答志島
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答志島 | |
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南側の菅島から望む答志島(2015年2月) | |
所在地 | 日本(三重県鳥羽市答志町・桃取町) |
所在海域 | 伊勢湾 |
座標 | 北緯34度31分13秒 東経136度52分39.4秒 / 北緯34.52028度 東経136.877611度座標: 北緯34度31分13秒 東経136度52分39.4秒 / 北緯34.52028度 東経136.877611度 |
面積 | 6.98 km² |
海岸線長 | 26.3 km |
最高標高 | 167.2 m |
プロジェクト 地形 |
答志島︵とうしじま︶は、志摩諸島の一島で三重県鳥羽市に属する離島[1]。東西約6キロメートル、南北約1.5キロメートル。面積約7平方キロメートルで、鳥羽湾および三重県内では最大。鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている寝屋子制度が残る。
答志島の空中写真
2008年9月12日撮影の6枚を合成作成
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
答志島、浮島、飛島などと志摩半島の陸岸との間には桃取水道がある[2]。桃取水道の最狭部は答志島と本土側に位置する日向島との間にある[2]。また、答志島と菅島の間には菅島水道があり、水道の両側には多くの険礁が散在する[2]。
●岬‥築上岬・観音崎・テンマ崎・平手崎・島ヶ崎・ブト崎・大崎
●湾‥刈谷湾
地理[編集]
歴史[編集]
古くは﹃万葉集﹄にて、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂により、 ●釧着く答志︵手節︶の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ︵巻一・41︶ とよまれた地である。平城京跡から発見された和銅5年︵712年︶木簡にも﹃志摩国志摩郡手節里﹄[3]、養老7年︵723年︶木簡に﹃志摩国答志郡和具﹄[4]の文字がみえる。﹃和名抄﹄でも、答志郷・和具郷との名もみられる。 答志島には志摩国の国衙、または答志郡の郡衙があったとされ、その関連遺跡と推定されるおばたけ遺跡が和具集落に所在する[5]。沿革[編集]
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行に伴い、答志郡答志村が成立。 ●1896年︵明治29年︶3月29日 - 答志郡と英虞郡の合併により所属郡が志摩郡に変更。 ●1897年︵明治30年︶5月31日 - 答志村から桃取村と菅島村が分離。 ●1954年︵昭和29年︶11月1日 - 昭和の大合併により、桃取村、菅島村とともに鳥羽市の一部となる。集落[編集]
●島の北東部に答志︵とうし︶、南東部に和具︵わぐ︶、北西部に桃取︵ももとり︶がある。 ●住所表記上は答志と和具が答志町︵郵便番号‥〒517-0002︶、桃取が桃取町︵郵便番号:〒517-0003︶になる。答志集落
和具集落
桃取集落
生活[編集]
島内の桃取と答志集落に郵便局がある。平日のみATMが利用可能。
●桃取郵便局
●鳥羽答志郵便局
和具港
鳥羽港の佐田浜桟橋︵鳥羽マリンターミナル︶から、鳥羽市営定期船で北東部の答志集落まで約30分、和具まで25分。桃取まで約15分。
運賃は2019年10月現在、それぞれ答志・和具が550円と桃取まで450円。
交通[編集]
島内交通[編集]
- 三重県道759号答志桃取線(答志島スカイライン)
主な産業[編集]
- 漁業(鳥羽磯部漁業協同組合管内)
- 養殖業
- 観光業
九鬼水軍[編集]
詳細は「九鬼嘉隆」を参照
中世の九鬼水軍の本拠地。信長、秀吉に仕えて志摩地方一円に名をはせた九鬼嘉隆終焉の地。
関ヶ原の戦いで家名存続のために嘉隆が大坂の豊臣方に、子の守隆は家康の東軍について戦い、敗れる。この地で自刃した嘉隆の遺言により、自ら築城した鳥羽城を望む岬の頂きに首塚、その麓に胴塚が残されている。
鳥羽答志郵便局
教育[編集]
小学校[編集]
●鳥羽市立答志小学校 ●鳥羽市立桃取小学校︵平成29年3月廃校︶中学校[編集]
●鳥羽市立答志中学校名所・レジャー [編集]
●蟹穴古墳 ●潮音寺 ●柿本人磨歌碑 ●和具サンシャインビーチ ●八幡神社 ●答志島温泉文化[編集]
●鳥羽市の無形民俗文化財に指定される[1][6]寝屋子制度が残る。 ●八幡神社の炭で家の戸に印を書くと魔除けになるという独特の風習を由来とする﹁マルハチ︵○の中に八︶﹂の印が書かれた家や店、工場、さらには学校が答志町に多く見られる。 ●明治時代の日本の記録を記したイギリス人のリチャード・ゴードン・スミスが、当時の海女たちに会った感想を述べている[7]。 ●TSJ48というアイドルグループがいる。答志島を舞台とした作品[編集]
●ヤアになる日〜鳥羽・答志島パラダイス〜︵NHK BSプレミアム、2012年9月30日放送[8]、NHK津放送局制作[9]︶出身者[編集]
●中村幸吉 - 初代鳥羽市長[10]脚注[編集]
(一)^ ab“三重県 離島振興計画︵平成25年度~24年度︶”. 国土交通省. 2021年10月10日閲覧。
(二)^ abc“志摩半島における乗揚・養殖施設損傷事件の分析”. 横浜地方海難審判庁. 2022年9月5日閲覧。
(三)^ “本文:志摩国志摩郡手節里戸主大伴部荒人”. 奈良文化財研究所 木簡庫. 2023年2月5日閲覧。
(四)^ “本文:志摩国答志郡和具郷難設里戸主大伴部祢麻呂口”. 奈良文化財研究所 木簡庫. 2023年2月5日閲覧。
(五)^ 伊藤 & 浅生 2006.
(六)^ “三重県鳥羽市答志島﹁寝屋子の島留学事業﹂について”. 三重県鳥羽市. 2023年2月5日閲覧。
(七)^ リチャード・ゴードン・スミス 著、荒俣宏 訳﹃ゴードン・スミスのニッポン仰天日記﹄小学館︵原著1993-5-1︶。ISBN 978-4093870481。
(八)^ “倉科カナが三重・答志島から全国へ元気を届ける! - ニュースウォーカー”. 角川マガジンズ (2012年9月28日). 2021年10月14日閲覧。
(九)^ “鳥羽・答志島が舞台の地域発ドラマ﹁ヤアになる日﹂-NHK BSで放送へ”. 伊勢志摩経済新聞 (2012年9月6日). 2012年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月24日閲覧。
(十)^ 鳥羽市史編さん室 1991, pp. 1083–1084.
参考文献[編集]
●鳥羽市史編さん室﹃鳥羽市史 下巻﹄鳥羽市役所、1991年3月25日、1347頁。全国書誌番号:92001549 ●谷川健一編者﹃日本の神々 第6巻 伊勢・志摩・伊賀・紀伊≪新装復刊≫﹄︵白水社、2000年7月5日︶ISBN 4560025061 ●国土地理院発行2万5千分の1地形図﹁答志﹂︵2004年︵平成16年︶更新、2005年︵平成17年︶6月1日発行︶ ●伊藤, 裕偉、浅生, 卓司﹃おばたけ遺跡︵第5次︶発掘調査報告﹄三重県埋蔵文化財センター︿三重県埋蔵文化財調査報告266﹀、2006年3月31日。doi:10.24484/sitereports.20957。 NCID BA76513731。 ●国土地理院発行2万5千分の1地形図﹁二見﹂︵2007年︵平成19年︶更新、2007年︵平成19年︶8月1日発行︶関連項目[編集]
●島の一覧 ●大築海島 ●小築海島外部リンク[編集]
- 答志島(鳥羽市ホームページ)
- 奈良文化財研究所 木簡庫
- 答志島に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- ウィキトラベルには、答志島に関する旅行ガイドがあります。