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「時間」の版間の差分

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[[File:Zytglogge 01.jpg|thumb|right|200px|[[スイス]]、[[ベルン]]の[[ツィットグロッゲ]]。ツィットグロッゲには15世紀に[[天文時計]]が設置された。]]

[[File:Zytglogge 01.jpg|thumb|right|200px|[[スイス]]、[[ベルン]]の[[ツィットグロッゲ]]。ツィットグロッゲには15世紀に[[天文時計]]が設置された。]]




''''''[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]

''''''{{lang-en-short|time}}[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]


== 「時間」という言葉・概念の基本的な意味 ==

== 「時間」という言葉・概念の基本的な意味 ==

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# 空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり<ref name="国語大辞典小学館">「日本国語大辞典-第六版」小学館 2001年6月</ref><ref name="広辞苑">「広辞苑-第五版」岩波書店 1998年11月</ref><ref name="国語辞典岩波">「国語辞典-第六版」岩波書店 2000年11月</ref>、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの<ref name="大辞林">「大辞林-第三版」三省堂 2006年10月</ref>。

# 空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり<ref name="国語大辞典小学館">「日本国語大辞典-第六版」小学館 2001年6月</ref><ref name="広辞苑">「広辞苑-第五版」岩波書店 1998年11月</ref><ref name="国語辞典岩波">「国語辞典-第六版」岩波書店 2000年11月</ref>、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの<ref name="大辞林">「大辞林-第三版」三省堂 2006年10月</ref>。



1. の意味の時間、すなわち時の長さというのは「この仕事は時間がかかる<ref name="daijisen">『大辞泉』</ref>」とか「待ち合わせ時刻まで喫茶店で<u>時間</u>をつぶす<ref name="daijisen" />」とかのように用いられている概念である。長さの意味での時間を数で示す表現を日本語および英語で挙げてみると例えば「5時間 ({{en|five hours}})」「2日(2日間、{{en|two days}})」「4月 ({{en|four months}})」などがある。

1.の意味の時間、すなわち時の長さというのは「この仕事は時間がかかる<ref name="daijisen">『大辞泉』</ref>」とか「待ち合わせ時刻まで喫茶店で<u>時間</u>をつぶす<ref name="daijisen" />」とかのように用いられている概念である。長さの意味での時間を数で示す表現を日本語および英語で挙げてみると例えば「5時間 ({{en|five hours}})」「2日(2日間、{{en|two days}})」「4月 ({{en|four months}})」などがある。



2.の用法、時間という言葉を時刻という意味で用いてしまう用法は、広辞苑や日本語大辞典の解説によるとあくまで[[俗語]]である<ref name="広辞苑"/><ref name="日本語大辞典">「日本語大辞典」講談社 1989年11月</ref>。岩波『国語辞典』でも日常語<ref name="国語辞典岩波"/>としている。つまり「時間」を時刻の意味で使ってしまう用法は正しい用法ではない。なお時刻は、ある一瞬を指す概念である。例えば「本日14時20分」などである。時刻については別記事「時刻」が立てられているのでそちらで詳説する。

2.の用法、時間という言葉を時刻という意味で用いてしまう用法は、広辞苑や日本語大辞典の解説によるとあくまで[[俗語]]である<ref name="広辞苑"/><ref name="日本語大辞典">「日本語大辞典」講談社 1989年11月</ref>。岩波『国語辞典』でも日常語<ref name="国語辞典岩波"/>としている。つまり「時間」を時刻の意味で使ってしまう用法は正しい用法ではない。なお時刻は、ある一瞬を指す概念である。例えば「本日14時20分」などである。時刻については別記事「[[時刻]]」が立てられているのでそちらで詳説する。



3. の意味の時間、すなわち哲学的概念としての時間は、まず第一に人間の認識の成立のための最も基本的で基礎的な形式という位置づけである。[[カント]]などの指摘に基き現在まで用いられ日々用いられるようになっている意味である。広辞苑では3.の「時間」は、1.と 2.の両方を併せたような概念、とも解説されている<ref name=koujien6 />。

3.の意味の時間、すなわち哲学的概念としての時間は、まず第一に人間の認識の成立のための最も基本的で基礎的な形式という位置づけである。[[カント]]などの指摘に基き現在まで用いられ日々用いられるようになっている意味である。広辞苑では3.の「時間」は、1.と2.の両方を併せたような概念、とも解説されている<ref name=koujien6 />。



当記事では3. 1.を中心として解説する。2については基本は別記事「[[時刻]]」で扱うが、(広辞苑でも解説されているように)3.の意味の時間は1.と2.を併せたような概念なので、2.の意味についても適宜言及する。

当記事では3.や1.を中心として解説する。2.については基本は別記事「[[時刻]]」で扱うが、(広辞苑でも解説されているように)3.の意味の時間は1.と2.を併せたような概念なので、2.の意味についても適宜言及する。



;3.について

;3.について


<ref group=""></ref>[[]][[]]<ref name="kindaichi">NHK  [[]]</ref>[[|]]<ref name="kindaichi" /><ref name="kindaichi" /><u></u><ref name="kindaichi" />""<ref name="kindaichi" /><ref group=""></ref><ref name=""/><ref name=""/><ref name=""/><ref name=""/>

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<ref name="-1">1114</ref>

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== 長さとしての時 ==

== 長さとしての時 ==

=== 現代のの長さ》の単位 ===

=== 現代の時の単位 ===


[[]][[]] ({{en|year}})[[ ()|]] ({{en|month}})[[]] ({{en|day}})[[ ()|]] ({{en|hour}})[[]] ({{en|minute}})[[]] ({{en|second}}) [[]] ({{en|week}}) [[]] ({{en|decade}})[[]] ({{en|century}})[[]] ({{en|millennium}}) 使

[[]][[]] (SI) [[]] ({{en|second}}) [[SI]]


ただし日常的には秒以外に、多くの国や地域において、[[分]] ({{en|minute}})、[[時間 (単位)|時]] ({{en|hour}})、[[日]] ({{en|day}})、[[月 (暦)|月]] ({{en|month}})、[[年]] ({{en|year}}) が用いられており、しばしば[[週]] ({{en|week}}) も用いられる。また、[[十年紀]] ({{en|decade}})、[[世紀]] ({{en|century}})、[[千年紀]] ({{en|millennium}}) なども使われる場合がある。

=== の長さ》を表すもの ===



[[]] ({{en|minute}})[[ ()|]] ({{en|hour}})[[]] ({{en|day}}) 3[[SI]]

=== 時を表すもの ===

{{複数の問題

{{複数の問題

| section = 1

| section = 1

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| 独自研究 = 2017年9月

| 独自研究 = 2017年9月

}}

}}

人はもともと何かの変化を《時そのもの》として感じていた、何かの変化と時をはっきりと区別していなかった、ということは学者によって指摘されることがある(下の「古ゲルマン」などでも述べる)。

人はもともと何かの変化を《時そのもの》として感じていた、何かの変化と時をはっきりと区別していなかった、ということは学者によって指摘されることがある(下の「古ゲルマン」などでも述べる)。



《[[年]]》は神話的・宗教的概念とも深く結び付いていることが指摘されるが(後述)、一方で人類の[[農耕]]活動の定着や知的活動の高まりと関連付けられて説明されることのあるものであり、古今東西の[[文明]]で広く用いられている。

《[[年]]》は神話的・宗教的概念とも深く結び付いていることが指摘されるが(後述)、一方で人類の[[農耕]]活動の定着や知的活動の高まりと関連付けられて説明されることのあるものであり、古今東西の[[文明]]で広く用いられている。



《[[週]]》は7日をひとまとめと見なす概念・制度(7曜制)であるが、近・現代になるまで万国共通とは言えない状態であった。例えば日本では、平安期に伝わりはしたものの実際上は用いられておらず、生活周期としても日々の意識としても無きにひとしかった。日本人は10日ごとに何かを行っていた。明治政府が国策として西洋各国に倣い法律で定めたことで日本に広まった。何日かをひとまとまりとして見なす文化・制度としては、例えば5曜制、6曜制もあり、10日、90日などをひとまとまりと見なす文化もある<ref name="shindou">{{Cite web

《[[週]]》は7日をひとまとめと見なす概念・制度(7曜制)であるが、近・現代になるまで万国共通とは言えない状態であった。例えば日本では、平安期に伝わりはしたものの実際上は用いられておらず、生活周期としても日々の意識としても無きにひとしかった。日本人は10日ごとなどに何かを行っていた。明治政府が国策として西洋各国に倣い法律で定めたことで日本に広まった。何日かをひとまとまりとして見なす文化・制度としては、例えば5曜制、6曜制もあり、10日、90日などをひとまとまりと見なす文化もある<ref name="shindou">{{Cite web|和書

|url=http://www.shindo.co.jp/shindo/koyomi/tennji/topic/topic02.html

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|accessdate=2011年4月12日

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|title=曜日の話

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機械式[[時計]]が制作されるようになると、天体とは切り離された人工的な時間概念が意識されるようになった。時計は、より短い周期で振動するものを採用することで精度を上げる技術革新が続き、遂には[[原子]]の発する[[電磁波]]の[[周波数]]によって精密に時間を計測できるようになった。これが[[原子時計]]である。

機械式[[時計]]が制作されるようになると、天体とは切り離された人工的な時間概念が意識されるようになった。時計は、より短い周期で振動するものを採用することで精度を上げる技術革新が続き、遂には[[原子]]の発する[[電磁波]]の[[周波数]]によって精密に時間を計測できるようになった。これが[[原子時計]]である。



現代の[[国際単位系]]では、1967年以降、時間の[[基本単位]]として[[秒]]を[[原子時計]]によって定義している。すなわち、「秒(記号は s)は、時間のSI単位であり、セシウム周波数 ∆''ν''<sub>Cs</sub>、すなわち、セシウム133原子の摂動を受けない基底状態の超微細構造遷移周波数を単位 Hz(s<sup>−1</sup> に等しい)で表したときに、その数値を{{val|9192631770}} と定めることによって定義される<ref> [https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88.pdf 国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版] p.99、産業技術総合研究所、計量標準総合センター</ref>」とされている。[[国際単位系]]におけるこの秒の定義は、世界的に統一されたものとして、社会生活や産業活動において最もよく使用されている。

現代の[[国際単位系]]では、1967年以降、時間の[[基本単位]]として[[秒]]を[[原子時計]]によって定義している。すなわち、「秒(記号は s)は、時間の[[SI単位]]であり、セシウム周波数 ∆''ν''<sub>Cs</sub>、すなわち、セシウム133原子の摂動を受けない基底状態の超微細構造遷移周波数を単位 Hz(s<sup>−1</sup> に等しい)で表したときに、その数値を{{val|9192631770}} と定めることによって定義される<ref> [https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88.pdf 国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版] p.99、産業技術総合研究所、計量標準総合センター</ref>」とされている。[[国際単位系]]におけるこの秒の定義は、世界的に統一されたものとして、社会生活や産業活動において最もよく使用されている。



{{See also|時刻}}

{{See also|時刻}}

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<!--ここから #1# へ移動-->

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== 古代宗教における時間 ==

== 古代宗教における時間 ==

ここから先は時代に沿って、様々な時間観を見てゆく。

ここから先は時代に沿って、様々な時間観を見てゆく。

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== ギリシャ神話 ==

== ギリシャ神話 ==


[[]][[]][[]] ({{|grc|Καιρός|Kairos|N}})<ref group="">[[|]]: [[:w:Caerus|Caerus]]</ref> [[ ()|]] ({{|grc|Χρόνος|Khronos|N}}) 

[[]][[]]2[[]] ({{|grc|Καιρός|Kairos|N}})<ref group="">[[|]]: [[:w:Caerus|Caerus]]</ref> [[ ()|]] ({{|grc|Χρόνος|Khronos|N}}) 


== 古代ギリシア ==

== 古代ギリシア ==

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[[ユダヤ教]]には円環的な時間観も見られ、その影響がキリスト教にも見られはするが、[[キリスト教]]にはそれを超えた反復不可能の一回的な時間観がある<ref name="shukyougaku_dic" />。

[[ユダヤ教]]には円環的な時間観も見られ、その影響がキリスト教にも見られはするが、[[キリスト教]]にはそれを超えた反復不可能の一回的な時間観がある<ref name="shukyougaku_dic" />。



キリスト教の時間観にとって決定的なことは、神の子の[[受肉]]としての[[イエス・キリスト]]の[[この世]]への到来、その[[死]]と[[復活]]という、歴史のただなかへの一度かぎりなされたとされる神の[[啓示]]である<ref name="shukyougaku_dic" />。これは反復されない、一回的で決定的な出来事とされ、それを唯一の根源としてキリスト教の[[救済]][[歴史観|史観]]が成り立っている。


[[]][[]][[]][[]][[|]][[]]<ref name="shukyougaku_dic" />[[]][[|]]


キリスト教では、神の創造もただ一度で完了した過去の業にすぎないものではなく、それと同時に伝統的に「不断の創造」として現在の事実とされ、R.K.[[ブルトマン]]やC.H.[[ドッド]]などは[[終末]]についても現在性があると指摘している<ref name="shukyougaku_dic" />。

キリスト教では、神の創造もただ一度で完了した過去の業にすぎないものではなく、それと同時に伝統的に「不断の創造」として現在の事実とされ、R.K.[[ブルトマン]]やC.H.[[ドッド]]などは[[終末]]についても現在性があると指摘している<ref name="shukyougaku_dic" />。

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== 11世紀以降のゲルマン世界 ==

== 11世紀以降のゲルマン世界 ==

[[ファイル:Murten Bern Tor photographed by Robbie Conceptuel.png|サムネイル|ミュルテンの時計塔 , [[スイス]]]]

11~12世紀以降にキリスト教が公的生活にまで影響を及ぼすようになったが、これは古ゲルマンの意識とは異質なものであり<ref name="abekinya" />時間意識や[[死生観]]は変化してゆくことになった<ref name="abekinya" />。キリスト教の時間意識は、神を目指すひとつの方向に進む直線的な時間観であったので、《繰り返す時間》の観念は否定されてゆくことになり、[[終末]]に向かって進んでゆく時間の変化が意識され<ref name="abekinya" />、人間は死ねば、[[煉獄]]、そして[[天国]]か[[地獄]]へ行き、[[最後の審判]]を待つしかない、とされることになった<ref name="abekinya" />。古ゲルマンと、[[現世|この世]]と[[あの世]]の時間的関係が全く異なる。人々は[[死]]ぬと現生とのきずながたたれる、ということにされた<ref name="abekinya" />。教会の教えにより、人はただ1度だけ生き、一度だけ死ぬ、ということになった<ref name="abekinya" />。

11~12世紀以降にキリスト教が公的生活にまで影響を及ぼすようになったが、これは古ゲルマンの意識とは異質なものであり<ref name="abekinya" />時間意識や[[死生観]]は変化してゆくことになった<ref name="abekinya" />。キリスト教の時間意識は、神を目指すひとつの方向に進む直線的な時間観であったので、《繰り返す時間》の観念は否定されてゆくことになり、[[終末]]に向かって進んでゆく時間の変化が意識され<ref name="abekinya" />、人間は死ねば、[[煉獄]]、そして[[天国]]か[[地獄]]へ行き、[[最後の審判]]を待つしかない、とされることになった<ref name="abekinya" />。古ゲルマンと、[[現世|この世]]と[[あの世]]の時間的関係が全く異なる。人々は[[死]]ぬと現生とのきずながたたれる、ということにされた<ref name="abekinya" />。教会の教えにより、人はただ1度だけ生き、一度だけ死ぬ、ということになった<ref name="abekinya" />。



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不可逆現象の事例は、ビデオ映像や映画フィルムの逆回しで説明されることが多い。例えば、“桶の底に入れた一升の米と一升の小豆の混合” を写した映画フィルムの例<ref>寺田寅彦「映画の世界像」寺田寅彦全集第八巻岩波書店 1997年 所収 p150</ref>や、“瀬戸物店に闖入した雄牛” を写したフィルムの例<ref>ピーター・コヴニー;ロジャー・ハイフィールド「時間の矢、生命の矢」草思社 1995年3月 p28</ref>や、“アルコールと水を混ぜて両者が一様に混ざっていく過程” のビデオ録画の例<ref name="田崎秀一_p18">田崎秀一「カオスから見た時間の矢―時間を逆にたどる自然現象はなぜ見られないか」(ブルーバックス)講談社 2000年4月 p18</ref>、がある。このように、自然界において不可逆な現象は、可逆な現象よりもむしろありふれたものであり、「覆水盆に返らず」などの諺も残されている。しかしながら、ビデオの逆回しという考えからは、人間は時間の方向を一方向しか認識出来ていないだけではないかという解釈も出来る。例として、ビデオの中の登場人物を考えてみよう。時間とは変化を認識する事で初めて知覚する現象であり、ビデオの中の登場人物は何回巻き戻しを実行しても結局は同じ行動を繰り返すため、巻き戻しという逆方向の変化を認識出来ない。つまり、ビデオの中の世界の人物は時間の逆行に気づく事が出来てはいないが、実際には時間の逆行は何回も起きているのであり、ビデオとは異なる世界から観測しないと、それを認識する事が出来ない。これを、ビデオテープのパラドックスと言う。

不可逆現象の事例は、ビデオ映像や映画フィルムの逆回しで説明されることが多い。例えば、“桶の底に入れた一升の米と一升の小豆の混合” を写した映画フィルムの例<ref>寺田寅彦「映画の世界像」寺田寅彦全集第八巻岩波書店 1997年 所収 p150</ref>や、“瀬戸物店に闖入した雄牛” を写したフィルムの例<ref>ピーター・コヴニー;ロジャー・ハイフィールド「時間の矢、生命の矢」草思社 1995年3月 p28</ref>や、“アルコールと水を混ぜて両者が一様に混ざっていく過程” のビデオ録画の例<ref name="田崎秀一_p18">田崎秀一「カオスから見た時間の矢―時間を逆にたどる自然現象はなぜ見られないか」(ブルーバックス)講談社 2000年4月 p18</ref>、がある。このように、自然界において不可逆な現象は、可逆な現象よりもむしろありふれたものであり、「覆水盆に返らず」などの諺も残されている。しかしながら、ビデオの逆回しという考えからは、人間は時間の方向を一方向しか認識出来ていないだけではないかという解釈も出来る。例として、ビデオの中の登場人物を考えてみよう。時間とは変化を認識する事で初めて知覚する現象であり、ビデオの中の登場人物は何回巻き戻しを実行しても結局は同じ行動を繰り返すため、巻き戻しという逆方向の変化を認識出来ない。つまり、ビデオの中の世界の人物は時間の逆行に気づく事が出来てはいないが、実際には時間の逆行は何回も起きているのであり、ビデオとは異なる世界から観測しないと、それを認識する事が出来ない。これを、ビデオテープのパラドックスと言う。



イギリスの天体物理学者[[アーサー・エディントン]] (Arthur Stanley Eddington) はこの不可逆な現象を時間的非対称性だと考え、1927年に「[[時間の矢]]」と表現した<ref>Arthur Stanley Eddington "The nature of the physical world (The Gifford lectures)" MacMillan (1943) {{ASIN|B0006DFTN4|com}}</ref><ref>[[:en:Arrow of time|ウィキペディア英語版 "時間の矢"]]</ref><ref>戸田盛和「物理読本(1) マクスウェルの魔―古典物理の世界-」岩波書店 1997年10月 p108</ref>。

イギリスの天体物理学者[[アーサー・エディントン]] (Arthur Stanley Eddington) はこの不可逆な現象を時間的非対称性だと考え、1927年に「[[時間の矢]]」と表現した<ref>Arthur Stanley Eddington "The nature of the physical world (The Gifford lectures)" MacMillan (1943) {{ASIN|B0006DFTN4|com}}</ref><ref>[[:en:Arrow of time|英語版ウィキペディア "時間の矢"]]</ref><ref>戸田盛和「物理読本(1) マクスウェルの魔―古典物理の世界-」岩波書店 1997年10月 p108</ref>。



この“時間の矢”を表す[[物理法則]]として、[[エントロピー#エントロピー増大則|エントロピー増大則]] (law of increasing entropy) について言及されることがある。エントロピー増大則は、「[[孤立系]]内の[[エントロピー]]は時間と共に増大するか変化しない」と言い表される。このことは[[熱力学第二法則]]、すなわち「ある物体より熱を取り、それをすべて仕事に変えて、それ以外に何の変化も残さないようにすることは不可能である」というトムソンの原理 (Thomson's principle, &mdash;statement) や「低温の物体から熱を取り、それをすべて高温の物体に写し、それ以外に何の変化も残さないようにすることは不可能である」というクラウジウスの原理 (Clausius' principle, &mdash;statement) などから導かれる。[[ウィリアム・トムソン]](ケルヴィン卿)や[[ルドルフ・クラウジウス]]の主張は互いに等価であることが示されており、これらをまとめたものが熱力学第二法則である。熱力学第二法則は熱力学における基本原理であり、熱現象の観察事実を法則化したものである<ref>藤原邦男;兵頭俊夫「熱学入門―マクロからミクロへ」東京大学出版会 1995年6月 3章</ref>。熱力学第二法則は時間の矢の現れの一つというだけでなく、非常に多くの時間の矢を説明(ないしは置換)できる。例えば、アルコールと水を混ぜて両者が一様に混ざっていく過程は「水とアルコールが分離した状態よりも、混ざった状態の方がエントロピーが高い(自由エネルギーが低い)ため起こる」と説明できる。そのためしばしば両者は同列に扱われる。しかし、エントロピー増大則が成り立つのは「孤立系」、すなわち外界と熱的なやりとりがない系においてであり、エントロピー増大則をもって「時間の矢」問題がすべて理解されるということはない。

この“時間の矢”を表す[[物理法則]]として、[[エントロピー#エントロピー増大則|エントロピー増大則]] (law of increasing entropy) について言及されることがある。エントロピー増大則は、「[[孤立系]]内の[[エントロピー]]は時間と共に増大するか変化しない」と言い表される。このことは[[熱力学第二法則]]、すなわち「ある物体より熱を取り、それをすべて仕事に変えて、それ以外に何の変化も残さないようにすることは不可能である」というトムソンの原理 (Thomson's principle, &mdash;statement) や「低温の物体から熱を取り、それをすべて高温の物体に写し、それ以外に何の変化も残さないようにすることは不可能である」というクラウジウスの原理 (Clausius' principle, &mdash;statement) などから導かれる。[[ウィリアム・トムソン]](ケルヴィン卿)や[[ルドルフ・クラウジウス]]の主張は互いに等価であることが示されており、これらをまとめたものが熱力学第二法則である。熱力学第二法則は熱力学における基本原理であり、熱現象の観察事実を法則化したものである<ref>藤原邦男;兵頭俊夫「熱学入門―マクロからミクロへ」東京大学出版会 1995年6月 3章</ref>。熱力学第二法則は時間の矢の現れの一つというだけでなく、非常に多くの時間の矢を説明(ないしは置換)できる。例えば、アルコールと水を混ぜて両者が一様に混ざっていく過程は「水とアルコールが分離した状態よりも、混ざった状態の方がエントロピーが高い(自由エネルギーが低い)ため起こる」と説明できる。そのためしばしば両者は同列に扱われる。しかし、エントロピー増大則が成り立つのは「孤立系」、すなわち外界と熱的なやりとりがない系においてであり、エントロピー増大則をもって「時間の矢」問題がすべて理解されるということはない。

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== 時間の速さ ==

== 時間の速さ ==

《人が感じる時間》の速さは、[[気分]]、[[年齢]]等により変化する、と言われている。例えば同じ曲を流しても、安静にしていたり寝ぼけている時は速く聴こえ、激しい運動・活動の後では遅く聴こえる事がある。こうした場合、感じている時間の速さに相対的な違いがあると言える。また、年齢を重ねれば重ねるほど、一日なり一年が過ぎるのが速くなってきている、という感覚はほとんどの人が感じることである([[ジャネの法則]])。年をとって自分の動作や思考の速さ・時間当たりの作業量が低下すると、相対的に時間が速く過ぎるように感じる。若い時に10分で歩けた道を歩くのに20分かかるようになったり、1日で片づけられた仕事に2日かかるようになったりすると、時間が2倍ほど速く過ぎるように感じることになる。{{要出典|範囲=また人は時間をそれまで生きてきた経験の量の比率のようなもので感じている、と言われる|date=2021年10月}}こともある。これは、7歳の子供にとっての1年が人生の7分の1であるのに対して、70歳の老人にとっての1年が人生の70分の1であることからも説明ができる。心理的な時間は、さまざまな要因によって影響を受け伸縮する。その影響の度合いは大人に対し子供の方がずっと大きい。大人は心理的な時間の伸縮に左右される出来事があっても『短く感じられるが実はこのくらいだろう』と心理的時間を補正できるが、子供はできない。大人はこの「'''時計時間'''」に支配されるが子供は「'''出来事時間'''」に支配される<ref name="Newton"></ref>。

《人が感じる時間》の速さは、[[気分]]、[[年齢]]等により変化する、と言われている。例えば同じ曲を流しても、安静にしていたり寝ぼけている時は速く聴こえ、激しい運動・活動の後では遅く聴こえる事がある。こうした場合、感じている時間の速さに相対的な違いがあると言える。また、年齢を重ねれば重ねるほど、一日なり一年が過ぎるのが速くなってきている、という感覚はほとんどの人が感じることである([[ジャネの法則]])。年をとって自分の動作や思考の速さ・時間当たりの作業量が低下すると、相対的に時間が速く過ぎるように感じる。若い時に10分で歩けた道を歩くのに20分かかるようになったり、1日で片づけられた仕事に2日かかるようになったりすると、時間が2倍ほど速く過ぎるように感じることになる。{{要出典|範囲=また人は時間をそれまで生きてきた経験の量の比率のようなもので感じている、と言われる|date=2021年10月}}こともある。これは、7歳の子供にとっての1年が人生の7分の1であるのに対して、70歳の老人にとっての1年が人生の70分の1であることからも説明ができる。心理的な時間は、さまざまな要因によって影響を受け伸縮する。その影響の度合いは大人に対し子供の方がずっと大きい。大人は心理的な時間の伸縮に左右される出来事があっても『短く感じられるが実はこのくらいだろう』と心理的時間を補正できるが、子供はできない。大人はこの「'''時計時間'''」に支配されるが子供は「'''出来事時間'''」に支配される<ref name="Newton"></ref>。



人間の[[体温]]も時間の感覚に影響するという<ref name ="higengo">{{Cite |和書 | author = マジョリー・F・ヴァーガス| translator = 石丸正 | title = 非言語コミュニケーション | date = 1987 |series = 新潮選書 |publisher = 新潮社 |pages=173}}</ref>。体温が常温以下に下がると、時間が早く過ぎ、高熱を発すると、普段以上にゆっくりと過ぎるように感じられるという<ref name ="higengo"/>。

人間の[[体温]]も時間の感覚に影響するという<ref name ="higengo">{{Cite |和書 | author = マジョリー・F・ヴァーガス| translator = 石丸正 | title = 非言語コミュニケーション | date = 1987 |series = 新潮選書 |publisher = 新潮社 |pages=173}}</ref>。体温が常温以下に下がると、時間が早く過ぎ、高熱を発すると、普段以上にゆっくりと過ぎるように感じられるという<ref name ="higengo"/>。


2024年6月16日 (日) 06:46時点における版

[1]
41使
15

: time

「時間」という言葉・概念の基本的な意味


使[2]

(一)2[2][2]

(二)

(三)[3][4][5][6]

1.[7][7]5 (five hours)22two days4 (four months)

2.[4][8][5]使1420

3.3.1.2.[2]

3.1.2.3.1.2.2.

3.

[ 1][9][9][9]""[9][ 2][5][3][8][6] [10]


 (SI)  (second) SI

 (minute) (hour) (day) (month) (year)  (week)  (decade) (century) (millennium) 使

 (minute) (hour) (day) 3SI

時間を表すもの




西

7710西561090[11]777105[11]



1967sSI νCs133Hzs1 9192631770 [12]使

時刻




 (noon) 





沿

[13][13]hierophany[13][13]

[13]

[13]

[13][13]

[13][13]

Great Year[13][13][13]




2 (Καιρός, Kairos)[ 3]  (Χρόνος, Khronos) 


[14]


65 - 8Carpe diem


[13]

[13]

R.K.C.H.[13]

[13]


[10]

354 - 4303


10[15][15]timi[15]ar姿[15][15]

11

 , 

1112[15][15][15][15][15]1[15]

使[15]

自然哲学および自然科学での時間

ニュートン力学での時間

古典力学


運動の第2法則

歴史英語版

Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica, 1687

[ 4]#

parameter, 3






[ 5]4 (spacetime) 4[17][18]

[19][19]

相対性理論後

時間
time
量記号 t
次元 T
種類 スカラー
SI単位 (s)
CGS単位 秒 (s)
FPS単位 秒 (s)
プランク単位 プランク時間
テンプレートを表示



[20]


量子力学での時間


[21]










1724  1804西
















 [22] [23] [24]

 (Arthur Stanley Eddington) 1927[25][26][27]

 (law of increasing entropy)  (Thomson's principle, statement)  (Clausius' principle, statement) [28]

[29][29]

HH

[30][31]

CPT C,  P, T[29]

[31]



1020122[]7171701701[14]

[32][32]

[33]



  使

150GPS




#

始まり




1927 primeval atom




 () ()


1983使 icti c t 使






使[ 6]

SF


""""

SF


SF[34]


HG1895

未来の予知


SFESP[35]


SF


SF[36]


脚注

注釈



(一)^ 

(二)^ 

(三)^ : Caerus

(四)^ [16]

(五)^ 4

(六)^ SF使

出典



(一)^   2003 

(二)^ abcd

(三)^ ab 20016

(四)^ ab 199811

(五)^ abc 200011

(六)^ ab 200610

(七)^ ab

(八)^ ab 198911

(九)^ abcdNHK  

(十)^ ab1114

(11)^ ab. 2011412[]

(12)^  SI92019 p.99

(13)^ abcdefghijklmnopq1973 

(14)^ abNewton 2013513

(15)^ abcdefghijkl1988 

(16)^ :

(17)^ 19789ISBN 448901127X  p.77-80

(18)^ 201161ISBN 978-4-06-153275-5 

(19)^ abL SF   ︿1989247

(20)^ 

(21)^ Bizarre quantum experiment suggests time can run backwards.  Daily Mail Online (2015210). 20171215

(22)^  1997  p150

(23)^ ; 19953 p28

(24)^  20004 p18

(25)^ Arthur Stanley Eddington "The nature of the physical world (The Gifford lectures)" MacMillan (1943) ASIN B0006DFTN4

(26)^  ""

(27)^ (1)  199710 p108

(28)^ ; 199563

(29)^ abc - 5 19982 """"

(30)^    19875

(31)^ ab  180 2011/08

(32)^ abF  ︿1987173 

(33)^ 1992ISBN 4121010876

(34)^      2006/8

(35)^ L SF   ︿1989259

(36)^ SF  20047

関連文献

  • アンリ・ベルクソン『時間と自由』1889年。(『時間と自由意志』とも)(翻訳は岩波文庫 2001年 ISBN 4003364597 など)
  • マルティン・ハイデッガー『存在と時間』1927年。(哲学系)(筑摩書房1994年 ISBN 4480081372 ほか翻訳多数)
  • 渡辺慧『時間の歴史』東京図書、1973年
  • 渡辺慧『時』河出書房、1974年
  • 『講座 仏教思想 第1巻(存在論・時間論)』理想社、1974年、ASIN B000J9B0J2
  • ホイットロー『時間 その性質』文化放送開発センター、1976年
  • 滝浦静雄『時間』岩波新書、1976年、ASIN: B000J9AYZI(哲学系)
  • 中村秀吉『時間のパラドックス』中央公論新社、1980年
  • 土屋賢二「時間概念の原型 -プラトンとアリストテレスの時間概念」(『新岩波講座・哲学』第7巻、岩波書店(1985年)に所収。1988年版ISBN 4000102273)
  • 村上陽一郎『時間の科学』岩波書店、1986年、ISBN 4000076701
  • エマニュエル・レヴィナス『時間と他者』法政大学出版局、1986年、ISBN 4588001787(哲学系)
  • 松田卓也二間瀬敏史『時間の逆流する世界』丸善、1987年、ISBN 4621031619
  • ゲーザ・サモン『時間と空間の誕生 蛙からアインシュタインへ』青土社、1887年。新装版1997年 ISBN 4791755529
  • ジェレミ・キャンベル『チャーチルの昼寝 人間の体内時計の探求』青土社、1988年、ISBN 4791751167
  • 松田卓也・二間瀬 敏史『時間の本質をさぐる』講談社、1990年、ISBN 4061490052
  • スティーブン・グールド『時間の矢・時間の環』工作舎、1990年(地質学的時間を扱っている)
  • 本川達雄『ゾウの時間、ネズミの時間』中央公論社、1992年、ISBN 4121010876
  • 大森荘蔵『時間と自我』青土社、1992年 ISBN 479175171X、1993年 ISBN 479175171X
  • 劉文栄『中国の時空論 - 甲骨文字から相対性理論まで』東方書店、1992年、ISBN 4497923622
  • スティーヴン・カーン『時間の文化史―時間と空間の文化 1880‐1918年(上巻)』法政大学出版局、1993年、ISBN 4588021389
  • 「時間論の現在」(『現代思想』1993年3月号、青土社、所収)
  • 大森荘蔵『時間と存在』青土社、1994年、ISBN 4791753054
  • エマニュエル・レヴィナス『神・死・時間』法政大学出版局(叢書ウニベルシタス)1994年、ISBN 4588004492
  • ピーター・コヴニー他『時間の矢、生命の矢』草思社、1995年、ISBN 4794205848(ポピュラーサイエンス)
  • 中島義道『時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか』講談社現代新書、1996年、ISBN 4061492934
  • (著者多数)『心理的時間―その広くて深いなぞ』北大路書房、1996年、ISBN 4762820598
  • ポール・デイヴィス『時間について―アインシュタインが残した謎とパラドックス』早川書房、1997年、ISBN 4152080639(物理系)
  • 吉田健一『時間』講談社文芸文庫、1998年、ISBN 4061976346(文学・哲学系)
  • ジョン・グリビン『時の誕生、宇宙の誕生』翔泳社、2000年
  • 田崎秀一『カオスから見た時間の矢』講談社、2000年(物理系)
  • 実松克義『マヤ文明 聖なる時間の書―現代マヤ・シャーマンとの対話』現代書林、2000年、ISBN 4774502049
  • 中島義道『カントの時間論』岩波現代文庫、2001年、ISBN 4006000405(哲学系)
  • 入不二基義『時間は実在するか』講談社現代新書、2002年、ISBN 4061496387
  • ウィリアム・グラハム フーバー『時間の矢 コンピュータシミュレーション、カオス―なぜ世界は時間可逆ではないのか?』森北出版、2002年、ISBN 4627153015
  • 野矢茂樹『同一性・変化・時間』哲学書房、2002年、ISBN 488679081X
  • 粂和彦『時間の分子生物学』講談社現代新書、2003年、ISBN 4061496891
  • 真木悠介『時間の比較社会学』岩波現代文庫、岩波書店、2003年、ISBN 4006001088
  • 松田文子『時間を作る、時間を生きる―心理的時間入門』北大路書房、2004年、ISBN 4762823554
  • 加藤周一『日本文化における時間と空間』岩波書店、2007年、ISBN 4000242482
  • 入不二基義『時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか』勁草書房(双書エニグマ)、2007年、ISBN 4326199172

関連項目
















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Time  - 

Time  - 

Thermodynamic Asymmetry in Time  - 

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TimeCrowd -