倶利伽羅峠
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倶利伽羅峠 | |
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国道8号倶利伽羅トンネル富山県側入口 | |
所在地 |
日本 石川県河北郡津幡町 富山県小矢部市 |
標高 | 277 m |
山系 | 砺波山[1][2] |
通過路 |
国道8号(倶利伽羅トンネル) 石川県道・富山県道286号刈安安楽寺線 北陸新幹線(新倶利伽羅トンネル) あいの風とやま鉄道線(倶利伽羅トンネル) |
プロジェクト 地形 |
倶利伽羅峠︵くりからとうげ︶は、富山県と石川県の境にある砺波山の峠である[1][2]。倶梨伽羅峠と表記することもある。
地理[編集]
石川県河北郡津幡町倶利伽羅と富山県小矢部市石坂との境に位置する[1]。この倶利伽羅峠を境にして、東側に砺波平野が、西側に金沢平野が広がっている。 広義には、北に位置する天田峠︵あまだとうげ︶も含める。歴史[編集]
古代より、北陸道がこの峠を通っていた[3][4]。寿永2年︵1183年︶、源氏と平氏による戦いがあり、これが倶利伽羅峠の戦いと呼ばれている︵詳細は当該項目を参照︶[1][2][4][5][6]。 明治に入り、北陸道を継承した国道20号︵現在の国道8号の一部︶も倶利伽羅峠を通っていた。1878年︵明治11年︶の明治天皇の北陸巡幸の際、倶利伽羅峠は急坂で天皇の輿が通れないため、北の天田越︵天田峠︶が改修され、後にこちらが国道となった。1899年︵明治32年︶、北陸本線が富山まで延伸されたときも天田峠の下にトンネルが掘られた。これが、現在の﹁倶利伽羅トンネル﹂である。 天田峠越えの国道は最高勾配が11.3%、峠の両側にヘアピンカーブが連なり、幅員も7.0mと狭く、特に積雪時は除雪障害区域として交通確保に困難を極めていた[7]。 1955年︵昭和30年︶9月1日[8]、北陸本線の勾配の緩和のため近くに新しいトンネル︵現在あいの風とやま鉄道があいの風とやま鉄道線として使用しているトンネル、全長2,459m、1954年︹昭和29年︺8月21日貫通[9]︶が開通した。1941年︵昭和16年︶の着工以降、戦争による中断を経て1953年︵昭和28年︶3月に工事が再開し、1954年︵昭和29年︶8月21日に貫通していた[10]。このトンネルの開通で補助機関車による牽引が不要になった[11]。古いトンネルは、1967年︵昭和42年︶12月6日より国道8号のトンネルに転用された[7][12]。天田峠を越える旧道は石川県道・富山県道286号刈安安楽寺線となっている。倶利伽羅峠を越える道は、1995年︵平成7年︶に建設省︵当時、現在の国土交通省︶の歴史国道に選定された[3]。 2009年︵平成21年︶4月28日には、北陸道の峠道が歴史的価値の高い道路遺構であるため石川県の史跡に指定されている[13]。 北陸新幹線については、当初は倶利伽羅トンネルよりも北方に加越トンネルを建設していたが、石動駅を通るルートに変更されて加越トンネルは放棄され、倶利伽羅トンネルに近い位置に﹁新倶利伽羅トンネル﹂が建設された︵1996年4月23日に貫通[14]︶。道路トンネル[編集]
倶利伽羅トンネル[編集]
●全長957m 、対面2車線の国道8号のトンネルで、幅員8 m、高さ6.3 m[7]。くりからトンネルとも表記されている。 ●トンネル内では、石川・富山両県のラジオの再送信を実施している︵隣接する小矢部バイパスの源平・小矢部両トンネルでも実施。ただし石川県側の津幡北バイパスの岩崎・倉見両トンネルでは石川県内のラジオ局のみ実施︶。対象の放送局はNHKラジオ第1︵金沢・富山︶、NHKラジオ第2︵金沢・富山︶、NHK FM︵金沢・富山︶、北陸放送、北日本放送、エフエム石川、FMとやま。 ●開通当時としては長大なトンネルであったことから、防火設備として警報装置を4か所に設置されている。1968年︵昭和43年︶には、交通量増大による排気ガス処理を目的とした換気装置︵パナソニック製﹁ジェットファン﹂としての初号機︶が設置された[7][15][16]。 ●2015年度︵平成27年度︶の1日当たりの交通量は約2万台。国道8号の新潟、富山、石川の県境区間では最も交通量が多い[17]。新倶利伽羅トンネル︵仮︶[編集]
現トンネル北側に延長3 kmの新ルート︵富山県小矢部市安楽寺 - 石川県河北郡津幡町河内︶を整備する計画で、新ルートは富山側に1号トンネル︵延長1,870 m︶を、石川側に2号トンネル︵延長430 m︶をそれぞれ有する[17]。 車道部分はいずれも幅員10.5 mで、車道は1車線当たり幅員3.5 m[17]。また路肩︵幅員0.5 m︶を片側に設けるほか、現道にはない歩道︵幅員2.5 m︶も設置する[17]。2019年︵令和元年︶6月24日までにルートが決定したが開通時期は未定[17]。周辺[編集]
●倶利迦羅不動寺[3] - 養老年間に倶利迦羅不動明王像が安置されたことに始まる古刹。源平合戦︵治承・寿永の乱︶で消失したがその後に源頼朝により再建された[18]。地名、駅名の由来ともなっている。 ●IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道 倶利伽羅駅︵駅管理はIRいしかわ鉄道の管轄︶[4]脚注[編集]
(一)^ abcd“木曽義仲の夜襲攻撃が見事にあたった﹁倶利伽羅峠の戦い﹂”. BEST TIMES (2017年5月4日). 2022年9月22日閲覧。
(二)^ abc“倶利伽羅峠で源氏に負けた平家武将の話が切ない”. 東洋経済オンライン (2022年4月4日). 2022年9月22日閲覧。
(三)^ abc“富山から石川への峠をめざして 旅行作家・下川裕治がたどる﹁奥の細道﹂旅13”. 朝日新聞デジタルマガジン & Travel (2021年2月17日). 2022年9月22日閲覧。
(四)^ abc“源平戦った古戦場 旧北陸道倶利伽羅峠”. 中日新聞Web (2021年2月23日). 2021年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月22日閲覧。
(五)^ “青木崇高さんと秋元才加さん、平家を破った倶利伽羅古戦場に…大河ドラマ出演中”. 読売新聞オンライン. (2022年4月28日). オリジナルの2022年5月17日時点におけるアーカイブ。 2022年9月22日閲覧。
(六)^ “﹁鎌倉殿の13人﹂登場の木曽義仲はどこまで逃げた?落人伝説探る”. 朝日新聞デジタル. (2022年5月1日). オリジナルの2022年5月1日時点におけるアーカイブ。 2022年9月22日閲覧。
(七)^ abcd﹃小矢部市史 -市政四十年史-﹄︵2002年12月10日、小矢部市発行︶231 - 232頁﹁国道八号倶利伽羅バイパス︵トンネル︶﹂より。
(八)^ ﹃おやべ商工会70年のあゆみ﹄︵1993年4月16日、小矢部商工会発行︶67頁。
(九)^ ﹃新聞に見る20世紀の富山 第2巻﹄︵1999年7月30日、北日本新聞社発行︶84頁。
(十)^ ﹃新聞に見る20世紀の富山 第2巻﹄︵1999年7月30日、北日本新聞社発行︶84頁。
(11)^ ﹃新聞に見る20世紀の富山 第2巻﹄︵1999年7月30日、北日本新聞社発行︶92ページ。
(12)^ ﹃新聞に見る90年 下﹄︵1974年10月1日、北日本新聞社発行 881ページ。︶
(13)^ “御舘館跡・北国街道倶利伽羅峠道”. 石川県教育委員会文化財課 (2010年9月21日). 2022年9月22日閲覧。
(14)^ ﹃新聞に見る20世紀の富山 第3巻﹄︵2000年11月26日、北日本新聞社発行︶256ページ。
(15)^ ﹃トンネル換気システム﹁ジェットファン﹂生産累計2,000台を達成﹄︵プレスリリース︶パナソニック エコシステムズ、2022年3月14日。2022年9月22日閲覧。
(16)^ “パナソニックの﹁ジェットファン﹂、1968年の初号機から生産累計2000台達成”. Car Watch (2022年3月15日). 2022年9月22日閲覧。
(17)^ abcde﹃富山新聞﹄2019年6月25日付朝刊1面﹁倶利伽羅に新トンネル 国道8号 北陸地方整備局 ルート決定 拡幅の2本新設 安全性向上﹂︵北國新聞社富山本社︶より。
(18)^ 倶利伽羅不動寺について
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- ほっと石川旅ねっと 歴史国道「北陸道 倶利伽羅峠」 - 石川県観光連盟
- ふるさと眺望点 倶利伽羅峠 - 富山県土木部建築住宅課