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タンザニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タンザニア連合共和国
Jamhuri ya Muungano wa Tanzania (スワヒリ語)
United Republic of Tanzania (英語)
タンザニアの国旗 タンザニアの国章
国旗 (国章)
国の標語:Uhuru na Umoja
スワヒリ語: "自由と統一")
国歌Mungu ibariki Afrika(スワヒリ語)
神よ、アフリカに祝福を
タンザニアの位置
公用語 スワヒリ語(国語、公用語)、英語(公用語)[1] [2]
首都 ドドマ
最大の都市 ダルエスサラーム
政府
大統領 サミア・スルフ・ハッサン
副大統領英語版 フィリップ・ムパンゴ英語版
首相カシム・マジャリワ英語版
面積
総計 945,087km230位
水面積率 6.2%
人口
総計(2022年 63,852,892[3]人(23位)(ザンジバルを含む)
人口密度 67.6人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年 148兆5221億1100万[4]タンザニア・シリング
GDP(MER
合計(2020年644億300万[4]ドル(71位
1人あたり 1110.37(推計)2[4]ドル
GDP(PPP
合計(2020年1696億8900万[4]ドル(74位
1人あたり 2925.615(推計)[4]ドル
独立
 - タンガニーカ
 - ザンジバル
 - 合併
イギリスより
1961年12月9日
1963年12月19日
1964年4月26日
通貨 タンザニア・シリングTZS
時間帯 UTC(+3) (DST:なし)
ISO 3166-1 TZ / TZA
ccTLD .tz
国際電話番号 255 3
  1. ^ Tanzania Goverment Portal :languages タンザニア連合共和国政府 2019年1月1日閲覧
  2. ^ 各国・地域情勢 国名:タンザニア連合共和国(United Republic of Tanzania) 外務省 2019年1月1日閲覧
  3. ^ Tanzania”. ザ・ワールド・ファクトブック. 2022年8月8日閲覧。
  4. ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月17日閲覧([1]

註1: データは本土のみ
註2: 立法府の議事堂はドドマ、その他の政府官庁はダルエスサラーム
註3: ケニアとウガンダから掛ける場合は 007



1996

[]





[]


 Jamhuri ya Muungano wa Tanzania United Republic of TanzaniaTanzania



TanganyikaZanzibarAzania1964

歴史[編集]

キルワ・キシワニの大モスクの遺跡
19世紀半ばオマーン帝国の版図。19世紀のインド洋の覇権をイギリスと争ったオマーン帝国は、1830年代より東アフリカのザンジバルに本拠地を置いていた。

有史以前[編集]


250 - 200

[]


10en:Bantu expansion

[]


7沿1016

[]


14981505

[]


1698退19:  الإمبراطورية العمانية沿18301856Sultanate of Zanzibar1856 - 1964貿19

イギリス・ドイツ植民地時代[編集]

ドイツ領東アフリカ

1880188519189071沿18901896

沿191891 - 18981905Kinjikitile Ngwale沿: Tanganjikabahn19051914

1914

[]


4

19392887,000[1]

[]


TANU19611291963196411964426[2]1029

1967[3][4][5][6]FLS[7]1964FRELIMOFRELIMO西SWAPOZANU

1971

[]


1977TANUASP

1978退1970西退

1980退198511退

[]


IMF19951994

199887使使

20052015

政治[編集]

第4代大統領ジャカヤ・キクウェテと閣僚
第5代大統領ジョン・マグフリ

タンザニアは共和制大統領制国家体制とする立憲国家である。現行憲法であるタンザニア憲法英語版1977年4月25日に制定(1984年10月に大幅改正)されたもの。

タンザニア政治の特徴として、他のアフリカ諸国に多く見られる、特定部族による政権の独占や民族による投票行動が見られないことがあげられる。これは、国内に特別大きな民族グループが存在しないこと、スワヒリ語による初等教育と、教育プログラムに盛り込まれた汎タンザニア史などを通じてタンザニア人としてのアイデンティティ創出に成功したこと、初代大統領ニエレレがウジャマー社会主義建設の過程で旧来の地方組織を解体したこと、複数政党制導入時に民族を基盤とした政党結成が禁じられたことなどが理由となっている[8]

元首[編集]

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相および閣僚は大統領により任命されるが、閣僚は国民議会議員でなければならない。2015年10月に与党信任で選出されたジョン・マグフリ第5代大統領が2021年3月17日に死去[9]し、後任の第6代大統領として副大統領であったサミア・スルフ・ハッサンが同国初の女性の大統領として就任した。死去したマグフリの残余任期を引き継ぐ[10]

立法[編集]


39326450511355

1992CCMCUFCHADEMA

[]


32581581502021 (CCM) 8


国際関係[編集]


[11]197719782001調SADCCSADC

日本との関係[編集]


19606196914000[12]

 - 195202110調[13]

 - 433202112[13]

1976使調[14]

国家安全保障[編集]

タンザニア人民防衛軍

タンザニア人民防衛軍は陸軍、海軍、空軍の三軍から構成され、総人員は約2万7,000人である。兵制は志願制を採用している。2005年にはGDPの0.2%が軍事に支出された[15]

地理[編集]

タンザニアの地図
アフリカ大地溝帯

945,087km²315,895西

1,000500

西西2

地方行政区分[編集]

タンザニアの州

タンザニア連合共和国は、タンガニーカの26州、ザンジバルの5州(ウングジャ島3州、ペンバ島2州)からなる。

タンガニーカ:
首相府、地方自治国務相(Minister of State, Regional Administration and Local Government)の下、政令行政区上位から州(Region)、県(District)、郡(Division)、区(Ward)、村(Village/Street)と定められている。その他、県と郡の間に選挙区(Constituency)、村の下に隣組(Sub-Vilage)が存在する。また、行政系統が Regional Administration と Local Government に分かれており、連合共和国政府レベルの行政系統としてRegional Administration(州、県、郡)、地方政府の行政系統としてLocal Government(県、区、村)となっている。
ザンジバル:

主要都市[編集]

経済[編集]

最大の都市ダルエスサラーム

1980年代中盤まで、タンザニアはジュリウス・ニエレレ大統領の下ウジャマー社会主義を標榜し、ウジャマー村と呼ばれる集団農場を中心とした社会主義経済を目指していた。しかし旧来の社会制度をまったく無視したこの方式は失敗に終わり、生活必需品の供給すら滞る状態となった。1985年にニエレレの後を継いだアリ・ハッサン・ムウィニ大統領は、IMFの勧告を受け入れ、貿易制限の緩和などを行い自由経済へと舵を切った。以後タンザニア経済は緩やかに回復へと向かい、1995年に就任したベンジャミン・ムカパ大統領の行った国営企業の民営化など政府セクターの民間への移動と、南アフリカ共和国などからの投資の拡大により、1995年から2005年までの経済成長率は平均5%を記録した。

農業[編集]

タンザニア経済は農業に立脚しており、GDPの半分以上、輸出の80%、雇用の85%は農業によってもたらされている。キリマンジャロは上質のコーヒーとして世界中で愛好される主要輸出品である。ほかにが栽培される。ビクトリア湖周辺では、漁業綿花栽培を中心とした農業が盛んに行われている。ビクトリア湖で捕獲されるナイルパーチスズキに食感が似た淡水魚)は加工され、世界各地に輸出されている。他に、カシューナッツなども主要輸出品となっている。一方、ザンジバル経済の根幹を成しているのがクローブの栽培である。19世紀半ばにオマーンサイイド・サイードによって始められたクローブ栽培は、2015年現在ではザンジバルの主要な輸出品となっている。ザンジバルのクローブの90%はペンバ島で栽培されている。

鉱工業[編集]


Ni-PGE使

観光[編集]

アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山

GDP17.5%25%2[16]2004583,00019952[17]20161284,279辿[16]

交通[編集]

タンザニアの鉄道網

交通網はあまり発達しておらず、輸送インフラも貧弱である。国内道路のうち、旧首都ダルエスサラームからキリマンジャロ山麓のアルーシャまでは舗装道路が通じているものの、他は未舗装の悪路である部分も多い。

鉄道[編集]

鉄道は、タンザニア中央鉄道とタンザン鉄道の2社があり、前者はダルエスサラームから北へ向かいタンガアルーシャを結ぶ路線と、西へ向かい首都ドドマタボラを通ってタンガニーカ湖畔のキゴマへ向かう路線、タボラから北へ向かいビクトリア湖畔のムワンザへと向かう3路線を運行している。後者は1976年に建設され、ダルエスサラームから南西へ向かい、マラウイ国境近くのムベヤを通ってザンビア領のカピリムポシまでを結んでいる。

水運[編集]

水運は、タンガニーカとザンジバル間で活発であるほか、ビクトリア湖やタンガニーカ湖に国際フェリーが就航しており、ケニアやウガンダ、コンゴ民主共和国とを結んでいる。沿岸ではいまだにダウ船での輸送も行われている。

航空[編集]

空運はかつて国営のタンザニア航空英語版の独占であったが、自由化により中小の航空会社が多く設立されるようになった。

国民[編集]

タンザニアの人口推移(1961年 - 2003年

民族[編集]


95%99%1%[15][15]

言語[編集]


[18][19]

196019611967[20]100%[8][21]2015[22]

宗教[編集]


30%35%35%[15]100%[15]

教育[編集]

タンザニアの児童

74237-4-2-3200197.3%20.7%0.9%

20021569.4%77.5%62.2%[15]1999GDP2.2%[15]


保健[編集]


19781180[23]202030%[24]

2007HIV140[15]6.2%[15]寿52.0150.5653.51[15]

医療[編集]

治安[編集]


使

20201020218

IS[25]

人権[編集]

マスコミ[編集]

タンザニアにはメディア評議会が存在しており、評議会は1995年に開設された。2003年に成立した「タンザニア通信規制法」により、放送ライセンスを監督する「タンザニア通信規制当局」が創設されている。

文化[編集]

マコンデ人の彫刻

食文化[編集]



文学[編集]

タンザニアにおける文学は、20世紀後半まで主に口承文学を主体としていた。タンザニア国内で記録されている口承文学の大部分はスワヒリ語であるが、同国の言語にはそれぞれ独自の口承の伝統が根付いている為、必ずしも画一されたものとはなっていない。

音楽[編集]


1980201980[26]

[]



現代タンザニアを代表する画家、ジョージ・リランガ英語版もシェタニをモチーフに絵画や彫刻を製作した。その他にもタンザニアで発展を遂げたポップアートとして、エドワード・サイディ・ティンガティンガ英語版1960年代に大成したティンガティンガ派絵画の存在が挙げられる。

映画[編集]

世界遺産[編集]

タンザニア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が4件存在する。

文化遺産[編集]

国立公園・国立保護区[編集]

祝祭日[編集]

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Mwaka Mpya
1月12日 ザンジバル革命記念日 Mapinduzi ya Zanzibar 1964年、ザンジバルで革命
4月26日 統合記念日 Muungano wa Tanganyika na Zanzibar 1964年、タンガニーカとザンジバルが統合
5月1日 労働者の日 Sikukuu ya Wafanyakazi メーデー
7月7日 産業の日 Saba Saba
8月8日 農業の日 Nane Nane (Siku ya Wakulima)
10月14日 ニエレレの日 Kumbukumbu ya Mwalimu Nyerere タンザニア初代大統領/1999.10.14没
12月9日 独立記念日 Uhuru na Jamhuri 1961年、タンガニーカ独立
12月25日 クリスマス Kuzaliwa Kristo
12月26日 ボクシング・デー Siku ya Kupeana Zawadi

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

タンザニア国内でも他のアフリカ諸国同様、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1965年にサッカーリーグのタンザニアン・プレミアリーグが創設された。タンザニアサッカー連盟英語版によって構成されるサッカータンザニア代表は、これまでFIFAワールドカップには未出場である。アフリカネイションズカップには2度出場しているが、いずれもグループリーグ敗退となっている。

オリンピック[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]



(一)^ 14II199022p.153

(二)^ 129. . https://news.nissyoku.co.jp/today/603137 2020129 

(三)^ Arnold, Guy (1974). Kenyatta and the Politics of Kenya. London: Dent. ISBN 0-460-07878-X. p. 173

(四)^ Assensoh, A. B. (1998). African Political Leadership: Jomo Kenyatta, Kwame Nkrumah, and Julius K. Nyerere. Malabar, Florida: Krieger Publishing Company. ISBN 9780894649110. p. 55

(五)^ Kyle, Keith (1997). "The Politics of the Independence of Kenya". Contemporary British History. 11 (4): 4265. doi:10.1080/13619469708581458. p. 58.

(六)^ "TIlE TREATY FOR EAST AFRICANCO·OPERATION ACT 1967" (PDF) (Press release). Kenya Law. 2016630 (PDF)2018630

(七)^ Arnold, Guy (6 April 2010). The A to Z of the Non-Aligned Movement and Third World. Scarecrow Press. pp. 126127. ISBN 9781461672319. 

(八)^ ab: 10p92-93BP2010118

(九)^ " ". . . 18 March 2021. 2021318

(十)^   -  2021319

(11)^ Ogunsanwo, Alaba (1974). China's Policy in Africa, 1958-71. Cambridge: Cambridge University Press. p. 251.

(12)^   4419691022311

(13)^ ab 

(14)^   使 19765141737

(15)^ abcdefghijCIA World Factbook "Tanzania" 2010216

(16)^ abTanzania Tourist Arrivals Increase by 12.9% in 2016 to Reach 1,28 M - TanzaniaInvest"

(17)^ 50p129   20067101 

(18)^ Tanzania Goverment Portal :languages  201911 

(19)^  United Republic of Tanzania  201911

(20)^   200212

(21)^  pp407-409 +  20094301

(22)^ . . 201577

(23)^ 160 1978531181323

(24)^ 3 ?.    (2020818). 202159

(25)^  .  . 2022424

(26)^   ︿KEISO BOOKS51989112562-70

[]


200212 
 200212

  200212

6020067 

14II199022 

[]





[]

座標: 南緯6度18分25秒 東経34度51分14秒 / 南緯6.307度 東経34.854度 / -6.307; 34.854