「日野市朗」の版間の差分
カテゴリ変更 |
|||
(30人の利用者による、間の37版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{出典の明記|date=2019年3月7日 (木) 07:30 (UTC)}} |
|||
'''日野 市朗'''︵ひの いちろう、[[1934年]][[2月17日]] - [[2003年]][[7月6日]]︶は、[[日本]]の[[弁護士]]、[[政治家]]。元衆議院議員。元郵政大臣。
|
|||
{{政治家 |
|||
|人名 = 日野 市朗 |
|||
|各国語表記 = ひの いちろう |
|||
|画像 = |
|||
|画像サイズ = |
|||
|画像説明 = |
|||
|国略称 = {{JPN}} |
|||
|生年月日 = [[1934年]][[2月17日]] |
|||
|出生地 = {{JPN}} [[宮城県]][[桃生郡]] |
|||
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1934|02|17|2003|07|16}} |
|||
|死没地 = {{JPN}} [[東京都]] |
|||
|出身校 = [[中央大学]][[法学部]] |
|||
|前職 = [[弁護士]] |
|||
|現職 = |
|||
|所属政党 = ([[日本社会党]]→)<br />([[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]→)<br />([[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]→)<br />[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]] |
|||
|称号・勲章 = |
|||
|親族(政治家) = [[日野吉夫]](父) |
|||
|配偶者 = |
|||
|サイン = |
|||
|ウェブサイト = |
|||
|サイトタイトル = |
|||
|国旗 = JPN |
|||
|職名 = 第61代[[郵政大臣]] |
|||
|内閣 = [[第1次橋本内閣]] |
|||
|選挙区 = |
|||
|当選回数 = |
|||
|就任日 = [[1996年]][[1月11日]] |
|||
|退任日 = [[1996年]][[11月7日]] |
|||
|元首職 = |
|||
|元首 = |
|||
|国旗2 = JPN |
|||
|職名2 = [[衆議院議員]] |
|||
|内閣2 = |
|||
|選挙区2 =([[宮城県第2区 (中選挙区)|旧宮城2区]]→)<br />[[比例東北ブロック]] |
|||
|当選回数2 = 8回 |
|||
|就任日2 = [[1976年]][[12月10日]] - [[1986年]][[6月2日]]<br />[[1990年]][[2月19日]] |
|||
|退任日2 = [[2003年]][[7月6日]] |
|||
|所属委員会2 = |
|||
|議員会館2 = |
|||
|元首職2 = |
|||
|元首2 = |
|||
}} |
|||
'''日野 市朗'''(ひの いちろう、[[1934年]][[2月17日]] - [[2003年]][[7月6日]])は、[[日本]]の[[弁護士]]、[[政治家]]。 |
|||
[[仙台弁護士会]]副会長、[[衆議院議員]]︵8期︶、[[日本社会党]][[政策審議会|政策審議会長]]︵第14代︶、[[衆議院]][[災害対策特別委員会|災害対策特別委員長]]、衆議院[[農林水産委員会|農林水産委員長]]、[[郵政大臣]]︵[[第1次橋本内閣|第61代]]︶、[[社会民主党_(日本 1996-)|社会民主党]]副党首などを歴任した。
|
|||
== 来歴・人物 == |
|||
1934年2月17日[[宮城県]][[桃生郡]][[河北町 (宮城県)|河北町]]︵現在の[[石巻市]]︶に生まれる。父[[日野吉夫]]は、農民運動出身の衆議院議員で、[[日本社会党]]副委員長を務めた。
|
|||
== 来歴 == |
|||
[[1956年]][[中央大学]][[法学部]]法律学科を経て、中央大学[[大学院]]を修了する。[[1961年]]27歳で[[旧司法試験]]合格し[[司法修習]]16期︵同期に[[佐々木秀典]]や[[冬柴鉄三]]︶経て[[1964年]][[仙台市]]で[[弁護士]]を開業する。父親の影響から社会的弱者の側に立つ市民派弁護士として活躍し、[[1973年]]仙台弁護士会副会長に就任する。父吉夫が健康上の理由で引退を決意すると、社会党委員長だった[[成田知巳]]の勧めで[[1976年]][[第34回衆議院議員総選挙]]に旧宮城2区から日本社会党公認で立候補し6万7338票を獲得し当選する。当選回数通算8回。[[1986年]][[第38回衆議院議員総選挙]]︵衆参同時選挙︶では、まさかの落選を喫すが、[[1990年]][[第39回衆議院議員総選挙]]で当選し、国政に復帰する。社会党では右派に所属した。[[1991年]][[田辺誠]][[日本社会党委員長|委員長]]を首班とする[[社会党シャドーキャビネット]]で初代農水相︵[[1992年]]一部改造で環境庁長官兼科技庁長官に横滑り︶[[1993年]][[山花貞夫]]委員長の下で政審会長に就任する。[[1996年]][[第1次橋本内閣]]で[[郵政大臣]]として入閣する。同年社会党が[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]に改称し副党首となるが、社民党を離党し[[民主党 (1996-)|旧民主党]]に参加した。民主党では、代議士会長などを務めた。
|
|||
=== 生い立ち === |
|||
[[宮城県]][[桃生郡]][[河北町 (宮城県)|河北町]]︵現[[石巻市]]︶生まれ。[[宮城県仙台第二高等学校|仙台第二高等学校]]を経て、[[1956年]][[中央大学]][[法学部]][[法律学科]]卒業、同[[大学院]]修了。[[1961年]]に[[旧司法試験|司法試験]]に合格し、[[司法修習]]第16期を修了︵同期に[[佐々木秀典]]︶。[[1964年]]、[[宮城県]][[仙台市]]で[[弁護士]]事務所を開業。[[1973年]]には[[仙台弁護士会]]副会長に就任した。
|
|||
=== 日本社会党 === |
|||
[[小選挙区比例代表並立制]]が成立し、地元石巻市を中心とする[[小選挙区]]宮城5区が地盤であったが、[[新党さきがけ]]出身の[[安住淳]]との間で候補者調整、選挙協力がなされ、1996年[[第41回衆議院議員総選挙]]で比例東北ブロックに回った。当初、日野と安住は、[[小選挙区]]と[[比例区]]を交代して立候補するという約束を結んでいたが、日野後援会の高齢化などから、小選挙区は安住、比例区は日野という棲み分けができる。
|
|||
[[ファイル:Ryūtarō Hashimoto Cabinet 19960111.jpg|thumb|right|200px|1996年1月11日、[[第1次橋本内閣]]の[[国務大臣]]らと]] |
|||
父である[[日野吉夫]]の衆議院議員引退に伴い、[[成田知巳]][[日本社会党委員長]]︵当時︶の勧めを受け、[[1976年]]の[[第34回衆議院議員総選挙]]に[[日本社会党]]公認で[[宮城県第2区_(中選挙区)|旧宮城県第2区]]から出馬し、初当選。[[1986年]]の[[第38回衆議院議員総選挙]]︵衆参同日選挙︶では落選したが、[[1990年]]の[[第39回衆議院議員総選挙]]で返り咲いた。通算当選8回。
|
|||
[[1991年]]、[[田邊誠]]委員長の下に設置された[[社会党シャドーキャビネット]]で影の[[農林水産大臣]]に就任。翌[[1992年]]から影の[[環境庁長官]]兼[[科学技術庁長官]]。[[1993年]]、[[山花貞夫]]委員長の下で日本社会党政策審議会長に起用された。[[1995年]]、[[衆議院]][[農林水産委員会|農林水産委員長]]に就任。[[1996年]]、[[自社さ連立政権]]の[[第1次橋本内閣]]で[[郵政大臣]]に任命され、初入閣。 |
|||
2003年7月6日[[癌]]のため死去。69歳。 |
|||
=== 社会民主党 === |
|||
父吉夫以来、農村の生活向上を目標とし、月に1度は[[鳴子町]]の農民の家で無料で法律相談会を実施していた。 |
|||
1996年、社会党の[[社会民主党_(日本 1996-)|社会民主党]]への移行に伴い同党副党首に就任するも、社民党を離党し[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]の結党に参加した。
|
|||
== |
=== 民主党 === |
||
1996年の[[第41回衆議院議員総選挙]]では、[[比例東北ブロック]]単独で出馬し、7選。日野の地盤である[[石巻市]]は、[[小選挙区比例代表並立制]]の導入に伴い[[宮城県第5区]]に含まれていたが、5区には既に[[新党さきがけ]]出身の[[安住淳]]がいたため、日野は比例単独に回った。当初は[[コスタリカ方式]]により安住、日野がそれぞれ選挙区・比例区から交互に出馬する予定であったが、日野の後援会の高齢化等により、[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]でも安住が宮城5区から出馬し、日野は比例単独で8回目の当選を果たした。
|
|||
* 『日々是選挙~代議士の家族はツライ!~』日野睦子著 睦子は、日野吉夫の三女で日野市朗の妹にあたる。 |
|||
2003年7月6日、[[食道癌]]のため東京都内の病院で死去。{{没年齢|1934|02|17|2003|07|16}}<ref>[http://archive.dpj.or.jp/news/?num=3973 民主党‥︻訃報︼日野市朗衆議院議員が死去]</ref>。
|
|||
{{先代次代|郵政大臣|第61代: 1996|[[井上一成]]|[[堀之内久男]]}} |
|||
== 政策 == |
|||
; 農村の生活向上 |
|||
: [[農民運動]]出身である父の日野吉夫同様、農村の生活向上を目標に掲げ、月に1度は[[鳴子町]](現[[大崎市]])の「農民の家」([[専門農協]]が運営する[[温泉]]保養施設)で無料法律相談会を実施していた。 |
|||
; 統一協会への批判 |
|||
: 国会審議で[[世界基督教統一神霊協会]]や[[国際勝共連合]]の問題を取り上げ、警察当局が厳重に対処するよう求めている<ref name="hr19770415_28">﹁昭和五十二年四月六日︵水曜日︶﹂﹃第八十回国会衆議院法務委員会議録﹄8号、[[衆議院事務局]]、1977年4月15日、28頁。</ref><ref>﹁昭和五十二年四月六日︵水曜日︶﹂﹃第八十回国会衆議院法務委員会議録﹄8号、[[衆議院事務局]]、1977年4月15日、29頁。</ref>。
|
|||
: 1977年︵昭和52年︶4月6日の衆議院[[法務委員会]]においては﹁[[原理運動]]に関するいろいろな違法行為、これに対する行政庁の対応というのは非常に甘い﹂<ref>﹁昭和五十二年四月六日︵水曜日︶﹂﹃第八十回国会衆議院法務委員会議録﹄8号、[[衆議院事務局]]、1977年4月15日、27頁。</ref>と指摘し、[[法務省]][[人権擁護局]]や[[警察庁]]に適切な対処を求めた<ref name="hr19770415_28"/>。また、北方領土返還を主張し街頭募金活動を展開する﹁北方領土復帰推進連盟﹂は、国際勝共連合を母体とする団体であると指摘している<ref name="hr19770415_28"/>。本来の北方領土返還運動の全国組織である﹁北方領土問題連絡協議会﹂とは全く無関係の団体であり<ref name="hr19770415_28"/>、募金の使途も公表していないと指摘し﹁これなんかは明らかに詐欺だと思います﹂<ref name="hr19770415_28"/>と批判している。さらに、世界基督教統一神霊協会と密接な関係がある[[統一産業]]が銃を購入しているとして問題視している<ref>﹁昭和五十二年四月六日︵水曜日︶﹂﹃第八十回国会衆議院法務委員会議録﹄8号、[[衆議院事務局]]、1977年4月15日、32頁。</ref>。
|
|||
== 家族・親族 == |
|||
[[衆議院議員]]や[[日本社会党]]副委員長を務めた日野吉夫は父。 |
|||
== 脚注 == |
|||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
{{Reflist|2}} |
|||
== 関連項目 == |
|||
* [[仙台弁護士会]] |
|||
== 関連書籍 == |
|||
* 日野睦子『日々是選挙~代議士の家族はツライ!~』(著者の日野睦子は、日野吉夫の三女で日野市朗の妹にあたる) |
|||
{{start box}} |
|||
{{s-par}} |
|||
{{Succession box |
|||
| title = {{flagicon|JPN}} [[農林水産委員会|衆議院農林水産委員長]] |
|||
| years = 1995年 - 1996年 |
|||
| before = [[中西績介]] |
|||
| after = [[鉢呂吉雄]](代理) |
|||
}} |
|||
{{succession box |
|||
| title = {{Flagicon|日本}} [[災害対策特別委員会|衆議院災害対策特別委員長]] |
|||
| before = [[池端清一]] |
|||
| years = 1994年 - 1995年 |
|||
| after = [[左近正男]] |
|||
}} |
|||
{{s-off}} |
|||
{{succession box |
|||
| title = {{Flagicon|日本}} [[郵政大臣]] |
|||
| years = 第61代:1996年 |
|||
| before = [[井上一成]] |
|||
| after = [[堀之内久男]] |
|||
}} |
|||
{{s-ppo}} |
|||
{{succession box |
|||
| title = [[日本社会党|日本社会党政策審議会長]] |
|||
| before = [[早川勝 (政治家)|早川勝]] |
|||
| years = 第14代 : 1993年 - 1994年 |
|||
| after = [[関山信之]] |
|||
}} |
|||
{{end box}} |
|||
{{衆議院農林水産委員長}} |
|||
{{衆議院災害対策特別委員長}} |
|||
{{総務大臣||[[郵政大臣]]}} |
|||
{{旧宮城2区選出衆議院議員(1947-1993)}} |
|||
{{比例東北ブロック選出衆議院議員(1996-)}} |
|||
{{Normdaten}} |
|||
{{DEFAULTSORT:ひの いちろう}} |
{{DEFAULTSORT:ひの いちろう}} |
||
[[Category: |
[[Category:平成時代の閣僚]] |
||
[[Category:日本 |
[[Category:日本の郵政大臣]] |
||
[[Category: |
[[Category:民主党の衆議院議員]] |
||
[[Category: |
[[Category:社会民主党の衆議院議員]] |
||
[[Category: |
[[Category:日本社会党の衆議院議員]] |
||
[[Category:比例東北ブロック選出の衆議院議員]] |
|||
[[Category:宮城県選出の衆議院議員]] |
|||
[[Category:昭和時代戦後の衆議院議員]] |
|||
[[Category:平成時代の衆議院議員]] |
|||
[[Category:在職中に死去した衆議院議員]] |
|||
[[Category:日本の弁護士]] |
[[Category:日本の弁護士]] |
||
[[Category:中央大学出身の人物]] |
|||
[[Category:宮城県仙台第二高等学校出身の人物]] |
|||
[[Category:世襲政治家]] |
|||
[[Category:宮城県出身の人物]] |
|||
[[Category:食道癌で亡くなった人物]] |
|||
[[Category:1934年生]] |
[[Category:1934年生]] |
||
[[Category:2003年没]] |
[[Category:2003年没]] |
2023年7月14日 (金) 03:44時点における最新版
![]() |
日野 市朗 ひの いちろう | |
---|---|
生年月日 | 1934年2月17日 |
出生地 |
![]() |
没年月日 | 2003年7月16日(69歳没) |
死没地 |
![]() |
出身校 | 中央大学法学部 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(日本社会党→) (社会民主党→) (旧民主党→) 民主党 |
親族 | 日野吉夫(父) |
| |
内閣 | 第1次橋本内閣 |
在任期間 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
選挙区 |
(旧宮城2区→) 比例東北ブロック |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1976年12月10日 - 1986年6月2日 1990年2月19日 - 2003年7月6日 |
来歴[編集]
生い立ち[編集]
宮城県桃生郡河北町︵現石巻市︶生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了︵同期に佐々木秀典︶。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。日本社会党[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f0/Ry%C5%ABtar%C5%8D_Hashimoto_Cabinet_19960111.jpg/200px-Ry%C5%ABtar%C5%8D_Hashimoto_Cabinet_19960111.jpg)
社会民主党[編集]
1996年、社会党の社会民主党への移行に伴い同党副党首に就任するも、社民党を離党し旧民主党の結党に参加した。民主党[編集]
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、比例東北ブロック単独で出馬し、7選。日野の地盤である石巻市は、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い宮城県第5区に含まれていたが、5区には既に新党さきがけ出身の安住淳がいたため、日野は比例単独に回った。当初はコスタリカ方式により安住、日野がそれぞれ選挙区・比例区から交互に出馬する予定であったが、日野の後援会の高齢化等により、2000年の第42回衆議院議員総選挙でも安住が宮城5区から出馬し、日野は比例単独で8回目の当選を果たした。 2003年7月6日、食道癌のため東京都内の病院で死去。69歳没[1]。政策[編集]
農村の生活向上 農民運動出身である父の日野吉夫同様、農村の生活向上を目標に掲げ、月に1度は鳴子町︵現大崎市︶の﹁農民の家﹂︵専門農協が運営する温泉保養施設︶で無料法律相談会を実施していた。 統一協会への批判 国会審議で世界基督教統一神霊協会や国際勝共連合の問題を取り上げ、警察当局が厳重に対処するよう求めている[2][3]。 1977年︵昭和52年︶4月6日の衆議院法務委員会においては﹁原理運動に関するいろいろな違法行為、これに対する行政庁の対応というのは非常に甘い﹂[4]と指摘し、法務省人権擁護局や警察庁に適切な対処を求めた[2]。また、北方領土返還を主張し街頭募金活動を展開する﹁北方領土復帰推進連盟﹂は、国際勝共連合を母体とする団体であると指摘している[2]。本来の北方領土返還運動の全国組織である﹁北方領土問題連絡協議会﹂とは全く無関係の団体であり[2]、募金の使途も公表していないと指摘し﹁これなんかは明らかに詐欺だと思います﹂[2]と批判している。さらに、世界基督教統一神霊協会と密接な関係がある統一産業が銃を購入しているとして問題視している[5]。家族・親族[編集]
衆議院議員や日本社会党副委員長を務めた日野吉夫は父。脚注[編集]
関連項目[編集]
関連書籍[編集]
- 日野睦子『日々是選挙~代議士の家族はツライ!~』(著者の日野睦子は、日野吉夫の三女で日野市朗の妹にあたる)
議会 | ||
---|---|---|
先代 中西績介 |
![]() 1995年 - 1996年 |
次代 鉢呂吉雄(代理) |
先代 池端清一 |
![]() 1994年 - 1995年 |
次代 左近正男 |
公職 | ||
先代 井上一成 |
![]() 第61代:1996年 |
次代 堀之内久男 |
党職 | ||
先代 早川勝 |
日本社会党政策審議会長 第14代 : 1993年 - 1994年 |
次代 関山信之 |