ウズベキスタン
- ウズベキスタン共和国
- Oʻzbekiston Respublikasi
Ўзбекистон Республикаси -
(国旗) (国章) - 国の標語:Oʻzbekiston kelajagi buyuk davlat
(ウズベク語:ウズベキスタン、偉大な未来を持つ国) - 国歌:
O‘zbekiston Respublikasining Madhiyasi(ウズベク語)
ウズベキスタン共和国国歌 -
公用語 ウズベク語 首都 タシュケント 最大の都市 タシュケント 独立
- 日付ソビエト連邦より
1991年9月1日通貨 スム(UZS) 時間帯 UTC(+5) (DST:なし) ISO 3166-1 UZ / UZB ccTLD .uz 国際電話番号 998
概要[編集]
ウズベキスタンはテュルク語圏の一部であり、テュルク評議会、テュルク文化国際機関、テュルク語圏諸国議会のメンバーでもある。国連、WTO、CIS、上海協力機構︵SCO︶、ユーラシア経済連合、CSTO、OSCE、イスラム協力機構などの国際機関に加盟している。 同国は様々な民族によって構成されている多民族国家で、6つの独立したトルコ系国家の一つに数え上げられる。世俗的な国家であり、大統領制の立憲政治が敷かれている。 国内の主要民族はウズベク人で、総人口の約83%を占める。主な少数民族としては、ロシア人︵2%︶、タジク人︵4~30%︶[4][5][6][7]、カザフ人︵3%︶、タタール人︵1.5%︶、カラカルパク人︵2%︶などがいる。ロシア人やその他の少数民族が他国へと移住し、ソビエト連邦時代に他国に居住していたウズベク人がソ連崩壊に伴う独立回復後にウズベキスタンへ帰国していることから、同国内に住むウズベク人以外の民族の割合は減少傾向にあるとされている。 ウズベキスタンは12の地域︵ヴィラヤット︶、タシュケント市、1つの自治共和国カラカルパクスタンで構成されている。また、NIS諸国の一つにも数えられている。 国内ではウズベク語が主に話されているが、ロシア語も共通語として使われている。宗教はイスラム教が主流であり、ウズベク人の多くはイスラム教スンナ派である。 非政府の人権団体はウズベキスタンを﹁市民権を制限した権威主義国家﹂と定義しているが、独裁者イスラム・カリモフの死後、シャフカト・ミルジヨエフ政権下で大きな改革が行われている。この改革により、隣国のキルギス、タジキスタン、アフガニスタンとの関係は劇的に改善された。2020年の国連報告書では、国連の持続可能な開発目標の達成に向けて多くの進展が見られる。 ウズベク経済は市場経済への移行が徐々に進んでおり、対外貿易政策も輸入代替を基本としている。2017年9月、同国通貨は市場レートで完全に兌換可能となった。ウズベキスタンは、綿花の主要な生産国であり、輸出国でもある。ソ連時代からの巨大な発電施設と豊富な天然ガスの供給により、ウズベキスタンは中央アジア最大の電力生産国となっている。2018年から2021年にかけて、共和国はスタンダード・アンド・プアーズ︵S&P︶およびフィッチからBB-の格付けを受けた。ブルッキングス研究所が示す強みとしては、ウズベキスタンに大きな流動資産、高い経済成長、低い公的債務があることである。経緯[編集]
現在のウズベキスタンへの最初の移住者はスキタイ人と呼ばれる東イランの遊牧民で、フワラズム︵紀元前8〜6世紀︶、バクトリア︵紀元前8〜6世紀︶、ソグディアナ︵紀元前8〜6世紀︶、フェルガナ︵紀元前3世紀〜紀元前6世紀︶、マルギアナ︵紀元前3世紀〜紀元前6世紀︶に王国を建設したと記録されている。この地域はイランのアケメネス朝帝国に組み込まれ、マケドニアの支配を経て、イランのパルティア帝国、後にサーサーン朝帝国に支配され、7世紀にイスラム教徒がペルシアを征服するまで続いた。初期イスラム教の征服とその後のサマニード帝国の支配により、現地の支配階級を含むほとんどの人々がイスラム教の信奉者に改宗した。この時代、サマルカンド、ヒヴァ、ブハラなどの都市は、シルクロードによって豊かになり始め、ムハンマド・アル・ブハーリー、アル・ティルミーディ、アル・クワリズミー、アル・ビルニ、アヴィセンナ、ウマル・ハイヤームなど、イスラーム黄金時代を代表する人物が出現した。 13世紀、モンゴル帝国の侵攻により、クワラズミー王朝と中央アジア全体が壊滅し、その後、この地域はトルコ系民族の支配を受けるようになった。14世紀、ティムール帝国を樹立したティムール︵タメルラン︶は、サマルカンドを首都とするトゥラン最高首長となり、ウルグ・ベグの支配下で科学の中心となり、ティムール・ルネサンスを生んだ。 16世紀、ティムール朝の領域はウズベク・シャイバーニー朝に征服され、権力の中心はブハラに移った。この地域は、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国、ブハラ・ハン国の3つの国に分かれた。バーブル帝による東方への征服は、ムガル帝国としてインドの新たな侵略の基礎となった。 19世紀には中央アジア全域が徐々にロシア帝国に組み込まれ、タシュケントがロシア・トルキスタンの政治的中心地となった。1924年、国家分割により、ソビエト連邦内の独立共和国としてウズベク・ソビエト社会主義共和国が誕生した。ソビエト連邦の崩壊後、1991年8月31日に﹁ウズベキスタン共和国﹂として独立を宣言した。 一方、1991年にウズベキスタンが独立した際、イスラム原理主義に対する懸念が中央アジア地域に広まった。これは、支配的な宗教であったイスラム教信者︵ムスリム︶が急激に増加するであろうという予想に基づくものであったが、1994年時点では、ウズベキスタンの人口の半数以上が﹁自分はムスリムである﹂と答えている一方で、信仰における知識やその実践方法に関してはこれを持ち合わせている割合が極めて低かった。その後はイスラム教信者の割合の上昇が見られるようになったが、世俗化しており、戒律などは緩い。国名[編集]
正式名称はウズベク語で、Oʻzbekiston Respublikasi / Ўзбекистон Республикаси︵ウズベキスタン・レスプブリカシ︶。通称は、Oʻzbekiston / Ўзбекистон。 公式のロシア語表記はРеспублика Узбекистан。通称、Узбекистан。また英語表記は、Republic of Uzbekistan。通称、Uzbekistan。国民・形容詞ともUzbekistani。 日本語の表記は、ウズベキスタン共和国。通称、ウズベキスタン。 国名は、ウズベク人の自称民族名 Oʻzbek︵ウズベク︶と、ペルシア語で﹁~の国﹂を意味する -stan ︵スタン︶の合成語である。ウズベクは、テュルク語で﹁自身が主君﹂を意味し、ジョチ・ウルスのウズベク・ハン︵オズベク・ハン︶の名に由来するといわれる。歴史[編集]
古代-10世紀[編集]
モンゴル帝国・ティムール朝[編集]
ウズベク3ハン国[編集]
ティムール朝の衰亡後、北からウズベク人が侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国を立てる。ロシア帝国・ソビエト連邦[編集]
これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となり、その後はソビエト共産党政府の統治下に入り、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となった。1966年4月、タシュケントを震源として市内では大地震が起こり、市内の建物のおよそ2/3が倒壊するという惨事となった。
独立[編集]
政治[編集]
国際関係・外交[編集]
国家安全保障[編集]
地理[編集]
気候[編集]
ウズベキスタン共和国内の気候はその大部分が大陸性気候であり、平均降水量は年間100~200mmと非常に少ない。特に西部は雨が少なく、砂漠が広がっている。 このため人口密度は山岳地帯の東部の方が高く、土地の平坦な西部は低い。 夏はかなり暑く、気温はしばしば40度︵104°F︶を超える。冬の平均気温は約-2度︵28°F︶だが、-40度︵-40°F︶まで下がる場合がある。 タシュケントの7月の平均最高気温は35.7度、1月の平均最低気温は-1.5度である[14]。環境[編集]
地方行政区分[編集]
ウズベキスタンは12の州(viloyat、ヴィラヤト)、1つの(自治)共和国(respublika、レスプブリカ)、1つの特別市(shahar、シャハル)に分かれる。
主要都市[編集]
経済[編集]
農業[編集]
鉱業[編集]
[24] ウズベキスタンはエネルギー資源として有用な鉱物に恵まれている。ウズベキスタンの主要金属資源は、金、ウラン、モリブテン、タングステン、銅、鉛、亜鉛、銀、セレンであり、金埋蔵量1,700tで世界第12位、年間生産量102tで第10位、ウランの埋蔵量では世界トップ10に入り生産量2,400トンであり、世界第7位である。 ウズベキスタン鉱物埋蔵量国家バランスによると、同国では、97の貴金属鉱床、38の放射性鉱物鉱床、12の非鉄金属鉱床、235の炭化水素鉱床︵ガス及び石油鉱床を含む︶、814の各種建材鉱床など、1,931の鉱床が発見されている︵2017年1月1日時点︶。現在、探査は10鉱種以上に関して行われており、数鉱種だった20年前に比べ探査範囲は拡大傾向にある。近年、探査が開始されたものや強化されているものは、鉄、マンガン、石炭、オイルシェール、一部のレアメタル、レアアース、非在来型の金・ウラン鉱床である。 近年の鉱山開発は、国営企業であるNGMK (Navoi Mining and Metallurgical Combinat) (ウラン、金) 及びAGMK(Almalyk Mining and Metallurgical Complex) (銅、亜鉛、鉛、金)による生産設備の近代化や、アジア諸国︵日中韓︶との経済協力によって推進される傾向にある。また、韓国、中国、ロシアなどから調査・採掘分野への投資の動きが活発化しており、ウランやレアメタルを中心に協力拡大の可能性が注目されている。ウズベキスタンは世界第4位の金埋蔵量を誇る。407万トンの亜炭[45]、250万トンの原油[46]も採掘されている。鉱業セクターは輸出にも貢献しており、特産物の絹織物につぎ、エネルギー輸出が全輸出額の9.0%を占める>[47]。その他の金属鉱物資源では、銀︵生産量‥約60.0千トン︶のほか、小規模な銅採掘︵生産量‥80.4トン︶が続いている。リン鉱石も産出する。観光都市[編集]
交通[編集]
ウズベキスタン航空[編集]
国内[編集]
国内の移動にはウズベキスタン航空の国内線の他、バスや鉄道も国土の広い範囲をカバーしている。なお鉄道はその多くが旧ソ連時代に建設されたものであり、老朽化が進んだ他、各地方を結ぶ基幹路線のいくつかは近隣国を経由しており、これを解消するために日本政府が円借款を行い、鉄道旅客輸送力の増強および近代化事業を進めている。近年、タシュケント・サマルカンド高速鉄道も運行している。 ウズベキスタンの首都であり国内最大の都市であるタシュケントには1977年にタシュケント地下鉄が整備され、ソ連崩壊による独立後10周年に当たる2001年には地下鉄が3線にまで増加した。ウズベキスタンは中央アジアで最も早く地下鉄が整備された国であり、2013年時点で地下鉄が存在する中央アジアの都市はカザフスタンのアルマトイとタシュケントの2つのみである[49]。駅にはそれぞれ統一されたテーマが設けられており、そのテーマに沿った内装が施されている。例えば、1984年に建設されたウズベキスタン線の﹁コスモナフトラル駅﹂は宇宙旅行がテーマとなっており、駅構内はウズベキスタン国内出身のソビエト連邦の宇宙飛行士、ウラジーミル・ジャニベコフの業績を含めた人類の宇宙探査の様子が描かれており、ウラジーミル・ジャニベコフの銅像が駅入口付近に建設されている。 タシュケントには市営のトラムやバスが運行されている他、登録承認済み、非承認にかかわらず多くのタクシーが走行している。ウズベキスタンには現代的な自動車を生産する自動車工場がある。ウズベキスタン政府と韓国の自動車企業、韓国GM︵旧称‥大宇自動車︶により設立されたウズデウオート︵現在はGM傘下に入りGMウズベキスタンと改称している︶が国内のアサカで大規模な自動車生産を行なっている[50]。政府はトルコのコチュ財閥による投資を受けてサムコチュアフトを設立、小型バスやトラックの生産を開始した。2007年には日本のいすゞ自動車といすゞのバスやトラックを生産を開始した[51][52]。 鉄道はウズベキスタン国内の多くの街を結ぶと共に、キルギスやカザフスタンなど旧ソ連領域内にあった中央アジアの隣国へも運行されている。更に、独立後2種類の高速鉄道が導入された。2011年9月にはタシュケントとサマルカンドを結ぶタシュケント・サマルカンド高速鉄道の運行が開始された。この高速鉄道の車輌にはスペインの鉄道車両メーカータルゴにより制作されたタルゴ250が使用されており、﹁アフラシャブ号 (Afrosiyob)﹂と呼ばれている。初の運行は2011年8月26日に開始された[53]。 ウズベキスタンにはソビエト連邦時代にタシュケント・チカロフ航空生産工場︵ロシア語: ТАПОиЧ︶と呼ばれたタシュケント航空生産協会という大規模航空機生産工場がある。この工場は独ソ戦時に建設され、当時の生産施設はソビエト連邦と敵対していたナチス・ドイツの軍隊による接収を避けるためソビエト連邦南東部に当たる中央アジアへと疎開してきたものであった。1980年代後半まで、工場はソビエト連邦国内において航空機生産をリードする工場の1つであったが、ソビエト連邦崩壊とともに生産設備は老朽化、多くの労働者が解雇された。現在は年間数台の航空機を生産するのみとなっているが、ロシアの企業による関心により生産能力強化計画があるとも報じられている。科学技術[編集]
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国民[編集]
民族[編集]
ウズベキスタンの平均年齢は低く、全人口の約23.19%は14歳以下である︵2020年の推定︶[56]。人口推定によると、主要民族のウズベク人が全人口の84.3%を占める。その他、4.8%のタジク人のほか、カザフ人︵2.4%︶、ロシア人︵2.1%︶など多くの少数民族が住む︵2020年︶[54]。ソ連時代に、ウズベク語を話すことのできるタジク人はウズベク人と分類されたため、タジク人は実際には相当数いるものとされる。実際には、人口の20~30%を占めているという調査もある。ソ連時代にはロシア人の割合は12.5%︵1970年︶を占め、タシュケントの人口の半数近くがロシア人・ウクライナ人であったが、現在はウズベク民族主義や経済的な理由により急減している。人名はソ連時代の名残りからロシア語風の姓名が多く見受けられる。 タジク人の割合に関しては解釈の相違が見られる。ウズベキスタン政府による公式の数字は5%であるが、この数字は過小評価された数字であるとされており、西洋の学者にはタジク人の割合を20%~30%であると見積もる者もいる[4][5][6][57]。公式の統計でウズベク人とされている者の中には中央アジアのトルコ・ペルシア人であったサルト人のような他の民族も含まれている。オックスフォード大学による近年の遺伝子系図テストを用いた研究によると、ウズベク人にはモンゴル人とイラン人の遺伝子混合が見られる[58]。 ウズベキスタンの少数民族としては、1937年から1938年にかけて、ヨシフ・スターリンにより極東ソビエトの沿海州から中央アジア地域へと強制移住させられた朝鮮民族が約20万人ほど在住しており、﹁高麗人﹂と自称している。また、ドイツ系のヴォルガ・ドイツ人やアルメニア系のウズベキスタン人もタシュケントやサマルカンドなどの都市部に多い。全人口の約88%がムスリム︵ほとんどがスンナ派であり、シーア派は5%となっている︶であり、東方正教会信者が9%、その他が3%となっている。アメリカ国務省による2004年の報告によると、0.2%が仏教︵ほぼすべてが高麗人︶を信仰している。ブハラ・ユダヤ人は1000年以上前に中央アジアへと移り住んできたユダヤ人の民族集団であり、主にウズベキスタンに居住している。1989年時点では94,900人のユダヤ人がウズベキスタン国内に住んでいた[59]︵全人口の約0.5%に相当︶が、ソビエト連邦崩壊後ブハラ・ユダヤ人の多くはアメリカ合衆国、ドイツ、イスラエルといった他の国々へと出国、2007年時点で残っているブハラ・ユダヤ人の数は5,000人にも満たない[60]。 ロシア系ウズベキスタン人は全人口の約2.1%を占める。ソビエト連邦時代にはロシア人とウクライナ人が首都タシュケントの全人口の半数以上を占めていた[61]。1970年の調査結果によると、全人口の12.5%に当たる約150万人のロシア人が国内に住んでいた[62]。ソビエト連邦崩壊後、ロシア系の人々は主に経済的な理由からその多くが他国へと移住していった[63]。 1940年代のクリミア・タタール人追放︵クリミア・タタール語: Qırımtatar sürgünligi︶で、クリミア・タタール人はドイツ人、チェチェン人、ギリシア人、トルコ人、クルド人、その他の民族とともに中央アジアへと強制移住させられた[64]。約10万人のクリミア・タタール人が現在もウズベキスタン国内に居住している[65]。タシュケントにおけるギリシア系ウズベキスタン人の数は1974年の35,000人から2004年には12,000人にまで減少している[66]。メスヘティア・トルコ人の大多数は1989年6月にフェルガナ盆地で起きたポグロムの後他国へと出国した[67]。 少なくともウズベキスタンの労働者の10%が国外へと流出しており、そのほとんどがロシアやカザフスタンで働いている[68]。 ウズベキスタンの15歳以上の識字率は100%︵2016年の推定︶[56]であり、これにはソビエト連邦時代の教育制度が大きく影響していると考えられている。言語[編集]
宗教[編集]
婚姻[編集]
同国の結婚式は﹁トゥイ﹂︵to'y︶と呼ばれており、多くの慣習が存在する。国民にとって結婚式は慶事の中で重要なものであり、どの慶事よりも華やかに祝う。 ソ連崩壊後から、現代的な結婚式に替わりつつあるが、伝統を守っている人も多い。この節の加筆が望まれています。 |
教育[編集]
ウズベキスタン国内における15歳以上の識字率は約99%と高いものの、教育プログラムを推進する際に深刻な予算不足に陥っている。
上記の通り、同国は高い識字率を誇り、15歳以上の識字率は約99.3%であるが、15歳以下の識字率は76%にまで落ち込み、3~6歳の識字率は20%となっている。この大きな要因として、ウズベキスタンの教育方法が挙げられており、未来には識字率が下がっていくと予測されている。学生は月曜日から土曜日まで年間を通して学校に通い、中学校までが義務教育となっている。中学校卒業後、学生は職業専門学校もしくは通常の高校へと進学することが多い。ウズベキスタンには2つのインターナショナルスクールがあり、2つともタシュケントにある。ブリティッシュ・スクールは小学生の、タシュケント・インターナショナルスクールは12歳以上の学生に対する指導を行なっている。
1992年に制定された教育法に沿って教育カリキュラムの改定作業が実行されたが、教育現場の教材などの不足が発生、カリキュラムの改定作業は遅々として進んでいない。この現象の大きな要因として、教師に対する賃金の低さ、政府による学校や教材などのインフラ整備予算の不足が挙げられている。これにはラテン文字へと文字表記を変更したことにより、キリル文字で記されていた過去の教材や資料が使用できなくなったことも関係している。また、教育システムが崩壊したことで、裕福な家庭が自身の子供を出席や入学試験なしに高いレベルの学校に入れてもらう目的で教師や学校関係者に賄賂を送る事態も横行している[72]。
ウズベキスタンの大学は毎年約60万人の卒業生を出しているが、大学卒業生の一般的な水準や高等教育機関内の全体的な教育レベルはそれほど高くない。ウェストミンスター国際大学タシュケント校は英語による講義が設けられた国内初の大学である。
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保健[編集]
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医療[編集]
治安[編集]
ウズベキスタンでは犯罪統計が公表されていない為、実際の犯罪の発生状況を正確に把握することは困難となっているが、一般的には経済的困窮や貧困を背景に、金銭や貴金属ならびにスマートフォンなどの高級家電を狙う窃盗・強盗などが多発しているとされる[73]。 また、汚職に関しては、これを防止するための法律こそ整備されているものの、法律の施行は非常に弱いものとなっているのが現状である。同国における汚職は、政府や社会、企業に至るほぼ全ての分野にひろがるレベルで存在している。人権[編集]
マスコミ[編集]
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文化[編集]
食文化・料理[編集]
文学[編集]
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音楽[編集]
映画[編集]
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美術[編集]
ウズベキスタンにおける現代美術館を代表するものとして、2004年に設立されたウズベキスタン美術館が知られている。
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被服[編集]
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建築[編集]
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世界遺産[編集]
祝祭日[編集]
振り替え休日は採用されていない。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Yangi yil kuni Янги йил куни |
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3月8日 | 国際婦人デー | Xalqaro xotin-qizlar kuni Халқаро хотин-қизлар куни |
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3月20日または21日 | ナブルーズ(春分の日) | Navroʻz Наврўз |
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5月9日 | 戦勝記念日 | G'alaba kuni Ғалаба Куни |
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9月1日 | 独立記念日 | Mustaqillik kuni Мустақиллик Куни |
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10月1日 | 教師の日 | O'qituvchilar kuni муаллимон Куни |
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12月8日 | 憲法記念日 | Konstitutsiyasi kuni Конституцияси Куни |
上記の他、イスラム教に基く祝祭日がある。ヒジュラ暦に従って制定されるため、グレゴリオ暦では移動祝日となる。
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
テニス[編集]
テニスもサッカーに次いで人気のスポーツであり、特に1991年にウズベキスタンが独立して以降人気が出た。国内のテニスを統括する団体、ウズベキスタンテニス連盟︵UTF︶は2002年に設立された。首都のタシュケントでは毎年タシュケント・オープンというWTAの国際テニストーナメントが開催されている。タシュケント・オープンは1999年に開始され、屋外のハードコートを使用して行われている。同国で実績のある有名テニス選手としては、デニス・イストミンやアクグル・アマンムラドワがいる。ロードレース[編集]
ウズベキスタンは自転車競技選手、ジャモリディネ・アブドヤパロフの故郷である。ツール・ド・フランスで三回の区間優勝を果たしており、いずれの回もマイヨ・ヴェールを勝ち取っている[89]。アブドヤパロフはツアーもしくは一日制のレースで、先頭集団が一塊になってゴールに向かう際に優勝を勝ち取ることが多く、しばしば最後の数kmで﹁スプリント﹂をかけるが、この際に川が蛇行するように左右に揺れながら走行を行うため、集団で走る他の競技者からは接触などの危険が高まり、危ない選手であるとみなされていた。この走行スタイルから、彼には﹁タシュケントの虎﹂というニックネームがついている。格闘技[編集]
アルトゥール・タイマゾフは2000年に開催されたシドニー五輪でウズベキスタンに初のレスリングのメダルをもたらした他、アテネオ五輪、北京五輪、ロンドン五輪と3大会に渡り男子120kg級で金メダルを獲得している。ルスラン・チャガエフは同国を代表するWBAのプロボクサーである。彼は2007年にニコライ・ワルーエフを破ってWBAタイトルを奪取した、チャガエフは2009年にウラジミール・クリチコに敗れるまで2回王座防衛を果たした。関連画像[編集]
-
ジャモリディネ・アブドヤパロフはツール・ド・フランスで3回の区間優勝を達成している
-
世界ボクシング選手権で金メダルを獲得したルスラン・チャガエフ
著名な出身者[編集]
- ベフゾド・アブドゥライモフ - ピアニスト
- ファルフ・ルジマートフ - バレエダンサー
- セルヴェル・ジェパロフ - サッカー選手
- マクシム・シャツキフ - サッカー選手
- ファズィル・ムサエフ - サッカー選手
- サンジャール・トゥルスノフ - サッカー選手
- エルドル・ショムロドフ - サッカー選手
- サルドル・ラシドフ - サッカー選手
- アクグル・アマンムラドワ - テニス選手
- イロダ・ツルヤガノワ - テニス選手
- アナスタシア・ギマゼトディノワ - フィギュアスケート選手
- オルガ・アキモワ - フィギュアスケート選手
- タチアナ・マリニナ - フィギュアスケート選手
- ルスラン・チャガエフ - プロボクサー
- バホディル・ジャロロフ - プロボクサー
- アルトゥール・タイマゾフ - レスリング選手
- ポリーナ・ラヒモワ - バレーボール選手
- ラマザン・テミロフ - 総合格闘家
脚注[編集]
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(47)^ “List of products at 2 digits level exported by Uzbekistan in 2017 (Mirror)︵ウズベキスタンの品目別輸出金額︶”. International Trade Centre︵国際貿易センター︶ (2017年). 2019年3月24日閲覧。
(48)^ sky-budget (2023年12月8日). “ウズベキスタン航空、2024年4月1日より東京/成田~タシケント線を増便へ | sky-budget スカイバジェット”. 2024年3月14日閲覧。
(49)^ Tashkent Subway for Quick Travel to Hotels, Resorts, and Around the City
(50)^ “Uzbekistan, General Motors sign strategic deal”. Uzdaily.com. 2013年6月13日閲覧。
(51)^ “いすゞ、ウズベキスタン工場を年産1万台に増強”. NNA. 2021年3月2日閲覧。
(52)^ SamAuto supplies 100 buses to Samarkand firms, UZDaily.com. Japanese firm buys 8% shares in SamAuto, UZDaily.com.
(53)^ First high-speed electricity train carries out first trip from Samarkand and Tashkent, 27 August 2011. Uzdaily (2011-08-27). Retrieved on 2012-02-19.
(54)^ ab“ウズベキスタン基礎データ”. 外務省. 2021年3月2日閲覧。
(55)^ “Official population estimation 2012-01-01”. Stat.uz (2012年1月23日). 2013年6月13日閲覧。
(56)^ abcd“People and Society”. CIA. 2021年3月2日閲覧。
(57)^ Lena Jonson (1976) "Tajikistan in the New Central Asia", I.B.Tauris, p. 108: "According to official Uzbek statistics there are slightly over 1 million Tajiks in Uzbekistan or about 3% of the population. The unofficial figure is over 6 million Tajiks. They are concentrated in the Sukhandarya, Samarqand and Bukhara regions."
(58)^ Tatjana Zerjal; Wells, R. Spencer; Yuldasheva, Nadira; Ruzibakiev, Ruslan; Tyler-Smith, Chris (2002). “A Genetic Landscape Reshaped by Recent Events: Y-Chromosomal Insights into Central Asia”. The American Journal of Human Genetics 71 (3): 466–482. doi:10.1086/342096. PMC 419996. PMID 12145751.
(59)^ World Jewish Population 2001, American Jewish Yearbook, vol. 101 (2001), p. 561.
(60)^ World Jewish Population 2007, American Jewish Yearbook, vol. 107 (2007), p. 592.
(61)^ Edward Allworth Central Asia, 130 years of Russian dominance: a historical overview (1994). Duke University Press. p.102. ISBN 0-8223-1521-1
(62)^ "The Russian Minority in Central Asia: Migration, Politics, and Language" (PDF). Woodrow Wilson International Center for Scholars.
(63)^ The Russians are Still Leaving Uzbekistan For Kazakhstan Now. Journal of Turkish Weekly. December 16, 2004.
(64)^ Deported Nationalities. World Directory of Minorities.
(65)^ Crimean Tatars Divide Ukraine and Russia. The Jamestown Foundation. June 24, 2009.
(66)^ Greece overcomes its ancient history, finally. The Independent. July 6, 2004.
(67)^ World Directory of Minorities and Indigenous Peoples – Uzbekistan : Meskhetian Turks. Minority Rights Group International.
(68)^ International Crisis Group, Uzbekistan: Stagnation and Uncertainty, Asia Briefing N°67, August 22, 2007
(69)^ Richard Foltz, "The Tajiks of Uzbekistan", Central Asian Survey, 213-216 (1996).
(70)^ “Uzbekistan”. State.gov (2010年8月19日). 2013年6月13日閲覧。
(71)^ Mapping the Global Muslim Population. A Report on the Size and Distribution of the World’s Muslim Population. Pew Forum on Religion & Public Life (October 2009)
(72)^ Uzbekistan: Lessons in Graft | Chalkboard
(73)^ ウズベキスタン安全対策基礎データ 海外安全ホームページ
(74)^ Embassy of Uzbekistan to the US, Press-Release: "The measures taken by the government of the Republic of Uzbekistan in the field of providing and encouraging human rights", October 24, 2005
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(87)^ ウズベキスタンワインショップ キャラバン︵西荻窪︶☆中央アジアトークも楽しい、ウズベクワイン店♪ ランチde諸国漫遊/日本にある外国料理レストランの食べある記♪︵2016年4月11日︶2020年1月28日閲覧
(88)^ “ローマのウズベキスタン代表FWショムロドフ、半年レンタルでスペツィアへ”. 超ワールドサッカー (2023年1月27日). 2023年6月16日閲覧。
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関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- ウズベキスタン共和国政府 (ウズベク語)(カラカルパク語)(英語)(ロシア語)
- ウズベキスタン大統領府 (ウズベク語)(英語)(ロシア語)
- 日本政府
- 日本外務省 - ウズベキスタン (日本語)
- 在ウズベキスタン日本国大使館 (日本語)(ロシア語)
- 観光
- ウズベキスタン観光公社 (ウズベク語)(英語)(ロシア語)
- その他
- JETRO - ウズベキスタン
- National Information Agency of Uzbekistan
- Lower House of Uzbekistan parliament
- 日本とウズベキスタンの貿易・投資振興を図る|日ウ投資環境整備ネットワーク (日本語)
- NPO法人 日本ウズベキスタン協会
- 一般財団法人 日本ウズベキスタン・シルクロード財団
- 一般情報
- "Uzbekistan". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency.
- Uzbekistan U.S. Library of Congress includes Background Notes, Country Study and major reports
- Uzbek Publishing and National Bibliography University of Illinois Slavic and East European Library
- Uzbekistan UCB Libraries GovPubs
- ウズベキスタン - Curlie(英語)
- Uzbekistan profile BBC News
- ウズベキスタンのウィキメディア地図
- Key Development Forecasts for Uzbekistan International Futures
- メディア
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