南方作戦
計画[編集]
経過[編集]
発動前[編集]
1941年9月3日、日本では、イギリスやアメリカ合衆国、オランダとの関係悪化を受け、大本営政府連絡会議において帝国国策遂行要領が審議され、﹁外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては直ちに対米︵英蘭︶開戦を決意す﹂と決定された。10月16日、近衛文麿内閣はにわかに総辞職した。後を継いだ東條英機内閣は、11月1日の大本営政府連絡会議で改めて帝国国策遂行要領を決定し、要領は11月5日の御前会議で承認された。以降、大日本帝国陸海軍は、12月8日を開戦予定日として対米英蘭戦争の準備を本格化した。 1941年10月29日までに陸海軍中央統帥部における作戦計画書類の策定が終わった[13]。11月5日、陸海軍の大本営総長は両軍の作戦計画を上奏して裁可を得た[15]。11月5日、海軍は大海令第一号をもって、﹁対米英蘭戦争帝国海軍作戦方針﹂と﹁南方作戦陸海軍中央協定﹂が示達され、﹁適時所要の部隊を作戦開始前の待機地点に進出せしむべき﹂旨が指令された[16]。11月6日、陸軍は南方作戦の戦闘序列、作戦準備実施に関する大陸命を発令した[17]。マレー作戦[編集]
1941年6月よりマレー半島攻略に向けた訓練を行っていた日本軍による、大東亜戦争における最初の攻撃となった。日本時間12月8日午前1時30分、第25軍はイギリス領マレーの北端に奇襲上陸した。
イギリス海軍のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは上陸部隊を撃滅すべくシンガポールを出撃したが、海軍航空隊はマレー沖海戦で両戦艦を航空攻撃で撃沈。第25軍はマレー半島西側をシンガポールを目指して快進撃を続け、1942年1月31日にマレー半島最南端のジョホール・バルに突入した。
ハワイ空襲作戦[編集]
1941年11月26日早朝、南雲忠一中将指揮下の日本海軍第1航空艦隊は択捉島単冠湾よりハワイへ向けて出撃した。日本時間12月8日午前1時30分、第一波空中攻撃隊が発進し、午前3時25分にフォード島へ、次いで真珠湾のアメリカ太平洋艦隊主力へ攻撃を開始した。日本軍の作戦は成功し、アメリカ軍は戦艦8隻が撃沈または損傷を受け、数千人の将兵が戦死するという大損害を受け、太平洋艦隊は大幅な戦力低下に追い込まれた。
フィリピン作戦[編集]
香港作戦[編集]
12月9日、第23軍によるイギリス領香港への攻撃が開始された。準備不足のイギリス軍は城門貯水池の防衛線を簡単に突破され、11日には九龍半島から撤退した。第23軍の香港島への上陸作戦は18日夜から19日未明にかけて行われた。島内では激戦となったが、イギリス軍は給水を断たれ25日に降伏した。
グアム作戦[編集]
12月10日未明にアメリカ領グアム島へ南海支隊と海軍陸戦隊とが上陸した。アメリカは日本の勢力圏に取り囲まれたグアム島の防衛を当初から半ばあきらめていた。守備隊は同日中に降伏した。
ビスマルク作戦[編集]
蘭印作戦[編集]
ビルマの戦い[編集]
インド洋作戦[編集]
マレー沖海戦で主力艦艇を失ったイギリス東洋艦隊はセイロン島へ退避していた。日本海軍空母機動部隊は1942年4月にベンガル湾へ進出し、コロンボ基地とトリンコマリー軍港を空襲した。イギリス東洋艦隊は反撃を試みたが空母1隻、重巡洋艦2隻他を失った。
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日本軍へ降伏するシンガポールのパーシヴァル司令官
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日本軍の空襲を受け炎上する戦艦アリゾナ
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クアラルンプール市内で戦う日本軍
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ジャワ島内を進撃する日本軍
結果[編集]
参加兵力[編集]
陸軍[編集]
●南方軍︵総司令官‥寺内寿一大将、総参謀長‥塚田攻中将︶ ●フィリピン方面 ●第14軍︵司令官‥本間雅晴中将、参謀長‥前田正実中将︶ - 第16師団、第48師団、戦車連隊2 ●マレー方面 ●第25軍︵司令官‥山下奉文中将、参謀長‥鈴木宗作中将︶ - 近衛師団、第5師団、第18師団、戦車団1︵戦車連隊4︶、︵第56師団 ※作戦には投入されずビルマ方面へ転進︶ ●蘭印方面 ●第16軍︵司令官‥今村均中将、参謀長‥岡崎清三郎少将︶ - 第2師団、混成第56歩兵団、戦車連隊3、︵第38師団、第48師団 ※開戦時には未配備︶ ●タイ・ビルマ方面 ●第15軍︵司令官‥飯田祥二郎中将、参謀長‥諫山春樹少将︶ - 第33師団、第55師団︵南海支隊欠︶ ●グアム方面 ●南海支隊︵混成第55歩兵団、支隊長‥堀井富太郎少将︶ ●ボルネオ方面 ●川口支隊︵第18師団の一部、支隊長‥川口清健少将︶ ●南方軍直属 ●仏印方面 - 第21師団︵師団長‥田中久一中将︶、独立混成第21旅団 ●第1挺身団、第3飛行集団、第5飛行集団、第21独立飛行隊 ●支那派遣軍 ●第23軍の一部 - 第38師団︵香港作戦を担当︶、第4師団︵上海にあり大本営の直轄︶海軍[編集]
●南方部隊︵指揮官‥近藤信竹中将、参謀長‥白石萬隆少将︶ ●南方部隊本隊 - 第2艦隊︵戦艦金剛、戦艦榛名基幹︶ ●南シナ海、次いでパラオ方面で作戦全般を支援する。 ●馬来部隊 - 南遣艦隊︵司令長官‥小沢治三郎中将、参謀長‥澤田虎夫少将︶ ●マレー、蘭領ボルネオ、スマトラ方面の作戦を支援する。 ●比島︵蘭印︶部隊 - 第3艦隊の大部分︵司令長官‥高橋伊望中将、参謀長‥中村俊久少将︶ ●フィリピン作戦を支援する。フィリピン攻略後、蘭印部隊となり作戦を支援する。 ●航空部隊 - 第11航空艦隊︵司令長官‥塚原二四三中将、参謀長‥大西瀧治郎少将︶ ●基地航空部隊。比島での航空撃滅戦の後、東方から蘭印作戦を支援する。 ●潜水部隊 - 第5潜水戦隊︵司令官‥醍醐忠重少将︶脚注[編集]
- ^ 戦史叢書102 陸海軍年表 付・兵器・兵語の解説 付録
- ^ a b 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 307頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 273頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 299頁
- ^ 戦史叢書1 マレ-進攻作戦 37頁
- ^ a b 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 308頁
- ^ 戦史叢書3 蘭印攻略作戦 43頁
- ^ 戦史叢書1 マレ-進攻作戦 45頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 309頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 310頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 299頁
- ^ 戦史叢書80 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和17年6月まで 5頁
- ^ a b 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 298頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 329頁
- ^ 戦史叢書80 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和17年6月まで 4頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 398頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 391-392頁
- ^ 戦史叢書76 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 315-316頁
参考文献[編集]
- 服部卓四郎(著), 『大東亜戦争全史』, 1953年
- 防衛庁防衛研修所戦史室(編), 『戦史叢書 マレー進攻作戦』, 1966年, 『比島攻略作戦』, 1966年, 『蘭印攻略作戦』, 1967年, 『ハワイ作戦』, 1967年, 『比島・マレー方面海軍進攻作戦』, 1969年, 『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』, 1969年