フィリピン
- フィリピン共和国
- Republika ng Pilipinas(フィリピン語)
Republic of the Philippines(英語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:Maka-Diyos, Maka-Tao, Makakalikasan at Makabansa
(タガログ語: 神、国民、自然、国への愛情のために) - 国歌:Lupang Hinirang(タガログ語)
最愛の地 -
公用語 フィリピン語
英語首都 マニラ市/マニラ首都圏[1] 最大の都市 ケソン市(ルソン島)
セブ市(ビサヤ諸島)
ダバオ市(ミンダナオ島)- 政府
-
大統領 ボンボン・マルコス 副大統領 サラ・ドゥテルテ 元老院議長 フランシス・エスクデロ 代議院議長 マーティン・ロムアルデス 最高裁判所長官 アレクサンダー・ゲスムンド - 面積
-
総計 299,404[2]km2(70位) 水面積率 0.61% - 人口
-
総計(2020年) 109,581,000[3]人(13位) 人口密度 367.5[3]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2020年) 17兆9385億8400万[4]フィリピン・ペソ - GDP(MER)
-
合計(2020年) 3614億8900万[4]ドル(31位) 1人あたり 3322.512[4]ドル - GDP(PPP)
-
合計(2020年) 9192億9300万[4]ドル(27位) 1人あたり 8449.381[4]ドル
独立
- 宣言
- 承認スペインから
1898年6月12日
大日本帝国から
1943年10月14日
アメリカ合衆国から
1946年7月4日通貨 フィリピン・ペソ(PHP) 時間帯 UTC+8 (DST:なし) ISO 3166-1 PH / PHL ccTLD .ph 国際電話番号 63
概要[編集]
フィリピン諸島は、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、バシー海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと向かい。南シナ海のスプラトリー諸島の一部を実効支配しており︵パグアサ島など︶、全体の領有権や領海・排他的経済水域を巡っては中国、ベトナム、台湾、マレーシアと対立を抱える。 同国は81の州と1の首都地域で構成され、最小行政単位はバランガイ︵Barangay︶で4万2027にのぼる。 国名のフィリピンは16世紀の旧宗主国のスペイン皇太子フェリペ︵後のフェリペ2世国王︶の名前から命名された。国名[編集]
歴史[編集]
フィリピンの歴史 | |||||||||||||||||||||||||||||
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この記事はシリーズの一部です。 | |||||||||||||||||||||||||||||
植民地時代(1565年 - 1946年)
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フィリピン ポータル |
先史時代[編集]
古代[編集]
紀元前500年~紀元13世紀の間にマレー系民族が移住してきた。900年ごろの日付が記録されているラグナ銅版碑文などによれば、当時既にカウィ文字やバイバイン文字など複数の文化を受容出来る成熟した都市国家を形成していたことが明らかにされている。イスラームの流入[編集]
14世紀後半にイスラム教が広まった。中国大陸(明)や東南アジアとの交易で栄えたが、7000を超える諸島である現在のフィリピンに相当する地域に統一国家は形成されていなかった。
スペイン植民地時代[編集]
第一共和国と植民地時代[編集]
第二次世界大戦と独立[編集]
再独立[編集]
マルコス独裁[編集]
エドゥサ革命[編集]
民衆の不満が高まったため、1986年2月22日に起きた﹁エドゥサ革命﹂︵二月革命、ピープル・パワー革命︶でマルコス政権は崩壊し、現在のフィリピン第四共和国体制が成立した。この革命は同年2月22日の国軍改革派将校の決起から25日のコリーアキノ政権樹立に至る4日間の出来事であった。民主化を求める市民が、マニラ首都圏の中心部でデモや集会、座り込みや兵士に花束を渡す行動を起こした。その模様をリアルタイムで、多くのテレビカメラの放列が世界中に生放送した。これらマスメディアの報道が心理的圧力となり、フィリピン共和国軍は市民に銃を発砲出来無かった[21]。 マルコスとイメルダはアメリカ合衆国ハワイ州に亡命した[22]。新人民軍による三井物産マニラ支店長誘拐事件︵1986年11月15日 - 1987年3月31日︶が発生。 第二次世界大戦後の冷戦期間中のフィリピンは、同じく西側諸国に属すこととなった日本と同様に、極東アジアにおけるアメリカの重要な拠点となり、米軍に基地を提供していたが、1990年代初頭の冷戦終結を受けた米軍のアジア駐留軍縮小、およびピナトゥボ山の噴火に伴う基地機能の低下、フィリピン国内のナショナリズムの高揚、フィリピン共和国憲法改正により、在比米軍は軍備を沖縄に集約し、フィリピンから撤退した。フィリピン紛争[編集]
アジア通貨危機以降[編集]
フィリピン経済に転機が訪れたのは、1990年代後半だった。1997年にアジア通貨危機が発生すると、そのあおりを受けてペソ暴落に見舞われたが、経済がバブル状態ではなかったので、財政破綻したタイ、一時期国家崩壊の危機に陥ったインドネシア、国家破綻しかけた韓国などに比べると回復は早く、国際通貨基金︵IMF︶の管理下になることを免れた。 フィリピンの経常収支は1000万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられており、出稼ぎ、特に看護師はフィリピンの有力な産業と言ってもよい[25]。主要な貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は距離的にも近い中華人民共和国や中華民国︵台湾︶、大韓民国との貿易も増えている。 東南アジアではベトナム・インドネシアと共にNEXT11の一角にも数えられており、今後も経済発展が期待できる新興国の一つに数えられている。 また、長年の懸案であった、ミンダナオ島を活動拠点とする南部の武装ムスリム勢力に対しては、MILF︵モロ・イスラム解放戦線︶との和解交渉が成立するなどの進展が見られた。ミンダナオ島にも、アメリカなどからの直接投資も入り始めている。一方、ISILへの支持を明確化したアブ・サヤフの活動が活発化。2017年5月、フィリピン軍は、ミンダナオ島マラウィ市にてアブ・サヤフと市街戦になった[26]。 2018年7月26日、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領はムスリムによる自治政府樹立を認める﹁バンサモロ基本法﹂に署名[27]。翌年の住民投票の結果、従来のイスラム教徒ミンダナオ自治地域よりも強い自治権を有するバンサモロ自治地域が発足した。 2020年以降、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、海外へ赴く出稼ぎ者やフィリピンに来訪する観光客の出入国が難しくなった。さらに2021年8月から10月にはマニラを中心に感染拡大を防止するためにロックダウンも行われ、国内の経済は大きなダメージを受けた[28][29]。 2022年初頭、感染者数が減少傾向を見せたタイミングで入国制限の緩和が行われ、同年3月末の時点で海外からの観光客の予約件数は、2019年の72%のレベルまで回復する傾向を見せた[30]。 2022年フィリピン大統領選挙では、ボンボン・マルコスが当選した[31]。政治[編集]
元首・行政[編集]
大統領を元首とする共和制国家であり、フィリピンの大統領は行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年で、フィリピン憲法の規定により、再選は禁止されている。
立法[編集]
憲法[編集]
国際関係[編集]
東南アジア諸国連合(ASEAN)創設以来の加盟国である。
日本との関係[編集]
アメリカとの関係[編集]
周辺諸国関係[編集]
国家安全保障[編集]
地理[編集]
-
ルソン島北部に広がる世界遺産フィリピン・コルディリェーラの棚田群
-
パラワン島
気候[編集]
地方政治[編集]
地方政府[編集]
地方政治家は、地方選挙区から選ばれる議員︵下院議員︶や州知事、市長、町長などの地方政府の首長が当てはまる。 地方政治家は、大土地所有の大地主で地方権力を握り、経済的支配を背景に、世襲政治家が跋扈する。つまりは﹁金持ちによる支配﹂。地主と農民が互報酬制、つまりパトロン・クライアント関係︵コスタリカ方式︶で結び付けられている。伝統的な政治家︵トラディショナル・ポリティシャン︶を省略した﹁トラポ﹂[注釈 9] に象徴される汚職、公職を利用した汚職による私的蓄財というイメージが強い。また、私兵的な暴力集団を持つ地方政治家や、選挙時に投票者に通貨を配り買収する活動もする。 これらの地方政治家を表現する場合、﹁ボス﹂﹁ウォーロード﹂などが使われる。例として、イサベラ州のディー、ヌエバ・エシハ州のホソン、タルラック州のコファンコとアキノ、カマリネス・スル州のフエンテペリャ、セブ州のオスメーニャとドゥラノなど。 地方政治家は中央政府から比較的自由で、自分の支配地では﹁好き勝手やり放題﹂という認識が多い[46]。地方行政区画[編集]
島 | 地方 | 称号(タガログ語) | 中心都市 | 面積 | 人口 |
---|---|---|---|---|---|
ルソン | 国家首都地方 | NCR | マニラ | 638.55km2 | 1185万5975人 |
イロコス地方 | Rehiyon I | サン・フェルナンド | 1万3012.60km2 | 502万6128人 | |
カガヤン・バレー地方 | Rehiyon II | トゥゲガラオ | 2万8228.83km2 | 345万1410人 | |
中部ルソン地方 | Rehiyon III | サン・フェルナンド | 2万2014.63km2 | 1121万8177人 | |
カラバルソン地方 | Rehiyon IV-A | カランバ | 1万6873.31km2 | 1441万4774人 | |
ミマロパ地方 | Rehiyon IV-B | カラパン | 2万9620.90km2 | 296万3360人 | |
ビコール地方 | Rehiyon V | レガスピ | 1万8155.82km2 | 579万6989人 | |
コルディリェラ行政地域 | CAR | バギオ | 1万9422.03km2 | 172万2006人 | |
ビサヤ | 西ビサヤ地方 | Rehiyon VI | イロイロ | 2万0794.18km2 | 753万6383人 |
中部ビサヤ地方 | Rehiyon VII | セブ | 1万5895.66km2 | 739万6898人 | |
東ビサヤ地方 | Rehiyon VIII | タクロバン | 2万3251.10km2 | 444万0150人 | |
ミンダナオ | サンボアンガ半島地方 | Rehiyon IX | パガディアン | 1万7056.73km2 | 362万9783人 |
北ミンダナオ地方 | Rehiyon X | カガヤン・デ・オロ | 2万0496.02km2 | 468万9302人 | |
ダバオ地方 | Rehiyon XI | ダバオ | 2万0357.42km2 | 489万3318人 | |
ソクサージェン地方 | Rehiyon XII | コロナダル | 2万2513.30km2 | 424万5838人 | |
カラガ地方 | Rehiyon XIII | ブトゥアン | 2万1478.35km2 | 259万6709人 | |
バンサモロ自治地域 | BARMM | コタバト | 1万2711.79km2 | 427万3149人 |
都市[編集]
都市 | 行政区分 | 人口(人) | 都市 | 行政区分 | 人口(人) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ケソン | マニラ首都圏 | 2,960,048 | 11 | ヴァレンズエラ | マニラ首都圏 | 714,978 | |||
2 | マニラ | マニラ首都圏 | 1,846,513 | 12 | ダスマリニャス | カラバルソン地方 カヴィテ州 | 703,141 | |||
3 | ダバオ | ダバオ地方 南ダバオ州 | 1,776,949 | 13 | ジェネラル・サントス | ソクサージェン地方 南コタバト州 | 697,315 | |||
4 | カローカン | マニラ首都圏 | 1,661,584 | 14 | パラニャーケ | マニラ首都圏 | 689,992 | |||
5 | サンボアンガ | サンボアンガ半島地方 | 977,234 | 15 | バコール | カラバルソン地方 カヴィテ州 | 664,625 | |||
6 | セブ | 中部ビサヤ地方 セブ州 メトロ・セブ | 964,169 | 16 | サン・ホセ・デル・モンティ | 中部ルソン地方 ブラカン州 | 651,813 | |||
7 | アンティポロ | カラバルソン地方 リサール州 | 887,399 | 17 | マカティ | マニラ首都圏 | 629,616 | |||
8 | タギッグ | マニラ首都圏 | 886,722 | 18 | ラスピニャス | マニラ首都圏 | 606,293 | |||
9 | パシッグ | マニラ首都圏 | 803,159 | 19 | バコロド | 西ビサヤ地方 西ネグロス州 | 600,783 | |||
10 | カガヤン・デ・オロ | 北ミンダナオ地方 東ミサミス州 | 728,402 | 20 | モンティンルパ | マニラ首都圏 | 543,445 | |||
2020年国勢調査 |
経済[編集]
農業[編集]
財閥[編集]
植民地時代・独裁時代に一部の特権階層が経済を独占してきたアシエンダ制︵大農園︶の影響が残っており、財閥による寡占状態にある。Andrés Sorianoによって急成長したサンミゲル醸造所を傘下に収めるサン・ミゲル社、不動産開発で成功したアヤラ財閥、砂糖プランテーションから不動産開発に多角化したアラネタ財閥、Ortigas Centerを所有するオルティガス財閥、ミンダナオのバナナプランテーションや銃器メーカーArmscorで有名なツアソン財閥 (Tuason Family)、コラソン・アキノの父Jose Cojuangcoの興したホセ・コファンコ・アンド・サンズ (Jose Cojuangco and Sons Inc., JCSI) 社を擁すコファンコ財閥、Alfonso Yuchengco率いるユーチェンコ財閥 (Yuchengco Group)、John Gokongwei率いるコーヒー会社や食品会社Universal Robinaで有名なゴコンウェイ財閥 (Gokongwei)、ヘンリー・シィ率いるSMプライムホールディングスを擁すシューマート財閥 (SM Investments Corporation)、マリアノ・ケ (Mariano Que) 率いるMercury Drugなどが知られている。鉱業・エネルギー[編集]
工業・貿易[編集]
順位 | 国家 | 貿易額 |
---|---|---|
1 | 中華人民共和国 | 約5兆800億円 |
2 | 日本 | 約2兆9000億円 |
3 | アメリカ合衆国 | 約2兆6000億円 |
サービス業[編集]
ビジネス・プロセス・アウトソーシング︵BPO︶は観光と並び、今後フィリピンで最も成長するであろう産業だと見られている[56][57]。特にコールセンター業が有名で、労働力が安価であることと教育水準が高いことに加えて、元々アメリカの植民地であり暫定措置としてではあるが公用語が英語と定められ広範に使われていることもあり、欧米企業に人気がある。2010年にはインドを抜いて世界最大の委託先となっている[58][59]。BPOの雇用者数は2005年には約10万人だったのが2012年には約70万人に増加しており[60]、年間110億ドルを売り上げている[61]。2016年にはさらに約130万人の雇用と年間274億ドルの売り上げを生み出すと予測されている[62]。 その他にも、近隣の日本や韓国など非英語圏の国からの英語の語学留学先としても人気がある。出稼ぎ労働[編集]
中東地域などに建設労働者、メイド、家政婦として出稼ぎを行うフィリピン人は多く、彼らが本国へ送金する仕送り額は2016年現在、1兆2780億ペソと名目GDP比率で8.8%に相当する額となっている[63]。ただし彼らが勤務先で良好な労働環境に恵まれているとは限らず、しばしば虐待に遭う被害を受け、国際問題化することもある[64]。観光[編集]
順位 | 国・地域 | 人数 |
---|---|---|
1 | 中国 | 100万4000人 |
2 | シンガポール | 67万3374人 |
3 | 香港 | 58万4481人 |
4 | マレーシア | 55万4917人 |
5 | 韓国 | 40万3622人 |
経済成長率[編集]
経済成長率はグロリア・アロヨ政権時代の4.5%と比較し、2011年から2017は平均して6%以上を達成し、国際経営開発研究所︵IMD︶世界競争力ランキングの順位を上げた。2017年には直接投資が過去最高となったものの、憲法や各種法規が、海外資本による直接投資の妨げや、海外資本の土地や公共事業体の所有の制限となっているため、地方への海外資本の直接投資は限られている[47]。交通[編集]
道路[編集]
- ジープニー - 初乗り:子供7ペソ、大人8ペソ50センタボ
- フィリピンで最も有名な交通機関の一つがジープニーであり、フィリピンの全土でみられる。これは第二次世界大戦後に在比米軍が払い下げたジープが元となったいわゆる乗合タクシーで[66]、今日ではトヨタ・キジャン第3世代のTamaraw FXのように、最初からこの用途に製造された車体も登場している。バスとジープニー、それにTamarawは、規定された料金で決まったルートを走行する。
鉄道[編集]
海運[編集]
フィリピンの国土は多数の島々から成るため、フェリーボート、貨客船の航路が発達しているものの、使用船舶は他国での中古船が多く新造船は殆ど無く旅客定員も改造によって安全基準を超過しているものもあり、安全に対する意識が低く、事故率も高い︵例‥ドニャ・パス号事故︶。航空[編集]
国民[編集]
民族[編集]
フィリピン人[編集]
タガログ族[編集]
フィリピンの主要民族はタガログ族であり、ルソン島のリサール州、ラグナ州、タルラック州、ブラカン州、バターン州などに住み、タガログ語は他のフィリピン諸語と同じく、オーストロネシア語に属する。これを母語とする者は2500万人以上と推計される。16世紀後半から約300年にわたるスペイン人の支配により、タガログ族の80%以上がカトリック教徒となっている。大半が木やニッパヤシでつくった小さな高床式の家屋に住み、水稲耕作を主とする農業を営んでいるが、主要な換金作物はサトウキビとココナッツである。19世紀から20世紀初頭にかけて起こった白人︵スペイン人、アメリカ人︶と日本人の植民地支配に対する革命運動で、最も重要な役割を演じた民族でもある。そのため、フィリピン国民の主要な英雄や、独立後の政府の指導者多く輩出している。ルソン島にはその他にもイロカノ族︵人口約810万人︶、ビコラノ族︵人口約540万人。ビゴール語を話す︶、カパンパンガ族︵約人口300万人︶、パンガシナン族︵約人口110万人。但し、イロカノ族との混血が進んでいる︶など、他にも多数の中小部族を抱えている。ビサヤ族[編集]
続く主要民族はビサヤ諸島︵セブ島、パナイ島、レイテ島、サマール島︶を中心として、ルソン島からミンダナオ北部にかけて居住する新マレー系住民のビサヤ族である。オーストロネシア語族に属するビサヤ諸語を話し、人口は2000万を超えると推定されるが、政治的に、社会的地位は、タガログ族が圧倒的優位を占めている。但し、一言にビサヤ族と言えど、実際には多数の部族が存在している。ビサヤ族の最大の部族はセブアノ族であり、セブアノ語を話し、セブ、シキホール、ボホール島などの各島に居住し、1200万人の人口を誇る。2番目の人口を有するヒリガイノン族の人口は約700万人であり、ヒリガイノン語を話し、パナイ、西ネグロス、南ミンドロなどの各島に居住している。3番目にはワライ族であり、人口は約310万人。ワライワライ語を使用し、サマール、東レイテ、ビリランの各島に居住し、おもな生業は水田耕作による水稲栽培であるが、一部は漁労や商業にも従事している。主食は米、魚、野菜、果物である。双系親族、儀礼的親族を有する。かつてはラオンと呼ぶ至上神を信仰し、アニミズム信仰も盛んであったが、現在はほとんどキリスト教に改宗している。他にも多数の中小部族が存在している。そのため、マニラ中心の中央政府と協調関係を取りながらも、独自の文化、習慣、言語、民族性を保持している州政府が多い。モロ族[編集]
ミンダナオ島などの南部にはイスラム教徒のモロ族︵バジャウ族、ヤカン人、タウスグ人、サマル人など︶が存在する。華人[編集]
フィリピン華人の大部分は中国大陸の福建南部︵特に晋江︶の出身である[68]。明・清時代からの古い華人が多く、現地化や混血︵メスティーソ︶が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫であり、フィリピン独立の英雄として知られるホセ・リサールも中国系移民の系譜を持つ[68]。現在でも中国語︵福建閩南語︶を話し、中国の生活習慣に慣れ親しむ者は100万人程度と推定される。苦力出身者がほとんどおらず、商業移民が中心となっている[69]。中国系移民の総人口に占める割合は比較的小さいが、2012年6月にフォーブズが発表したフィリピンの富豪上位10位の7割を中国系移民及びその子孫の企業グループが占めているように、経済的成功者も多く、フィリピン社会への影響力は大きい[68]。 フィリピンの華人は、スペイン統治時代に幾度も排斥政策を取られたことから、存続のため、現地社会との融合度が高く、現地人との通婚が進んでおり、仏教を捨ててカトリック教会へ改宗した者も多い[68][69]。また、フィリピンが反共を掲げた経緯から、同じく反共を掲げ、西側陣営に属した台湾︵中華民国︶との関係が深い。フィリピンの華人社会で使われる漢字は、台湾と同じ繁体字である[69]。メスティーソ[編集]
過去数百年で中国系︵華人︶やスペイン人︵サンボアンゲーニョ︶との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。混血者はラテンアメリカと同様にメスティーソと呼ばれる。フィリピンは外国へ出稼ぎに行く国民が10人に1人はいる出稼ぎ国家で、外国で働く労働者が多いため、その他の混血の人も多い。その中でも、日本人・アメリカ人とフィリピン人の混血が多い。少数民族[編集]
山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオなどがいる。フィリピン各地の山岳地帯や南部のミンダナオ島、スールー諸島、パラワン島の住民は中北部の低地住民とは文化や生活様式を異にしてきた人々を少数民族という。これらの人々は全人口の10%前後であるといわれている。南部に住むムスリム︵モロ族︶と各地の山岳地帯に住む住民の2つに分けられる。アメリカは、少数民族を﹁非キリスト教徒部族民﹂と名付け、後進的な野蛮人と見なした︵モロの反乱︶。これらの少数民族からも国会議員や地方議員が出ているが、彼らは地域の﹁ボス﹂であることが多く、少数民族の利害や権利は政治に反映されなかった。差別の原因を宗教の違いにされたり、無知からくる偏見にさらされた[70]。人口[編集]
- フィリピンの人口は2022年現在で1億1,020万人となっており[71]、これはアフリカのエチオピアに次いで世界第13位に位置する。
- 2014年7月27日に人口が1億人の大台を突破し[72]、なおも人口爆発の状態が続いている[73]。
1960年 | 1970年 | 1975年 | 1980年 | 1990年 |
---|---|---|---|---|
27,087,685 | 36,684,486 | 42,070,660 | 48,098,460 | 60,703,206 |
1995年 | 2000年 | 2007年 | 2010年 | 2015年 |
68,616,536 | 76,506,928 | 88,566,732 | 92,337,852 | 100,981,437 |
言語[編集]
言語 | 話者数 | ||
---|---|---|---|
タガログ語 | 24.44 % |
|
22,512,089 |
セブアノ語 | 21.35 % |
|
19,665,453 |
イロカノ語 | 8.77 % |
|
8,074,536 |
ヒリガイノン語 | 8.44 % |
|
7,773,655 |
ワライ語 | 3.97 % |
|
3,660,645 |
その他の現地語/方言 | 26.09 % |
|
24,027,005 |
その他の外国語/方言 | 0.09 % |
|
78,862 |
言及なし | 0.01 % |
|
6,450 |
合計 | 92,097,978 | ||
脚注: Philippine Statistics Authority[75] |
人名・婚姻[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
宗教[編集]
教育[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
保健[編集]
医療[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
治安[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
人権[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
メディア[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
文化[編集]
食文化[編集]
フィリピン料理は、中国料理やかつての宗主国であるスペイン料理、アメリカ料理などの影響を受けている[84]。フィリピンは国際捕鯨委員会(IWC)を脱退しており、現在でも食用に捕鯨を行っている。
文学[編集]
フィリピンの初の近代小説はペドロ・パルテノによる『ニノイ』(スペイン語: Nínay、1885年)によって幕を開き、そのすぐ後にスペイン語で書いた2作の小説、『ノリ・メ・タンヘレ』(1886年)と『エル・フィリブステリスモ』(1891年)でスペインによるフィリピン植民地支配を告発したホセ・リサールが現れた[85]。米比戦争によって20世紀初頭にアメリカ合衆国に併合された後、公教育を通じて英語が教えられると、1925年ごろから英語による作品が書かれるようになり、また、1939年にフィリピン作家連盟が結成されている[86]。
漫画[編集]
フィリピンの漫画 (komiks) は1920年代に米国から影響を受けて始まり、1980年代の最盛期には新聞を超えてあらゆる出版物の中で最大の読者数を持っていた。しかし近代化に失敗したことで1990年代までに急速に衰退し、全国的に流通される定期刊行物という伝統的な出版形態は姿を消した。その後出版社や作家の世代交代が行われ、21世紀にはある程度の復興を果たしている[89]。
音楽[編集]
フィリピンの音楽文化は宗主国のスペインやアメリカ、アジア、ラテンアメリカ、および先住民の様々な音楽文化が混合する形で形成されている。
この節の加筆が望まれています。 |
映画[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
建築[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
世界遺産[編集]
フィリピン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が3件存在する。
-
フィリピンのバロック様式教会群 - (1993年)
-
トゥバタハ岩礁自然公園 - (1993年、2009年拡大)
-
フィリピン・コルディリェーラの棚田群 - (1995年)
-
ビガン歴史都市 - (1999年)
-
プエルト・プリンセサ地底河川国立公園 - (1999年)
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | タガログ語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Araw ng Bagong Taon | |
1月1日 (旧暦)(旧暦) | 旧正月 | Araw ng Bagong Taon ng mag Tsino | 移動祝日 |
2月25日 | エドゥサ革命記念日 | Araw ng EDSA Revolution | コラソン・アキノがフィリピン大統領に就任した日 |
復活祭直前の木曜日 | 聖木曜日 | Huwebes Santo | この日から日曜日まで連休になる。この期間を使って、出身地に帰省する人々が多く、バスターミナルや空港や港は大混雑になる。移動祝日。 |
復活祭直前の金曜日 | 聖金曜日 | Biyernes Santo | 移動祝日 |
復活祭直前の土曜日 | 聖土曜日 | Sabado de Gloria | 移動祝日 |
復活祭主日の日曜日 | 復活祭 | Linggo ng Pagkabuhay | キリスト教の主日。移動祝日 |
4月9日 | 勇者の日 | Araw ng Kagitingan | バターン死の行進の日 |
5月1日 | メーデー | Araw ng Manggagawa | |
6月12日 | 独立記念日 | Araw ng Kalayaan | 革命軍の最高指導者アギナルド将軍が、フィリピン独立を宣言した日 |
8月21日 | ニノイ・アキノの日 | Araw ni Ninoy Aquino | ベニグノ・アキノ・ジュニアがマニラ国際空港で暗殺された日 |
8月最終日曜日 | 英雄の日 | Araw ng mag Bayani | |
11月1日 | 万聖節 | Todos los Santos/Undas | 家族で故人の墓へ行き、故人を偲びつつ、皆が墓の前で飲んだり食べたりする日。 |
ヒジュラ暦9月の最終日 | ラマダーンの末 | Eid al-Fitr | ムスリムにとって日中の断食が終了する重要な大祭「イド・アル=フィトル」である。 |
11月30日 | ボニファシオの日 | Araw ni Andres Bonifacio | アンドレ・ボニファシオの誕生日 |
12月25日 | クリスマス | Araw ng Pasko/Notsebuwena | キリスト教徒の主日 |
12月30日 | リサール記念日 | Araw ni Jose Rizal | ホセ・リサールが処刑された日 |
12月31日 | 大晦日 | Medyanotse |
ミス・コンテスト[編集]
フィリピンではミス・コンテストが地域に根付いており、学校単位でのミス&ミスター・コンテストや、全国単位でのミス・コンテストが盛んである。ミス・ユニバースのフィリピン代表は4回優勝している。
2001年に同国で誕生した「ミス・アース」も、近年では世界四大ミスコンテストに数えられるほどに成長した。更にミス・ユニバース2018では、フィリピン代表のカトリオナ・グレイが優勝に輝いている。
スポーツ[編集]
格闘技[編集]
バスケットボール[編集]
フィリピンではバスケットボールが盛んなスポーツの一つであり、1974年にアジア地域における初めてのプロリーグでありアメリカのNBAに次ぐ歴史をもつPBAが創設された。さらに、バスケットボールフィリピン代表はFIBAワールドカップの1954年大会で、アジアの国では最高位となる3位に輝いている。1978年大会は自国開催し、これもアジア初開催となった。2023年大会は日本・インドネシアと共催。近年は日本のB.LEAGUEやオーストラリアのNBLなど海外のプロリーグで活躍する選手も目立っている。NBAにおいてはアンドレイ・ブラッチやジョーダン・クラークソンらフィリピン国籍を持つ選手も活躍しており、彼らもフィリピン代表に名を連ねている。
サッカー[編集]
著名な出身者[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
歴史 ●鈴木静夫﹃物語フィリピンの歴史-盗まれた楽園と抵抗の500年﹄中央公論社 ●大野拓司・寺田勇文﹃現代フィリピンを知るための61章﹄︵2版︶明石書店︿エリア・スタディーズ﹀。ISBN 978-4-7503-3056-3。 ●大野拓司・鈴木伸隆・日下渉﹃フィリピンを知るための64章﹄明石書店︿エリア・スタディーズ﹀。ISBN 978-4-7503-4456-0。 ●早瀬晋三﹃歴史研究と地域研究のはざまで-フィリピン史で論文を書くとき﹄法政大学出版局 ●早瀬晋三﹃海域イスラーム社会の歴史-ミンダナオ・エスノヒストリー﹄岩波書店 ●関恒樹﹃海域世界の民族誌-フィリピン島嶼部における移動・生業・アイデンティティ﹄世界思想社 政治 ●野村進﹃フィリピン新人民軍従軍記-ナショナリズムとテロリズム﹄講談社 ●作本直行﹃アジアの民主化過程と法-フィリピン・タイ・インドネシアの比較﹄日本貿易振興会アジア経済研究所 ●五十嵐誠一﹃フィリピンの民主化と市民社会-移行・定着・発展の政治力学﹄成文堂 ●五十嵐誠一﹃民主化と市民社会の新地平-フィリピン政治のダイナミズム﹄早稲田大学出版部 経済 ●台湾南方協会﹃南方読本﹄三省堂、1941年。ISBN 978-4-7503-4456-0。 ●貝沼恵美など﹃変動するフィリピン-経済開発と国土空間形成﹄二宮書店 ●小野行雄﹃NGO主義でいこう-インド・フィリピン・インドネシアで開発を考える﹄藤原書店 文化 ●高野邦夫﹁フィリピン文学における日本兵の描写 : 1920年代から80年代までの作品を中心に﹂﹃拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究15﹄拓殖大学、2006年3月。 ●寺見元恵 著、信濃毎日新聞社 編﹃激動の文学――アジア・アフリカ・ラテンアメリカの世界﹄︵初版︶信濃毎日新聞社、長野市、1995年3月15日、56-64頁。ISBN 4-7840-9522-5。 ●Fondevilla, Herb (2007). “Contemplating the Identity of Manga in the Philippines”. International Journal of Comic Art 9 (2): 441-453. 環境 ●津田守﹃自然災害と国際協力-フィリピン・ピナトゥボ大噴火と日本﹄新評論 国際紛争 ●アンドリュー・ボイド﹃世界紛争地図﹄創元社 ●ダン・スミス﹃世界紛争軍事地図﹄ゆまに書房 ●松井茂﹃世界紛争地図﹄新潮社 ●フランソワ・ジェレ﹃地図で読む現代戦争事典﹄河出書房新社 ●日本経済新聞社﹃ベーシック-世界の紛争地図﹄日本経済新聞社 ●古藤晃﹃世界の紛争ハンドブック﹄研究社 ●毎日新聞社外信部﹃世界の紛争がよくわかる本﹄東京書籍関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- フィリピン共和国政府 (英語)
- フィリピン大統領府 (英語)
- フィリピン大統領府・アーカイブ (英語)
- フィリピン大使館 (英語)(日本語)
- 日本国政府
- 日本国外務省 - フィリピン (日本語)
- 在フィリピン日本国大使館 (日本語)
- 海外安全ホームページ - フィリピン (日本語)
- FORTH 厚生労働省検疫所 フィリピン(日本語)
- JETRO - フィリピン (日本語)
- 航空会社
- フィリピン航空 (日本語)
- セブパシフィック航空[リンク切れ](日本語)
- シーエアー航空[リンク切れ] (日本語)
- 観光
- フィリピン政府観光省 (日本語)
- ウィキボヤージュには、フィリピンに関する旅行情報があります。 (日本語)
- ウィキトラベルには、フィリピンに関する旅行ガイドがあります。 (日本語)
- その他
- 認定NPO法人 アジア日本相互交流センター・ICAN (日本語)
- 一般財団法人 日比総合交流協会・JPSEF (日本語)
- "Philippines". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency. (英語)
- フィリピン - Curlie(英語) (英語)
- ウィキメディア・フィリピン (英語)
- フィリピンのウィキメディア地図 (英語)
- Health Information for Travelers to Philippines - アメリカ疾病予防管理センター(英語)