太平洋戦争の年表
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アジア太平洋戦争の年表︵あじあたいへいようせんそうのねんぴょう︶では、3年9ヶ月に及ぶ日本、満洲国、タイ王国、南京国民政府、イタリア王国とアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダ、ソビエト連邦など連合国との太平洋戦争︵国家総力戦︶の経緯と経過を年表で示す。中華民国との間の戦争・事変は日中戦争を参照。
日本軍の真珠湾攻撃により炎上する戦艦ウェストバージニア
連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将
アメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ海軍大将
●12月8日
●マレー作戦の開始。日本軍、英領マレー半島のコタバル、タイ南部のパタニとシンゴラ︵ソンクラ︶に上陸。1942年5月18日、終了。
●ワード号事件。
●ハワイ空襲作戦。いわゆる、真珠湾攻撃。
●香港の戦い。日本軍、広東省から英領香港攻撃開始。1941年12月25日、終了。
●ウェーク島の戦い。ウェーク島の攻略作戦を開始。1941年12月23日、終了。
●太平洋戦争開戦。開戦の詔書︵米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書︶が発せられ、日本の対米英宣戦布告。
●アメリカ合衆国の対日宣戦布告、イギリスの対日宣戦布告
●ミッドウェー島砲撃。真珠湾攻撃に呼応して駆逐艦により実施したミッドウェー島に対する砲撃。
●フィリピンの戦いの開始。米領フィリピン上空での航空戦。1942年6月9日、終了。
●アメリカ、対日無制限潜水艦作戦を宣言。[要出典]
●中華民国国民政府、日独伊に宣戦布告。
●12月10日
●グアムの戦い。グアム島、タラワ、マキン島占領。1941年12月10日、終了。
●マレー沖海戦。
●フィリピンの戦い (1941-1942年)。 日本軍、ルソン島北部︵アパリ、ビガン︶上陸。
●オランダ、日本に宣戦布告。[要出典]
●12月11日
●日本軍、ウェーク島攻略失敗︵ウェーク島の戦い︶。
●ドイツとイタリアが対米宣戦布告
●12月12日 日本軍、香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走。
●12月15日 日本軍、ペナン島占領。
●12月16日
●日本軍、マレー半島アロースター占領。
●日本軍、北ボルネオ︵コタキナバル︶に上陸。
●戦艦大和竣工。関連する大艦巨砲主義の項目も参照。
●12月20日 日本軍、フィリピンミンダナオ島ダバオに上陸。
●12月21日 日本政府、タイと攻守同盟を締結︵日泰同盟︶。
●12月23日 日本軍、ウェーク島占領。
●12月25日 日本軍、香港島を制圧、香港のイギリス軍降伏。
空母ホーネットからのドーリットル隊の発艦
珊瑚海海戦で日本軍の攻撃を受け炎上する米空母レキシントン
ミッドウェー海戦で米軍の攻撃を受け炎上する空母飛龍
西欧を起源とするこれまでの最高学府とは違うコンセプトで設立された 国策﹁興亜工業大學︵現在の千葉工業大学︶﹂
●1月1日 連合国共同宣言。
●1月2日 日本軍、ルソン島マニラを無血占領。
●1月8日 連合軍、タイ攻撃開始。
●1月11日
●日本軍、マレー半島クアラルンプール占領。
●日本、オランダに宣戦布告。
●1月15日 日本軍、英領ビルマ︵現ミャンマー︶攻撃部隊がタイに集結。
●1月23日 日本軍、ニューブリテン島ラバウル占領。
●1月24日 バリクパパン沖海戦。
●1月25日 タイ、英米に宣戦布告。日本軍、バリクパパン占領。
●1月27日 エンドウ沖海戦。
●1月31日 日本軍、タイからビルマ侵攻開始。マレー半島ジョホールバル占領。
●2月 アメリカ人スティルウィルが中国国民党軍参謀となる。
●2月1日 日本軍、シンガポールの石油施設を砲撃。米機動部隊、マーシャル諸島来襲。
●2月2日
●日本、国防婦人会、愛国婦人会、大日本連合婦人会を統合、大日本婦人会成立。
●同年、婦人標準服および妊産婦手帳制度も制定。
●2月4日 ジャワ沖海戦。
●2月7日 日本軍、シンガポール北東のウビン島に牽制上陸。
●2月8日 日本軍、シンガポール北西海岸より上陸︵シンガポールの戦い︶。
●2月14日 日本軍、蘭領東インド︵現インドネシア︶スマトラ島パレンバンを落下傘部隊で占領。
●2月15日 シンガポールの英豪軍が降伏。
●2月19日 日本軍、オーストラリアのポートダーウィン空襲。
●2月20日 バリ島沖海戦。ニューギニア沖海戦。
●2月21日 日本、食糧管理法
●2月24日
●連合国による対日プロパガンダ放送開始︵日本語放送参照︶。
●米機動部隊、ウェーク島来襲。日本軍伊17潜、カリフォルニア州サンタバーバラを砲撃。
●2月26-28日 スラバヤ沖海戦。
●3月
●フィリピン統一抗日人民軍︵フク団︶結成。
●米、中国に5億ドル借款成立。
●3月1日 バタビヤ沖海戦。日本軍、蘭領東インドジャワ島スランに上陸。
●3月4日 米機動部隊、南鳥島来襲。
●3月5日 日本軍、ジャワ島バタビア︵現ジャカルタ︶を占領。
●3月7日 東インドのオランダ軍降伏。
●3月8日 日本軍、英委任統治領ニューギニア島ラエとサラモアに上陸、占領︵東部ニューギニアの戦い︶。ビルマ︵現ミャンマー︶ラングーン︵現ヤンゴン︶占領。
●3月13日 アメリカ軍フィリピン司令官マッカーサー、フィリピンから逃亡。
●4月5-9日 日本軍、セイロン︵現スリランカ︶コロンボの英軍基地を空襲。セイロン沖海戦。
●4月18日 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲︵東京初空襲︶。
●5月1日 日本軍、ビルマ中部マンダレー占領。
●5月3日 日本軍、ソロモン諸島ツラギ島占領︵MO作戦始まる︶。
●5月4日 日本軍、英領ビルマのアキャプ占領、ビルマ制圧完了。南方作戦完遂。
●5月7-8日 米領フィリピン・コレヒドール島の米軍降伏。珊瑚海海戦︵日本軍、ポートモレスビー攻略作戦を放棄︶。
●5月10日 日本軍、ミンダナオ島を占領。
●5月26日 日本文学報国会設立。
●5月29日 日本軍の特殊潜航艇、マダガスカル島のディエゴ・スアレスのイギリス軍基地を攻撃︵マダガスカルの戦い︶。
●5月31日 日本軍の特殊潜航艇、オーストラリアのシドニーのイギリス軍艦艇を攻撃︵特殊潜航艇によるシドニー港攻撃︶。
●6月5-7日 ミッドウェー海戦。米軍に暗号解読︵シギントも参照︶されており、日本軍は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4空母と艦載機390機を失う大敗。戦況の転換点。
●6月7日 日本軍、米アリューシャン列島キスカ島に上陸、占領︵AL作戦︶。
●6月8日
●日本軍、アリューシャン列島アッツ島に上陸、占領︵AL作戦︶。
●日本国政府によって、明治以来の東京帝国大学を頂点として成り立ってきた西欧起源の最高学府ではなく、東洋文化を根源とする初の国策の最高学府・﹁興亜工業大學︵後の千葉工業大学︶﹂が設立され、第1回入学式が挙行される。
●6月16日 日本軍、ニューギニア島ポートモレスビーの連合軍基地を空襲。
●6月20日 伊26潜、バンクーバーのカナダ軍基地を砲撃。
●6月21日 伊25潜、オレゴン州アストリアの米軍基地を砲撃。
●7月 日本軍、フィリピン全土占領。
●8月 イギリス領インドで反英暴動。
●8月7日 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸︵ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる︶。
●8月8日 第一次ソロモン海戦
●8月17日 アメリカ軍、マキン奇襲上陸
●8月24日 第二次ソロモン海戦
●9月9日 伊25潜より発進した艦載機がアメリカ本土のオレゴン州を空襲。
●9月15日 伊19潜、米空母ワスプ撃沈。
●9月29日 伊25潜より発進した艦載機、アメリカ本土のオレゴン州を再度空襲
●10月
●英米、中国における治外法権撤廃を声明、不平等条約を廃止。
●重慶で英米中ソ対日作戦会議。
●10月11日 サボ島沖海戦
●10月13日 戦艦金剛と同榛名によるヘンダーソン基地艦砲射撃が行われる
●10月26日 南太平洋海戦。米軍の稼動空母が0隻になる。しかし、日本軍も真珠湾攻撃以来の熟練搭乗員を多数失う。
●11月1日 大東亜省設置と拓務省廃止。
●11月12日 第三次ソロモン海戦始まる。
●11月13日 戦艦比叡沈没。
●11月15日
●国民決意の標語︵﹁欲しがりません勝つまでは﹂など︶。
●戦艦霧島撃沈される。
●11月30日 ルンガ沖夜戦
●12月8日 ニューギニア島バサプアの日本軍全滅。
●12月23日 大日本言論報国会設立。
ニミッツとハルゼー︵1943年︶
●日本、実質旅行制限となる。
●1月29日 レンネル島沖海戦
●1月 中等学校令公布。
●1月-3月 カサブランカで英米首脳会談。
●2月1日 ヴェノナ・プロジェクト開始。
●2月1-7日 日本軍、ガダルカナル島撤退。
●2月10日-3月下旬 日本軍、第一次アキャブ作戦開始︵三一号作戦︶。
●3月2日 ビスマルク海海戦
●3月26日 アッツ島沖海戦
●4月1日 樺太施行法律特例︵大正9年5月3日勅令第124号︶廃止。いわゆる南樺太の内地編入︵共通法も参照︶。
●4月7-16日 い号作戦
●4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死︵海軍甲事件︶。
●5月 日本、学徒戦時動員体制の発表︵学徒出陣︶。
●5月12日 米軍、アッツ島上陸︵アッツ島の戦い︶、同29日、日本軍全滅︵アッツ島玉砕︶し﹁玉砕﹂の語の使用始まる。
●6月8日 長門型戦艦2番艦の陸奥が第三砲塔爆発により柱島泊地にて沈没。
●7月6日 クラ湾夜戦
●7月12日 コロンバンガラ島沖海戦
●7月29日 日本軍キスカ島から撤退︵キスカ島撤退作戦︶。
●8月 日本軍、バー・モウを首班としてビルマ独立を宣言。
●8月17-24日 カナダ・ケベックで英米首脳会談。
●8月6日 ベラ湾夜戦
●9月8日 イタリア、連合国に降伏︵詳細はイタリアの降伏を参照︶。
●9月10日 鳥取地震が発生。鳥取市が壊滅し1083名︵1100名以上とも︶が死亡。情報統制の中、国内外から支援。
●9月17日 連合軍、ラエを占領。
●9月30日 御前会議で絶対国防圏構想を決定。
●10月 教育ニ関スル戦時非常措置方策。日本軍、フィリピン独立を許可。
●10月5日 崑崙丸被雷沈没、衆議院議員の助川啓四郎と加藤鯛一および三重県議会副議長の福島吉三郎が殉職。
●10月6日 ベララベラ海戦
●10月11日 ワフー撃沈。
●10月21日 東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催︵学徒出陣のはじまり︶。
●10月24日 スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで自由インド仮政府の成立を宣言。
●10月26日 自由インド、英米に宣戦布告。
●11月 東京で大東亜会議を開催、大東亜共同宣言を発表。
●11月1日 ブーゲンビル島沖海戦
●11月下旬 ギルバート諸島沖航空戦
●11月21日 米軍、マキン島・タラワ島上陸︵11月23日 日本軍玉砕︶。
●11月22-26日 エジプト・カイロで英米中首脳会談︵カイロ会談︶。
●11月24日 セント・ジョージ岬沖海戦
●11月25日 新竹空襲
●11月28日-12月1日 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談︵テヘラン会談︶。
●12月1日 カイロ宣言。
●12月5日 マーシャル諸島沖航空戦
マリアナ沖海戦で撃墜される日本軍機
コーンパイプを咥えるマッカーサー︵1944年レイテ島にて︶
B-29爆撃機
●1944年 労働者年金保険を厚生年金保険に改称。
●1月 イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交。
●2月3日 日本軍、第二次アキャブ作戦開始。
●2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。
●2月17日 トラック島空襲
●2月22日 エニウェトク環礁︵ブラウン環礁︶の日本軍玉砕。
●2月25日 決戦非常措置要綱を閣議決定
●2月26日 日本軍、第二次アキャブ作戦を中止。
●3月8日 日本軍、インパール作戦開始。
●3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職︵海軍乙事件︶
●4月17日-12月10日 大陸打通作戦
●5月25日 日本軍、洛陽占領。
●6月15日 米軍、サイパン上陸︵サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住日本人1万人死亡︶。
●6月16日 八幡空襲。米軍、中国大陸から北九州への初空襲。
●6月19日 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。絶対国防圏を破られ、その後の日本本土空襲や通商破壊の激化に繋がった。また、国民︵銃後︶も疎開を強いられるようになった。
●7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
●7月18日 東條英機内閣総辞職。
●7月22日 小磯国昭内閣成立。
●8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。︵テニアンの戦い︶
●8月11日 グアム島の日本軍玉砕。︵グアムの戦い︶
●8月22日 対馬丸事件
●9月 女子挺身隊結成。
●9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。︵ペリリューの戦い︶
●10月11日 ソ連、トゥヴァ人民共和国を併合しトゥヴァ自治州とする。
●10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲︵十・十空襲︶。
●10月12日 台湾沖航空戦
●10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸︵レイテ島の戦い︶。
●10月23日 レイテ沖海戦始まる。
●10月24日 戦艦武蔵沈没︵シブヤン海︶。
●10月25日
●大村大空襲
●空母瑞鶴を旗艦とする日本機動部隊が全滅。神風特別攻撃隊、レイテ沖海戦で初出撃。
●11月10日
●汪兆銘、名古屋で病死。
●日本軍、桂林、柳州占領。
●11月21日 熊本空襲
●11月24日 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
●11月29日 空母信濃撃沈。
●12月7日 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されず。
●12月10日 日本軍、大陸打通作戦を完了。
●12月26日 礼号作戦︵ミンドロ島沖海戦︶
ヤルタ会談
硫黄島の戦いに向かう米海兵隊
米海軍航空隊の空襲で炎上する大和︵1945年4月7日︶
沖縄戦 沖縄に上陸する米軍 (4/13)
2機の特攻機に攻撃された米空母バンカーヒル︵1945年5月11日︶
長崎市への原爆投下によるキノコ雲
ポツダム宣言受諾︵降伏︶を決定した御前会議
●1月6日 京都空襲
●1月6日-8月15日 ルソン島の戦い
●1月13日 三河地震が発生し、家屋倒壊と津波で2306名が死亡。情報統制により、ほとんど報道されず。
●1月14日 宇治山田空襲
●1月24日 イギリス海軍、スマトラの製油施設を空襲︵メリディアン作戦︶。
●2月 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談︵ヤルタ会談、英米ソの政府の首脳間で密約︶。
●2月10日 北号作戦
●2月14日 早期終戦を訴えた近衛上奏文。
●2月15日 浜松空襲
●2月18日-3月22日 硫黄島の戦い
●3月 イラン・トルコが対日宣戦布告。トルコでは市民が宣戦布告に反対してデモ。
●3月2日 大垣空襲
●3月3日 米軍、マニラ占領。
●3月6日 日本、国民勤労動員令公布。
●3月10日 東京大空襲
●3月12日 名古屋大空襲
●3月14日 大阪大空襲
●3月16日 神戸空襲
●3月18-21日 九州沖航空戦
●3月19日 呉軍港空襲
●3月23日 日本、国民義勇隊創設、本土決戦に備える。6月には、大政翼賛会・大日本翼賛壮年団・大日本婦人会・女子挺身隊などを吸収・統合。
●3月25日 名古屋大空襲
●3月26日-6月23日 沖縄戦
●3月27日 飢餓作戦開始。
●3月から4月 繆斌工作
●4月4日 立川空襲
●4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣が総辞職。
●4月6日 菊水作戦発令
●4月7日 戦艦大和沈没︵坊ノ岬沖海戦︶。 鈴木貫太郎内閣成立。
●4月12日
●アメリカ大統領のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマンが就任。
●郡山空襲
●4月13-14日 城北大空襲
●4月15日 川崎大空襲
●4月25日 大本営陸軍部により、﹃国民抗戦必携﹄と題した冊子が発行された。当時は非科学的かつ非合理的な精神論を信奉する向きもあり、竹槍訓練も実施された。
●4月30日 浜松空襲
●4月以降 何柱国工作
●5月7日 ドイツ無条件降伏︵詳細はドイツの降伏を参照︶。
●5月10日 徳山大空襲
●5月16日 ペナン沖海戦
●5月17日-6月2日 九州大学生体解剖事件
●5月19日 浜松空襲
●5月22日 戦時教育令公布。
●5月29日 横浜大空襲
●5月31日 台北大空襲
●6月1日 奈良空襲
●6月9日 熱田空襲
●6月10日 日立空襲、千葉空襲、土浦海軍航空隊空襲
●6月17日 鹿児島大空襲
●6月18日 四日市空襲、浜松空襲
●6月19日 八幡空襲
●6月19-20日 豊橋空襲、福岡大空襲、静岡大空襲
●6月22日 姫路空襲、水島空襲、各務原空襲
●6月23日
●日本、義勇兵役法公布、国民義勇戦闘隊結成。
●沖縄戦における組織的戦闘の終結。
●6月26日
●津空襲
●国際連合発足︵加盟50カ国︶。
●6月28-29日 佐世保大空襲
●6月29日 下関空襲、岡山大空襲、延岡大空襲
●7月1-2日 熊本大空襲、呉市街空襲
●7月2日 下関空襲
●7月3日 姫路空襲
●7月4日 徳島大空襲、高松大空襲
●7月5日 第1次横手空襲[要出典]
●7月6日 甲府空襲
●7月7日 岐阜空襲、千葉空襲、明石空襲
●7月9-10日 和歌山大空襲
●7月10日 仙台空襲、岐阜空襲
●7月12日 宇都宮空襲、敦賀空襲
●7月12-13日 一宮空襲
●7月14日 釜石艦砲射撃
●7月14-15日 函館空襲、北海道空襲
●7月15日 室蘭艦砲射撃、多治見空襲、小樽空襲
●7月16日 アメリカがトリニティ実験に成功し、原子爆弾完成︵マンハッタン計画も参照︶。
●7月16-17日 平塚空襲
●7月17日 沼津大空襲、桑名空襲、日立艦砲射撃、大分空襲
●7月19日 銚子空襲
●7月19-20日 福井空襲、岡崎空襲、日立空襲
●7月24日 呉軍港空襲、津空襲、大津空襲、大垣空襲、半田空襲
●7月25日
●保戸島空襲
●米国、原爆使用を決定し投下命令を下す。
●7月26日
●ドイツのポツダムで英米ソ首脳が会談しポツダム宣言を発表。日本政府は、これを黙殺。
●松山大空襲
●7月27日 大牟田空襲
●7月28日 大山口列車空襲、一宮空襲、呉軍港爆撃︵呉軍港空襲︶、青森大空襲︵米軍、青森へ新型焼夷弾を投下︶
●7月28-29日 宇治山田空襲
●7月29日 大垣空襲
●7月30日 那賀川鉄橋空襲、鎌倉空襲
●8月1日 富山大空襲︵原爆投下を除く地方都市への空襲被害としては最大︶
●8月1-2日 長岡空襲
●8月2日 水戸空襲、八王子空襲
●8月5日 前橋空襲、佐賀空襲
●8月5-6日 今治空襲
●8月6日 米軍、広島に史上初の原子爆弾を投下。
●8月7日 豊川空襲
●8月8日
●筑紫駅列車空襲事件、福山大空襲、八幡大空襲
●夕刻 日ソ中立条約を破棄︵国際法違反︶し、ソ連対日宣戦布告︵ソ連の対日参戦︶。
●8月8-9日 大湊空襲
●8月9日
●米軍、長崎に原爆投下。御前会議でポツダム宣言の受諾︵降伏︶決定。
●ソ連軍、満州国への侵攻を開始。
●釜石艦砲射撃、大湊湾︵大湊町︶で海戦︵大湊空襲︶。事実上最後の海戦となる。
●8月10日
●花巻空襲、第2次横手空襲
●日本、連合国にポツダム宣言受諾︵降伏︶を打電により通告。
●8月11日
●未明 ソ連軍、南樺太の50度線に攻撃開始︵樺太の戦い︶。
●鳥栖空襲、加治木空襲、久留米空襲。
●8月12日 麻山事件、牡丹江の戦い︵〜16日︶
●8月13日 大月空襲、長野空襲、小山克事件
●8月14日
●終戦の詔が出される。日本、中立国を通じ連合国に対しポツダム宣言の受諾︵降伏︶を通告。中ソ友好同盟条約締結。
●葛根廟事件
●8月14-15日 土崎空襲
●8月15日午前 伊勢崎空襲、熊谷空襲、小田原空襲
降伏文書調印時の日本側全権代表団
●8月15日︵終戦の日︶正午 日本国民へ玉音放送︵大東亜戦争終結ノ詔書︶。連絡の行き渡らない局地戦を除き、停戦︵日本の降伏︶。鈴木貫太郎内閣総辞職。終戦までに、日本だけで約310万人が犠牲になったとされる。南方軍これに抗議し戦闘続行。
●8月16日 ソ連軍、恵須取郡に上陸し南樺太西岸北部に侵攻開始︵樺太の戦い︶。大本営は一旦停戦命令を出すも、ソ連軍による日本側停戦軍使の射殺が多発し、後に自衛戦闘を許可。
●8月17日
●東久邇宮稔彦王首相就任、東久邇宮内閣成立。天皇、停戦の勅旨。連合国の許可を得て皇族をサイゴン・シンガポール・南京・北京・新京に派遣し、勅旨を伝える。
●インドネシアにて独立戦争勃発、元日本軍義勇兵約3000名が戦う︵残留日本兵も参照︶。
●8月18日
●未明 ソ連軍、千島列島の占守島に侵攻︵占守島の戦い︶。
●インドのチャンドラ・ボース、台湾で飛行機事故死。
●8月19日
●フィリピン・ルソン島の日本軍部隊、停戦命令を受領。
●神州不滅特別攻撃隊、ソ連軍へ最後の出撃。関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始。
●8月20日 ソ連軍、真岡に上陸し南樺太西岸南部に侵攻開始。真岡郵便電信局事件が発生︵樺太の戦い︶。
●8月21日 占守島の日ソ両軍、停戦する。
●8月22日未明 樺太における日ソ停戦合意。その後、ソ連軍による小笠原丸撃沈および豊原市空襲︵三船殉難事件、樺太の戦いも参照︶。
●8月25日
●ソ連軍、樺太の大泊に上陸。さらに千島列島の松輪島を占領。
●牡丹江事件、仁義佛立講開拓団遭難
●8月26日 満州国での戦闘が終わる。
●8月27日 敦化事件
●8月28日 ソ連軍、択捉島および南樺太の占領完了。
●8月29日
●ソ連軍、千島列島のウルップ島を占領。
●米軍第一陣150名が横浜に上陸。
●8月30日 連合国軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着。
●9月1日 ソ連軍、国後島・歯舞群島を占領。
●9月2日 米戦艦ミズーリ号において日本の降伏文書調印。
●9月3日 ルソン島の日本軍降伏。ソ連・中国は対日勝利の日と主張。
●9月5日
●ソ連軍、色丹島を占領し、北方四島の占領を完了。
●ハバロフスクへ連行された首脳部も含め、関東軍将兵57万人が強制連行︵シベリア抑留︶され過酷な環境で奴隷的使役を強要される︵ポツダム宣言違反︶。
●9月9日 支那派遣軍総司令官岡村寧次が降伏文書に南京で署名した。image
●10月 北緯38度以南の朝鮮からの引き揚げ開始︵引揚者も参照︶。
●10月15日 本土の日本軍、武装解除完了。
●10月25日 台湾接収。その後、軍人から日本への引き揚げが開始された︵台湾からの引き揚げおよび引き揚げも参照︶。