「岡田彰布」の版間の差分
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上記のように、東京六大学野球史に残る記録を次々に樹立したためにプロ野球各球団の岡田獲得競争は一気に過熱、[[1979年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]の目玉となった。岡田は10月29日のプロ入り表明会見の席において希望球団を問われ、「(地元の)阪神だったら最高ですが、[[オリックス・バファローズ|阪急(ブレーブス)]]などの在阪球団を希望している。その他の球団ならば、指名時に考えてみる。しかし、フロントがしっかりして優勝を争える球団なら行きたい<ref>[[朝日新聞]]1979年10月30日付。</ref>」「[[読売ジャイアンツ|巨人]]、[[埼玉西武ライオンズ|西武]]も優勝を狙えるし、良いですね<ref>[[スポーツニッポン]]1979年10月30日付。その発言を受けた当日の同紙の一面見出しは「『巨人もOK』岡田」であった。</ref>」と答えた。しかし、後年のインタビューでは「僕が一人っ子だったことで母が『関西に帰ってきてほしい』と思っていたから、実際は阪神だけでなく阪急、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]、[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]という関西の球団ならどこでもよかった」と語っている<ref>2009年『阪神タイガースオリジナルDVDブック 猛虎列伝』Vol.11</ref>。なお、ある一部のマスコミに意中の球団をインタビューされた時、「どこの球団とは言えませんが、セ・リーグの在阪球団が希望です。」と事実上、阪神が希望と言っているのと同等の発言をした逸話もある{{要出典|date=2023-08}}。ドラフトでは当時史上最多となる6球団(西武・ヤクルト・南海・阪神・阪急・近鉄)が岡田を1位指名したが<ref>『阪神タイガース 暗黒ダメ虎史 あのとき虎は弱かった』p.105</ref>、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得、岡田の阪神入団が決まった<ref>[https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170916-10 【ドラフト会議物語17】岡田彰布が6球団競合で阪神。2年連続1位の木田勇は日本ハムへ【79年】]</ref>。契約金6,000万円、年俸480万円<ref>[https://www.sankei.com/sports/news/190319/spo1903190001-n2.html 【虎番疾風録第2章】(50)強運「岡田くじ」的中]</ref><ref>[https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=078-20160201-01 選手に金儲けさせてやるのも監督の責任] 週刊ベースボールONLINE 2016年1月21日</ref>。 |
上記のように、東京六大学野球史に残る記録を次々に樹立したためにプロ野球各球団の岡田獲得競争は一気に過熱、[[1979年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]の目玉となった。岡田は10月29日のプロ入り表明会見の席において希望球団を問われ、「(地元の)阪神だったら最高ですが、[[オリックス・バファローズ|阪急(ブレーブス)]]などの在阪球団を希望している。その他の球団ならば、指名時に考えてみる。しかし、フロントがしっかりして優勝を争える球団なら行きたい<ref>[[朝日新聞]]1979年10月30日付。</ref>」「[[読売ジャイアンツ|巨人]]、[[埼玉西武ライオンズ|西武]]も優勝を狙えるし、良いですね<ref>[[スポーツニッポン]]1979年10月30日付。その発言を受けた当日の同紙の一面見出しは「『巨人もOK』岡田」であった。</ref>」と答えた。しかし、後年のインタビューでは「僕が一人っ子だったことで母が『関西に帰ってきてほしい』と思っていたから、実際は阪神だけでなく阪急、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]、[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]という関西の球団ならどこでもよかった」と語っている<ref>2009年『阪神タイガースオリジナルDVDブック 猛虎列伝』Vol.11</ref>。なお、ある一部のマスコミに意中の球団をインタビューされた時、「どこの球団とは言えませんが、セ・リーグの在阪球団が希望です。」と事実上、阪神が希望と言っているのと同等の発言をした逸話もある{{要出典|date=2023-08}}。ドラフトでは当時史上最多となる6球団(西武・ヤクルト・南海・阪神・阪急・近鉄)が岡田を1位指名したが<ref>『阪神タイガース 暗黒ダメ虎史 あのとき虎は弱かった』p.105</ref>、抽選の結果、阪神が交渉権を獲得、岡田の阪神入団が決まった<ref>[https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170916-10 【ドラフト会議物語17】岡田彰布が6球団競合で阪神。2年連続1位の木田勇は日本ハムへ【79年】]</ref>。契約金6,000万円、年俸480万円<ref>[https://www.sankei.com/sports/news/190319/spo1903190001-n2.html 【虎番疾風録第2章】(50)強運「岡田くじ」的中]</ref><ref>[https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=078-20160201-01 選手に金儲けさせてやるのも監督の責任] 週刊ベースボールONLINE 2016年1月21日</ref>。 |
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{{by|1980年}}春季キャンプで監督の[[ドン・ブラッシンゲーム|ドン・ブレイザー]]は﹁オカダはまだ新人。じっくり鍛えたほうが良い﹂という考えで、一塁や外野の練習をさせていた<ref>[https://www.zakzak.co.jp/ |
{{by|1980年}}春季キャンプで監督の[[ドン・ブラッシンゲーム|ドン・ブレイザー]]は﹁オカダはまだ新人。じっくり鍛えたほうが良い﹂という考えで、一塁や外野の練習をさせていた<ref>[https://www.zakzak.co.jp/article/20201112-JINRQX2WUJJMZFBC3IRFAMIHCA/ ︻田所龍一 虎番疾風録 Vol.70︼岡田﹁ヒルトンと勝負してダメというのなら分かるけど…﹂ ︵1/2ページ︶ - zakzak‥夕刊フジ公式サイト]</ref>。岡田はブレイザーとの初対面の際に、通訳兼コーチの[[市原稔]]を介して﹁いくら力のあるルーキーでも、メジャーでは最初から試合に起用することは無い﹂と告げられたが、岡田は﹁そんなん関係ないやん﹂という反骨心が芽生えたと著書に記している<ref>﹃頑固力﹄︵角川SSC新書、2008年︶p. 89</ref>。しかし当時の野手陣には三塁手に﹁ミスター・タイガース﹂[[掛布雅之]]、遊撃手として岡田が入団する前年に[[埼玉西武ライオンズ|太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ]]から加入して、後に岡田の後任で阪神監督を務めることになる[[真弓明信]]、二塁手に[[中村勝広]]・[[榊原良行]]と、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]から獲得した[[デーブ・ヒルトン (野球)|デーブ・ヒルトン]]、一塁手に真弓が加入前まで遊撃手だった[[藤田平]]がおり、岡田の入る場所は無かった。しかも、ヒルトンはアリゾナキャンプの途中からチームに合流したため、二塁へのコンバート計画を聞いていた岡田は﹁なぜ二塁手のヒルトンを獲得するのか﹂と複雑な気持ちになり、まもなくブレイザーからは外野の練習をするように指示されたという<ref>﹃頑固力﹄p. 90</ref><ref>[https://ykt.sega-online.jp/special/interview/history/vol49/ スペシャルインタビュー岡田彰布]</ref><ref>[https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=078-20171009-01 岡田彰布コラム﹁阪神が2位を死守した場合CSを戦う上で先発の枚数が足りないわな。ベンチの判断に注目や﹂ - 野球‥週刊ベースボールONLINE]</ref>。
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オープン戦で本塁打を2本放つ活躍をしたが<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2023/03/22/0016169748.shtml |title=阪神は巨人に敗れ3連敗 ドラ1森下がOP戦3号も先発西純が5回5失点 |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-03-22 |accessdate=2023-03-22}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2023/03/23/0016170538.shtml |title=阪神・ドラ1森下 岡田超え!OP戦球団新人右打者最多タイ3号 宿敵G撃ち 侍刺激「日本を代表する選手に」 |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-03-23 |accessdate=2023-03-23}}</ref>{{by|1980年}}の先発内野手は、一塁手ヒルトン、二塁手[[加藤博一]]、三塁手[[掛布雅之]]、遊撃手真弓明信の布陣でスタートした。ヒルトンはオープン戦で特大本塁打を放ったが<ref>[https://www.zakzak.co.jp/ |
オープン戦で本塁打を2本放つ活躍をしたが<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2023/03/22/0016169748.shtml |title=阪神は巨人に敗れ3連敗 ドラ1森下がOP戦3号も先発西純が5回5失点 |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-03-22 |accessdate=2023-03-22}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2023/03/23/0016170538.shtml |title=阪神・ドラ1森下 岡田超え!OP戦球団新人右打者最多タイ3号 宿敵G撃ち 侍刺激「日本を代表する選手に」 |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=株式会社デイリースポーツ |date=2023-03-23 |accessdate=2023-03-23}}</ref>{{by|1980年}}の先発内野手は、一塁手ヒルトン、二塁手[[加藤博一]]、三塁手[[掛布雅之]]、遊撃手真弓明信の布陣でスタートした。ヒルトンはオープン戦で特大本塁打を放ったが<ref>[https://www.zakzak.co.jp/article/20201022-MMA2LXB54BIUHPTNXCZ5KCUZDE/ 【田所龍一 虎番疾風録 Vol.67】ブレイザー監督と報道陣“対立”のきっかけ 岡田彰布の起用めぐり「お前たちが監督をしてみろ」 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト]</ref>シーズン開幕直後から打撃不振に陥ったものの守備面が評価されて起用され続け、その後、掛布が負傷離脱した4月19日、20日も岡田の起用が見合わせられたため(この時、岡田も負傷していたという説もある)、ファンの間から「なぜ岡田を出さない」という不満が盛り上がり、ファンの一部はヒルトンやブレイザーを悪者扱いし、更には妊娠中の妻が同乗していたヒルトンの車を取り囲み罵声を浴びせ、車を蹴るといった嫌がらせが激しくなった。4月22日の対大洋戦前に[[小津正次郎]]球団社長がブレイザー監督と2時間会談して説得し、その日以降は岡田が三塁手で起用された<ref>[週刊ベースボール1980年6月2日号]</ref>。ヒルトンは18試合出場、打率.197、本塁打0本の不振から抜けられずに5月10日に解雇された。阪神球団は新たに[[ブルース・ボウクレア]]外野手を獲得したが、これに反対するブレイザーと球団の関係が極度に悪化し、5月15日、球団は不明瞭な形でブレイザーを解任し、コーチだった[[中西太]]に監督を交代させた<ref>{{Cite web|和書|url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200820-11 |title=【1980年】新人・岡田彰布の起用をめぐり大混乱。阪神・ブレイザー監督、途中退団/プロ野球回顧録 |publisher=週刊ベースボールONLINE |date=2020-08-20 |accessdate=2021-08-01}}</ref><ref>[https://www.sankei.com/article/20190806-TM2PNFPF6JJDHD5OYTMHFMUZQY/ 【虎番疾風録第3章】(33)カミソリ、ゴキブリ、ネズミの死骸…]</ref>。掛布が復帰した5月17日以降は二塁手で起用され[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]に繋がったが、自らの力でチャンスを掴みたかったので、当時ヒルトンが出場する度に「オカダ・オカダ」とコールが湧いたことに対して、後年のインタビューで「あの岡田コールは嫌だった」と苦言を呈している。また、後年、ブレイザーに親しい人物からブレイザーの「憎くて使わなかったのではなく、期待されて入団してきたルーキーだから余分な力みを生まない楽なところから使ってやりたかった。だから時期がずれた」というコメントを伝えられ、「今となればこのメッセージはある程度、理解できるようになった。ブレイザーもかなり悩んだのだろうし、考えたのだろう。自分も監督になり、そのことはよくわかった」と著書に記している<ref>『頑固力』p. 163</ref>。 |
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この年、[[1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]の第1戦において22歳7か月で代打本塁打を放ったが<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/scores/allstargame/linescore1980.html |title=1980年度オールスター・ゲーム 試合結果 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-05-29}}</ref>、これは2015年の第2戦で19歳11か月だった[[森友哉]]が代打本塁打を放つまでオールスターでの代打本塁打の最年少記録だった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/1509332.html 西武森、予告初球弾 清原以来10代球宴2人目] 日刊スポーツ 2015年7月19日紙面から</ref>。 |
この年、[[1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]の第1戦において22歳7か月で代打本塁打を放ったが<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/scores/allstargame/linescore1980.html |title=1980年度オールスター・ゲーム 試合結果 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-05-29}}</ref>、これは2015年の第2戦で19歳11か月だった[[森友哉]]が代打本塁打を放つまでオールスターでの代打本塁打の最年少記録だった<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/1509332.html 西武森、予告初球弾 清原以来10代球宴2人目] 日刊スポーツ 2015年7月19日紙面から</ref>。 |
2024年2月12日 (月) 17:26時点における版
阪神タイガース 監督 #80 | |
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2023年3月26日 京セラドーム大阪 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市中央区 |
生年月日 | 1957年11月25日(66歳) |
身長 体重 |
175 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、三塁手、一塁手、外野手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト1位 |
初出場 | 1980年4月11日 |
最終出場 |
1995年10月2日(公式戦) 1996年3月26日(現役引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
監督・コーチ歴 | |
| |
この表について
|
経歴
幼少期からタイガースと共に
阪神入団~ブレイザーとの確執
オリックス時代
コーチ時代
第1次阪神監督時代
阪神監督退任後
オリックス監督時代
オリックス監督退任後
第2次阪神監督時代
選手としての特徴
打撃
守備
監督として
野球関係者からの評価
人物・交友関係
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1980 | 阪神 | 108 | 403 | 376 | 44 | 109 | 19 | 0 | 18 | 182 | 54 | 4 | 2 | 1 | 0 | 23 | 6 | 3 | 45 | 6 | .290 | .336 | .484 | .820 |
1981 | 130 | 524 | 485 | 70 | 140 | 23 | 3 | 20 | 229 | 76 | 1 | 0 | 2 | 4 | 28 | 3 | 5 | 43 | 13 | .289 | .331 | .472 | .804 | |
1982 | 129 | 521 | 466 | 57 | 140 | 22 | 1 | 14 | 206 | 69 | 10 | 5 | 2 | 5 | 44 | 12 | 4 | 30 | 13 | .300 | .362 | .442 | .804 | |
1983 | 79 | 289 | 246 | 44 | 71 | 9 | 0 | 18 | 134 | 44 | 7 | 3 | 1 | 5 | 36 | 5 | 1 | 23 | 3 | .289 | .375 | .545 | .920 | |
1984 | 115 | 366 | 323 | 38 | 96 | 14 | 2 | 15 | 159 | 51 | 3 | 1 | 0 | 7 | 33 | 4 | 3 | 41 | 13 | .297 | .361 | .492 | .853 | |
1985 | 127 | 532 | 459 | 80 | 157 | 24 | 3 | 35 | 292 | 101 | 7 | 3 | 0 | 6 | 64 | 3 | 3 | 41 | 11 | .342 | .421 | .636 | 1.057 | |
1986 | 129 | 551 | 474 | 67 | 127 | 21 | 0 | 26 | 226 | 70 | 11 | 3 | 0 | 4 | 70 | 5 | 3 | 57 | 14 | .268 | .363 | .477 | .840 | |
1987 | 130 | 518 | 474 | 54 | 121 | 24 | 3 | 14 | 193 | 58 | 5 | 2 | 0 | 2 | 40 | 2 | 2 | 75 | 12 | .255 | .315 | .407 | .722 | |
1988 | 127 | 524 | 454 | 65 | 121 | 22 | 1 | 23 | 214 | 72 | 10 | 5 | 0 | 5 | 63 | 6 | 2 | 75 | 16 | .267 | .355 | .471 | .826 | |
1989 | 130 | 557 | 492 | 66 | 138 | 20 | 1 | 24 | 232 | 76 | 8 | 3 | 0 | 7 | 57 | 3 | 1 | 81 | 15 | .280 | .352 | .472 | .823 | |
1990 | 130 | 571 | 486 | 75 | 129 | 27 | 0 | 20 | 216 | 75 | 7 | 2 | 0 | 4 | 74 | 5 | 7 | 87 | 12 | .265 | .368 | .444 | .812 | |
1991 | 108 | 428 | 383 | 45 | 92 | 11 | 0 | 15 | 148 | 50 | 1 | 3 | 0 | 3 | 40 | 3 | 2 | 68 | 9 | .240 | .313 | .386 | .700 | |
1992 | 70 | 212 | 185 | 9 | 35 | 11 | 0 | 2 | 52 | 19 | 1 | 0 | 0 | 3 | 22 | 1 | 2 | 48 | 3 | .189 | .278 | .281 | .559 | |
1993 | 42 | 62 | 53 | 2 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 24 | 0 | .170 | .290 | .245 | .536 | |
1994 | オリックス | 53 | 117 | 101 | 10 | 28 | 3 | 0 | 2 | 37 | 12 | 1 | 1 | 0 | 1 | 14 | 0 | 1 | 20 | 3 | .277 | .368 | .366 | .734 |
1995 | 32 | 46 | 39 | 3 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 9 | 1 | .179 | .304 | .179 | .484 | |
通算:16年 | 1639 | 6221 | 5496 | 729 | 1520 | 251 | 14 | 247 | 2540 | 836 | 76 | 33 | 6 | 56 | 624 | 59 | 39 | 767 | 144 | .277 | .351 | .462 | .813 |
年度別監督成績
- レギュラーシーズン
年 度 |
球 団 |
順 位 |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
引 分 |
勝 率 |
ゲ | ム 差 |
本 塁 打 |
打 率 |
防 御 率 |
年 齡 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 阪神 | 4位 | 138 | 66 | 70 | 2 | .485 | 13.5 | 142 | .273 | 4.08 | 47歳 |
2005 | 1位 | 146 | 87 | 54 | 5 | .617 | - | 140 | .274 | 3.24 | 48歳 | |
2006 | 2位 | 146 | 84 | 58 | 4 | .592 | 3.5 | 133 | .267 | 3.13 | 49歳 | |
2007 | 3位 | 144 | 74 | 66 | 4 | .529 | 4.5 | 111 | .255 | 3.56 | 50歳 | |
2008 | 2位 | 144 | 82 | 59 | 3 | .582 | 2.0 | 83 | .268 | 3.29 | 51歳 | |
2010 | オリックス | 5位 | 144 | 69 | 71 | 4 | .493 | 7.5 | 146 | .271 | 3.97 | 53歳 |
2011 | 4位 | 144 | 69 | 68 | 7 | .504 | 20.5 | 76 | .248 | 3.33 | 54歳 | |
2012 | 6位 | 144 | 57 | 77 | 10 | .425 | 17.5 | 73 | .241 | 3.34 | 55歳 | |
2023 | 阪神 | 1位 | 143 | 85 | 53 | 5 | .616 | - | 84 | .247 | 2.66 | 66歳 |
通算:9年 | 1284 | 666 | 574 | 44 | .537 | Aクラス5回、Bクラス4回 |
- ※1 2012年、9月25日より休養。監督代行は、森脇浩司
- ※2 2012年、欠場した9試合(7勝2敗)は監督成績に含まない
- ※3 太字は日本一
- ポストシーズン
年度 | チーム | 大会名 | 対戦相手 | 勝敗 |
---|---|---|---|---|
2005 | 阪神 | 日本シリーズ | 千葉ロッテマリーンズ | 0勝4敗=敗退 |
2007 | セ・リーグ クライマックスシリーズ 1stステージ |
中日ドラゴンズ(セ・リーグ2位) | 0勝2敗=敗退 | |
2008 | セ・リーグ クライマックスシリーズ 1stステージ |
中日ドラゴンズ(セ・リーグ3位) | 1勝2敗=敗退 | |
2023 | セ・リーグ クライマックスシリーズ ファイナルステージ |
広島東洋カープ(セ・リーグ2位) | 3勝0敗=日本シリーズ出場 | |
日本シリーズ | オリックス・バファローズ | 4勝3敗=日本一 |
表彰
- 新人王(1980年)
- ベストナイン:1回(二塁手部門:1985年)
- ダイヤモンドグラブ賞:1回(二塁手部門:1985年)
- 正力松太郎賞:1回(2023年)
- 月間MVP:2回(1985年8月、野手部門:1989年6月)
- オールスターゲームMVP:2回(1980年第1戦、1988年第2戦)
- セ・リーグ 特別表彰:2回(最優秀監督賞:2005年、2023年)
記録
- 初記録
- 初出場:1980年4月11日、対横浜大洋ホエールズ1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に深沢恵雄の代打で出場
- 初打席:同上、9回裏に平松政次の前に三振
- 初先発出場:1980年4月22日、対横浜大洋ホエールズ3回戦(横浜スタジアム)、8番・三塁手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、8回表に加藤英美から左前適時打
- 初本塁打:1980年5月1日、対読売ジャイアンツ5回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に新浦壽夫から左中間越3ラン
- 節目の記録
- 100本塁打:1985年7月13日、対読売ジャイアンツ15回戦(後楽園球場)、9回表に木戸克彦の代打で出場、西本聖から左越ソロ ※史上139人目
- 150本塁打:1987年6月27日、対広島東洋カープ12回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に長冨浩志から左越2ラン ※史上83人目
- 1000安打:1988年5月26日、対ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、10回表に伊東昭光から左前適時打 ※史上150人目
- 1000試合出場:1988年6月22日、対ヤクルトスワローズ10回戦(明治神宮野球場)、4番・二塁手として先発出場 ※史上277人目
- 200本塁打:1989年8月3日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に遠藤一彦から左越ソロ ※史上58人目
- 1500試合出場:1992年8月9日、対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)、12回表に弓長起浩の代打で出場 ※史上102人目
- 1500安打:1994年6月29日、対近鉄バファローズ12回戦(日生球場)、2回表に江坂政明から中前安打 ※史上68人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:8回(1980年 - 1982年、1985年、1986年、1988年 - 1990年)
- 監督としての節目の記録
- 500勝:2011年8月7日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(QVCマリンフィールド)、7-2で勝利 ※史上28人目[143]
- 600勝:2023年5月13日、対横浜DeNAベイスターズ7回戦(阪神甲子園球場)、7-2で勝利 ※史上25人目[144]
背番号
- 16(1980年 - 1993年)
- 10(1994年 - 1995年)
- 85(1996年 - 1997年)
- 80(1998年 - 2008年、2010年 - 2012年、2023年 - )
関連情報
野球以外での表彰
- ベスト・プラウド・ファーザー賞 in 関西(2013年)
- ユーキャン新語・流行語大賞 年間大賞(2023年、「アレ(A.R.E.)」)
- Yahoo!検索大賞2023 スペシャル部門(2023年)[145]
出演番組
歌
連載コラム
著書
単著
- 『頑固力 〜ブレないリーダー哲学』 角川・エス・エス・コミュニケーションズ〈角川SSC新書〉、2008年11月28日第1版発行(11月13日発売[146])、ISBN 978-4-8275-5051-1
- 『オリの中の虎 〜愛するタイガースへ最後に吼える』 ベースボール・マガジン社〈ベースボール・マガジン新書〉、2009年11月20日第1版第1刷発行、ISBN 978-4-583-10231-3
- 『動くが負け 〜0勝144敗から考える監督論』 幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2010年7月30日第1刷発行(7月28日発売[147])、ISBN 978-4-344-98178-2
- 『なぜ阪神はV字回復したのか?』 角川書店〈角川ONEテーマ21〉、2013年9月12日発売[148]、ISBN 978-4-04-110532-0
- 『そら、そうよ 勝つ理由、負ける理由』 宝島社、2014年3月21日第1刷発行(3月7日発売[149])、ISBN 978-4-800-21796-7
- 『プロ野球構造改革論』 宝島社、2014年8月23日第1刷発行(8月9日発売[150])、ISBN 978-4-8002-2882-6
- 『金本・阪神 猛虎復活の処方箋』 宝島社、2017年4月24日第1刷発行(4月10日発売[151])、ISBN 978-4-8002-6756-6
- 『幸せな虎、そらそうよ』 ベースボール・マガジン社、2023年11月30日第1版第1刷発行、ISBN 978-4-583-11655-6
共著
- 江夏豊・岡田彰布 『なぜ阪神は勝てないのか? 〜タイガース再建への提言』 角川書店〈角川ONEテーマ21〉、2009年9月10日初版発行(9月9日発売[152])、ISBN 978-4-04-710206-4
- 張本勲、江本孟紀、岡田彰布、福本豊ほか 『プロ野球史上最高の選手は誰だ? レジェンドOBが選ぶ「実力ナンバーワン」決定戦』 宝島社、2019年7月11日第1刷発行(6月27日発売[153])、ISBN 978-4-8002-9616-0
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脚注
注釈
出典
関連項目
- 大阪市出身の人物一覧
- 早稲田大学の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- オリックス・バファローズの選手一覧
- コンバットマーチ - 阪神現役時代の岡田彰布の応援歌の原曲。
外部リンク
- 個人年度別成績 岡田彰布 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
監督歴 |
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業績 | ||
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野球日本代表 |
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