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'''神戸港'''(こうべこう)は、[[兵庫県]][[神戸市]]にある[[港湾]]。[[港湾法]]上の[[国際戦略港湾]]に指定されている。 日本の主要な国際貿易港(五大港)の一つで、[[スーパー中枢港湾]]の指定を[[大阪港]]と共に受けている。[[1868年]][[1月1日]]([[慶応]]3年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]])に開港。[[港湾管理者]]は[[神戸市役所|神戸市]]。

'''神戸港'''(こうべこう)は、[[兵庫県]][[神戸市]]にある[[港湾]]。[[港湾法]]上の[[国際戦略港湾]]に指定されている。 日本の主要な国際貿易港([[日本五大一覧#交通|五大港]])の一つで、[[スーパー中枢港湾]]の指定を[[大阪港]]と共に受けている。[[1868年]][[1月1日]]([[慶応]]3年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]])に開港。[[港湾管理者]]は[[神戸市役所|神戸市]]。


[[港則法]]・[[関税法]]上は、[[尼崎西宮芦屋港]]・大阪港・[[堺泉北港]]と合わせて[[阪神港]]の一部とみなされ、'''阪神港神戸区'''となる(港則法上は[[特定港]]に指定されている)。

[[画像:Port of Kobe01s3780.jpg|500px|thumb|神戸港夕景([[新港第一突堤]]から西を望む)]]

[[画像:Port of Kobe01s3780.jpg|500px|thumb|神戸港夕景([[新港第一突堤]]から西を望む)]]



== 概要 ==

== 概要 ==

[[六甲山]](六甲山系)連なる山々から[[大阪湾]]に至る急峻な地形によって、水深が急激に深くなる特徴から「天然の良港」として知られる日本を代表する国際貿易港。[[港則法]]・[[関税法]]上は、[[尼崎西宮芦屋港]]・大阪港・[[堺泉北港]]と合わせ'''阪神港'''と称される(港則法上は[[特定港]]に指定さいる)。


[[|]][[]]貿[[]]7[[]][[]][[]]6[[]][[]][[]]西

その歴史は、かつての都であった[[奈良]]や[[京都]]に近接し、日本国内の東西航路や大陸との交易の拠点として古くから栄え、'''[[大輪田泊]]'''(おおわだのとまり)や'''兵庫津'''(ひょうごのつ)と呼ばれた兵庫港に始まるが、兵庫港が神戸港の港域に含まれるようになったのは[[1892年]]([[明治]]25年)[[10月1日]]である。最期まで神戸を兵庫だと言い張った[[江戸幕府]]の最末期に神戸港が兵庫の名のもとに開港したため混同されがちであるが、神戸港開港後の24年9ヶ月間も兵庫港は依然として不開港であり、神戸港に飲み込まれる形で一体化された。




'''[[]]'''''''''[[]][[]]西[[]]貿1970[[]][[]]

[[]][[]][[1941]][[]]16西8[[]][[|]][[1871]]4西貿[[]]貿[[]]31970[[]][[]]


日本の物流機能に対する役割を担うために、オーバー[[パナマックス]]船への対応をした国内初の大水深高規格コンテナバースの供用の開始や、1960年代から行われた[[ポートアイランド]](当時、世界最大の人工島)、[[六甲アイランド]]の建設や[[メリケンパーク]]、[[神戸ハーバーランド]]といった観光や商業施設の開発、沖合いに[[神戸空港]]を開港するなど、日本の[[ウォーターフロント]]開発の先駆けとなるものも多く、各地に与えた影響は小さくない。

日本の物流機能に対する役割を担うために、オーバー[[パナマックス]]船への対応をした国内初の大水深高規格コンテナバースの供用の開始や、1960年代から行われた[[ポートアイランド]](当時、世界最大の人工島)、[[六甲アイランド]]の建設や[[メリケンパーク]]、[[神戸ハーバーランド]]といった観光や商業施設の開発、沖合いに[[神戸空港]]を開港するなど、日本の[[ウォーターフロント]]開発の先駆けとなるものも多く、各地に与えた影響は小さくない。



また、後背地たる神戸市街地は、明治時代に[[神戸外国人居留地]]として整備された建造物が数多く残っているほか、エキゾチックな市街地の雰囲気や、神戸の[[夜景]]スポットとして非常に有名なハーバーランドやメリケンパーク周辺は、観光地としても人気の高い地域となっている。{{-}}

また、[[後背地]]たる神戸市街地は、明治時代に[[神戸外国人居留地]]として整備された建造物が数多く残っているほか、エキゾチックな市街地の雰囲気や、神戸の[[夜景]]スポットとして非常に有名なハーバーランドやメリケンパーク周辺は、観光地としても人気の高い地域となっている。{{-}}



== 施設状況 ==

== 施設状況 ==

=== 面積 ===

=== 面積 ===

*[[港湾区域]] 9,171 ha

*[[港湾区域]] 9,171 ha

**西端 - 堺川河口

**東端 - 傍示川河口

*[[臨港地区]] 2,109 ha

*[[臨港地区]] 2,109 ha

**[[須磨区]]・[[長田区]]・[[兵庫区]]・[[中央区 (神戸市)|中央区]]・[[灘区]]・[[東灘区]]に展開する。



=== 埠頭・岸壁 ===

=== 埠頭・岸壁 ===

[[画像:Rokuicontainer.JPG|200px|thumb|六甲アイランドコンテナバース]]

[[画像:Rokuicontainer.JPG|200px|thumb|六甲アイランドコンテナバース]]

*兵庫突堤(兵庫埠頭)<!--埠頭の中に突堤部分があり、そこを兵庫突堤いう。-->

*兵庫埠頭(兵庫第1~第3突堤間埋立。1997年兵庫埠頭改称)

*高浜岸壁

*[[高浜岸壁]]

*[[中突堤]]

*[[中突堤]]

*[[新港 (神戸市)|新港]]<!--新港東埠頭も新港地区に含まれる。-->

*[[新港 (神戸市)|新港]]

**新港第一・二・第三・第四突堤

**新港第1~4突堤

**新港東埠頭(新港第5~第8突堤間埋立。1997年新港東埠頭と改称)

**新港東埠頭

*[[摩耶埠頭]](当初摩耶埠頭第1~第4突堤も備えていたが、のち突堤間埋立)

*[[摩耶埠頭]]

*ポートアイランド

*ポートアイランド

**ポートアイランド西岸壁 (PI-U・PI-V)

**ポートアイランド西岸壁 (PI-U・PI-V)

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**特定国際コンテナ埠頭 (PC1〜PC18)

**特定国際コンテナ埠頭 (PC1〜PC18)

*[[六甲アイランド]] (RF1〜RF3, RC1〜RC7)

*[[六甲アイランド]] (RF1〜RF3, RC1〜RC7)

*神戸空港島

*[[神戸空港島]]

**[[神戸空港海上アクセスターミナル]]

**[[神戸空港海上アクセスターミナル]]

<!--旅客船ターミナルは埠頭の定義をなす。「外航・内航定期客船航路と施設」の項目にまとめる。-->

<!--旅客船ターミナルは埠頭の定義をなす。「外航・内航定期客船航路と施設」の項目にまとめる。-->

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:移入:2,752万トン(うちコンテナ個数 395,821 TEU)

:移入:2,752万トン(うちコンテナ個数 395,821 TEU)




2018<ref>{{Cite web |date=2018-09-10 |url=https://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/201809/0011626971.shtml |title=18 |publisher=NEXT |accessdate=2019-01-25}}</ref>200023201967<ref>{{Cite web |title=1980,2016() |url=http://www.mlit.go.jp/common/000228237.pdf |format=PDF |year=2017 |publisher= |accessdate=2018-04-22}}</ref>

2018<ref>{{Cite web||date=2018-09-10 |url=https://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/201809/0011626971.shtml |title=18 |publisher=NEXT |accessdate=2019-01-25}}</ref>19804202067<ref>{{Cite web||title=2021 |url=https://www.mlit.go.jp/common/001358398.pdf |format=PDF |year=2021 |publisher=|accessdate=2022-05-05}}</ref>


;利用客数(乗降人員)

;利用客数(乗降人員)

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[[1863]][[]]3[[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[1864]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]100[[1968]][[]]43 

[[1863]][[]]3[[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[1864]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]100[[1968]][[]]43 


[[1858年]]([[安政]]5年)、[[日米修好通商条約]](および日米修好通商条約を含む[[安政五カ国条約]])により1863年1月1日(文久2年12月7日)に開港が定められたが[[朝廷]]の反対により[[ロンドン覚書]]によって5年後の1868年1月1日(慶応3年12月7日)、「兵庫津」より東にある「海軍操練所」があった辺りを事実上の「兵庫港」<ref>『新修 神戸市史 歴史編II 近世』(神戸市、1992年(平成4年)) 910〜917頁「兵庫(神戸)開港の準備」はつぎのように述べる。「ところで、兵庫開港について、条約にその地名ははっきり「兵庫」と記され、また政治の場でもつねに「兵庫開港」と呼ばれていた。しかし、のちに実際の貿易港となったのは厳密な意味での兵庫港(和田岬と湊川先の間)ではなく、その東側の神戸村の海岸であった。この違いはどのようにして生じたのであろうか。〔中略〕。〔慶応3年〕十二月七日付けで定められた開港関係規則によると、大坂で貿易取引を行う場合でも、大坂港への外国船の入港は禁止され、輸出入品はすべて「兵庫運上所」で改めを受け、関税を納めることとされている。この兵庫運上所(後の神戸税関)は、居留地前の海岸の一角に設けられたものであるから、明らかにその海岸を'''事実上の「兵庫港」'''として、そこで輸出入品を積み降ろすことが定めされているのである。このように「兵庫開港」は、旧来の兵庫港そのものを開くのではなく、その東側の海岸に新たに海外貿易港を開設するという結果を見たのであり、その区域が神戸港と呼ばれることになるのである。なお、その後明治二十五年(一八九二)に至り、貿易量の増大に伴って神戸港の港域が拡大され、兵庫港もその内に含まれるようになった」(ゴシックによる強調は引用者による)。</ref>として開港が実現した。兵庫(神戸)開港にいたる経緯については、[[両都両港開市開港延期問題]]、[[文久遣欧使節]]、[[兵庫開港要求事件]]、[[神戸外国人居留地#兵庫開港]]、[[柴田剛中]]も参照。


[[1858]][[]]5[[]][[]]1863112127[[ ()|]][[]]51868113127<ref>  II19924 910917貿3貿''''''貿貿調</ref>[[]][[使]][[]][[#]][[]]


=== 近代 ===

=== 近代 ===

[[画像:Sesshu Kobe coast prosperity view.jpg|300px|thumb|摂州神戸海岸繁栄図]]

[[画像:Sesshu Kobe coast prosperity view.jpg|300px|thumb|摂州神戸海岸繁栄図]]

[[画像:Kobe havour.jpg|thumb|明治時代の神戸港]]

[[画像:Kobe havour.jpg|thumb|明治時代の神戸港]]

開港から2日後の1868年[[1月3日]](慶応3年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]])に[[王政復古 (日本)|王政復古の大号令]]が発せられ、[[鳥羽・伏見の戦い]]後の1868年[[2月2日]](慶応4年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]])には兵庫奉行の[[柴田剛中]]ら一行が海路江戸へ逃れた。神戸を兵庫だと言い張って来た江戸幕府が立ち去り、兵庫運上所は事実上閉鎖状態となったが、1868年[[2月12日]](慶応4年[[1月19日 (旧暦)|1月19日]])に新政府によって仮再開され、1868年[[2月27日]](慶応4年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]])に神戸運上所と改称された。

「神戸」は当時、開港場一帯の村の名前でしかなかったが、公文書には、開港直後の1868年(慶応4年、[[明治]]元年)には「神戸港」の名称がすでに現れている<ref>例えば、[[国立公文書館]]所蔵の以下の文書。



21868[[24]]4[[111 ()|111]][[]]<ref>[[]]

*「東久世通禧各国公使ヲ神戸港ニ会シ太政復古ヲ報ス」([[2月8日]]([[1月15日 (旧暦)|1月15日]])、太政類典・第一編・慶応三年〜明治四年・第五十四巻・外国交際・外国贈答、【請求番号】本館-2A-009-00・太00054100)

*「東久世通禧各国公使ヲ神戸港ニ会シ太政復古ヲ報ス」([[2月8日]]([[1月15日 (旧暦)|1月15日]])、太政類典・第一編・慶応三年〜明治四年・第五十四巻・外国交際・外国贈答、【請求番号】本館-2A-009-00・太00054100)

*「津山藩ノ大坂警衛ヲ罷メ神戸港ヲ守ラシム」([[5月29日]]([[4月8日 (旧暦)|閏4月8日]])、太政類典草稿・第一編・慶応三年〜明治四年・第九十七巻・保民・警察四、【請求番号】本館-2A-024-08・太草00098100)

*「津山藩ノ大坂警衛ヲ罷メ神戸港ヲ守ラシム」([[5月29日]]([[4月8日 (旧暦)|閏4月8日]])、太政類典草稿・第一編・慶応三年〜明治四年・第九十七巻・保民・警察四、【請求番号】本館-2A-024-08・太草00098100)

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*「神戸港於テ外国人ヘ兵刃ヲ加ヘ発砲ニ及候家来ノ者処分御達」(1月、公文録・明治元年・第二十三巻・戊辰一月〜八月・諸侯伺(池田備前守茂政)、【請求番号】本館-2A -009-00・公00023100)

*「神戸港於テ外国人ヘ兵刃ヲ加ヘ発砲ニ及候家来ノ者処分御達」(1月、公文録・明治元年・第二十三巻・戊辰一月〜八月・諸侯伺(池田備前守茂政)、【請求番号】本館-2A -009-00・公00023100)

*「神戸港ニテ備前少将家臣日置帯刀従卒外国人ヘ発砲一件」(外務省記・写本、【請求番号】165-0117)

*「神戸港ニテ備前少将家臣日置帯刀従卒外国人ヘ発砲一件」(外務省記・写本、【請求番号】165-0117)


[[1898]]31</ref>[[]][[西]]<ref>[[1875]]8</ref>[[1872]]5[[]][[]][[1892]]25<ref>2577[[]]JACARRef.A03020128700</ref>[[]]

[[1898]]31</ref>1868[[330]]4[[37 ()|37]]8[[ ()#|]] - [[]]31868[[814]]4[[626 ()|626]]1868[[910]]4[[724 ()|724]][[]]1

神戸港に8ヶ月遅れて開港した[[大阪港]]は、当時[[河港]]だったため使い勝手が悪く、大阪港は明治4年(1871年)を最後に外国船の入港がなくなった。大阪に拠点を置いていた外国人貿易商らの多くは、天然の良港であることに加えて、居留地外においても外国人の居住が可能な(実際には山麓部に集中した)神戸へ移転した。同年からの仲町部、[[1874年]](明治7年)からの兵庫新市街の整備によって神戸 - 兵庫間が市街化され、兵庫港でも[[1872年]](明治5年)に[[和田岬]]に[[和田岬灯台]]が設置され、[[1875年]](明治8年)に[[兵庫運河|新川運河]]が開削されたが、兵庫港は不開港のままであった。[[1892年]](明治25年)の勅令<ref>明治25年勅令第77号・神戸港船舶碇繋所区域拡張。[[アジア歴史資料センター]]で閲覧可能。JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020128700</ref>(神戸港の港域拡張)により、同年10月1日から神戸港の一部となった兵庫港にも外国船が入港できるようになった。



一方、国際港都となり人口が急増した神戸では、[[1890年]](明治23年)に[[コレラ]]が大流行して1000人余りの死者を出した。これを踏まえて、議会の紛糾や[[日清戦争]]による中断を経ながらも、[[1900年]](明治33年)には国内で7番目となる近代水道が整備された<ref>{{Cite web|title=鳴瀧幸恭(初代神戸市長)と鹿島秀麿(元衆議院議員)|url=https://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/tenji/tenji.html|website=www.city.kobe.lg.jp|accessdate=2020-09-12|publisher=[[神戸市文書館]]}}</ref>。[[布引五本松堰堤]]からもたらされる清澄で硬度が低い水は、「[[赤道]]を越えても腐らない水」と世界中の船乗りから好評であった<ref>{{Cite web|title=黎明期のダム 今も潤す 布引五本松堰堤(時の回廊)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASHC02H3S_T00C17A2AA2P00/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-12-22|date=2017-02-10}}</ref>。


[[1890]]23[[]]1000[[]][[1900]]337<ref>{{Cite web||title=鹿麿|url=https://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/tenji/tenji.html|website=www.city.kobe.lg.jp|accessdate=2020-09-12|publisher=[[]]}}</ref>[[]][[]]<ref>{{Cite web||title=  |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASHC02H3S_T00C17A2AA2P00/|website= |accessdate=2019-12-22|date=2017-02-10}}</ref>


政府の[[富国強兵]]策による近代化で[[工業]]が[[貿易]]と共に興り、しだいに大阪と共に[[阪神工業地帯]]を形成していく。[[日清戦争]](明治27-28年)後には[[香港]]・[[上海市|上海]]を凌ぐ[[東洋]]最大の港となって商社「[[鈴木商店]]」などに代表される海運業が隆盛、[[ロンドン]]・[[ニューヨーク]]・[[ハンブルク]]と並ぶ世界四大海運市場として世界に名を知られるようになっていった。

政府の[[富国強兵]]策による近代化で[[工業]]が[[貿易]]と共に興り、しだいに大阪と共に[[阪神工業地帯]]を形成していく。[[日清戦争]](明治27-28年)後には[[香港]]・[[上海市|上海]]を凌ぐ[[東洋]]最大の港となって商社「[[鈴木商店]]」などに代表される海運業が隆盛、[[ロンドン]]・[[ニューヨーク]]・[[ハンブルク]]と並ぶ世界四大海運市場として世界に名を知られるようになっていった。




1933119353194816196019711<ref>{{Cite web |date= |url=https://kobehanabi.jp/history/ |title=  |publisher= |accessdate=2019-07-28}}</ref>

1933119353194816196019711<ref>{{Cite web||date= |url=https://kobehanabi.jp/history/ |title=  |publisher= |accessdate=2019-07-28}}</ref>


[[第二次世界大戦]]時は、[[イタリア]]極東艦隊や[[ドイツ海軍]]などの、[[枢軸国]]の[[仮装巡洋艦]]や[[Uボート]]などの活動拠点として横浜港とともに機能した。

[[第二次世界大戦]]時は、[[イタリア]]極東艦隊や[[ドイツ海軍]]などの、[[枢軸国]]の[[仮装巡洋艦]]や[[Uボート]]などの活動拠点として横浜港とともに機能した。

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[[1951年]]([[昭和]]26年)、占領は解除となるが[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]の影響から撤収は段階的なものとなり、最後までGHQに接収されていた新港第6突堤が返還されたのは[[1974年]](昭和49年)のことである。返還の翌年、神戸市議会の全会一致により「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を採択、寄港する外国軍の艦船に[[非核三原則]]に基づく「非核証明書」の提出を義務づけた。

[[1951年]]([[昭和]]26年)、占領は解除となるが[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]の影響から撤収は段階的なものとなり、最後までGHQに接収されていた新港第6突堤が返還されたのは[[1974年]](昭和49年)のことである。返還の翌年、神戸市議会の全会一致により「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を採択、寄港する外国軍の艦船に[[非核三原則]]に基づく「非核証明書」の提出を義務づけた。



アジア最大のマザーポート([[ハブ港]])としての地位は戦後も揺るがず、日本の[[高度成長期]]の発展を支えた。[[1967年]](昭和42年)に日本初の[[コンテナターミナル]]を備えた[[摩耶埠頭]]が竣工、9月に[[コンテナ船|コンテナ専用船]]が日本で初めて着岸した<ref name=":0">{{Cite web|title=国際物流、世界トップ3に 神戸港 世界への150年(1)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB09H0R_Z00C17A5AA2P00/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-12-22|date=2017-05-16}}</ref>。[[外債]]の発行など財源を工夫しながら時代の先を読んで実施した港湾整備が奏功し、同年には全国の輸出額の27%を占めるトップ級の地位を確立した。1970年代半ばから1980年代初めには、コンテナ取扱個数でアメリカの[[ニューヨーク港]]・オランダの[[ロッテルダム港]]と並ぶ、世界有数の国際貿易港として栄えた<ref name=":0" />。

アジア最大のマザーポート([[ハブ港]])としての地位は戦後も揺るがず、日本の[[高度成長期]]の発展を支えた。[[1967年]](昭和42年)に日本初の[[コンテナターミナル]]を備えた[[摩耶埠頭]]が竣工、9月に[[コンテナ船|コンテナ専用船]]が日本で初めて着岸した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=国際物流、世界トップ3に 神戸港 世界への150年(1)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB09H0R_Z00C17A5AA2P00/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-12-22|date=2017-05-16}}</ref>。[[外債]]の発行など財源を工夫しながら時代の先を読んで実施した港湾整備が奏功し、同年には全国の輸出額の27%を占めるトップ級の地位を確立した。1970年代半ばから1980年代初めには、コンテナ取扱個数でアメリカの[[ニューヨーク港]]・オランダの[[ロッテルダム港]]と並ぶ、世界有数の国際貿易港として栄えた<ref name=":0" />。



しかしながら、1980年代から1990年代にかけて[[香港]]・[[台湾]]・[[シンガポール]]・[[韓国]]などで港湾が強化されてくると、1976・1977年には48%に達していた神戸のコンテナ貨物に占めるトランシップの率が1982年から20%台にまで低下するなど、徐々に陰りが見え始めた<ref name=":1">{{Cite web|title=アジア台頭や震災で苦境 神戸港 世界への150年(2)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB10H0E_Q7A510C1960E00/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-12-22|date=2017-05-17}}</ref>。


19801990[[]][[]][[]][[]]1976197748%198220%<ref name=":1">{{Cite web||title=  150(2)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB10H0E_Q7A510C1960E00/|website= |accessdate=2019-12-22|date=2017-05-17}}</ref>


=== 阪神淡路大震災 ===

=== 阪神淡路大震災 ===

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神戸港一帯は2010年に[[みなとオアシス]]として登録され、[[神戸ポートターミナル]]、[[波止場町TEN×TEN]]の2施設を基本施設とする'''みなとオアシスKOBE'''として観光・交流エリアともなっている。

神戸港一帯は2010年に[[みなとオアシス]]として登録され、[[神戸ポートターミナル]]、[[波止場町TEN×TEN]]の2施設を基本施設とする'''みなとオアシスKOBE'''として観光・交流エリアともなっている。



同年、日本国政府が神戸・[[大阪港|大阪]]両港を「'''[[阪神港]]'''」として[[国際コンテナ戦略港湾]]に選定するなど<ref>{{Cite web|url=https://www.mlit.go.jp/common/000128540.pdf|title=国際コンテナ戦略港湾の選定結果及び今後の取り組み|accessdate=2019-12-22|publisher=国土交通省|date=2010-11-15}}</ref>、物流を再び神戸港に取り戻そうとする動きが見られ<ref name=":1" />、地方港の輸出入貨物を神戸・大阪港に集める施策などにより神戸港のコンテナ取扱個数は2016年に阪神大震災前に近い水準まで回復、クルーズ船の誘致も進められている<ref>{{Cite web|title=新潮流 先駆者精神今こそ 神戸港 世界への150年(3)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB11H1J_R10C17A5960E00/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-12-22|date=2017-05-18}}</ref>。


[[|]]'''[[]]'''[[]]<ref>{{Cite web||url=https://www.mlit.go.jp/common/000128540.pdf|title=|accessdate=2019-12-22|publisher=|date=2010-11-15}}</ref><ref name=":1" />2016<ref>{{Cite web||title=   150(3)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB11H1J_R10C17A5960E00/|website= |accessdate=2019-12-22|date=2017-05-18}}</ref>


=== 年表 ===

=== 年表 ===

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* [[1799年]]([[寛政]]11年) [[高田屋嘉兵衛]]により択捉航路が開設され北海道物産の交易基地となる

* [[1799年]]([[寛政]]11年) [[高田屋嘉兵衛]]により択捉航路が開設され北海道物産の交易基地となる

* 1864年(元治1年) [[勝海舟]]により、[[坂本龍馬]]を塾頭とする[[神戸海軍操練所]]開設

* 1864年(元治1年) [[勝海舟]]により、[[坂本龍馬]]を塾頭とする[[神戸海軍操練所]]開設

* 1868年

* 1867年(慶応3年) '''兵庫開港''' 慶応3年12月7日(1868年1月1日)英、米、仏、晋、蘭等の公使・領事等出席の下、[[柴田剛中]]が開港式典を行う


** 113127 ''''''使[[]]

* 1868年(慶応4年) 兵庫運上所(現在の[[神戸税関]])業務開始。開港場が神戸港と呼ばれ始める

** 1月3日(慶応3年12月9日) [[王政復古 (日本)|王政復古の大号令]]。

** 2月2日(慶応4年1月9日) 柴田剛中ら幕府陣営が江戸へ遁走。

** 2月4日(慶応4年1月11日) [[神戸事件]]発生。

** 2月27日(慶応4年2月5日) 兵庫運上所を神戸運上所と改称。

* 1871年(明治4年) [[イギリス人]][[ジョン・マルシャル]]が初代神戸港長に任命される

* 1871年(明治4年) [[イギリス人]][[ジョン・マルシャル]]が初代神戸港長に任命される

* 1892年(明治25年) 明治25年勅令第77号神戸港船舶碇繋区域拡張により、旧生田川河口から和田岬までに神戸港の範囲を拡張

* 1873年(明治6年) 神戸運上を[[神戸税関]]と改称。

* [[1899]](明治32年) [[兵庫運河]]竣工。[[神戸外国人居留地|外国人居留地]]が神戸市に返還

* 1892年(明治25年) 明治25年勅令第77号神戸港船舶碇繋所区域拡張(10月1日施行)により、兵庫港が神戸港の一部となる

* [[1899年]](明治32年) [[神戸外国人居留地]]が神戸市に返還(7月17日)。[[兵庫運河]]竣工(12月)。

* 1907年(明治40年) 第一期修築工事着工

* 1907年(明治40年) 第一期修築工事着工

* [[1908年]](明治41年) ブラジル移民第一次船「[[笠戸丸]]」が出航

* [[1908年]](明治41年) ブラジル移民第一次船「[[笠戸丸]]」が出航

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;[[中突堤中央ターミナル]](かもめりあ)

;[[中突堤中央ターミナル]](かもめりあ)

**神戸中突堤 - ポートアイランド - 神戸空港

*神戸中突堤 - ポートアイランド - 神戸空港

*[[神戸ベイクルーズ]] - [[ロイヤルプリンセス (遊覧船)|ロイヤルプリンセス]](414トン、神戸港周遊)、[[ロイヤルプリンス]](170トン、神戸港周遊)

*[[神戸ベイクルーズ]] - [[ロイヤルプリンセス (遊覧船)|ロイヤルプリンセス]](414トン、神戸港周遊)、[[ロイヤルプリンス]](170トン、神戸港周遊)

*[[早駒運輸]] - シーグレース(190トン、神戸港〜明石海峡周遊)、ロマン3(60トン、神戸港周遊)、ファンタジー(神戸空港島周遊・ポートアイランド)

*[[早駒運輸]] - シーグレース(190トン、神戸港〜明石海峡周遊)、ロマン3(60トン、神戸港周遊)、ファンタジー(神戸空港島周遊・ポートアイランド)

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=== 新港 ===

=== 新港 ===

;[[新港 (神戸市)|神戸三宮フェリーターミナル]](新港第三突堤)

;[[新港 (神戸市)|神戸三宮フェリーターミナル]](新港第三突堤)

*[[ジャンボフェリー]] - [[りつりん2]](3,664トン)、[[こんぴら2]](3,639トン

*[[ジャンボフェリー]] - [[りつりん2]](3,664トン)、[[あおい (フェリー)|あおい]](5,200トン)

**'''神戸港''' -[[小豆島]][[坂手港]](一部便)- [[高松港#高松東港|高松東港]]

**'''神戸港''' -[[小豆島]][[坂手港]](一部便)- [[高松港#高松東港|高松東港]]

*[[宮崎カーフェリー]] - [[こうべエキスプレス]](11,933トン、[[みやざきエキスプレス]](11,931トン

*[[宮崎カーフェリー]] - [[フェリーたかちほ (宮崎カーフェリー)|フェリーたかちほ]](14,200トン)、[[フェリーろっこう]](14,200トン)

**'''神戸港''' - [[宮崎港|宮崎港フェリーターミナル]]

**'''神戸港''' - [[宮崎港|宮崎港フェリーターミナル]]

;[[神戸ポートターミナル]](新港第四突堤)

;[[神戸ポートターミナル]](新港第四突堤)

*日中国際フェリー - [[新鑑真]](14,543トン)

*日中国際フェリー - [[新鑑真]](14,543トン)・[[蘇州號]](14,410トン)

**'''神戸港''' - [[上海市|上海港]]

**'''神戸港''' - [[上海市|上海港]]

*パンスターライン - パンスターフェリードリーム号、パンスターフェリーサニー号

*パンスターライン - [[さんふらわあ くろしお|パンスタードリーム]]

**'''神戸港''' - [[釜山港]]

**'''神戸港''' - [[釜山港]]



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=== 六甲アイランド ===

=== 六甲アイランド ===

;[[六甲アイランドフェリーターミナル]](バース)

;[[六甲アイランドフェリーターミナル]](バース)

*RF1 [[フェリーさんふらわあ]] - さんふらわあ ごーるど、さんふらわあ ぱーる

*RF1 [[商船三井さんふらわあ]] - さんふらわあ ごーるど、さんふらわあ ぱーる

**'''神戸港''' - [[大分港]]

**'''神戸港''' - [[大分港]]

*RF2 [[阪九フェリー]] - やまと(13,353トン)、つくし(13,353トン)

*RF2 [[阪九フェリー]] - やまと(13,353トン)、つくし(13,353トン)

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*[[川崎重工業船舶海洋ディビジョン]]

*[[川崎重工業船舶海洋ディビジョン]]

*[[新神戸ドック]]

*[[新神戸ドック]]

*[[国道174号]]

*[[神戸市立博物館]]([http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/joten/j5.html 旧居留地の復元模型])

*[[神戸市立博物館]]([http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/joten/j5.html 旧居留地の復元模型])

*[[兵庫県立歴史博物館]]([http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/trip/html/023/023.html 兵庫津の絵図])

*[[兵庫県立歴史博物館]]([http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/trip/html/023/023.html 兵庫津の絵図])


2024年4月11日 (木) 05:53時点における最新版

神戸港
空から見る神戸港中枢部
左端の神戸空港も神戸港の泊地内にある
神戸港の位置(日本内)
神戸港

神戸港

神戸港の位置
所在地
日本の旗 日本
所在地 兵庫県神戸市
座標 北緯34度40分39.17秒 東経135度13分36.97秒 / 北緯34.6775472度 東経135.2269361度 / 34.6775472; 135.2269361座標: 北緯34度40分39.17秒 東経135度13分36.97秒 / 北緯34.6775472度 東経135.2269361度 / 34.6775472; 135.2269361
詳細
開港 1868年1月1日慶応3年12月7日
管理者 神戸市
種類 国際戦略港湾港湾法
スーパー中枢港湾政令指定)
泊地面積 9,171ha
陸地面積 2,109ha
係留施設数 233
出典 2016年[1]
統計
統計年度 2019年[2]
発着数 減少6,634隻(外航)
減少24,671隻(内航)
貨物取扱量 減少5,151万トン(外貿)
減少4,249万トン(内貿)
コンテナ数 減少218万TEU(外貿)
減少68万TEU(内貿)
輸出入総数 減少2,292万トン(輸出)
増加2,858万トン(輸入)
主要輸出・輸入品 産業機械、化学工業品、自動車、自動車部品(輸出)
石炭、衣類・身廻品・はきもの、化学工業品、化学薬品(輸入)

 貿1868113127

西
西

[]


貿76西

西189225101249

194116西818714西貿貿31970

1960



[]

[]


 9,171 ha
西 - 

 - 

 2,109 ha

[]


131997






14

581997

14


西 (PI-UPI-V)

 (PL1PL3)

 (PL4PL15)



 (PC1PC18)

 (RF1RF3, RC1RC7)



[]


2017

[]


 34,934185,771
 6,733139,398
 3,899 1,099 563 40053

 28,20146,373
 10,746 8,155 2,669

[]




 2,407 1,185,071 TEU
16%13%12%

28%11%10%9%

 2,865 1,033,790 TEU
12%6%6%

30%19%8%7%



1,962 309,497 TEU

2,752 395,821 TEU

2018[3]19804202067[4]



108

953868

[]

[]



[]


使使12貿貿貿

[]


西使1

186331864100196843 

18585186311212751868113127[5]使#

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21868133129186822419186821241191868227425

21868244111[6]18683304378 - 318688144626186891047241

8使41871貿18747 - 1872518758189225[7]101

18902310001900337[8][9]

貿27-28

1933119353194816196019711[10]

U

[]


 (GHQ) 119509114[11]

195126GHQ6197449

1967429[12]27%19701980貿[12]

198019901976197748%198220%[13]

[]


199571172320219979331519

[13]19946200020[13]退[14]

1994 631.6%2007 194%[15]191994675%

調

190740 - 200315 - 

[]

II

2PC14-18

200618111

2007200910

20098323姿

2010TEN×TEN2KOBE

[16][13]2016[17]

[]


8123 

11744 貿

11967

13974 貿

16195 

179911 

18641 

1868
113127 使

133129 

22419 

244111 

227425 

18714 

18736 

189225 2577101

189932 71712

190740 

190841 

19176 

19198 

19209 

192211 14

192312 

19305 2

19327 1

19338 1

193813 

193914 56

194520 GHQ

194823 

195128 

195227 1

195328 7西

195631 7

196338 

196540 3

196641 1

196742 1008

197045 

197146 1

197247 

197449 GHQ6GHQ

197550 

197752 110

197853 

198055 

198156 1'81

198762 1202

1989 

19902 10

19924 

19935 23

19957 125812

19968 PC-1415

19979 130

199810 58

199911 

200012 

200214 1Kobe Love Port

200315 

200416 

200517 2

200618 

200719 西

200921

[]




オランダの旗  - 196742

アメリカ合衆国の旗  - 196742



中華人民共和国の旗  - 198055

[]

高浜旅客ターミナル
(接岸するコンチェルト)
中突堤旅客ターミナル
(接岸する飛鳥II)
神戸三宮フェリーターミナル
(接岸する「こうべエキスプレス」)
神戸ポートターミナルQ2・Q1
(接岸するふじ丸エキスプローラー
六甲アイランドフェリーターミナル(RF1のフェリーダイヤモンドとRF2のフェリーせっつ)
六甲船客ターミナル
(接岸する琉球エクスプレス)

[]




 - 2,138

 - 170

[]




 - 24,778



 -  - 

 - 414170

 - 190360

[]




 - 23,664(5,200)
 -(便)- 

 - (14,200)(14,200)
 - 



 - 14,54314,410
 - 

 - 
 - 

[]


西

 - 
 -  - 

 

PL2 

PL3 

PL4 

PL5 

PL6 

PL7 

PL8 

PL9 

PL10 

PL11 

PL12 

PL13 

PL14 

PL15 

 

PC13 

PC14 

PC15 

PC16 

PC17 

PC18 
2003

[]




-84
 - 西西

 - 193
 -  - 

 - 
 -  - 

[]




RF1  -   
 - 

RF2  - 13,35313,353
 - 

RF3  - 15,732
 - 



RO-RO 12便便 - 210,758
 -  -  -  -  - 

 

RC3 

RC4 

RC5 

RC6 

RC7 



[]



コンチェルト
  • ルミナス神戸2
  • 新鑑真
  • 燕京
  • ポートターミナルO1に接岸中のさんふらわあこばると。現在は寄港していない
    ポートターミナルO1に接岸中のさんふらわあこばると。現在は寄港していない
  • 新港第四突堤に架かる神戸大橋
    新港第四突堤に架かる神戸大橋
  • 居留地西関門跡
    居留地西関門跡
  • 脚注[編集]



    (一)^ .      (201714). 2018422

    (二)^  (PDF).   (2019). 2020925

    (三)^ 18.  NEXT (2018910). 2019125

    (四)^ 2021 (PDF).   (2021). 202255

    (五)^   II19924 910917貿3貿貿貿調

    (六)^ 
    使28115-2A-009-0000054100

    52948稿-2A-024-0800098100

    1-2A -009-0000012100

    1-2A -009-0000023100

    165-0117
    189831

    (七)^ 2577JACARRef.A03020128700

    (八)^ 鹿麿. www.city.kobe.lg.jp.  . 2020912

    (九)^   .   (2017210). 20191222

    (十)^  .  . 2019728

    (11)^ 22001136

    (12)^ ab3  150(1).   (2017516). 20191222

    (13)^ abcd  150(2).   (2017517). 20191222

    (14)^ 稿   Safety Japan

    (15)^ [1]

    (16)^ .   (20101115). 20191222

    (17)^    150(3).   (2017518). 20191222

    関連項目[編集]

    外部リンク[編集]