箕輪城

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箕輪城
群馬県
箕輪城の石碑
箕輪城の石碑
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 なし
築城主 長野業尚
築城年 1512年(永正9年)
主な改修者 武田氏北条氏井伊氏
主な城主 長野業正内藤昌月滝川一益北条氏邦井伊直政
廃城年 1598年(慶長3年)
遺構 石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸、復元門
指定文化財 国の史跡
位置 北緯36度24分17.8秒 東経138度57分3.5秒 / 北緯36.404944度 東経138.950972度 / 36.404944; 138.950972
地図
箕輪城の位置(群馬県内)
箕輪城

箕輪城

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武田氏の侵攻[編集]


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  • 東明屋(ひがしあきや):西明屋と同じく廃城後に空き家が目立ったことから変化して明屋になったという説がある。現在、箕輪城跡駐車場とトイレが整備されている。
  • 矢原(やばら):城下から1キロメートル程東に行った先にある。戦国時代、が多く飛んでくるっぱだったことに由来。現在、住宅地が広がっている。
    • 原中(げんちゅう):矢の降る原っぱの中心だったことに由来。

その他[編集]

  • 例年10月最終日曜には「箕輪城まつり」が開催され、手製の甲冑に身を包んだ市民らによって城下を練り歩くほか(支所から西明屋を通り箕輪城までの区間)、箕輪城攻防戦が演じられる。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 西ヶ谷恭弘 編『定本 日本城郭事典』秋田書店、2000年、93頁。ISBN 4-253-00375-3 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]