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島津 忠綱︵しまづ ただつな︶は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将。越前島津氏の祖。
承久3年︵1221年︶、父・島津忠久が越前国守護に補任されたとき、17歳で守護代となり、同国生部︵現福井市︶に居住したと伝える。現在福井市生部町内に﹁越前島津屋敷跡﹂があり、平成22年︵2010年︶には同町会の要望によって当地に石碑が建立された。しかし安貞2年︵1228年︶には島津氏に代わって後藤基綱が越前守護となったため、忠綱も同時に守護代を退任したものと推測される。薩摩国揖宿郡︵現鹿児島県指宿市︶・知覧院︵現南九州市︶等に地頭職を有していたが、前者に関しては文暦2年︵1235年︶、郡司・指宿忠秀との間に所領問題を起こし解職された。嘉禎2年︵1236年︶~文応2年︵1261年︶、鎌倉にあって歴代将軍に近侍。宝治2年︵1248年︶、4代将軍・藤原頼嗣に高麗山のヤマガラを献じている。寛元3年︵1245年︶8月16日の鶴岡馬場の儀にて流鏑馬の的立を務め、また正嘉元年︵1257年︶6月1日旬鞠会では見証︵審判︶に列していることから、文武に優れた人物であったことが窺われる。
忠綱の没年には諸説ある。﹃播州島津家略歴﹄は寛元2年︵1244年︶2月7日死去とするが、上記﹁生涯﹂の項からも明らかなように誤りである。また文永2年︵1265年︶に成立した﹃続古今和歌集﹄所収の三男・忠景の詠歌に親の死を悼む内容のものがあることから、それ以前であるとみる説がある[1]が、﹃越前島津氏正統家譜﹄によると﹁六十四歳卒﹂とあり、享年に矛盾が生じてくる︵文永2年に没したとして最長61歳にしかならない︶。そこで、ここでいう親は忠景の母であり、忠綱は文永5年︵1268年︶頃まで存命していたとする見解もある[2]。また、﹁小宮系図﹂に千葉氏一族の武石胤辰が文永5年に忠綱を頼って日向国志布志郷︵鹿児島県志布志市︶に居住したという記録もあり、忠綱の存命が裏付けられる。なお、﹃越前島津家文書﹄により、忠綱の正室越後局も弘安2年︵1279年︶の時点で生存していたことが確認できるため、この見解によると忠行と忠景が異母兄弟であった可能性も推測できるという[2]。
忠綱の居城があったとされる福井県丹生郡越前町の厨城山の近くに瓢箪塚と呼ばれる小丘があり、その上に忠綱の墓と伝える五輪塔が残されている。また、福井市の専光寺に残る﹁島津石﹂も、忠綱の墓石とする伝説がある。たつの市揖保上︵かつての下揖保庄上村︶にも墓石があり、同市の如来寺には、位牌が奉られている。
- ^ 丸山晴久『越前島津氏とその系譜』
- ^ a b 杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』
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宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
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総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
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奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
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分家・支流
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越前家 |
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播磨家 |
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伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
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薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
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相州家→ 垂水家 |
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豊州家 |
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玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
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加治木家 |
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佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
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重富家 |
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和泉家→ 今和泉家 |
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宮之城家 |
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永吉家 |
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日置家 |
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北郷氏→ 都城家 |
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佐多氏→ 知覧家 |
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