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「辻政信」の版間の差分

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[[ノモンハン事件]]、[[太平洋戦争]]中の[[マレー作戦]]、[[ポートモレスビー作戦]]、[[ガダルカナル島の戦い]]などを[[参謀]]として指導した。

[[ノモンハン事件]]、[[太平洋戦争]]中の[[マレー作戦]]、[[ポートモレスビー作戦]]、[[ガダルカナル島の戦い]]などを[[参謀]]として指導した。

[[作戦|軍事作戦]]指導では「作戦の神様」「軍の神様」と讃えられた<ref name="高松宮四206">[[#高松宮四|高松宮日記4巻]]、206-207頁(1942年4月6日記事)</ref>。

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敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、ベストセラーとなった。政治家に転身し[[衆議院|衆議院議員]](4期)、[[参議院|参議院議員]](1期)を歴任した。参議院議員在任中の[[1961年]](昭和36年)4月に視察先の[[ラオス]]の[[ジャール平原]]で行方不明となり、[[1968年]](昭和43年)[[7月20日]]に死亡宣告がなされた。


[[|]]4[[|]]1[[1961]]364[[]][[]][[1968]]43[[720]]


== 生涯 ==

== 生涯 ==

=== 幼年学校、士官学校と陸軍大学校 ===

=== 幼年学校、士官学校と陸軍大学校 ===


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[[ハイラル区|ハイラル]]に駐屯する[[第23師団 (日本軍)|第23師団]]は要綱に従って直ちに部隊を増派し、衝突は拡大した。外蒙古を実質植民地としていた[[ソビエト連邦]]でも[[ゲオルギー・ジューコフ]]中将が第57軍団長に任命され、紛争箇所に派遣された。関東軍司令部では紛争の拡大を決定し、外蒙古のタムスク航空基地の空爆を計画した。これを察知した東京の参謀本部は[[電報]]で中止を指令したが、辻はカンジュル廟とハロンアルシャン付近を相手空軍が越境爆撃している以上、外蒙古のタムスク航空基地爆撃を行うことは認められるとしてこの電報を握りつぶし、作戦続行を知らせる返電を行っている。この電報の決裁書では、課長、参謀長および軍司令官の欄に辻の印が押され、代理とサインされていた。参謀長および軍司令官には代理の規定が存在せず、辻の行動は明らかに[[陸軍刑法]]第37条の擅権の罪<ref>第三十七条 司令官権外ノ事ニ於テ已ムコトヲ得サル理由ナクシテ擅ニ軍隊ヲ進退シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮ニ処ス</ref> に該当する重罪であった。紛争はジューコフによる攻勢によってソ連軍優位に進み、8月31日に日本軍は係争地域から撤退、9月16日に日ソ間で停戦協定が成立した。

[[ハイラル区|ハイラル]]に駐屯する[[第23師団 (日本軍)|第23師団]]は要綱に従って直ちに部隊を増派し、衝突は拡大した。外蒙古を実質植民地としていた[[ソビエト連邦]]でも[[ゲオルギー・ジューコフ]]中将が第57軍団長に任命され、紛争箇所に派遣された。関東軍司令部では紛争の拡大を決定し、外蒙古のタムスク航空基地の空爆を計画した。これを察知した東京の参謀本部は[[電報]]で中止を指令したが、辻はカンジュル廟とハロンアルシャン付近を相手空軍が越境爆撃している以上、外蒙古のタムスク航空基地爆撃を行うことは認められるとしてこの電報を握りつぶし、作戦続行を知らせる返電を行っている。この電報の決裁書では、課長、参謀長および軍司令官の欄に辻の印が押され、代理とサインされていた。参謀長および軍司令官には代理の規定が存在せず、辻の行動は明らかに[[陸軍刑法]]第37条の擅権の罪<ref>第三十七条 司令官権外ノ事ニ於テ已ムコトヲ得サル理由ナクシテ擅ニ軍隊ヲ進退シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ禁錮ニ処ス</ref> に該当する重罪であった。紛争はジューコフによる攻勢によってソ連軍優位に進み、8月31日に日本軍は係争地域から撤退、9月16日に日ソ間で停戦協定が成立した。




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ノモンハン事件では第23師団捜索隊長[[井置栄一]]中佐や歩兵第七十二連隊長[[酒井美喜雄]]大佐など、辻によって自殺を強要された将校がいた<ref>{{Cite journal |和書 |author = [[村上兵衛]] |title = 地獄からの使者辻政信 |date = 1956-05 |publisher = [[中央公論新社]] |journal = [[中央公論]] |ref = harv}}{{要ページ番号|date=2015年9月}}</ref>。

ノモンハン事件では第23師団捜索隊長[[井置栄一]]中佐や歩兵第七十二連隊長[[酒井美喜雄]]大佐など、辻によって自殺を強要された将校がいた<ref>{{Cite journal |和書 |author = [[村上兵衛]] |title = 地獄からの使者辻政信 |date = 1956-05 |publisher = [[中央公論新社]] |journal = [[中央公論]] |ref = harv}}{{要ページ番号|date=2015年9月}}</ref>。


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[[大谷敬二郎]]も、捕虜から帰還した将兵に辻が自殺を強要していたとの噂があったと述べている<ref>{{Cite journal |和書 |author = [[大谷敬二郎]] |title = 捕虜 |date = 1978年 |publisher = [[図書出版社]] |journal = |ref = harv}}{{要ページ番号|date=2015年9月}}</ref>。

[[大谷敬二郎]]も、捕虜から帰還した将兵に辻が自殺を強要していたとの噂があったと述べている<ref>{{Cite journal |和書 |author = [[大谷敬二郎]] |title = 捕虜 |date = 1978年 |publisher = [[図書出版社]] |journal = |ref = harv}}{{要ページ番号|date=2015年9月}}</ref>。



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=== マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件 ===

=== マレー作戦とシンガポール華僑粛清事件 ===


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[[]][[]]5<ref>{{Cite book||title= |date=1977-10-10|publisher=|page=273-274|author= }}</ref>[[25 ()|25]][[]]'''使'''<ref>{{Cite web|author=|date=2021-12-08|url=https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20211206-OYT8T50052/|title=80|publisher=[[]]|accessdate=2023-08-21}}</ref> 



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しかし、このマレー戦の成功により、辻は作戦の神様のように当時讃えられることになる。




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[[1949年]](昭和24年)には[[渡辺渡 (陸軍軍人)|渡辺渡]]や[[児玉誉士夫]]のもとに身を寄せている。

[[1949年]](昭和24年)には[[渡辺渡 (陸軍軍人)|渡辺渡]]や[[児玉誉士夫]]のもとに身を寄せている。




[[1949]]24[[1950]]251西[[]]




[[1949]]24[[1950]]251西


その後[[1950年]](昭和25年)6月に台湾経由で[[インドシナ半島]]に渡り中国国民党のための工作を行ったが、工作は一度きりで断った<ref name="arima"/>。

その後[[1950年]](昭和25年)6月に台湾経由で[[インドシナ半島]]に渡り中国国民党のための工作を行ったが、工作は一度きりで断った<ref name="arima"/>。



=== 文筆家として ===

=== 文筆家として ===

1950年(昭和25年)に辻は戦犯指定から逃れ、再び世に姿を現すことになった。逃走潜伏中の記録『潜行三千里』を発表して同年度のベストセラーとなる。同時に『十五対一』もベストテン入りしている。


1950251姿[[]]<ref>{{Cite book | |author= |title=  201945-202008|publisher= |year=2003-11-07 |page=36 |isbn=9784309225043}}</ref>


旧軍人グループとの繋がりで反共陣営に参画。著書を次々出版しベストセラー作家としての知名度を確立した。

旧軍人グループとの繋がりで反共陣営に参画。著書を次々出版しベストセラー作家としての知名度を確立した。

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=== 政治家として ===

=== 政治家として ===


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[[1952]]27[[1 ()|1]][[]][[ ( 1950-1955)|]][[ ()|]][[|]][[|]]<ref>[[]]153201971</ref>[[]]<ref>[[]] 

踏まえつつ」『国際日本学』第19号、2022年、68頁</ref>。



[[石橋内閣]]時代に外遊をし、エジプトの[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]、ユーゴスラビアの[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]、中国の[[周恩来]]、インドの[[ジャワハルラール・ネルー]]と会談している。

[[石橋内閣]]時代に外遊をし、エジプトの[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]、ユーゴスラビアの[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]、中国の[[周恩来]]、インドの[[ジャワハルラール・ネルー]]と会談している。

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[[1961年]](昭和36年)、辻は参議院に対して[[東南アジア]]の視察を目的として40日間の休暇を申請し、4月4日に公用[[旅券]]で日本を出発した<ref name="ラオスの霧18">[[#ラオスの霧]]18頁</ref>。辻は[[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]で[[ホー・チ・ミン]]に会うことを望んでいた<ref>[[#ラオスの霧]]37、49頁</ref><ref name="hayase">{{Cite journal |和書 |last= |first= |author=[[早瀬利之]] |title= ラオスに消えた「辻政信」は「池田勇人首相」の"密使"だった | date=2021年5月20日| publisher=[[新潮社]] | journal=[[週刊新潮]] | page=122-126 }}</ref>。予定では1カ月程度の日程であったが5月半ばになっても帰国しないため、家族の依頼により[[外務省]]は現地公館に対して調査を指令している。辻はラオス入りを支援した旧日本軍兵士・現地軍将校によって4月21日に目撃されたのを最後に消息を絶った<ref>[[#ラオスの霧]]28-34頁</ref>。その後の調査によって、仏教の僧侶に扮してラオス北部の[[ジャール平原]]へ単身向かったことが判明している<ref name="ラオスの霧18"/>。

[[1961年]](昭和36年)、辻は参議院に対して[[東南アジア]]の視察を目的として40日間の休暇を申請し、4月4日に公用[[旅券]]で日本を出発した<ref name="ラオスの霧18">[[#ラオスの霧]]18頁</ref>。辻は[[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]で[[ホー・チ・ミン]]に会うことを望んでいた<ref>[[#ラオスの霧]]37、49頁</ref><ref name="hayase">{{Cite journal |和書 |last= |first= |author=[[早瀬利之]] |title= ラオスに消えた「辻政信」は「池田勇人首相」の"密使"だった | date=2021年5月20日| publisher=[[新潮社]] | journal=[[週刊新潮]] | page=122-126 }}</ref>。予定では1カ月程度の日程であったが5月半ばになっても帰国しないため、家族の依頼により[[外務省]]は現地公館に対して調査を指令している。辻はラオス入りを支援した旧日本軍兵士・現地軍将校によって4月21日に目撃されたのを最後に消息を絶った<ref>[[#ラオスの霧]]28-34頁</ref>。その後の調査によって、仏教の僧侶に扮してラオス北部の[[ジャール平原]]へ単身向かったことが判明している<ref name="ラオスの霧18"/>。




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辻がラオスで消息を絶ってから9年後の1970年(昭和45年)4月13日付の『[[朝日新聞]]』で辻の消息に関する記事が掲載された<ref>[[#ラオスの霧]]102頁</ref>。従軍カメラマンの楊光宇<ref group="注釈">天文学者の[[楊光宇]]とは別人。</ref> による証言によると、1961年4月に辻は[[パテート・ラーオ|パテト・ラオ]]に捕らえられ、「中国語なら少しわかる」という辻の申し出により、中立派軍からカンカイの司令部にいた従軍カメラマン楊が通訳にかり出された<ref>[[#ラオスの霧]]103頁</ref>。

辻がラオスで消息を絶ってから9年後の1970年(昭和45年)4月13日付の『[[朝日新聞]]』で辻の消息に関する記事が掲載された<ref>[[#ラオスの霧]]102頁</ref>。従軍カメラマンの楊光宇<ref group="注釈">天文学者の[[楊光宇]]とは別人。</ref> による証言によると、1961年4月に辻は[[パテート・ラーオ|パテト・ラオ]]に捕らえられ、「中国語なら少しわかる」という辻の申し出により、中立派軍からカンカイの司令部にいた従軍カメラマン楊が通訳にかり出された<ref>[[#ラオスの霧]]103頁</ref>。

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== CIA極秘文書 ==

== CIA極秘文書 ==

[[2005年]]に機密解除・公開された、アメリカ[[中央情報局]](CIA)の文書には『[[服部卓四郎]]ファイル』や『辻政信ファイル』が存在する。[[有馬哲夫]]はファイル解析の結果、辻の『潜行三千里』の記述は「おおむね事実」であるという。辻の大陸での行動は中国国民党からの報告がCIA文書となって残っているので、辻の活動はその文書から確認できるという<ref>{{Harvnb|有馬|2010|loc=&sect;第六章 第三次世界大戦アメリカ必敗論を説いた男――辻政信ファイル}}</ref>。

[[2005年]]に機密解除・公開された、アメリカ[[中央情報局]](CIA)の文書には『[[服部卓四郎]]ファイル』や『辻政信ファイル』が存在する。[[有馬哲夫]]はファイル解析の結果、辻の『潜行三千里』の記述は「おおむね事実」であるという。辻の大陸での行動は中国国民党からの報告がCIA文書となって残っているので、辻の活動はその文書から確認できるという<ref>{{Harvnb|有馬|2010|loc=§第六章 第三次世界大戦アメリカ必敗論を説いた男――辻政信ファイル}}</ref>。




[[|]]20052006CIACIA[[|]]<ref>[http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-name-files.html CIA Records - Name Files]</ref>[[]][[1954]]

[[|]]20052006CIACIA[[|]]<ref>[http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-name-files.html CIA Records - Name Files]</ref>[[]][[1954]]
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[[]][[]]2<ref>{{|date=20159}}</ref><ref>{{Cite book | |last= |first= |author=|authorlink=|coauthors= |year=2007|title= |publisher=[[]] |pages={{|date=20159}} |id= |isbn= 4166606107}}</ref>1510<ref name="maeda">{{Cite book | |author=|authorlink=|year=2021|title=  60 |publisher= [[]] |page=14 |id= |isbn=9784098254019 |quote= }}</ref>


[[]][[]]2<ref>{{|date=20159}}</ref><ref>{{Cite book | |last= |first= |author=|authorlink=|coauthors= |year=2007|title= |publisher=[[]] |pages={{|date=20159}} |id= |isbn= 4166606107}}</ref>1510<ref name="maeda">{{Cite book | |author=|authorlink=|year=2021|title=  60 |publisher= [[]] |page=14 |id= |isbn=9784098254019 |quote= }}</ref>


その一方で、辻と接した軍人たち、辻の出身地の人々などには、辻の軍事功績や人柄を支持し、敬愛した人々が多く存在した<ref>{{Cite book |和書 |author=中所豊 |year=1948 |title=日本軍閥秘史 裁かれる日まで |publisher=中華國際新聞社 |pages={{要ページ番号|date=2015年9月}} }}</ref>。終戦後30年を経た昭和54年(1979年)に、辻の出身地である[[加賀市]][[山中温泉]]に辻の銅像が建立されている。

その一方で、辻と接した軍人たち、辻の出身地の人々などには、辻の軍事功績や人柄を支持し、敬愛した人々が多く存在した<ref>{{Cite book |和書 |author=中所豊 |year=1948 |title=日本軍閥秘史 裁かれる日まで |publisher=中華國際新聞社 |pages={{要ページ番号|date=2015年9月}} }}</ref>。終戦後30年を経た昭和54年(1979年)に、辻の出身地である[[加賀市]][[山中温泉]]に辻の銅像が建立されている。



== 親族 ==

== 親族 ==


[[]][[]][[]][[]]([[]][[]][[]]<ref name="">[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017030800961&g=obt ] [[]] (20173816:53) 2017313</ref> ([[]][[]][[]][[]][[]]<ref name="ReferenceA"/>([[]][[]]<ref>201761</ref>

[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref name="">[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017030800961&g=obt ] [[]] (20173816:53) 2017313</ref> [[]][[]][[]][[]][[]]<ref name="ReferenceA"/>[[]][[]]<ref>201761</ref>


二女の美登子は[[植村甲午郎]]の二男・泰久([[仙台放送]]社長)の妻<ref>『閨閥』佐藤朝奏、立風書房、1981年、p84</ref>。

二女の美登子は[[植村甲午郎]]の二男・泰久([[仙台放送]]第4代社長)の妻<ref>『閨閥』佐藤朝奏、立風書房、1981年、p84</ref>。



== 著書 ==

== 著書 ==

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* 『シンガポール -運命の転機-』([[東西南北社]]、1952年)

* 『シンガポール -運命の転機-』([[東西南北社]]、1952年)

* 『潜行三千里』(1950年 2008年に[[毎日ワンズ]]より新装再版)『動乱の眼 アジア・アラブの指導者と語る』(共に[[毎日新聞社]]、1958年)

* 『潜行三千里』(1950年 2008年に[[毎日ワンズ]]より新装再版)『動乱の眼 アジア・アラブの指導者と語る』(共に[[毎日新聞社]]、1958年)

* 『ノモンハン秘史』 - 家族に宛てた遺書を公開([[毎日ワンズ]]、2009年)

* 『ノモンハン秘史』 - 家族に宛てた遺書を公開([[毎日ワンズ]]、2009年)その後、[[2022年]][[7月8日]]に、毎日ワンズより「ノモンハン秘史[完全版]」が出版されている。



=== 手記 ===

=== 手記 ===


[[]]2006223<ref>{{Cite journal | |title= |journal=[[]] |issue=2006223|publisher= |pages=48-50}}</ref> 6

[[]]2006223<ref>{{Cite journal | |title= |journal=[[]] |issue=2006223|publisher= |pages=48-50}}</ref> 6


なお、辻の遺書は『ノモンハン秘史』([[毎日ワンズ]]、2009年)として公刊された。

なお、辻の遺書は『ノモンハン秘史』([[毎日ワンズ]]、2009年)として公刊された。

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* [[安彦良和]]の長編漫画『[[虹色のトロツキー]]』では、ノモンハン事件をきっかけに辻が日ソの全面戦争を目論み、またこの事件前に、対ソ戦争計画について、辻と師匠の[[石原莞爾]]とがさまざまな謀議を重ねていたことが描かれている。

* [[安彦良和]]の長編漫画『[[虹色のトロツキー]]』では、ノモンハン事件をきっかけに辻が日ソの全面戦争を目論み、またこの事件前に、対ソ戦争計画について、辻と師匠の[[石原莞爾]]とがさまざまな謀議を重ねていたことが描かれている。

* [[かわぐちかいじ]]の長編漫画『[[ジパング (漫画)|ジパング]]』では、[[チューク諸島|トラック]]を来訪し[[統帥権]]を盾に半ば強引に連合艦隊首脳の了承を得た後、架空の登場人物である草加拓海海軍少佐と会見し、日本の敗北と60年後の戦闘艦「みらい」の存在を知ることになっている。その後、作品上では[[大本営]]に[[ガダルカナル島]]からの撤退命令を具申する決意をし、ガダルカナルからの撤退を史実より半年早く実現させる。

* [[かわぐちかいじ]]の長編漫画『[[ジパング (漫画)|ジパング]]』では、[[チューク諸島|トラック]]を来訪し[[統帥権]]を盾に半ば強引に連合艦隊首脳の了承を得た後、架空の登場人物である草加拓海海軍少佐と会見し、日本の敗北と60年後の戦闘艦「みらい」の存在を知ることになっている。その後、作品上では[[大本営]]に[[ガダルカナル島]]からの撤退命令を具申する決意をし、ガダルカナルからの撤退を史実より半年早く実現させる。

*『[[昭和天皇物語]]』([[2017年]] から[[小学館]]『[[ビッグコミックオリジナル]]』連載、作画 [[能條純一]]:原作 [[半藤一利]]「昭和史」、脚本:[[永福一成]]、監修:志波秀宇)



==辻政信を演じた人物==

==辻政信を演じた人物==


2024年5月31日 (金) 11:57時点における最新版

つじ 政信まさのぶ
辻 政信参謀(中佐の頃)
渾名 「作戦の神様」
第三次世界大戦さえ起こしかねない男」
生誕 (1902-10-11) 1902年10月11日
日本の旗 日本石川県江沼郡東谷奥村今立
死没 1961年以降消息不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1924年 - 1945年
最終階級 陸軍大佐
除隊後 著述業
衆議院議員
参議院議員
テンプレートを表示

日本の旗 日本政治家

辻 政信

つじ まさのぶ

出身校 陸軍大学校卒業
前職 陸軍軍人大本営陸軍部参謀
所属政党自由党→)
自由民主党→)
無所属クラブ→)
第二院クラブ→)
無所属
親族 長男・辻徹[1]
長女・堀内英子[2]
娘婿・堀内光雄
孫・堀内光一郎(富士急行社長)[3]

日本の旗 参議院議員

選挙区 全国区
当選回数 1回
在任期間 1959年6月2日 - 1965年6月1日[注釈 1]

日本の旗 衆議院議員

選挙区 石川県第1区
当選回数 4回
在任期間 1952年10月2日 - 1959年4月30日
テンプレートを表示

  1902351011 - 1961363643

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参謀本部への転出と陸軍士官学校事件[編集]


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ノモンハン事件[編集]


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 - 2009202278[]

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2009

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2017   

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 -    (1973)

 -  1968

[]

注釈[編集]



(一)^ 

(二)^  (1987, p. 112)19401510

(三)^ 西 (1977, pp. 136137)11

(四)^ 西 (1977, pp. 136137)

(五)^ 1941 1966, p. 51-53

(六)^  (1987, p. 146)1019

(七)^  (1987, p. 196)14

(八)^ 1942216211[26]

(九)^ ()40()

(十)^ ()()

(11)^ ()()

(12)^ ()退20()

(13)^ ()()

(14)^ 

(15)^ 

(16)^ ()()

(17)^ 924927

(18)^ ()

出典[編集]



(一)^ abcdef 2010, pp. 232239

(二)^ ab  (20173816:53) 2017313

(三)^ ab2015.8.19TBS

(四)^ abc4206-207(194246)

(五)^ 

(六)^ ab2007[]ISBN 4166606107 

(七)^ 寿 ︿NF1993[]ISBN 4-7698-2029-1 

(八)^  2  6017

(九)^ ab 2005, pp. 103104, 1 --

(十)^ 2010ISBN 4122051118 []

(11)^ ab1994ISBN 4122051118 []

(12)^ 1978147:78018855 

(13)^  退

(14)^  1979147 

(15)^ 1950 []

(16)^ 使19565 []

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(18)^  2009222ISBN 978-4-00-431191-1 

(19)^ 1978 []

(20)^ 西 1977, p. 136.

(21)^  1987, p. 146.

(22)^ ab 1966, p. 51-53.

(23)^  1987, p. 196.

(24)^   19771010273-274 

(25)^  (2021128). 80.  . 2023821

(26)^  1985[]:86003319 

(27)^ abc 1952420164-165,69,165 

(28)^   西2011516150 

(29)^  1986, pp. &#91, &#93, 

(30)^ abcd西 1977, p. 70

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(42)^ ab︿[]:83051563 

(43)^ ab  2   p.198-199 203210

(44)^ #(1975)129-13110116

(45)^ #(1975)178-180

(46)^ NF []

(47)^ 658(1943228)[ 9]

(48)^ 5243-244(19421125)

(49)^ 5256(19421128)[ 10]

(50)^ 5367-369(19421226)

(51)^ 5331(19421216)[ 11]

(52)^ 5382-383(19421229)

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(61)^ ab#18

(62)^ #3749

(63)^ "使"2021520122-126 

(64)^ #28-34

(65)^ 2023120138 

(66)^ #94

(67)^ ab#26

(68)^ #9398-101

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(73)^ ab#104-105

(74)^   91970413

(75)^ #203-206

(76)^  2010, § 

(77)^ CIA Records - Name Files

(78)^  2010, p. []

(79)^  &  2008, p. 174

(80)^ 5311(19421211)

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(82)^ abc#(1975)30-32

(83)^ abc#(1975)104-105

(84)^  &  2008, p. 182

(85)^ 

(86)^ CITEREF2008

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