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***日本相撲協会では、緊急事態宣言発出中の5月9日からCOVID-19の感染拡大に対する防止策を徹底させながら本場所︵令和3年大相撲夏場所︶を[[両国国技館]]︵東京都墨田区︶で開催していた。朝乃山はこの場所に﹁東の正大関﹂として臨んでおり、週刊文春の報道が出る前日の10日目︵18日目︶に尾車コンプライアンス部長から聴取を受けたときは﹁事実無根です﹂と報道内容を否定していた。しかし、11日目︵19日︶の打ち出し後に日本相撲協会からの再度の事情聴取に対して、相撲担当記者と共に﹁接待を伴う飲食店﹂への出入りを繰り返していたことを認めた。1回目の聴取における虚偽報告や、当該記者との出入りの事実を示す証拠の隠滅︵私用のスマートフォンに残っていた[[LINE (アプリケーション)|LINE]]上のメッセージの削除など︶も認めたうえで、翌12日目︵20日︶から本場所を休場した<ref name="sunset">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/05/20/kiji/20210520s00005000144000c.html|title=朝乃山がコロナ対策違反で休場へ 外出禁止期間に接待伴う飲食店訪問 協会は処分検討|date=2021-05-20|accessdate=2021-06-05|publisher=Sponichi Annex}}</ref><ref>{{Cite web|title=キャバクラ通い疑惑の朝乃山﹁日馬富士が激怒した高校からの悪癖﹂|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/182207|website=FRIDAYデジタル|date=2021-05-21|accessdate=2021-06-05}}</ref>。さらに、場所後の5月21日付で、日本相撲協会へ引退届を提出している。
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***日本相撲協会では、緊急事態宣言発出中の5月9日からCOVID-19の感染拡大に対する防止策を徹底させながら本場所︵令和3年大相撲夏場所︶を[[両国国技館]]︵東京都墨田区︶で開催していた。朝乃山はこの場所に﹁東の正大関﹂として臨んでおり、週刊文春の報道が出る前日の10日目︵18日目︶に尾車コンプライアンス部長から聴取を受けたときは﹁事実無根です﹂と報道内容を否定していた。しかし、11日目︵19日︶の打ち出し後に日本相撲協会からの再度の事情聴取に対して、相撲担当記者と共に﹁接待を伴う飲食店﹂への出入りを繰り返していたことを認めた。1回目の聴取における虚偽報告や、当該記者との出入りの事実を示す証拠の隠滅︵私用のスマートフォンに残っていた[[LINE (アプリケーション)|LINE]]上のメッセージの削除など︶も認めたうえで、翌12日目︵20日︶から本場所を休場した<ref name="sunset">{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/05/20/kiji/20210520s00005000144000c.html|title=朝乃山がコロナ対策違反で休場へ 外出禁止期間に接待伴う飲食店訪問 協会は処分検討|date=2021-05-20|accessdate=2021-06-05|publisher=Sponichi Annex}}</ref><ref>{{Cite web|title=キャバクラ通い疑惑の朝乃山﹁日馬富士が激怒した高校からの悪癖﹂|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/182207|website=FRIDAYデジタル|date=2021-05-21|accessdate=2021-06-05}}</ref>。さらに、場所後の5月21日付で、日本相撲協会へ引退届を提出している。
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***これに対して、相撲協会は引退届を預かったうえで、6月11日開催の臨時理事会で朝乃山への懲戒処分を決定。直近︵7月︶場所から6場所連続出場停止と、6ヶ月間の報酬半減︵50%減額︶に処した。﹁朝乃山にはもう一度チャンスを与える﹂との姿勢を示しながら、協会への虚偽報告を重く見た末の決定で、朝乃山の行為で協会に再び迷惑が掛かった場合には引退届を正式に受理する方針も打ち出している<ref>{{Cite web|title=朝乃山6場所出場停止 新型コロナ対策ガイドライン違反|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/06/11/kiji/20210611s00005000557000c.html|date=2021-06-11|accessdate=2021-06-12|publisher=Sponichi Annex}}</ref>。東京本社による一連の処分は、朝乃山への懲戒処分を受けての措置で、︵関連会社からの発行分を含む︶6月12日付の紙面では、上記の処分、経緯、今後の対策に関する説明に1ページを割いた。
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***これに対して、相撲協会は引退届を預かったうえで、6月11日開催の臨時理事会で朝乃山への懲戒処分を決定。直近︵7月︶場所から6場所連続出場停止と、6ヶ月間の報酬半減︵50%減額︶に処した。﹁朝乃山にはもう一度チャンスを与える﹂との姿勢を示しながら、協会への虚偽報告を重く見た末の決定で、朝乃山の行為で協会に再び迷惑が掛かった場合には引退届を正式に受理する方針も打ち出している<ref>{{Cite web|title=朝乃山6場所出場停止 新型コロナ対策ガイドライン違反|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/06/11/kiji/20210611s00005000557000c.html|date=2021-06-11|accessdate=2021-06-12|publisher=Sponichi Annex}}</ref>。東京本社による一連の処分は、朝乃山への懲戒処分を受けての措置で、︵関連会社からの発行分を含む︶6月12日付の紙面では、上記の処分、経緯、今後の対策に関する説明に1ページを割いた。
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***[[日刊スポーツ]]のデスクでもある佐々木一郎 |
***[[日刊スポーツ]]のデスクでもある佐々木一郎は、当該記者の問題点について﹁食事をしたりキャバクラに行ったこと自体ではないんですよ。平時では問題ない。でも、まず時期がよくなかったことと、口裏合わせを主導していたこと。それが大きな問題です﹂と指摘している。佐々木も力士や親方と食事をすることはあるが、︵2021年7月時点で︶最後に食事をしたのは2020年2月。コロナ禍以前から、誘うときは相手に迷惑をかけないよう気を使っている。﹁私服で外出している﹂などと通報されたり写真を撮られたりしないよう、力士を誘うときは﹁必ずゆかたか着物で来てくれ﹂と念押ししているという<ref>{{Cite web|title=大関・朝乃山と番記者が一緒に“深夜外出した”問題…他紙デスクに聞く﹁番記者の関係は近すぎたのか?﹂︵佐藤祥子︶|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/848714|website=Number Web - ナンバー(2021年7月10日)|accessdate=2021-08-26|language=ja}}</ref>。プロスポーツ選手や五輪を狙うレベルのアマチュア選手は所属しているスポーツマネジメント事務所が取材の窓口となって選手を守っているため、携帯番号を聞くのも難しい現状があるが、事務所に所属している力士は少ないため、雑談しながら﹁今度一杯行こうよ~﹂と言えてしまうとも話している<ref>{{Cite web|title=大関・朝乃山と番記者が一緒に“深夜外出した”問題…他紙デスクに聞く﹁番記者の関係は近すぎたのか?﹂︵佐藤祥子︶ 4/4|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/848714|website=Number Web - ナンバー(2021年7月10日)|accessdate=2021-08-30|language=ja}}</ref>。
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== スポニチジュニア == |
== スポニチジュニア == |
2022年1月17日 (月) 02:15時点における版
スポーツニッポン | |
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![]() | |
種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 株式会社スポーツニッポン新聞社 |
本社 |
【東京本社】 (東京都千代田区有楽町1-2→) (東京都千代田区竹平町1→) (東京都千代田区一ツ橋1-1-1→) 東京都江東区越中島2-1-30 【大阪本社】 (大阪府大阪市大淀区大淀南3-2-25→) 大阪府大阪市北区梅田3-4-5 |
代表者 | 河野俊史(代表取締役社長) |
創刊 |
1949年(昭和24年)2月1日(大阪) 1950年(昭和25年)3月6日(東京) 1955年(昭和30年)5月1日(西部) |
言語 | 日本語 |
ウェブサイト | https://www.sponichi.co.jp/ |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E7%9C%8B%E6%9D%BF.jpg/220px-%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%83%81%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E7%9C%8B%E6%9D%BF.jpg)
スポーツニッポンは、株式会社スポーツニッポン新聞社が発行するスポーツ新聞である。通称スポニチ。
発行元であるスポーツニッポン新聞社は、毎日新聞グループホールディングス︵以下、毎日新聞グループ︶の主要企業であり、グループの中核事業でもある。本項目ではそのスポーツニッポン新聞社についても述べる。
概要
創刊当初は﹁スポーツ紙唯一の全国紙﹂をスローガンにスポーツ・芸能情報を積極的に提供してきた。現在では定番となった1面記事見出しのカラー化︵赤見出し︶や、即売版︵駅売店など︶の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする﹁ダブル1面﹂を初めて採用した。1980年代の終わりから総合大衆紙として、社会事件・政治報道などにも力を入れた。1995年︵平成7年︶にはオウム真理教による一連の事件報道などで、東京本社管内でスポーツ紙としては初めて実売100万部超を達成。この年4月から3か月間維持した。
2004年︵平成16年︶には東京、大阪、西部本社が合併。全国を一社でカバーする単一法人となった。東京を存続会社とし、2007年︵平成19年︶4月から旧3社の人事・賃金など諸制度統一に向けた新制度がスタート。合併を機にスケールメリットを追求しすべての取引制度を見直し、2005年︵平成17年︶度決算は減収ながら史上最高益を記録した。売上げにおける3本社の比率は東京6、大阪3、西部1の割合となっている。
これに併せ、題字ロゴを全国で統一[1]。2008年︵平成20年︶元日からの大阪本社管内を皮切りに、1面題字に商品バーコードが掲載されるようになった。
発行所は東京本社、大阪本社及び西部総局。
●札幌では東京本社名義、名古屋と広島では大阪本社名義でそれぞれ発行、一部を地域独自版に差し替え。
●名古屋は、センバツ高校野球開催期間中に地元の高校を1面、または常滑と蒲郡のボートレースの優勝戦を1面など。
●九州地区は西部本社を福岡に統合移転後、会社全体の組織見直しで、西部本社としては廃止。東京本社傘下の管理下による﹁福岡総局﹂を復活させる形︵格下げ︶となった。新聞の発行は継続している。さらに名称を﹁西部総局﹂に改め、発行元については単に﹁西部﹂とだけ記されるようになった。
●沖縄では琉球新報社に委託︵実質﹁地域フランチャイズ契約﹂︶し、﹁新報スポニチ﹂を発行。
メディア環境の激変により、新聞界全体で紙媒体の部数減が経営を苦しめる中、2011年︵平成23年︶2月1日、親会社毎日新聞社と経営統合することで合意した。4月1日付で両者の株式を移転して設立される共同持株会社の完全子会社となるもので、同日関東財務局に報告書を提出した。競合のスポーツ報知と異なるのは、報知新聞社が読売新聞グループとは経営で一体化していないのに対し、スポニチの場合親会社と完全に経営を一体化するという点である。そして2011年︵平成23年︶4月1日、毎日新聞社とスポーツニッポン新聞社の株式移転によって設立された共同持株会社毎日・スポニチ持株移行株式会社︵現在の株式会社毎日新聞グループホールディングス︶の完全子会社となった。
沿革
●1949年︵昭和24年︶ 2月1日 - 大阪で創刊︵タブロイド版︶。初代社長は戦前のオリンピックマラソン代表だった津田晴一郎。
●1950年︵昭和25年︶ 3月6日 - 当時有楽町にあった毎日新聞東京本社内に東京支社設置、東京において発刊。
●1955年︵昭和30年︶ 5月1日 - 福岡県門司市︵現・北九州市門司区︶清滝の毎日新聞西部本社内に西部支社設置、九州において発刊。
●1957年︵昭和32年︶ 2月 - 日本プロ野球キャンプの全会場に取材班を配置、シーズン前の調整をきめ細かく伝える。
●1959年︵昭和34年︶ 6月1日 - 北海道札幌市で東京支社版の現地印刷開始。
●1960年︵昭和35年︶ 8月10日 - 東京支社を分社。﹁株式会社スポーツニッポン新聞東京本社﹂設立。これに伴い時期は不明だが大阪本社の社名を﹁株式会社スポーツニッポン新聞大阪本社﹂に変更。
●1960年︵昭和35年︶ 10月15日 - スポーツ新聞として初めて1面に赤色の見出しを採用。
●1961年︵昭和36年︶ 8月29日 - 西部支社を分社。﹁株式会社スポーツニッポン新聞西部本社﹂設立。これにより3本社体制を整える。
●1965年︵昭和40年︶- 北九州市小倉区紺屋町に毎日西部会館が完成、毎日新聞西部本社が移転。従来毎日西部が使っていた建物を西部本社専用の社屋として使用する。
●1966年︵昭和41年︶ 9月26日 - 毎日新聞東京本社が有楽町から同じ千代田区内に建てたパレスサイドビルディングに移ったことに伴い、東京本社も一緒に移転。ただし、編集部門のみ港区芝に移った。
●1971年︵昭和46年︶ 9月13日 - 東京本社、番組表を掲載するページに、鉄道駅売店などの即売版専用紙面﹁スポニチ環状線﹂の連載を開始︵いわゆる二毛作︶。他のスポーツ紙も追随。
●1983年︵昭和58年︶ 10月11日 - 東京本社、最終面をスポーツニュース記事にしたダブル1面を開始。これにより従来最終面にあったテレビ番組表︵宅配版︶や﹁スポニチ環状線﹂︵即売版︶は中面に移動。他のスポーツ紙も追随。
●1986年︵昭和61年︶ 1月 - 東京本社、1面のカラー印刷開始、その後カラーページを拡大。他のスポーツ紙も追随。
●1988年︵昭和63年︶ 8月 - 東京本社、2か所に分かれていた拠点を江東区越中島に毎日新聞グループの東日印刷と共同で建設したSTビルに全面統合移転。
●1989年︵平成元年︶ 12月 - 西部本社、門司社屋の老朽化に伴い、毎日西部会館に移転。
●1990年︵平成2年︶ 7月 - 株式会社琉球新報社、韓国朝鮮日報[2]系のスポーツ紙・スポーツ朝鮮との提携関係が成立。1日から琉球新報社が沖縄県向けに﹁新報スポニチ﹂を発刊。
●1993年︵平成5年︶ 2月 - 大阪本社、北区西梅田︵大阪駅前︶の毎日新聞大阪本社に移転。それまでの北区︵旧・大淀区︶の旧社屋についてはその後スポニチとの等価交換によりマンションとして再整備された。
●1995年︵平成7年︶ 1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。これを受け後に3本社連携により義援金募集を実施、4204万円余の義援金が集まった。
●1995年︵平成7年︶ 4月 - スポーツ紙初の発行部数1日平均100万部を達成︵日本ABC協会調べ︶。
●2001年︵平成13年︶ 10月 - 国会記者クラブにスポーツ紙で初めて加入。
●2004年︵平成16年︶ 10月1日 - 東京本社を存続会社として3本社が合併、商号を株式会社スポーツニッポン新聞社に変更。
●2004年︵平成16年︶ 11月8日 - 創刊20,000号︵新聞休刊日発行の特報版を除く︶[3]。
●2008年︵平成20年︶ 1月1日 - 創刊60年を記念し、年間イメージモデルとして、前年度上半期のNHK連続テレビ小説﹃どんど晴れ﹄でヒロインを演じた比嘉愛未を起用。この日付け紙面で特集記事が紹介され、キャンペーンキャッチフレーズ﹁そのへんはスポニチが詳しい。﹂が採用された。
●2009年︵平成21年︶ 2月1日 - 創刊60周年。イメージキャラクター兼特別編集局長によしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いタレント・今田耕司を起用、キャンペーンキャッチフレーズ﹁ハッとしてホッとするスポニチ﹂﹁読むなら、いまだ!﹂を採用。この日から
●2009年︵平成21年︶ 6月12日 - 今田からのつながりで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の漫才師、石田明︵NON STYLE︶を期間限定の特別編集委員に任命。
●2009年︵平成21年︶ 7月1日 - 西部本社を毎日西部会館から福岡総局︵福岡市中央区天神1丁目の毎日福岡会館︶に統合移転。西部版の発行所が旧福岡総局となる。販売部は毎日西部会館に残した上で、毎日西部本社と事実上統合。[4]
●2009年︵平成21年︶ 10月1日 - 当初から東京本社管轄だった北海道支社を総局に格下げ。
●2009年︵平成21年︶ 11月29日 - 大阪本社発行の“夕刊”︵即売のみ︶の発行を休止。
●2010年︵平成22年︶ 5月1日 - 大阪本社、大阪・ミナミの鰻谷スクエア[5]︵中央区東心斎橋︶に読者との交流を図る事実上の第2大阪本社﹁スポニチプラザ大阪﹂を開設。
●2010年︵平成22年︶ 7月 - 組織再編を実施し、本社を東京・大阪の二元体制とする。西部本社は機能を維持しつつ格下げされ、紙面構成の都合で東京本社管轄となり﹁福岡総局﹂復活。ただし発行機能は維持。
●2010年︵平成22年︶ 10月1日 - 福岡総局を﹁西部総局﹂に改称。これと前後して毎日西部本社も一部の機能を福岡本部に移す。
●2011年︵平成23年︶ 4月1日 - 毎日新聞社と共同で株式移転を行い、共同持株会社の毎日・スポニチ持株移行株式会社︵現在の株式会社毎日新聞グループホールディングス︶を設立して、同社の完全子会社となった。統合比率は毎日1に対しスポニチ1.45。
●2012年︵平成24年︶4月1日まで吉本興業との長期共同コラム﹁よしもと100年笑いは地球を救う﹂も連載開始。
●2012年︵平成24年︶ 11月 - 大阪本社発行による東海3県︵愛知県・岐阜県・三重県︶向けの紙面を中日新聞社本社工場による受託印刷を開始。
●2013年︵平成25年︶ 2月1日 - 創刊65周年としてイメージキャラクターに女優の忽那汐里︵オスカープロモーション所属︶を起用。
●2016年︵平成28年︶ 4月 - YouTubeに﹁スポニチチャンネル﹂を開設。
●2017年︵平成29年︶ 4月17日 - スマホ向け競輪サイト﹁競輪スポニチ﹂がオープン。
●2018年︵平成30年︶ 2月 - 音声メディアVoicy︵ボイシー︶にて﹁スポニチニュース﹂チャンネルを開設。
●2019年︵令和元年︶ 5月25日 - GAUSS︵ガウス︶社と共同開発した競馬予想サービス﹁スポニチAI競馬予想SIVA﹂をリリース。
●2020年︵令和2年︶ 2月1日 - スポーツ新聞としては初の本格的会員制サイト﹁スポニチスクエア﹂がオープン。
●2020年︵令和2年︶2月9日 - 阪神タイガース情報アプリ﹁虎報﹂がスタート。
●2020年︵令和2年︶4月1日 - 中央競馬の予想をネットで提供する﹁スポニチ競馬web﹂が稼働。
●2020年︵令和2年︶11月24日 - 四国と広島・岡山のスポーツニッポンを山陽新聞印刷センターに委託
●2021年︵令和3年︶4月-公営競技の予想をコンビニ各社のプリントサービスで販売する﹁スポプリ﹂がスタート。[6]
●2021年︵令和3年︶5月-スポプリに﹁プロ野球2軍情報﹂と﹁面担号外﹂を追加。[7]
●2021年︵令和3年︶7月18日-東京五輪・パラリンピックの特別編集長にお笑いコンビ﹁爆笑問題﹂を起用すると発表。[8]
社史・記念誌
スポーツニッポン新聞社では、以下の6冊を発行している︵2016年9月22日時点︶。
●スポーツニッポン新聞25年史︵スポーツニッポン新聞社東京本社社史編纂委員会・編︶1975年発行、149ページ。
●スポーツニッポン新聞三十年史︵スポーツニッポン新聞大阪本社・編︶1979年2月1日発行、227ページ。
●スポーツニッポン新聞50年史(東京)︵スポーツニッポン新聞東京本社・編︶1999年発行、451ページ。
●スポーツニッポン新聞50年史(大阪) 1 通史︵スポーツニッポン新聞大阪本社・編︶1999年2月発行、231ページ。
●スポーツニッポン新聞50年史(大阪) 2 年表︵スポーツニッポン新聞大阪本社・編︶1999年2月発行、245ページ。
●スポーツニッポン新聞60年小史︵スポーツニッポン新聞東京本社・編︶2009年2月1日発行。
﹃スポーツニッポン新聞50年史﹄は、旧・東京本社が発行したものと旧・大阪本社が発行したものがある[9]︵前述の通り、2004年10月の3本社合併までは旧・西部本社も含め、それぞれ独立した法人だった︶ため、本項では、便宜上“スポーツニッポン新聞50年史”の後に括弧書きで東京or大阪とつけている。
発行所とエリア
![]() 東京本社(S・Tビル) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | スポニチ |
本社所在地 |
![]() 〒135-8517 東京都江東区越中島二丁目1番30号 |
設立 |
1960年8月10日 (株式会社スポーツニッポン新聞東京本社) |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | スポーツ新聞の発行など |
代表者 | 森戸 幸生(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円 |
純利益 |
▲1億0594万1000円 (2021年03月31日時点)[10] |
総資産 |
132億6842万7000円 (2021年03月31日時点)[10] |
従業員数 | 890人(2009年1月1日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 毎日新聞グループホールディングス 100% |
外部リンク | https://www.sponichi.co.jp/ |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c7/Mainichi_Shimbun_Osaka_headquarters_in_201909_001.jpg/250px-Mainichi_Shimbun_Osaka_headquarters_in_201909_001.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/Hotel_Nishitetsu_in_fukuoka.jpg/250px-Hotel_Nishitetsu_in_fukuoka.jpg)
発行対象地域
西部総局は、紙面構成[11]の関係から、格下げ時に東京本社傘下に置かれた。ただし歴史的経緯から独自性を残している。
本支社等 | 所在地 | 発行エリア | |
---|---|---|---|
東京本社 | 東京都江東区越中島2丁目1-30 | 関東甲信越、東北及び静岡の17都県 | |
北海道支局 (旧北海道支社→総局) |
札幌市中央区北4条西6丁目1 毎日札幌会館 | 北海道 | |
西部総局[12] (旧西部本社) |
福岡市中央区天神1丁目16-1 毎日福岡会館[13] | 九州7県、山口県及び島根県西部 | |
琉球新報社 (新報スポニチ[14]) |
沖縄県那覇市泉崎1丁目10番地3号 | 沖縄県 | |
大阪本社 | 大阪市北区梅田3丁目4-5 毎日新聞ビル | 近畿、北陸、四国の13府県並びに 鳥取県、岡山県、広島県並びに島根県東部、三重県伊賀、東紀州地域 | |
名古屋オフィス (旧名古屋総局) |
名古屋市中区丸の内2丁目9-6 八木兵丸の内第2ビル[15] | 中京3県(三重県伊賀、東紀州地域除く) |
印刷工場
全国の毎日新聞社系の工場を中心に印刷されているが、名古屋総局版は中日新聞社本社工場︵名古屋市中区三の丸︶、新報スポニチ︵沖縄版︶は発行・販売委託先の琉球新報への委託印刷である。なお、中四国向けの新聞︵摂津工場から直送の鳥取県・島根県東部と隠岐島、西部総局版を発行する島根県西部・山口県を除く︶については、2020年12月までに倉敷市にある毎日新聞中四国印刷工場が合理化による閉鎖を決めたため、11月25日付け朝刊から、同市内にある山陽新聞社新聞製作センターに委託して現地印刷を行うことに変更される[16]。なお以前は大阪版発行対象地域全域で1面の題字の発行所クレジットに小さく名古屋総局の住所を掲載していた。
東京本社
●東京都江東区︵東日印刷本社工場︶
●埼玉県川口市︵毎日新聞首都圏センター川口工場︶
●神奈川県川崎市川崎区︵東日印刷川崎工場︶
●神奈川県海老名市︵毎日新聞首都圏センター海老名工場︶
●群馬県高崎市︵毎日新聞北関東コア︶
●福島県福島市︵毎日新聞首都圏センター福島工場︶
●青森県青森市︵東日オフセット︶
北海道支局
●北海道北広島市︵毎日新聞北海道センター︶
西部総局
●福岡県北九州市小倉南区︵毎日新聞九州センター北九州工場︶
●佐賀県鳥栖市︵毎日新聞九州センター鳥栖工場︶
新報スポニチ
●沖縄県那覇市︵琉球新報印刷︶
大阪本社
●大阪府大阪市北区︵毎日新聞大阪センター︶
●大阪府堺市堺区︵高速オフセット堺工場︶
●大阪府摂津市︵高速オフセット摂津工場︶
●岡山県倉敷市︵山陽新聞印刷センター倉敷工場︶
名古屋オフィス
●愛知県名古屋市中区︵中日新聞社本社工場︶
題字
2002年頃︵大阪本社管轄地域は2004年の法人統合︶までは、明朝体で﹁ス﹂という文字を大きく表示したものを使用していた。モノクロ時代︵少なくとも1990年代前半まで︶はバックに縦ジマのスクリーントーンが貼り付けてあった。1990年代のカラー化後は1頁の紙面左端に縦1行、最終頁も左端の縦1行︵デザインは東京・西部本社と大阪本社とではやや異なり、﹁SN﹂マーク=当時は聖火をイメージしたものも、東京・西部には載せてあるも、大阪には掲載されていなかった。また大阪本社版では最終頁は縦1行題字は使わず、欄外の小題字の文字を朱色でアクセントさせている︶にしていた。
なお、2002年-2004年の法人統合までの大阪本社版では、その日の紙面構成により1頁目の題字のサイズが異なる形式︵横長、横正方形、縦正方形の3種︶が採用されていた。
それ以後は1頁右上に﹁スポニチ﹂、左上には青地・白抜きで﹁スポーツニッポン新聞社﹂とブロック体で書かれていたものを掲載。2011年からは亀甲型の﹁S﹂﹁N﹂のロゴを掲載し、その右に﹁スポーツニッポン﹂と表示されるようになった。
新報スポニチは基本的に東京本社︵旧西部本社を含む︶の題字レイアウトに準じたものを使用しているが、﹁新報スポニチ﹂の題名は1面のみに登場し、他面の欄外は他本社と同じ﹁スポーツニッポン﹂である。
紙面構成
●テレビ番組欄、公営競技面を除き、東京本社版と大阪本社版とに分かれる。
●西部版は、中央競馬は地域の関係で大阪本社版を、一般のスポーツ記事・芸能記事などは東京本社版をそれぞれ使用する。
●中央競馬面の馬柱は東京本社版は縦組み、大阪本社版はスポーツ新聞では唯一横組みとなっている。他紙は、東西で統一している。
●G1当日に1面になることが多いが、大阪本社発行版は2021年4月以降は東京本社と同一の馬柱レイアウトになった。
●﹃新報スポニチ﹄は、テレビ番組欄、公営競技面など他の都道府県で掲載される紙面内容の一部が省略されており、ページ数も少ない。
●テレビ番組欄もほぼ幅広く1ページを使って広範囲の情報を掲載している。
●東京本社版ではアダルト面はスタンド売り用紙面で、宅配用はテレビ欄になる。大阪本社、西部版と北海道総局版はテレビ欄とアダルト面がそれぞれある。
テレビ面の収録局
東京本社版
︵首都圏版︶
<右ページ>
フルサイズ
●NHK総合︵東京︶
●NHK Eテレ
●日本テレビ
●テレビ朝日
●TBSテレビ
●テレビ東京
●フジテレビ
ハーフサイズ
●NHK BS1
●NHK BSプレミアム
●NHK Eテレ デジタルサブチャンネル・ワンセグ2
<左ページ>
ハーフサイズ
●BS日テレ
●BS朝日
●BS-TBS
●BSテレ東
●BSフジ
●WOWOW プライム
●スターチャンネル1
●BS11
●BS12 トゥエルビ
●TOKYO MX、tvk、テレ玉、チバテレビ︵通常ハーフより若干狭い︶
クォーターサイズ
︵右端︶
●J SPORTS 1
●J SPORTS 2
●J SPORTS 3
●J SPORTS 4
●山梨放送、テレビ山梨、群馬テレビ、とちぎテレビ︵いずれも、東神埼千の各独立局の下︶
︵下段︶
●NHKラジオ第1︵東京︶
●TBSラジオ
●文化放送
●ニッポン放送
●RFラジオ日本
●日テレプラス
●BSスカパー!
︵宮城・福島版︶
フルサイズ
●NHK総合
●NHK Eテレ
●TBCテレビ
●仙台放送
●ミヤギテレビ
●東日本放送
●福島テレビ
●福島中央テレビ
●福島放送
●テレビユー福島
ハーフサイズ
●NHK BS1
●NHK BSプレミアム
●WOWOW プライム
●ふくしまFM、NHK-FM︵通常ハーフより若干狭い︶
クォーターサイズ
●WOWOW ライブ
●WOWOW シネマ
●日本テレビ
●テレビ朝日
●TBSテレビ
●テレビ東京
●フジテレビ
●BS日テレ
●BS朝日
●BS-TBS
●BSテレ東
●BSフジ
●日テレプラス
●BSスカパー!
●J SPORTS 1
●J SPORTS 2
●J SPORTS 3
●J SPORTS 4
●釣りビジョン
●BS11
●BS12 トゥエルビ
●ゴルフネットワーク
︵新潟・山形版︶
フルサイズ
●NHK総合
●NHK Eテレ
●新潟放送
●TeNY︵テニィ︶
●NST
●UX新潟テレビ21
●山形放送
●山形テレビ
●テレビユー山形
●さくらんぼテレビ
ハーフサイズ
●WOWOW プライム
●NHK BS1
●NHK BSプレミアム
ハーフサイズ︵通常ハーフより若干狭い︶
●NHK-FM
●FM PORT
●エフエム新潟
●エフエム山形
●エフエム秋田
クォーターサイズ
●BS日テレ
●BS朝日
●BS-TBS
●BSテレ東
●BSフジ
●WOWOW ライブ
●WOWOW シネマ
●日テレプラス
●BSスカパー!
●J SPORTS 1
●J SPORTS 2
●J SPORTS 3
●J SPORTS 4
●BS11
●BS12 トゥエルビ
●ゴルフネットワーク
︵北東北版︶
フルサイズ
●NHK総合
●青森放送
●青森テレビ
●青森朝日放送
●秋田放送
●秋田テレビ
●秋田朝日放送
●IBCテレビ
●テレビ岩手
●岩手めんこい
●岩手朝日テレビ
ハーフサイズ
●NHK BS1
●NHK BSプレミアム
●WOWOW プライム
●NHK Eテレ
ハーフサイズ︵通常ハーフより若干狭い︶
●北海道放送
●北海道テレビ
●札幌テレビ
●北海道文化放送
●エフエム岩手
●エフエム秋田
●エフエム山形
●NHK-FM
●エフエム北海道
●NORTH WAVE
●エフエム青森
クォーターサイズ
●BS日テレ
●BS朝日
●BS-TBS
●BSテレ東
●BSフジ
●WOWOW ライブ
●WOWOW シネマ
●デジタルEテレDE
︵静岡版︶
フルサイズ
●NHK総合︵静岡︶
●NHK Eテレ
●SBS
●テレビ静岡
●静岡朝日テレビ
●Daiichi-TV
クォーターサイズ
●NHK BS1
●NHK BSプレミアム
●2021年3月31日まではハーフサイズで掲載されていた。
●BS日テレ
●BS朝日
●BS-TBS
●BSテレ東
●BSフジ
●BS11
●BS12 トゥエルビ
●BSスカパー!
●ゴルフネットワーク
●2021年3月31日までは、NHK-FM︵静岡︶、K-mix、FM-FUJI、TOKYO FM、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京をそれぞれ掲載していたが、紙面刷新に伴い同日をもって掲載を打ち切った。
大阪本社版
︵近畿地方版︶
フルサイズ
●NHK総合︵大阪︶
●MBSテレビ
●ABCテレビ
●カンテレ
●読売テレビ
●テレビ大阪
ハーフサイズ
●サンテレビ、京都テレビ︵テレビ大阪の横︶
●NHK BS1
●NHK BSプレミアム
●WOWOW プライム
●GAORA SPORTS
クォーターサイズ
︵右端︶
●びわ湖放送
●奈良テレビ
●テレビ和歌山
︵下段︶
●WOWOW ライブ
●WOWOW シネマ
●BS日テレ
●BS朝日
●BS-TBS
●BSテレ東
●BSフジ
●NHKラジオ第1︵大阪︶
●MBS エムラジ
●ABCラジオ
●FM802
●BS11
●BS12 トゥエルビ
●J SPORTS 1
●J SPORTS 2
●J SPORTS 3
●J SPORTS 4
●スカイA
近畿版のテレビ欄の局名表記カットにはその局のマスコットキャラクターが表記されている[17]。
1987年9月までは元日号、オールスター、日本シリーズ、高校野球、近代オリンピックの開催時期にダブル1面を臨時に行うことがあったが、原則としてテレビ番組表は最終頁にあり、ラジオ番組はFM2局︵NHK-FMとFM大阪︶のみの収録だった。1987年10月にレギュラーでのダブル1面を開始するようになってからは、AMや新規に開局したFMを含め、関西圏のほとんどのラジオ局の番組を収録していたが、21世紀に入り、衛星放送の拡充などから、ラジオ局の収録局が大幅に削減されている。
︵東海版︶
フルサイズ
●NHK総合︵名古屋︶
●東海テレビ
●CBCテレビ
●メ~テレ
●中京テレビ
●テレビ愛知
●三重テレビ
●ぎふチャン
※三重テレビ、ぎふチャンは、東海地区発行スポーツ紙では、唯一フルサイズである。
- クォーターサイズ
- ※BS・CSは近畿地方版と同じ
- NHKラジオ第1(名古屋)
- NHK-FM
- NHK Eテレ
西部総局版
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<早版(9版)>
- フルサイズ
- NHK総合
- NHK Eテレ
- ハーフ・クォーターサイズ
それ以外(在福民放を含む九州各県)
<遅版(福岡県のみ)・早版(山口県・大分県のみ)>
- フルサイズ
- ハーフサイズ
それ以外(山口・大分の民放)
北海道総局版
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- NHK総合
- NHK Eテレ
- HBC
- STV
- HTB
- TVH
- UHB
- NHKラジオ第1
- NHKラジオ第2
- NHK-FM
- HBCラジオ
- STVラジオ
- AIR-G'
- NORTH WAVE
- 青森放送
- エフエム青森
- ラジオNIKKEI
東日本大震災関連
●東日本大震災で甚大な被害を受けた高田高等学校野球部の姿を通して、被災地の今を伝える連載企画﹃復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年﹄を2011年5月11日から連載を開始した。2012年3月までは毎月1回、3日連続で裏1面にて連載された。定期連載終了後も年数回、不定期にて掲載を続けている[18]。
●当該連載は定期連載時︵2011年5月~2012年3月︶には大阪本社版にも掲載されたが、東京本社版とは違い中面での掲載となっていたほか、関連記事の一部は割愛されていた。
●また、東日本大震災を決して忘れてはいけないという意味を込めて、2012年~2016年の毎年3月11日と12日の東京本社版と西部版の1面左端に震災復興をこれからも伝え続ける旨の内容が縦書きで記載されていた[19]。2020年3月12日には、東京本社版と西部版の1面右端に﹃3・11から9年――あの日の記憶を忘れないように﹄という4ページにわたるワイド特集の内容が記載された。
毎日新聞社との関係について
スポーツニッポンは、毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊した。毎日グループ企業として位置付けられるのはこのためであり、現在東京本社以外の拠点は全て毎日新聞の地域本社・支社・本部等に置かれている。
戦後の混乱期、用紙難からGHQは既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採った。既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。毎日新聞系としては﹁東京日日新聞﹂﹁サン写真新聞﹂︵東京︶、﹁東海毎日新聞﹂︵名古屋︶、﹁新大阪﹂﹁新関西﹂︵大阪︶、﹁新九州﹂︵門司︶といった新聞があった。
一方で、毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。これがスポニチである。スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく比較的独自の発展を遂げた。
ダミー子会社の発行する新聞は、その後用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義が無くなり、﹁東海毎日新聞﹂は廃刊︵毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収︶。﹁サン写真新聞﹂も休刊し﹁新大阪﹂は毎日から独立、残る3紙もスポニチに吸収される形になった。
- 「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復刊といった触れ込みだったが、毎日本紙夕刊と競合したため朝刊に転身したものの休刊。印刷工場(のちの東日印刷)にはスポニチ東京本社編集局が設けられた。
- 「新九州」(1946年(昭和21年)4月8日創刊、1950年(昭和25年)3月6日朝刊紙に転向)も、スポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。
スポニチ夕刊 (早版)
﹁新関西﹂は1946年︵昭和21年︶4月10日創刊の﹁日本投書新聞﹂が1949年︵昭和24年︶10月に毎日グループ入りした後に改題した物で、毎日本紙の夕刊発行とスポニチの伸長後はスポニチ大阪本社との経営統合で﹁スポニチ夕刊・新関西﹂と改題した。
﹁スポニチ夕刊・新関西﹂は1970年代後半まで存続したが、経営難から1979年11月1日付け︵10月31日夕方発行 [20]︶をもって休刊した。
●その後もスポニチ大阪本社は﹁スポニチ前夜速報版﹂や﹁スポニチ早刷り号﹂の名義で地方都市向けの早版である第6版をそのまま夕刊として発行していたが、輸送コストが高くかかることや近年のライフスタイルの変化などから2009年︵平成21年︶11月30日付︵11月29日発行︶で発行を休止した。
大阪市、京都市、神戸市とその周辺地域の駅売店を対象に、翌日付け第6版を、前日夕方に夕刊として発売していた。
レース面では、その日のレース結果付きで翌日の公営競技のレース予想[21]を掲載、﹁特捜班﹂の穴予想が人気を集めた。これにより、翌日に行われるレースを前夜に予想出来た。
早版を夕刊として発売していた関係で、ラテ欄は掲載日付のものだけを載せていた。
●関西地方ではスポニチ以外のスポーツ新聞も早版を夕刊として発行していたが、1990年代に全て廃止している。
●関東地方では、神戸新聞系のデイリースポーツが2009年︵平成21年︶11月30日付までは駅売店・コンビニ向けに﹁夕刊デイリースポーツ﹂名義で夕刊を発行していた。
主な評論家
野球
東京本社
●張本勲 (1982- )
●田淵幸一 (1985-1989, 1993-2001, 2004-2010, 2013- )
●有藤道世 (1990- )
●中畑清 (1990-1992, 1995-2011, 2016- )
●牛島和彦 (1994-2004, 2007- ) 大阪本社管轄の名古屋版にも登場している。
●東尾修 (2002- ) 1989-1994は日刊スポーツの専属評論家だった。
●槙原寛己 (2002- )
●森繁和 (2012-2013, 2020- )
●伊東勤 (2018,2022- ) 2009-2010はサンケイスポーツの専属評論家だった。
●中村武志 (2022- )
以下の評論家は広島東洋カープのOBであるため、大阪本社管轄の広島版にも登場することがある。
●大野豊 (2000-2009, 2013- )
●野村謙二郎 (2006-2009, 2015- )
●新井貴浩︵2019- ︶※デイリースポーツも兼任。
西部総局
大阪本社
- 鈴木啓示 (1986-1992, 1997- )
- 広澤克実 (2004-2006, 2009- )
- 亀山つとむ (2004- )
- 赤星憲広 (2010- )
- 金本知憲 (2013-2015, 2019- ) ※デイリースポーツも兼務。
- 関本賢太郎 (2016- )
競馬
競輪
ボート
- 中道善博(1999-)
- 津田富士男(2004-)
その他
●東京都江東区越中島にある東京本社社屋は、同じく毎日・スポニチHD傘下の印刷会社東日印刷との共同所有。同ビルには東日印刷に印刷を委託している東京スポーツ新聞社も本社を置いている。
●他のスポーツ紙と比較して紙が良質である。※東京本社発行版のみ
●毎日新聞社がプロ野球毎日オリオンズ︵現・千葉ロッテマリーンズ︶を保有していた頃は、スポニチの紙面上でもオリオンズ色が強かった。また競合の日刊スポーツがセ・リーグの広報役を期待されたのに対して、スポニチは毎日球団が属したパ・リーグの広報役を期待する向きがあった。このため、とりわけ大阪地区では販売に苦戦を強いられていたという。
「日刊スポーツ#プロ野球との関係」および「千葉ロッテマリーンズ#毎日時代」も参照
1969年︵昭和44年︶にオリオンズの経営権がロッテに渡ると、全国規模で地域密着の表看板を打ち出すようになり、紙を挙げて特定球団を応援するような方針を取らなくなった。2021年現在、東京本社は競合紙によるテコ入れの少ない埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズを比較的大きく取り上げ、大阪・広島・西部版はそれぞれの地元チームである阪神タイガース、広島東洋カープ、福岡ソフトバンクホークスを大きく扱っている。ただし、東海3県︵愛知県・岐阜県・三重県︶向けは中日ドラゴンズに関する情報が少ない。名古屋版は名古屋市中区の毎日新聞名古屋センター→中日新聞社本社工場で印刷されているが、公営競技・テレビ欄以外は大阪版とほぼ同じ内容の紙面で、名古屋で印刷されるスポーツ紙では唯一、阪神タイガースの情報が最も多く掲載されている。テレビ欄のみを﹁東海版﹂と定め、かつてはテレビ欄の欄外に名古屋総局︵現‥名古屋オフィス︶の住所・電話番号を表記していた。なお、三重県の伊賀・東紀州地方は近畿版︵京阪神︶の販売エリアである。
「スポーツ報知#2000年代後半以降の紙面構成」および「サンケイスポーツ#地域版」も参照
1989年から選手や監督・コーチのオフレコでの発言を取り上げた﹁隠しマイク﹂を連載中。2009年からは年間でもっとも面白い発言をした者に﹁隠しマイク大賞﹂としてトロフィーを贈呈している。
●毎日新聞との関係で社会人野球は都市対抗野球大会、日本選手権の全国大会はスペースを割いて記事を掲載。また主催の東京スポニチ大会も同様。他紙での扱いとは大きく異なる。
●東京本社版でも埼玉県と隣接都県の一部向けに限ってサッカーJ1浦和レッズを1面で大きく扱う場合がある。また広島県においては、カープ以外の地元チーム︵J1サンフレッチェ広島・高校野球など︶も1面で大きく扱う場合がある。
●Jリーグのスコア表記における韓国・朝鮮系選手の氏名表記が来日選手と在日選手とで異なっている。来日選手はフルネームが均等割り付けで、途中交代時および縮小版︵J2リーグ戦やJリーグカップグループリーグで使用︶ではフルネーム表記なのに対し、在日選手はフルネームが姓と名で分けられていて、途中交代時および縮小版では姓のみ表記。ちなみにサッカー北朝鮮代表における在日選手の表記法は、Jリーグにおける来日選手と同じ︵それ以外の選手はカタカナ表記︶。
●欄外の題字の字体は、東京・大阪・西部各版とも左右寄り︵1頁を除く奇数面は左寄り、偶数面は右寄り︶に﹁スポーツニッポン﹂として表記されている。
●2011年︵平成23年︶2月14日まで︵休刊日のため﹁臨時即売版﹂=駅・コンビニ売店用のみ。宅配は前日の2月13日まで︶の大阪本社版は中央に東京本社・西部版とは別の字体で︵といっても東京・西部とはさほど変わっていなかった︶﹁スポーツニッポン﹂と表記されていたほか、中央競馬面では﹁スポニチチャレンジKEIBA﹂、芸能・社会面は﹁スポニチエンタメ&NEWS﹂﹁スポニチエンタメWIDE﹂﹁スポニチNEWS﹂の表記に差し替えていた。同年2月15日付から大阪本社版も新聞制作システムの更新に伴い東京・西部版に準拠した欄外題字に変更された。なお中央競馬・公営競技頁は左右端︵左ページは右端、右ページは左端︶に白抜きで﹁SPONICHI RACE﹂の文字が入っている。
●1頁の題字︵左上︶も一時期﹁スポーツニッポン新聞社﹂と表記されていたが、2011年︵平成23年︶2月1日の紙面から﹁スポーツニッポン﹂に戻されている。
●2011年︵平成23年︶3月1日付から、﹁スポーツニッポン﹂の題字左端に新シンボル︵亀甲に白抜きで﹁SN﹂︶のマークが新たに加えられた。
●一部の記事︵一部一般スポーツ、芸能、社会など︶で欄外端︵奇数ページ=左端、偶数ページ=右端︶にその頁掲載記事についての関連の一口メモ的な1行記事が掲載されている場合がある。
●﹃週刊ゴング﹄で知られた出版社の日本スポーツ出版社および﹃サッカーダイジェスト﹄の日本スポーツ企画出版社ともに関係があるように誤解されやすいが、両社との資本・人材関係は一切持っていない。
●カナダのサイト﹃PressDisplay﹄にて紙面を閲覧することができる︵有料︶。ただし、一部の広告は掲載されない。
●大阪のMBSラジオでは、特別番組やプロ野球中継でスポーツニッポン新聞社がスポンサーに付くことが多い。提供スポンサー読みは﹁スポーツ紙のトップランナー・スポーツニッポン﹂と呼んでいる。ちなみに同局では、フリーアナウンサーの子守康範が毎日放送︵MBS︶のアナウンサー時代に収録したCM♪ウキウキワクワク!ス・ポ・ニチ!スポニチ!を、日曜日のナイター中継がない野球関連番組放送にて、退社後も長きにわたって放送している。
●2008年3月までお笑いコンビの﹁レム色﹂で活動していた渡辺剛太が、2009年4月に東京本社へ入社した。東京本社編集センター、福島支局への勤務を経て、2014年10月からスポーツ部の記者としてプロ野球を担当している。プロ野球の春季キャンプを初めて取材した2015年2月には、スポニチアネックスで﹁キャンプ 上から下から﹂という記事を連載。﹁元・回文芸人記者﹂という肩書で日本プロ野球全12球団の一軍キャンプ地を訪れるとともに、﹁レム色﹂時代の十八番でもあった回文とイラストでキャンプの模様を報告していた[22]。
●金本知憲が阪神タイガースの一軍監督を務めていた2016年以降の大阪本社発行版では、阪神関連の記事で1面を構成する場合に、現役の一軍監督が毛筆やサインペンで書いたチームスローガンを記事の題字に用いている。
物議となった報道
スポーツニッポンは、物議となった報道を度々起こしている。
●1994年︵平成6年︶4月21日のTMN︵TM NETWORK︶のデビュー10周年であったこの日限りでのプロジェクト終了を、朝刊での紙面発表5日前にいち早くスクープした。
●1996年︵平成8年︶10月から1997年︵平成9年︶3月にかけ、サンケイスポーツが発行している競馬専門紙﹃競馬エイト﹄に掲載されている調教コメントの大部分を、東京本社版の競馬面で剽窃していた[23]。
いつも記事が似通っていることに疑念を抱いていたサンスポ側はスポニチ側に調査を申し入れ、その結果、サンスポ側が各調教師に確認したところスポニチ側から取材を受けていないことが発覚、スポニチ側も記事の剽窃を認め全面謝罪した。紙面で謝罪文を掲載、謝罪文はサンスポでも取り上げられた。これにより、一部の役員が責任を取って辞職するという事態になった。当時、TBS系で放送されていた報道情報番組﹁ブロードキャスター﹂でスポニチ紙面を紹介するコーナーも打ち切りとなり、番組に出演していた当時同紙記者の大隅潔も降板した。
●阪神タイガース監督だった野村克也の監督最終年2001年︵平成13年︶、野村監督に対する批判記事の度が過ぎていると批判された。大阪本社による野村批判は年を追う毎に他紙と比較しても異常な出稿量となり、読者投稿欄や阪神の公式サイト掲示板の野村批判まで利用した。当時、かなり少数派だった野村批判の書き込みを﹁殺到﹂と表現し、過剰なまでの世論誘導を行った。当時、球団社長の野崎勝義が﹁事実に反する内容で遺憾である﹂と同年7月、球団よりスポニチへ取材禁止処置がとられるほどに発展したことから同年オフ、野村監督の辞任で沈静化した。野村の後任監督である星野仙一は、打撃チーフコーチに田淵幸一を招聘した理由の一つとして﹁タイガースが長年頭を痛めていたスポニチとの対立も、スポニチの専属評論家だった田淵の出現で雪解けのタイミングを迎えられる。マスコミとの無用な摩擦の解消。そういう希望も叶った﹂と著書で記している[24]。
野村に対するスポニチの批判記事は、1970年代の南海ホークス時代、鶴岡一人︵監督辞任後はスポニチ専属評論家︶との確執に端を発する問題で、南海監督時代の1977年︵昭和52年︶、豊中市の自宅マンションに泥棒が入ったことで当時愛人関係にあった野村沙知代との同棲が発覚し大スクープとなった。さらに同年9月、南海球団が野村監督の解任を決定したことをいち早くすっぱ抜いたという経緯もあった。
●2005年︵平成17年︶2月22日、朝刊一面で﹁進藤晶子、松嶋菜々子の実兄と結婚﹂と報じた。スポニチに追従して夕刊フジ等他のマスコミも一斉に取り上げた。しかし、報道直後に進藤の所属事務所から﹁進藤は松嶋の実兄に会った事もない﹂と否定文書が出され誤報が確定、スポニチはサイト上の記事を即座に削除し、訂正記事を掲載した。この話題に乗った他のマスコミも大慌てで記事の差し替えを余儀なくされた。ネタ元は﹁松嶋の実兄が進藤に似た女性と歩いていた所を目撃されたから﹂という説が有力だが真相は不明である。なお、進藤は翌年にプロゴルファーの深堀圭一郎と結婚し、松嶋の実兄と結婚したのはフリーアナウンサーの孫明日香だった︵のちに松嶋あすかと改名︶。
●2010年︵平成22年︶5月27日、サッカー日本代表のワールドカップ前による高地トレーニングについて、マラソントレーナーの小出義雄が﹁高地トレーニングの効果ゼロ﹂﹁これなら低地で全力で追い込んだ方が良かったのにね﹂と話したと報じた[25]。しかし一週間後、小出が関係者から﹁自身が日本代表の高地トレーニングを否定している﹂との虚偽報道を聞き、自身のホームページで﹁今回の日本代表の練習日程は丁度いいと思いますよ﹂と真っ向から反論。記事により、当時日本代表監督の岡田武史が気を悪くしていないか心配した[26]。
●2011年︵平成23年︶6月28日の紙面、6月29日のスポニチAnnexにて、イタリアのサッカーチーム・ユベントスが日本代表の本田圭佑獲得に乗り出し、クラブ間交渉が詰めの段階まで来ているとユベントス幹部が明らかにしたと報道した[27]。イタリア国内では一切報道は無かったため、イタリア各紙は﹁ユベントスが本田を獲得する﹂とスポニチを情報源として発表するとした[28][29][30]。スポニチは同紙を情報源としているイタリア各紙の報道について、イタリア各紙がユベントスが本田獲得と報道していると発表[31]。それに対し、本田[32][33]及び代理人や[34]、本田の所属するCSKAモスクワのババエフゼネラルマネージャー[35]と移籍先であると報道されたユベントスの[36]ジュゼッペ・マロッタゼネラルマネージャーも揃って移籍を否定した。さらにスポニチは、﹁ユベントス幹部が戦力として評価していることを明言した﹂[37]としていたが、マロッタゼネラルマネージャーは、﹁構想には入っていない。本田には興味がない﹂と明確に否定された[36]。関係者全てに否定されたにも関わらず、約1週間後に今夏の補強の目玉や獲得を目指すユベントスなどと続報をした[38]。
●2012年︵平成24年︶1月29日の紙面で、1週間前からイタリア紙などで報道されていた本田のセリエAのSSラツィオ移籍交渉についてスポニチは、ソースを明かさず条件面とクラブ間で合意したと報道している[39]。本田のユベントス移籍交渉の報道時と同じく、海外ではそのような報道が無かったため、スポニチをソースに海外紙が本田移籍と報道[40][41][42]。だが、ラツィオのターレ技術部長が29日のスカイ・スポーツのテレビインタビューにて﹁合意したという情報も流れているようだが、そのニュースに驚いている。交渉は続いているが、合意はしていない﹂と完全否定している[43]。同時にCSKA側は、本田のラツィオ入団が内定されたかのような報道に不快感を露わにした[44]。翌30日、本田がイタリア入りし会長と会食しクラブの将来を話し合ったと報道するも[45]、本田が交渉中にイタリア入りした事実はなかったことが判明[46]。イタリア入りも会食も完全なスポニチの先走り報道であった。結局、本田の移籍交渉は破談となったが、破談後のスポニチの記事は﹁﹁合意﹂と伝える一部報道もあったが、関係者によると一貫して両者の開きは大きなままだったという﹂[47]というものだった。
●2012年︵平成24年︶2月6日、ロンドンオリンピック男子サッカーの最終予選にて、2月22日のマレーシア戦に向けて京都サンガの久保裕也が秘密兵器として招集される可能性が出てきたと報道[48]。ところが、久保はアジア最終予選の予備登録に入っていないためか招集・メンバー登録し試合に出すことは不可能で、確認ミス報道であった。
●2012年3月10日、CSKAモスクワの本田が前半途中交代したことに対してレオニード・スルツキー監督と怒った様子で口論する場面があり、指揮官との意見の相違などで交代を命じられた可能性もあると報道[49]。しかし、実際には3月9日に現地の報道でスルツキー監督が﹁本田はゼニト戦での怪我の調子がよくないため交代させた﹂と話しており[50]、事実確認ミスであった。
●2019年︵平成31年︶1月27日 - ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ・嵐が、2020年12月末を以って無期限活動休止する旨を発表する記者会見で文化社会部の桑原淳記者が﹁︵嵐は︶無責任じゃないかという指摘もある﹂などと質問し、ファンやTV評論家などから批判された。一方、エコノミストの伊藤洋一がフジテレビ系の情報番組内で﹁僕はあの質問は必要だったという風に思っています。マスコミの人間だったら、あれは誰かが聞かなきゃいけない﹂等と擁護する発言を行った[51]。この質問について嵐のメンバーでもある櫻井翔が、曜日キャスターとして出演している日本テレビ系の報道番組で﹁自分の中で温度が少し上がったというのはあります。あのご質問をいただいたおかげで、結果としてきちんとわれわれの思いの丈が温度を乗せて伝えることができた﹂等と発言した[52]。
●2020年︵令和2年︶2月21日 - 同月18日、スポニチアネックス及びYahoo!ニュース等のポータルサイトにて、タレントの加藤紗里に関する記事を掲載した際に誤記があったとしておわび記事を掲載した。加藤が更新したインスタグラムの内容を記事化したものだが、﹁恋人﹂とすべきところを、誤って﹁元夫﹂として配信した[53]。
●2020年12月27日 - 2020年12月27日に新型コロナウイルス感染症︵COVID-19︶の感染で急逝した立憲民主党の羽田雄一郎参議院議員が死去当日、﹁政界関係者﹂の話として﹁東京都内で行われた会合に出席した﹂ものの、会場を後にして車に乗り込む際にその場に倒れて救急搬送されたと伝えた。東京スポーツも28日のウェブ記事にて﹁発熱4日で急死・羽田雄一郎元国交相 "ユルユル永田町"に衝撃走る﹂で、羽田議員は24日に発熱して新型コロナの感染が疑われていたものの、PCR検査日の27日に﹁会合に出席した﹂と報じた。記事の読者からは﹁風邪症状があって、PCR検査の予定もある日になんで会合なんかに参加してんの﹂﹁会合誰も止めなかったの?﹂などと、羽田議員の行動や党の対応を疑問視する声がツイッターで相次いだ。同党の福山哲郎幹事長が28日の記者会見で、﹁ネット上で流れている、会合に出て途中で倒れたという情報は事実ではない﹂とも明言し、事実上、前述のスポーツ紙の報道を否定した。スポニチの記事は29日までに削除され、J-CASTニュースの取材に﹁弊社が取材入手した内容が誤情報であったため削除しました﹂と誤りを認めた[54]。
●2021年︵令和3年︶10月17日 - 同日付紙面及びスポニチアネックスに﹁Jリーグが来季から事実上のホームタウン制度撤廃を検討していることが明らかになった﹂との記事を掲載[55]、この記事に対してJリーグは同日チェアマンの村井満名で、﹁一部報道機関において、Jリーグがホームタウン制度を撤廃するとの表現を用いた報道がありました。︵中略︶このホームタウン制度について撤廃・変更の事実は一切なく、今後、Jクラブの営業、プロモーション、イベント等のマーケティング活動における活動エリアに関する考え方の方向性について議論しているものです。Jリーグが創設当初から掲げている地域密着の思想が揺らぐものでは全くありません。﹂とする声明を出し記事を否定した[56]。
記者による問題行動
●2012年5月18日、38歳の女性記者が無免許運転で人身事故を起こし、自動車運転過失傷害と道交法違反︵無免許運転︶の現行犯で4月に逮捕されていた事が判明する[57]。
●日本国内で新型コロナウイルス︵COVID-19︶への感染が拡大している2021年には、COVID-19対策をめぐる不正な行為によって、記者が社内処分を受ける事例が相次いでいる。
●日本中央競馬会に所属する調教助手や厩務員などの厩舎関係者が、日本政府がCOVID-19対策の一環で創設した持続化給付金を不正に受給したとされる問題が2月に浮上。その際に、大阪本社編集局レース部に所属していた競馬担当の男性記者が、申請を指南していた大阪市の男性税理士を厩舎関係者に仲介していたことが判明している。スポーツニッポンでは、2月25日付紙面で上記の事実を認め﹁本来の業務と関係のない行為で記者としての倫理を逸脱した﹂として謝罪文を掲載した。当該記者は同日付でレース部から異動、4月28日付で出勤停止の懲戒処分を受けた。また、所属していた関西競馬記者クラブからの退会も公表された[58][59][60]。
●日本政府が新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を東京都内へ発出していた4月30日・5月7日に、大相撲力士の朝乃山︵当時は大関︶が日本相撲協会の申し合わせ︵COVID-19対策のガイドライン︶に反して都内の﹁接待を伴う飲食店﹂へ出入りしていたことを﹃週刊文春﹄が5月27日号︵同月19日発売︶で報道。同誌の記者が当該店舗の前で朝乃山への取材を試みようと待機していたところ、朝乃山を待ち受けていた東京本社勤務の相撲担当記者が﹁お前ら週刊誌︵の記者︶なんだろ?こっちは素人じゃねぇんだよ﹂などと威圧しながら取材を妨げた模様も伝えた[61]。東京本社では、当該記者からの事情聴取や社外の弁護士を交えた調査[62]を経て、6月11日に関係者の処分を発表。当該記者を東京本社付へ異動させたうえで諭旨解雇、直属の上司に当たる部長を減給に処した︵いずれも同月10日付︶。さらに、東京本社の役員︵代表取締役社長の河野俊史など3人︶が役員報酬の一部を返上することも発表している[63]。
●当該記者は中途採用で東京本社へ入社。相撲担当に配属されてからは、取材で知り合った現役力士︵朝乃山や貴景勝など︶を誘っては飲食や遊興を繰り返していたとされる[64]。朝乃山とは緊急事態宣言の発出中に﹁接待を伴う飲食店﹂を10回訪れていたが、﹃週刊文春﹄の編集部から東京本社宛てに質問状が届いた旨をスポーツ担当部長から聞いた[65]直後には、事実を隠蔽するための﹁口裏合わせ﹂を朝乃山に提案。朝乃山は日本相撲協会、当該記者は東京本社社内の事情聴取に対して、緊急事態宣言下での﹁不要な外出﹂自体を否定していた[66]。
●日本相撲協会では、緊急事態宣言発出中の5月9日からCOVID-19の感染拡大に対する防止策を徹底させながら本場所︵令和3年大相撲夏場所︶を両国国技館︵東京都墨田区︶で開催していた。朝乃山はこの場所に﹁東の正大関﹂として臨んでおり、週刊文春の報道が出る前日の10日目︵18日目︶に尾車コンプライアンス部長から聴取を受けたときは﹁事実無根です﹂と報道内容を否定していた。しかし、11日目︵19日︶の打ち出し後に日本相撲協会からの再度の事情聴取に対して、相撲担当記者と共に﹁接待を伴う飲食店﹂への出入りを繰り返していたことを認めた。1回目の聴取における虚偽報告や、当該記者との出入りの事実を示す証拠の隠滅︵私用のスマートフォンに残っていたLINE上のメッセージの削除など︶も認めたうえで、翌12日目︵20日︶から本場所を休場した[66][67]。さらに、場所後の5月21日付で、日本相撲協会へ引退届を提出している。
●これに対して、相撲協会は引退届を預かったうえで、6月11日開催の臨時理事会で朝乃山への懲戒処分を決定。直近︵7月︶場所から6場所連続出場停止と、6ヶ月間の報酬半減︵50%減額︶に処した。﹁朝乃山にはもう一度チャンスを与える﹂との姿勢を示しながら、協会への虚偽報告を重く見た末の決定で、朝乃山の行為で協会に再び迷惑が掛かった場合には引退届を正式に受理する方針も打ち出している[68]。東京本社による一連の処分は、朝乃山への懲戒処分を受けての措置で、︵関連会社からの発行分を含む︶6月12日付の紙面では、上記の処分、経緯、今後の対策に関する説明に1ページを割いた。
●日刊スポーツのデスクでもある佐々木一郎は、当該記者の問題点について﹁食事をしたりキャバクラに行ったこと自体ではないんですよ。平時では問題ない。でも、まず時期がよくなかったことと、口裏合わせを主導していたこと。それが大きな問題です﹂と指摘している。佐々木も力士や親方と食事をすることはあるが、︵2021年7月時点で︶最後に食事をしたのは2020年2月。コロナ禍以前から、誘うときは相手に迷惑をかけないよう気を使っている。﹁私服で外出している﹂などと通報されたり写真を撮られたりしないよう、力士を誘うときは﹁必ずゆかたか着物で来てくれ﹂と念押ししているという[69]。プロスポーツ選手や五輪を狙うレベルのアマチュア選手は所属しているスポーツマネジメント事務所が取材の窓口となって選手を守っているため、携帯番号を聞くのも難しい現状があるが、事務所に所属している力士は少ないため、雑談しながら﹁今度一杯行こうよ~﹂と言えてしまうとも話している[70]。
スポニチジュニア
大阪本社では、2010年︵平成22年︶2月から﹁子供でも読めるスポーツ紙﹂をキャッチコピーに﹃スポニチジュニア﹄を創刊した。日本のプロ野球や大リーグ、サッカー、ゴルフなどのスポーツを小学生にも理解するためのもので、不定期で発行。本物のスポーツニッポンと同じ内容の見出しで、ブランケット判8ページで発行。フリーペーパー扱いで京阪神と首都圏のマクドナルドに設置されている。地域外へも1部単位での通信販売がされている。
脚注
(一)^ 会社が統合される前にも旧題字を全国統一で使用していたが、2002年︵平成14年︶頃から大阪本社以外のエリアで現在使用している新題字を使うようになった。
(二)^ 毎日新聞の友好紙。
(三)^ おかげさまでスポニチ20000号、スポニチアネックス。︵2004年11月保存︶︵インターネットアーカイブのキャッシュ︶
(四)^ 組織再編後もこれは変わらず。
(五)^ このビル名にちなみ、同所でのイベント開催の模様が﹁スポニチPlaza鰻谷通信﹂として時折掲載されている。
(六)^ “スポプリ スポニチプリント販売開始”. newscast.jp. 2021年7月18日閲覧。
(七)^ “﹁スポプリ﹂に見せる号外&2軍情報登場”. newscast.jp. 2021年7月18日閲覧。
(八)^ “爆笑問題 スポニチ本紙特別編集長就任、本社訪れ訓示﹁会長のバッハ﹂﹁この会社乗っ取ります﹂”. スポニチアネックス. 2021年12月18日閲覧。
(九)^ 旧・大阪本社が発行したものについては、1999年3月に改訂版が発行されている
(十)^ ab株式会社スポーツニッポン新聞社 第61期決算公告
(11)^ 西部版の1面と裏1面の内容が基本的に東京本社版と同一であるため︵一部例外あり︶。一方、大阪本社版は1面に阪神タイガース関連の記事を載せることが多く、紙面構成上での独自性が強い。
(12)^ 発行元表記は単に﹁西部﹂。
(13)^ 旧西部本社は2009年︵平成21年︶6月まで、毎日西部会館︵北九州市小倉北区紺屋町13-1︶にあった。その後組織上は福岡総局を吸収しつつ場所をここに移転。だが本社としては約1年と短命であった。
(14)^ 発行・販売委託
(15)^ 元は名古屋市中村区名駅4丁目の毎日新聞中部本社︵毎日名古屋会館︶内にあったが、2003年︵平成15年︶から2007年︵平成19年︶まで毎日新聞中部本社等再開発工事により、同じ中村区名駅の三井ビル北館に暫定移転、後に旧毎日新聞中部本社跡地に建設されたミッドランドスクエアに事務所を置いていた。
(16)^ 弊社工場操業停止の社員説明会を行いました。︵2020年4月1日・毎日新聞中四国印刷︶・毎日、四国新聞に印刷委託 スポニチは山陽に―中四国6県︵2020年3月18日・時事通信社︶
(17)^ NHK総合 - どーもくん、NHK Eテレ - ななみちゃん、MBS - らいよんチャン、ABC - エビシー、カンテレ - ハチエモン、読売 - シノビー、大阪 - たこるくん、サン - おっ!サン
(18)^ 高田高 奥村部長あらためて自らに問う 教師として被災した意味 - 復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年︵2016年3月10日︶
(19)^ 3月11日は﹃東日本大震災から○年 スポニチは復興の﹁今﹂と﹁これから﹂を伝え続けます﹄。3月12日は﹃震災から○年 スポニチは復興への歩みを伝え続けます﹄。︵いずれも○には震災発生からの年数︶
(20)^ 外部リンク写真の1頁の記事が1979年日本シリーズ第4戦、広島が近鉄に勝利した試合の記事が掲載されていることでわかる︶新関西最終号の1面︵右は1991年に廃刊した関西新聞の最終号。新関西との関係はない︶
(21)^ 主要全国発売レースと近畿圏の全てのレースに対応
(22)^ ﹁元・回文芸人記者﹂が見るキャンプ、ソフトバンク編﹁うそ!?工藤独走!?﹂ ︵スポニチアネックス2015年2月2日付記事︶
(23)^ ﹃新版競馬歴史新聞﹄ p236 ﹁スポニチがエイトの記事を無断転用﹂︵競馬歴史新聞編集委員会編、日本文芸社、2004年、ISBN 4-537-25205-7︶
(24)^ 星野仙一著、夢 命を懸けたV達成への647日、2003年、角川書店、P175-P176
(25)^ 岡田ジャパンの高地トレーニングは無意味!?サポティスタ2010年5月28日
(26)^ 小出監督﹁今回の日本代表の練習日程は丁度いい﹂ サポティスタ 2010年6月9日
(27)^ ユーベ幹部“全力獲り”明言﹁近日中に発表も﹂スポニチAnnex 2011年6月29日
(28)^ La Juve vuole Honda e tratta con il Cska Corriere dello sport.it 6月28日
(29)^ Dal Giappone sicuri: «La Juve vuole Honda» Tuttosport6月28日
(30)^ Juve, Aguero si avvicina L'idea nuova è Honda La Gazzetta dello Sport 6月28日
(31)^ “ユベントス本田”地元イタリア各紙も一斉報道 スポニチAnnex 2011年6月30日
(32)^ 本田がユーベ移籍報道を否定﹁誰が?﹂ nikkansports.com 2011年6月29日
(33)^ 本田﹁トンネルを抜けた﹂移籍情報には苦笑い サンスポ 2011年6月29日
(34)^ 本田の代理人がユヴェントスやアーセナル移籍を否定﹁オファーはない﹂ 本田の代理人がユヴェントスやアーセナル移籍を否定﹁オファーはない﹂ SOCCER KING 2011年6月29日
(35)^ 本田にユーベ接触﹁ない﹂GM断言! サンスポ.com 2011年7月1日
(36)^ abユーベGMが断言﹁本田には興味がない﹂ スポーツ報知 2011年7月2日
(37)^ 名門幹部がベタボレ﹁本田はまさにユベントスに値する選手﹂ スポニチAnnex 2011年6月29日
(38)^ CSKAモスクワ 本田移籍でユベントスに破格の要求!スポニチAnnex2011年7月7日
(39)^ 本田 背番号は﹁10﹂ 14億円で完全移籍 スポニチannex 2012年1月29日
(40)^ Per i giapponesi ormai è fatta: "Honda è della Lazio!"...Tare: "Stiamo trattando con i russi...Il QPR ci ha chiesto Cisse" lalaziosiamonoi 2012年1月29日
(41)^ В Японии уверены: Хонда перейдет в﹃Лацио﹄Спорт-Экспрес 2012年1月29日
(42)^ Stampa giapponese: Honda è della Lazio calciomercato.com 2012年1月29日
(43)^ ラツィオ側﹁本田合意まだ﹂日刊スポーツ 2012年1月29日
(44)^ 本田、ラツィオ移籍破談も スポーツ報知1月30日
(45)^ ラツィオ指揮官 本田を歓迎﹁国際レベルの選手﹂ スポニチAnnex 2012年1月30日
(46)^ 日刊スポーツ 2012年2月1日
(47)^ 本田移籍破談の背景に…安売り拒むCSKAと欧州クラブの懐具合 スポニチAnnex 2012年2月1日
(48)^ U23に秘密兵器 次戦マレーシア戦で京都・久保招集へ スポニチAnnex 2012年2月6日
(49)^ 本田 2戦連続アシストも途中交代…無言で立ち去る スポニチアネックス 2012年3月10日
(50)^ Слуцкий: Хонда не смог оправиться от повреждения, полученного в игре с﹃Зенитом﹄Чемпионат.com 2012年3月9日
(51)^ 嵐会見﹁無責任﹂質問を﹁グッディ!﹂で激論…三田友梨佳アナ﹁とっても失礼﹂伊藤洋一氏﹁あの質問は必要﹂スポーツ報知 2019年1月28日配信・1月29日閲覧
(52)^ 櫻井翔、﹁無責任﹂質問で﹁思いの丈が温度を乗せて伝えることができた﹂SANSPO.COM 2018年1月28日配信・1月29日閲覧
(53)^ 加藤紗里さんに関する記事についてのおわびスポニチアネックス 2020年2月21日配信・閲覧
(54)^ コロナ感染で死去の羽田雄一郎氏﹁当日に会合﹂の真偽 スポニチ﹁誤情報であったため削除﹂Jcastニュース、2020年12月29日
(55)^ Jリーグ 来季ホームタウン制撤廃へ 創設時の理念﹁地域密着﹂から新様式に 今月中にも正式決定スポニチアネックス 2021年10月17日配信・閲覧。
(56)^ Jリーグが声明﹁ホームタウン制度について撤廃の事実ない﹂一部報道を否定日刊スポーツ 2021年10月17日配信・閲覧。
(57)^ スポニチの女性記者が無免許で73歳女性はねる4月に逮捕、すでに釈放 MSN産経 2012年5月18日[リンク切れ]によると、平成15年に違反点数の累積で免許を取り消されており、9年以上無免許のまま車を運転していたとのこと。
(58)^ 給付金不正受給問題、スポニチ記者が仲介役 関係者に送ったLINE画面も発覚 - デイリースポーツ online 2021年2月26日
(59)^ スポニチ記者、申請に関与 競馬調教助手ら不正受給問題 - 時事ドットコム 2021年2月25日
(60)^ スポニチ、記者を出勤停止 JRA騎手らの不適切受給関与 - 日本経済新聞 2021年4月29日
(61)^ ﹁週刊文春﹂編集部 (2021年5月19日). “大関・朝乃山 緊急事態宣言中に神楽坂キャバクラ通い”. 文春オンライン. 2021年6月5日閲覧。
(62)^ “週刊文春報道について”. Sponichi Annex (2021年5月27日). 2021年6月5日閲覧。
(63)^ "本紙元記者を諭旨解雇 力士との深夜会食で" (Press release). 株式会社スポーツニッポン新聞社. 11 June 2021. 2021年6月11日閲覧。
(64)^ “朝乃山と共にキャバ 相撲記者は力士顔負けごっつあん気質 |日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2021年5月28日). 2021年6月5日閲覧。
(65)^ 前述の﹁本紙元記者を諭旨解雇~﹂中﹁外部弁護士による内部調査・5月18日の状況﹂参照。
(66)^ ab“朝乃山がコロナ対策違反で休場へ 外出禁止期間に接待伴う飲食店訪問 協会は処分検討”. Sponichi Annex (2021年5月20日). 2021年6月5日閲覧。
(67)^ “キャバクラ通い疑惑の朝乃山﹁日馬富士が激怒した高校からの悪癖﹂”. FRIDAYデジタル (2021年5月21日). 2021年6月5日閲覧。
(68)^ “朝乃山6場所出場停止 新型コロナ対策ガイドライン違反”. Sponichi Annex (2021年6月11日). 2021年6月12日閲覧。
(69)^ “大関・朝乃山と番記者が一緒に“深夜外出した”問題…他紙デスクに聞く﹁番記者の関係は近すぎたのか?﹂︵佐藤祥子︶”. Number Web - ナンバー(2021年7月10日). 2021年8月26日閲覧。
(70)^ “大関・朝乃山と番記者が一緒に“深夜外出した”問題…他紙デスクに聞く﹁番記者の関係は近すぎたのか?﹂︵佐藤祥子︶ 4/4”. Number Web - ナンバー(2021年7月10日). 2021年8月30日閲覧。
関連項目
●スポニチクリエイツ - かつてのスポニチテレビニュース社で、スポーツニッポン新聞社の子会社であった。
●王将戦
●全日本軟式野球連盟︵天皇賜杯全日本軟式野球大会、高円宮杯全日本学童軟式野球大会などを主催︶
●JABA東京スポニチ大会︵主催する社会人野球の大会︶
●ジャパンオープンボウリング選手権︵1977年︵昭和52年︶から2010年︵平成22年︶まで主催︶
●スポーツニッポン賞京都金杯
●スポーツニッポン賞ステイヤーズステークス
●TBSホールディングス
●TBSテレビ
●阿久悠︵スポニチ客員。1979年︵昭和54年︶から2006年︵平成18年︶まで全国高等学校野球選手権大会の開催期間中、エッセイ﹁甲子園の詩﹂を連載︶
●有本義明︵スポニチ記者を歴任したスポーツライター・野球評論家︶
●コジロー︵漫画﹃いも虫ランド﹄を連載中︶
●比嘉愛未︵2008年、創刊60周年のイメージキャラクターを務めた︶
●今田耕司︵2009年度のイメージキャラクター。﹁スポニチ特別編集局長﹂の肩書でスポニチ紙上にコラムを執筆︶
●栗山英樹︵野球面に週1回コラム﹃熱中先生﹄を連載。2011年1月20日付紙面で連載700回を迎えた︶
●情報ライブ ミヤネ屋︵読売テレビ制作・日本テレビ系列︶-火曜日に東京本社文化社会部の川田一美津編集委員、小池聡デスク、阿部公輔デスクが交代でレギュラー出演。
●今日感テレビ︵RKB毎日放送︶- 水曜日の芸能コーナーに東京本社の宮嶋極文化社会部長がコメンテーターとしてレギュラー出演。
●せやねん!︵毎日放送︶- 土曜日午前から午後にかけて放送されている生情報番組。本紙がスポーツ・芸能関係の取材で独自に得た情報を提供するほか、本紙大阪本社編集局の管理職が代々レギュラーで出演。
●ミス日本 - ミス日本コンテストを初めとする各種プロモーション活動を和田研究所と共に主催。スポニチウェブサイト内に同コンテストの公式サイトを開設するほか、紙面でもそのプロモーションの模様を掲載。
●レム色 - 東京本社記者の渡辺剛太がかつて活動していたお笑いコンビで、渡辺は2008年3月の解散を機に入社した。
●石田敦子 (漫画家) - ﹃ヤングキングアワーズ﹄︵少年画報社︶にてスポーツニッポンを舞台にした漫画作品﹃野球プラス+!﹄を連載中。
●AKB48グループ新聞 - 2019年1・2月合併号からスポーツニッポン新聞社が発行している。
外部リンク
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ウィキニュースに関連記事があります。ステイヤーズステークスの2015年第49回はアルバートが勝利【2015年12月9日】
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