日本の慰安婦問題
日韓における慰安婦問題[編集]
1970・80年代[編集]
初期ウーマン・リブの運動家田中美津は1970年の著作で﹁従軍慰安婦[注釈 1]﹂の﹁大部分は朝鮮人であった﹂、﹁貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた﹂と記述している[7][8]。 1973年に千田夏光の﹃従軍慰安婦﹄が刊行され、慰安婦を民族ごとに分けて記述した。千田は日本人の慰安婦は自主的な売春婦であり、韓国人の慰安婦を売春を強制された被害者とした[9]。千田の著書は、日本キリスト教婦人矯風会の高橋喜久江会長の注目を受けた[9]。﹃産経新聞﹄によると、高橋は慰安婦の社会問題化に関して﹁私も火付け役をした﹂と自負したとされ、高橋は千田の著書を韓国に紹介するなどしている[10]。千田の著作に関して、いくつかの立場から疑問が呈されている。︵千田夏光#著作﹃従軍慰安婦﹄参照︶そもそも、戦前の公娼や抱え主に管理されて似たような境遇にある私娼らは、当時においても、法的には奴隷制が認められていないにもかかわらず、様々な圧力や暴力により、社会的には罷り通されていた、事実上あるいは文理上で言っても債務奴隷・借金奴隷に他ならないとの意識が実際にはあったとも言われる[11]。 1976年には金一勉﹃天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦﹄が出版され、その中で慰安婦の総数を20万人とした。 元﹃東亜日報﹄編集局長の宋建鎬︵ソン・ゴンホ︶は1984年、著書﹃日帝支配下の韓国現代史﹄で、挺身隊として動員された女性は20万人であり、そのうち5万人から7万人が朝鮮人であったとしている。この用語・見解については﹁女子挺身隊#︵朝鮮での﹁挺身隊﹂と﹁慰安婦﹂の混同﹂﹁千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行﹁20万﹂説﹂参照。1990年代[編集]
1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が﹁徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた﹂と発言した[12]ことが韓国で﹁清水妄言﹂として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成、海部俊樹首相へ公開書簡をおくった[13]。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、日本の弁護士らの呼びかけで[要出典]、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟︵アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件など︶が多数行われた。吉田証言[編集]
朝日新聞による吉田証言の撤回[編集]
尹貞玉による調査と女性連合会[編集]
1990年には、梨花女子大元教授で韓国教会女性連合会メンバーの尹貞玉︵ユン・ジョンオク︶により調査が行われ、﹁挺身隊取材記﹂として﹃ハンギョレ新聞﹄に4回わたり掲載される[17][18]。 6月6日の本岡昭次参議院議員︵日本社会党︶による国会質問での日本政府が慰安婦問題について﹁調査はできかねる﹂と答弁したことに抗議する公開書簡を、韓国女性団体連合や韓国教会女性連合会など37の女性団体が10月7日に送付した[17]。翌年4月1日、同じく本岡昭次参院議員がこの公開書簡への回答を求めたことが韓国でも報道され、その中で﹁従軍慰安婦、約8万人﹂と共に、同議員の提示する沖縄朝鮮人捕虜リスト︵米軍資料マイクロフィルム︶が﹁挺身隊・従軍慰安婦名簿﹂として紹介された[19]。 同年11月、韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が集まり韓国挺身隊問題対策協議会︵挺対協︶が結成され、尹貞玉が共同代表に就任した。この時のことについて尹は、﹁1990年、国会で﹃慰安婦﹄問題は業者がやったことであり、日本軍は無関係であると言明した。この嘘が、韓国で挺身隊問題対策協議会が設立されたきっかけとなった﹂と、説明している[20]:7。小学生慰安婦報道[編集]
﹁挺身隊﹂と﹁慰安婦﹂の混同、および﹁少女・処女﹂が﹁強制連行﹂されたとする認識は韓国︵および日本での慰安婦問題活動家︶の間では1990年代になっても存続し、1992年1月の宮澤首相の訪韓時に韓国の新聞は﹁小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた﹂と、あたかも女子小学生が慰安婦にされたかのような報道を繰り返した[21]。﹁小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした﹂というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられ現在にいたっていると、西岡力は述べている[22]︵詳細は﹁慰安婦の強制連行#韓国における議論﹂を参照︶。 ﹁挺身隊﹂と﹁慰安婦﹂の混同、および﹁少女・処女﹂が﹁強制連行﹂されたとする認識は韓国︵および日本での慰安婦問題活動家︶の間では1990年代になっても存続し、1992年1月の宮澤首相の訪韓時に韓国の新聞は﹁小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた﹂と、あたかも女子小学生が慰安婦にされたかのような報道を繰り返した[21]。東亜日報は1992年1月14日に﹁挺身隊、小学生まで引っ張っていった﹂、朝鮮日報は同1月15日に﹁日本、小学生も挺身隊に徴発﹂との見だしで報道した[21]。東亜日報は1992年1月15日の社説﹁十二歳の挺身隊員﹂では次のように報道した[23]。 本当に天と人とが共に憤怒する日帝の蛮行だった。人面獣心であるとか、いくら軍国主義政府が戦争を遂行するためだったとしても、このようなまでに非人道的残酷行為を敢えて行うことができたのかといいたい。︵中略︶ 十二歳の小学生まで動員、戦場で性的玩具にして踏みにじったという報道に再び沸き上がってくる憤怒を抑えがたい。︵中略︶ これまで十五歳の少女が挺身隊に動員されたことは知られていた。しかし、十二歳の幼い子供まで連行されたことは初めて明らかにされたことだ。︵中略︶ 勤労挺身隊という名前で動員された後、彼女らを従軍慰安所に回した事実が様々な人の証言で立証されている…︵中略︶ このように何もわからず父母のもとを離れ挺身隊に連行された少女らの数はわからない。泣き叫ぶ女性をなぐりつけ乳飲み子を腕から奪って赤ん坊の母親を連行したこともあった。このように動員された従軍慰安婦が八万〜二十万と推算される。--東亜日報1992年1月15日社説﹁十二歳の挺身隊員﹂ 現代朝鮮研究者の西岡力の調査によれば、1992年1月14日に報道された﹁小学生挺身隊﹂についての記事を初めて執筆したのは聯合通信の金溶洙︵キム・ヨンス 김용수(朝鮮日報 人物検索)︶記者であった[24]。西岡が実際に12歳の少女が慰安婦になったことは事実ではないのに、なぜ報道したのかと質問したところ、金記者は、富山県に動員された6人の児童が慰安所でなく工場に動員されたことは事実であるとして 6人の児童が慰安婦でなかったことは知っていましたが、まず勤労挺身隊として動員し、その後慰安婦にさせた例があるという話も韓国国内ではいわれていますので、この6人以外で小学生として慰安婦にさせられた者もいるかもしれないと考え、敢えて<勤労挺身隊であって慰安婦ではない>ということは強調しないで記事を書きました。 と弁解した[25]。この金溶洙記者による弁解で﹁小学生慰安婦﹂の存在が証明されたわけではないことが明らかになり[26]、またその後、当時挺身隊だった女性が名乗りでて、新聞報道が誤報であったことが判明する[21]。しかし、その後も﹁小学生慰安婦﹂について報道した新聞やテレビは報道を修正することはなく、﹁小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした﹂というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられて、現在にいたっている[27]。慰安婦活動家においてもそのような認識が変更されることはなく、2012年には米国などでの慰安婦︵成人女性︶像設置運動に続いて﹁少女﹂像の建設運動が進められている[28]。
元慰安婦らによる訴訟[編集]
日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議[編集]
日韓メディアによる報道[編集]
﹃朝日新聞﹄は、1982年9月2日︵大阪版︶22面において﹁朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり37年ぶり危機感で沈黙破る﹂、1983年11月10日朝刊3面﹁ひと 吉田清治さん﹂で、吉田清治を取り上げて報道[18]。1984年11月2日には﹁私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道﹂と題し、﹁邦人巡査が強制連行21歳故国引き離される﹂とのキャプション付きで、元慰安婦と主張する女性のインタビュー記事を掲載した[5][34]。 ﹃読売新聞﹄でも1987年に﹁従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した﹁陸軍娯楽所﹂で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。﹃お国のためだ﹄と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。﹂と説明がされている。読売新聞社の元記者小俣行男は﹃戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記﹄︵冬樹社、1967年︶にもビルマ︵現在のミャンマー︶での従軍慰安婦についても書いていて読売社内での従軍慰安婦についてはいくらか浸透していたと見られる[35] 1990年8月9日、光復45周年特別企画﹃太平洋戦争の怨霊たち﹄にて元慰安婦のインタビューを含むドキュメンタリー番組が放送された︵後述︶。 1991年5月22日、﹃朝日新聞﹄︵東京の社会部市川速水記者が取材チームを率いていた[36]。︶大阪版が再び吉田証言を紹介し[37]、同年8月11日には﹁元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く﹂と題した記事︵植村隆韓国特派員・ソウル発︶で元慰安婦の金学順について﹁﹃女子挺︵てい︶身隊﹄の名で戦場に連行され﹂たと報道する[18]。 同年8月15日、韓国の﹃ハンギョレ新聞﹄は金学順が﹁親に売り飛ばされた﹂と報道した[38]。 同年8月23日、NHK BSが特集﹁世界が伝える日本﹂において、韓国放送公社︵KBS︶のドキュメンタリー番組﹃太平洋戦争の怨霊たち﹄を放送。韓国女性20万人を挺身隊として昼は働かせ、夜は慰安婦をさせた告発ドキュメンタリーと紹介し[39]。 同年10月10日には﹃朝日新聞﹄大阪版が再度、吉田清治へのインタビューを掲載[18]。同年12月10日には﹁第2次大戦の直前から﹃女子挺身隊﹄などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた﹂、1992年1月11日には﹁太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる﹂と報道した[40]。 1991年10月7日から1992年2月6日にかけて、韓国のMBC放送は制作費72億ウォンを投じたドラマ﹃黎明の瞳[41]﹄を放映し、最高視聴率58.4%を記録した[42]。ヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行されるストーリーで、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待したりする場面が放映された[43]。原作は金聖鍾の同名の小説︵全10巻︶で、1975年10月から韓国の﹃日刊スポーツ新聞﹄で連載されていた[42][44]。 日本の宮澤喜一首相の訪韓を前にした1992年1月11日、﹃朝日新聞﹄が一面で﹁慰安所、軍関与示す資料﹂﹁部隊に設置指示 募集含め統制・監督﹂﹁政府見解揺らぐ﹂と報じる[45]。同日﹃朝日新聞﹄夕刊では﹁韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され﹂たとのソウル支局電を掲載した[45]。翌1月12日の朝日新聞社説では﹁歴史から目をそむけまい﹂として宮澤首相には﹁前向きの姿勢を望みたい﹂とした[45]。 ﹃ジャパン・タイムズ﹄は、1月11日夜のテレビ番組での渡辺美智雄外務大臣の﹁なんらかの関与があったということは認めざるをえない﹂との発言を引用し、﹁日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands︵何十万人︶ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた﹂と伝える記事を同月13日に掲載した︵秦郁彦は、実際の発言内容とは異なるとしている︶[45][46]。 1月14日には韓国の﹃東亜日報﹄が﹁挺身隊が国民学校生まで連れて行った﹂との見出しで報道[47]。宮澤首相による謝罪[編集]
加藤談話と第一次調査[編集]
1992年7月6日、加藤紘一官房長官が従軍慰安婦問題について﹁お詫びと反省﹂を表明する談話を発表した[49]。これに合わせ、日本政府による関連資料の調査︵第一次調査︶の結果が公表され、慰安婦問題について﹁政府の関与﹂は認めたものの、﹁強制連行﹂を立証する資料は見つからなかったとした[50][51]。日本弁護士連合会による活動[編集]
秦郁彦によると、日本弁護士連合会︵日弁連︶は慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[52]。 1992年2月、戸塚弁護士はNGO国際教育開発(IED)代表として、朝鮮人強制連行問題と﹁従軍慰安婦﹂問題を国連人権委員会に提起し、日本政府に責任を取るよう求めるとともに国連に対応を要請した[53][54]。戸塚は、それまで﹁従軍慰安婦﹂に関する国際法上の検討がされていなかったために、﹁従軍慰安婦﹂を大日本帝国の﹁性奴隷﹂(sex slave)と規定したとしている[54]。 1993年6月、日弁連も参加した世界人権会議において﹁性的奴隷制﹂が初めて国連用語となった[55]。 日弁連は1995年2月、﹁従軍慰安婦﹂問題について個人に対する国家補償を行う立法による解決を提言し、これを日本政府や国連女性の地位委員会、第4回世界女性会議などに提出した[55]。 同連合会は1995年11月に日本政府に慰安婦に対する補償を求める声明を発表し、その中で、﹁日弁連を含むNGOは、一貫して慰安婦問題に関し、﹃性的奴隷﹄(Sex Slaves またはSexual Slavery) として日本政府に対し国家による被害者への補償を要求し続けてきた﹂としている[55]。河野談話と第二次調査[編集]
関係者による証言[編集]
1997年3月9日、石原信雄元官房副長官は、産経新聞の取材に﹁日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。…韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた﹂と応じた[61][59][60]。 河野自身は慰安婦の強制連行について、1997年3月31日の朝日新聞で、﹁﹃政府が法律的な手続きを踏み暴力的に女性を駆り出した﹄と書かれた文書があったかといえば、そういうことを示す文書はなかった﹂とした上で、﹁本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあったことは明らかだった﹂とし、また軍人・軍属に対する証言では﹁直接強制連行の話はなかった。﹂とした上で、﹁﹃文書や軍人・軍属の証言はなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみんな公娼だった﹄というのは、正しい論理の展開ではないと思う﹂としている[62]。また2012年10月8日付の読売新聞﹁時代の証言者﹂においては、﹁募集方法など﹃強制徴用﹄を裏付ける資料は見つからない﹂とした上で、﹁紙の証拠がないからといって今も苦しむ女性や戦争中の悲劇までなかったといわんばかりの主張には、悲しみさえ覚えます﹂と述べている[63]。評価[編集]
1998年4月28日、産経新聞は﹁主張﹂欄において、﹁河野談話は… 二百点以上の公的資料を中心に作成された… しかし、その資料のどこにも軍や警察による﹃強制連行﹄を裏付ける証拠はなかった﹂﹁﹃強制連行﹄のくだりは…元慰安婦からの聞き取り調査だけを根拠にし、その裏付け調査も行われなかった﹂と、河野談話に対する否定的な見解を示した[64]。政府見解[編集]
第二次安倍内閣での調査[編集]
永野茂門法務大臣による﹁公娼﹂発言[編集]
1994年4月28日、永野茂門法務大臣は共同通信のインタビューに応じ﹁慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない。﹂などと述べ、この発言は5月4日と5日の新聞朝刊で報道された[67]。なお、永野法務大臣は前述の発言の際、南京虐殺を否定する発言もしていたことについて責任を取り、同年5月7日に辞任している[68]。村山談話[編集]
1995年8月15日、村山富市内閣総理大臣は談話を発表し(村山談話)、その中で、従軍慰安婦問題について「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と、政府としての反省の意を示した[69]。
アジア女性基金による事業[編集]
朝日新聞による報道撤回[編集]
朝日新聞は1997年に「吉田証言の真偽は確認できない」とする記事を掲載したが、このときは報道の取り消しは行わなかった[18]。
2014年、朝日新聞は慰安婦報道に関する検証を行い、吉田氏関連の16本の記事を取り消した[18]。
慰安婦をめぐる教科書問題[編集]
戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案[編集]
地方自治体による決議[編集]
2008年3月28日、兵庫県宝塚市議会は、﹁慰安婦﹂問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求める意見書を採択した[91]。 2010年6月までに同様の決議は25の地方議会で採択、うち16件については民主党政権発足後に採択している[92]。 同様の決議は、東京の清瀬市・三鷹市・小金井市・国分寺市・国立市、千葉船橋市、大阪箕面市・泉南市、京都京田辺市・長岡京市、奈良生駒市、ほか札幌市、福岡市・田川市が採択した[93][94]。自民党国際情報検討委員会の動き[編集]
2014年9月19日、自民党の国際情報検討委員会は﹁いわゆる慰安婦の﹃強制連行﹄は否定され、性的虐待も否定された﹂とする決議を採択した[95]。また同年10月2日には同委員会会長の原田義昭が会合で、﹁南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている﹂と発言した[96]。韓国の日本大使館前に慰安婦像設置[編集]
2011年 12月14日、韓国の民間団体韓国挺身隊問題対策協議会が慰安婦問題の抗議のためソウルの日本大使館前の歩道に慰安婦像を違法に設置した。その後、韓国内に次々と計50箇所以上設置している。
2015年日韓外相会談における合意[編集]
釜山の日本総領事館前への慰安婦像設置[編集]
日本の各内閣の見解[編集]
第2次橋本内閣での閣議決定[編集]
1997年1月に 第140回通常国会において、第2次橋本内閣の平林博内閣外政審議室長は、﹁軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性がある﹂との答弁をおこなった[105]。河野談話前の調査の信ぴょう性を問うた高市早苗の質問主意書を受けて、内閣は1997年12月に﹁軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった﹂とする答弁書を閣議決定した。直接証拠は存在しないものの﹁証言聴取なども参考に総合的に判断した結果﹂であるとした[106][107]。第1次安倍内閣[編集]
2006年10月3日、安倍晋三内閣総理大臣は﹁いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、…河野官房長官談話を受け継いでおります﹂と答弁した[108]。 同年10月25日、下村博文官房副長官は﹁河野談話はもう少し事実関係をよく研究し…客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないか﹂と発言[109]。 2007年3月1日、安倍首相は﹁強制性を裏付ける証拠はなかった﹂と発言した[97]。 同年3月5日には、参議院予算委員会において、﹁吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが…後にでっち上げだったことが分かったわけでございます﹂とした上で、﹁官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった﹂と答弁している[110]。3月16日の﹁慰安婦﹂問題への認識に関する質問に対する答弁書[111]でも、軍や官憲による強制連行を示す資料がないことが確認されたと述べている。 同年4月27日、安倍首相はブッシュ大統領との日米首脳会談後の記者発表で、﹁元慰安婦の方々に…申し訳ないという気持ちでいっぱいである﹂と述べた[112]。野田内閣での答弁[編集]
2012年に野田佳彦首相は、﹁いわゆる強制連行したという事実を文書では確認できないし、日本側の証言はありませんでしたが、いわゆる従軍慰安婦と言われている人たちの聞き取りの中のことも含めてあの談話ができた﹂とした上で、﹁我が政権としても基本的にはこれを踏襲をする﹂とする答弁をおこなった[113]。第2次安倍内閣において[編集]
2013年6月18日、第2次安倍内閣は、旧日本軍による慰安婦の強制連行を示す証拠が、政府の発見した資料の中にあった事実を認めたとしんぶん赤旗は伝えた[114]。 これについて、政府の同6月18日の答弁書では、政府が発見した資料に﹁バタビア臨時軍法会議の記録﹂が含まれ、その中に﹁軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした﹂との記述が存在することは認めたものの、政府の認識については、2007年3月16日の答弁書[111]における﹁慰安婦問題については…政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった﹂と同様としている[115]。なお、バタビア臨時軍法会議の記録の﹁軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした﹂という部分については、﹁慰安所には自由意思の者だけ雇うように﹂という上官の司令を無視した軍人や民間人による強姦行為を示したものであり、慰安婦が組織的に強制連行されたことを示すような資料ではない。 2015年12月28日の日韓外相会談では、日本政府として﹁当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、…責任を痛感している﹂とする旨が述べられ、また総理大臣として﹁おわびと反省の気持ち﹂を表明するとした[99]。菅内閣での閣議決定[編集]
2021年4月27日の答弁書[6]において菅内閣は、﹁従軍慰安婦﹂という用語について﹁平成四年七月六日及び平成五年八月四日の二度にわたり公表された政府による慰安婦問題に関する調査において、調査対象としたその当時の公文書等の資料の中には、﹁慰安婦﹂又は﹁特殊慰安婦﹂との用語は用いられているものの、﹁従軍慰安婦﹂という用語は用いられていないことが確認されている﹂とした上で、河野談話において﹁いわゆる従軍慰安婦﹂という用語が用いられたことについては、﹁談話発表当時は、﹁従軍慰安婦﹂という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、談話においては、﹁いわゆる﹂という言葉を付した表現が使用されたものと認識している﹂とした。 さらに、慰安婦が﹁軍より﹁強制連行﹂された﹂という見方が広く流布された原因については、吉田清治が﹁日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩りをした﹂という虚偽の事実を発表し、これらの虚偽の事実が大手新聞社によって﹁従軍慰安婦問題﹂として大きく報道されたところにあると考えているところ、これらの証言が虚偽であり、このような事実は存在しなかったことが後に明らかになったと承知しているとした。﹁このような経緯を踏まえ、政府としては、﹁従軍慰安婦﹂という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、﹁従軍慰安婦﹂又は﹁いわゆる従軍慰安婦﹂ではなく、単に﹁慰安婦﹂という用語を用いることが適切であると考えており、近年、これを用いているところである。また、御指摘のように﹁従軍﹂と﹁慰安婦﹂の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用していないところである﹂とした。 その上で﹁政府としては、国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、我が国の基本的立場や取組に対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく考えである﹂とした。日本の論壇における主張[編集]
池田信夫[編集]
アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件について 評論家の池田信夫は、金らによる訴訟の目的は敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償だったとし[116]、﹁このときの訴状は﹃親に売られてキーセン︵娼婦︶になった﹄という話だったのだが、これを朝日新聞が﹃軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した﹄と誤って報じたため、1992年に宮澤首相︵当時︶が韓国で謝罪するはめになった﹂と延べている[116][117]。 池田はまた、福島瑞穂や高木健一らは原告になる元慰安婦を韓国で募集した際に金学順を見つけたとしており、福島はNHKにこの話を売り込んだ上で、NHKのスタジオに立ち会い、金学順に﹁親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った﹂と証言するようせりふを教えたとしている[116]。 河野談話について 池田は2007年5月1日、自身のブログで、﹁河野談話の根拠とされたのは…﹃私の戦争犯罪﹄︵三一書房︶という本だが、この内容は捏造であることが後に判明した﹂と述べている[118]。岡田邦宏[編集]
慰安婦訴訟について 日本政策研究センターの岡田邦宏は、機関紙﹃明日への選択﹄で、1989年の吉田の著書の韓国出版と﹁ほぼ同時期﹂に﹁日本人女性がソウルで日本政府相手に朝鮮人への公式謝罪と補償要求の訴訟を起こしてほしいと韓国人原告の募集を始め﹂たとしている[119]。 宮澤首相による謝罪について 岡田は、同じく機関紙﹃明日への選択﹄で、宮澤首相は盧泰愚大統領との首脳会談で事実関係の調査を経ることなく慰安婦問題について謝罪したとしている[119]。西岡力[編集]
慰安婦に関する報道について 西岡力は、1991年5月22日からの朝日新聞の一連の報道について、誤報であると述べている[120]。 1993年の世界人権会議について 西岡は、1993年の世界人権会議がきっかけとなり、1996年のクマラスワミ報告書では﹁軍隊性奴隷制 (military sexual slavery)﹂と明記されることとなったと主張している[54]。秦郁彦[編集]
陸支密大日記について 歴史学者の秦郁彦は、1992年1月11日の朝日新聞では陸支密大日記を吉見義明が﹁発見﹂したとしているが、研究者の間ではこの資料は周知のものであったと指摘している[45]。 日弁連による活動について 秦郁彦は、日本弁護士連合会︵日弁連︶が慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した[52]ことについて、日弁連は戸塚を通じて海外のNGOと連携を深めることで日本政府に特別法を制定させる戦略をとっていたとしている[52]。大高未貴[編集]
﹃朝鮮人慰安婦と日本人﹄について ジャーナリストの大高未貴は、吉田清二が書いた﹃朝鮮人慰安婦と日本人﹄について﹁労務報国会の仕事の範疇での体験であり、﹁慰安婦狩り﹂をしていたとも、済州島に行ったとも書いていない﹂としている[121]。朴斗鎮[編集]
コリア国際研究所所長 朴斗鎮は、従北政権と北朝鮮によるプロパガンダで韓日分断を目的としていると述べている[122]。韓国の論壇における主張[編集]
韓国では慰安婦団体や韓国政府により日本の慰安婦制度に対する非難が長期間続き肯定的意見はタブー視されてきたが、最近では学者の間でも日本の慰安婦制度など反日問題に対しても日本政府の考え方を肯定的に捕らえる主張が相次いでいる。朴裕河[編集]
世宗大学校教授の朴裕河は、2013年8月、著書﹃帝国の慰安婦﹄の中で日本軍慰安婦の性奴隷制に疑問を投げかけたが、ソウル東部地検により内容が﹁虚偽﹂だとされ、元慰安婦に対する名誉毀損罪で在宅起訴された[123]。李栄薫・李宇衍[編集]
元ソウル大学教授で落星台経済研究所の李栄薫・李宇衍は、2019年7月、著書﹃反日種族主義﹄の中で、日本軍慰安婦の性奴隷制に疑問を投げかけている。李栄薫はYouTubeの李承晩学堂でもその内容について詳しく説明している。また、李宇衍はソウルの日本大使館前で行われている慰安婦問題の水曜デモへ直接抗議も行っている。柳錫春[編集]
延世大学教授の柳錫春は、2019年9月に﹁︵慰安婦関連の︶直接的な加害者は日本︵政府︶ではない﹂﹁︵慰安婦は︶売春の一種﹂と発言し、一部学生から非難された。大学側は同教授を講義から外し、停職1カ月の懲戒処分を下したが、柳錫春は2020年6月からYouTubeで、自身の見解の配信を始めた[124]。国連などでの慰安婦の扱い[編集]
Sex Slaves︵性奴隷︶[編集]
1992年2月25日、NGO 国際教育開発(IED)代表で弁護士の戸塚悦朗が国連人権委員会で日本軍慰安婦問題を取り扱うように要請したが、これが国連での初めての慰安婦問題提起であった[125]。戸塚自身も、当時慰安婦問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、﹁日本帝国主義の性奴隷(sex slaves)と規定した﹂と自分が﹁性奴隷﹂という言葉を発案したとしている[126][127]。当初、国連では﹁性奴隷﹂という呼称は受入れられなかったが、戸塚は人権委員会の下位にある差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)や、人権小委員会で活動する現代奴隷制作業部会に働きかけた[128]。日本弁護士連合会︵日弁連︶会長︵当時︶で﹁慰安婦問題の立法解決を求める会﹂︵1996年12月設立︶[129][130]の土屋公献も、1992年から日弁連が国連において慰安婦補償を要求するなかで﹁性的奴隷︵Sex SlavesまたはSexual Slavery︶﹂ として扱うように働きかけ[131]、その結果、1993年6月のウィーンの世界人権会議﹁ウィーン宣言及び行動計画﹂において﹁性的奴隷制﹂が初めて﹁国連の用語﹂として採用されたとしている[131]。日弁連会長鬼追明夫は﹁軍事的性的奴隷﹂とも表現している[132]。 1992年、NGOに日本に招待されたテオ・ファン・ボーベン︵オランダ︶は、元慰安婦の証言を聞き、その実態に衝撃を受けた[要出典]。1992年に、当時日本軍に暴行されたと名乗り出た[133]オランダ人女性ジャン・ラフ・オハーンは﹁慰安婦﹂という言葉は侮蔑であり、自身を﹁戦時強姦の被害者であり、日本帝国軍の奴隷として強制徴集︵conscripted︶された﹂と訴えた[134]。 1993年、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会﹁武力紛争下の強姦、性奴隷制および類似慣行に関する特別報告者﹂の報告者であったリンダ・チャベスは準備文書で﹁性奴隷制度である﹂と明記した[135]、これが1998年のマクドゥーガル報告書につながったとされる[135]。ただし、リンダ・チャベスは報告書をまとめることなく1997年に辞任した[136]。 1996年に国連人権委に報告されたクマラスワミ報告には日本軍慰安婦制度︵公娼制度[137][138]︶を﹁軍用性奴隷制︵Military Sexual Slavery︶[139])﹂また﹁性奴隷制﹂と明記された[140][141]。 ただし、戦後に旧日本軍の調査を行ったアメリカ政府および軍の報告の中には、旧日本軍が慰安婦を奴隷として扱っていたという内容は存在しない。 慰安婦問題を国連で扱うように活動してきた日弁連海外調査特別委員[142]の戸塚悦朗弁護士は、国連小委員会による日本政府への勧告にはいたらなかったことを失望し、ロビー活動の不足を訴えた[143][144]。のちに戸塚らの政治的活動は日弁連内部から目的外・職務外行為であるとして批判され、戸塚は1998年に解嘱された[130]。その他の慰安婦の位置づけ[編集]
日本軍慰安婦については﹁慰安婦﹂よりも﹁性奴隷﹂と表現する方が適切であると民間人・民間団体が1990年代より主唱しはじめ[要出典]、しばしば海外政府・国連関係者[誰?]により言及されることがある。 1997年には日本で証言集﹃私は﹁慰安婦﹂ではない 日本の侵略と性奴隷﹄が出版された。この中で元慰安婦の万愛花や金順徳、プリシラ・バルトニコ、ピラール・フリアス等がその戦時性暴力被害を訴えた[134][145]。上杉聡によれば、支援運動の中では﹁従軍慰安婦﹂の代わりに﹁軍隊慰安婦﹂﹁強制軍隊慰安婦﹂などの名称が提案されており、クマラスワミ報告の﹁性奴隷﹂の概念については継続的な強姦のケースに当てはまり、到達点としてよいが、被害者ご本人の気持ちを確かめなければいけないと述べている[146]。 このほか、民主党、社民党らは日本人慰安婦を除外したうえで﹁戦時性的強制被害者[147]﹂という名称を法案名でも使用している[89]。 慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題とするジャパンタイムズやニューヨーク・タイムズは慰安婦を﹁性奴隷﹂(sex slave)としているが[148]、ニューヨーク・タイムズはアメリカ軍相手の女性達については日本軍の慰安婦とは異なるとして﹁売春婦﹂(prostitute)と呼称している[149]。一方、アメリカ軍や韓国軍慰安婦の当時の韓国政府による公式呼称は﹁慰安婦﹂である[150][151]。 2000年の民衆法廷(模擬法廷)女性国際戦犯法廷では﹁日本軍性奴隷﹂と表現された。 吉見義明の著書の英訳は﹁Comfort Women:Sexual Slavery in the Japanese Military During the World War II﹂である[152]。呼称・表現をめぐる非難[編集]
2015年3月、安倍晋三がワシントン・ポストのインタビューで慰安婦問題を﹁人身売買 (human trafficking) の犠牲﹂と表現したことに対し、韓国聯合ニュースは﹁20世紀最悪の人権蹂躙で、国際社会が﹃性奴隷﹄事件と規定する日本軍慰安婦問題の本質をぼかすための、計算された発言との指摘もある﹂と報じた[153][154]。 李容洙は、慰安婦を﹁性奴隷﹂と表現することについて﹁とても汚くて嫌で仕方ない﹂と批判した[155]。国連人権委員会の報告書[編集]
クマラスワミ報告[編集]
マクドゥーガル報告書[編集]
日本・韓国・フィリピンでの「慰安婦」関連訴訟[編集]
韓国人、中国人などを中心に元日本軍慰安婦であると名乗り出た人々が強制的に慰安婦にされたとして日本国に対し謝罪と賠償を求める訴訟、及びそれに関する訴訟が日本、アメリカ合衆国、韓国、フィリピンなどで多数起こされて来た。しかし、時効・除斥期間の経過、大日本帝国憲法が定めていた「国家無答責の法理」(官吏が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。
一方、日本においては慰安婦を強制的に連行したと報道を行ってきた朝日新聞(2014年に記事取消を行っている)に対して「ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本人の尊厳を傷つけて国際社会における客観的評価を下げた。」として訴訟が行われている。
日本の裁判所での判決[編集]
●1991年、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件。2004年最高裁で敗訴。 ●1992年、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟。2003年最高裁で敗訴。- この関釜裁判における一審判決︵1998年4月27山口地裁下関支部︶では、原告らが売春を強制されたことを事実認定し、国の立法義務、立法の不作為を認め、一人あたり30万円の支払いを命じた。しかし、控訴審︵2001年3月29日、広島高裁︶は一審判決を破棄し、立法行為への規制が司法判断になじまない事、該当事項に関する立法責任が明文化されていない事などを理由に原告側の請求を﹁全面棄却﹂。最高裁への上告︵2003年3月25日︶も棄却、原告敗訴が確定。この一審判決は現在唯一の原告の勝訴であるが、国際法学者の大久保昭は﹁法理論構成上きわめて無理の多い判決﹂と評している[170]。 ●1993年4月5日、在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件。元慰安婦の在日韓国人宋神道が767億5893万7500円の支払い補償と謝罪を日本国に対して提訴した。2000年11月30日、東京地裁は請求棄却。この際、判決効力に関連のない傍論において、裁判長は旧日本軍の慰安婦に対する行為が国際法違反であるとの意見を述べた。この傍論をもってVAWW-NETジャパンは﹁国際法違反であると事実認定された﹂と解釈している。[要出典] 2003年3月28日、最高裁判所が上告棄却により原告敗訴確定。模擬裁判[編集]
韓国の裁判所での判決[編集]
●1966年、大韓民国大法院は慰安婦として35歳までに得られるはずであった報酬に見合う損害賠償を求めた慰安婦の告訴を棄却[171]。韓国行政裁判所による判決 (2009)[編集]
その後、2009年8月14日、ソウル行政裁判所は﹁1965年に締結された日韓請求権並びに経済協力協定により日本政府から無償で支給された3億ドル︵1965年当時のレートで1080億円︶で徴用者への未払い賃金への対日請求が完結しており、大韓民国外交通商部としては﹁すでに補償は解決済み﹂とした[172][173]。韓国外務省による再請求と韓国憲法裁判所判決 (2011)[編集]
しかし、大韓民国外交通商部は2010年3月15日に、慰安婦については﹁1965年の対日請求の対象外﹂として﹁日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している﹂と発表[174]。同年3月17日、日本政府は改めて﹁日韓請求権並びに経済協力協定により、両国間における請求権は、完全かつ最終的に解決されている﹂とする見解を発表した[175]。 2011年8月10日、韓国の憲法裁判所が﹁韓国政府が元慰安婦の賠償請求に関する日韓間の協定解釈の相違をめぐる争いを解決しないことは憲法違反﹂と判決[176][177][178][179]。9月15日、韓国外交通商省の趙世暎東北アジア局長は﹁慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、日韓請求権・経済協力協定第3条により両国間協議を開催することを希望する﹂という口上書を日本側に提出、9月24日のニューヨークでの日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求をおこなう[179]。しかし10月19日のソウルでの日韓首脳会談では、慰安婦問題は議題にならなかった[179]。2013年5月22日、この件に関して岸田外務大臣が国会で﹁具体的な協議等が行われたということは承知しておりません。﹂と答弁した[180]。フィリピンの裁判所での判決[編集]
2010年4月28日、フィリピン最高裁は自国民の日本政府に対する謝罪要求について裁判所がフィリピン政府に意見することは出来ないとして請求棄却[181]。また、日本との外交関係を混乱させ地域の安定を損なうとの外務省の判断があったと指摘した[182]。原告の慰安婦たちは、当局に国際司法の場に持ち込むよう要求、また1951年の日本国との平和条約は無効とし、アジア女性基金から償い金を受け取り謝罪を受け入れたフィリピン政府を国際法違反と主張した[182]。米国での慰安婦訴訟[編集]
ヘイデン法[編集]
対日非難決議[編集]
慰安婦訴訟[編集]
2000年9月18日、第二次世界大戦中に日本軍に慰安婦にさせられたとする在米中国人や韓国、フィリピン、台湾人女性ら計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟をワシントン連邦地方裁判所で起こした[190][191]。 原告のなかにはアメリカ市民でないものも多かったが外国人不法行為請求権法に依拠した[191][192]。アメリカに限らず国際民事訴訟においては外国主権国家に対して主権免除の原則があり、外国の国家を裁くことはできない[190][192]が、アメリカ法の外国主権者免責法 (Foreign Sovereign Immunities Act; FSIA)[193]では国家の商業行為は例外とされており、元慰安婦ら原告側は﹁日本軍慰安婦制度には商業的要素もあった﹂として訴えをおこした[190]。日本政府は﹁日本国との平和条約︵サンフランシスコ講和条約︶での国家間の合意で解決ずみ﹂としてワシントン地裁に訴えの却下を求めた[190]。連邦地方裁判所判決﹁ウォーカー判決﹂と米政府見解[編集]
2000年9月21日、サンフランシスコ連邦地方裁判所は﹁日本国との平和条約において請求権は決着済み﹂﹁追加賠償を求めることは同条約によって阻まれている﹂として元米兵や元連合軍人らの集団訴訟12件に対して請求棄却した[183]。集団訴訟の請求内容が日本国との平和条約に密接に関係するため、サンフランシスコ連邦地方裁判所のボーン・R・ウォーカー判事が﹁アメリカの連邦法や条約に関わる訴訟は連邦裁判所が裁判管轄権を有する﹂として27件を一括処理した[183]。ウォーカー判事は、元軍人による13件の訴訟については、連合国が対日賠償請求権を放棄した日本国との平和条約14条に抵触することは明白とし、さらに原告が日本国との平和条約26条について﹁日本は他の六カ国との協定で賠償責任を認める好条件を出したから、連合国国民も請求できる﹂と主張した件については﹁26条の適用請求を決定するのは条約の当事者である米国政府であって、原告個人ではない﹂と却下した[183]。他方、中国・韓国人・フィリピン人らの集団訴訟には他の争点があるため審理継続とされた[183]。 2000年10月31日、米上院は﹁強制労働被害者と日本企業の賠償問題について政府は最善の努力をすべき﹂とする決議案[194]を全会一致で可決した[183]。 2000年12月13日の法廷でウォーカー連邦裁判事は5件を請求棄却し、これにより元軍人の請求はすべて棄却され、﹁戦後補償は平和条約で解決済み﹂とする日米両政府の立場が司法判断で確認された[183]。被告側のマーガレット・ファイファー弁護士は﹁フィリピンは平和条約を批准しており、賠償請求権はない﹂とし、条約締結国でない韓国と中国については日韓基本条約と日中共同声明が日本国との平和条約の枠内にあり、請求権は放棄されていると述べ、また米司法省代理人も﹁カリフォルニア州法それ自体が合衆国憲法に違反し、アメリカと日本、韓国、中国、フィリピンの国際関係を破壊するもの﹂と指摘した[183]。 クリントン民主党政権下の米政府の意見書では ﹁平和条約は中国や韓国との賠償問題については二国間条約で解決するよう求め、日本はそれを果たした﹂ ﹁こうした各条約の枠組みが崩れた場合、日本と米国および他国との関係に重大な結果をもたらす﹂ と明記された[183][195]。 2001年5月、共和党ブッシュ政権下の司法省はワシントン地裁に法廷助言︵アミカス・キュリエ︶を行い、﹁日本国との平和条約の解釈が論点となる訴訟の管轄権は連邦裁判所に属する﹂とし[183]、またアメリカ政府は外国主権者免責法にもとづき日本政府の要請を支持すると表明した[192]。2001年6月にはアメリカ上院司法委員会の公聴会で国務省・司法省ともに﹁訴訟は無効﹂とした[183][196]。 2001年9月4日、元米兵が日本政府に1兆ドルの賠償金を請求して提訴[197]。9月6日に、米国務省のバウチャー報道官が対日賠償請求運動について﹁平和条約で決着済み﹂と声明を出し[197]さらに8日にはパウエル国務長官が同見解を述べた[198]。 しかし、9月10日には米上院で、司法省と国務省が対日賠償訴訟に関して意見陳述を行うことを禁じる修正条項法案が可決した[199]︵提案者は共和党ボブ・スミス上院議員︶。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生。10月には元駐日大使のトーマス・フォーリー、ウォルター・モンデール、マイケル・アマコストが修正法案は﹁米国の安全保障に緊要な条約の破棄になりかねない法案﹂であり、﹁訴訟に根拠を与えるいかなる措置も平和条約の重要な条項に違反する﹂として、日本国との平和条約は米国の太平洋地域の安全保障の要石であり、またドイツは連合国と平和条約を締結しなかったが、日本はドイツと異なり明確に決着したこと、また元軍人には日本からの接収資産から一人3000ドル︵2万3000ドル︶の補償もすでに行われていると批判した[200]。11月20日、米国議会は上下両院で可決した修正法案を最終審議の議会両院協議会で抹消した[201]。 2001年9月17日、米連邦裁ウォーカー判事は中国・韓国・フィリピン人による対日賠償請求訴訟について﹁フィリピンは平和条約を批准しており、賠償請求をできない﹂、中国・韓国人については﹁ヘイデン法が憲法違反であり、したがって訴訟も無効﹂と判決し、訴えを却下した[202]。原告は控訴。 2001年10月4日、ワシントン米連邦地裁は慰安婦訴訟について日本側の主張を認め請求棄却[191][203]。原告側はD.C.巡回区控訴裁判所︵高裁︶へ控訴。米最高裁判決[編集]
2003年1月15日にカリフォルニア州高裁は、1999年に施行された戦時中の強制労働への賠償請求を認めたカリフォルニア州法は合憲とした[204]。 しかし、1月21日にサンフランシスコ連邦高裁は ﹁アメリカ合衆国憲法は外交権を連邦政府のみに与えており、戦後補償をめぐりカリフォルニア州が訴訟を起こす権利を州法でつくり出すことはできない[204]﹂ ﹁個人の賠償を解決するために裁判所を使うことは米国の外交権に反する[205]﹂ としてカリフォルニア州法のヘイデン法を憲法違反と司法判断し、日本企業への集団訴訟28件をすべて却下した[204][205]。 慰安婦訴訟についてワシントンD.C.巡回区控訴裁判所︵高裁︶が主権免除の商業活動例外は法の不遡及によって適用されないとして2003年6月27日に一審判決を支持し棄却[206]。2003年10月6日、米国連邦最高裁判所は上告棄却[207]。2004年6月14日、米国連邦最高裁判所はワシントン高裁へ差し戻す[208]、2005年6月28日、ワシントン高裁は平和条約と請求権については司法府に審査権が付与されない政治的問題として一審判決を再び支持した[209]。原告側は最高裁へ再審請求し、2006年2月21日にアメリカ合衆国最高裁判所は、却下の最終司法判断を下した[190][210][211]。このアメリカ最高裁の判決によって米国の司法当局および裁判所が日本軍慰安婦案件については米国で裁くことはできなくなり、また米国で訴訟を起こすこともできなくなった[190]。これらの集団訴訟に際してアメリカ合衆国政府・国務省・司法省は一貫して﹁サンフランシスコ平和条約で解決済み﹂との日本政府と同じ立場を明言している[190]。ただし、立法府︵議会︶はこの限りではない[190]ため、その後も下院などで非難決議が出されていく。日本への慰安婦に対する謝罪要求決議案提出[編集]
安倍発言[編集]
安倍晋三首相は2006年の組閣後、2007年3月1日に﹁旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない﹂と発言[213][214]、3月5日には対日決議案は﹁客観的事実に基づいていない﹂と述べた[215]。安倍首相は他方で当時の慰安婦の経済状況について考慮すべきこと、斡旋業者が﹁事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった﹂とも発言した[214]。この安倍発言は国内外で大きな波紋を呼び、ワシントンポストは﹁二枚舌﹂と批判した[216]。対日非難決議案の動きについて麻生太郎外務大臣は3月11日のフジテレビ番組で北朝鮮、韓国、中国などによる日米離間︵分断︶の反日工作と指摘した[217]。3月31日には元慰安婦へ補償を行なってきたアジア女性基金が解散。またアルジャジーラは﹁アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を作り出そうとしている﹂と報じた[218]。 安倍内閣は、2007年3月16日付で、﹁河野談話をこれからも継承していく﹂としつつ、﹁官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった﹂とし、﹁政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった﹂とする政府答弁書を閣議決定した[219][220]。また第二次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して﹁河野談話の見直し・改変﹂を唱えていたが[221]、2013年5月24日、﹁安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる﹂と辻元清美の質問主意書には応えている[222][223]。 2007年4月3日、米議会調査局報告書で日本軍は朝鮮半島での直接の徴集を行っていないこと、これまでに日本は謝罪や賠償努力を行なってきたことを指摘して、これ以上の賠償要求を行うことに疑問を呈した[224]。安倍首相は4月27日に初訪米し﹁私の真意が正しく伝わっていない﹂と、また慰安婦が当時苦しい状況にあったことに﹁心から同情する﹂と述べた。前日の4月26日にはワシントン・ポストに在米韓国人団体が﹁日本は全面的な責任をとったことは一度もない﹂と意見広告を掲載していた。米国下院121号決議[編集]
韓国系・中国系住民によるロビー活動[編集]
在米韓国人のロビー活動と政治資金提供[編集]
対日謝罪要求決議の採択は、在米韓国人によって全米各地に慰安婦謝罪決議案採択のための汎対策委員会が設立され、対日謝罪要求決議が可決されるよう韓国系アメリカ人によるアメリカ下院議員へのロビー活動の結果だった[228]。日本政府も採択阻止のため4200万円かけてロビー活動を展開したが、失敗した[229]。在米韓国人による米国議員への政治後援金は2007年から2011年までで総額300万ドルにおよび、政党別では民主党へ179万7155ドル、共和党へ114万8597ドルで、年度別では2007年に70万4669ドル、2008年に101万2195ドル、2009年に86万4099ドル、2010年に36万4789ドルであった[230]。議員別ではマイク・ホンダが米国議員のなかで最も多額である13万9,154ドルの政治資金を集めた[230]。在外中国人団体・世界抗日戦争史実維護連合会のロビー活動[編集]
マイク・ホンダ議員は在米中国人の反日団体の世界抗日戦争史実維護連合会︵抗日連合会、Global Alliance for Preserving the History of WW II in Asia[231]︶からも政治資金の提供を受けている[232][233][234]。抗日連合会の本部は米国カリフォルニア州クパナティノで、ホンダ議員の選挙区内である[226]。その対日戦略の基本方針はアジアでの中国の覇権を確保するために日本の力を何があっても阻止するというもの[232]で、公式サイトでも﹁過去を忘却する民族がその過ちを今後繰り返すたびに、そのつど非難されねばならない﹂等と明記されている[235]。同団体は1997年にアイリス・チャンの﹃レイプ・オブ・南京﹄の宣伝と販売促進[233]、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りに反対するために全世界で数千万人の署名を集めたり[233]、日本国内でも憲法9条改正の阻止[232]、慰安婦問題・南京事件・靖国神社問題などで戦争責任を繰り返し日本に叩きつけ、また米国をはじめとする世界各国での反日プロパガンダによって日米分断させ、日本の孤立化と弱体化をめざす[232]。2002年2月には上海で中国政府が開催した﹁第2次世界大戦の補償問題に関する国際法律会議﹂にも参加しており、中国政府との連携も指摘されている[232]。カナダでも抗日連合会支部が活動し、対日謝罪決議が採択された[226]︵後述︶。 下院決議採択直後の2007年8月末にはマイク・ホンダ議員が中国系アメリカ人ノーマン・シューから資金提供を受けていたことが発覚し、謝罪した[236]。 米国での採択を受けて挺対協は対日謝罪要求決議が各国でもなされるよう運動し[228]、民団機関誌﹁民団新聞﹂も8月29日記事で日本への謝罪要求決議がアメリカに続けて世界各国で決議されるように活動することを呼びかけた[228]。2007年9月20日にオーストラリア上院、11月20日にオランダ下院、11月28日にカナダ下院で対日謝罪決議が採択された。世界抗日戦争史実維護連合会カナダ支部のロビー活動[編集]
カナダの決議案では﹁日本政府は日本軍のための﹃慰安婦﹄の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定していくこと﹂と明記された[226]。カナダで対日謝罪決議を推進したのは野党の新民主党の中国系女性議員オリビア・チョウ︵鄒至蕙︶で[226]、またカナダには世界抗日戦争史実維護連合会の支部カナダALPHA︵第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合︶がロビー活動を持続的に行なっており2005年にはカナダの教科書に南京事件がユダヤのホロコーストに並んで記載され、この対日決議案も推進した[226]。カナダでの決議採択は2007年3月27日に国際人権小委員会で賛成4票、反対3票で可決、次にカナダ下院外交委員会で5月10日に審議されたがカナダ保守党議員らが﹁日本への内政干渉だ﹂﹁日本はすでに謝罪している﹂と反対、再調査として差し戻された[226]。以降、カナダALPHAの活動は過激化し、カナダ全土の中国系住民をはじめ韓国系・日系住民を動員し、トロントALPHA、ブリティッシュコロンビアALPHAなどの組織を編成、セミナーやロビー活動を展開した[226]。 2007年10月4日から6日まで米国ロスアンジェルスで開催された抗日連合会主催の日本糾弾国際会議[226]でエニ・ファレオマバエンガ米国下院議員が﹁今後は女性の弾圧や人権の抑圧に関して、日本の慰安婦問題から次元を高めて、国際的な条約や協定の違反行為へと監視の視線を向けていくべきだ。日本ばかりを糾弾しても意味がない。日本にいまさら慰安婦問題などで賠償を払わせることはできない﹂と主張したが、カナダALPHA議長セルカ・リットは﹁日本国民の意識を高めるために日本政府を非難し続けることの方が必要﹂と反論、同会議の声明では日本のみを対象とした謝罪賠償が要求された[226]。 2007年12月13日にEUの欧州議会本会議でも対日謝罪決議が採択された[237]。翌2008年3月11日にフィリピン下院外交委[238]、10月27日に韓国国会は謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択[239]、11月11日に台湾の立法院︵国会︶が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択する[240]など、サンフランシスコ講和条約締結国[241]を多く含む国から日本のみを対象とする決議が次々に出された。 これらの対日決議を採択した国には朝鮮戦争に国連軍として参加した国も含まれ[242]、それらの国は戦時中に韓国の慰安所を利用していた[243]。古森義久や渡部昇一は東京裁判やサンフランシスコ講和条約で日本軍の戦争責任や賠償は終わっており、講和条約以前のことを持ち出すことは国際法違反と批判している[244][245]。 2009年8月には韓国江原道知事の招待でマイク・ホンダ米下院議員が訪韓し、江原大学名誉博士号を受けたり韓国のナヌムの家を訪れた[246][247]。また韓国外務省はホンダ議員の対日行動に感謝の意を表明するとともにFTA批准の協力を求めた[248]。 日本国内では2010年頃より、在日特権を許さない市民の会や主権回復を目指す会などの﹁保守系住民団体[249]﹂は、﹁日本軍の従軍慰安婦への謝罪と補償﹂を要求している団体と激しく対立している[249]。﹁慰安婦問題﹂の政治的な背景[編集]
韓国による政治的利用[編集]
自国にも慰安婦が存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国︵韓国軍がベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になった︶[250]や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであるとの主張もある[誰によって?][250][251]。また日本に対する道徳的優位を誇示することで得られるナショナリズム的な﹁民族的快感﹂のために韓国は慰安婦問題を国際社会において利用しているとする見方もある[誰によって?][252]。 アジア女性基金の大久保昭も﹁1990年代の韓国では、慰安婦問題は建国以来一貫して世論の底流をなす反日ナショナリズムの象徴となり、聖化された﹂﹁挺体協は90年代韓国のヒロインだった﹂と述べている[253]。 韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は2009年の著書で、慰安婦を﹁性奴隷﹂や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確であるとしたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さないまま﹁日帝による被害の物語﹂を国民に押し付け、誤導したと批判している[254]。ソー教授は﹁慰安婦が強制連行された﹂という物語は陳腐な教義[255]であり、韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、韓国社会が被害者意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦にトラウマを与えた共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだとした[254]。テンプル大学のジェフリー・キングストン教授はこの本について、勇気あるこの著書は慰安婦問題への理解を深めるものであり、また日本と韓国の和解を期待させると評した[254]。北朝鮮の関与[編集]
コリア国際研究所所長の朴斗鎭は、従北政権と北朝鮮によるプロパガンダで韓日分断を目的としていると述べている[122]。日韓基本条約﹁無効﹂論[編集]
●日本政府は日韓基本条約および日韓請求権並びに経済協力協定で日韓の戦時中の補償問題は解決を見ているとの立場を一貫している。 ●しかし、2009年1月27日、法改正推進国会の金映宣政務委員長は﹁日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律﹂[256][257]改正案を国会に提出した際、日韓基本条約については無効と主張した[258]。2011年8月16日には、韓国で﹁日韓協定無効化のための国民行動﹂準備委員会が発足し、同団体は﹁日韓基本条約は無効﹂と主張し、韓国政府に日韓基本条約の破棄とその無効性を認めるよう働きかけるとしている[259]。 2017年11月、8月14日を﹁日本軍慰安婦被害者追悼の日﹂として国家記念日に定め、翌年に忠清南道天安市で政府主催の式典を開催し、文在寅大統領、鄭鉉栢女性家族部長官らが参加した[260]。日本の運動家による工作[編集]
﹁河野談話﹂発表に関わった当時、内閣官房副長官だった石原信雄は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり﹁韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない﹂という状況があったと語っている[261]。韓国の盧泰愚大統領も、慰安婦問題の発生について﹁日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。﹂と語っている[262]。韓国運動団体による和解拒否[編集]
韓国運動団体の補償金詐欺[編集]
2011年5月、韓国ソウル市警察は、太平洋戦争犠牲者遺族会や民間請求権訴訟団などの団体幹部39名を詐欺の容疑で摘発した[270]。摘発された団体は慰安婦問題や強制連行問題について活動してきた反日団体で、日本政府から補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン︵約1億2千万円︶をだまし取っており、被害者は3万人に上った[270]。 ソウル市警察の発表によれば梁順任太平洋戦争犠牲者遺族会会長は各種団体への会員を募集する際に﹁動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる﹂といって勧誘していた[270]。また会員を集めてきた場合には手当を支払うなどしていた[270]。 この梁順任会長は、1991年8月11日に﹁女子挺身隊の名で戦場に連行され﹂と朝日新聞紙面で誤報記事を執筆した記者植村隆の義母でもある[271]。 ︵本項#日韓メディアによる報道、慰安婦#日本軍の慰安婦も参照︶支援団体代表の政界進出と告発[編集]
2020年4月、慰安婦支援団体の日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯代表尹美香が韓国の第21代総選挙に与党の共に民主党から比例で出馬し当選、政界に進出した。しかし、2020年5月7日に30年間に彼女らの活動に元慰安婦の一人として参加し続けていた李容洙は慰安婦支援団体やその関連組織に利用だけされていたことを告発。更に﹁募金集め目的の水曜集会なくすべき﹂﹁寄付金・基金などが集まれば慰安婦らに使うべきだが、使われたことがない﹂﹁もう二度と慰安婦団体と関わらない﹂と批判した[272]。李容洙の告発以降、支援団体の過去の不正会計疑惑や、前代表に対する各種疑惑が次々と報じられ、韓国内で波紋を広げている。慰安婦像・慰安婦の碑[編集]
旧日本軍慰慰安婦に関する石碑や像が、韓国、中国、台湾、日本、フィリピンに設置されている他、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツでは、韓国韓国系や中国系住民が多い地域を中心に、それらの団体や勢力により設置されている。特に韓国では、慰安婦問題を追及する民間団体である韓国挺身隊問題対策協議会が中心となり50体以上の慰安婦像を設置しており、ソウルの日本大使館前や釜山の日本総領事館前の慰安婦像は、日韓の外交問題に発展している。 日本では、「性奴隷」や「20万人以上の慰安婦」など事実にそぐわない碑文や像の設置に抗議している。
その他の近年の動向[編集]
日本軍慰安婦問題の論点[編集]
「慰安婦の強制連行」をめぐる議論[編集]
軍の関与[編集]
中央大学教授吉見義明は、警察資料、拓務省・内務省の資料の一部、従軍日誌や軍の業務日誌類、法務省・外務省の戦犯裁判資料、厚生省の復員・援護関係資料などが非公開なので事実究明には制約があると主張している[290]。 吉見義明は軍の関与について以下の例を挙げている。慰安婦の総数[編集]
慰安婦の総数が把握できる正確な資料が発見されていないため、軍人の総数・公娼の人数などから複数の研究者により推論されている。その数は2万~40万人と幅広く、中でも20万人説が広く流布されているが、この20万人説については根拠がないとの反論も多い。︵千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行﹁20万﹂説も参照︶推考資料[編集]
●外地の日本軍・軍属の総数は、満州︵40 - 66万人︶を別として、太平洋 - ビルマ︵現‥ミャンマー︶に展開した時期で140 - 150万人、﹁大陸打通作戦﹂の末期においては280万人程度とされている[297]。 ●当時の朝鮮半島の総人口は約2500万人前後[298]で、20歳前後の女性は約280万人とも推算される[299]。 ●内地の公娼は、第二次上海事変以前の1937年の21万をピークに太平洋戦争初期の1942年には14.5万人に減少するのに対し、中国本土の日本人娼婦は1935年よりも1940年時点では約1.2万人増加している[300][301][302]。朝鮮での公娼の総数は1930年代から1942年までは日本人を含めて約1万人である[303]。 ●慰安婦の総数の計算法には、日本軍総数を母数とした慰安婦数の推算方法があり、交代率なども考慮されるが、いずれも各研究者によって異なる[304]。アジア女性基金は、慰安婦の総数について、日本軍の兵員総数を慰安婦一人あたり兵員数で除した上で交代率、帰還による入れ替りの度合いを考慮に入れるという手法で行われた各研究者の推算を、以下のように公表している[305]。研究者名 | 発表年 | 兵総数 | パラメーター | 交代率 | 慰安婦数 |
---|---|---|---|---|---|
秦郁彦 | 1993 | 300万人 | 兵50人に1人 | 1.5 | 9万人 |
吉見義明 | 1995 | 300万人 | 兵100人に1人 | 1.5 | 4万5000人 |
兵30人に1人 | 2 | 20万人 | |||
蘇智良 | 1999 | 300万人 | 兵30人に1人 | 3.5 | 36万人 |
4 | 41万人 | ||||
秦郁彦 | 1999 | 250万人 | 兵150人に1人 | 1.5 | 2万人 |
民族別内訳[編集]
日本における諸説[編集]
●日本政府・アジア女性基金調査では、慰安所および慰安婦が存在したことは認められるものの、慰安婦の総数は不明とした[304][309]。 ●日本大学教授秦郁彦は慰安婦総数を当初9万人としていたが、1999年計算を修正し約2万人と推定している[304][注釈 4][311][312]。 ●中央大学教授吉見義明は、総数を4万5000人~20万人と推算︵1995年︶[304]。 ●民主党は、8 - 20万人としている[90]。韓国における諸説[編集]
●韓国政府は資料不足のため慰安婦にされた女性の数は正確には分からないとしているが、最小3万人最大40万人の学説があると述べている[313]。 ●1993年に﹁挺身隊研究会﹂会長の鄭鎮星︵チョン・ジンソン︶ソウル大学教授は﹁8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦﹂とした[314]。 ●2009年 中央日報は、歴史学者たちによると20万人以上としている[315]。国定教科書における記載[編集]
韓国国定教科書では朝鮮女性数十万人を慰安婦にし、650万人を強制連行したと記載している[316][317][318]が、学術的な根拠は不明。李榮薫 ソウル大学教授は、1937年に日本軍首脳は兵士150人につき1名の慰安婦を充当せよという指令を出したとしている[319]。韓国政府による認定者[編集]
2004年までに韓国政府 女性家族部認定の元日本軍慰安婦は、既に死去した人を合わせて計207人[265]、2005年には計215人で内88人が死亡した[320]とし、2009年[321]と2011年には合計234人としている[322]。 ●2015年12月現在、計238人。内、生存者は46人。平均年齢は89,2歳[323]︵終戦当時19歳︶。北朝鮮の見解[編集]
北朝鮮は2005年4月に国連代表部金永好書記官がジュネーヴ 国連人権委員会で、朝鮮人慰安婦の総数は20万人、強制連行された人数は840万人だと主張している[316][317][318][324]。中国における諸説[編集]
上海師範大学﹁中国慰安婦問題研究中心﹂所長の蘇智良は1999年、荒舩清十郎発言︵14万2000人説︶に依拠し、慰安婦総数は36万から41万で、このうち中国人慰安婦は20万と推算[304][325]。日本政府・アジア女性基金はこの推算について、根拠が荒船発言という個人の見解に基づくものであり、誤導された推論として批判している[304]。 なお、蘇智良は1996年の計算では中国天津慰安所研究により、慰安婦総数を40万人、朝鮮人慰安婦20万人、中国人と日本人の慰安婦が各10万ずつとしていた。アメリカ合衆国における記述[編集]
●ニューヨーク・タイムズ記者ノリミツ・オオニシは名前は明らかにしないが日本人歴史学者達によると日本軍慰安婦は最大20万人であるとしている[148]。慰安婦のほとんどが家庭から拉致され最前線に連行された10代の朝鮮女性であるとしており、アメリカ軍の場合とはこの点で大きく異なるものであるとしている[326]。 ●アメリカ合衆国の歴史教科書﹃Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past﹄では、最大で30万人もの14-20歳の女性たちを強制的に徴集して性行為を強要したとしている[327]。さらに、﹁日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。﹂などとしている[327]。この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている[327]。 ●韓国系米国人の運動により全米に建立された慰安婦の碑の多くには慰安婦の数を20万人以上と記している。国連人権委員会の報告書[編集]
国連人権委員会に採択されたマクドゥーガル報告書では慰安婦の総数を20万人以上としている。 数値の根拠には、1965年11月20日に自民党議員荒舩清十郎が選挙区の集会︵秩父郡市軍恩連盟招待会︶で発言した﹁朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる﹂を引用しているが︵マグドゥーガル報告書では﹁14万5000人の朝鮮人性奴隷が死んだという日本の自民党国会議員荒舩清十郎の1975年の声明﹂として誤った数字を記載している︶[304]、アジア女性基金はこの慰安婦の数値は荒船議員が勝手にならべたものであり、これが根拠とされることは遺憾だとしている[304]。︵詳しくはマクドゥーガル報告書を参照︶その他[編集]
- 1967年、韓国で出版された文定昌『軍国日本朝鮮強占三六年史・下』(柏文堂)には、「1933年ごろからは花柳界の朝鮮人・日本人女性たちを慰安婦という名称で満州から北支方面に出動させたが、その数は世間では20万人と言われ、41年ごろからは良家の乙女たちを奪って女子挺身隊という名で、どこかへと連行し始めた」という記述があり、根拠不明の慰安婦20万人という数字が初めて現れる。
- 1972年、『現代の眼』4月号に掲載された作家金一勉の「荒船暴言は未見の『震災大虐殺』を呼んでいる」と題した記事で、慰安婦について「戦争中、朝鮮各地から十六歲〜十九歳の娘ばかりを強制的に集めて『特志看護婦』にするとだまして、戦地へ送り込み、いきなり『軍隊女郎』に仕立てたものである。その数は『推定二十万人』といわれる」としている。金は1976年の著書『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』でもこれを繰り返した。歴史学者の吉見義明や韓国挺身隊問題対策協議会共同代表の尹貞玉などがこれを典拠に20万人説を唱えた。
- 1973年、作家千田夏光は、挺身隊という名のもとに総計20万人(韓国側の推計)の朝鮮人が集められ、うち5万人~7万人が慰安婦にされたとしている。(詳細は「千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説」を参照)
- 『マンガ嫌韓流』の著者山野車輪等は、総数を4000人程度としている。
千田夏光 著作『従軍慰安婦』の問題点[編集]
元慰安婦の証言に関する問題点[編集]
﹁公娼﹂か﹁性奴隷﹂か[編集]
﹁性奴隷﹂言説[編集]
日本軍慰安所における慰安婦を﹁性奴隷﹂と表現する潮流がある。これについては日本弁護士連合会および日弁連海外調査特別委員の戸塚悦朗弁護士を中心に1992年頃から﹁慰安婦﹂という言葉でなく﹁Sex Slaves︵性奴隷︶﹂という表記の方が正しいとして国連でロビー活動を続けた結果、1993年以降、国連で浸透していったことが明らかになっており、日弁連も公式サイトでその旨を明記している[328]︵#国連などでの慰安婦の扱いおよび#宮澤首相による謝罪を参照︶。以降、1996年のクマラスワミ報告、1998年のマクドゥーガル報告書でも﹁性奴隷﹂と明記された。 インドネシア等で外国人収容者らから表立って問題にされ発覚し、日本軍自ら︵なあなあで軽く済ましたとはいえ︶処罰が行われた例もあり、秦郁彦のように、性奴隷に等しい例もあったこと自体については認める研究者は少なからず日本にも存在する。 しかし、朝鮮人女性については、奴隷狩りのように強制的に狩り集めたと証言してきた吉田清治が1996年5月に自らの証言について、関係者に迷惑をかけないため、事実を変えた部分もあることを﹃週刊新潮﹄で告白して以降[329][330]、慰安婦強制連行問題を追及してきた吉見義明も1997年には、朝鮮で官憲ないし軍による奴隷狩りを行ったとする証拠は確認されていないと発言した[331]︵﹁#強制連行の有無﹂参照︶。もっとも、その後の今田真人らによる国会図書館等での記録調査により、従来は歴史家にもあまり知られていなかった日本軍の要請や内務省の指示による慰安婦集めが、吉田清治が証言したように、行われていたことも可能性としてはあり得ることが確認されている[332]。 中国帰還者連絡会会員の湯浅謙も1998年に季刊﹃中帰連﹄に発表した文章において、戦時中、湯浅が中国の山西省南部の陸軍病院の軍医として従軍し、朝鮮人慰安婦の性病検査なども行なったとして、﹁当時の軍人にとって慰安婦は料金も払うし愛想もよかったので﹁公娼﹂に見えたが、植民地支配下にあって、彼女たちは抵抗することも﹁強制され連れて来られた﹂と異議を唱えることもできない状況下にあったので、﹁性的奴隷﹂であった旨を語っている[333]。 日本の戦争犯罪・戦争責任を追及しているNGO﹁日本の戦争責任資料センター﹂は2007年2月の声明において﹁﹃日本軍慰安婦﹄制度は、慰安婦たちに居住の自由、廃業の自由、外出の自由や慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった﹂﹁故郷から遠く離れた占領地から逃亡することは不可能だった﹂などの理由から、﹁公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、﹃日本軍慰安婦﹄制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった﹂旨を主張している[334]。2007年7月に採択されたアメリカ合衆国下院121号決議では﹁強制軍売春という﹃慰安婦制度﹄は“残忍さという点で前例のないもの”と認識されており、“20世紀における最大の人身売買の一つ”である﹂と主張した。 こうした性奴隷説について、韓国の評論家金完燮は2004年に﹁軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題であり、“性奴隷”というのは反日キャンペーンのために発明された用語だ﹂と批判した[335]。﹃産経新聞﹄は2007年5月18日記事で、米国戦争情報局心理作戦班報告には﹁慰安婦の雇用条件や契約条件が明記されており、慰安婦の女性が一定額の借金を返せば解放されるという条項があるという点で、当時の米軍当局が日本軍の“強制徴用”や“性奴隷”とは違った認識を持っていた証拠になる﹂と指摘している[336]。 アジア女性基金で東京大学教授の大久保昭は﹁元慰安婦が性的奴隷にさせられたのはすべて日本の軍や警察権力による強制にもとづくという、一部の学者、NGO、メディアによって1990年代初期に唱えられた主張も、歴史的事実とは懸け離れた思い込みにすぎない﹂と批判している[253]。 李栄薫は、韓国の運動団体などが日本の国家的責任を追及する武器にしている﹁性奴隷説﹂は、元々は日本の歴史学者が提起し、韓国の研究者や運動団体を鼓舞したと述べた。李は、これを歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説だと批判している[337]。 ﹃産経新聞﹄は、アメリカ政府が2007年4月にまとめた﹁ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班 ︵IWG︶米国議会あて最終報告﹂の内容について、﹁日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や﹁女性の組織的な奴隷化﹂の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかった、としている[338]。マイケル・ヨンは﹁これだけの規模の調査で何も出てこないことは﹃20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした﹄という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ﹂と述べた[339]。 李容洙は、尹美香に対し﹁性奴隷﹂表現を批判した際、尹が﹁こう表現してこそ米国が怖がる﹂と答えたと述べている[155]。「公娼」言説[編集]
妓生と公娼[編集]
日本政府による資料の保管[編集]
作家千田夏光は自著﹃従軍慰安婦﹄︵1973年、双葉社︶で、朝鮮人慰安婦に関する資料は朝鮮で﹁焼却されたと伝えられる﹂として、しかし残った資料は朝鮮総督府東京事務所にあり、敗戦後には朝鮮銀行︵のちの日本債券信用銀行︶の大金庫に保管されているとしている[363]。 自民党の議員︵当時︶戸井田徹が、2007年時点で植民地時代の朝鮮総督府警察の刑事事件の記録などが国立公文書館に移管されていないことを指摘し、情報公開法に基づいて移管し公開すべきだと2007年4月25日の衆議院内閣委員会で政府に要請した。政府は努力すると答弁した[364]。元慰安婦の証言に関する問題点[編集]
元慰安婦の証言の検証と真正性[編集]
証言している慰安婦には、金学順、李容洙、姜徳景、金君子、金順徳、李玉善、鄭書云、文玉珠、黄錦周、宋神道、ジャン・ラフ・オハーン、ビクトリア・ロペス、プリシラ・バルトニコ、レメディオス・バレンシアなどおよそ80人がいる[要出典]。 韓国で初めて慰安婦であったことを名乗り出た金学順をはじめ、元慰安婦の証言の中に矛盾があるとして、その証言の信憑性を疑問視する指摘がこれまである[365]。慰安婦問題について日本政府を糾弾し続けてきた千田夏光も金学順の証言について、親族が業者に売却したということからすると、日本軍による強制連行であったかどうかは不明確と述べている[366]。 秦郁彦は慰安婦たちの身の上話︵証言︶について﹁検証ぬきで採用するわけにいかない﹂としている[367]。秦はさらに﹁だまして連行した朝鮮人周旋人や数年間起居を共にした慰安所の経営者についてもフルネームを陳述したケースがまったくないのは不自然きわまる﹂と指摘している[368][369]。 元駐日韓国大使の呉在煕は1993年1月7日に﹁政府の調査は徹底した証拠主義だから﹃一方的な証言﹄は認定できない﹂として、日本政府調査で証拠が出てこなかったことに関しても﹁当事者の言葉だけを信じてどうして認定するのですか。それは公的な調査をする我が政府でも同じです。日本政府が故意的に強制動員についての資料を隠しているとは思いません﹂と記者会見で述べた[370][371]。また、呉は﹁真相にはきりがなく、一定の線を引かなければならない﹂とも述べた[371][372]。しかし、この発言が報じられると関係団体から抗議をうけたため金泳三時期大統領から謝罪を命じられ、大使職も交代となった[373]。なお呉在煕は1992年1月の宮澤訪韓の際の韓国政府内会議でも﹁トップ会談では慰安婦問題を出すべきではない﹂と進言したが、大統領府は慰安婦問題を積極的に持ち出すことで対日貿易赤字について日本側の譲歩を引き出せると反論した[374][375]。 ほかにフェミニズム研究者の上野千鶴子は﹁<善意>のインタビュアーたちは、自分が聞きたい物語を聞き出すように、語りの図式を変形するという権力を、その聞き取りの現場において行使している﹂として聞き取り調査のあり方を批判している[376]。 小室直樹は、慰安婦問題の核心は挙証責任︵証明責任︶にあると指摘している[377]。刑事裁判および民事裁判において証明責任は原告︵検察︶側にあり、検事は合法的に被告が有罪であることを完全に証明しなくてはならない[377]。証明責任のない被告はアリバイを証明する必要もない[377]と指摘したうえで、慰安婦問題について被告は日本政府であり、原告を日本や韓国の運動団体とすれば、証明責任は運動側にあると主張した[377]。また無罪推定の原則によって、合理的な疑いを入れないまでに立証されない場合は被告人は無罪となる︵﹁証明責任﹂参照︶。さらに小室は国際法上、国家が﹁謝罪﹂するということは国家責任を負うことを意味し、賠償に応ずることを意味すると指摘し、首相や外相が﹁可哀想なひとたちだから﹂という理由だけでひとたび謝罪すれば挙証責任を日本が負わされることになるとして﹁謝罪外交﹂を強く批判している[377]。 中国海南島戦時性暴力被害裁判の支援団体ハイナンNET︵は大学生やフリーターなど、10代から20代の若者が中国海南島戦時性暴力被害裁判の支援を行なっているネットワーク︶による台湾元慰安婦の調査報告や石田米子・内田知行ら[378]によれば、最近︵2004年時点︶の調査では1人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行い、日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、研究者は証言の信頼性を確認しながら調査を行っているという。ただし、石田・内田らは1990年代の元慰安婦証言の批判的検証を行なっているわけではない。 他方、﹁被害者の証言を疑い、歴史学者や政府がその真偽を検討して判定しようとすること自体が被害者に対する抑圧であり、認められない﹂という主張がある[379]。東京大学教授で国際法学者の大久保昭はそのような主張を﹁被害者の聖化にほかならず、実際的意義を欠く﹂として、﹁﹃自分は慰安婦だった﹄と主張する人のなかに偽ってそう称する人が含まれることは、人間性の現実を受け入れるかぎり否定できない﹂と指摘している[379]。また、﹁真偽の判定にあたって被害者︵と主張する人︶に最大の配慮をすべきことは当然だが、個人への償いは、被害者を認定するという作業を経なければならない。その際、﹃自分は慰安婦だった﹄と主張する人のなかに虚偽の主張者が含まれる可能性がある以上、すべての人を元慰安婦と認定することはできない。主張の真実性を認定する基準と手続きをつくらなければならない﹂と提言した[379]。安秉直による検証調査[編集]
ソウル大学名誉教授安秉直を代表とする﹁挺身隊研究会﹂は韓国挺身隊問題対策協議会と共同で1992年7月から12月にかけて慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった[380]。一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談を経てまとめられた。調査の結果は半数以上が﹁意図的に事実を歪曲していると感じられる﹂などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった[381]。この調査報告書では強制連行は詐欺︵主︶を含めて大部分だとしている[382]p26p27︶。調査は1993年2月に韓国で挺対協・挺身隊研究会編﹃証言集1強制で連れて行かれた朝鮮人慰安婦たち﹄として刊行された[383]。しかし安秉直は﹁歴史学的に検証に堪える緻密な調査をすべきという私の考えに運動の論理が対立した﹂と挺対協との対立について回想し、証言集を発表してからは研究会を離れたとしている[384]。2006年、安は﹁強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない﹂﹁無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない﹂と述べ、慰安婦は﹁自発的﹂であったことを述べ、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、また共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している[385]。 現代朝鮮研究者の西岡力は安秉直調査による証言集に掲載された19人のうち、官憲等による﹁強制連行﹂だったと証言する女性は4人だけであり、その4人のうちの2人が語ったのは日本内地の富山県と、朝鮮半島南部にある釜山の﹁慰安所﹂であった[386]。しかしいずれも戦地ではなく、現地には公娼にいた遊廓があったため、軍がわざわざ強制連行する必然性がなく、信ぴょう性がないとした[386]。残り二人は金学順と文玉珠であり、文玉珠は当時2万6145円を貯金していた︵当時の3万円は現在での約1億3606万[387]︶慰安婦であるが、高木弁護士の作成した訴状ではビルマの慰安所に連行されたと証言しているのに、安秉直教授らの調査ではビルマの前に満州に連行されたと異なる証言をしたが、訴状作成の時点でなぜ満州への連行を陳述しなかったのか、その合理的理由が不明であり、信ぴょう性にかけると西岡は指摘している[388]。また両名共、日本政府を訴えた裁判の訴状では元﹁キーセン﹂であったと自ら認めていると西岡が﹃文藝春秋﹄1992年4月号に発表した﹁慰安婦問題とは何だったのか﹂︵以下﹁西岡論文﹂︶で指摘した[389][390][391]ところ、西岡の指摘後、金学順は﹁キーセンに売られて中国に連れて行かれたのだけど、業者の人と北京の食堂でご飯を食べていたら日本の軍人が来て連行された﹂とそれまでの証言を変えた[389][392]。金学順は1991年12月の訴状作成の時点では﹁養父に連れられて中国に渡った﹂と証言していたのを、1992年7月からの安秉直教授らの調査では﹁北京で日本軍人に暴力的に連行された﹂と証言を変更しており[393]、西岡は、裁判に有利なことを訴状で意図的に隠すとは思えず、こうした証言の変化は西岡論文での指摘を受けて付け加えたものとみるのが自然であると主張した[393]。また、信ぴょう性のある証言を行った日本軍に強制連行された朝鮮人慰安婦は一人もいなくなるとしている[393]。 吉見義明は1997年、研究者も強制連行のケースとは認定していない文玉珠に対し、強制連行ではないと主張しても研究上は意味をなさないと主張した[394]。しかし、文玉珠の証言は1993年の韓国の挺対協による調査においては、そのときの最も明白な強制連行の証言であった。それ以前の訴状には、騙されて掠われたことになっている[要出典]。非公開証言と日本外務省による﹁強制性﹂認定[編集]
宮澤内閣は1993年の﹁河野談話﹂発表以前に韓国政府の強い要請を受け、元慰安婦16人の証言を聞いたが、この時の元慰安婦の人選は韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が行い、証言には福島瑞穂弁護士などの立会い人が付き添った[395]。日本政府はこの証言に対する質問も、裏付け調査をすることも許されず、この調査における慰安婦の氏名も証言内容も非公開とされた[395]。 この時内閣官房副長官であった石原信雄は、当時どれだけ歴史資料を探しても﹁日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが﹂、元慰安婦は強制性があると証言するので、﹁総合的に判断して強制性を認めた﹂と語っている[396]。そのような判断に至った理由を﹁強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった﹂と語っている[396]。石原は、当時韓国政府は国家賠償を求めていなかったため、元慰安婦の名誉回復と日韓関係のために日本軍による強制性を認めたが、もし当時韓国側が日本政府による個人補償・国家賠償を求めていたら﹁通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていた﹂と語っており、この非公開の﹁聞き取り調査﹂における元慰安婦の証言に裏付けはなく一方的な被害証言であったことを認めている[395][396]。なお慰安婦を被告として裁判したケースはないため、偽証罪︵刑法第169条︶や事実認定︵刑事訴訟法第317条︶が法的に適用されたことはない。 平林博内閣外政審議室室長は、1997年3月12日の国会での小山孝雄参議院議員の質問に﹁政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった﹂と答弁[397]、翌日の新聞では﹃産経新聞﹄を除き、この﹁裏取りもせず、非公開のものだけで強制連行を認めた﹂とする政府答弁について報道するメディアはなく公聴会が開かれることもなかった[398]。西岡力は金縛りにあったように﹁誰も、なにもいえなかった﹂として、これは1988年に梶山静六がアベック失踪について北朝鮮による拉致が濃厚と答弁したときの翌日に産経と日経以外のメディアが報道しなかったことと同じ構図だったと述べている[399]。 この時の証言認定が河野談話の前提ともなり、また、韓国政府はその河野談話を日本政府が強制連行を認めた証拠として提示するようになる。 なお、河野洋平は河野談話発表後、﹁半世紀以上も前の話だから場所とか状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。﹂と、元慰安婦の証言の裏付けをとらずに証言は真正のものと認定している[400]。人権・人道に対する罪[編集]
戦後、ドイツは﹁人道に対する犯罪︵人道に対する罪︶には時効はない﹂と宣言した[401]。ただし、ドイツ軍︵ドイツ国防軍および武装親衛隊︶慰安婦への戦後補償は実施されていない[402]︶。ほか、日本のフェミニスト・女性学者[誰?]や、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などでは慰安婦問題を女性に対する暴力・性犯罪・強姦罪として問題にしている。 韓国系アメリカ人によるロビー活動においては近年、ホロコースト問題と日本軍慰安婦制度問題とを同列に考えようとしてユダヤ系アメリカ人との連携を進行させており、2011年12月15日にはコロンビア大学で﹁女性の権利﹂フォーラム主催のシンポジウム﹁人類の希望‥ホロコーストと慰安婦の生存者の声﹂が開かれホロコーストの生存者である女性2名と、元慰安婦2名、チャールズ・ランセル下院議員、韓国系アメリカ人投票者協議会︵KAVC︶のドンチャン・キム会長らが参加した[403]。また2012年5月に慰安婦の碑を建てたパリセイズ・パーク市に対して日本側が抗議を開始した直後に訪韓したヒラリー・クリントン国務長官は﹁︵日本軍慰安婦制度の問題︶は性奴隷の話であり、女性の権利と人道に対する罪の文脈で考えられなければならない﹂と内輪の席で述べたうえで、日本軍慰安婦制度は﹁唾棄すべきもの﹂で﹁巨大な規模の重大な人権侵犯﹂と語った[404]。 他方、当時は国が売春を認める﹁公娼制度﹂があった時代であり、性に対する倫理感覚、女性に対する人権感覚は現在と違っているのに、過去の歴史の出来事を現在の基準で裁くのは間違いだとの指摘もある[405]。政策研究大学院大学教授の北岡伸一も﹁21世紀の人権感覚を過去の歴史に適用するのは、いかにも乱暴﹂と述べている[406]。 元外交官の東郷和彦は日本での﹁強制連行﹂に関する議論に対して﹁必ずしも誤りでない﹂と理解を示しながらも[407]、2007年の安倍発言直後のカリフォルニア大学でのシンポジウムにおいて米国人女性の、米国における慰安婦問題の視点は﹁強制﹂であるかどうかなどは誰も関心がなく、﹁自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか﹂という嫌悪感にもとづくものであり、﹁これは非歴史的︵ahistoric︶な議論である。現在の価値観で過去を振り返って議論しているのだ﹂という発言を紹介している[408]。東郷は日本国内の慰安婦についての議論は国内でしか通用せずガラパゴス化しており[409]、今後の日本政府の対応次第では、日韓のみならず日本と欧米間に﹁深刻な対立を引き起こす可能性がある﹂と警告した[407]。他方で慰安婦問題とホロコースト問題とを同列に扱いえないことはユダヤ・ロビー自身が最も理解できるに違いないとしたうえで日本の外交戦略としてユダヤ・ロビーとの連携を訴えた[410]。また東郷は韓国政府がアジア女性基金による補償を受けようとした元慰安婦を非国民扱いしたことを強く批判し、戦後日本の法的秩序を全壊させかねないような過剰な﹁法的責任の追及﹂は遠慮してもらいたいと述べている[410]。 ﹁いわゆる従軍慰安婦問題﹂について、具体的に︵たとえば国家による強制連行の︶証拠を明示せよと指摘された﹁慰安婦擁護側﹂が、証拠を明示できない場合に、この﹁人道的な価値観﹂を持ち出すことで、無意識のうちに問題をすり替えてしまうという指摘がある[411]。また、いわゆる進歩的文化人の論法の特徴の一つに、正面切って反対しにくい事柄を振りかざし、それに少しでも異議を唱えるものに﹁人道の敵﹂﹁人権侵害者﹂とレッテルを貼り、﹁慰安婦がかわいそうだとは思わないのか﹂と居丈高に断罪するというものがある、そこには事実に基づいた冷静で客観的な議論は無理であるという指摘もある[412]。﹃広辞苑﹄での﹁慰安婦・従軍慰安婦﹂の記載の変遷[編集]
●﹃広辞苑﹄初版︵1955年︶慰安婦﹁戦地の部隊に随行、将兵を慰安した女﹂。1970年代以降になって﹁従軍慰安婦﹂問題が社会問題となり[413]、日韓の外交問題にまで発展。 ●﹃広辞苑﹄第4版︵1991年︶慰安婦﹁戦地の将兵を慰安する女性。﹂ ●﹃広辞苑﹄第5版︵1998年︶従軍慰安婦﹁日中戦争、太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。﹂谷沢永一と渡部昇一らが、史実と異なる記述であり、イデオロギーにもとづく記述は辞書に値しないと批判[414][415]。 ●﹃広辞苑﹄第6版︵2008年︶従軍慰安婦﹁日中戦争、太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた﹂、﹁朝鮮人強制連行﹂の項目﹁日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太︵サハリン︶・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。﹂ ●﹃広辞苑﹄第7版︵2018年︶記載されず他の事典・辞書の記載[編集]
●﹃世界大百科事典﹄第2版︵2006年︶従軍慰安婦﹁十五年戦争期に、戦地・占領地で日本軍の監督下に置かれ、軍人・軍属の性交の相手をさせられた女性。﹂﹁その本質は軍性奴隷である﹂と解説している[416]。 ●﹃大辞林﹄第3版︵2006年︶慰安婦﹁日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮などアジアから集められ、戦地で日本軍将兵の性の相手となることを強要された女性たち。﹂[417] ●﹃大辞泉﹄︵2006年︶慰安婦﹁かつて、主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性。﹂公的資料[編集]
※当時の日本軍、政府が発令した通達は本文を参照。 朝鮮での慰安婦 朝鮮半島では国家総動員法に次ぐ国民徴用令に基づいた挺身隊︵女子の動員は1943年9月から︶から、植民地女性を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当時の朝鮮では﹁挺身隊﹂を﹁慰安婦﹂と混同するデマが流布しており︵韓国における﹁挺身隊﹂と﹁慰安婦﹂の混同と流言参照︶、また慰安婦と称する者の証言以外には﹁慰安婦強制連行﹂の客観的証拠は見つかっておらず、朝鮮半島における命令書等の公文書は現在までに発見されていない。クマワスラミ報告書も﹁慰安婦の募集に関する公文書はなく、証拠は元慰安婦の証言だけ﹂としている[297]。吉見義明も1997年2月27日の﹃朝鮮時報﹄︵朝鮮総連機関紙︶で﹁﹃官憲による奴隷狩りのような連行﹄を裏付ける文書は今のところ出ていない﹂と認め、またアジア女性基金呼びかけ人で、東京大学教授の和田春樹も﹁官憲による直接的強制﹂を立証する文書資料はまだ発見されていないと述べた[418][419]。 千田夏光や吉見義明らは﹁強制連行﹂を指示する資料が見つからないのは旧日本軍が資料を焼却処分したためであり、また、未だ公開されていない資料もあると推測している。河野洋平も2007年3月、﹁従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は処分されていたと推定もできる﹂と発言している[420]が、確実な資料が発見されたわけではなく、推測の域にとどまっている[421]。 東京裁判における資料 ●中国占領日本軍による、工場就職を口実とした従軍慰安婦の詐欺的募集に対する極東国際軍事裁判︵東京裁判︶判決[422]︶ ●サンフランシスコ講和条約11条項: Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East︵日本は﹁極東国際軍事裁判﹂の判決を認める︶ アメリカによる調査結果 ●﹃産経新聞﹄2014年11月27日記事”米政府の慰安婦問題調査で﹁奴隷化﹂の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに”(https://www.sankei.com/article/20141127-P6D7Y65FOJPVNJO4RGRF6SEPCA/)によると、”米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や﹁女性の組織的な奴隷化﹂の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。”とある。 ●この文書は”Nazi War Crimes & Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group”というタイトルでhttps://www.archives.gov/files/iwg/reports/final-report-2007.pdfに挙げられている。序文に残念ながら証拠が見つからなかったとあるため、見つかることを期待して調査が行われたことがうかがえる。日本の分で14万ページを超える分量の調査が行われたとのこと。 日本政府による調査年表[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 日本政府は2021年4月27日の「従軍慰安婦」等の表現に関する質問に対する答弁書[6]で、吉田清治(後述)による虚偽の証言が「従軍慰安婦問題」として大々的に報道され、軍により強制連行されたという見方が広く流布されたが、そのような事実は存在しなかったことが後に明らかになったことを踏まえ、「政府としては、『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、『従軍慰安婦』又は『いわゆる従軍慰安婦』ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切である」とした。また、「従軍」と「慰安婦」の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用すべきでないとした。河野談話で「いわゆる従軍慰安婦」という用語が用いられていることについては、「慰安婦」という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、「いわゆる」という言葉を付した表現が使用されたものと認識しているとした。「日本の慰安婦#「従軍慰安婦」という呼称」も参照・^ 捕虜抑留者のうち、死亡者の数は約5万人と言われる。 ・^ 中国政府は、南京事件の犠牲者数を30万人と主張しているが、学会では、南京事件の犠牲者数を30万人とする説は、当時の南京市の人口などから、明らかに膨大であり、あり得ない数字と認定されている。また、南京事件の真偽や実情については資料の上で疑問が出され、様々な見解があり、今日でも研究が続いている。 ・^ 1993年時点では兵50:慰安婦1の比率から、6万、交代して9万としていたが、1999年に計算を修正した。華南での兵力と慰安婦の比率、慰安所の数、経営上の計算、コンドーム使用量、国内公娼の客と娼妓の比率、どれからしても3万以下が妥当で、交代率をかけずに2万人程度と推定[310]。
出典[編集]
いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立
場は、平成五年八月四日の河野官房長官談話を受け継いでおります。
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(335)^ ﹃親日派のための弁明2﹄︵扶桑社 2004年11月27日︶[要ページ番号]
(336)^ ※記事名不明※﹃産経新聞﹄2007年5月18日付
(337)^ “李栄薫氏﹁韓国人の自己批判書だ﹂発言全文︵p.4︶”. 産経新聞. (2019年11月21日) 2019年11月26日閲覧. "皮肉にも、強制連行説と性奴隷説は、日本で作られたものです。ある日本人は、朝鮮の女性を強制連行した自身の犯罪を告白する懺悔録を書きました。ある歴史学者は、性奴隷説を提起して、韓国の研究者と運動団体を鼓舞しました。それは、歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説でした。"
(338)^ 古森義久 (2014年11月27日). “米政府の慰安婦問題調査で﹁奴隷化﹂の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに (1/2)”. 産経ニュース (産経新聞) 2019年2月19日閲覧。
(339)^ 古森義久 (2014年11月27日). “米政府の慰安婦問題調査で﹁奴隷化﹂の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに (2/2)”. 産経ニュース (産経新聞) 2019年2月19日閲覧。
(340)^ ab藤目ゆき 1997, p. 88
(341)^ 藤目ゆき 1997[要ページ番号]
(342)^ 秦郁彦 1999, p. 27
(343)^ 山下英愛﹁朝鮮における公娼制度の実施﹂尹貞玉編著﹃朝鮮人女性がみた慰安婦問題﹄三一新書,1992年.
(344)^ ab川田文子﹃戦争と性﹄︵明石書店、1995年︶pp.76-77
(345)^ 宋連玉﹁日本の植民地支配と国家的管理売春-朝鮮の公娼を中心にして﹂﹃朝鮮史研究会論文集﹄32集︵緑陰書房、1994年︶pp.37-88
(346)^ 藤永壮﹁植民地朝鮮における公娼制度の確立過程―1910年代のソウルを中心に―﹂京都大学大学院文学研究科・文学部・現代文化学系﹁二十世紀﹂編﹃二十世紀研究﹄第5号、2004年12月
(347)^ ab﹁人身売買排除﹂方針に見る近代公娼制度の様相﹂﹃立命館大学人文科学研究所紀要﹄93︵2009年︶237-268頁のうち237-238頁
(348)^ 小野田寛郎‥私が見た﹁従軍慰安婦﹂の正体﹃正論﹄2005年1月号[要ページ番号]
(349)^ 倉橋2010 [要ページ番号]
(350)^ 倉橋正直﹃愛知県立大学文学部論集﹄第43号﹁公娼制度について﹂p.18
(351)^ 倉橋正直﹃歴史評論﹄540号﹁近代日本の公娼制度﹂1995-4
(352)^ 韓国人執筆の﹁帝国の慰安婦﹂は名誉棄損、韓国地裁が“事実上の出版禁止”に…FOCUS-ASIA.COM 2015年2月18日
(353)^ 韓国地裁、慰安婦研究書の出版禁止 Archived 2015年3月23日, at the Wayback Machine.﹃産経新聞﹄2015年2月17日
(354)^ 帝国の慰安婦 朴教授﹁自発的な売春婦とは書いていない﹂ Archived 2015年12月9日, at the Wayback Machine.﹃毎日新聞﹄2015年11月29日21時43分
(355)^ 従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク﹃もっと知りたい﹁慰安婦﹂問題ー性と民族の視点からー﹄︵金富子・梁澄子著、明石書店、1995年︶p.26
(356)^ 櫻井よしこ、金両基﹃日韓歴史論争-海峡は越えられるか﹄︵中央公論社︶p.86
(357)^ ab櫻井よしこ、金両基﹃日韓歴史論争-海峡は越えられるか﹄︵中央公論社︶p.95
(358)^ 山地白雨﹃悲しき国﹄︵自由討究社︶。川村湊﹃妓生﹄︵作品社︶p.117
(359)^ 柳建寺土左衛門︵正木準章︶﹃朝鮮川柳﹄︵川柳建寺社︶。川村湊﹃妓生﹄︵作品社︶p.165
(360)^ 川村湊﹃妓生﹄︵作品社︶p.181
(361)^ 川村湊﹃妓生﹄︵作品社︶p.12
(362)^ 川村湊﹃妓生﹄︵作品社︶p.14
(363)^ 1978年の三一新書版の﹁新版にあたって﹂pp.11-12
(364)^ 2007年4月25日の衆議院内閣委員会﹁戸井田とおる質問﹂。
(365)^ 慰安婦﹁身の上話﹂を徹底検証する﹂﹃諸君!﹄1996年12月号[要ページ番号]
(366)^ ﹁歴史論争を総括する﹂﹃論座﹄︵朝日新聞社 1999年9月号︶[要ページ番号]
(367)^ 秦郁彦 1999, p. 177
(368)^ 秦郁彦 1999, p. 275
(369)^ 秦は﹃諸君﹄2007年5月号でも旧軍人との証言の突合せなどにより疑問を提起している。[要ページ番号]
(370)^ ※記事名不明※﹃中央日報﹄1993年1月7日
(371)^ ab西岡力 2007, p. 103
(372)^ 統一日報1993年1月8日
(373)^ 西岡力 2007, pp. 103–104
(374)^ 月刊朝鮮1992年7月号
(375)^ 西岡力 2007, p. 104
(376)^ ﹃ナショナリズムとジェンダー﹄︵青土社,1998年︶p.177
(377)^ abcde﹃日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、必ず滅亡する﹄第二章︵ワック出版、2005年。原著は1996年、クレスト社︶[要ページ番号]
(378)^ 石田米子・内田知行﹃黄土の村の性暴力﹄︵創土社 2004年︶[要ページ番号]
(379)^ abc﹃慰安婦問題とは何だったのか﹄中公新書,2007,p30
(380)^ 西岡力 2007, p. 93-94.
(381)^ 西岡力 2007, p. 96
(382)^ 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会︵編︶﹃証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち﹄︵明石書店 1993年︶[要ページ番号]
(383)^ 西岡力 2007, p. 91
(384)^ 西岡力 2007, p. 94
(385)^ ︵朝鮮語︶“教科書フォーラムの安秉直、﹁慰安婦は自発的﹂妄言で波紋”. デイリー・サプライズ (2006年12月6日). 2008年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年12月9日閲覧。
(386)^ ab西岡力 2007, p. 98
(387)^ ﹁#韓国の裁判所での判決﹂節参照
(388)^ 西岡力 2007, pp. 98–99
(389)^ ab西岡力﹁すべては朝日新聞の捏造から始まった﹂﹃WILL﹄2007年5月号 [要ページ番号]
(390)^ ﹃日本文化チャンネル桜﹄2005年6月15日
(391)^ 西岡力 2007, p. 61
(392)^ 西岡力 2007, p. 90
(393)^ abc西岡力 2007, pp. 90–92
(394)^ 吉見義明、川田文子 ﹃﹁従軍慰安婦﹂をめぐる30のウソと真実﹄︵大月書店、1997年7月︶[要ページ番号]
(395)^ abc櫻井よしこ﹁密約外交の代償﹂︵﹃文藝春秋﹄1997年4月号︶[要ページ番号]
(396)^ abc﹁強制連行﹂証拠なく 直前の聞き取り基に﹃産経新聞﹄1997年3月9日
(397)^ ab西岡力 2007, pp. 139–143
(398)^ 西岡力 2007, p. 145
(399)^ 西岡力 2007, p. 146
(400)^ 1997年3月31日付﹃朝日新聞﹄※記事名不明※
(401)^ 秦郁彦 1999, p. 149
(402)^ ﹁慰安婦#ドイツ軍の慰安婦﹂参照
(403)^ 東郷和彦 2012, p. 143
(404)^ 東郷和彦 2012, pp. 143–144
(405)^ ﹃正論﹄ 2003年3月号 [要ページ番号]
(406)^ 従軍慰安婦問題 米国でも強まる﹁対日不信﹂﹃日本経済新聞﹄2012年9月12日
(407)^ ab東郷和彦 2012, p. 138
(408)^ 東郷和彦 2012, p. 141
(409)^ 東郷和彦 2012, pp. 138–139
(410)^ ab東郷和彦 2012[要ページ番号]
(411)^ 福井雄三﹃司馬遼太郎の﹁意外な歴史眼﹂﹄︵主婦の友社 ISBN 978-4-07-260681-0︶p.111
(412)^ 稲垣武﹃﹁悪魔祓い﹂の戦後史 進歩的文化人の言論と責任﹄文春文庫 ISBN 4-16-736504-9、539p
(413)^ 慰安婦問題の問いかけているもの
(414)^ ﹃広辞苑の嘘﹄光文社2001,pp210-211
(415)^ 新井佐和子:﹃広辞苑﹄が載せた﹁朝鮮人強制連行﹂のウソ。正論(1998/5)pp46-53
(416)^ 世界大百科事典 第2版︻従軍慰安婦︼
(417)^ 大辞林 第三版 ︻慰安婦︼
(418)^ 西岡力 2007, p. 128
(419)^ ﹃アジア女性基金ニュース﹄8号︵1997年3月5日︶
(420)^ ※記事名不明※asahi.com2007年3月27日付
(421)^ 西岡力 2007 [要ページ番号]
(422)^ Judgment International Military Tribunal for the Far East , p.1022
(423)^ ﹁朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表﹂
(424)^ ﹁いわゆる従軍慰安婦問題について﹂
(425)^ ﹁慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話﹂
(426)^ ﹃産経新聞﹄でのインタビュー︵※記事名・掲載日不明※︶
(427)^ 西岡力 2007, p. 114
(428)^ 慰安婦関連歴史資料
(429)^ ﹁慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策﹂
参考文献[編集]
政府資料
- 「女性のためのアジア平和国民基金」編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』龍溪書舎 1997年3月20日
関連項目[編集]
※本文で明記されたもの以外。 ●日本の歴史家たちを支持する声明 ●ライダイハン - 大韓民国によるベトナム戦争当時の慰安婦 ●城田すず子 - 日本人慰安婦 ●NHK番組改変問題 ●芸娼妓解放令 ●歴史教科書問題 ●売春/妓生/遊女 ●遊廓/女衒/人買 ●セックスワーカー ●ニコン慰安婦写真展中止事件 ●記憶と生きる - 慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画。 ●主戦場 - 日本の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画。 ●反日種族主義 強制連行肯定派 ●上杉聰、辛淑玉 強制連行否定派外部リンク[編集]
- 慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策 日本国 外務省 (日本語)
- アーカイブ814 (朝鮮語)
- 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Enforced prostitution in Western Borneo during Japanese Occupation
- 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Japanese Military's "Comfort Women" System
- 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Japanese Prisoner of War Interrogation Report 49