]著 |
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=== 音楽 === |
=== 音楽 === |
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* {{Cite book |和書 |author=中村元他|authorlink=中村元 (哲学者) |year=1989 |title=岩波仏教辞典 |edition=第2版 |publisher=岩波書店 |isbn=4-00-080072-8 |ref={{SfnRef|岩波仏教辞典第2版|1989}} }} |
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*{{Cite book|和書|author=渡辺照宏|authorlink=渡辺照宏|year=2005|month=8|title=新釈尊伝|series=ちくま学芸文庫|publisher=筑摩書房|isbn=4-480-08928-4|ref=渡辺2005}}元版・大法輪閣 |
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*{{Cite book | surname1 = Oldenburg | given1 = Hermann | year = 1882 | title = Buddha: His Life, His Doctrine and His Order | publisher = Williams and Norgate | ref = Oldenburg1882}} |
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*『釈尊のご生涯とみ教え』発行所・全日本仏教青年会、発行人・冨士玄峰 、2012年5月。ISBN 978-4-9906267-0-9 http://www.kobe-myousenji.jp/seiten.htm |
*『釈尊のご生涯とみ教え』発行所・全日本仏教青年会、発行人・冨士玄峰 、2012年5月。ISBN 978-4-9906267-0-9 http://www.kobe-myousenji.jp/seiten.htm |
2024年6月23日 (日) 06:32時点における最新版
釈迦 | |
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生没年:旧暦4月8日誕生(灌仏会、伝承による)[1] - 旧暦2月15日没(涅槃会、伝承による) | |
![]() サールナート考古博物館のブッダ像 | |
生地 | コーサラ国カピラヴァストゥ |
没地 | マッラ国クシナガラ |
弟子 |
舎利弗・摩訶目犍連・摩訶迦葉 須菩提・富楼那弥多羅尼子 摩訶迦旃延・阿那律・優波離 羅睺羅・阿難 |
ガウタマ・シッダールタ गौतम सिद्धार्थ | |
---|---|
王太子 | |
在位 | 紀元前624年 - 紀元前595年(諸説あり) |
人種 | アーリア人ないしモンゴル系人種[2][3] |
出生 |
紀元前624年4月8日 ルンビニー |
死去 |
紀元前544年2月15日[4] クシナーラー |
配偶者 | 耶輸陀羅 |
家名 | 釈迦族 |
父親 | 浄飯王 |
母親 | 摩耶夫人 |
宗教 | 仏教 |
釈迦 | |||||||||||||||||||||
![]() | |||||||||||||||||||||
中国語 | |||||||||||||||||||||
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繁体字 | 釋迦牟尼 | ||||||||||||||||||||
簡体字 | 释迦牟尼 | ||||||||||||||||||||
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朝鮮語 | |||||||||||||||||||||
ハングル | 석가모니 | ||||||||||||||||||||
漢字 | 釋迦牟尼 | ||||||||||||||||||||
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ベトナム語 | |||||||||||||||||||||
クオック・グー | Tất-đạt-đa Cồ-đàm | ||||||||||||||||||||
チュノム | 悉達多瞿曇 | ||||||||||||||||||||
タイ語 | |||||||||||||||||||||
タイ語 | พระโคตมพุทธเจ้า | ||||||||||||||||||||
RTGS | Phra Khotama Phuttha Chao | ||||||||||||||||||||
インドネシア語 | |||||||||||||||||||||
インドネシア語 | Siddhartha Gautama | ||||||||||||||||||||
ビルマ語 | |||||||||||||||||||||
ビルマ語 | ဂေါတမ ဗုဒ္ဓ | ||||||||||||||||||||
ヒンディー語 | |||||||||||||||||||||
ヒンディー語 | गौतम बुद्ध |
名前と呼称[編集]
﹁釈迦﹂[編集]
シャーキヤ︵梵: शाक्य Śākya︶は、釈迦の出身部族であるシャーキヤ族[6]またはその領国である、シャーキヤ国を指す名称である。﹁釈迦﹂はシャーキヤを音写[6]したものであり、旧字体では釋迦である[9]。 シャーキヤムニ︵梵: शाक्यमुनि Śākyamuni︶はサンスクリットで﹁シャーキヤ族の聖者﹂という意味の尊称であり、これを音写した釈迦牟尼/釈迦牟尼仏︵しゃかむに/〃ぶつ︶[10]を省略して﹁釈迦﹂と呼ばれるようになった[6]。天台宗や、臨済宗をはじめとする禅宗などで多く唱えられる念仏である﹁南無釈迦牟尼仏﹂も南無は﹁あなたにおまかせする﹂という意であるため﹁釈迦牟尼仏にすべてお任せします﹂という意味である[11][出典無効][12][出典無効]。姓名[編集]
パーリ仏典では、釈迦の父方の従兄弟・アーナンダもゴータマと呼ばれており、釈迦の母のマーヤーと母方の叔母で養母のマハー・プラジャーパティーはゴータマの女性形であるゴータミー︵巴: Gotamī︶と呼ばれている[13][14][15]。尊称・敬称・異名[編集]
生涯[編集]
釈迦について同時代の一次史料は乏しく、釈迦の人種さえ不明である。 釈迦の死後に成立した経典が伝える釈迦の生涯いわゆる仏伝は、説話的な色彩が濃いうえに、後世の信仰や教義を釈迦の生涯と結びつけようとする傾向があるため、実在の人物としての釈迦の生涯を知る上では注意して取り扱わなければならない。 例えば、近年の研究では仏教の修行法や教義は釈迦の死後に、 ●最古層経典‥修行法はほぼ﹁戒﹂や﹁定﹂や﹁慧﹂に該当する内容で占められる。 ●古層経典‥新たな修行法もみられるようになる。その代表的な修行法が七種の修行法︵三十七道品︶である。中でも﹁五根﹂が最も早くみられ、続いて﹁八正道︵八聖道︶﹂が﹁四諦︵四聖諦︶﹂と一体で説かれる。 ●新層経典‥新たに﹁四念処﹂﹁四正勤﹂﹁四神足﹂﹁五力﹂﹁七覚支﹂という修行法が説かれる。 と段階的に発展してきた(並川2023a[30],p.14)。ところが、仏伝では釈迦は﹁初転法輪﹂の段階で︵後年成立したはずの︶四諦や八正道を説いたとしている。 本項の以下の記述は、伝統仏教の信仰的説話︵後世の創作︶の内容を含むものである。四住期[編集]
釈迦族の王族として生まれた釈迦は、あとつぎの男子をもうけたあと、29歳で王族の地位を捨て、林間で修行し、悟りを開き、布教の旅に出て、遊行の身のまま世を去った。古代インドの人生の理想﹁四住期﹂︵梵: āśrama︶の考えかたにのっとった人生であった。誕生から青年期[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Ancient_india.png/250px-Ancient_india.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/31/Dream_Queen_Maya_BM_OA_1932.7-9.1.jpg/220px-Dream_Queen_Maya_BM_OA_1932.7-9.1.jpg)
出家[編集]
当時のインドでは沙門といった修行者が出現し、後にジャイナ教の始祖となったマハーヴィーラを輩出するニガンタ派をはじめとして、順世派などのヴェーダの権威を認めないナースティカが、アーリア人による伝統的価値観とは異なる新思想運動を展開していた[35]。「 | なぜ私は、みずから生の法(ダルマ)を有する者でありながら生まれるものを求め、みずから老の法を有する者でありながら老いるものを求め、みずから病の法を有する者でありながら病めるものを求め、みずから死の法を有する者でありながら死ぬものを求め、みずから憂の法を有する者でありながら憂いを求め、 みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩を求めているのだろうかと。[38][39] | 」 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/de/%C5%9A%C4%81kyamuni_coming_out_of_the_mountains.jpg/220px-%C5%9A%C4%81kyamuni_coming_out_of_the_mountains.jpg)
「 |
私はこれらの辛い苦行によっても、人法を超えた聖なる智見殊勝を証得しなかった。菩提のためには、別の道があるのではないだろうか。[41] |
」 |
悟り[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b1/Mahabodhitree.jpg/220px-Mahabodhitree.jpg)
「 |
解脱したとき、「解脱した」という智が生じました。 |
」 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9a/Five_disciples_at_Sarnath.jpg/220px-Five_disciples_at_Sarnath.jpg)
教化と伝道[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5d/Vulturepeak1.jpg/220px-Vulturepeak1.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/91/Venuvana.jpg/220px-Venuvana.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c3/Jetavana.jpg/220px-Jetavana.jpg)
死までの1年間[編集]
「 | アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。たとえば古ぼけた荷車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。[48] | 」 |
最晩年の記録[編集]
シャーキャ国の滅亡[編集]
涅槃の前年の雨期は舎衛国の祇園精舎で安居が開かれた。釈迦最後の伝道はラージャグリハの竹林精舎から始められたといわれている。 プラセーナジットの王子ヴィドゥーダバが挙兵して王位を簒奪した。そこでプラセーナジットは、やむなく王女が嫁していたマガダ国のアジャータシャトルを頼って向かったが、城門に達する直前に死んだ。 ヴィドゥーダバは即位後、即座にカピラヴァストゥの攻略に向かった。この時、釈迦はまだカピラヴァストゥに残っていた。釈迦は、故国を急襲する軍を、道筋の樹下に座って三度阻止したが、宿因の止め難きを覚り、四度目にしてついにカピラヴァストゥは攻略された。 その後、このヴィドゥーダバも河で戦勝の宴の最中に洪水または落雷によって死んだ。 釈迦はカピラヴァストゥから南下してラージャグリハに着き、しばらく留まった。自灯明・法灯明[編集]
釈迦は多くの弟子を従え、ラージャグリハから最後の旅に出た。アンバラッティカ(巴: ambalaṭṭhika︶へ、ナーランダを通ってパータリ村(後のパータリプトラ)に着いた。ここで釈迦は破戒の損失と持戒の利益とを説いた。 パータリプトラを後にして、増水していたガンジス河を渡り、コーティ村に着いた。 次に釈迦は、ナーディカ村を訪れた。ここで亡くなった人々の運命について、アーナンダの質問に答えながら、人々に、三悪趣が滅し預流果の境地に至ったか否かを知る基準となるものとして法の鏡の説法をする。次にヴァイシャーリーに着いた。ここはヴァッジ国の首都であり、アンバパーリーという遊女が所有するマンゴー林に滞在し、四念処や三学を説いた。やがてここを去ってベールヴァ(Beluva)村に進み、ここで最後の雨期を過ごすことになる。釈迦はここでアーナンダなどとともに安居に入り、他の弟子たちはそれぞれ縁故を求めて安居に入った。 この時、釈迦は死に瀕するような大病にかかった。しかし、雨期の終わる頃には気力を回復した。この時、アーナンダは釈迦の病の治ったことを喜んだ後、﹁師が比丘僧伽のことについて何かを遺言しないうちは亡くなるはずはないと、心を安らかに持つことができました﹂と言った。これについて釈迦は、「 | 比丘僧伽は私に何を期待するのか。私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。アーナンダよ、如来の教法には、(弟子に何かを隠すというような)教師の握り拳(ācariyamuṭṭhi、秘密の奥義)はない。[49] | 」 |
と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示した。
「 | アーナンダよ、汝らは、自(みずか)らを灯明とし、自らをより処として、他のもの(añña)をより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とすることのないように[49] | 」 |
と訓戒し、また、「自らを灯明とすこと・法を灯明とすること」とは具体的にどういうことかについて、
「 | ではアーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し(anupassī)、熱心につとめ(ātāpī)、明確に理解し(sampajāno)、よく気をつけていて(satimā)、世界における欲と憂いを捨て去るべきである。[49] | 」 |
「 | アーナンダよ、このようにして、比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである[49] | 」 |
として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた。
これが有名な「自灯明・法灯明」の教えである。
入滅[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c4/Nirvana_buddha_peshawar.jpg/220px-Nirvana_buddha_peshawar.jpg)
「 | 」 |
「 | 」 |
死後[編集]
生涯についての歴史学的検証[編集]
釈迦の生涯に関しては、釈迦と同時代の原資料の確定が困難で、一時期はその史的存在さえも疑われたことがあった。 阿含経典群のうち、いずれが古層であるかについて、中村元はパーリ仏典の﹃スッタニパータ﹄の韻文部分が恐らく最も成立が古いとし[54]、日本の学会では大筋においてこの説を踏襲している。文献[編集]
釈迦の生涯を伝える経典[編集]
注:以下︹大正︺とは、大正新脩大蔵経のこと。 ●修行本起経 ︹大正・3・461︺ ●瑞応本起経 ︹大正・3・472︺ - これらは錠光仏の物語から三迦葉が釈尊に帰依するところまでの伝記を記している。 ●過去現在因果経 ︹大正・3・620︺ - 普光如来の物語をはじめとして舎利弗、目連の帰仏までの伝記。 ●中本起経 ︹大正・4・147︺ - 成道から晩年までの後半生について説く。 ●仏説衆許摩房帝経 ︹大正・3・932︺ ●仏本行集経 ︹大正・3・655︺ - これらは仏弟子の因縁などを述べ、仏伝としては成道後の母国の教化まで。 ●十二遊経 ︹大正・4・146︺ - 成道後十二年間の伝記。 ●方広大荘厳経︵普曜経︶ - これらは大乗の仏伝としての特徴をもっている[要出典]。 ●仏所行讃 ︹大正・4・1︺(梵‥Buddha-carita) 馬鳴著 ●マハーヴァストゥ ●遊行経 ﹃長阿含経﹄中 ●仏般泥洹経 白法祖訳 ●大般涅槃経 法賢訳 - 以上3件は、釈尊入滅前後の事情を述べたもの。 ●﹃自説経︵ウダーナ︶﹄ - パーリ語による仏典[注釈 7]。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bb/Ashoka_Pillar%2C_Lumbini.jpg/220px-Ashoka_Pillar%2C_Lumbini.jpg)
遺跡[編集]
ルンビニ[編集]
1868年、ドイツ人の考古学者アロイス・アントン・フューラーがネパールの南部にあるバダリアで遺跡を発見した。そこで出土した石柱には、ブラーフミー文字で、﹁アショーカ王が即位後20年を経て、自らここに来て祭りを行った。ここでブッダ釈迦牟尼が誕生されたからである﹂と刻まれており、同地が仏教巡礼の八大聖地のひとつ、釈迦の生誕地ルンビニだとわかった。カピラヴァストゥ[編集]
シャーキャの都であり釈迦の故郷であるカピラヴァストゥは、法顕が5世紀に、玄奘が7世紀に訪れてそれについて書いたように、釈迦の死後1000年ほどは仏教徒の巡礼の地であったという。だがその後、この地域で仏教は影響力を失い、ヒンドゥー教やイスラム教にとってかわられ、釈迦のことは語られなくなり、やがて14世紀ごろにはカピラヴァストゥの正確な場所が分からなくなった。 ネパール中南部のティロリコートと、インド側ではネパールとの国境に近いウッタル・プラデーシュ州バスティ県のピプラーワーの両遺跡がカピラヴァストゥと推定され、ネパール側とインド側で、位置を巡って論争になっている。生没年[編集]
釈迦の没年は、アショーカ王の即位年(紀元前268年ごろ)を基準に推定されている。しかし、釈迦の死後何年がアショーカ王の即位年であるかは典拠によって違いがあり、特に北伝仏教と南伝仏教の経典で100年以上の差があるが、いずれが正確であるかを具体的に確認する術はない[注釈 8]。 宇井伯寿や中村元は北伝仏教の経典に基づき、タイやスリランカなど東南アジア・南アジアの仏教国や欧米の学者の多くは南伝仏教の経典(パーリ経典)に基づいて没年を推定している。一方、﹃大般涅槃経﹄その他いずれの典拠においても釈迦が80歳で死去したとする記述は共通しているため、没年を決定できれば自動的に生年も導けることになる。 主な推定生没年は、 ●紀元前1029年 - 紀元前949年 : ﹁正法眼蔵﹂による説 ●紀元前624年 - 紀元前544年 : 南伝仏教による説 ●紀元前565年 - 紀元前486年 : 北伝仏教の﹃衆聖点記﹄による説 ※数え年で80歳、満年齢で79年間となる ●紀元前466年 - 紀元前386年 : 宇井説 ●紀元前463年 - 紀元前383年 : 中村説 等があるが、他にも様々な説がある[注釈 9]。 考古学による調査結果からの推定もあり、2013年にルンビニで紀元前6世紀の仏教寺院の遺構が見付かったと報道された[59]。この遺構の年代が正確であれば、釈迦は遅くとも紀元前6世紀またはそれ以前に存命していたことが確実となり、釈迦の生年を紀元前5世紀とする宇井説や中村説は否定されることになる。ただし、問題の遺構は必ずしも仏教寺院のものとは限らないとする反論もある[60]。評価[編集]
他宗教[編集]
上座部仏教では、釈迦は現世における唯一の仏とみなされている。最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。一方、大乗仏教では、釈迦は無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆の仏であると解釈された。また、後の三身説では応身として、仏が現世の人々の前に現れた姿であるとする。マルコ・ポーロ[編集]
マルコ・ポーロの体験を記録した﹃東方見聞録﹄においては、釈迦の事を﹁彼の生き方の清らかさから、もしキリスト教徒であればイエスにかしずく聖人になっていただろう﹂[64]あるいは、﹁もし彼がキリスト教徒であったなら、きっと彼はわが主イエス・キリストと並ぶ偉大な聖者となったにちがいないであろう﹂[65]としている。また﹃東方見聞録﹄の記述では仏教という言葉は無く、アブラハムの宗教以外の宗教は全て﹁偶像崇拝教﹂と記述されているが、その偶像崇拝の起源は、釈迦の死後にその生前の姿を作ったのものとしている。釈迦はマルコ・ポーロの時代より1世紀前に、ローマ教会よりヨサファトの名で聖人として加えられていた︵仏教とキリスト教︶が、マルコ・ポーロはそんな事はまったく知らなかった[66]。釈迦の像[編集]
初期の仏教では釈迦の姿を直接描くことは忌避されていた。そのためいわゆる仏像が制作されることはなく、釈迦の生涯が描かれる際も﹁7つの足跡︵誕生の場面︶﹂﹁人の乗っていない馬︵出家の場面︶﹂など、釈迦のみが透明になったかのような情景描写がされている。 仏像が作られるようになったのはヘレニズムの影響によるものである。そのため初期のガンダーラ系仏像は、意匠的にもギリシアの影響が大きい。しかし、ほぼ同時期に彫塑が開始されたマトゥラーの仏像は,先行するバラモン教や地主神に相通ずる意匠を有しており,現在にも続く仏像の意匠の発祥ともいえる。 ラホール博物館[67]︵ラホール︶には苦行する釈迦の像が所蔵されている[68]。釈迦を題材にした作品[編集]
小説[編集]
漫画[編集]
映画[編集]
- 『亜細亜の光』 (原題: "DIE LEUCHTE ASIENS" 1925年、ドイツ)
- 『釈迦』 (1961年、大映 釈迦役: 本郷功次郎)
- 『リトル・ブッダ』(1993年、アメリカ 釈迦役: キアヌ・リーブス)
写真[編集]
音楽[編集]
演劇[編集]
- ニコス・カザンザキス 『仏陀』
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
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参考文献[編集]
●﹃ブッダ最後の旅 - 大パリニッバーナ経 -﹄中村元訳注・解説、岩波書店︿岩波文庫 青325-1﹀、1980年6月16日。ISBN 4-00-333251-2。 ●﹃ブッダのことば スッタニパータ﹄中村元訳注・解説、岩波書店︿岩波文庫 青301-1﹀、1984年5月16日。ISBN 4-00-333011-0。 ●中村元﹃ゴータマ・ブッダ 原始仏教1 1﹄春秋社︿中村元選集 決定版 第11巻﹀、1992年2月。ISBN 4-393-31211-2。 ●平川彰﹃インド仏教史﹄ 上巻、春秋社、1974年。 ●マルコ・ポーロ﹃驚異の書 マルコ・ポーロ 東方見聞録﹄辻佐保子・樺山紘一・月村辰雄日本版監修、月村辰雄ほか訳、岩波書店、1998年2月16日。ISBN 4-00-008191-8。 ●マルコ・ポーロ﹃完訳 東方見聞録﹄ 第2巻、愛宕松男訳注、平凡社︿平凡社ライブラリー﹀、2000年2月。ISBN 4-582-76327-8。 ●中村元他﹃岩波仏教辞典﹄︵第2版︶岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。 ●中村元、三枝充悳﹃バウッダ﹄講談社学術文庫、2009年。ISBN 978-4-06-291973-9。 ●中村元﹃ブッダ伝 生涯と思想﹄角川書店︿角川ソフィア文庫﹀、2015年。ISBN 978-4-04-408914-6。 ●総合仏教大辞典編集委員会︵編︶﹃総合仏教大辞典﹄法蔵館、1988年1月。ISBN 4831870609。 ●廣澤隆之 監修﹃一冊でわかるイラストでわかる図解仏教﹄成美堂出版、2014年。ISBN 9784415111865。 ●櫻部建﹃倶舎論﹄大蔵出版、1981年。ISBN 978-4-8043-5441-5。 ●高森顕徹 監修﹃歎異抄ってなんだろう﹄1万年堂出版、2021年。ISBN 978-4866260716。関連文献[編集]
●中村元﹃原始仏教 その思想と生活﹄日本放送出版協会︿NHKブックス﹀、1970年。ISBN 4-14-001111-4。 ●中村元﹃ゴータマ・ブッダⅡ 原始仏教﹄春秋社︿決定版 中村元選集 第12巻﹀、1992年5月。ISBN 4-393-31212-0。 ●中村元﹃ゴータマ・ブッダ 普及版﹄春秋社︵上中下︶、2012年8月 ●中村元﹃釈尊の生涯﹄平凡社ライブラリー、2003年9月。ISBN 4-582-76478-9。新版解説玄侑宗久 ●並川孝儀﹃スッタニパータ 仏教最古の世界﹄岩波書店︿書物誕生﹀、2008年12月。ISBN 4-00-028285-9。 ●並川孝儀﹃ゴータマ・ブッダ 縁起という﹁苦の生滅システム﹂の源泉﹄佼成出版社、2010年10月。ISBN 4-333-02467-6。 ●羽矢辰夫﹃ゴータマ・ブッダ﹄春秋社、1999年5月。ISBN 4-393-13297-1。 ●羽矢辰夫﹃ゴータマ・ブッダの仏教﹄春秋社、2003年12月。ISBN 4-393-13514-8。 ●早島鏡正﹃ゴータマ・ブッダ﹄講談社学術文庫、1990年4月。ISBN 4-061-58922-9。元版﹃ゴータマ・ブッダ 人類の知的遺産3﹄講談社 ●増谷文雄﹃この人を見よ ブッダ・ゴータマの生涯/ブッダ・ゴータマの弟子たち﹄佼成出版社︿増谷文雄名著選﹀、2006年2月。ISBN 4-333-02193-6。 ●水野弘元﹃釈尊の生涯﹄︵新装版︶春秋社、1985年6月。ISBN 4-393-13701-9。 ●水野弘元﹃原始仏教入門 釈尊の生涯と思想から﹄佼成出版社、2009年8月。ISBN 978-4-333-02395-0。元版﹃釈尊の生涯と思想﹄平成元年(1989)刊 ●宮元啓一﹃仏教誕生﹄講談社学術文庫、2012年3月。ISBN 4-06-292102-2。元版・ちくま新書、1995年12月 ●宮元啓一﹃ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ﹄春秋社、2004年11月。ISBN 4-393-13520-2。 ●宮元啓一﹃ブッダが考えたこと 仏教のはじまりを読む﹄角川ソフィア文庫、2015年10月。ISBN 4-04-408917-5。新版 ●宮元啓一﹃仏教かく始まりき パーリ仏典﹃大品﹄を読む﹄春秋社、2005年11月。ISBN 4-393-13537-7。 ●渡辺照宏﹃新釈尊伝﹄筑摩書房︿ちくま学芸文庫﹀、2005年8月。ISBN 4-480-08928-4。元版・大法輪閣 ●中村元、三枝充悳﹃バウッダ︵佛教︶﹄講談社学術文庫、2009年。ISBN 978-4062919739。 ●Oldenburg, Hermann (1882). Buddha: His Life, His Doctrine and His Order. Williams and Norgate ●﹃釈尊のご生涯とみ教え﹄発行所・全日本仏教青年会、発行人・冨士玄峰 、2012年5月。ISBN 978-4-9906267-0-9 http://www.kobe-myousenji.jp/seiten.htm関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 釈迦 - 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク)
- 世界大百科事典 第2版『釈迦』 - コトバンク
- 中央学術研究所 原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究
- Buddha - スタンフォード哲学百科事典「釈迦」の項目。
- 佐々木閑「ブッダの一生」(動画)