後伏見天皇
後伏見天皇 | |
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天子摂関御影より | |
即位礼 | 1298年11月17日(永仁6年10月13日) |
大嘗祭 | 1298年12月12日(永仁6年11月20日) |
元号 |
永仁 正安 |
時代 | 鎌倉時代 |
先代 | 伏見天皇 |
次代 | 後二条天皇 |
誕生 | 1288年4月5日(弘安11年3月3日) |
崩御 |
1336年5月17日(延元元年4月6日) 持明院 |
大喪儀 | 1336年5月19日(延元元年4月8日) |
陵所 | 深草北陵 |
追号 |
後伏見院 (後伏見天皇) |
諱 | 胤仁 |
別称 |
理覚(法名) 行覚(法名) |
元服 | 1300年1月25日(正安2年1月3日) |
父親 | 伏見天皇 |
母親 | 五辻経子 |
女御 | 西園寺寧子 |
子女 |
光厳天皇 光明天皇 珣子内親王 ほか(后妃・皇子女節参照) |
親署 |
略歴[編集]
中宮西園寺鏱子︵永福門院︶の養子となり、その手元で育てられた。正応2年︵1289年︶、数え2歳で立太子。永仁6年︵1298年︶、父・伏見天皇からの譲位により、11歳で即位。伏見上皇が院政を執り行った。 2代続けて持明院統が天皇となったため、勢力を巻き返した大覚寺統や幕府の圧力を受け、正安3年︵1301年︶、大覚寺統の後宇多上皇の第一皇子・後二条天皇に譲位した。この際、新たに上皇となった後伏見はまだ14歳で皇子がなく、次の皇太子には異母弟の富仁親王︵後の花園天皇︶がなった。 徳治3年︵1308年︶、後二条天皇が急死し、後伏見天皇の弟の花園天皇が即位。しばらく後、伏見上皇が出家して院政を停止したので、これを引き継いで正和2年︵1313年︶から文保2年︵1318年︶の間、院政を敷いた。花園天皇の在位の間、幕府と折衝し持明院統と大覚寺統から交互に天皇を出すと言う取り決めを行おうとした︵文保の御和談︶が失敗に終わった︵両統迭立を参照︶。 文保2年︵1318年︶、在位10年で花園天皇は大覚寺統の後醍醐天皇に譲位した。その皇太子には大覚寺統の邦良親王︵後二条天皇皇子︶がなり、後伏見上皇の皇子・量仁親王︵光厳天皇︶はその次の皇太子となることが決められた。嘉暦元年︵1326年︶に邦良親王が病死し、幕府の裁定で量仁親王がようやく皇太子に立った。しかし、後醍醐天皇は譲位に応じず、元弘元年︵1331年︶幕府に反旗を翻し、捕らえられた。幕府により皇太子量仁が即位して光厳天皇となり、後伏見上皇はしばらく院政を行った。 元弘3年︵1333年︶、足利尊氏が後醍醐天皇に呼応して京都の六波羅探題を襲撃すると、北条仲時らに擁され、光厳天皇・花園上皇とともに東国に逃れようとした。しかし道中で仲時らは討ち死にし、両上皇と天皇は捕らえられて京都に連れ戻された。光厳天皇は廃位され、後伏見上皇は出家剃髪した。 建武3年/延元元年︵1336年︶、崩御。宝算49。系譜[編集]
後伏見天皇の系譜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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系図[編集]
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88 後嵯峨天皇 |
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宗尊親王 (鎌倉将軍6) |
| 【持明院統】 89 後深草天皇 |
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| 【大覚寺統】 90 亀山天皇 |
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惟康親王 (鎌倉将軍7) |
| 92 伏見天皇 |
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| 久明親王 (鎌倉将軍8) |
| 91 後宇多天皇 |
| 恒明親王 〔常盤井宮家〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 93 後伏見天皇 |
| 95 花園天皇 |
| 守邦親王 (鎌倉将軍9) |
| 94 後二条天皇 |
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| 直仁親王 |
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| 邦良親王 |
| 96 後醍醐天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 光厳天皇 北1 |
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| 康仁親王 〔木寺宮家〕 |
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后妃・皇子女[編集]
- 女御:西園寺寧子(広義門院)(1292年 - 1357年) - 西園寺公衡女
- 治部卿局 - 法印泰豪女
- 高階邦子(堀河局) - 高階邦経女
- 正親町守子(東御方) - 正親町実明長女
- 対御方(1297年 - 1360年) - 正親町実明五女
- 右京大夫局
- 第三皇女(? - ?)
- 第六皇女(? - ?)
在位中の元号[編集]
陵・霊廟[編集]
陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市伏見区深草坊町にある深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は方形堂。深草北陵には持明院統歴代が葬られており、「深草十二帝陵」とも称される。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。
付記[編集]
加後号の付いている天皇のうち、その名前から「後」を抜いた名前の天皇が直前に即位している(代数が連続している)のは、後伏見天皇が唯一である。