コンテンツにスキップ

清國勝雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清國 勝雄
基礎情報
四股名 若い國 忠雄→梅ノ里 忠雄→清國 忠雄→清國 勝雄→清國 忠雄→清國 勝雄
本名 佐藤 忠雄
生年月日 (1941-11-20) 1941年11月20日(82歳)
出身 秋田県雄勝郡雄勝町(現在の湯沢市
身長 182cm
体重 133kg
BMI 40.15
所属部屋 荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋
得意技 左四つ、寄り、押し
成績
現在の番付 引退
最高位大関
生涯戦歴 706勝507敗32休(103場所)
幕内戦歴 506勝384敗31休(62場所)
優勝 幕内最高優勝1回
殊勲賞3回
技能賞4回
データ
初土俵 1956年9月場所[1]
入幕 1963年11月場所[1]
引退 1974年1月場所[1]
引退後 年寄楯山伊勢ヶ濱部屋師匠
備考
2015年8月14日現在

テンプレート  プロジェクト 相撲


  19411120 -   182cm133kg[1]



12

[]


3195696196255[2]1調2424[3][4]196353111964114141[1]13263131967111019695123

196971235[1]195911[5]退92

1970[1][6]︿[7][3]522018766

19741退19777[1]

1985812123便[ 1][8]1989[ 2]5

19962退20049[ 3]11

200611退1081118200718退

1149

[]


1989314[ 4]

1969775-811


[]


19569 - 

19635 - 

196311 - 

19697 - 

19741 - 退

19774 - 

200611 - 退

[]


70650732 .582

50638431 .569

23314731 .613

103

62

28

19127


119697

7
3196571968119691[1]

419641196511965319695[1]

119641

7322

[]

清國 勝雄
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1956年
(昭和31年)
x x x x (前相撲) x
1957年
(昭和32年)
西序ノ口15枚目
4–4 
東序二段108枚目
7–1 
西序二段41枚目
5–3 
x 西序二段2枚目
3–5 
東序二段6枚目
6–2 
1958年
(昭和33年)
西三段目81枚目
6–2 
西三段目53枚目
6–2 
東三段目29枚目
3–5 
東三段目30枚目
5–3 
西三段目18枚目
6–2 
西三段目2枚目
7–1 
1959年
(昭和34年)
西幕下63枚目
7–1 
東幕下40枚目
6–2 
東幕下30枚目
4–4 
西幕下29枚目
3–5 
西幕下33枚目
6–2 
西幕下20枚目
4–4 
1960年
(昭和35年)
西幕下21枚目
5–3 
西幕下15枚目
6–2 
西幕下6枚目
2–6 
東幕下17枚目
3–3–1 
西幕下18枚目
5–2 
西幕下11枚目
6–1 
1961年
(昭和36年)
西幕下3枚目
4–3 
東幕下2枚目
4–3 
西幕下筆頭
1–6 
西幕下9枚目
3–4 
西幕下10枚目
6–1 
東幕下3枚目
3–4 
1962年
(昭和37年)
東幕下5枚目
5–2 
西幕下筆頭
2–5 
西幕下8枚目
3–4 
東幕下10枚目
4–3 
西幕下7枚目
5–2 
東幕下3枚目
4–3 
1963年
(昭和38年)
東幕下2枚目
5–2 
東幕下筆頭
4–3 
東十両17枚目
10–5 
東十両14枚目
12–3 
西十両3枚目
10–5 
西前頭14枚目
8–7 
1964年
(昭和39年)
東前頭13枚目
14–1
西関脇
6–9 
東前頭2枚目
7–8 
東前頭2枚目
8–7 
西前頭筆頭
5–10
東前頭4枚目
9–6
1965年
(昭和40年)
西前頭筆頭
10–5
東小結
9–6
東関脇
7–8 
西小結
10–5
東関脇
4–11 
東前頭4枚目
9–6
1966年
(昭和41年)
東前頭2枚目
7–8 
西前頭3枚目
9–6
東小結
4–11 
西前頭3枚目
9–6
西小結
8–7 
東関脇
7–8 
1967年
(昭和42年)
東小結
3–12 
西前頭5枚目
9–6 
西前頭2枚目
7–8 
西前頭筆頭
7–8 
西前頭2枚目
8–7
東小結
8–7 
1968年
(昭和43年)
西関脇
9–6
東関脇
10–5 
東関脇
8–7 
東関脇
8–7 
東関脇
8–7 
東関脇
7–8 
1969年
(昭和44年)
西小結
10–5
西関脇
9–6 
西関脇
12–3
東大関
12–3[注 5] 
東大関
9–6 
西張出大関
9–6 
1970年
(昭和45年)
西張出大関
10–5 
東大関
7–8 
西大関
10–5[注 6] 
東大関
11–4 
東大関
9–6 
西大関
12–3 
1971年
(昭和46年)
東大関
8–7 
西張出大関
10–5 
東張出大関
13–2 
東大関
9–6 
西大関
8–7 
東張出大関
8–7 
1972年
(昭和47年)
西大関
9–6 
西大関
10–5 
西大関
8–7 
西大関
9–6 
東大関
9–6 
東張出大関
10–5 
1973年
(昭和48年)
東張出大関
1–6–8[注 7] 
西張出大関
9–6[注 6] 
西大関
11–4 
東大関
1–5–9[注 8] 
西張出大関
11–4[注 6] 
東大関
0–7–8[注 9] 
1974年
(昭和49年)
西張出大関
引退
0–0–6[注 6]
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 7 0 朝登 2 1 旭國 4 1(1) 天津風 2 0
扇山 0 1 大錦 1 1 小城ノ花 1 0 魁傑 4 5
海乃山 13 12 柏戸 8 18 金乃花 3 0 北瀬海 1 0
北の湖 4 2 北の富士 15 37 北葉山 6 7 黒姫山 9 1
高鉄山 9 3 琴櫻 20 28 金剛 3 3 佐田の山 4 18
沢光 3 0 白田山 1 0 錦洋 4 2 大麒麟 21 20
大豪 5 7 大受 8(1) 6(1) 大心 0 1 大雪 1 0
大鵬 4(1) 29 大雄 1 4 大竜川 1 0 貴ノ花 7 8
高見山 17 10 玉の海 15 24 常錦 2 0 鶴ヶ嶺 7 2
時葉山 4(1) 0 栃東 11 9 栃王山 6 2 栃ノ海 7(1) 6
栃光 7 5 栃富士 1 0 豊國 7 1 羽黒岩 11 4
羽黒川 0 1 羽黒山 2 1 長谷川 28 13(1) 花光 2 1
廣川 5 1 福の花 25 3 富士櫻 4 2 富士錦 7 3
藤ノ川 17* 3 二子岳 12 1 前田川 3 0 前の山 20(1) 12
増位山 3 0 三重ノ海 9 6 禊鳳 3 1 明武谷 9 10
陸奥嵐 15 2 豊山 10 17 豊山 2 2 吉王山 1 0
義ノ花 6 1 琉王 3 0 龍虎 13 3 若杉山 0 1
若秩父 6 0 若天龍 1 1 若浪 9 3 若鳴門 1 0
若ノ海 1 0 若乃洲 2 0 若羽黒 2 0 若二瀬 10 0
若見山 5 5 輪島 2 10 鷲羽山 0 2

※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴[編集]

  • 若い國 忠雄(わかいくに ただお)1956年9月場所-1961年11月場所
  • 梅ノ里 忠雄(うめのさと -)1962年1月場所-1962年3月場所
  • 清國 忠雄(きよくに -)1962年5月場所-1964年3月場所
  • 清國 勝雄(- かつお)1964年5月場所-1965年1月場所
  • 清國 忠雄(- ただお)1965年3月場所-1967年9月場所
  • 清國 勝雄(- かつお)1967年11月場所-1974年1月場所(引退)

年寄変遷・改名[編集]

  • 楯山 忠雄(たてやま ただお)1974年1月-1977年4月
  • 伊勢ヶ濱 忠雄(いせがはま -)1977年4月-1985年1月
  • 伊勢ヶ濱 清之輔(- せいのすけ)1985年1月-1990年11月
  • 伊勢ヶ濱 忠雄(- ただお)1990年11月-1992年1月
  • 伊勢ヶ濱 清之輔(- せいのすけ)1992年1月-2006年11月
  • 若藤 清之輔(わかふじ - )2006年11月(1日のみ襲名、定年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 清國が東北地方へ地方巡業していたため、その間を利用して大阪出身の前妻が子供を連れて実家へ里帰りするため搭乗していた。
  2. ^ この名前には亡くなった長男・長女の名前から1文字ずつ使われている。
  3. ^ 義弟のタートル岡部と清國は不仲であり、特に清国は岡部の妻でもある妹と折り合いが悪いという。
  4. ^ 千代の富士は肩の脱臼癖対策に筋肉で関節を固めていたことで有名であるが、これが1度外れるとはめることが大変難しいという問題を起こすことになり、治せる人物は清國だけだった。
  5. ^ 藤ノ川と優勝決定戦
  6. ^ a b c d 角番(全4回)
  7. ^ 頸部挫傷後遺症により7日目から途中休場
  8. ^ メニエール病により6日目から途中休場
  9. ^ 低血圧心不全により7日目から途中休場

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p30
  2. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p76
  3. ^ a b 【連載 名力士たちの『開眼』】大関・清國勝雄編 残暑の厳しい稽古場で遭遇した人生の指針[その1] ベースボールマガジン社WEB 2020-03-06(2020年3月15日閲覧)
  4. ^ 【連載 名力士たちの『開眼』】大関・清國勝雄編 残暑の厳しい稽古場で遭遇した人生の指針[その2] ベースボールマガジン社WEB 2020-03-13(2020年3月15日閲覧)
  5. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p76-77
  6. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P186
  7. ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』18ページ
  8. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p77

関連項目[編集]