富士山
富士山 | |
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標高 | 山体の最高地点 3776.12 m、三角点の標高 3775.51 m[注釈 1][注釈 2] m |
所在地 | 日本 |
位置 | 北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒 / 北緯35.3606度 東経138.7275度[注釈 2]座標: 北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒 / 北緯35.3606度 東経138.7275度[注釈 2] |
山系 | 独立峰 |
種類 | 成層火山(活火山ランクB[1])・常時観測火山 |
初登頂 | 663年(役小角) |
富士山の位置
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プロジェクト 山 |
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英名 | Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration | ||
仏名 | Fujisan, lieu sacre et source d'inspiration artistique | ||
面積 |
20,702 ha (緩衝地域 49,628 ha) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (3), (6) | ||
登録年 | 2013年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
使用方法・表示 |
名称[編集]
語源[編集]
富士山にちなむ命名[編集]
富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各地に﹁富士﹂の付く地名が多数存在している。富士山麓では静岡県に富士市や富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市や富士河口湖町、富士川町(静岡県庵原郡にもあった町名である(富士市に編入されている))がある。他によくあるものとして富士山が見える場所を富士見と名づけたり︵例‥埼玉県富士見市︶、富士山に似ている山︵主に成層火山︶に﹁富士﹂の名を冠する例︵信濃富士など︶がある。日本国外に移住した日本人たちも、居住地付近の山を﹁○○富士﹂と呼ぶことがある。全国各地には、別称を含めて少なくとも340座と言われる「富士」と名の付く山があり[8]、それらを郷土富士と呼ぶ。
地名以外にも「富士」を冠した名称は多く存在する。
また、異名として「芙蓉峰」「富嶽」とも言う。
富士山の標高[編集]
富士山は独立峰でよく目立ち、日本の最高峰であることからその高さが注目されてきた。福田履軒が観測する以前の認識としては、﹃月刈藻集﹄に﹁直立25町﹂︵2750ⅿ︶、﹃塵塚物語﹄に﹁96町あり﹂︵1万560m︶と諸説見られた[11]。標高計測の歴史[編集]
以下は、江戸時代からの富士山の標高計測の経緯である[12]。 明治初期までに測量された富士山の高さ時代 | 測定年 | 測定者 | 測定法または器械 | 結果/m | 備考 |
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江戸時代 | 1727 | 福田履軒(福は示偏) | 三角法 | 3895.1 | 「明治以前日本土木史」によれば、測定者は、福田履軒(福は示偏)、高さは3885.96 m となっている[13]。 |
1803 | 伊能忠敬 | 三角法 | 3927.7 | ||
1826 | シーボルト | セキスタント | 3793 | セキスタント:六分儀 | |
1834 | 内田恭 | 象限儀、占気筒 | 3475.7 | ||
1860 | オールコック | 気圧計 | 4322 | ※測定法は<鈴木、1998>による | |
1860 | ファガン | 3987 | |||
1860 | ウィリアム | 気圧計 | 3266 | ※測定法は<鈴木、1998>による | |
1860 | ルビェー | 3518 | |||
1860 | クニッピング | 気圧計 | 3729 | ||
明治時代 | 1874 | スチュワート | オムニメートル | 3769 | |
1874 | フェントン | 3772 | |||
1874 | ファーブルブラントン | 3768 | |||
1880 | 中村精男、和田雄次 | 気圧計 | 3823 | メンデンホール・田中館愛橘らの富士山頂重力測定と同時に実施 | |
1880 | 野尻武助 | 上記の再計算 | 3812 | 温度の補正が異なる | |
1880 | チャップリン | 三角測量 | 3787.2 | ||
1880 | ライン | 3745.5 | |||
1880 | シュット | 3766.4 | |||
1880 | ミルン | 3882.3 | |||
1887 | 参謀本部 | 三角測量および平板測量 | 3778 |
最新の標高[編集]
標高として言及されるものには、次の2つがある。三角点の標高︵3775.51 m︶[編集]
山岳の標高としてよく引用される。それは主な山岳の最高地点近くに三角点が設置されて、その標高が精度良く︵cm単位で︶計測されており、かつ国土地理院の2万5千分1地形図に標高値が記載されているからである[注釈 9]。しかし三角点は近傍の山岳との見通しや設置位置の安定性を重視して設置されることから、山岳の最高地点に設置されるとは限らない[14]。 富士山では、剣ヶ峰にある二等三角点﹁富士山﹂の高さが3775.51 mである。2014年4月1日付け標高改定前の数字は3775.63 mであった[15]。山体の最高標高 (3776.12 m)[編集]
三角点の高さが必ずしも山岳の最高標高とは限らないことから、最高標高の数値が別途に計測されることがある。例えば、国土地理院は日本の主要な1003の山岳について﹁日本の主な山岳標高﹂として公表している[16]。最高標高の地点は岩体の高さなどであって、必ずしも三角点の標高とは限らないため、﹁日本の主な山岳標高﹂での山岳標高の表示は1 m単位となっている。この﹁日本の主な山岳標高﹂によれば、富士山の高さは3776 mであり、その位置は35度21分39秒 138度43分39秒である。 2014年時点の富士山の最高地点は、剣ヶ峰にある二等三角点﹁富士山﹂の位置から北へ約12 m のところにある岩の頂上であり、二等三角点との比高は0.61 m である。したがって、この岩の標高は、3776.12 mとなり、これが富士山、及び日本の最高標高である[注釈 10][17][18][15]。他山の標高[編集]
●玉山︵台湾︶- 日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった。標高3952 m。 ●雪山︵台湾︶- 日本統治時代は次高山と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3886 m。 ●北岳 - 日本で2番目に高い山。標高3193 m。 ●御嶽山 - 日本で2番目に高い火山。日本で2番目に高い独立峰とも見なされる。標高3067 m。 ●日和山 - 日本で最も低い山。標高3 m。︵かつて日和山は標高6.05mあったが、2011年3月の東日本大震災の津波で削られて、標高3mになった。︶ ●天保山 -日本で2番目に低い山。標高4.53m。2011年3月の東日本大震災までは、日本一低い山であった。 ●エベレスト - 世界最高峰。標高8848 m。 ●ゴッドウィンオースチン︵ゴドウィンオースチン︶ - 世界で2番目に高い山。K2︵ケーツー︶ともいわれている。標高8611 m。パキスタンのカラコルム山脈にある。地質学上の富士山[編集]
- 大室山(標高1,300m2)[26]
- 長尾山(標高1,424m2)[26]
- 片蓋山(標高1,468m2)[26]
- 弓射塚(標高1,570m2)[26]
- 伊賀殿山(標高1,490m2)[26]
- 野頭山(標高1,510m2)[26]
- 二ツ塚(標高1,492m2)[26]
- 西剣(標高1,570m2)[26]
- 臼山(標高1,720m2)[26]
- 椹山(標高1,630m2)[26]
- 氷山(標高1,553m2)[26]
- 幸助丸(標高1,870m2)[26]
- 八軒山(標高1,770m2)[26]
- 桟敷山(標高1,800m2)[26]
- 大平山(標高2,100m2)[26]
- 丸山(標高1,700m2)[26]
- カタボッコ(標高1,290m2)[26]
- 東剣(標高1,649m2)[26]
- 天神山(標高1,430m2)[26]
- 塒塚(標高1,598m2)[26]
- 犬涼み山(標高1,206m2)[26]
- 奥庭(標高2,180m2)[26]
- 焼山(標高1,660m2)[26]
- 小富士(標高1,906m2)[26]
- 二ツ塚第一丘(標高1,926m2)[26]
- 二ツ塚第二丘(標高1,802m2)[26]
- 荊塚(標高1,651m2)[26]
- 浅黄塚(標高1,575m2)[26]
- 桧塚(標高1,390m2)[26]
- 西臼塚(標高1,293m2)[26]
- 西黒塚(標高1,470m2)[26]
- 平塚(標高1,495m2)[26]
- 腰切塚(標高1,474m2)[26]
- 赤塚(標高1,374m2)[26]
- 鑵子山(標高1,306m2)[26]
源流の河川[編集]
源流となる以下の河川は4水系に区分され、すべて太平洋へ流れる。
富士山と火山活動[編集]
富士山の噴火[編集]
山体崩壊の発生[編集]
地震および噴火活動にともなう山体崩壊︵岩屑︵がんせつ︶なだれ︶が発生年代が不明確なものも含めて南西側に5回、北東側に3回、東側に4回の計12回起きたとされている[29]。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動によるマグニチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている。 主な発生歴 ●約2900年前︵御殿場泥流︶‥東斜面で大規模︵約18億m3︶な山体崩壊[30][31]が発生し、泥流が御殿場周辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ流下。山体崩壊の発生原因は不明。 ●1331年の元弘地震 に伴い発生[32]。 ●明治24年︵1891年︶の濃尾地震 に伴い発生[33]。災害対策[編集]
●火山噴火予知連絡会 - 富士山のみに限定するものではないが、日本の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表するが、噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年3回実施されるが、噴火時には随時開催される。2000年10月に富士山の低周波地震が増加した際は、ワーキンググループが設置され、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討された。 ●内閣府はウェブサイト﹁富士山の火山防災対策[34]﹂を開設して、富士山ハザードマップ検討委員会などの情報を提供している。 ●富士直轄砂防事業 - 大沢崩れを源にして発生する大規模な土石流から、下流の保全対象を守る砂防事業を実施中。 ●山梨県と静岡県は﹁富士山噴火時避難ルートマップ﹂を作成した[35][36]。 ●静岡市市長の田辺信宏は2016年1月22日の定例記者会見で、市消防航空隊が2013年、富士山で滑落した登山者を救助中にヘリコプターから落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、市消防局がヘリで救助できる山の高さに3200 mと上限を設けたことを明らかにした[37]。地殻変動の観測[編集]
政府系機関︵防災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所︶や自治体︵山梨県富士山科学研究所︶及び大学︵東京大学地震研究所︶などにより観測が行われている。 ●国土地理院‥地磁気観測点[38]が、鹿野山測地観測所、水沢測地観測所および江刺観測場に設置されている。また、山頂にはGPSの電子基準点。 ●気象庁観測所[39]‥地震計︵山頂、御殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊︶、傾斜計︵太郎坊︶、空振計︵太郎坊、上井出︶、GSP︵太郎坊︶、望遠カメラ︵萩原︶ ●防災科学技術研究所[40]‥ 火山活動可視情報化システム(VIsualization system for Volcanic Activity)噴出物災害などへの対策[編集]
●国土交通省中部地方整備局富士砂防事務所が静岡県、山梨県と連携して火砕流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・検討を実施。ハザードマップを作成している[41]。しかし、山体崩壊を想定したハザードマップは2012年時点では未作成である。 ●中央防災会議が東京など首都圏への火山灰降下を想定した対策の検討を2018年に開始した[42]。富士山と気象[編集]
気候[編集]
山頂は最暖月の8月でも平均気温が6 °Cしかなく[43]、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0 °C以上10 °C未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10を占める。観測史上最低気温は1981年2月27日に観測された−38.0 °Cで、最高気温が−30 °C未満の日も過去に数回観測されている。−30 °Cを上回ることがない1日というのは北海道でも例がない[44]。富士山(剣ヶ峰、標高3776m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | −1.7 (28.9) |
0.0 (32) |
1.0 (33.8) |
4.7 (40.5) |
12.2 (54) |
12.3 (54.1) |
17.4 (63.3) |
17.8 (64) |
16.3 (61.3) |
14.0 (57.2) |
6.9 (44.4) |
3.6 (38.5) |
17.8 (64) |
平均最高気温 °C (°F) | −15.3 (4.5) |
−14.3 (6.3) |
−10.9 (12.4) |
−5.9 (21.4) |
−0.6 (30.9) |
4.0 (39.2) |
8.0 (46.4) |
9.5 (49.1) |
6.5 (43.7) |
0.7 (33.3) |
−5.9 (21.4) |
−12.2 (10) |
−3.0 (26.6) |
日平均気温 °C (°F) | −18.2 (−0.8) |
−17.4 (0.7) |
−14.1 (6.6) |
−8.8 (16.2) |
−3.2 (26.2) |
1.4 (34.5) |
5.3 (41.5) |
6.4 (43.5) |
3.5 (38.3) |
−2.0 (28.4) |
−8.7 (16.3) |
−15.1 (4.8) |
−5.9 (21.4) |
平均最低気温 °C (°F) | −21.4 (−6.5) |
−21.1 (−6) |
−17.7 (0.1) |
−12.2 (10) |
−6.3 (20.7) |
−1.4 (29.5) |
2.8 (37) |
3.8 (38.8) |
0.6 (33.1) |
−5.1 (22.8) |
−11.8 (10.8) |
−18.3 (−0.9) |
−9.0 (15.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −37.3 (−35.1) |
−38.0 (−36.4) |
−33.9 (−29) |
−27.8 (−18) |
−18.9 (−2) |
−13.1 (8.4) |
−6.9 (19.6) |
−4.3 (24.3) |
−10.8 (12.6) |
−19.5 (−3.1) |
−28.1 (−18.6) |
−33.0 (−27.4) |
−38.0 (−36.4) |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1932年7月-2021年)[45][46] |
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出典:気象庁[47] |
富士山での気象観測[編集]
かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置していた気象官署が富士山測候所である。現在は富士山特別地域気象観測所となっており、自動気象観測装置による気象観測を行っている。
気象現象[編集]
●山体に強風が吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。2010年12月15日には、神奈川県の西部から南部にかけて黒い砂が積もり、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西風に乗り降り積もったと考えられると報道された[48]。 ●富士山の﹁初冠雪﹂は甲府地方気象台が観測・発表している。これとは別に、雲などに遮られず﹁誰もがきれいだと実感できる降雪﹂を判断基準とした﹁初雪化粧﹂を、富士山北麓にある山梨県富士吉田市の富士山課が独自に宣言している[49]。 ●富士山北麓の一部地域︵現在の山梨県富士吉田市など︶では、富士山の標高2600 m付近に現れる農鳥︵のうとり︶︵鳥の形に見える残雪︶の出現する時期によって、農作物の豊作・凶作を判断する言い伝えがある[50]。 ●富士山では山岳波が発生することもあり、航空機の墜落事故も起きている︵英国海外航空機空中分解事故など︶。富士山麓の自然環境[編集]
伏流水[編集]
地域 | 名称 |
---|---|
南東麓 | 柿田川(日本三大清流)、小浜池 |
南麓 | 吉原湧泉群 |
西麓 | 湧玉池(特別天然記念物)、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭湧泉群 |
北麓 | 忍野八海(国指定の天然記念物) |
溶岩洞窟[編集]
植生[編集]
富士山は標高は高いが、日本の他の高山に比較すると高山植物などの植生に乏しい。これは富士山が最終氷期が終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返したために山の生態系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系からの植物の進入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではいくらか高山植物が見られる。山の上部ではタデ科オンタデ属のオンタデ︵御蓼︶、山腹ではキク科アザミ属のフジアザミ︵富士薊︶が自生している[52]。中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイマツ帯が広がっているのが通例であるが、富士山にはハイマツ帯は欠如し、その代替にカラマツ林が広がっている。人間との関わりの歴史[編集]
古代[編集]
古代より富士山は山岳信仰の対象とされ、富士山を神体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と言われるようになった。﹁神聖な場所﹂であるため明治時代まで女人禁制の伝統があり女性が登山する事は長らく禁止されていた。特に富士山の神霊として考えられている浅間大神とコノハナノサクヤビメを主祭神とするのが浅間神社であり、摂末社が全国に点在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市にある富士山本宮浅間大社︵浅間大社︶であり、富士宮市街にある﹁本宮﹂と、富士山頂にある﹁奥宮﹂にて富士山の神を祭っている。こうした歴史から、富士山が世界遺産に登録されたのも、世界自然遺産ではなく世界文化遺産︵富士山-信仰の対象と芸術の源泉︶としてであった。江戸時代[編集]
江戸時代になると、徳川家康による庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先権を得たことを基に江戸幕府より八合目以上を寄進された経緯で、現在富士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候所を除き浅間大社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山修験や富士講などの一派が形成され、富士信仰を発展させていった。富士講の隆盛が見られた18世紀後半以降、新興宗教として旧来の登山道では発展できなかったために吉田口を利用する道者が目立つようになっていたと考えられ、18世紀後半以降では、他の登山口の合計と同程度であったという[53]。 富士参詣の人々を﹁道︵導︶者﹂といい、例えば﹃妙法寺記﹄の明応9年︵1500年︶の記録に﹁此年六月富士導者参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆導者付也﹂とある。また、登山における案内者・先導者を﹁先達﹂といい、先達の名が見える道者帳︵﹃公文富士氏文書﹄、文中に﹁永禄6年﹂とあり︶などが確認されている。明治以後[編集]
登山史[編集]
富士登山の伝承においては伝説的な部分が多く入り混じっており、諸説存在する。和暦 | 西暦 | 内容 | 補足 |
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推古天皇6年 | 598年 | 平安時代の甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神馬に乗り富士山の上を越えたとする記述がある。 | 諸国から献上された数百頭の中から白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、同年9月に太子が試乗すると、馬は天高く飛び上がり東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。 |
天智天皇2年 | 663年 | 役小角が、流刑された伊豆大島から毎晩密かに逃げ出し、富士山へ登ったという伝説が残る。 | 役小角は「富士山開山の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマルセル・クルツの『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改訂されたものの「世界初の登山」という記述がされていた。 |
貞観17年 | 875年 | 平安時代の学者である都良香が『富士山記』の中で山頂火口のさまを記す。 | 山頂には常に沸き立つ火口湖があり、そのほとりに虎の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなければ知りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者に取材したと考えられる。なおこの約10年前には山頂噴火ではないが有史最大の貞観大噴火があった。 |
久安5年 | 1149年 | 『本朝世紀』には末代上人が数百回の登山を繰り返したとある。 | 回数は一致するものかは不明であるが、登山を多く行った人物として知られる。 |
江戸時代に入ると富士講が盛んになり、多くの参拝者が富士登山(富士詣)をした。 | 特に江戸後期には講社が多数存在し、富士詣は地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っていた。最盛期には吉田口だけで百軒近くの宿坊(山小屋)があった。 | ||
文政11年 | 1828年 | 気圧計による高度測定の試み | シーボルトの弟子である二宮敬作が登頂し、気圧の変化により高度測定を行った。伊能忠敬の測量では2603–3732 m[57]とされていたが、この測定では3794.5 mと算出されている[58]。 |
天保3年 | 1832年 | 高山たつが女性として初登頂。 | 女人禁制が敷かれていた時代である。 |
嘉永6年 | 1852年 | 松平宗秀(本庄宗秀)が近世大名として初登頂。 | 富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主人が記した『袖日記』という古記録に、宮津藩主松平宗秀が富士登山を行った記録がある。『袖日記』の6番によると、宗秀は江戸と宮津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろうと思い始めたが、参勤交代の道程は幕府に指定されており、これを逸脱したり、たとえ社寺参詣であっても寄り道したりすることは許されない。このため富士に登山を幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「馬返し」と呼ばれる地点までであった。馬返しというのは一合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を下りて山に登るという地点である。
そこで宗秀は嘉永6年(1852年)6月21日、幕府に秘密裡に登山を決意し、明け方から出発して山を登り始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀の富士山登頂は、近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。 |
万延元年 | 1860年 | 英国公使オールコックが外国人として初登頂。 | 『古事類苑』にオールコックの登山についての記録(富士重本[注釈 20]が寺社奉行所に提出した届出)があり、「英人富士山ヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成り、廿五日快晴致し、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上いたし…」とある。オールコックは7月24日に大宮から村山に入り登山を行い、26日に登頂した[54]。 |
明治4年 | 1872年 | 女人禁制が解かれる。 | 明治時代になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、欧米の近代登山技術が取り入れられることになる。 |
明治25年 | 1892年 | 英国人のウォルター・ウェストンが登頂。 | 翌年にも登頂した。その後、本を出版して富士山などの日本の山々を世界に紹介した[59]。 |
明治28年 | 1895年 | 野中到が冬季初登頂。 | 2月16日に御殿場口から単独で登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を行った[60]。 |
大正12年 | 1923年 | 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の登山 | 7月26日の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬にて登山後、8合目以上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参拝し金剛棒に焼印などを行った後、御殿場口より下山された[61]。 |
大正12年 | 1923年 | 秩父宮雍仁親王の登山 | 8月20日の夜に御殿場口から登山し、翌朝頂上に到着。奥宮を参拝後、下山。 |
昭和2年 | 1927年 | 中村テルが冬季女性初登頂 | 1月1日に御殿場口から登頂、男性2人と共に[60]。 |
昭和47年 | 1972年 | 富士山大量遭難事故 (1972年)。 | 悪天候による雪崩や低体温症などで24名の死者・行方不明者を出す国内最悪の遭難事故となった。 |
昭和63年 | 1988年 | 浩宮徳仁親王(当時・現今上天皇)の登山。 | 8月1日-2日の登山で、須走口から八合目を往復した[62]。天候の悪化で登頂は断念される。 |
平成20年 | 2008年 | 皇太子徳仁親王が登頂。 | 8月7日に富士宮口を出発後、御殿場口登山道に入り登頂[63]。 |
富士山を巡る利権争い[編集]
山役銭と内院散銭[編集]
元禄の争論[編集]
元禄16年︵1703年︶に散銭や山小屋経営を巡り須走村が富士浅間神社本宮︵浅間大社︶を訴えた争論が元禄の争論である。須走村側は東口本宮冨士浅間神社の神主や御師らが、浅間大社の大宮司富士信安など富士氏[注釈 26]らを相手取り寺社奉行に訴え出た。訴えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽の小屋掛けを認めたことへの不服、2つ目は浅間大社側が造営した薬師堂の棟札に﹁富士本宮が入仏を勤める﹂という旨の記述があることを、須走の既得権を犯すものであるというもの、3つ目は内院の散銭取得における2番拾いは須走側が得るという慣例となっているとし、それを浅間大社が取得しているという訴えである。これに対し訴えられた浅間大社側は江戸に赴き、薬師嶽は須走村の地内ではないこと、薬師堂の入仏については浅間大社側が造営したものであるので権利は浅間大社にあること、散銭の2番拾いの慣例は根拠がないということを主張した。それらは第三者に委ねる内済という扱いとなり、その内済にて﹁他の者に小屋掛けさせないこと﹂﹁薬師堂の入仏は須走村が行うこと﹂﹁内院散銭は一番拾いを大宮と須走で6:4で分け、2番拾いは須走が得るものとする﹂という決定となり、以後これらは遵守された[71]。安永の争論[編集]
安永元年︵1772年︶に、須走村が山頂の支配権は同村の支配にあるとして浅間大社を相手として訴えた争論[注釈 27]が安永の争論である。またこれをみた浅間大社側の富士民済[注釈 28]も反論を起こした。さらに吉田村と浅間大社とで支配地域を確定する争論もあったため、ここに大宮・新規参入である吉田と須走の争いの決着が望まれることとなり、勘定奉行なども関わる大論争となった。安永8年︵1779年︶に持ち越されることとなった。結論は徳川家康が富士山本宮浅間大社を信奉していたという幕府側の配慮があり、勘定奉行・町奉行・寺社奉行のいわゆる三奉行による裁許で、最終的に富士山の8合目より上は、富士山本宮浅間大社持ちとすることが決定された[注釈 29]。 この2者の争論を起因とする裁判により、これまで曖昧であった山頂の支配権やその他権利の所在などが、江戸幕府により明確に定められることとなった。富士山の山頂[編集]
富士山の最頂部は剣ヶ峰と呼ばれている[72]。﹃甲斐国志﹄によると剣を立てたような形に由来するという[72]。また﹃駿河国新風土記﹄によるとこの峰にある石が鋭利だったことから剣の代わりの道具に使うため人々が持ち帰ったと記している[72]。山頂部の所有[編集]
先述のように江戸幕府は1779年︵安永8年︶に富士山八合目より上は富士山本宮浅間大社のものとした[72]。明治時代になり寺社の土地は国有化されたものの、第二次大戦後にこれらの土地は返還されることになったが、富士山八合目以上は公益性が高い土地であるとして国有地のままになった[72]。しかし、富士山本宮浅間大社は富士山信仰のために富士山八合目以上の土地も返還するよう国を提訴した[72]。 国と富士山本宮浅間大社の訴訟は17年間にわたったが、1974年︵昭和49年︶に最高裁判所は富士山本宮浅間大社の主張をほぼ認める判決を出した︵ただし判決で国にとって必要な一部の土地は除外された︶[72]。県境及び市町村境の扱い[編集]
登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富士山本宮浅間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確定である。ただし、気象庁は富士山測候所の所在地を便宜上﹁富士宮市富士山剣が峰﹂と定めていた。一方、旧須走村も山頂までを村域としたことから、小山町は現在も自らを﹁富士山頂のあるまち﹂と宣伝している。第二次世界大戦[編集]
1945年(昭和20年)7月10日、富士山頂にあった富士山測候所にアメリカ軍による機銃掃射攻撃が行われた[77]。富士山は独立峰で遠方への眺望が効き、日本本土空襲を行うアメリカ軍機の動向を視認できる場所であったほか、1944年には東京と八丈島を結ぶ無線通信回線の中継拠点として山頂の旧登山小屋が活用されたため麓からの送電が始められ、高層気象観測拠点として重要な測候所へも給電された。また、この測候所からは東京の灯火管制を点検していた。日本の象徴という文化的意味に加え、軍事拠点ともなった富士山頂への攻撃が大戦末期に行われ、観測員に負傷者が出た事が業務日誌である『カンテラ日誌』を通じて残されている。
また、アメリカ軍は日本の降伏を早めるために富士山をペンキで真っ赤に染め上げ、士気を下げるという計画を立案した。しかし、計画に必要な物資の量がB-29約3万機、ペンキ約12トンという膨大な量になる計算だったため、現実性に欠けるとして計画は中止されたというエピソードも紹介されている[78]。
富士山と眺望[編集]
特別名勝としての富士山[編集]
富士山の眺望[編集]
富士山への良好な眺望が得られる128景233地点を、国土交通省関東地方整備局が関東の富士見百景として、2005年(平成17年)に選定した。また2017年には環境省および都県・市町村が中心となり、「富士山がある風景100選」が選定された。富士箱根伊豆国立公園指定80周年記念事業に伴うものである。
様々な表情の富士山[編集]
富士山の表情は、見る場所・角度・季節・時間によって様々に変化する。富士と名が付く、いくつかの姿がある。画像 | 富士山の姿 | 解説 |
---|---|---|
赤富士 | 夏の朝、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。 葛飾北斎をはじめとした画家が「赤富士」を描いた絵画を残した。 | |
紅富士 | 雪化粧した富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。 「モルゲンロート」(ドイツ語Morgenrot)が用いられる場合がある。 | |
逆さ富士 | 波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景。 D五千円券の裏の図案に、本栖湖の逆さ富士が使用された。 | |
ダイヤモンド富士 | 太陽が昇った時又は沈む時、太陽が富士山の頂上と重なり、 富士山の頂上付近がダイヤモンドのように光る現象。 富士山が見える西又は東の場所から、年に2回見ることができる[88]。 | |
影富士 | 朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出される風景。 富士山登山時に山の上部から、雲海の上に見られる場合がある。 | |
笠雲 | 笠雲とレンズ雲を伴う。富士山の頂上に傘をかぶせた雲がある風景。 その際は、次第に麓では曇りまたは雨になることが多い。 |
「表富士」と「裏富士」[編集]
富士山の文化[編集]
学術研究[編集]
活火山かつ日本最高峰で、広大な山麓を持つ富士山は、自然科学と人文科学の両面で研究対象となっている。火山防災や地質学、気象学、生態系といった自然科学では山梨県富士山科学研究所︵富士吉田市︶、人文科学を含む学際的研究では静岡県富士山世界遺産センター︵富士宮市︶や富士学会といった専門の研究機関・団体もある。 地形の険しさや山頂近くの強風により、野外で実地踏査できるのは富士山の5–10 %程度であり、植生が不明なエリアも多い。上空からの観測・撮影も、ドローンの上昇限界が2750 m程度という制約がある[90]。美術における富士山[編集]
文学における富士山[編集]
富士山と地域振興[編集]
富士山一帯の宗教施設や避暑、富士登山を目的とする観光客相手の観光業も活発に行われている。しかし、富士山麓には温泉地として成立する規模の湯量は湧出していない[102]。 富士山の利用について、静岡県側が自然・文化の保護を重視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視している。山頂所有権問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題[103]、世界遺産登録問題[104]等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の相違が表面化している。富士山と観光[編集]
富士登山[編集]
富士登山には登山の知識や経験、装備が不可欠である[105]。一般的には、毎年7月1日の山開きから9月上旬の山じまいまでの期間、登山が可能である。期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されている[106]。 とくに積雪期・残雪期の登山は極めて危険である[106]。その他の観光[編集]
富士山の日︵2月23日︶[編集]
2月23日を﹁2:ふ・2:じ・3:さん﹂と語呂合わせで読み﹁富士山の日﹂として制定している自治体がある。 ●2001年︵平成13年︶ 山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町)にて条例を制定。 ●2002年︵平成14年︶ 山梨県富士吉田市を中心に、山梨県の富士山麓10市町村、2恩賜林組合が了承。 ●2009年︵平成21年︶12月21日 静岡県議会にて条例を全会一致で可決。同年12月25日条例を制定。 静岡県、山梨県どちらも、富士山は普段の生活に溶け込み過ぎており、﹁あって当たり前﹂の空気のような存在である。そのため﹁富士山の日﹂に、各自治体や県内企業などがさまざまなイベント等を催し、参加する事など通じて、身近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルとしても名高い名峰として再認識する機会としている。また併せて富士山の世界遺産登録に向けた動きを地元から活発化したいとの期待も込められている。 静岡県教育委員会で、各市町村に対して2011年︵平成23年︶より﹁富士山の日﹂を学校休業日とするよう要望した。休業日として組み込んだ自治体があるなか、麓である富士市教育委員会では﹁特定日を学校休業日とすることはなじまない﹂という理由で、2011年以降休業日としていない。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提供や、富士山こどもの国の無料開放、図書館や博物館などの社会教育施設にも富士山の日にちなんだ事業実施を要請している。 なお、富士山の日を最初に宣言したのは、パソコン通信﹁NIFTY-Serve﹂内の﹁山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)﹂で、1996年1月1日にネット上で発表した。富士山ナンバー[編集]
静岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸支局管内の1市2町4村を対象とした、いわゆるご当地ナンバーとして2008年11月4日から富士山ナンバーの交付が開始された。管轄支局が二県にまたがるナンバープレートは珍しい[107][108]。富士山検定[編集]
﹁富士山検定実行委員会﹂が主催する富士山検定が、富士商工会議所、富士吉田商工会議所、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・山梨放送、NPO法人富士山検定協会の5者により行われている。地域間交流[編集]
富士山の湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流が昭和三十二年以降静岡県富士宮市と滋賀県近江八幡市の間で続けられている。これは﹁近江の土を掘り富士山を作りその穴が琵琶湖になった﹂という伝説からである。富士山の湧水を琵琶湖へ注ぐことを﹁お水返し﹂といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐことを﹁お水取り﹂という[109][110]。 2014年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で、富士山と玉山の友好山提携が締結されている[111]。標高3952 mの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。備考[編集]
文字[編集]
- 和文通話表で、「ふ」を送る際に「富士山のフ」という。
- 文字コードのUnicode6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加されたが、その中に「MOUNT FUJI」として富士山も含まれている(U+1F5FB、🗻)[112]。
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
---|---|---|---|---|
🗻 | U+1F5FB |
- |
🗻 🗻 |
MOUNT FUJI |
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
- 自然
- 建造物・施設関連
-
- 富士山本宮浅間大社
- 浅間神社
- 富士山レーダー
- 富士山有料道路(富士スバルライン)
- 表富士周遊道路(富士山スカイライン)
- 富士山における鉄道構想
- 山梨県立富士ビジターセンター・山梨県立富士山世界遺産センター
- その他歴史関連
外部リンク[編集]
- 富士山 - 気象庁
- 富士山の火山観測データ 気象庁
- 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 富士山 (PDF) - 気象庁
- 世界遺産富士山 - 富士宮市
- 富士山と防災 - 国土交通省富士砂防事務所
- 富士山歴史噴火総解説 - 静岡大学小山研究室
- 富士山関係資料デジタルライブラリー - 静岡県立中央図書館
- Fujisan - Smithsonian Institution: Global Volcanism Program(英語)
- 『富士山』 - コトバンク
- 防災関連(ハザードマップ)
-
- 富士宮市富士山ハザードマップ 富士宮市
- 富士山のハザードマップ 日本火山学会
- 富士山火山防災協議会 富士吉田市
- ライブカメラ
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- テレビ富士山 - YouTube / テレビ神奈川(tvk)公式チャンネル ※山北中継局お天気カメラより撮影
- 眺望
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- 富士山ココ | 地図インフォ - 富士山可視マップ
- 空から見た日本(6)富士山 - YouTube / SCIENCE CHANNEL(JST)