富士山

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富士山
富士山
全貌(静岡県富士市より)
標高 山体の最高地点 3776.12 m、三角点の標高 3775.51 m[注釈 1][注釈 2] m
所在地 日本の旗 日本
位置 北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒 / 北緯35.3606度 東経138.7275度 / 35.3606; 138.7275[注釈 2]座標: 北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒 / 北緯35.3606度 東経138.7275度 / 35.3606; 138.7275[注釈 2]
山系 独立峰
種類 成層火山活火山ランクB[1])・常時観測火山
初登頂 663年(役小角
富士山の位置(日本内)
富士山

富士山 (日本)

富士山の位置(静岡県内)
富士山

富士山 (静岡県)

富士山の位置(山梨県内)
富士山

富士山 (山梨県)

富士山の位置

プロジェクト 山
テンプレートを表示
世界遺産 富士山―信仰の対象と芸術の源泉
日本
富士山
英名 Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration
仏名 Fujisan, lieu sacre et source d'inspiration artistique
面積 20,702 ha
(緩衝地域 49,628 ha
登録区分 文化遺産
登録基準 (3), (6)
登録年 2013年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
富士山の位置
使用方法表示

殿駿[ 3]3776.12 m[ 4]

駿



[2]193611[ 5]195227201123201325622-[4]

名称[編集]

国際宇宙ステーションから見た春の富士山

語源[編集]


[ 6][ 7][ 8][6]

駿[7]

[]


(())

全国各地には、別称を含めて少なくとも340座と言われる「富士」と名の付く山があり[8]、それらを郷土富士と呼ぶ。

地名以外にも「富士」を冠した名称は多く存在する。

また、異名として「芙蓉峰」「富嶽」とも言う。


(3996) Fugaku[9]

[10]

[]


252750961560m[11]

[]


[12]


時代 測定年 測定者 測定法または器械 結果/m 備考
江戸時代 1727 福田履軒(福は示偏) 三角法 3895.1 「明治以前日本土木史」によれば、測定者は、福田履軒(福は示偏)、高さは3885.96 m となっている[13]
1803 伊能忠敬 三角法 3927.7
1826 シーボルト セキスタント 3793 セキスタント:六分儀
1834 内田恭 象限儀、占気筒 3475.7
1860 オールコック 気圧計 4322 ※測定法は<鈴木、1998>による
1860 ファガン 3987
1860 ウィリアム 気圧計 3266 ※測定法は<鈴木、1998>による
1860 ルビェー 3518
1860 クニッピング 気圧計 3729
明治時代 1874 スチュワート オムニメートル 3769
1874 フェントン 3772
1874 ファーブルブラントン 3768
1880 中村精男、和田雄次 気圧計 3823 メンデンホール・田中館愛橘らの富士山頂重力測定と同時に実施
1880 野尻武助 上記の再計算 3812 温度の補正が異なる
1880 チャップリン 三角測量 3787.2
1880 ライン 3745.5
1880 シュット 3766.4
1880 ミルン 3882.3
1887 参謀本部 三角測量および平板測量 3778

(2003):pp.23-30200310 

(1998):Height of Mountains19989

[]


2

3775.51 m[]


cm251[ 9][14]

3775.51 m2014413775.63 m[15]

 (3776.12 m)[]


1003[16]1 m3776 m352139 1384339

201412 m 0.61 m 3776.12 m[ 10][17][18][15]

[]


- 3952 m

- 23886 m

 - 23193 m

 - 223067 m

 - 3 m6.05201133

 -24.5320113

 - 8848 m

 - 228611 m

[]


4









20044調4[19]

8153000 m12 km

200910GPS199642-2 cm[20]

西駿3[21][22][23][23][23]


123

8西3775.51 m 201441[ 2]3756.23 m 2014413538.7 m237 m780 m130 m[24]

#



417072693 m西



70[25][26]


  • 大室山(標高1,300m2[26]
  • 長尾山(標高1,424m2[26]
  • 片蓋山(標高1,468m2[26]
  • 弓射塚(標高1,570m2[26]
  • 伊賀殿山(標高1,490m2[26]
  • 野頭山(標高1,510m2[26]
  • 二ツ塚(標高1,492m2[26]
  • 西剣(標高1,570m2[26]
  • 臼山(標高1,720m2[26]
  • 椹山(標高1,630m2[26]
  • 氷山(標高1,553m2[26]
  • 幸助丸(標高1,870m2[26]
  • 八軒山(標高1,770m2[26]
  • 桟敷山(標高1,800m2[26]
  • 大平山(標高2,100m2[26]
  • 丸山(標高1,700m2[26]
  • カタボッコ(標高1,290m2[26]
  • 東剣(標高1,649m2[26]
  • 天神山(標高1,430m2[26]
  • 塒塚(標高1,598m2[26]
  • 犬涼み山(標高1,206m2[26]
  • 奥庭(標高2,180m2[26]
  • 焼山(標高1,660m2[26]
  • 小富士(標高1,906m2[26]
  • 二ツ塚第一丘(標高1,926m2[26]
  • 二ツ塚第二丘(標高1,802m2[26]
  • 荊塚(標高1,651m2[26]
  • 浅黄塚(標高1,575m2[26]
  • 桧塚(標高1,390m2[26]
  • 西臼塚(標高1,293m2[26]
  • 西黒塚(標高1,470m2[26]
  • 平塚(標高1,495m2[26]
  • 腰切塚(標高1,474m2[26]
  • 赤塚(標高1,374m2[26]
  • 鑵子山(標高1,306m2[26]

源流の河川[編集]

源流となる以下の河川は4水系に区分され、すべて太平洋へ流れる。

富士山と火山活動[編集]

富士山の噴火[編集]


11西25002800殿

11800030004500320013002300[27]

19  21800  8026864417074 cm

781




3001990

2013720199915調2(Ver.1)[28]2016[27]200043

[]


西53412[29]7



2900殿18m3[30][31]殿駿

1331 [32]

241891 [33]

[]


 - 3200010

[34]

 - 

[35][36]

201612220133200 m[37]

[]




[38]鹿GPS

[39]殿86GSP

[40] (VIsualization system for Volcanic Activity)

[]


調[41]2012

2018[42]

[]

[]


86 °C[43]0 °C10 °C12345610198122738.0 °C30 °C30 °C1[44]
富士山(剣ヶ峰、標高3776m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F −1.7
(28.9)
0.0
(32)
1.0
(33.8)
4.7
(40.5)
12.2
(54)
12.3
(54.1)
17.4
(63.3)
17.8
(64)
16.3
(61.3)
14.0
(57.2)
6.9
(44.4)
3.6
(38.5)
17.8
(64)
平均最高気温 °C°F −15.3
(4.5)
−14.3
(6.3)
−10.9
(12.4)
−5.9
(21.4)
−0.6
(30.9)
4.0
(39.2)
8.0
(46.4)
9.5
(49.1)
6.5
(43.7)
0.7
(33.3)
−5.9
(21.4)
−12.2
(10)
−3.0
(26.6)
日平均気温 °C°F −18.2
(−0.8)
−17.4
(0.7)
−14.1
(6.6)
−8.8
(16.2)
−3.2
(26.2)
1.4
(34.5)
5.3
(41.5)
6.4
(43.5)
3.5
(38.3)
−2.0
(28.4)
−8.7
(16.3)
−15.1
(4.8)
−5.9
(21.4)
平均最低気温 °C°F −21.4
(−6.5)
−21.1
(−6)
−17.7
(0.1)
−12.2
(10)
−6.3
(20.7)
−1.4
(29.5)
2.8
(37)
3.8
(38.8)
0.6
(33.1)
−5.1
(22.8)
−11.8
(10.8)
−18.3
(−0.9)
−9.0
(15.8)
最低気温記録 °C°F −37.3
(−35.1)
−38.0
(−36.4)
−33.9
(−29)
−27.8
(−18)
−18.9
(−2)
−13.1
(8.4)
−6.9
(19.6)
−4.3
(24.3)
−10.8
(12.6)
−19.5
(−3.1)
−28.1
(−18.6)
−33.0
(−27.4)
−38.0
(−36.4)
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1932年7月-2021年)[45][46]
平均気温の推移[注釈 11]
最高気温・最低気温・湿度の推移
平均最高気温[注釈 12]
最高気温(最高値)[注釈 13]
最高気温(最低値)[注釈 14]
平均最低気温[注釈 15]
最低気温(最低値)[注釈 16]
最低気温(最高値)[注釈 17]
各階級の日数[注釈 18]
平均湿度の推移[注釈 19]
出典:気象庁[47]

富士山での気象観測[編集]

かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置していた気象官署が富士山測候所である。現在は富士山特別地域気象観測所となっており、自動気象観測装置による気象観測を行っている。

[]


20101215西西[48]

[49]

2600 m[50]


[]


192622420103819291217

[]


1670 m19681154m3[51]
地域 名称
南東麓 柿田川日本三大清流)、小浜池
南麓 吉原湧泉群
西麓 湧玉池特別天然記念物)、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念物)、猪之頭湧泉群
北麓 忍野八海(国指定の天然記念物)

駿西25 m[51]


[]

西

100

2139 m西

[]


[52]
三合目付近の森
(北西斜面、標高1800 m)
五合目付近のカラマツ林
(北西斜面 奥庭、標高2200 m)
八合目付近のオンタデ
(東斜面、標高3200 m)
山頂部(標高3700 m)の砂礫地帯
植生はほとんど見られない

[]

[]


-

駿駿駿駿駿駿駿

駿駿



[53]3125981264  1275

[]


殿1818[53]

915006

[]

1890

41868[54][53]188316殿190639

23201127駿[55][56]

[]



富士山の登山史
和暦 西暦 内容 補足
推古天皇6年 598年 平安時代甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神馬に乗り富士山の上を越えたとする記述がある。 諸国から献上された数百頭の中から白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、同年9月に太子が試乗すると、馬は天高く飛び上がり東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。
天智天皇2年 663年 役小角が、流刑された伊豆大島から毎晩密かに逃げ出し、富士山へ登ったという伝説が残る。 役小角は「富士山開山の祖」ともいわれる。この役小角の登山はマルセル・クルツの『世界登頂年代記』に掲載されており、記録は改訂されたものの「世界初の登山」という記述がされていた。
貞観17年 875年 平安時代の学者である都良香が『富士山記』の中で山頂火口のさまを記す。 山頂には常に沸き立つ火口湖があり、そのほとりにの姿に似た岩があるなど、実際に見た者でなければ知りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した者に取材したと考えられる。なおこの約10年前には山頂噴火ではないが有史最大の貞観大噴火があった。
久安5年 1149年 『本朝世紀』には末代上人が数百回の登山を繰り返したとある。 回数は一致するものかは不明であるが、登山を多く行った人物として知られる。
江戸時代に入ると富士講が盛んになり、多くの参拝者が富士登山(富士詣)をした。 特に江戸後期には講社が多数存在し、富士詣は地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っていた。最盛期には吉田口だけで百軒近くの宿坊山小屋)があった。
文政11年 1828年 気圧計による高度測定の試み シーボルトの弟子である二宮敬作が登頂し、気圧の変化により高度測定を行った。伊能忠敬の測量では2603–3732 m[57]とされていたが、この測定では3794.5 mと算出されている[58]
天保3年 1832年 高山たつが女性として初登頂。 女人禁制が敷かれていた時代である。
嘉永6年 1852年 松平宗秀本庄宗秀)が近世大名として初登頂。 富士宮市の有形文化財となっている、造り酒屋の主人が記した『袖日記』という古記録に、宮津藩主松平宗秀が富士登山を行った記録がある。『袖日記』の6番によると、宗秀は江戸と宮津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろうと思い始めたが、参勤交代の道程は幕府に指定されており、これを逸脱したり、たとえ社寺参詣であっても寄り道したりすることは許されない。このため富士に登山を幕府に願い出るも中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「馬返し」と呼ばれる地点までであった。馬返しというのは一合目よりも下の場所であり、登山客はここで馬を下りて山に登るという地点である。

そこで宗秀は嘉永6年(1852年)6月21日、幕府に秘密裡に登山を決意し、明け方から出発して山を登り始め、昼過ぎには頂上に着いたという。宗秀の富士山登頂は、近世大名が富士登山を行った唯一の記録となった。

万延元年 1860年 英国公使オールコックが外国人として初登頂。 古事類苑』にオールコックの登山についての記録(富士重本[注釈 20]が寺社奉行所に提出した届出)があり、「英人富士山ヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二日大雨にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成り、廿五日快晴致し、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上いたし…」とある。オールコックは7月24日に大宮から村山に入り登山を行い、26日に登頂した[54]
明治4年 1872年 女人禁制が解かれる。 明治時代になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、欧米の近代登山技術が取り入れられることになる。
明治25年 1892年 英国人のウォルター・ウェストンが登頂。 翌年にも登頂した。その後、本を出版して富士山などの日本の山々を世界に紹介した[59]
明治28年 1895年 野中到が冬季初登頂。 2月16日に御殿場口から単独で登頂。同年10月から12月まで山頂で気象観測を行った[60]
大正12年 1923年 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の登山 7月26日の事、須走に赴いてから8合目まで乗馬にて登山後、8合目以上は徒歩にて登山を行なった。奥宮を参拝し金剛棒に焼印などを行った後、御殿場口より下山された[61]
大正12年 1923年 秩父宮雍仁親王の登山 8月20日の夜に御殿場口から登山し、翌朝頂上に到着。奥宮を参拝後、下山。
昭和2年 1927年 中村テルが冬季女性初登頂 1月1日に御殿場口から登頂、男性2人と共に[60]
昭和47年 1972年 富士山大量遭難事故 (1972年) 悪天候による雪崩や低体温症などで24名の死者・行方不明者を出す国内最悪の遭難事故となった。
昭和63年 1988年 浩宮徳仁親王(当時・現今上天皇)の登山。 8月1日-2日の登山で、須走口から八合目を往復した[62]。天候の悪化で登頂は断念される。
平成20年 2008年 皇太子徳仁親王が登頂。 8月7日に富士宮口を出発後、御殿場口登山道に入り登頂[63]

202024殿[ 21][64][65]

[]

[]

 

[ 22][ 23]176[66]3[ 24]15332[67]15775[68]160914[53][69]

[ 25]1810[70]

[]


161703[ 26]123226:42[71]

[]


1772[ 27][ 28]817798[ 29]

2

[]


[72][72]駿使[72]

[]


17798[72][72][72]

17197449[72]

[]


8便

20141[73]201310[74][75]

JP便駿殿便[76]

第二次世界大戦[編集]

富士山上空を飛ぶB-29の編隊

1945年(昭和20年)7月10日、富士山頂にあった富士山測候所アメリカ軍による機銃掃射攻撃が行われた[77]。富士山は独立峰で遠方への眺望が効き、日本本土空襲を行うアメリカ軍機の動向を視認できる場所であったほか、1944年には東京と八丈島を結ぶ無線通信回線の中継拠点として山頂の旧登山小屋が活用されたため麓からの送電が始められ、高層気象観測拠点として重要な測候所へも給電された。また、この測候所からは東京の灯火管制を点検していた。日本の象徴という文化的意味に加え、軍事拠点ともなった富士山頂への攻撃が大戦末期に行われ、観測員に負傷者が出た事が業務日誌である『カンテラ日誌』を通じて残されている。

また、アメリカ軍は日本の降伏を早めるために富士山をペンキで真っ赤に染め上げ、士気を下げるという計画を立案した。しかし、計画に必要な物資の量がB-29約3万機、ペンキ約12トンという膨大な量になる計算だったため、現実性に欠けるとして計画は中止されたというエピソードも紹介されている[78]

富士山と眺望[編集]

日の出と富士山

特別名勝としての富士山[編集]


2719521071122[79][80]殿殿1500 m[81]

富士山の眺望[編集]

富士山への良好な眺望が得られる128景233地点を、国土交通省関東地方整備局が関東の富士見百景として、2005年(平成17年)に選定した。また2017年には環境省および都県・市町村が中心となり、「富士山がある風景100選」が選定された。富士箱根伊豆国立公園指定80周年記念事業に伴うものである。


西便便



322.9[82][83][84]2017116308919m[85]271 km[83]2014[86]20[87]

[]


姿
画像 富士山の姿 解説
赤富士 夏の朝、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。
葛飾北斎をはじめとした画家が「赤富士」を描いた絵画を残した。
紅富士 雪化粧した富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。
モルゲンロート」(ドイツ語Morgenrot)が用いられる場合がある。
逆さ富士 波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景。
D五千円券の裏の図案に、本栖湖の逆さ富士が使用された。
竜ヶ岳(山梨県)から望む日の出時のダイヤモンド富士(2015年12月5日撮影) ダイヤモンド富士 太陽が昇った時又は沈む時、太陽が富士山の頂上と重なり、
富士山の頂上付近がダイヤモンドのように光る現象。
富士山が見える西又は東の場所から、年に2回見ることができる[88]
影富士 朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出される風景。
富士山登山時に山の上部から、雲海の上に見られる場合がある。
笠雲 笠雲とレンズ雲を伴う。富士山の頂上に傘をかぶせた雲がある風景。
その際は、次第に麓では曇りまたは雨になることが多い。

「表富士」と「裏富士」[編集]

『不二三十六景 甲斐夢山裏富士』

姿[89]8168035

 

 [ 30]  

[]

[]




510 %2750 m[90]

[]


 

1069姿
 

[ 31]

[92]

176741831-342518345使[93]

1850[94][95][96]
501938



189326

[97] 815







西西



1913501951196919842004[98]

便[99]
西199911

199911

200517

[]




 (3.318) 

   3319



 西 (#1613)



[100]

駿駿駿

[101]







141939[ 32]



/

[]


[102]

[103][104]

[]

[]


[105]719[106] [106]

その他の観光[編集]


姿

 - 

 - 

 - 

 - 13

 - 

 - 5

223[]


2232:2:3:

200113 ()

200214 102

2009211221 1225

2011232011

NIFTY-Serve(FYAMAP)199611

[]


421242008114[107][108]

[]


NPO5

[]


[109][110]

2014[111]3952 m

備考[編集]

文字[編集]

  • 和文通話表で、「」を送る際に「富士山のフ」という。
  • 文字コードのUnicode6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加されたが、その中に「MOUNT FUJI」として富士山も含まれている(U+1F5FB、🗻[112]
記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
🗻 U+1F5FB - 🗻
🗻
MOUNT FUJI

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 3775.51 m201441

(二)^ abc3775.51 m - 20151024

(三)^ 3000 m3

(四)^ 

(五)^ 19361121[3]

(六)^    

(七)^ 駿()[5][]

(八)^ []

(九)^ 1

(十)^ 23775.51 m20144112 m0.61 m0.61 m1991

(11)^ 1970(-8),2014(-7.2),2019(-5.7)

(12)^ 1970(-5),2006(-3.4),2008(-4),2010(-0.6),2014(-4.3),2019(-2.8)

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関連項目[編集]





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 - 使

FM NACK5 - 

 - VITAMIN

外部リンク[編集]

防災関連(ハザードマップ)
ライブカメラ
眺望