L'Arc〜en〜Ciel
L'Arc〜en〜Ciel | |
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基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル | |
活動期間 | 1991年 - |
レーベル |
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事務所 | MAVERICK(1992年 - ) |
共同作業者 | 岡野ハジメ(共同プロデューサー、1996年 - ) |
公式サイト | L'Arc-en-Ciel Official Web Site |
メンバー | |
旧メンバー |
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L'Arc〜en〜Ciel | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2019年12月3日[注釈 2] - | |||||||
ジャンル | 音楽 | |||||||
登録者数 | 53.7万人 | |||||||
総再生回数 | 2億6202万8496回 | |||||||
事務所(MCN) | MAVERICK | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年3月6日時点。 |
メンバー[編集]
現メンバー[編集]
メンバープロフィール | ソロプロジェクト・バンド遍歴 | パート[注釈 7] |
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hyde (読み:ハイド) (本名:寶井 秀人[6]) 1969年1月29日 和歌山県和歌山市出身 |
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ken (読み:ケン) (本名:北村 健) 1968年11月28日 滋賀県米原市出身 |
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tetsuya (読み:テツヤ) (本名:"非公表") 1969年10月3日 滋賀県米原市出身 ※リーダー |
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yukihiro (読み:ユキヒロ) (本名:淡路 幸宏) 1968年11月24日 千葉県市川市出身 |
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過去に在籍したメンバー[編集]
メンバープロフィール | パート | 在籍期間 | 備考 |
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hiro (読み:ヒロ) |
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1991年2月 - 1992年6月12日 |
詳細
●hiroが在籍していた頃に発表したL'Arc〜en〜Cielの公式作品は、バンド初の映像作品﹃L'Arc-en-Ciel﹄のみとなっている。ただ、脱退後もhiroが在籍していた頃の映像を収めた作品がL'Arc〜en〜Cielとして再収録されている。
●L'Arc〜en〜Ciel脱退後は、peroとともにAnge∞Graie、FEEDを結成。その後はFlameというバンドを立ち上げ活動していた。なお、脱退した後、L'Arc〜en〜Cielのメンバーとの公の場での交流は長らくなかったが、2015年にtetsuyaがソロ名義で開催したライヴにおいて、tetsuya、hiro、peroで﹁I'm in Pain﹂と﹁Dune﹂のセッションを披露している[7]。
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pero (読み:ペロ) |
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1991年2月 - 1992年12月30日 |
詳細
●peroが在籍していた頃に発表したL'Arc〜en〜Cielの公式作品は、バンド初の映像作品﹃L'Arc-en-Ciel﹄、インディーズシングル﹁Floods of tears/夜想花﹂の2作のみとなっている。ただ、脱退後もperoが在籍していた頃の音源や映像を収めた作品がL'Arc〜en〜Cielとして再収録されている。
●L'Arc〜en〜Ciel脱退後は、hiroとともにAnge∞Graie、FEEDを結成。なお、脱退した後、L'Arc〜en〜Cielのメンバーとの公の場での交流は長らくなかったが、2015年にtetsuyaがソロ名義で開催したライヴにおいて、tetsuya、hiro、peroで﹁I'm in Pain﹂と﹁Dune﹂のセッションを披露している[7]。
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sakura (読み:サクラ) (本名:桜澤 泰徳) 1969年11月20日 東京都練馬区出身 |
1993年1月16日 - 1997年11月4日 |
詳細
●sakuraが在籍していた頃に発表したL'Arc〜en〜Cielの公式作品は、映像作品﹃L'Arc-en-Ciel﹄とインディーズシングル﹁Floods of tears/夜想花﹂を除き、1997年2月までに発表したすべての作品となっている。ただ、脱退後もsakuraが在籍していた頃の音源や映像を収めた作品がL'Arc〜en〜Cielとして再収録されている。
●L'Arc〜en〜Ciel脱退後は、ZIGZO、SONS OF ALL PUSSYS、Lion Heads、Rayflower、THE MADCAP LAUGHS、gibkiy gibkiy gibkiyといったバンドに参加している。また、L'Arc〜en〜Cielの楽曲制作にも携わる富樫春生が結成したジャズ・ファンクグループ、梵鉾!でもドラムを叩いている。なお、sakuraは脱退した後もL'Arc〜en〜Cielのメンバーと単発的に公の場で共演している。hydeとは2003年に同氏のソロ名義のライヴツアーで共演し、﹁I'm so happy﹂をセッションしており、kenとはSONS OF ALL PUSSYSで再びバンドメンバーとなっている。また、tetsuyaとは2006年に発行された音楽雑誌﹃R&R NewsMaker﹄で対談している他[8]、2019年に行われたライヴイベントで共演し、﹁Dune﹂をセッションしている[9]。ちなみに後を継いだyukihiroは、1997年時点でsakura含めたメンバーにとって事務所の先輩・後輩という関係性にあり、事務所主催のライヴイベントの舞台裏では交流があったという。
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時系列[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/timeline/5twhxxlokbpmjmicgaml5li3ux7y2q9.png)
活動概要[編集]
1991年:L'Arc〜en〜Ciel結成[編集]
バンド結成の経緯[編集]
バンド名の由来[編集]
バンド名は、結成時にオリジナルメンバー4人が各々で、様々な案を考えたという[19]。結果的にtetsuyaが提案した、フランス語で﹁虹︵=空に架かる橋︶﹂を意味する﹃arc-en-ciel[注釈 48]﹄を由来とした﹁L'Arc〜en〜Ciel︵カナ表記ではラルク アン シエル︶﹂︵フランス語発音: [laʀkɑ̃sjɛl] ラルコンスィエル、ラフコンスィエル[注釈 49]︶という言葉がバンド名に採用されている[19]。ちなみにバンド名は、そのときのデザインによって﹁L'Arc-en-Ciel﹂という表記で記載している場合もある。 L'Arc〜en〜Cielというワードは、tetsuya曰く、当時本屋などをまわり、様々な資料をもとにバンド名に適した言葉を探していたときに、たまたま見つけた言葉だったという[19]。この言葉を見つけた経緯について、tetsuyaは2011年に受けた音楽雑誌のインタビューで﹁当時はインターネットとかなかったので、本屋さんとかでいろんな資料を見たんですが、その中にこのフランス語の言葉があった。意味は虹ですけど、分割すると、天空にかかる橋。見た目もいいし、響きもいい。音楽でいろんな色を表現するというところでも合うなと。長くて、覚えにくいものではあるけれど、ローマ字で表記したときにインパクトがあると思ったんです[19]﹂﹁︵この言葉には︶洋服のブランドみたいな雰囲気もあって、いいかなって[19]﹂と語っている。 なお、2012年に受けたアメリカの経済雑誌﹃フォーブス﹄のインタビューで、バンド名の由来を聞かれた際に、hydeは﹁名前を付けようと思ったときに、英語の単語はもう全部他のバンドに使われていたから新鮮だったフランス語にした[20]﹂﹁特に最初意味はなかったんだけど、今のバンドの音楽性が多彩なので、それを上手く表している名前だな、と僕たちも思う[20]﹂と述べている。ちなみに、結成当初に作られたL'Arc〜en〜Cielのバンドロゴやチラシは、hydeの手で制作されている。なお、hydeはミュージシャンを志す前に、画家や漫画家、デザイナーといった職業に憧れ、﹁絵の道に進もう﹂と考えていたことから、かつてデザイナー学校に通っていた[21]。後年hydeは、結成当初にバンドロゴや、ライヴのチラシを作っていた頃を振り返り﹁俺が出来る事と言えば、バイト先のカラーコピー機を無断使用してライヴのチラシを作る事だった。ベルトと手袋の会社で梱包のバイトをしてたんだけど、俺の経歴のデザイナー学院卒を見てくれて、企画を手伝うことになったんだ。ファッションデザイナーが描いてくるベルトの絵を、商品化しやすいような絵に変えるような仕事がメインだったかな。ほとんどは一人で作業してたから、当時は1枚100円くらいしたカラーコピーを何十枚も刷ってたね︵笑︶。見つかったら怒られるだろうからヒヤヒヤしながらやってたよ︵笑︶。CDをリリースしてた訳じゃないからバンドのアートセンスはチラシで決まる所もあって、結構時間をかけた。それこそまさにアナログでカラーコピーを駆使した﹁self portrait﹂︵音楽雑誌﹃R&R NewsMaker﹄で連載していたhydeによるアート企画︶の原型だね。L'Arc〜en〜Cielの質を上げるのに貢献したと思うよ。そこのデスクで初代のロゴも作った。カッターとのりで切り貼りしたヤツを何度もコピーしたから少し歪んでるけどね︵笑︶[21]﹂と述懐している。 余談だが、バンド名の由来に関し、"当時tetsuyaが阪急梅田三番街にあった喫茶店の名前を気に入り、そこから取った"という根も葉もない噂が世間で流布されたことがあったが、この説は、バンドの名付け親であるtetsuya本人の口から何度も明確に否定されている[19][22]。このデマについて、tetsuyaは音楽雑誌﹃WHAT's IN?﹄2011年2月号でのインタビューで﹁梅田に同じ表記の喫茶店があって、そこからとったという説がずーっとWikipediaに書かれてたんですよ。でもまったく関係ないです。冷静に考えてみてくださいよ、喫茶店の名前からバンド名をとるわけないじゃないですか!?[19]﹂と述べている。 ちなみに、1995年2月1日付けでバンドの公式ファンクラブ﹁Ciel﹂が設立されている。それから約5年後の2000年4月21日には、公式ファンクラブの名称が﹁LE-CIEL﹂に変更されている。なお、公式ファンクラブの名称は、フランス語で﹁空﹂という意味を持つ﹃ciel﹄が由来となっており、この名称には﹁ファンとバンドが"空"と"虹"のような関係でいれたら﹂というL'Arc〜en〜Cielの想いが込められている。バンド結成直後の活動方針、当時のアマチュアバンドの逆を行くブランディング戦略[編集]
1991年2月頃のセッションを経て、新たに結成されたバンド、L'Arc〜en〜Cielは、同年5月30日に難波ロケッツで記念すべきファーストライヴを開催する[23]。このライヴはいわゆる対バン形式だったが、100人以上の動員を記録。そして、1991年9月27日に同所でL'Arc〜en〜Cielとして初のワンマンライヴを行い、300人以上の観客を集めている[23]。こうしてL'Arc〜en〜Cielは、結成して間もなくバンドが軌道に乗り始め、大阪を中心に様々な活動を展開していくことになる。なお、L'Arc〜en〜Cielが結成当初から一定の人気を獲得できていたのは、hyde曰く、hiroが以前組んでいたバンドで名を知られていたことや[21]、tetsuyaの考えたプロモーション・イメージ戦略によるところが大きいという[21]。 結成当時のL'Arc〜en〜Cielの活動を振り返り、後年hydeは2012年に発表した自叙伝で﹁面白かったのは、L'Arc〜en〜Cielって最初から戦略的だった事。俺なんかは、いいライヴさえやっていれば、いつかそれが人目に付いて、動員が増えてプロになれるんじゃないかな?くらいに考えてたんだけど、L'Arc〜en〜Cielはとても戦略的で、tetsuyaはもう既に大勢の人の名簿を持っていて、それを元にダイレクトメールを送ったり、ギターのhiroは、元々ちょっと名前の知れた子だったから、その子が復活するってだけでも話題になったり、最初のライヴは150人だったかな?ちょっと普通ではありえないような動員があったね[15][21]﹂と綴っている。また、後年tetsuyaは﹁今だと個人情報保護とかでダメだと思うんですけど、当時僕がアルバイトしていたレコード店にあるお客さんのリストを使って、ライヴ開催のダイレクトメールを送ったりしてましたね[24]﹂と当時を振り返っている。 その後L'Arc〜en〜Cielは、この当時のアマチュアバンドが行っていたありがちな活動とは逆の戦略を展開し始める。この当時のアマチュアバンドの多くは、手作りのデモテープを販売することで活動資金を集め、それをもとに様々な地域でツアーと称し、長期的なライヴ活動を行うことが定番になっていた[22][24]。こういったバンドが溢れる中、活動最初期の頃のL'Arc〜en〜Cielはデモテープの販売を避け、あえて大阪からあまり動かず、先々のライヴ予定も発表しないスタンスをとっていた[22]。この当時の活動方針について、tetsuyaは﹁当時ね、周りの同じようなバンドはライヴをいっぱいやってたんですよ。数をこなす、みたいな。月に2〜3回はライヴやって、それこそツアーで全国を回るとか。でも僕らは月1回に絞って、それ以上はやらない、ツアーもやらない。で、大阪に観に来てもらう、東京からでも来てもらう…ぐらいの気持ちでやってました。ライヴの本数をあえて絞りましたね[22]﹂﹁あと、他のバンドは先々のスケジュールまで発表しちゃうんですけど、そうじゃなくて、次のライヴは観に来た人に伝える。ライヴに来て初めて、次のライヴをいつどこでやるのかわかる。逆に、来ないとわからない。次はいつ観られるかわからないっていう状況をあえて作りましたね[22]﹂と語っている。このようにライヴの開催数を減らし、長期のライヴスケジュールを発表しない戦略をとったことによって、口コミが喚起され、動員数が増加していったとtetsuyaは当時を述懐している[22]。なお、ライヴを行った際は、メンバー主導で音楽雑誌編集者に対し、公演の模様や動員数などの情報を送り、より外に話題を広げていくためのプロモーション施策を行っていたという[24]。後年hydeは、こういったバンドを広める戦略について﹁バンドがたくさん居る東京に行くよりも、大阪で一番になったほうが目立つだろうっていう、tetsuyaの考え方もすごく賢いと思ったし。実際その通りになった[25]﹂と述懐している。 ちなみに、あえてデモテープを販売しなかった背景には、﹁ライヴに来ないと︵曲を︶聴けない[22]﹂﹁自分たちが納得できるタイミングで音源を出したい﹂というtetsuyaなりの考えがあったという。そのため、L'Arc〜en〜Cielは結成してすぐに、レーベルからの勧誘、あるいは﹁デモテープを販売しないか﹂という催促があったにもかかわらず、それらすべてを断っていたという。tetsuyaは、2011年に公表されたインタビューで﹁インディーズバンドに群がる大人っていっぱいいるんですよ、今も昔も。ライヴハウスでちょっと動員があると聞くと、すぐ飛んできて"うちでやらないか"って声をかけてくる、金儲けを考える大人たちがたくさんいる。俺らのとこにもいっぱい来ました。自分たち的にはタイミングとしてまだ何も出したくなかったので、メジャーから話が来ても断っていました[26]﹂と当時を述懐している。 他にも、この当時のアマチュアバンドの中には、観客との距離を詰め、ライヴの打ち上げに客を参加させるバンドも多く存在していたが、L'Arc〜en〜Cielはこういったファンとの過度なコミュニケーションを一切行わないようにしていた[10]。また、tetsuya曰く、ブランディングの観点から、メンバーが自作したライヴのチラシやフライヤーを直接配布する行為をしないようにしたり[26]、会場に出入りする観客の前でメンバーが演奏機材を運搬するといった行動を避けるため、結成当初からローディーやスタッフを雇っていたという[10]。こういったイメージ作りについて、後年tetsuyaは、2022年に公開された自身がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組で﹁ブランディングとして人気があるように見せた、最初から[10]﹂﹁ラルクとして機材を自分達で︵会場に︶運んだなんてことは歴史上ない[10]﹂﹁売れる前から徹底してやってたんですよ。"勘違いしてる"と言われようと[10]﹂と述べている。 上記のような、頭を使った戦略をとったことで、L'Arc〜en〜Cielは結成してすぐにワンマンライヴで観客を埋めることができ、先輩バンドに頼み込んで前座でライヴに出させてもらったり[24]、全国を行脚して対バンライヴで知名度を上げていくといった施策を行わなくて済んだため、当時のバンドの滑り出しとしては、稀に見る順風満帆な始まり方となった。そのため、tetsuyaは当時について﹁L'Arc〜en〜Cielって、苦労してないんですよ︵笑︶[24]﹂と冗談交じりで述懐している。また、tetsuyaは当時の活動方針について﹁やるべきことはやったんですよ?やるべきことはやったけど、無駄な努力はあまりしてないっていうか、ムダな下積みは。努力って、的を射た努力しないと意味がないと思ってて。なんかがむしゃらに頑張っても、意味のない努力をいくら頑張っても結果出ないじゃないですか。だからちゃんと目標を決めて、どこに向かいたいのか、どうしたいのか、そのための努力は何なのか、っていうのを考えて、そのためのやるべきことをやってきた。それをやっただけですよ[24]﹂と語っている。さらにtetsuyaは、結成当初に対バンライヴをあまり行わなかったことについて﹁対バンで3バンド、4バンド一緒にライヴやるのとか、そういうことは本当にしたくないなって思ってたんで、僕が、個人的に。︵対バンライヴで他のバンドのファンがこちらに興味を持つといった︶そういう戦略もあると思うんですけど、僕はそれを当時は取りたくなかったんですよ。やっぱり3バンドも4バンドも出てたら、ゴチャゴチャじゃないですか、楽屋まわり。そういうのがイヤだったんでしょうね。だからホントにワンマンがやりたかったんですよ、それこそ最初から。最初からワンマンでやれるバンドにしたくて。で、本当に最初の数回ですよ、対バンでやったの[24]﹂と述べている。 余談だが、L'Arc〜en〜Cielは上記にあるように、当時のアマチュアバンドの中ではあまり対バンライヴを行わない珍しいバンドであったが、数少ない対バン相手としてロックバンド、黒夢がいた[24]。tetsuyaは﹁黒夢︵との対バン︶はお互いにメリットがあったというか。黒夢は黒夢で、もうある程度の立ち位置にいて、固定のファンもある程度いて。黒夢にとってもラルクにとっても…お互いがハッピーになるような感じだったから、"対バンしよう"って言う話になったんです[24]﹂と述べている。ちなみにtetsuyaは、2022年に自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で[27]、﹁L'Arc〜en〜Cielのライバルバンドは?﹂と聞かれ、﹁我々の一番のライバルは黒夢[27]﹂と答えている。なお、黒夢の中でも、特にボーカルの清春は、L'Arc〜en〜Cielの現メンバーのほとんどと現在でも交流があり、お互いがメジャーデビューした後もライヴイベントや楽曲制作の場で共演している。1992年 - 1997年‥﹃DUNE﹄﹃Tierra﹄﹃heavenly﹄﹃True﹄[編集]
幻のアルバムレコーディング、hiroとperoの脱退、kenとsakuraの加入 1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオ﹃L'Arc-en-Ciel﹄のプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが[28]、6月12日の難波ロケッツで行われたライブ終了をもってギタリストのhiroが脱退することとなった。後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったkenが加入。kenは同年6月25日の新宿ロフトで行われたライブでL'Arc〜en〜Cielとして初めてステージに立つこととなった。 ken加入直後からアルバム制作のためレコーディングを行い、1992年10月1日に発売されたオムニバスアルバム﹃Gimmick﹄にバンド初の音源となる﹁VOICE﹂を提供した。しかし、アルバム自体は、メンバー曰く﹁出来映えが気に入らなかった﹂ため、完成直前まで漕ぎ着けていたが全曲をボツにし発売しない意向を取った[29]。また、これに関しては脱退したhiro側から﹁自分の曲を使わないでほしい﹂と言われたことも理由の一つになっている。この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる。これとほぼ同時期に、デンジャークルー・レコード (現‥マーヴェリック・ディー・シー・グループ) 社長の大石征裕から﹁うちの事務所に来て欲しい﹂と誘いがあり、そのままデンジャークルー・レコードへ移籍。この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった[29]。ちなみに、インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル﹁Floods of tears/夜想花﹂は、前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである[29]。また、この移籍の話が出たころにtetsuyaがバンドのリーダーとなっている。tetsuyaをバンドのリーダーにしようと提案したのはhydeで、後年にhydeは﹁先導が誰かに決める必要があったんだと思う。本人が"リーダーになる"って言えないだろうから、"tetsuyaがリーダーに相応しいと思う"って言ったんだよ。tetsuyaは当時からしっかり者だったからね[30]﹂と振り返っている。しかし、前述のシングルリリース直後の1992年12月30日に、大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもってドラマーのperoが脱退することとなり、後任のドラマーを探すこととなった。 1993年1月16日、前年脱退したperoに代わりsakuraが加入。加入後に約1ヶ月間のレコーディングに入り[31]、1stアルバム﹃DUNE﹄をデンジャークルー・レコードより発売した。1993年5月10日付のオリコンインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。 1993年夏、当時レコード店でアルバイトをしていたtetsuyaが﹁店に来た担当の人間を気に入った﹂という理由から[32]、1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりのキューンソニーレコードと契約を結ぶ。所属事務所の社長である大石征裕は、﹁当時のソニーはメジャー志向のアーティストを続々とヒットさせていて、当時はサブカルチャー寄りだったラルクに興味を持ってくれるか最初は不安だった[33]﹂と述べている。 メジャーデビュー、地道な活動、自身初の日本武道館公演開催 1994年7月1日、ビデオシングル﹁眠りによせて﹂を発売しメジャーデビューする。同年7月14日には2ndアルバム﹃Tierra﹄、同年10月21日にはシングル﹁Blurry Eyes﹂を発売し、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。この当時に制作された楽曲は、メンバーが好んで聴いていたニュー・ウェイヴやゴシック・ロックからの影響を受けたものが多い。なお、L'Arc〜en〜Cielの所属事務所の代表の大石征裕は﹁4人ともザ・キュアーのようなUKロックをよく聞いていたと記憶しています[34]﹂と述懐している。ちなみに、メジャーデビューの発表は当時メンバーの口から一切行われていない。このことに関し、tetsuyaは﹁ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった[35]﹂と述べている。 メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国コンサートツアー﹁Tour Sense of time '94﹂の東京ベイNKホール公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した。以後は﹁スタッフに全て任せきり﹂だったコンサートの会場決め、プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった[36]。当時を振り返り、hydeは﹁自らが主導権を握って活動していなければ、多分︵バンドは︶終わっていたと思う。そこからは変わってないと思うんですよね、それぞれがいろいろ経験して大人にはなったけど[37]﹂、tetsuyaは﹁メジャーに来たらある程度はスタッフにお任せして、自分達は音楽に専念できる環境が整ったんですけど、ふたを開けてみたら”あれ?”と思うことが多くて。メジャーデビューして1年ぐらいしてからやっぱり自分たちのやり方に戻した方がいいなと思った[37]﹂と述べている。 1995年1月からは公式ファンクラブ﹃Ciel︵現・LE-CIEL︶﹄の発足記念ライブツアー﹁Ciel/winter '95﹂を開催。同年5月21日からはライブツアー﹁in CLUB '95﹂を開催。ツアー初日に合わせ、ビデオシングル﹃and She Said﹄を発売。さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム﹃heavenly﹄の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていった。また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー﹁TOUR heavenly '95﹂では初の日本武道館公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。 自身初のミリオンセラー、自身初のアリーナツアー開催、sakura逮捕に伴う活動休止 1996年5月には、ライブ﹁Kiss me1997年 - 2002年‥﹃HEART﹄﹃ark﹄﹃ray﹄﹃REAL﹄[編集]
sakuraの脱退、変名バンドとしてのライブ開催、復活ライブとなる自身初の東京ドーム公演開催 sakuraの逮捕後、﹁曲作りとリフレッシュ﹂の名目で渡英する。シングルの制作やプロモーションのため一旦日本に戻るも、ミュージックビデオの撮影も兼ねて再度渡英、さらにドイツを巡るなど数ヶ月の間ヨーロッパに滞在することとなる。この間にサポートドラムとして元ZI:KILL、DIE IN CRIESのドラマー、yukihiroが参加したセッションなどが行われ、1997年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル﹁虹﹂は初動30万枚、累計70万枚以上を売上げ、当時の自己最高初動・最高売上を記録した。同年11月4日には、sakuraがバンドから正式に脱退することが発表された。 同年12月には、L'Arc〜en〜Cielのコピーバンド"the Zombies"を期間限定で結成。同月16日から18日の3日間限定で、変名バンド名義でライブ﹁Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE﹂を東京・大阪のライブハウスにおいて開催した。さらに12月23日には、L'Arc〜en〜Cielとして初となる東京ドーム公演となる復活ライブ﹁L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION﹂を開催。当時の東京ドームの愛称であった﹁ビッグエッグ﹂にちなみ、<おおきなあたたかいたまごから僕たちはもう一度生まれた>というコンセプトのもと再始動を予告した。本公演のチケットは当時の最速記録である4分で完売し、当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。また、後年tetsuyaはこの公演を振り返り、﹁賭けだった﹂と述べており、﹁同じような会場で同じようなことをやっても、ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって、だから絶対に良くなったって思わせたかった[42]﹂と語っている。 yukihiro加入による新体制での活動再開、自己最長となるホールツアー開催 1998年1月1日にはサポートドラマーとして参加していたyukihiroが正式に加入。加入直後にシングル﹁winter fall﹂を発売し、自身初となるオリコン週間シングルチャート首位を獲得。シングルリリースの翌月には5thアルバム﹃HEART﹄を発売。前作の制作に参加した岡野ハジメ︵ex.PINK︶が本格的に共同プロデューサーとして携わる最初のアルバムとなった。ドラマーが手数の多いyukihiroに変わりドラムがタイトかつシャープなスタイルになったことや、kenのギターの音色がグランジ寄りに変化し始めたことから、以前と比べグランジ、オルタナ色の強い音楽性に変化していくこととなった[43]。また、本作はアジア各国でアルバムの海賊盤が多数出回り始めたことや、海外からの要望が高まったことから、日本の他、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポールのアジア6ヶ国においてリリースされ[44]、結果的にこれがL'Arc〜en〜Cielとして海外進出する第一歩となった。 yukihiroが正式加入して初めてのツアーとして、1998年5月より自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー﹁Tour'98 ハートに火をつけろ!﹂を敢行。tetsuyaは後年この長期ツアーを振り返り、﹁yukihiroが加入した後だったので、この4人がL'Arc〜en〜Cielなんだというイメージを植え付けたいという意識がどこかにあった[45]﹂﹁そのためにはそれまでにやった以上に数多くのライヴをやることだな、たくさんリリースすることだなって思ってた[45]﹂と述べている。 シングル3作同時発売、アルバム2作同時発売、2度のシングルチャート1位・2位の独占 前述のアルバム発売以降も連続かつ集中的なリリースパターンを取り、1998年7月には﹁HONEY﹂﹁花葬﹂﹁浸食 〜lose control〜﹂のシングル3作を同時発売した。この同時発売により、発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占し、﹁HONEY﹂﹁花葬﹂の2作がシングルとしては初のミリオンセラーを記録。中でも自身のシングル最高売上を記録した﹁HONEY﹂は、全日本有線放送大賞を獲得する他、初出場となったNHK紅白歌合戦において披露された。さらに、10月には﹁snow drop﹂﹁forbidden lover﹂のシングル2作を2週連続発売し、オリコンチャート史上初の2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成し大きな注目を浴びた。なお、この年リリースしたシングル7作全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たした。 そして翌1999年1月、当時B'zやGLAYといったJ-POPアーティストのベストアルバムが市場を席巻していたことから、巷で﹁ラルクもベストアルバムを出すのでは?﹂と噂されていたが、こういった世間の予想や思惑を外すように﹁本年もよろしくお願いします。L'Arc~en~Cielは、1999年ベストアルバムは出しません。オリジナルアルバムをお楽しみに﹂という年初の挨拶広告を新聞紙面に大々的に打ち出している[46]。その予告通り、7月には6thアルバム﹃ark﹄と7thアルバム﹃ray﹄のアルバム2作を同時発売。2作合わせ初動300万枚以上、トータルセールス600万枚以上を売り上げ[47]、2作ともオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどの大ヒット作となった。また、本作は日本を含め、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンのアジア7ヶ国においてリリースされた[48]。 また、同時期からフリーの映像ディレクター・箭内道彦が主な広告ディレクションを担当するようになり[49]、藤原喜明、風間杜夫やユースケ・サンタマリア[注釈 50]の起用を始めとするバラエティに富んだ広告展開を行うようになる。テレビCMでは﹁グループ名﹃L'Arc〜en〜Ciel︵ラルク・アン・シエル︶﹄の正しい読み方を広く認知させる﹂もの[注釈 51] や﹁記者会見風の﹃活動予定告知﹄告知﹂を流し、新聞広告では﹁新曲の着信メロディの作成方法﹂や、コンピュータグラフィックスで作成した﹁坊主頭のメンバーの写真﹂などのような、それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった。後年に箭内は当時のディレクションを振り返り、﹁アンチで人を驚かせるようなものはマイナーな場所には山ほどあるが、それをメジャーシーンでやることに意義がある[50]﹂として、<メジャーで、アンチで、びっくり[50]>をテーマに広告を制作していたと述べている。また、箭内は﹁常に世の中やファンを裏切るような、次に何が出てくるかわからないような流れを作りたかった[50]﹂と述懐している。こういった様々なメディアを活用した世間を手玉に取ったようなプロモーション戦略について、hydeは﹁俺としては、世の中をなめた感じの表現の仕方は"ロックでカッコいいな"って思ってたけど、同時に"そこに芸術性はないな"とも思ってたね。だから、"おちゃらけた話題をどんどん出したり、リリースをするのはいいけど、芸術性を高めないと次がないんじゃないかな?"っていう不安が、ずっーとあった[51]﹂と自叙伝にて述べている。 なお、1990年代の終わりごろは、当時交流がなかったにもかかわらず、メジャーデビューのタイミングが同時期だったという理由のみで、ロックバンドのGLAYとよく比較されていた。tetsuyaは、音楽の嗜好が異なるGLAYと比較されていたことを当時から不思議に思っていたようで、2022年に﹁当時も今もそうだけど、ラルクとGLAYって全然違うじゃないですか、音楽性が。だからなんでそこで比較するんだろうなって思ってました[52]﹂と語っている。また、tetsuyaはL'Arc〜en〜Cielと同じくザ・キュアーやザ・スミスといった洋楽の影響を受けていたスピッツの名前をあげ、﹁音楽性で言ったら、僕はスピッツの方が近いと思ってた[52]﹂とも述べている。ちなみに、この当時日本のポップシーンの中心にいた小室哲哉は、1998年に発売された雑誌﹃日経エンタテインメント!﹄の"L'Arc〜en〜Ciel、GLAY、LUNA SEAの3バンド特集企画"の中で、﹁演奏がうまいのはLUNA SEAですね。アルバムは3枚とも聴きました。音楽的な好みもあるんでしょうけど。でもラルクの方が売れることを気にせずに、思い切りやりたいことをやっているという印象を受けました。3バンドとも"オレたちは、媚びていない"という意味では同じなのでしょうが、中でもラルクがいちばん独創性がある。しかも"スキなことをやっている"風に見せながら、あれだけ売っているのは大したものだと思います。カリスマ性のようなものがあるのかな?と想像したりしています。︵中略︶GLAYはいい意味で︵戦略などが︶読めるんです[53]﹂とそれぞれの印象の違いを綴っている。 自己最大規模の野外ツアー、4大ドームツアー開催、2度目の活動休止 1999年7月からは自身初の野外ライブツアー﹁1999 GRAND CROSS TOUR﹂を全国6都市で開催。ツアータイトルの﹁グランドクロス﹂は同年8月に惑星が十字に並び、世紀末不安と重ね不吉の前兆とされた特殊な天体現象の名称からとられている。また、﹁誰もコンサートをやっていないところでライブをやろう[54]﹂という目的から、本公演では既存のスタジアムを用いず、各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり、全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった[55]。hydeはこのツアーをバンドの歴史の中で一番記憶に残っているコンサートとして挙げており、﹁このコンサートはホントに未だに夢のように思いますね。人の地平線に向かって歌えたという。この時期の集大成です[41]﹂と述べている。同年8月21日・22日に行われたこのツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる12万5千人 (両日25万人)を動員したライブを敢行した。さらに、21日の東京公演はViewsic (現・MUSIC ON! TV)で、自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われた。 1999年12月31日から2000年1月1日にかけて、自身初のカウントダウンライブ﹁RESET>>LIVE *000﹂を開催。資生堂﹁ピエヌ﹂CMソングに起用された﹁NEO UNIVERSE﹂を2000年代突入の一曲目として初披露し、同月にメジャー初の両A面シングル﹁NEO UNIVERSE/finale﹂としてリリースされた。同年7月にはシングル﹁STAY AWAY﹂をリリース。同曲のミュージック・クリップは、CGを用いたダンス表現が話題となり[56]、音楽専門チャンネルスペースシャワーTV主催の音楽賞﹃SPACE SHOWER Music Video Awards 00﹄において﹃BEST VIDEO OF THE YEAR﹄を前年の﹁Pieces﹂に続き2年連続で受賞した。同年8月には8thアルバム﹃REAL﹄を発売。前作の反動からハードロックの要素の強い作品となり、これまでとセールス面では多少見劣りするものがあったが、アルバムとしては5作連続ミリオンセラーを記録した。1998年の活動再開から2000年までの3年間で、シングル13作、アルバム4作ものリリースし、その内の9作がミリオンセラーを記録した。さらに、前年の自己最大規模の野外ライブツアーとは正反対のコンセプトとなるライブハウスツアー﹁CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE﹂を同年10月から開催。同ツアー後に立て続けに自身初の4大ドームツアー﹁TOUR 2000 REAL﹂を開催した。 翌2001年には自身初となるベストアルバム﹃Clicked Singles Best 13﹄を発売。本作でシングル・アルバムを通じて11作目となるミリオンセラーを記録した。また、本作制作にあたり、Yahoo! JAPANとのジョイント企画として期間限定特設ウェブサイトを開設。アジアの8つの国と地域から人気投票を募り、各国で収録内容が異なるベストアルバムを発売した。本作は同年4月下旬にアメリカ[57]、2004年に韓国でも発売された。 2001年9月発売のシングル﹁Spirit dreams inside -another dream-﹂のリリース前後から、tetsuya・yukihiro・hydeが相次いで個人活動[注釈 52] を開始。公式発表はないものの、実質的な活動休止状態に入る。前述のように1998年以降のL'Arc〜en〜Cielは活動が集中的に行われていたため、急な活動の沈静化に一部では解散説も流れ、﹁もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか﹂と思われていた。活動が止まった経緯に関して、tetsuyaは﹁どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった﹂と語っている。また、当時hydeがバンドに流れる空気の重さが肌に合わず脱退を考えていたことや[58]、tetsuyaがバンドを取り巻く環境の改善に取り組もうとしていたことが[59] 、各個人名義で出版した本で綴られている。2003年 - 2010年‥﹃SMILE﹄﹃AWAKE﹄﹃KISS﹄[編集]
2年半ぶりのライブ開催、本格的な活動再開、自身初の海外公演開催 個人活動の開始から約2年半が経った2003年6月、国立代々木競技場でバンド名に沿った7日間のライブ﹁Shibuya Seven days 2003﹂を開催。この公演が解散ライブになると当時噂されていたが、ライブ最終日の公演後において場内スクリーンに翌年の活動予定︵シングル・アルバムのリリース、ライブツアーの開催︶を掲載し、それまで流れていた解散説を一蹴する。 上記ライブでの発表通り、2004年2月には2年5ヶ月ぶりとなるシングル﹁READY STEADY GO﹂を発売。本作の表題曲はテレビアニメ﹃鋼の錬金術師﹄のオープニングテーマに起用され、2000年以来4年ぶりにオリコン年間シングルランキングTOP30にランクインした。そして、同年3月には3年7ヶ月ぶりとなる9thアルバム﹃SMILE﹄を発売。さらに、5月よりアリーナツアー﹁SMILE TOUR 2004﹂を開催し、L'Arc〜en〜Cielの活動を本格的に再開した。また、2004年7月31日にはアメリカ東海岸で開かれる地域最大のアニメコンベンション﹁OTAKON 2004﹂の一環として﹁L'Arc〜en〜Ciel Live in USA﹂を開催。このライブはボルチモアにあるファースト・マリナー・アリーナで行われ、自身初となる海外公演は1万1100人を動員するライブとなった。 翌2005年には1999年以来6年ぶりにシングル4作品をリリース。中でも同年5月18日に発売したシングル﹁叙情詩﹂は、7作連続でオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録し、ミュージック・クリップは第9回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に認定された。同年6月には10thアルバム﹃AWAKE﹄を発売。同年8月からはアルバムを引っ提げたアリーナツアー﹃AWAKE TOUR 2005﹄を開催。アルバムがhydeの思想を先行した反戦や平和をテーマとして制作されており、コンサートもアルバムに合わせコンセプチュアルなものとなった[60]。前述のツアーを経て、同年9月から自身初のアジアツアー﹁ASIALIVE 2005﹂を行い、ソウル、上海において自身初のライブを開催した。 結成15周年記念ライブ、9年ぶりとなるホールツアー開催、5ヶ月連続作品リリース 2006年には結成15周年を迎え、特別企画﹁L'Anniversary︵読み‥ラニバーサリー︶﹂を開始。同年8月には﹁Blurry Eyes﹂から﹁forbidden lover﹂までのシングル14作の12cmCDシングル盤と、sakura逮捕に伴い当時発売中止したシングル﹁the Fourth Avenue Café﹂を発売。この再発によって、全15作がオリコン週間シングルチャートTOP30にランクインし、﹁同一アーティストによるオリコン週間シングルチャートTOP30入り﹂の記録を更新した[61]。さらにシングル再発に立て続いて、1999年に2作同時発売されたアルバム﹃ark﹄、﹃ray﹄に特典DVDを付属した15周年記念盤が発売された。 2006年11月25日・26日には、結成15周年を記念したライブ﹁15th L'Anniversary Live﹂を東京ドームにて開催。ライブ最終日には翌年のシングルリリースと9年ぶりとなるホールツアーの開催を発表した[62]。翌2007年5月にはシングル﹁SEVENTH HEAVEN﹂を発売。また、SUBARU﹁レガシィ﹂のCMソングに起用された﹁MY HEART DRAWS A DREAM﹂を同年8月にシングルとして発売することを皮切りに、シングル・アルバム・映像作品を5ヶ月連続でリリースすることを発表した。さらに、前述のホールツアー﹁Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!﹂では、同年12月に発売される11thアルバム﹃KISS﹄の収録曲を含んだセットリストが組まれ、未音源化楽曲の先行披露をして全国32都市を廻った。 自身初の欧州公演を含むツアー開催、ライブ活動休止 2007年12月より前述のアルバムを引っ提げ、童話﹃不思議の国のアリス﹄を題材にした演出やセットが組まれたライブツアー﹁TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS﹂を開催。ライブで新曲として披露された﹁DRINK IT DOWN﹂がゲームソフト﹃デビルメイクライ4﹄の主題歌に起用され、翌2008年4月に発売された。 また、同月からは上海、台北、パリ、ソウル、香港、大阪、東京という世界7都市を廻るコンサートツアー﹁TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜﹂が開催され、日本公演含め30万人を動員した。同年5月9日に行われたフランス・パリのルゥ・ゼニット公演は、自身初のヨーロッパでのライブとなった。また、このパリ公演は日本全国5ヶ所の映画館において、世界初となる海外コンサートの同時中継が実施された。 さらに、同年5月13日の読売新聞朝刊記事で、シングル﹁NEXUS 4/SHINE﹂の発売および上記ツアー終了を持って結成20周年となる2011年までライブ活動を休止することを発表[63]。以後2011年まで各メンバーの個人活動の期間に充てられたが、あくまでライブ活動のみの休止のため、新譜は定期的にリリースされていた。2010年には﹁PEPSI NEX﹂CMソングに起用された自身初のカバー楽曲﹁I Love Rock'n Roll﹂を配信リリースした他、バンクーバーオリンピック・パラリンピックのNHK放送テーマソングに起用された﹁BLESS﹂がシングルとしてリリースされた。さらに、同年放送されたNHK紅白歌合戦に10年ぶり4度目の出場を果たすなど、テレビ出演含め音楽活動は途切れず継続された。2011年 - 2020年‥﹃BUTTERFLY﹄[編集]
ライブ活動再開、結成20周年記念ライブ、約3年3ヶ月ぶりとなるライブツアー開催 前年の紅白歌合戦への出場直後となる2011年1月1日にニューイヤーライブ﹃20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR!"﹄を開催。L'Arc〜en〜Cielとしては約2年半ぶりのライブ開催となった。また、同ライブでは公式Twitterと動画共有サービスUstreamの連動企画が行われ、最後のhydeのMCからライブ生配信が実施された[64]。そのMCにおいて、hydeが公演翌日から作曲期間に入ることを宣言し[65]、本格的な始動を予告。さらに、公演終了後に場内スクリーンでオールタイムベストアルバムとなる﹃TWENITY﹄シリーズ3作と記念ライブの開催を発表した。 新年の発表通り、2011年5月28日・29日に結成20周年を記念したライブ﹁20th L'Anniversary LIVE﹂を味の素スタジアムで開催。本公演のセットリストは初日公演で結成から1998年までにリリースされたアルバムの楽曲を、最終日公演では1999年発売のアルバムから当時の最新楽曲を中心に披露し、2日間で1曲も被りがないものとなった。また、本公演の収益全額を、公演2ヶ月前に発生した東日本大震災の被災地への義援金として寄付することをメンバーとスタッフの連名で発表した[66]。さらに、同年9月10日からはアリーナ、ドーム公演を含む約3年3ヶ月ぶりとなるコンサートツアー﹁20th L'Anniversary TOUR﹂を全国5都市で開催。メンバー4人以外がステージに立つことが滅多にないL'Arc〜en〜Cielとしては珍しくステージ後方にストリングス隊を携えた構成で展開され、多数の楽曲にストリングスアレンジを施し披露されるライブとなった[67]。 同年には前述の記念ライブで初披露された﹁GOOD LUCK MY WAY﹂を含めシングル3作、翌2012年2月には4年3ヶ月ぶりとなる12thアルバム﹃BUTTERFLY﹄が発売された。中でも2011年10月に発売されたシングル﹁X X X﹂は、ロックバンドとして史上3組目となる1990年代・2000年代・2010年代の3つの十年代連続でのオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録した。さらに、同年12月には前述の結成20周年ライブの模様を収録したライブビデオの発売により、DVD総売上のミリオン突破を記録した。また、VHS総売上と合わせ映像作品全体︵VHS+DVD︶においてダブルミリオンの達成となった[68]。 世界10カ国14都市を廻るワールドツアー、日本人初のマディソン・スクエア・ガーデン単独公演、2度の国立競技場公演開催 2012年3月からは、香港、バンコク、上海、台北、ニューヨーク、ロンドン、パリ、シンガポール、ジャカルタ、ソウル、ホノルル等、世界10カ国14都市を廻るワールドツアー﹁WORLD TOUR 2012﹂が開催され、日本公演含め45万人を動員した[55]。同年3月25日には、アメリカ・ニューヨークにあるマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、日本人ミュージシャンとして初となる単独公演が行われた[69]。本公演について、hydeは﹁今までのライブの中で一番覚悟が違った。戦いの日で、日本の旗を持ってきてライブをした気分だった[70]﹂、﹁アニメ (日本のアニメーション作品)の力とか昔から聴いてくれてた人が集まったりしたことで実現した、ラルクだからできたこと[71]﹂と述べている。 さらに、上記ツアーの追加公演として、横浜、大阪、東京の国内3都市の野外会場でコンサートツアー﹁20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL﹂が行われ、5月26日・27日には、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初となる国立霞ヶ丘競技場陸上競技場︵通称・旧国立競技場︶公演が開催された[72]。 2014年3月には、1年10ヶ月ぶりとなる2度目の国立競技場におけるライブ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場﹂を開催。前回の同所での公演と異なり、フィールドに設置される花道を排除し限界まで座席を敷き詰めることにより、スタンド、フィールド含め8万人︵両日16万人︶を動員。国立競技場でのライブにおいて史上最多となる動員数を記録した[73]。また、同年5月には同所で行われたライブイベント﹁SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT﹂に出演。この公演は全面建替工事前の国立競技場で行われる最後の音楽イベントとなり、L'Arc〜en〜Cielは最終日のトリを務め、全9曲を披露し国立競技場の長い歴史に花を添えた[74]。 同年2月26日には、過去のライブビデオ18作のBlu-ray Disc化を発表。さらに、同年10月22日には過去にリリースされたアルバム12作品のハイレゾリューションオーディオが配信された。hydeは﹁︵レコード会社が︶ソニーっていうのと、︵事務所の︶社長がエンジニアだったからだから結構音にはうるさいんですよね。何もないころから常にいい音で録音したりとか、いい映像で撮ったりとかもう趣味なんですよね。だからその時はお金はかかるけど、いざ発表するときにその時の効果が出るんですよね[75]﹂と述べている。また、同年12月には前述のワールドツアーに密着したドキュメンタリー映画﹃Over The L'Arc-en-Ciel﹄を全国72ヶ所の映画館で期間限定公開した。本作が自身初のドキュメンタリー映画となり、同年公開された音楽ドキュメンタリー映画の中で、最速となる興業収入1億円突破を記録した。 4年ぶりとなるシングルリリース、結成25周年記念ライブ開催、ライブ制作体制の見直し 2015年9月には大阪・夢洲において史上初となるライブ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO﹂を開催し、同ライブにて新曲﹁Wings Flap﹂を発表。限定シングルを除いて約4年ぶりとなるシングルとしてリリースされた。翌2016年12月にはシングル﹁Don't be Afraid﹂を発売。表題曲は映画﹃バイオハザード: ザ・ファイナル﹄の日本語吹替版主題歌に起用された他、同年に発売20周年を迎えたゲームシリーズともコラボし、世界初のVRミュージックビデオ﹁Don't be Afraid -Biohazard×L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-﹂をPlayStation VR向けで制作・配信した[76]。そして、2017年4月8日・9日には、結成25周年を記念したライブ﹁25th L'Anniversary LIVE﹂が東京ドームで行われた[77]。 2012年に開催されたワールドツアー終了から2017年までの約5年間は、L'Arc〜en〜CielとしてのCDリリースはシングル3作とライブアルバム1作のみ、ライブ開催は単発ライブの6公演のみと活動ペースが急激に落ち込み、各メンバーの個人活動が活発化した。バンドの活動ペースが落ち込んだことにより、一部報道で内紛・解散説が囁かれる事態となった[78]。 tetsuyaはワールドツアー終了以降の活動について、度々﹁知らない所でライブ開催が決まっていた﹂と述べており、結成25周年記念ライブの終了後に、所属事務所の社長である大石征裕とtetsuyaの間でL'Arc〜en〜Cielのライブ制作体制の見直しが話し合われることとなった。大石曰く、tetsuyaが﹁アーティストとの信頼関係が保てるライブ制作体制を目指したい﹂﹁全てをガラス張りにするためにも一緒に組む制作会社はコンペによって決定したい﹂と意思を表明したといい[79]、結果的に2018年以降のライブでは興行主体を、所属事務所のマーベリックからライブ・ネイションに変更する運びとなった[注釈 53]。 自身初のクリスマスライブ開催、定額制音楽配信サービス開始、8年ぶりとなるライブツアー開催 前述の経緯で連携が決まったライブ・ネイション・ジャパンを興行主体とし、2018年に自身初のクリスマスライブ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas﹂を開催。興行主体が変わったことで、数%の既存スタッフを除き、PA、照明、制作、舞台、各種システム担当に渡りほとんどのスタッフを一新した上でライブ制作が行われた[80]。動画配信サービスサイト﹃Paravi﹄で配信された同ライブのドキュメンタリー番組では、このライブから新たに制作に携わったスタッフ達の証言が収録されている[81]。 翌2019年9月1日には、公式Twitterに"20190902 4:00"というメッセージを掲載[82]。Twitter上に新情報のヒントとなる文字を時間差でアップし、翌日4時に翌2020年に8年ぶりとなるライブツアーを開催することを発表した[82]。また、同年12月2日にはツアー開催に先駆け、公式YouTubeチャンネルを開設。12月11日にはYouTubeチャンネルにおいて一部楽曲のミュージック・クリップの無料公開、ライブ映像のプレミア配信を開始するとともに、サブスクリプションサービス︵定額制音楽配信︶の解禁を発表した。同日より、これまでに発表した計428曲の全音源[注釈 54] 一斉配信し、計51作の全ミュージック・クリップ[注釈 55] も順次配信を開始した。解禁直後のSpotifyの日本の週間バイラルチャートでは、上位18位までを独占しTOP50に34曲がチャートインし、翌週も1位・2位を独占するなどファンダムが強さが浮き彫りとなった[83]。 翌2020年1月からは前年9月の発表通り、8年ぶりとなるアリーナツアー﹁ARENA TOUR MMXX﹂[注釈 56] を開催。このツアーでは前年に開設した公式YouTubeチャンネルや公式Instagramを新たなプラットフォームとして活用し、公演前の会場の様子やライブの一部模様、舞台裏でのメンバーの様子などを撮影した映像を公開する企画が行われた。また、前年に解禁した各種サブスクリプションサービスにおいて、開場時に流すメンバーセレクトのBGMのプレイリストや、過去のライブのセットリストのプレイリストを公開する企画が行われた。このツアーの当初の公演規模は全国5都市12公演を予定していたが、同年1月末に日本国内で初感染が確認された新型コロナウイルスの感染症拡大防止のため、同年2月26日に最終4公演の中止を決定した。2021年 - 現在[編集]
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来歴[編集]
1990年代[編集]
1991年 ●2月、L'Arc〜en〜Cielを大阪で結成。結成当初のメンバーは、tetsuya︵当時の名義は、tetsu︶を中心に、hyde︵当時の名義は、hide︶、hiro、peroの4人[84]。 ●4月18日、YANTA鹿鳴館で上記の4人による謎のセッション・バンドとしてライヴを行う[84]。 ●5月30日、難波ロケッツでL'Arc〜en〜Ciel名義でのファーストライヴを行う[84]。 ●9月14日、大阪城野外音楽堂で行われたライヴイベントに出演[84]。 ●9月27日、難波ロケッツでL'Arc〜en〜Cielとして大阪における初のワンマンライヴを行う[84]。 ●12月25日、YANTA鹿鳴館でhyde、tetsuya、peroの3人と他2名による謎のセッション・バンドがライヴを行う[84]。 1992年 ●3月10日、自主制作ライヴビデオ﹃L'Arc-en-Ciel﹄を、難波ロケッツで実施したライヴにて無料配布[84]。同年3月16日に開催した新宿ロフト公演においても同ビデオの無料配布を実施している[84]。 ●6月12日、難波ロケッツで行われたライヴをもって、ギタリストのhiroが脱退。後任として、kenがギタリストでバンドへ加入する[84]。 ●8月27日、大阪アム・ホールで行われたライヴイベント﹁1992 BEATNIK﹂に出演[84]。 ●10月1日、コロムビアから発売されたオムニバスアルバム﹃Gimmick﹄にL'Arc〜en〜Cielの楽曲﹁VOICE﹂が収録される。これがL'Arc〜en〜Cielとして、初めてCDに収められた音源となった。 ●10月3日、クラブチッタ川崎で行われたWill主催のライヴイベントに出演[84]。 ●10月10日、クラブチッタ川崎で行われたオムニバスアルバム﹃Gimmick﹄の発売記念ライヴイベントに出演[84]。 ●10月11日、目黒鹿鳴館で行われたライヴイベントに出演[84]。 ●11月7日、横浜モンスターで行われたライヴイベントに出演[84]。 ●11月25日、Night Gallery RecordsからインディーズCDシングル﹁Floods of tears/夜想花﹂を発売[84]。この作品は、1000枚限定で事前予約者を対象にリリースされている。なお、予約のみで完売している[84]。 ●12月30日、大阪ミューズホールで行われたオールナイトライヴをもって、ドラマーのperoが脱退[84]。 1993年 ●1月16日、peroの後任として、sakura︵ex.The HAREM Q︶がドラマーでバンドへ加入する[84]。 ●3月11日、ライヴ﹁SONIC GIG﹂を恵比寿GUILTYにて開催[84]。 ●3月14日、渋谷公会堂で行われたライヴイベント﹁華麗なる魔性﹂に出演[84]。 ●4月10日、1stアルバム﹃DUNE﹄のスペシャルジャケット限定盤をDanger Crue Recordsから発売[84]。同年4月27日には、ボーナストラック1曲を追加した通常盤を発売[84]。ちなみにこの作品は、1993年5月31日付のオリコン週間インディーズアルバムチャートで首位を獲得している。 ●4月27日、ライヴ﹁SONIC GIG Ⅱ﹂を恵比寿GUILTYにて開催[84]。 ●5月3日、渋谷公会堂で行われたロッキンf主催のライヴイベント﹁Subliminal Vision﹂に出演[23][84]。 ●6月14日 - 7月3日、自身初のライヴツアー﹁Close by DUNE﹂を開催[84]。 ●8月1日、ツアー﹁Close by DUNE﹂の最終公演﹁Close by DUNE FINAL﹂を日清パワーステーションで開催[84]。 ●8月23日、渋谷公会堂で行われたライヴイベント﹁SHOCK AGE '93﹂に出演[23][84]。 ●10月13日、ミュージック・クリップ集﹃TOUCH OF DUNE﹄をDanger Crue Recordsから1万本限定で発売[84]。この作品は、オリコン週間インディーズビデオチャートで首位を獲得している。 ●10月19日、渋谷公会堂で行われたライヴイベント﹁Because the Night Vol.1﹂に出演[23]。 ●11月9日 - 12月20日、ライヴツアー﹁FEEL OF DUNE﹂を開催[84][85]。 ●12月24日、テレビにて特別番組﹃ノスタルジーの予感〜序章〜﹄が放送される。 1994年 ●2月14日、全国6局ネットで特別番組﹃ノスタルジーの予感〜第一章〜﹄が放送される。 ●4月3日 - 4月15日、ライヴツアー﹁ノスタルジーの予感﹂を開催[85]。 ●4月8日 - 7月8日、全国3局ネットで﹃ノスタルジーの予感〜組曲〜﹄が放送される。 ●7月1日、1stビデオシングル﹁眠りによせて﹂を発売[85]。この作品は、ソニー・ミュージックの社内レーベル、Ki/oon Sony Records︵現‥Ki/oon Music︶からリリースされており[85]、これがメジャーデビューシングルとなった。このビデオシングル以降に発表されたL'Arc〜en〜Cielの音源収録作品は、原則前記のレーベルからリリースされている。 ●7月7日、全国10局ネットで特別番組﹃ノスタルジーの予感〜第二章〜﹄が放送される[85]。 ●7月14日、2ndアルバム﹃Tierra﹄を発売。 ●7月14日 - 8月27日、ライヴツアー﹁Sense of time '94﹂を開催。 ●8月20日、LUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKの3バンドによる合同ライヴツアー﹁L.S.B.﹂の札幌芸術の森 野外ステージ公演にゲスト出演[85]。なお、このツアーで組まれた他会場には、THE MAD CAPSULE MARKET'S、DIE IN CRIESがゲストアクトとして出演している。 ●9月9日 - 9月20日、ミュージック・ビデオ撮影のため、モロッコへ渡航[85]。 ●10月21日、1stCDシングル﹁Blurry Eyes﹂を発売。 ●12月1日 イメージビデオ﹃Siesta 〜Film of Dreams〜﹄を発売。 公式ファンクラブ﹁Ciel﹂︵読み‥シエル︶の入会受付を開始[85]。 1995年 ●1月24日 - 2月4日、公式ファンクラブの発足を記念したライヴツアー﹁Ciel/winter '95﹂を開催。 ●2月1日、公式ファンクラブ﹁Ciel﹂が正式に発足[85]。 ●5月21日、2ndビデオシングル﹁and She Said﹂を発売。 ●5月21日 - 6月27日、ライヴツアー﹁in CLUB '95﹂を開催。 ●7月6日、2ndCDシングル﹁Vivid Colors﹂を発売。 ●7月22日、渋谷公会堂で行われたライヴイベント﹁SHOCK AGE SPECIAL '95﹂に出演[23][85]。 ●7月30日、渋谷公会堂でシークレットライヴ﹁L'Arc〜en〜Ciel DAY﹁Rendez-Vous﹂前夜祭﹂を開催[85]。ライヴ開催は、当日に渋谷駅ハチ公前のスクリーンで発表された[85]。また、発表のあった渋谷では、Tシャツの無料配布や、1995年の年末に開催する日本武道館公演の告知も行われた[85]。 ●8月20日、秩父ミューズパークで行われたエフエムナックファイブ主催のライヴイベント﹁彩の国秩父ミューズコンサート'95 NACK5 GO-ROCK﹂に出演[23][85]。 ●8月24日 - 8月31日、メンバー4人による全国キャンペーンイベント﹁Rendez-Vous, 1995, Summer﹂を開催[85][86]。 ●9月1日、3rdアルバム﹃heavenly﹄を発売。 ●9月8日 - 10月4日、ライヴツアー﹁TOUR heavenly '95﹂を開催。 ●10月3日から、エフエムナックファイブのラジオ番組﹃MIDNIGHT ROCK CITY﹄にて火曜パーソナリティを務める︵1996年3月26日まで︶[86]。 ●10月21日 3rdCDシングル﹁夏の憂鬱 [time to say good-bye]﹂を発売。 名古屋ダイヤモンドホールで行われた中京テレビ主催の公開録音ライヴイベント﹁Kiss Miss Live﹂に出演[86][87]。 ●12月12日 - 12月25日、ライヴツアー﹁The other side of heavenly '95﹂を開催。 ●12月23日 - 12月25日、としまえんとのタイアップイベント﹁L'Arc〜en〜Ciel DAY﹁Noёl﹂﹂を開催[86]。このタイアップ期間中、CDシングル﹁夏の憂鬱 [time to say good-bye]﹂のジャケットを持って同所を訪れた者に、先着2万名でメモリアルカードがプレゼントされた。園内の特設シアター﹁ドリームドーム﹂にてスペシャル3Dビデオが上映された[86]。 ●12月27日、ツアー﹁TOUR heavenly '95﹂の最終公演として、自身初の日本武道館でのライヴ﹁TOUR heavenly '95 final﹂を開催。 1996年 ●3月21日、ライヴビデオ﹃heavenly 〜films〜﹄を発売。 ●4月3日 - 5月29日、ライヴツアー﹁Kiss me2000年代[編集]
2000年 ●1月1日 自身初のカウントダウンライヴ﹁RESET>>LIVE *000﹂を東京ビッグサイト 東館展示ホール1-3にて開催。このカウントダウンライヴは1999年12月31日から2000年1月1日をまたいで行われた。協賛はツーカー[93]。また、このライヴでは、会場となった東京ビッグサイト 東館展示1-3ホールに隣接する4-5ホールにおいて、大型ビジョンでライヴの模様を生中継するリアルタイム・ヴァーチャル・ライヴも開催された[91]。なお、リアル・ライヴとヴァーチャル・ライヴを合わせ、5万5千人を動員している︵リアル・ライヴで3万5千人、ヴァーチャル・ライヴで2万人を動員︶。また、1999年12月31日23時59分頃から、全国各地の街頭ビジョンにおいて、カウントダウンライヴに訪れた観客によるカウントダウンと2000年代幕開けの1曲目として披露した﹁NEO UNIVERSE﹂の模様を生放映している。 ●1月19日、19thCDシングル﹁NEO UNIVERSE/finale﹂を発売。通算9作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得すると共に[91]、通算5作目のシングルミリオンセラーを記録。 ●3月15日、第14回日本ゴールドディスク大賞において、﹁HEAVEN'S DRIVE﹂が“SONG OF THE YEAR”を、﹃ark﹄﹃ray﹄﹁NEO UNIVERSE﹂が“ROCK ALBUM OF THE YEAR”を受賞する[91]。 ●4月5日、1stアルバム﹃DUNE﹄をDanger Crue Recordsから再販。 ●4月7日、NTTドコモのiモード、J-PHONE各社のJ-Sky Webで最新情報提供が全国一斉にサービスを開始。同年5月17日には、IDO・セルラー・ツーカー各社のEZwebでもサービスを開始した。 ●4月17日、新曲﹁STAY AWAY﹂が、各携帯電話へ着信メロディサービスを開始。全国のレコード店で限定200,000枚の着信メロディデータを掲載したフライヤーを配布した。 ●4月21日、公式ファンクラブ﹁Ciel﹂が﹁LE-CIEL﹂︵読み‥ルシエル︶に改称される。 ●6月28日、リミックスアルバム﹃ectomorphed works﹄を発売。このアルバムは、yukihiro単独のプロデュース作品となっている。 ●7月19日 20thCDシングル﹁STAY AWAY﹂を発売。 プレイステーション用ゲームソフト﹃激突トマラルク TOMARUNNER VS L'Arc〜en〜Ciel﹄を発売。 ●8月30日、8thアルバム﹃REAL﹄を発売。通算4作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得すると共に[91]、5度目のアルバムミリオンセラーを記録した[91]。 ●10月8日 - 10月27日、ライヴツアー﹁CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE﹂を開催。これはL'Arc〜en〜Cielとって、久々のライヴハウスのみをまわるツアーとなった。 ●11月4日 - 12月6日、自身初の4大ドームツアー﹁TOUR 2000 REAL﹂を開催。協賛はトヨタ自動車と、Yahoo! JAPAN[94]。このツアーでは40万人以上を動員する。なお、東京ドームでの4公演のうち、12月5日公演はYahoo! JAPAN内のコンテンツ﹁Yahoo!ブロードキャスト﹂で配信されている[94]。また、12月6日公演はスカパー!・スカイパーフェクTVのペイ・パー・ビューチャンネル、パーフェクト・チョイスで、通常形態の放送+メンバー4人のアングル別チャンネルで生放送が行われた。さらに携帯電話サービス﹁LE-CIEL NET﹂においても、12月6日公演のライヴ動画中継が実施された。 ●12月23日、SPACE SHOWER Music Video Awards '00において、﹁STAY AWAY﹂が“BEST VIDEO OF THE YEAR”と“BEST GROUP VIDEO”を受賞[95]。 ●12月31日、第51回NHK紅白歌合戦に3回目の出場。演奏曲は﹁STAY AWAY﹂。 2001年 ●3月13日、第15回日本ゴールドディスク大賞において、﹃REAL﹄が“ROCK ALBUM OF THE YEAR”を受賞する[95]。 ●3月14日 自身初のベストアルバム﹃Clicked Singles Best 13﹄を発売。通算5作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得すると共に[95]、6度目のアルバムミリオンセラーを記録した[95]。なお、このベストアルバムは、Yahoo! JAPANとのジョイント企画として開設された特設投票サイト﹁LArc.yahoo.co.jp﹂の投票結果をもとに、収録曲が決定されている。ちなみに投票対象となる楽曲は、シングル表題曲のみとなっている。また、投票は日本以外のアジア地域でも行われており、日本盤の他、中国盤、香港盤、台湾盤、タイ盤、フィリピン盤、マレーシア盤が各地域で同時リリースされている。余談だが2001年5月には米国盤、2004年には韓国盤が発売されている。 携帯電話情報サービス﹁LE-CIEL NET﹂で着メロ配信サービスを開始。 ●3月28日、ミュージック・クリップ集﹃CHRONICLE 2﹄を発売。通算2作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得。 ●5月1日、ベストアルバム﹃Clicked Singles Best 13﹄の16和音着メロサービス開始[95]。 ●6月20日、ライヴビデオ﹃CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE -NO CUT-﹄を発売。 ●7月4日、8thアルバム﹃REAL﹄のSuper Audio CD版を発売。 ●8月29日、東京国際フォーラムで行われた映画﹃FINAL FANTASY﹄の試写会にシークレット出演し、﹁Spirit dreams inside﹂を披露[95]。 ●9月5日、21stCDシングル﹁Spirit dreams inside -another dream-﹂を発売。通算10作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[95]。このシングル発売前後から、L'Arc〜en〜Cielは実質的に活動休止状態となり、メンバー各個人がソロ活動もしくは別バンドでの活動を開始するようになる。 2002年 ●3月13日、第16回日本ゴールドディスク大賞において、﹃Clicked Singles Best 13﹄が“ROCK ALBUM OF THE YEAR”を受賞する[95]。 2003年 ●3月19日、ベストアルバム﹃The Best of L'Arc〜en〜Ciel﹄を﹃1994-1998﹄﹃1998-2000﹄﹃c/w﹄の3枚に分け同時発売。 ●6月25日、LE-CIEL会員限定ライヴ﹁Akasaka Zero day﹂を赤坂BLITZにて開催。 ●6月28日 - 7月6日、本格的な活動再開を告げるライヴ﹁Shibuya Seven days 2003﹂を国立代々木競技場 第一体育館にて開催。チケットは約3分で完売し、7日間の公演で約9万人を動員した[95]。なお、最終日公演は世界初の試みとして、NTTドコモのFOMAを用いたライヴ映像のストリーミング配信を実施[95]。 ●12月17日、ライヴビデオ﹃7﹄を発売。同日には﹁眠りによせて﹂﹁and She Said﹂﹃Siesta 〜Film of Dreams〜﹄﹃heavenly 〜films〜﹄のDVD版、﹃A PIECE OF REINCARNATION﹄・﹃ハートに火をつけろ!﹄のトールケース仕様廉価DVD版を発売。 ●12月26日、日本武道館で行われたDanger Crue Records主催のライヴイベント﹁天嘉 弐 -DANGER II-﹂にシークレットゲストとして出演[95]。未発表の新曲﹁READY STEADY GO﹂を初披露。 2004年 ●2月4日、22ndCDシングル﹁READY STEADY GO﹂を発売。通算11作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[96]。 ●3月3日、23rdCDシングル﹁瞳の住人﹂を発売。通算12作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[96]。 ●3月31日 9thアルバム﹃SMILE﹄を発売。 ムック本﹃ぴあMOOK ラルクぴあ 街に詳しくなる!遊びに詳しくなる!ラルクに詳しくなる!﹄をぴあから発売 ●4月21日、メジャーデビュー10周年を記念し、1stアルバム﹃DUNE﹄の復刻盤﹃DUNE 10th Anniversary Edition﹄をDanger Crue Recordsから発売[96]。 ●5月8日、Sony Music Fes. 2004の一環で、ライヴ﹁SMILE TOUR 2004前夜祭﹂を国立代々木競技場 第一体育館にて開催。 ●5月11日 - 6月27日、約3年6ヶ月ぶりとなるライヴツアー﹁SMILE TOUR 2004﹂を開催し、約25万人を動員。 ●6月2日、24thCDシングル﹁自由への招待﹂を発売。通算13作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[96]。なお、L'Arc〜en〜Cielはこのシングル以降、フィジカル発売と同日もしくはそれに先駆けて、表題曲を各種音楽配信サービスサイトで発表するようになり、楽曲のリリースの形態が大きく変わっている。この当時の日本では、携帯電話で音源のフルコーラスが聴ける着うたフルなどの独自サービスが登場し、楽曲のダウンロード配信が本格的に始まった背景があり、L'Arc〜en〜Cielもこの流れに沿うように販売形態を多様化していく運びとなった。 ●6月29日、9thアルバム﹃SMILE﹄をアメリカで発売。 ●7月24日・25日、野外ロックフェスティバル﹁THE ROCK ODYSSEY 2004﹂に出演。7月24日に行われた大阪ドーム公演および、7月25日に行われた横浜国際総合競技場公演に出演し、それぞれの会場で12曲を披露。 ●7月30日、アメリカ合衆国・メリーランド州ボルチモアにあるファースト・マリナー・アリーナで行われたアニメコンベンション﹁OTAKON 2004﹂の一環で、自身初の海外ライヴ﹁Live in USA﹂を同所にて開催。 ●12月14日、ライヴビデオ﹃LIVE IN U.S.A 〜at 1st Mariner Arena July 31, 2004〜﹄を発売。 ●12月19日・26日、大阪城ホールで行われたイベント﹁鋼の錬金術師FESTIVAL﹂にシークレットゲストとして出演。なお、同年12月26日には、国立代々木競技場・第一体育館で行われた同イベントへ出演している。 ●12月25日、日本武道館で行われたDanger Crue Records主催のライヴイベント﹁天嘉 参 -DANGER III-﹂にシークレットゲストとして出演[96]。未発表の新曲﹁Killing Me﹂を初披露。 2005年 ●1月13日、25thCDシングル﹁Killing Me﹂を発売。通算14作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[96]。 ●4月6日、26thCDシングル﹁New World﹂を発売。通算15作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[96]。 ●5月18日、27thCDシングル﹁叙情詩﹂を発売。通算16作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[96]。 ●6月1日、ライヴビデオ﹃SMILE TOUR 2004 〜全国編〜﹄を発売。通算3作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得。 ●6月22日、10thアルバム﹃AWAKE﹄を発売。通算6作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得[96]。 ●7月8日、ニッポン放送の深夜ラジオ番組﹃オールナイトニッポン﹄のパーソナリティを1夜限りで務める (録音放送)[注釈 60]。 ●7月20日、28thCDシングル﹁Link﹂を発売。 ●7月22日、東京国際フォーラムで行われたイベント﹁劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者 前夜祭﹂にシークレットゲストとして出演[96]。 ●7月28日、LE-CIEL会員限定でライヴ﹁AWAKE TOUR 2005前夜祭 ﹁今夜奇跡が起きる!?﹂﹂をLIQUIDROOM Ebisuにて開催[97]。 ●7月30日、大阪城西の丸庭園で行われたイベント﹁MBS ANIME FES.'05﹂にシークレットゲストとして出演し、3曲を披露[98]。 ●8月6日 - 8月31日、ライヴツアー﹁AWAKE TOUR 2005﹂を開催。このツアーでは、約13万2千人を動員する。 ●9月3日 - 9月25日、日本を含むアジア地域3ヶ国をまわるライヴツアー﹁ASIALIVE 2005﹂を開催。このツアーは、東京︵日本︶・ソウル︵韓国︶・上海︵中華人民共和国︶の3都市で行われ 、ソウル・上海公演はそれぞれ1万人、東京公演は2日間で約9万2千人を動員している。 ●9月20日 オフィシャルテキストブック﹃WORDS L'Arc〜en〜Ciel﹄を角川書店から発売[97]。著者は、音楽雑誌﹃ROCKIN'ON JAPAN﹄の元編集長である鹿野淳。 10thアルバム﹃AWAKE﹄をアメリカで発売。 ●12月14日、ライヴビデオ﹃AWAKE TOUR 2005﹄を発売。 2006年 ●3月17日、SPACE SHOWER Music Video Awards '06において、﹁叙情詩﹂が“ART DIRECTION VIDEO WINNERS”を受賞[97]。なお、﹁叙情詩﹂のミュージックビデオは、平成17年度文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門において、審査委員会推薦作品に選ばれている。 ●4月1日、オムニバスブック﹃L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT & PHOTOGRAPH﹄をソニー・マガジンズから完全受注生産で発売。この本は、ソニー・マガジンズから発行された音楽雑誌﹃WHAT's IN?﹄や﹃Gb﹄などに掲載されていたL'Arc〜en〜Cielへのインタビュー記事や写真が抜粋されたものとなっている。 ●6月21日、ライヴビデオ﹃ASIALIVE 2005﹄を発売。通算4作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得。なお、2006年にバンド結成15周年を迎えたことを踏まえ、﹁L'Anniversary﹂︵読み‥ラニバーサリー︶企画を開始。このビデオを含めた作品・関連イベントには、"15周年"を示すマークが付与されることになった[注釈 61]。 ●7月15日 - 8月31日、J-POP CAFE SHIBUYAにてカフェイベント﹁L'Arcafe﹂︵読み‥ラルカフェ︶を期間限定で開催[97][99]。このカフェでは、メンバー4人が考案したオリジナルメニュー販売の他、過去の未公開ライヴ映像が放映された。なお、カフェで放映された映像は、のちに発売されたライヴビデオボックス﹃FIVE LIVE ARCHIVES﹄へ収録された。 ●8月30日、1stCDシングル﹁Blurry Eyes﹂から14thCDシングル﹁forbidden lover﹂のCDシングル14作の12cmCD盤を発売[100]。同日には、1997年に7thCDシングルとしてリリース予定だったが、sakuraの逮捕を受け発売中止となっていた作品を、29thCDシングル﹁the Fourth Avenue Café﹂として発売。なお、この再発によって、前年にサザンオールスターズが記録した﹁同一アーティストによる最多週間シングルチャートTOP30入り﹂の記録を12から15へ更新した[61]。 ●9月1日、中華人民共和国にてオフィシャルファンクラブ設立[97]。 ●11月25日・26日、バンド結成15周年記念ライヴ﹁15th L'Anniversary Live﹂を東京ドームにて開催。チケットは約2分で完売し、2日間で約11万人を動員している。 ●12月13日、1999年に発売した6thアルバム﹃ark﹄、7thアルバム﹃ray﹄に特典DVDを付属した、バンド結成15周年を記念した復刻盤﹃ark 15th Anniversary Expanded Edition﹄﹃ray 15th Anniversary Expanded Edition﹄を発売。 2007年 ●2月14日、ミュージック・クリップ集﹃CHRONICLE 0 -ZERO-﹄を発売。 ●4月4日、ライヴビデオボックス﹃FIVE LIVE ARCHIVES﹄を発売。 ●5月30日、30thCDシングル﹁SEVENTH HEAVEN﹂を発売。通算17作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[97]。 ●6月8日 - 8月30日、ライヴツアー﹁Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!﹂を開催。このツアーは、1998年以来約9年ぶりにホール規模の会場を中心にまわるツアーとなった。 ●7月28日、韓国・仁川広域市で行われた野外ロックフェスティバル﹁2007 INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL﹂の2日目にヘッドライナーとして出演し[97]、15曲を披露。なお、このフェスへのヘッドライナー出演は、日本人アーティストとして初のこととなった[97]。 ●8月29日、31stCDシングル﹁MY HEART DRAWS A DREAM﹂を発売。通算18作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[97]。 ●9月12日、ライヴビデオ﹃15th L'Anniversary Live﹄を発売。通算5作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得[97]。 ●10月10日、32ndCDシングル﹁DAYBREAK'S BELL﹂を発売。通算19作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[97]。 ●11月14日、33rdCDシングル﹁Hurry Xmas﹂を発売。 ●11月20日 - 12月25日、東京・渋谷にある商業施設、SHIBUYA109のメンズブランド﹁109MEN'S﹂︵現‥MAGNET by SHIBUYA109︶とL'Arc〜en〜Cielがコラボした巨大広告が展示された[101]。この広告では翌週に発売されるアルバムのタイトルにちなみ、"メンバー同士がキスをしているように見える写真"が使われている[101]。なお、これはこの広告のため撮り下ろしされたものである[101]。また、この広告でメンバーは﹁109MEN'S﹂を取り入れたコーディネートで登場している[101]。さらに、同期間には﹁109MEN'S×L'Arc〜en〜Ciel﹂のコラボレーションCMがフォーラムヴィジョンにて放映されている[101]。ちなみに、﹁109MEN'S﹂がロック・アーティストとコラボレーションするのは、これが初の試みとなった[101]。 ●11月21日、11thアルバム﹃KISS﹄を発売。通算7作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得[97][102]。 ●12月4日、iTunes USAで11thアルバム﹃KISS﹄の配信を開始。 ●12月5日、ミュージック・クリップ集﹃CHRONICLE 3﹄を発売。 ●12月22日 - 2008年2月17日、ライヴツアー﹁TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS﹂を開催。 2008年 ●2月11日、iTunes Canadaで11thアルバム﹃KISS﹄の配信を開始[103]。 ●2月21日、Yahoo!ミュージックアワード2007において、L'Arc〜en〜Cielが“ベストグループ最優秀賞”を受賞[103]。 ●3月、NHK﹃J-MELO Awards﹄(2007年)において、L'Arc〜en〜Cielが“Most Requested Artist”を受賞[103]。 ●4月2日 34thCDシングル﹁DRINK IT DOWN﹂を発売。通算20作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得[103]。また、Billboard JAPANのTop Singles Salesチャートで自身初の首位を獲得した。 ライヴビデオ﹃Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ! in OKINAWA﹄を発売。 ●4月12日、MySpace上で、L'Arc〜en〜Ciel Official MySpaceを開設[103]。 ●4月18日、11thアルバム﹃KISS﹄をヨーロッパで発売。 ●4月19日 - 6月8日、日本国内外7都市をまわるライヴツアー﹁TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜﹂を開催。このツアーは、ソウル・上海・香港・台北・パリ・東京・大阪の7都市で行われ、約30万人を動員している[103]。ちなみにパリ公演は、自身初のヨーロッパ公演となった。なお、5月9日に行ったパリ公演の模様は、東京・大阪・福岡・広島・新潟の全国5箇所のシネマコンプレックスにおいて、世界初となる海外コンサートの同時中継が行われた[103]。ちなみに、海外コンサートの同時中継は、このパリ公演が世界初のことである[103]。 ●5月2日、11thアルバム﹃KISS﹄が台湾の音楽チャート、G-musicの2008年5月2日付総合ランキングで首位を獲得[103]。 ●5月13日、読売新聞朝刊において、2008年8月にニューシングル﹁NEXUS 4/SHINE﹂をリリースすることと、2011年にバンド結成20周年記念ライヴを開催することを発表した[63]。この発表に関連し、バンド結成20周年記念公演までライヴ活動を休止することも発表された。 ●8月27日 35thCDシングル﹁NEXUS 4/SHINE﹂を発売。 ライヴビデオ﹃TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS﹄を発売。通算6作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得。 ●11月26日、33rdCDシングル﹁Hurry Xmas﹂の2008年盤を発売。 2009年 ●2月25日、ミュージック・クリップ集﹃CHRONICLE 4﹄を発売。 ●3月、NHK﹃J-MELO Awards﹄(2008年)において、L'Arc〜en〜Cielが“Most Requested Artist”を受賞[103]。 ●3月25日、ドキュメンタリー・ビデオ﹃DOCUMENTARY FILMS 〜Trans ASIA via PARIS〜﹄を発売。 ●5月20日、ライヴビデオ﹃LIVE IN PARIS﹄を発売。通算7作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得。7作のDVD総合チャート首位獲得は、当時の男性アーティストの持つ記録としては歴代1位タイとなる[104]。 ●5月22日 - 5月24日、ドキュメンタリー・ビデオ﹃DOCUMENTARY FILMS 〜Trans ASIA via PARIS〜﹄と、ライヴビデオ﹃LIVE IN PARIS﹄、ライヴ写真集﹃á Paris﹄︵カジュアル仕様︶の発売記念イベントとして、赤坂サカスにおいて﹁L'Arc〜en〜Ciel MUSEUM﹂を開催。 ●9月2日、ベストアルバム﹃Clicked Singles Best 13﹄のブルースペックCD盤を発売。 ●12月1日、tetsuyaが自身のアーティスト名を﹁tetsu﹂から現在の﹁tetsuya﹂へ改名。 ●12月9日、33rdCDシングル﹁Hurry Xmas﹂の2009年盤を発売。2010年代[編集]
2010年 ●1月13日、NHKバンクーバーオリンピック・パラリンピック放送のテーマソング発表会見において、新曲﹁BLESS﹂を披露[105]。 ●1月27日、36thCDシングル﹁BLESS﹂を発売。 ●3月、NHK﹃J-MELO Awards﹄(2009年)において、L'Arc〜en〜Cielが“Most Requested Artist”を受賞[105]。 ●3月10日、ベストアルバム﹃QUADRINITY 〜MEMBER'S BEST SELECTIONS〜﹄を発売。 ●3月31日 配信限定シングル﹁I Love Rock'n Roll﹂の各種音楽配信サイトでのダウンロード配信を開始。 ライヴビデオ﹃TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜﹄を発売。 オフィシャルテキストブック﹃WORDSⅡ L'Arc〜en〜Ciel﹄を角川マガジンズから発売[105]。著者は、音楽雑誌﹃MUSICA﹄の創刊者である鹿野淳。 ●11月24日、33rdCDシングル﹁Hurry Xmas﹂の2010年盤を発売。 ●12月31日、第61回NHK紅白歌合戦に4度目の出場。演奏曲は﹁BLESS﹂。 2011年 ●1月1日、バンド結成20周年の幕開けとなるニューイヤーライヴ﹁20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR!"﹂を幕張メッセ 国際展示場9-11ホールにて開催。ライヴの模様は当日の19:00 (JST) からUstreamで生中継が行われ、直前に出演したNHK紅白歌合戦の会場、NHKホールからの移動などの様子も中継された[106]。 ●2月16日、ベストアルバム﹃TWENITY﹄を﹃1991-1996﹄﹃1997-1999﹄﹃2000-2010﹄の3枚に分け同時発売。同年3月9日には、前記のCD3枚とDVD、特典を付属した﹃TWENITY BOX﹄を発売。 ●3月29日、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災) を受け、オフィシャルHP上にメンバー・スタッフの連名コメントを掲載。併せて、同年5月開催の﹁20th L'Anniversary LIVE﹂の全収益を、震災の義援金として寄付することを発表した[107]。 ●4月6日、ライヴビデオボックス﹃FIVE LIVE ARCHIVES 2﹄を発売[注釈 62]。 ●5月28日・29日、バンド結成20周年記念ライヴ﹁20th L'Anniversary LIVE﹂を味の素スタジアムにて開催。2日間で約11万人を動員している。この公演は、日本国内の映画館40館、およびパリ、ロンドン、ニューヨーク、台湾、香港、ソウルの海外6都市9ヶ所の映画館でライヴビューイングが実施されており、2万人を超える動員数を記録している[108]。 ●6月27日 - 28日、ドワンゴが提供するニコニコ動画のライヴストリーミングサービス﹁ニコニコ生放送﹂で24時間 (27日20:00 - 28日20:00、JST) にわたる特番企画を実施している[109]。この番組では、L'Arc〜en〜Cielがこれまでにリリースした楽曲の中から123曲、さらにミュージック・ビデオ44曲を一挙に放送している[109]。そして、番組のフィナーレとなる同年6月28日19時からの1時間には、MCの古坂大魔王とL'Arc〜en〜Cielのメンバー全員が初生出演し、メンバーがユーザーからの質問に答えるといった企画が行われている[109][110]。なお、メンバーが出演したコーナーのラスト30分は、ニコニコ生放送史上初の試みとして、予告なしで東京・渋谷のスクランブル交差点にある109フォーラムビジョン、そして名古屋、大阪の3都市の街頭ビジョンにて生中継が行われた[109]。ちなみに動画配信サイトで24時間以上配信したアーティストは過去に存在するが、国内アーティストの施策としては初の試みとなった[109]。余談だが、この特番では、同サービス内において当時の来場者数1位︵90万人超[109]︶、コメント数1位︵約300万[109]︶を記録している[109]。 ●6月22日、シングルトラック﹁GOOD LUCK MY WAY﹂を先行配信。 ●6月29日、37thCDシングル﹁GOOD LUCK MY WAY﹂を発売。Billboard JAPANのHot Animationチャートで自身初の首位を獲得。 ●7月21日 - 8月31日、SPACE SHOWER TV THE DINERにてカフェイベント﹁L'Arcafe﹂︵読み‥ラルカフェ︶を約5年ぶりに期間限定で開催[105]。このカフェでは、メンバー4人が考案したオリジナルメニュー販売の他、スペシャル映像も公開された。 ●9月10日 - 12月4日、バンド結成20周年を記念したライヴツアー﹁20th L'Anniversary TOUR﹂を開催。12月4日の京セラドーム大阪公演は、日本国内の映画館54館、および香港、台北、台中、高雄、ソウルの海外5都市の映画館でライヴビューイングが実施されている[111]。 ●9月23日、日本武道館で行われたライヴイベント﹁テレビ朝日ドリームフェスティバル 2011﹂にヘッドライナーとして出演し[105]、10曲を披露。 ●10月12日、38thCDシングル﹁X X X﹂を発売。通算21作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得。この首位獲得により、ロックバンドとして史上3組目となる1990年代・2000年代・2010年代の﹁3つの十年代連続﹂でオリコン週間シングルチャートの首位獲得を達成[112]。また、Billboard JAPANのTop Singles Salesチャートで通算2作目の首位、週間総合チャートであるHot 100においても自身初の首位を獲得。さらに、着うたフルの有料ダウンロード数を集計したRIAJ有料音楽配信チャートでも初の首位を獲得している。 ●11月、海外の映画館20館にて、ライヴ映像﹃20th L'Anniversary LIVE﹄を上映[105]。 ●12月14日、シングルトラック﹁CHASE﹂を先行配信。 ●12月21日、39thCDシングル﹁CHASE﹂を発売。 ●12月28日、ライヴビデオ﹃20th L'Anniversary LIVE -Complete Box-﹄﹃-Day 1-﹄﹃-Day 2-﹄を発売。男女通じてバンドグループでは史上3組目となるDVD総売上100万枚突破を記録。映像作品全体︵VHS+DVD︶ではダブルミリオンを突破した[68]。 ●12月31日、第62回NHK紅白歌合戦に5度目の出場。演奏曲は﹁CHASE﹂。 2012年 ●2月1日、12thアルバム﹃BUTTERFLY﹄の収録曲﹁wild flower﹂を先行配信。 ●2月6日から、2日後に発売されるアルバムのプロモーションとして、アルバムタイトルと同名の木村カエラの楽曲﹁Butterfly﹂を使ったテレビCMが放映された[113]。なお、CM映像は、木村カエラの楽曲﹁Butterfly﹂のミュージック・ビデオが流れる中、最後にL'Arc〜en〜Cielのアルバム発売の告知が挿入されるというもので、音声にL'Arc〜en〜Cielの楽曲が一切登場しない内容となっている。このコラボレーションはL'Arc〜en〜Ciel側からのオファーによって実現しており、テレビCMは3パターン制作されている[113]。 ●2月8日、12thアルバム﹃BUTTERFLY﹄を発売。通算8作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得[105]。また、Billboard JAPANのTop Albums Salesチャートで自身初の首位を獲得している。 ●2月22日・23日、LE-CIEL会員限定ライヴを横浜アリーナにて開催。 ●3月、NHK﹃J-MELO Awards﹄(2011年)において、L'Arc〜en〜Cielが“Most Requested Artist”を受賞[105]。 ●3月3日 - 5月5日、ライヴツアー﹁WORLD TOUR 2012﹂を日本国外にて開催。このツアーは、約4年ぶりとなるワールドツアーで、香港、上海、ソウル、台北、バンコク、シンガポール、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドン、パリの海外10都市で行われた。ちなみにツアーで回った上海以外の会場では、ベストアルバム﹃WORLD'S BEST SELECTION﹄が限定販売されている。なお、3月25日のマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴは、日本人ミュージシャンとして初の同所での単独公演となった[69][114]。また、この公演の模様は、日本全国29ヶ所の映画館で3月26日午前9時から生中継され、約1万5000人を動員している[115]。 ●3月5日、12thアルバム﹃BUTTERFLY﹄をヨーロッパで発売。 ●4月20日、バンドが所属するKi/oon Musicの20周年記念イベント﹁キューン20イヤーズ&デイズ﹂の一環として、約7年ぶりとなるライヴハウス公演﹁一夜限りのL'Arc〜en〜Ciel Premium Night﹂をLIQUIDROOMにて開催[116]。なお、この公演は、12thアルバム﹃BUTTERFLY﹄に付属するIDを特設サイト上で入力し、抽選によって獲得できる﹁公演チケット (777人)﹂と﹁Ustream上の生中継アクセスコード (10万人)﹂のいずれかの当選者が観ることができる[117]。 ●5月12日 - 5月27日、ライヴツアー﹁20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL﹂を日本国内にて開催。このツアーは、1999年以来約13年ぶりに野外会場のみで構成されたツアーとなっている。なお、ツアーの最後に組まれた国立競技場︵現‥旧国立競技場︶でのライヴは、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初の公演となった[72]。なお、2012年3月3日から日本国外で行われたライヴツアーと、同年5月31日のホノルル公演、そしてこの国内ツアーを合わせ、約45万人の動員を記録している。 ●5月23日、配信限定シングル﹁X X X -English version-﹂﹁CHASE -English version-﹂の各種音楽配信サイトでのダウンロード配信を開始。 ●5月31日、バンド結成20周年を締めくくるライヴ﹁20th L'Anniversary Year Live in Hawaii﹂をホノルル・ワイキキシェルにて開催。このライヴでは、日布の友好関係向上の架け橋になったとして、ホノルル市が"5月31日"を﹁L'Arc〜en〜Cielの日﹂︵L'Arc〜en〜Ciel DAY︶に制定することを発表した[105][118]。 ●6月1日、LE-CIEL会員限定ライヴ﹁LE-CIEL Presents ハワイ アン シエル Special Live﹂をワイキキシェルにて開催。 ●6月4日 - 6月10日、東京・銀座のソニービル内のOPUSにおいて、﹁L'Arc〜en〜Ciel PREMIERE SCREENING Supported by Sony and Ki/oon Music﹂を開催[119]。 ●6月9日 - 7月8日、バンド結成20周年を記念した特別展﹁L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary EXHIBITION﹂︵通称‥L'展︶を横須賀美術館にて開催。 ●6月13日 トリビュート・アルバム﹃L'Arc〜en〜Ciel Tribute﹄を発売。 ライヴビデオ﹃LIVE TWENITY﹄を発売。 ●7月28日、ファンクラブ会報誌別冊﹃LE-CIEL Extra Number﹄をエムオン・エンタテインメントから発売[105]。 ●11月7日、ソニー・ミュージックエンタテインメントがiTunes Storeへ参入したことに伴い、L'Arc〜en〜Cielの楽曲を同サービスで配信開始する[120]。 ●12月26日、ライヴビデオ﹃WORLD TOUR 2012 LIVE at MADISON SQUARE GARDEN﹄を発売。 2013年 ●3月20日、ライヴビデオ﹃20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL LIVE at 国立競技場﹄を発売。 ●8月7日、iTunes Storeが同日に開始した﹁iTunesライブビデオ﹂において、ライヴビデオ﹃LIVE TWENITY﹄の配信を開始[121][122]。 2014年 ●2月26日、ライヴビデオボックス﹃L'Aive Blu-ray BOX -Limited Edition-﹄を発売。 ●3月19日、ライヴビデオ﹃heavenly 〜films〜﹄から﹃WORLD TOUR 2012 LIVE at MADISON SQUARE GARDEN﹄の全18作品のBlu-ray Disc版を発売。 ●3月21日・22日、約1年10ヶ月ぶりにライヴ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場﹂を国立競技場︵現‥旧国立競技場︶にて開催[123]。このライヴでは、スタンド・フィールド含め8万人︵2日間で延べ16万人︶を動員[124]。これは、ライヴにおける国立競技場︵現‥旧国立競技場︶の最多動員数記録となった[124]。なお、2日目公演の模様は、日本国内の映画館37館で生中継された他、イギリス、フランス、アメリカ、メキシコ、台湾、香港の海外20都市でもライヴビューイングが実施された[125]。 ●5月29日、建て替え前の国立競技場︵現‥旧国立競技場︶で行われた最後のライヴイベント﹁SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT﹂の2日目公演︵"Japan to the World"︶にヘッドライナーとして出演し、9曲を披露。 ●7月23日、4K対応液晶テレビ﹁BRAVIA﹂とライヴビデオ﹃L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場﹄のコラボレーション企画﹁BRAVIA 4K×L'Arc〜en〜Ciel﹂を開始。東京・大阪・愛知のソニービルの他、全国約1800店の家電販売店で、4K編集によるダイジェスト映像が順次上映された[126]。同年10月3日からは、JR品川駅中央改札内のソニーショーケースでも上映された。なお、同年12月5日には、このコラボ施策が国際3D先進映像協会による﹁グッドプラクティス・アワード2014﹂の4K部門本賞に選出されている[127]。 ●8月13日、完全受注生産限定作品﹁EVERLASTING﹂を発売。 ●10月2日、音楽配信サイトのmoraおよび VICTOR STUDIO HD-Music. において、楽曲のハイレゾリューションオーディオ (ハイレゾ音源) 配信することを発表。2014年10月10日から﹁EVERLASTING﹂を、同年10月22日から﹃DUNE﹄以降のスタジオ・アルバム作品12作をFLAC形式 (96 kHz/24bit) で配信開始する[128][129]。ちなみに﹁EVERLASTING﹂より前にリリースされた作品には、全曲リマスターが施された。 ●10月10日 - 11月2日、東京・銀座のソニービル内のOPUSにおいて、ライヴビデオ発売及びハイレゾ配信を記念したイベント﹁4K&ハイレゾで感じる、新次元の美しいL'Arc〜en〜Ciel﹂を開催。 ●11月12日、ライヴビデオ﹃L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場﹄を発売。オリコン週間BD総合チャートで初の首位を獲得。また、音楽DVDと音楽BDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD・BDランキングにおいても初の首位獲得となった。 ●12月5日、自身初のドキュメンタリー映画﹃Over The L'Arc-en-Ciel﹄を公開。公開前には、2014年12月12日までの期間限定で劇場上映されることが告知されていたが[130]、のちに上映期間が延長されている。なお、この映画は、2012年に世界10都市で開催したライヴツアー﹁WORLD TOUR 2012﹂から、ハワイ・ホノルル公演﹁20th L'Anniversary Year Live in Hawaii﹂までの間、L'Arc〜en〜Cielに密着し撮影した映像が収められた作品となっている。 2015年 ●4月15日、ドキュメンタリー・ビデオ﹃DOCUMENTARY FILMS 〜WORLD TOUR 2012〜﹁Over The L'Arc-en-Ciel﹂﹄を発売。 ●9月21日・22日、約1年半ぶりのライヴ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO﹂を夢洲野外特設会場にて開催。2日間で合計10万人を動員する[131]。なお、夢洲がコンサート会場として利用されるのは、このライヴが初となる[132]。また、2日目公演の模様は、日本国内の映画館39館で生中継された他[131]、香港、台湾、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピン、アメリカ、フランス、メキシコ、ペルー、チリ、アルゼンチン、コロンビア、コスタリカ、グアテマラの海外14ヵ国でもライヴビューイングが実施された[133]。 ●11月5日、﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO﹂のライヴ音源のハイレゾ配信を翌月開始することを受け、東京・大阪・愛知のソニービルに設置された﹁Hi-Res Tasting Spot﹂で先行試聴企画を開始。同年12月2日からは全国の家電販売店でも先行試聴が開始された。 ●12月23日 40thCDシングル﹁Wings Flap﹂を発売。 音楽配信サイトのmoraおよびVICTOR STUDIO HD-Music.において、﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO﹂で演奏された﹁Driver's High﹂﹁MY HEART DRAWS A DREAM﹂﹁X X X﹂﹁Wings Flap﹂﹁HONEY﹂﹁READY STEADY GO﹂のライヴ音源のハイレゾ配信を開始[134]。ライヴ音源のハイレゾ配信は自身初のこととなる。 2016年 ●9月13日、ソニー・インタラクティブエンタテインメントによる国内プレイステーションビジネス販売戦略発表会﹁2016 PlayStation Press Conference in Japan﹂で、2016年で発売20周年を迎えたゲーム﹃バイオハザードシリーズ﹄と、L'Arc〜en〜Cielのコラボレーション企画﹃Don't be Afraid –Biohazard × L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-﹄が発表された[135]。 ●9月15日、東京ゲームショウ2016において、PlayStation VR向けVRミュージックビデオ﹃Don't be Afraid –Biohazard × L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR- 体験版﹄が出展される。同年10月13日には、本映像の先行体験配信版がPlayStation Storeにてリリースされている[76]。 ●11月8日、新曲﹁Don't be Afraid﹂が上記ゲームの実写映画﹃バイオハザード: ザ・ファイナル﹄の日本語吹替版主題歌に使われることが発表された[131]。 ●11月17日、PlayStation VR向けVRミュージックビデオ﹃Don't be Afraid –Biohazard × L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-﹄を配信開始。 ●11月25日、配信限定シングル﹁Don't be Afraid -English version-﹂の各種音楽配信サイトでのダウンロード配信を開始。同日にはハイレゾ音源の配信も開始した。 ●12月21日、41stCDシングル﹁Don't be Afraid﹂を発売。 2017年 ●3月1日、ライヴビデオ﹃L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO﹄を発売。 ●3月29日、iOS/Android向け位置情報ゲームアプリ﹃L'Arcollection﹄の配信を開始︵配信は同年4月7日迄︶[136]。アーティストによるオリジナル位置情報ゲームの配信は、これが世界初となる。 ●4月8日・9日、バンド結成25周年記念ライヴ﹁25th L'Anniversary LIVE﹂を東京ドームにて開催[77]。2日間で合計11万人を動員する[137]。2日目公演の模様は、日本国内の映画館50館、および香港、台湾、韓国、タイ、インドネシア、メキシコ、コロンビア、コスタリカ、ペルー、グアテマラの海外13都市16ヶ所の映画館でもライヴビューイングが実施され、約3万5000人を動員した[137]。 2018年 ●3月14日、iTunesライブビデオにおいて、ライヴビデオ﹃15th L'Anniversary Live﹄﹃20th L'Anniversary LIVE -Day1-﹄﹃20th L'Anniversary LIVE -Day2-﹄の配信を開始。 ●3月28日、ライヴアルバム﹃25th L'Anniversary LIVE﹄を発売。キャリア初のライヴ音源が単独で収録されたCD作品のリリースとなった。 ●5月30日、ライヴビデオ﹃25th L'Anniversary LIVE﹄を発売。通算2作目のオリコン週間BD総合チャート首位を獲得。また、音楽DVDと音楽BDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD・BDランキングにおいても、2度目の首位獲得となった[138]。 ●12月12日 - 12月17日、代々木公園のイベント広場野外ステージで、期間限定イベント﹁L'ArChristmas Park﹂を開催[137]。このイベントでは、東京ドームのライヴ会場で販売されるグッズを一足先に購入できる特設売場や、﹁L'Arcafe﹂と題した飲食物を販売する出店が設置された[137]。 ●12月19日・20日、自身初のクリスマスライヴ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas﹂を東京ドームにて開催。2日間で合計11万人を動員する[137]。公演の模様は、日本国内の映画館50館、および香港、台湾、韓国でライヴビューイングが開催された。 2019年 ●1月16日から、﹁L'Arc〜en〜Ciel WOWOW×Paravi Special Collaboration﹂として、 ライヴ﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas﹂に完全密着したドキュメンタリー番組が、動画配信サービスサイト、Paraviにて3ヶ月連続で期間限定配信された[139][140]。2019年1月には﹁#1 OUTSIDE OF LIVE 2018 L'ArChristmas﹂、同年2月には﹁#2 INSIDE OF LIVE 2018 L'ArChristmas﹂、同年3月には﹁#3 INTERVIEW OF LIVE 2018 L'ArChristmas﹂が配信された。そして同年4月には、Paraviで配信された映像の再編集版がWOWOWで放送されている。 ●9月1日、公式Twitter︵現‥X︶にて﹁20190902 4:00﹂というメッセージを掲載[139]。翌9月2日4時、2020年に約8年ぶりとなるライヴツアーを開催することを発表した[139]。 ●12月3日、公式YouTubeアーティストチャンネル を開設。同チャンネルにて、1998年に3作同時でリリースされたシングルの表題曲﹁HONEY﹂﹁花葬﹂﹁浸食 〜lose control〜﹂のミュージック・クリップを、翌週12月10日までの期間限定で3曲同時公開した[141]。 ●12月11日 公式Instagramアカウントを開設[142]。 各種サブスクリプションサービス︵定額制音楽配信︶にて、これまで発表した全楽曲、全ミュージック・クリップのストリーミング配信を全世界で一斉解禁した[142][注釈 63]。さらに、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて﹁虹﹂﹁HONEY﹂﹁花葬﹂﹁浸食 〜lose control〜﹂﹁Driver's High﹂﹁STAY AWAY﹂﹁New World﹂﹁DRINK IT DOWN﹂﹁X X X﹂﹁Don't be Afraid﹂の計10曲のミュージック・クリップを無料公開。また、同日より7日間連続で﹁YouTube Seven days 2019﹂と題し、ライヴ映像のプレミア配信企画が開始された[142]。 ●12月18日、ライヴビデオ﹃LIVE 2018 L'ArChristmas﹄を発売。通算3作目のオリコン週間BD総合チャート首位を獲得。また、音楽DVDと音楽BDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD・BDランキングにおいても、3度目の首位獲得となった。 ●12月24日、公式ファンクラブ﹁LE-CIEL﹂の運営会社を、ソニー・ミュージックソリューションズに移行。2020年代[編集]
2020年 ●1月9日 - 2月9日、約8年ぶりとなるライヴツアー﹁ARENA TOUR MMXX﹂を開催。当初は同年3月5日まで開催される予定だったが、全世界で蔓延した新型コロナウイルス感染症の煽りを受け、2月28日・29日の横浜アリーナ公演、3月4日・5日の国立代々木競技場第一体育館公演が中止されている。また、日本国内および香港、台湾、韓国、タイの映画館で実施される予定だったライヴビューイングも同じく中止されることになった。 ●1月10日 - 3月5日、各種サブスクリプションサービス︵定額制音楽配信︶において、プレイリスト公開企画﹁L'Arc〜en〜Ciel LIVE SET LIST L'Archives﹂を実施[143]。歴代ライヴ30公演分のセットリストをプレイリストとして毎週金曜日に順次公開。同年3月4日・5日には、"#エアMMXX"企画として、ライヴツアー﹁ARENA TOUR MMXX﹂で披露された2パターンのセットリストが公開された。 2021年 ●2月17日、エンタメカルチャー誌﹃別冊カドカワScene﹄において、L'Arc〜en〜Ciel結成30周年を記念した特別企画﹁私とラルク﹂がスタート。この企画はL'Arc〜en〜Cielに影響を受けたアーティストや芸能人にインタビューするもので、第1回には山中拓也︵THE ORAL CIGARETTES︶が登場している。なお、この企画は第6回まで行われ、ツリメ/アバンティーズ︵YouTuber︶、ユウタ︵NCT 127︶、楠木ともり︵声優/歌手︶、EXILE TETSUYA、伊東健人︵声優/歌手︶が登場している。 ●5月29日・30日、バンド結成30周年の幕開けとなるライヴ﹁30th L'Anniversary Starting Live "L'APPY BIRTHDAY!"﹂を幕張メッセ 国際展示場1-3ホールにて開催。L'Arc〜en〜Cielはこのライヴから、海外で導入が始まっていたダイナミック・プライシングによる価格変動制チケットの販売を開始している。なお、このライヴの模様は、同年8月22日に動画配信サービス、StagecrowdおよびVeepsにて有料配信が行われている。なお、見逃し配信は翌8月23日23時59分まで実施された。 ●5月31日、シングルトラック﹁ミライ﹂を各種音楽配信サイトでダウンロード・ストリーミング先行配信。同日には、ハイレゾ音源の配信も開始している。なお、L'Arc〜en〜Cielはこれ以降、フィジカル発売に先駆けて、表題曲を各種サブスクリプションサービス︵定額制音楽配信︶で発表するようになり、楽曲のリリースの流れが大きく変わっている。 ●6月1日、公式デジタルファンクラブ﹁Digital LE-CIEL﹂を発足。運営会社はソニー・ミュージックソリューションズ。 ●7月25日、配信限定シングル﹁FOREVER (Anime Edit)﹂の各種音楽配信サイトでのダウンロード・ストリーミング配信を開始。同日ハイレゾ音源の配信も開始した。 ●7月30日 - 9月12日、SHIBUYUA TSUTAYAをジャックし、期間限定展示会﹁30th L'AMUSEMENT at SHIBUYA TSUTAYA﹂を開催。さらに、SHIBUYA TSUTAYAの7階にあるカフェ兼書店の﹁WIRED TOKYO 1999﹂とのコラボレーションとして、約10年ぶりのカフェイベント﹁L'Arcafe 2021﹂︵読み‥ラルカフェ︶を期間限定で開催[144][145]。来場者にはランチョンマットとコースターが配布され、カフェではメンバー考案のオリジナルフードの販売、ライヴ衣装の展示が行われ、さらにライヴ映像が流された[146]。 ●8月8日、シングルトラック﹁FOREVER﹂を各種音楽配信サイトでダウンロード・ストリーミング先行配信。同日には、ハイレゾ音源の配信も開始している。 ●8月23日 - 8月29日、西武新宿駅前のユニカビジョンにおいて、2020年に行われたライヴツアー﹁ARENA TOUR MMXX﹂から﹁Driver's High﹂﹁LOVE FLIES﹂﹁DRINK IT DOWN﹂﹁Killing Me﹂4曲のライヴ映像と、新曲﹁ミライ﹂のミュージック・ビデオを期間限定で放映。これはスマートフォン向けアプリ﹃VISION α﹄との連動企画で、映像の放映中にスマートフォンをかざすことで、番組の音声を高音質で視聴することができる仕様となっている。 ●8月25日 42ndCDシングル﹁ミライ﹂を発売。 iOS/Android向けVRミュージアムアプリ﹃30th L'Anniversary VR Museum﹄の期間限定配信を開始[147]。 ●9月5日 - 12月26日、バンド結成30周年を記念したライヴツアー﹁30th L'Anniversary TOUR﹂を開催。このツアーで組まれた国立代々木競技場 第一体育館公演の3日目および最終日の模様は、日本国内の映画館でライヴビューイングが実施された。代々木3日目公演は全国75館、代々木最終日公演は全国65館の映画館で生中継されている。さらに、12月28日・29日にはディレイ放映が行われ、28日は全国47館、29日は全国53館で上映が実施された。 ●9月29日、43rdCDシングル﹁FOREVER﹂を発売。 ●10月4日 - 10月10日、国内初の車窓モビリティサイネージサービス﹁THE TOKYO MOBILITY GALLERY Canvas﹂とのコラボレーション施策を実施[148]。このサービスは、タクシーの後方のサイドガラスに広告を映し出すもので、L'Arc〜en〜Cielのアーティスト写真に加え、﹁FOREVER=永遠﹂というテーマを回文で表現した100種ものキーアートが窓ガラスに掲出された。なお、このコラボ企画を実施したタクシーは、﹁L'AXI﹂︵読み‥ラクシー︶という名称がつけられ、都内で100台が走行することになった。 ●12月4日、バンド結成30周年を記念したオフィシャルクレジットカード﹁L'Arcard﹂︵L'Arc〜en〜Ciel Official Credit Card︶の発行を発表し、同日より募集を開始[149]。これは、決済ブランドであるVisaと連携したカードとなっている。 ●12月22日、特別編集本﹃Rolling Stone Japan L'Arc-en-Ciel 30th L'Anniversary Special Collectors Edition﹄をCCCミュージックラボから発売[144]。音楽雑誌﹃Rolling Stone Japan﹄が日本人アーティストの特集本を出すのは、これが初となった[144]。 2022年 ●4月1日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁眠りによせて﹂﹁Blurry Eyes﹂﹁風の行方﹂﹁瞳に映るもの﹂﹁and She Said﹂計5曲のミュージック・クリップの無料公開を開始した。同日には、YouTube Music Premium会員限定で公開していたL'Arc〜en〜Cielのミュージック・クリップを7週連続で無料公開することも発表された[150]。 ●4月8日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁Vivid Colors﹂﹁夏の憂鬱 [time to say good-bye]﹂﹁風にきえないで﹂﹁flower﹂﹁Lies and Truth﹂﹁winter fall﹂計6曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●4月15日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁DIVE TO BLUE﹂﹁snow drop﹂﹁forbidden lover﹂﹁HEAVEN'S DRIVE﹂﹁Pieces﹂計5曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●4月22日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁LOVE FLIES﹂﹁NEO UNIVERSE﹂﹁finale﹂﹁Anemone﹂﹁Spirit dreams inside -another dream-﹂計5曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●4月29日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁READY STEADY GO﹂﹁瞳の住人﹂﹁自由への招待﹂﹁Killing Me﹂﹁叙情詩﹂計5曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●5月6日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁Link﹂﹁SEVENTH HEAVEN﹂﹁MY HEART DRAWS A DREAM﹂﹁DAYBREAK'S BELL﹂﹁Hurry Xmas﹂計5曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●5月13日、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて、2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に、有料会員限定で公開されていた﹁NEXUS 4﹂﹁SHINE﹂﹁BLESS﹂﹁GOOD LUCK MY WAY﹂﹁CHASE﹂﹁Wings Flap﹂計6曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●5月18日、アルバムリマスター・ボックス﹃L'Album Complete Box -Remastered Edition-﹄を発売。同日には、ボックスに収録された、スタジオ・アルバムをリマスタリングした11作品︵﹃Tierra︵Remastered 2022︶﹄〜﹃BUTTERFLY︵Remastered 2022︶﹄︶を各種音楽配信サイトでのダウンロード、ストリーミング配信を開始した。さらに、ハイレゾ音源の配信も同日開始している。 ●5月21日・22日、バンド結成30周年を締めくくるライヴ﹁30th L'Anniversary LIVE﹂を東京ドームにて開催。2日間で合計10万人を動員する。 ●12月23日、OTTプラットフォーム、Amazon Prime Videoにて、ライヴドキュメンタリー番組﹃L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary﹄を配信開始[151][152]。この番組は﹃30th L'Anniversary LIVE﹄のライヴ映像︵<Episode:1>︶と、ライヴまでのバンドの裏側に密着したドキュメンタリー︵<Episode:2>︶の2話構成となっている。また、この番組は217の国と地域で配信されている[151]。ちなみに、翌2023年1月18日から同年3月19日までの期間限定で、<Episode:1>でカットされていた楽曲﹁Singin' in the Rain﹂を収めたスペシャルエディションが配信されている。 ●12月27日 - 2023年1月31日、イープラスが手掛ける渋谷最大級のカフェ、eplus LIVING ROOM CAFE&DININGにて、カフェイベント﹁L'Arcafe 2022-2023﹂︵読み‥ラルカフェ︶を期間限定で開催。来場者にはランチョンマットなどが配布され、カフェではL'Arc〜en〜Cielのスタジオ・アルバム12作のタイトルをモチーフにしたドリンクや、オリジナルフードメニューを販売、そしてライヴ衣装の展示も行われ、さらにライヴ映像が流された。 2023年 ●5月30日、1stアルバム﹃DUNE﹄発売30周年を記念し、リマスタリングアルバム﹃DUNE (Remastered 2023)﹄をDanger Crue Recordsから発売。同日には、公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて﹁Dune﹂﹁Floods of tears﹂﹁As if in a dream﹂計3曲のミュージック・クリップの無料公開を開始。 ●8月25日、公式デジタルファンクラブ﹁Digital LE-CIEL﹂において、会員限定コンテンツ﹁CIEL's STORAGE BOX﹂をオープンすることを発表。このコンテンツは、L'Arc〜en〜Cielの貴重な資料用映像などを期間限定で公開する不定期コンテンツとなっている。 ●9月4日、Digital LE-CIEL会員限定コンテンツ﹁CIEL's STORAGE BOX﹂において、1998年開催のライヴツアー﹁Tour '98 ハートに火をつけろ!﹂のよこすか芸術劇場公演より、4曲のライヴ映像を公開。これは企画の第1弾となっている。 ●10月6日、Digital LE-CIEL会員限定コンテンツ﹁CIEL's STORAGE BOX﹂において、2008年開催のライヴツアー﹁TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS﹂のマリンメッセ福岡公演より、2曲のライヴ映像を公開。これは企画の第2弾となっている。 ●12月7日、翌年2月から3月にかけてライヴツアーを開催することを発表。併せて、"これまであまりライヴで披露してこなかった楽曲を掘り起こし、スポットをあてる"というツアーコンセプトも発表された。 2024年 ●2月8日 - 4月14日、ライヴツアー﹁ARENA TOUR 2024 UNDERGROUND﹂を開催予定。 ●3月27日、ライヴビデオ﹃30th L'Anniversary LIVE﹄を発売。音楽性[編集]
音楽的影響・嗜好[編集]
- hydeの音楽遍歴の詳細は『hyde#音楽ルーツ・音楽的嗜好』の頁を参照
- kenの音楽遍歴の詳細は『ken#音楽ルーツ・音楽的嗜好』の頁を参照
- tetsuyaの音楽遍歴の詳細は『tetsuya#音楽ルーツ・音楽的嗜好』の頁を参照
- yukihiroの音楽遍歴の詳細は『yukihiro#音楽ルーツ・音楽的嗜好』の頁を参照
メンバー | 音楽的趣向(ジャンル) | 影響を受けた・好きなアーティスト (太字はバンド、五十音順) |
備考 |
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hyde |
一覧
洋楽
邦楽 |
一覧
●中学生の頃からブリティッシュ・ニュー・ウェイヴを聴き始めたといい[157]、hydeは﹁この頃ぐらい音楽聴いたのは、僕はこの後無かった[154]﹂﹁それぐらい感性の礎を築いた重要な時期だった[154]﹂と述べている。
●音楽に目覚めたきっかけとなったミュージシャンとして﹃オフコース﹄[160] や﹃デュラン・デュラン﹄[154] を挙げている。また、影響を受けたミュージシャンとしては﹃デペッシュ・モード﹄を挙げており[154]、自身が所属するバンド、VAMPSで同バンドの楽曲﹁Enjoy The Silence﹂のカバー音源をリリースしている。
●音楽に目覚めた後、HR/HMに傾倒し、中でも﹃ミスフィッツ﹄の影響を多大に受けており、﹁きっと一人だったらミスフィッツみたいなバンドをやっていたと思う[161]﹂と述べている。2017年にはVAMPSの活動において、ミスフィッツのボーカリスト、グレン・ダンジグが属するバンド、﹃ダンジグ﹄ともアメリカのライブで共演している。
●他にもモトリー・クルーのベーシスト、ニッキー・シックスのプロジェクト﹃シックス‥エイ・エム﹄と、自身が所属するロックユニットVAMPS主催のライブイベントで共演を果たした[162]。
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ken | 一覧
洋楽
邦楽 |
一覧
●80年代のHR/HMをよく聞いており、ヘヴィメタルをテーマにした対談企画﹁IRON MAIKEN﹂を一時期雑誌で行っていたことがある。2007年には企画タイトルの由来となったバンド、﹃アイアン・メイデン﹄のギタリスト、エイドリアン・スミスと対談している[176]。
●自身の音楽観が変わるきっかけとなったミュージシャンとして﹃ポリス﹄と﹃ボブ・マーリー﹄を挙げており[167]、﹁そのリズム感を感じさせるためのメロディとか、そのリズム感を感じさせるためのヨレ方を取り入れると、演奏するほうも聞いている方もハッピーになれると感じた[167]﹂と述べている。
●影響を受けたギタリストとして、﹃ゲイリー・ムーア﹄、﹃マイケル・シェンカー﹄、﹃イングヴェイ・マルムスティーン﹄などのハードロックギタリストをよく挙げている。また、自身がエンドースメント契約を結んだフェンダーギターを使用するアーティストでは、﹃ロイ・ブキャナン﹄、﹃ジェフ・バックリィ﹄を挙げている[169]。
●自身のソロワークでは多くのカバーを披露している。洋楽では﹃コールドプレイ﹄、﹃トゥイステッド・シスター﹄、﹃レオン・ラッセル﹄、﹃レッド・ツェッペリン﹄を、邦楽ではツアーサポートメンバーの所属する﹃44MAGNUM﹄﹃Hurry Scuary﹄といったバンドのカバーを披露している。
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tetsuya | 一覧
洋楽
邦楽 |
一覧
●楽器を始めたころはハードロックの他に﹃デュラン・デュラン﹄、﹃カルチャー・クラブ﹄、﹃カジャグーグー﹄などをよく聴いており、初めて購入したベースもデュラン・デュランのベーシストであるジョン・テイラーも使っていたことのあるアリアプロIIのベースだった[181]。
●tetsuyaは﹃ザ・キュアー﹄に関し﹁初期の頃の自分のベースプレイに影響を与えていたと思う[178]﹂﹁ラルクのギターがアルペジオでベースが動くっていう作りは、キュアーから影響を受けていると思う[178]﹂と語っている。また、同バンドのボーカル・ギタリストのロバート・スミスを自身のフェイバリット・アーティストとして挙げており、L'Arc〜en〜Cielでバリトン・ギターのフェンダー・ベースVIを使用していることもその影響によるものである。
●﹃デペッシュ・モード﹄のマーティン・ゴアもフェイバリットとして挙げており[178]、1998年には同バンドのマディソン・スクエア・ガーデン公演を現地で鑑賞している。tetsuyaはそのライブを﹁今までの人生の中で一番良かったライブ[178]﹂と述べている。
●他にも﹃ガービッジ﹄について﹁自分のやりたいことに近くすごく影響を受けている[178]﹂と述べている。
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yukihiro | 一覧
洋楽
邦楽 |
一覧
●音楽に目覚めたきっかけとなったミュージシャンとして﹃一風堂﹄を挙げており、﹁すみれ September Love﹂をテレビで披露しているところを見たことが音楽を始めるきっかけだったと語っている[192][197]。
●他に邦楽では﹃SOFT BALLET﹄、﹃BUCK-TICK﹄を好んで聴いており[194]、後年には両バンドにそれぞれ属する藤井麻輝と今井寿によるユニット﹃SCHAFT﹄のサポートドラマーとしてレコーディング、ライブに自身が参加したことがある[198]。
●新宿UK EDISONというレコード店によく赴き、アンダーグラウンドシーンの情報を得ていたと述べており[199]、﹁ボディー・ミュージックと書いてあれば何でも買っていた。そうやって聴いていた音楽をどうやってバンドに採り入れるかをいろいろ試行錯誤していた[200]﹂と語っている。インダストリアル・ミュージックもレコード店で知ったといい、目覚めるきっかけとなったアーティストとして﹃ミニストリー﹄を挙げている[199]。
●1990年代のシューゲイザー、グランジ、オルタナティヴ・ロック[201] といった音楽性を掲げ、2012年に百々和宏︵MO'SOME TONEBENDER︶らとgeek sleep sheepを結成している。同バンドでは、﹃ピクシーズ﹄、﹃ストロベリー・スウィッチブレイド﹄、﹃スマッシング・パンプキンズ﹄等[201] の洋楽のカバーを多く披露している。
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L'Arc〜en〜Cielと『ヴィジュアル系』[編集]
- ポップジャム事件
楽曲制作[編集]
作詞[編集]
L'Arc〜en〜Cielにおける楽曲制作では、作詞のほとんどをボーカリストのhydeが担当している。時折hyde以外のメンバーが作詞することもあるが、CDシングルの表題曲に関しては﹁New World﹂と﹁FOREVER﹂を除き、hydeが全ての作詞を行っている。 ●hyde L'Arc〜en〜Cielとして作詞作業をするようになってしばらくは、今いる世界からの逃避を望んだような歌詞や[218]、遠くを見つめた願望のような歌詞を多く綴っていた[218]。そのため、音楽評論家の市川哲史は、1998年に発表されたアルバム﹃HEART﹄に関するレビューの中で、hydeが綴る歌詞について﹁hyde独特の逃避願望である<空に浮かんでたい>癖[219]﹂と表現していたことがある。なお、hyde自身は、現実離れした世界について書いているつもりはないようで、﹁俺は身の回りのことしか歌わないから、ありえないような話は全部"例え話"だと思ってもらえればいいですね[220]﹂と過去のインタビューで述べている。また、L'Arc〜en〜Cielがヒットを重ね続けた1998年から1999年頃の作詞作業について、hydeはその当時﹁何か解放されたい意思っていうのが強い感じ。もう歌詞書いてて"どっか行こうどっか行こう"ばっかり[221]﹂と述べていたことがある。 hydeは、多感な学生時代に洋楽あるいはハードコアな音楽をよく聴いていたため、バンドを始めた最初の頃は日本語の歌詞を書くことに不慣れだったと述べている。そしてL'Arc〜en〜Cielで作詞を行うにあたり、hydeが参考にしたものは、幼いころから好きだった小田和正︵オフコース︶が綴る歌詞だったという。hydeは、2016年に受けた音楽雑誌﹃Rolling Stone Japan﹄の取材において﹁音楽を作り始めた頃は僕はハードコアや、ゴシックロックにハマってたから、ラルクを始めて、すごくキャッチーな曲がメンバーから出てきた時に、どういう詩を書いていいかさっぱりわからなかったんです。"何を言ってええんやろうな?"ってすごい迷って試行錯誤して詩を書いた時に、開いた引き出しがオフコースで。オフコースの曲って、実は都会的なクールな感じで、歌詞もすごく抽象的だと思います。言葉もかなり選んでいるし。そういうところで、"あ、こういう表現の仕方があるな"って。歌詞もその時の影響が出てる。例えば﹁Blurry Eyes﹂は、小田和正さんが使うような言葉がいくつかあると思います[156]﹂と述べている。このように、自身が尊敬する小田和正が書く歌詞の言葉選びや、抽象的な比喩表現を取り入れていき[156]、"比喩に比喩を重ねた表現"と言われるようなリリックを綴るようになった。hydeは2012年に受けた音楽雑誌のインタビューにおいて、誰にでも分かるような直接的表現を避けてきた理由について﹁悲しいことを"悲しい、悲しい"って言ってるのはあまり悲しくないんですよ。むしろちょっと引くんですよね。抽象的だったり間接的な表現のほうが伝わるというか[222]﹂と述べている。また、hyde曰く、昔は真っ直ぐな恋愛をテーマに歌詞を書くことに対し、抵抗感があったという。hydeは2012年に発表した自叙伝において、﹁今でこそ、そんな事はどうでもいいんだけど、元々は男が恋愛を口にするのって、俺としてはカッコ悪い事だと思ってた所があって。激しい、ちょっとイカれちゃったような恋愛を詞にするのは良かったけど、普通の、あったかい感じの恋愛の詞は苦手だったんだよね[223]﹂と述べている。 さらにhydeはL'Arc〜en〜Cielの活動当初、視覚的に楽曲をイメージするため、歌詞を書く前に絵を描くようにしていたという。このことについて、hydeは1994年発表のアルバム﹃Tierra﹄のインタビューで﹁これはずっと続けてきていることなんですが、詞を書くうえでのガイドとして、カンタンな絵を1曲ごとに描いて、自分がその世界にいるという気持ちで詞を書いていくんです。そうすると、具体的なものが見えてくる[224]﹂と語っている。文芸評論家の町口哲生は2007年に発行された﹃別冊宝島﹄にて、この頃にhydeが綴った詞世界に関し﹁触覚的な世界︵手触り感や肌理をもっているという意味︶[225]﹂と表現している。 ただ、2000年頃から、hydeの綴る歌詞に、現実を見据えたようなフレーズが増えている。2000年に発表されたアルバム﹃REAL﹄に関するインタビューの中で、hydeは﹁"なんだ、2000年になっても街は何も変わらないじゃん"って。ささやかな望みはあるけど。そういうことを書いてる。﹃REAL﹄というアルバムは。諦めてるけど、"ひょっとしたらいいことあるかもね"っていう[226]﹂﹁現実的に、深い夢のような未来はあり得ないっていうのが、見えてきてるんだろうね。だから、冷めた詞が多い[227]﹂と心境の変化を述べている。 アルバム﹃REAL﹄をリリースした後、2001年半ばあたりから、hydeを含めたL'Arc〜en〜Cielのメンバー4人は、ソロ活動や別バンドでの活動を始動し、L'Arc〜en〜Cielとしての活動が事実上の休止状態となった。その後L'Arc〜en〜Cielは、バンドを解散させることも考えたが、2003年6月に久々のライヴを行い、本格的に活動を再開することになった。そして2004年に、約3年7ヶ月ぶりのアルバム﹃SMILE﹄を発表している。このアルバムでは、hydeがこれまでに書いたリリックのテーマとは異なり、ストレートな前向きさを綴った歌詞が多くなっている。この当時に受けたインタビューの中で、hydeは﹁もう、普通に悲しいだけのCDじゃ、僕、心が動かされないんですよ。今の僕のテンションがそうなのかもしれないけど、悲しい詞を今僕がやると、逆にすごく嘘っぽく書いちゃうような気がするんですよね。あんまり興味がない。そういう悲しい部分を表現した曲もあると思うけど、でもどっかに、ちょっと今の気持ち的には悲しいとか、暗い部分を音源にしたくないなって気持ちがあるのは確かですね[218]﹂と心境の変化を述べている。また、2005年発表のアルバム﹃AWAKE﹄では反戦・平和をテーマとした歌詞、2007年発表のアルバム﹃KISS﹄では人と人のミニマムな関係性を身近な表現でつづったもの[228]が多く手掛けられている。 hyde曰く、2006年・2007年頃から、"ありふれた日常"をテーマに歌詞を書くようになったという。以前にもhydeは﹁C'est La Vie﹂や﹁TIME SLIP﹂﹁ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE﹂など、いくつかの楽曲の制作で、身近に起きた出来事をもとに歌詞を書いたことがあったが、2007年に発表したアルバム﹃KISS﹄には、人に近い表現を用いた歌詞をのせた楽曲が数多く収められている。hydeは2012年に発表した自叙伝において、この当時の心境の変化について﹁普段の生活の中で、ふと愛に満たされた時、"このまま、死んでもいいや"って思った瞬間に宇宙と繋がった気がした事があったんだよ。なんか、死を迎え入れられた瞬間に"あ、なんだ、宇宙ってこんな物だったのか"って。ちなみに、俺、薬はやってないよ︵笑︶。そして、宇宙の摂理というか、なんか全てがスッと理解出来た気がして。それが大きかったのかもしれない。その時に、多分、生への執着がなくなったんだろうな。それからというもの、周りのいつもの風景がとても愛おしく感じられるようになってきた。その感覚は、L'Arc〜en〜Cielの﹁ALONE EN LA VIDA﹂の歌詞に書いたり、HYDEソロの﹁I CAN FEEL﹂とか、その頃の作詞の核になってるんだけど。︵中略︶"いつ死んでもかまわない"と共に、"いつ死んでもいいように生きよう"って思う自分が加わった感じかな[229]﹂と綴っている。また、この頃から、リスナーが歌詞の意味を大きく誤解しないよう、比喩だけではなく、直接的な表現を使ったフレーズも意識的に増やし始めている[230]。 なお、hyde曰く、歌詞を書く際は作曲者から楽曲のイメージを聞き、それを基に作業を行うことも多いという。そして、映画やアニメーション作品に楽曲を提供する場合は、監督などの製作陣と話し合いを行ったうえで、そのタイアップ作品を意識した歌詞を書くこともある。L'Arc〜en〜Cieは2000年に映画主題歌として﹁finale﹂という楽曲を提供しているが、この時の作詞作業についてhydeは﹁映画と、まったく違うアプローチをしても夢からさめた感じがするし、かと言ってまったく同じだと逆に映画との相乗効果がない気がしたんです。で、自分の感性で、映画の中で流れるなら、こういう感じがいいかなと思ったんです[231]﹂と当時述べている。 hydeは歌詞を書く行為について、﹁詞を書くのってホントに面倒くさいけど、人として書いてて良かったなとは思うよ。詞とか文章を書くって、すごくいい事だと思う[232]﹂﹁頭で考えてるだけだと、なかなか一つの形にまとまらないんだよね。でも、文章にしていくと"あ、そっか、そう思ってたんだ"って文章って形で見えるからわかりやすいんだ。そうすると突き詰めやすくて、物事の本質が見える[232]﹂﹁ヴォーカリストがちゃんと詞を書いて歌を歌うっていう行為は、一番リアルだと思うんですよ。人が書いた詞を歌うっていうのは、やっぱりその人の感性を代弁してるっていう感じだから。それが悪いって意味じゃないけど[233]﹂と語っている。また、hydeは、音楽における歌詞について﹁歌詞は中途半端に理解されるべきもんだとは思うんですよ。歌詞なんていちいち説明してたらカッコいいわけない[234]﹂と語っており、インタビューなどにおいて歌詞の意味を明言することを避けており、解釈をリスナーに委ねることが多い。 総合音楽家の和久井光司は、hydeが綴る歌詞について﹁あるストーリーの断片を散りばめたような雰囲気重視のもの[235]﹂と表現しており、﹁パンク以後の精神性としての”ロックンロール”からは遠く、文学・映画・演劇の要素まで取り込んで”ロック”とする表現の発展性とみれば大いにありだと思う[235]﹂と批評している。また、音楽雑誌﹃MUSICA﹄の創刊者で、音楽ジャーナリストの鹿野淳は﹁バラッドではかなり文学的な言葉世界を展開するものの、ドライヴ・ナンバーになると途端にわかりやすい言葉しか歌わなくなる。だからこそラルクの楽曲はどんな曲でも必ず"聴きとれる"。これは実は凄いことだ[236]﹂と評している。さらにシンガーソングライターの松任谷由実は、1999年に行われた近田春夫との対談において、"同じ粒々を持っている人"として、hydeの他、2人の作詞家の名前をあげている[注釈 67][237]。松任谷は、hydeを含む3人の作詞家が書く歌詞について﹁詞とメロディは連動してるけど、詞に心地よい空白を感じました[237]﹂と評している。 ちなみにhydeは、好きな日本の作詞家として、前記の小田和正の他、aiko[238]やCHARA[239]の名前をあげている。余談だが、hydeは2015年に受けた音楽雑誌のインタビューの中で、aikoが綴る歌詞について﹁aikoさんの書く詞は素敵だなって曲が流れるたびによく思います[238]﹂と述べたことがある。 上記のように、L'Arc〜en〜Cielの楽曲の歌詞はhydeがほぼすべて手掛けているが、1996年発表のアルバム﹃True﹄以降のアルバムにおいて、hyde以外のメンバーも1〜2曲作詞を担当するようになった。なお、2007年発表のアルバム﹃KISS﹄には、hyde以外のメンバー3人それぞれが作詞・作曲を担当した楽曲を、1曲ずつ収録している。hyde以外のメンバーが作詞を担当したL'Arc〜en〜Cielの楽曲は、以下に記す︵原曲のみ記載。パートチェンジバンド名義の音源やリアレンジバージョンなどは除く︶。 ●ken ﹁Lover Boy﹂﹁twinkle, twinkle﹂﹁Pretty girl﹂ ●tetsuya ﹁milky way﹂﹁Perfect Blue﹂﹁bravery﹂﹁Time goes on﹂﹁砂時計﹂ ●yukihiro ﹁L'heure﹂﹁trick﹂﹁New World﹂﹁spiral﹂﹁shade of season﹂ ●sakura ﹁"good-morning Hide"﹂作曲[編集]
活動初期からメンバー全員が作曲を担当しており[注釈 68]、コンポーザーが4人いる故にそれぞれの楽曲が独自の個性を持っている点がL'Arc〜en〜Cielの楽曲の最大の特徴[240] であり、ハードロック、ニュー・ウェイヴ、ポストパンク、グランジ、オルタナティヴ・ロック、インダストリアル、ダンス・ミュージックなど[241] といった多種多様のジャンルに大衆性を注入し楽曲をポップスとして仕上げている[242]。 メンバー自身も"4人全員がコンポーザーであること"をバンドの特徴の一つとして捉えており、kenは﹁L'Arc〜en〜Cielは4人の作曲者がいて、それぞれにいろんな匂いがあるっていう面白さがあると思う[243]﹂と語っている。また、hydeはL'Arc〜en〜Cielでのアルバム制作について﹁皆がキャンバスに好きな色を塗っていって、最終的に出来たものから、こういう絵が描きたかったんだって確認する感じです[224]﹂と表現している。 メンバー全員が共通して好きなアーティストは多くないが、ザ・キュアー、ザ・スミス、デペッシュ・モードといった1980年代のニュー・ウェイヴやポストパンク、DEAD ENDのような耽美なゴシック・ロックを全員が好んで聴いていたことから、特に活動初期の楽曲はこれらの影響を受けた曲が多い。他にも、kenがHR/HMを聴き始める前に松山千春などのニューミュージックを聴いていたこともあり[244]、そのテイストをコンパイルした楽曲もある。一方で、メンバーは学生時代に、日本のメジャーシーンでヒットを飛ばしていたバンドをあまり聴いておらず、hydeは2002年に受けたインタビューの中で、1980年代に日本で流行したビートロックに関して﹁好みではなかった﹂と述べていたことがある[245]。 ドラマーがyukihiroに代わって以降、ドラムがタイトでシャープなサウンドに変化し、さらにkenのギターのアプローチも変化したことで、グランジやオルタナティヴ・ロック色の強い楽曲[43] が活動中期以降に増えている。また、yukihiroがエレクトロやインダストリアル・ミュージックを好んでいたことから、クラブ・ミュージックとの親和性が高い楽曲も増えている[246]。さらに、前述のジャンル以外にもメンバーの影響を受けた音楽性として、ヘヴィメタルやハードコアが挙げられるが、L'Arc〜en〜Cielの楽曲はこれらの要素は少ない[247]。ken曰く﹁ヘヴィメタル禁止令っぽいものがあった[247]﹂﹁あまりにもメタルみたいなのは周りが嬉しそうじゃないような感じだった[247]﹂といい、このようなジャンルの要素がバンドに少なかった背景を述べている。ただ、L'Arc〜en〜Cielの楽曲のリアレンジ楽曲をリリースするパートチェンジバンド、P'UNK〜EN〜CIELではスレイヤー[注釈 69]、アイアン・メイデン[注釈 70]、モトリー・クルー[注釈 71] をオマージュした編曲を行っている。 音楽ライターの安藤優は、音楽雑誌﹃ミュージック・マガジン﹄の中で、L'Arc〜en〜Cielの楽曲について﹁ネクラの代表格ともいえるゴシックやダーク・サイケ風味を大胆に盛り込みつつも、平然とお茶の間に浸透して一般大衆の耳にアピールしてしまえる点に、ラルクの醍醐味や痛快さを感じる[248]﹂﹁とかく日本のポップスやロックにありがちな借物だらけの段階での自己満足に終始することなく、イイトコ取りしつつも咀嚼してラルク的に仕立てるセンスには、バンドとプロデューサーの岡野ハジメの並々ならぬ曲者ぶりが発揮されており実に楽しい[248]﹂と批評している。また、ニューヨークタイムズ紙のポピュラー音楽評論家であるジョン・ペアレスは﹁多くの楽曲がメタリカ、U2、デペッシュ・モードやデヴィッド・ボウイのようなギター・ロックでありながら、"X X X"のダンス・ポップのようなタッチの、アメリカのロックバンドがやらないスタイルの曲もこなしている[249]﹂と楽曲の多彩さについて評している。 元PINKのベーシストで、バンドの共同プロデューサーを務める岡野ハジメは、L'Arc〜en〜Cielの特徴について﹁アレンジにしても、どのジャンルも拡げていける非常に珍しいバンドだと思いますね。"じゃあなんでもいい"ってわけではないんですよ。その使い方も、それぞれこだわりはある[50]﹂と評している。また、岡野はL'Arc〜en〜Cielの制作現場について﹁全員がアイディアを、"こんなのあったら面白いよね"って口々に言ってて現場に飛び交ってるという感じで。普通だったら収拾がつかないはずなのに、それが何かしらのバランスで、こう、ひとつの作品になっていくという。面白かったですね、そういうのは。プロのやり方だけでは出来ないと思うんですよ。ある種アマチュアリズム的な、それをプロのノウハウでやっていくっていう。レンジが広くないと出来ないワザだと思う[50]﹂と述懐している。また、草野マサムネ︵スピッツ︶は、2024年に放送されたTOKYO FM系ラジオ番組﹃SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記﹄の中で、L'Arc〜en〜Cielの楽曲﹁winter fall﹂に触れたうえで﹁ラルクは曲も歌唱もとても魅力的なんですけども、サウンドがねぇ、すごいタイトでカッコいいので、当時あの、レコーディングのときに参考にしていました。なんかこう、サウンドを参考にするアーティストっていうのは、ほぼ洋楽のアーティストっていうか、洋楽のバンドがほとんどだった中で、ラルクはそんな中で数少ない"音がカッコいいなぁ"って思ったバンドでしたね、邦楽のね[250]﹂と述べている。 ●hyde - 詳細は﹃hyde#楽曲制作﹄の頁を参照 ﹁初期はカップリングを担当することが多かった[251]﹂とhyde自身が言うように、﹁I'm so happy﹂、﹁さようなら﹂など、初期の楽曲の多くがカップリングに収録されている。 hyde作曲の代表曲として、バンドとして最高売上を記録した﹁HONEY﹂や﹁HEAVEN'S DRIVE﹂などが挙げられ、ライブではどちらも自身がリズムギターを担当している。また、﹁いばらの涙﹂においても自身が多くのライブでギターを担当している他、﹁Spirit dreams inside﹂ではアコースティックギター、﹁flower﹂ではハーモニカ、﹁LORELEY﹂、﹁Ophelia﹂ではアルトサックスを演奏している。ソロ活動のライブ・イベントでも、前述の﹁I'm so happy﹂や﹁All Dead﹂等一部の楽曲を演奏したことがある。 hydeは近年、L'Arc〜en〜Cielで作曲するうえで﹁L'Arc〜en〜Cielはなんでもやる音楽集団だからこそ、L'Arc〜en〜Cielにしかできないことを狙って作っている[252]﹂と語っており、特定の音楽性に従属しない楽曲制作を行っている。1980年代のユーロビートを意識した﹁SEVENTH HEAVEN﹂や[253]、ポップなジャズテイストのクリスマスソングである﹁Hurry Xmas﹂[254]、R&Bの要素を入れた﹁X X X﹂[255] など企画性のある楽曲を多く手掛けている。 ●ken - 詳細は﹃ken#楽曲制作﹄の頁を参照 L'Arc〜en〜Ciel内では作曲数が最も多く、これまで50曲以上の楽曲をリリースしている。hydeはken作曲の楽曲について﹁L'Arc〜en〜Cielの核﹂と表現している。 初期のアルバム (﹃DUNE﹄-﹃True﹄) に収録されている楽曲はken作曲による楽曲が半数以上を占めており、以降のアルバムにおいても﹁Shout at the Devil﹂、﹁fate﹂、﹁真実と幻想と﹂、﹁the silver shining﹂、﹁Coming Closer﹂、﹁Pretty girl﹂[注釈 72] などken作曲の楽曲が多く収録されている。 ken作曲の代表曲として、バンド名の日本語訳でありバンドにとっての代表曲でもある﹁虹﹂や、ミリオンセラーを記録した﹁花葬﹂、﹁NEO UNIVERSE﹂が挙げられる。他にも﹁As if in a dream﹂、﹁White Feathers﹂、﹁夏の憂鬱﹂、﹁the Fourth Avenue Café﹂、﹁winter fall﹂、﹁浸食 〜lose control〜﹂、﹁forbidden lover﹂、﹁叙情詩﹂、﹁MY HEART DRAWS A DREAM﹂、﹁DAYBREAK'S BELL﹂、﹁Wings Flap﹂など、様々なジャンルの境界線を越えたボーダレスな楽曲[256] が挙げられる。 自身の曲作りのスタンスに関して、﹁無理矢理、作ろうとするのではなくて、その時に自分が感じる空気をそのまま曲にするという作り方ですね。空気って、説明するのが難しいんですけど、それがあるかないかでまったく違うんですよ。そのなかに空気がなかったら、作る意味はないかなって、ちょっと思います[256]﹂と語っている。 また、﹁特殊なものが整合性を持った時にポップになると思っている[257]﹂と自身の思うポップ・ミュージック像について述べている。 ●tetsuya - 詳細は﹃tetsuya#楽曲制作﹄の頁を参照 作曲数ではkenよりも少ないが、シングルの表題曲になっている楽曲は15曲以上に及び、作曲した楽曲のうち表題曲になった楽曲の割合はメンバー4人の中で一番大きい。また、自身作曲のシングル曲の中には、アルバムからリカットされたものがいくつかある。先行シングル曲でも、別バージョンとしてアルバムに収録されることが多々ある。ほかのメンバーと違い、カップリングに収録された曲はない。メンバー内で唯一、アルバムと同題曲がある。 ﹁アレンジする上でメロディーがしっかりしていることが大前提[258]﹂とtetsuya自身が言うように、tetsuya作曲の楽曲は浸透力あるメロディーラインが特徴[259]。 kenは﹁メジャー・キーを愛す男だなと。ある種メロディで、十代の持つ気持ちを忘れてないなという感じがしますよね[167]﹂と評している。また、共同プロデューサーの岡野ハジメはtetsuyaの楽曲を﹁テツポップ[50]﹂と表現しており、﹁ある程度成功していったバンドは、とかくマニアックな方面にズブズブと行ってしまう場合が多いんですけど、特にtetsuyaの曲とかはポップチューンをきちんと抑えている[50]﹂と評している。 tetsuya作曲の代表曲として、2001年以降の活動休止期間を経てリリースされた﹁READY STEADY GO﹂や、ミリオンセラーを記録した﹁snow drop﹂が挙げられる。他にも﹁Driver's High﹂、﹁STAY AWAY﹂、﹁自由への招待﹂、﹁GOOD LUCK MY WAY﹂、﹁Don't be Afraid﹂などの疾走感のある楽曲や、﹁DIVE TO BLUE﹂、﹁Link﹂などのポップス[259] が挙げられる。また、﹁Pieces﹂、﹁瞳の住人﹂、﹁あなた﹂のようなストリングスをフィーチャーしたバラードソングも多く作曲している。さらに、前述のような明るい楽曲に対し、﹁finale﹂、﹁死の灰﹂などダークな楽曲も時折手掛けている[259]。シングルとしてのヒットには至らなかったものの、﹁Blurry Eyes﹂もファンの間では人気が高い。 ●yukihiro - 詳細は﹃yukihiro#楽曲制作﹄の頁を参照 他の3人と比べて作曲数は少なく、シングルの表題曲も﹁New World﹂、﹁DRINK IT DOWN﹂しかないが、アルバム﹃ark﹄、﹃ray﹄以降の全てアルバムに、自身が作曲した楽曲を提供している。また、バンドの楽曲のなかには、インストゥルメンタルがいくつかあるが、これらは全て自身が作曲している。 yukihiro作曲の楽曲は、前述の﹁New World﹂、﹁trick﹂や﹁get out from the shell﹂に代表されるように、ハウス、ブレイクビーツなどを下敷きにしたマシーン・ビートをバンドサウンドと同期させたプレイを多く取り入れているものを得意としている[246]。そのため、曲によっては他のメンバーが作曲した楽曲の打ち込みによるアレンジを担うことが多く、﹁winter fall﹂︵ken作曲︶、﹁SEVENTH HEAVEN﹂︵hyde作曲︶、﹁AS ONE﹂︵hyde作曲︶などで打ち込みやサウンドデザインを担っている。 また、自身のソロプロジェクトにおける楽曲制作では、ギターリフや取り入れたい音色、サンプリングから作り始め[246]、歌メロを重視せず制作することが多い。一方、L'Arc〜en〜Cielでは原曲を提示した後に、アレンジを他のメンバーと共同で取り組むことが多い[246]。例えば、﹁New World﹂ではサビをhydeが制作しているため共作としてクレジットされており、﹁REVELATION﹂ではhydeがメロディーの制作を担当している[246]。また、﹁shade of season﹂ではkenと共同でアレンジを行っている[260]。編曲・プロデュース[編集]
L'Arc〜en〜Cielにおける音源の編曲作業は、メジャーデビュー後しばらく、バンドメンバー4人だけで行うことを基本としており、アルバム収録曲のうち1曲だけ外部のアレンジャーを招いてレコーディングすることはあっても、アルバム全体のプロデュースはすべてバンドだけで実施していた。ただ、1996年発表の4thアルバム﹃True﹄を制作するにあたり、外部から音楽プロデューサー/アレンジャーを6人招聘し、本格的に楽曲の共同アレンジを開始している。tetsuyaは、アルバム﹃True﹄を発表した頃に受けた音楽誌のインタビューにおいて、外部の編曲者と共同制作を行うことについて﹁もともとオレは、プロデューサーはぜったい必要だという考えなんですよ。海外のアーティストは、それが当たり前じゃないですか。プロデューサーといっしょに、バンドなりアーティストが共同作業をしていくっていうね。たとえば、ラットだったらボー・ヒルとか。そういうことをインタビューで読んだり、そうやって完成した音楽を聴いて育ってきたから、それがとうぜんだと思ってる[261]﹂と述べている。 翌1998年に発表した5thアルバム﹃HEART﹄では、全10曲中9曲で岡野ハジメ︵ex.PINK︶が共同プロデューサー兼アレンジャーとして起用されている。そして岡野は、このアルバムリリース以降、L'Arc〜en〜Cielの楽曲制作に長らく携わるようになり、hydeが﹁ラルクのもう1人のメンバー[262]﹂と表現するほど、"L'Arc〜en〜Cielの音源作り"におけるキー・パーソンとなっていった。ちなみに、岡野とL'Arc〜en〜Cielの初めての共同制作は、4thアルバム﹃True﹄収録の﹁Caress of Venus﹂﹁"good-morning Hide"﹂の編曲作業であった。 後年岡野は、L'Arc〜en〜Cielとの出会い、そして初仕事となった﹁"good-morning Hide"﹂の制作を振り返り、﹁80年代後半のブリティッシュロック的雰囲気…俺はザ・キュアーが大好きで、たまたまtetsuyaくんもhydeくんもザ・キュアーが好きだったんですよ。それで、ギターはただパワー・コードを弾くだけとか普通のコードをジャカジャカ弾くのではなく、ギターはイギリスのゴスやニュー・ウェイヴの感じにしようと、話し合いましたね。そういうことができる日本のバンドは少なかったので、"ラルクのメンバーはマニアックなものも受け入れてくれるんだ、これは嬉しい!"と思いました[263]﹂と自身の著書で述懐している。なお、岡野は、プログレッシブ・ロックバンド、スペース・サーカスやニュー・ウェイヴバンド、PINKでベーシストを務めていたミュージシャンであり、L'Arc〜en〜Cielのメンバーが敬愛するバンド、DEAD ENDが1988年に発表したアルバム﹃shámbara﹄などでプロデュースワークを担当していた経歴がある。 なお、前述の通り、本格的に外部のアレンジャーと共同で編曲作業を行うようになったのは、1996年発表のアルバム﹃True﹄以降だが、CDシングル作品では1995年に発表した﹁Vivid Colors﹂と﹁夏の憂鬱 [time to say good-bye]﹂を、西平彰と共同で編曲している。また、1994年発売の2ndアルバム﹃Tierra﹄では、全収録曲をバンドだけで編曲をしているが、元GRASS VALLEYのキーボーディストである本田恭之がベーシック・サウンド・ディレクター、"YMO第4の男"と言われた松武秀樹などがキーボードオペレーターとしてクレジットされている。また、同アルバム収録曲の﹁瞳に映るもの﹂では、富樫春生がプロデュースを担当している。 また、2000年以降の制作では、11thアルバム﹃KISS﹄を除き、岡野ハジメがアルバム全体のプロデュースを務めながら、時折、編曲作業に様々な音楽プロデューサー/アレンジャー/ミュージシャンを招聘するようになっている。これまで岡野以外に、CHOKKAKUや亀田誠治︵東京事変︶、久米大作、牛尾憲輔︵agraph︶などがプロデューサーあるいはアレンジャーとして、L'Arc〜en〜Cielの楽曲制作に参加している︵下表参照︶。ちなみに、2007年に発表したアルバム﹃KISS﹄以降は、kenとyukihiroが作曲した楽曲の編曲作業に関しては、バンド単位のセルフアレンジで行われることが多くなっている。 なお、kenは管弦編曲や鍵盤編曲に関しても外部に一任せず、自らが作業に関与することが多い。そのため、自作曲である﹁winter fall﹂や﹁Butterfly's Sleep﹂﹁LOST HEAVEN﹂﹁ALONE EN LA VIDA﹂では、外部の編曲者とkenが共同で作業を行っている。岡野は2019年に発表した著書で、L'Arc〜en〜Cielにおけるkenのアレンジワークについて﹁kenちゃんはアレンジができて、譜面の読み書きもできる人です。彼と仕事をしていて凄く勉強になったのは…︵中略︶kenちゃんは内声に凄くこだわるんですよね。ギタリストだからでしょうけど、ミッドのところをどうするか、歌と他の楽器の音が当たっていないか、ストリングスの中でビオラの帯域をどうするか?といった、内声の動きにこだわるんです[264]﹂﹁kenちゃんはたまに、リズム・テイクだけだと、最終的にどういう音楽になるかわからないようなギターを弾くことがあるんです。1音だけピーン!という音を弾いて、この音は何で鳴ってるのかなと思ったら、あとでストリングスやいろいろな音が出揃った時に、"このピーンはトップノートだったんだ。やっと分かった"なんていうこともありました。最初から、重ねた末にそういうハーモニーになることをちゃんと検証できて弾いているんです[264]﹂と評している。また、ロックバンド、THE NOVEMBERSの小林祐介は、kenの作る楽曲について﹁kenさんは作曲の理論だったり、ギターでいうボイシングやグルーヴの作り方、アンサンブルの組み方にいつもハッとさせられます[265][266]﹂と述べている。共同編曲者/プロデューサー名 (※) 岡野ハジメを除く |
楽曲 (※) 括弧内はアルバムのクレジット内容の和訳 |
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大石征裕 | 『DUNE』収録曲 (プロデュース) |
本田恭之 | 『Tierra』収録曲 (ベーシック・サウンド・ディレクター) |
松武秀樹 | 『Tierra』収録曲 (キーボードオペレーター) |
石川鉄男 | 『Tierra』収録曲 (キーボードオペレーター) |
迫田到 | 『Tierra』収録曲 (キーボードオペレーター) |
高橋"RANDY"和仁 | 『heavenly』収録曲 (コ・プロデュース) |
富樫春生 | 「瞳に映るもの」 (プロデュース)、「Fare Well」 (編曲/弦編曲/プロデュース)、 「Dearest Love」 (編曲/弦編曲/プロデュース)、「STAY AWAY -Truly Barbie Forest Ver.-」 (編曲)、 「雪の足跡」 (鍵盤編曲)、「My Dear -L'Acoustic version-」 (編曲) |
西平彰 | 「Vivid Colors」 (編曲)、「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」 (編曲)、 「あなたのために」 (編曲)、「Lies and Truth」 (編曲/弦編曲/プロデュース)、 「Link」 (編曲/弦編曲)、「砂時計」 (編曲/プロデュース)、 「NEXUS 4」 (編曲)、「SHINE」 (編曲)、 「GOOD LUCK MY WAY」 (編曲/管弦編曲)、「X X X」 (弦編曲) |
佐久間正英 | 「風にきえないで」 (編曲/プロデュース)、「I'm so happy」 (編曲/プロデュース) |
小西貴雄 | 「flower」 (編曲/プロデュース)、「さようなら」 (編曲/プロデュース)、 「I Wish」 (編曲/管編曲/プロデュース) |
秦野猛行 | 「賽は投げられた」 (編曲/プロデュース)、「the Fourth Avenue Café」 (編曲/プロデュース)、 「Round and Round」 (編曲/プロデュース)、「THE GHOST IN MY ROOM」 (編曲) |
北原雅彦 | 「the Fourth Avenue Café」 (管編曲) |
CHOKKAKU | 「虹」 (編曲/弦編曲/プロデュース)、「TIME SLIP」 (編曲/プロデュース) |
村山達哉 | 「winter fall」 (管弦編曲)、「Butterfly's Sleep」 (弦編曲)、 「THE BLACK ROSE」 (管編曲) |
菅原サトル | 「あなた」 (弦編曲) |
吉澤瑛師 | 「Driver's High」 (編曲) |
外山和彦 | 「Pieces」 (弦編曲) |
吉俣良 | 「finale」 (弦編曲) |
亀田誠治 | 「bravery」 (編曲/プロデュース) |
ジェレミー・ラボック | 「Anemone」 (弦編曲)、「叙情詩」 (弦編曲)、 「ALONE EN LA VIDA」 (弦編曲) |
デヴィッド・キャンベル | 「瞳の住人」 (弦編曲) |
菅原弘明 | 「Coming Closer」 (編曲/弦編曲)、「LOST HEAVEN」 (鍵盤編曲) |
杉山勇司 | 「SEVENTH HEAVEN」 (編曲)、「spiral」 (編曲) |
久米大作 | 「Hurry Xmas」 (編曲/管弦編曲)、「BLESS」 (編曲/管弦編曲) |
前嶋康明 | 「HONEY -L'Acoustic version-」 (編曲/プロデュース) |
陶山隼 | 「Don't be Afraid」 (編曲)、「FOREVER」 (編曲) |
牛尾憲輔 (agraph) | 「Cradle -L'Acoustic version-」 (プロデュース) |
堀向彦輝 | 「ミライ」 (編曲) |
カップリング曲[編集]
- 1994年 - 1998年:『The Best of L'Arc〜en〜Ciel c/w』
パートチェンジバンド[編集]
L'Arc〜en〜Cielではバンド内の遊びも兼ね、不定期でメンバー間のパートチェンジを行い、音源制作・ライヴ演奏を行うことが間々ある。そしてこのお遊びの発展型として、過去にKIOTO︵読み‥キオト︶、D'ARK〜EN〜CIEL︵読み‥ダーク アン シエル︶、P'UNK〜EN〜CIEL︵読み‥パンク アン シエル︶の3つのパートチェンジバンドが企画され、これらがL'Arc〜en〜Ciel名義のライヴでパフォーマンスを行っていた。なお、この3バンドの共通項として、メンバーが違うケースはあれど、"担当パートの振り分け方が同一"という点がある︵L'Arc〜en〜Cielのベーシストであるtetsuyaがボーカルに、ドラマーのsakuraもしくはyukihiroがベーシストに、ボーカリストのhydeがギタリストに、ギタリストのkenがドラマーにチェンジする︶。 KIOTO 1995年にL'Arc〜en〜Ciel名義で行った幾つかのライヴに登場したTOKIOのコピーバンド。このバンドは、tetsuyaが城島茂︵TOKIO︶と交流を持っていたことがきっかけで始まっている。そしてこのバンドは、L'Arc〜en〜Ciel名義で行った2公演でTOKIOの楽曲﹁LOVE YOU ONLY﹂をカバーしている。ちなみにこのバンドは、﹁TOKIOのリーダー、城島茂の公認バンド﹂とされており、﹁バンドの詳細は謎に包まれている﹂という設定が付与されている。 D'ARK〜EN〜CIEL 1996年から1997年にかけてL'Arc〜en〜Ciel名義で行ったライヴに登場したスラッシーなメタルバンド。このバンドでは他2バンドとは違い、オリジナル楽曲が制作されている。そしてライヴにおいてもオリジナル楽曲が演奏されている。なお、D'ARK〜EN〜CIELとして制作した楽曲のいくつかは、シングル﹁the Fourth Avenue Café﹂のカップリングに収録されている。余談だが、D'ARK〜EN〜CIELの活動が始まった当初は、上記のパートの振り分け方とは異なり、tetsuyaがボーカル、sakuraがギター、kenがベース、hydeがドラムを担当していた。ただ、﹁パワー不足﹂という理由により、上記のパートの振り分け方に変更されることとなった。 P'UNK〜EN〜CIEL 2004年から2011年にかけて活動していたL'Arc〜en〜Cielのカバーバンド。このバンドは、過去にL'Arc〜en〜Cielとして発表した楽曲をパンク・ロック、ハードロック、ヘヴィメタル調にアレンジしたうえで、パートを変えてセルフカバーするという企画モノで、音源はすべてL'Arc〜en〜Cielのシングルのカップリング曲として発表されていた。ちなみにこの企画は、徐々に洋楽をオマージュしたアレンジをするお遊び企画に変容していった。なお、他2バンドと同様に、L'Arc〜en〜Ciel名義のライヴに登場していた時期もある︵詳細は﹃P'UNK〜EN〜CIELの頁﹄を参照︶。 余談だが、L'Arc〜en〜Cielは、2003年に開催したライヴ﹁Shibuya Seven days 2003﹂以降の公演において、時折メンバーがパートチェンジし、L'Arc〜en〜Cielの楽曲﹁STAY AWAY﹂﹁trick﹂﹁REVELATION﹂を披露している。なお、この3曲をパートチェンジして披露する際は、別のバンドを名乗ることはしていない。作品[編集]
公式作品[編集]
非公式デモテープ[編集]
L'Arc〜en〜Cielはアマチュア・インディーズ時代、デモテープの公式配布・公式販売を意識的に避けていた。しかし、メンバーの意図しないかたちで、ライヴハウスに提出したブッキングプロモーション用テープなどが流出している。そして流出音源の一部は、ファンや関係者によって勝手にタイトルが付けられ、ジャケットも添えたうえで、世間に出回っている。もちろんこれらのデモテープは"全て非公式品であり本物は存在しない"。また、メジャーレーベルから発表されたアルバム﹃ark﹄や﹃ray﹄の収録曲のデモ音源に関しても、ネットを中心に流出している。 ●Floods of remaster (一)Nostalgia (二)I'm in Pain L'Arc〜en〜Cielを結成して間もない頃、ライヴハウスのブッキング用に制作された音源が出回ったもの。これはhiroとperoがバンドに在籍していた頃に作られた音源で、L'Arc〜en〜Cielの初の公式作品となるライヴビデオ﹃L'Arc-en-Ciel﹄に一部収録されている。ちなみに﹁Nostalgia﹂は、hiroがL'Arc〜en〜Ciel脱退後に結成したバンド、Flame︵ex.Ange∞Graie︶に引き継がれ、新たな楽曲﹁Dear Whisper﹂として再録されている。 ●Unfinished DEMO 7 tracks (一)Claustrophobia (二)記憶の破片 (三)追憶の情景 (四)No Truth (五)Dune (六)Entichers (七)I'm in Pain こちらもhiroとperoが在籍していた頃にレコーディングした音源が流出したもの。当初は、これらの楽曲がアルバム﹃DUNE﹄に収録される予定であった。なお、この中に収められた﹁Dune﹂に関しては、後にアルバム﹃DUNE﹄へ収録されたときのバージョンとほぼ同じアレンジが施されている。ちなみに﹁記憶の破片﹂は、hiroがL'Arc〜en〜Ciel脱退後に結成したバンド、Flame︵ex.Ange∞Graie︶の楽曲﹁冷たい雨﹂の原曲になっている。 ●Voice (一)Voice これはkenがL'Arc〜en〜Cielに加入した後に流出した音源で、オムニバスアルバム﹃Gimmick﹄に﹁VOICE﹂を提供するために実施したレコーディングで作られたデモテイクとなっている。なお、﹁Voice﹂のアレンジは、アルバム﹃Gimmick﹄に収録された音源と変わりは無い。ちなみにこれは、知人などに配られたものが流出したとされている。余談だが、本項であげたデモテープの中では一番出回っていない代物となっている。ミュージック・クリップ[編集]
監督 | 曲名 |
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穴見文秀 | 「NEO UNIVERSE」 |
池田一真 | 「Wings Flap」 |
ヴィンセント・ギャロ | 「Anemone」 |
上田拓 | 「STAY AWAY」 |
A.T. | 「DAYBREAK'S BELL」 |
大坪草次郎 | 「Driver's High -LIVE IN PARIS Ver.-」「CHASE -WORLD TOUR 2012 EDITION-」 |
柿本ケンサク | 「ミライ」 |
栗田裕介 | 「風にきえないで」 |
小島淳二 | 「叙情詩」 |
後藤新吾 | 「Dune」「Floods of tears」「As if in a dream」「Blurry Eyes」「Vivid Colors」 |
高木照之 | 「White Feathers」「眠りによせて」 |
高田弘隆 | 「NEXUS 4」 |
高田雅博 | 「Pieces」 |
竹石渉 | 「winter fall」「DIVE TO BLUE」「HONEY」「snow drop」「Driver's High」「finale」「READY STEADY GO」 |
竹内スグル | 「flower」「Lies and Truth」「虹」「forbidden lover」「瞳の住人」 |
多田琢 | 「Pieces」「STAY AWAY」 |
多田卓也 | 「GOOD LUCK MY WAY」 |
タナカノリユキ | 「trick (new2 wave of japanese heavy metal mix)」「fate (everybody knows but god mix)」 |
丹修一 | 「and She Said」 |
デビッド・ステットソン | 「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」 |
中島シンヤ | 「Spirit dreams inside -another dream-」 |
中村剛 | 「SEVENTH HEAVEN」 |
二階健 | 「風の行方」「瞳に映るもの」 |
野田智雄 | 「自由への招待」「Killing Me」「New World」「Link」 |
芳賀薫 | 「Hurry Xmas」 |
東弘明 | 「CHASE」 |
ヒグチミツヒロ | 「FOREVER」 |
Higuchinsky | 「花葬」「浸食 〜lose control〜」「Anemone (sub angle)」 |
松岡公一 | 「MY HEART DRAWS A DREAM」 |
マンジョット・ベディ | 「SHINE」「BLESS」 |
武藤眞志 | 「HEAVEN'S DRIVE」「LOVE FLIES」 |
ムラカミタツヤ | 「DRINK IT DOWN」 |
森田淳也 | 「Don't be Afraid -Biohazard×L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-」 |
安田大地 | 「Don't be Afraid」「Don't be Afraid -BIOHAZARD THE FINAL collaboration version-」 |
L'Arc〜en〜Ciel | 「X X X」 |
ライヴ・コンサートツアー[編集]
- *「映像化」の項目では、同じ放送局で再放送されたケースは記載しない。また、映像作品の再発盤についても記載しない
年 | タイトル | 会場/映像化 |
---|---|---|
1991年-1992年 | L'Arc〜en〜Ciel[注釈 79] | 全30公演[84]
(※) すべてのライヴが単発公演 |
1993年 | SONIC GIG | 全1公演[84]
3月11日 恵比寿GUILTY ※sakuraが加入して初の公演 |
SONIC GIG Ⅱ | 全1公演[84]
4月27日 恵比寿GUILTY | |
Close by DUNE | 全10公演[84]
6月14日 広島WOODY STREET | |
Close by DUNE FINAL | 全1公演[84]
8月1日 日清パワーステーション | |
FEEL OF DUNE | 全14公演[84]
11月9日 京都ミューズホール | |
1994年 | ノスタルジーの予感 | 全3公演[23]
4月3日 渋谷公会堂 |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel Tour Sense of time '94 |
全8公演[23]
7月14日 大阪郵便貯金会館 | |
映像化
| ||
1995年 | Official Funclub発足記念 Ciel/winter '95 |
全4公演[23]
1月24日 大阪国際交流センター |
L'Arc〜en〜Ciel in CLUB '95 |
全20公演[23]
5月21日 熊谷VOGUE | |
L'Arc〜en〜Ciel DAY 「Rendez-Vous」前夜祭 |
7月30日 渋谷公会堂 ※シークレット | |
L'Arc〜en〜Ciel TOUR heavenly '95 |
全9公演[87]
9月8日 仙台市民会館 | |
L'Arc〜en〜Ciel The other side of heavenly '95 |
||
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel TOUR heavenly '95 final |
||
映像化
| ||
1996年 | L'Arc〜en〜Ciel Kiss me |
全24公演[87]
4月3日 結城市民文化センター |
L'Arc〜en〜Ciel Kiss me deadly REVENGE |
全1公演[87]
5月26日 東京ベイNKホール | |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND '96 |
全5公演[88]
8月26日 日本武道館 | |
L'Arc〜en〜Ciel Carnival of True Eve |
全1公演
12月19日 日清パワーステーション | |
1996年-1997年 | FRESH LIGHT PRESENTS L'Arc〜en〜Ciel CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True |
全10公演[88]
1996年 |
1997年 | the Zombies[注釈 80] Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE |
全3公演
12月16日 赤坂BLITZ ※yukihiroがサポートとして参加した公演 |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION |
||
映像化
| ||
1998年 | L'Arc〜en〜Ciel Tour '98 ハートに火をつけろ! |
全56公演[89]
第1部 |
映像化
| ||
1999年 | L'Arc〜en〜Ciel 1999 GRAND CROSS TOUR |
全12公演[91]
7月17日 大阪コスモスクエア 特設ステージ |
映像化
| ||
1999年-2000年 | Tu-Ka PRESENTS L'Arc〜en〜Ciel RESET>>LIVE *000 |
全1公演[91]
1999年12月31日-2000年1月1日 東京ビッグサイト 東館展示ホール1-3 |
映像化
| ||
2000年 | L'Arc〜en〜Ciel CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE |
全10公演[95]
10月8日 赤坂BLITZ |
映像化
| ||
Yahoo! JAPAN PRESENTS L'Arc〜en〜Ciel TOUR 2000 REAL |
||
映像化
| ||
2003年 | LE-CIEL限定 Akasaka Zero day |
全1公演[95]
6月25日 赤坂BLITZ ※FC限定 |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel Shibuya Seven days 2003 |
全7公演[95]
6月28日 国立代々木競技場 第一体育館 | |
映像化
| ||
2004年 | Sony Music Fes. 2004 スペシャルライヴ L'Arc〜en〜Ciel SMILE TOUR 2004前夜祭 |
全1公演[96]
5月8日 国立代々木競技場 第一体育館 |
L'Arc〜en〜Ciel SMILE TOUR 2004 |
||
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel Live in USA |
全1公演[96]
7月31日 ファースト・マリナー・アリーナ (ボルチモア) | |
映像化
| ||
2005年 | L'Arc〜en〜Ciel AWAKE TOUR 2005前夜祭 「今夜奇跡が起きる!?」 |
全1公演[97]
7月28日 LIQUIDROOM Ebisu ※FC限定 |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel AWAKE TOUR 2005 |
全11公演[97]
8月6日 名古屋市総合体育館 レインボーホール | |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel ASIALIVE 2005 |
全4公演[97]
9月3日 オリンピックパーク 体操競技場 (ソウル) | |
映像化
| ||
2006年 | L'Arc〜en〜Ciel 15th L'Anniversary Live |
全2公演[97]
11月25日 東京ドーム |
映像化
| ||
2007年 | L'Arc〜en〜Ciel Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ! |
全36公演[97]
6月8日 戸田市文化会館 ※FC限定 |
映像化
| ||
2007年-2008年 | L'Arc〜en〜Ciel TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS |
全14公演[103]
2007年 |
映像化
| ||
2008年 | L'Arc〜en〜Ciel TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜 |
|
映像化
| ||
2011年 | L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR!" |
全1公演[105]
1月1日 幕張メッセ 国際展示場9-11ホール |
L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary LIVE |
||
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary TOUR |
||
映像化
| ||
2012年 | LE-CIEL会員限定ライヴ | 全2公演[105]
2月22日 横浜アリーナ ※FC限定 |
L'Arc〜en〜Ciel WORLD TOUR 2012 |
全10公演[105]
3月3日 アジア・ワールド・エキスポ (香港) | |
映像化
| ||
一夜限りのL'Arc〜en〜Ciel Premium Night | 全1公演[105]
4月20日 LIQUIDROOM | |
L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL |
全6公演[105]
5月12日 日産スタジアム | |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary Year Live in Hawaii |
||
映像化
| ||
LE-CIEL Presents ハワイ アン シエル Special Live |
全1公演[105]
6月1日 ワイキキシェル (ホノルル) ※FC限定 | |
2014年 | L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場 |
全2公演[124]
3月21日 国立競技場 (現:旧国立競技場) |
映像化
| ||
2015年 | L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO |
|
映像化
| ||
2017年 | L'Arc〜en〜Ciel 25th L'Anniversary LIVE |
全2公演[137]
4月8日 東京ドーム |
映像化
| ||
2018年 | L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas |
全2公演[137]
12月19日 東京ドーム |
映像化
| ||
2020年 | L'Arc〜en〜Ciel ARENA TOUR MMXX |
1月9日 大阪城ホール |
映像化
| ||
2021年 | L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary Starting Live "L'APPY BIRTHDAY!" |
全2公演[144]
5月29日 幕張メッセ 国際展示場1-3ホール |
映像化
| ||
L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary TOUR |
全19公演[144]
9月5日 大阪城ホール | |
映像化
| ||
2022年 | L'Arc〜en〜Ciel 30th L'Anniversary LIVE |
全2公演
5月21日 東京ドーム |
映像化
| ||
2024年 | L'Arc〜en〜Ciel ARENA TOUR 2024 UNDERGROUND |
全15公演
2月8日 国立代々木競技場 第一体育館 ※FC限定 |
出演ライヴイベント[編集]
年 | タイトル | 会場/映像化 | 備考 |
---|---|---|---|
1991年 | 大阪城野外音楽堂イベント | 9月14日 大阪城野外音楽堂[84] | |
1992年 | 1992 BEATNIK | 8月27日 大阪アム・ホール[84] | |
"Will" イベント | 10月3日 クラブチッタ川崎[84] | ||
『Gimmick』発売記念イベント | 10月10日 クラブチッタ川崎[84] | ||
目黒鹿鳴館イベント | 10月11日 目黒鹿鳴館[84] | ||
横浜モンスターイベント | 11月7日 横浜モンスター[84] | ||
1993年 | 華麗なる魔性 | 3月14日 渋谷公会堂[84] | |
Rock'n f PRESENTS Subliminal Vision |
5月3日 渋谷公会堂[23] | ||
SHOCK AGE '93 | 8月23日 渋谷公会堂[23] | ||
Because the Night Vol.1 | 10月19日 渋谷公会堂[23] | ||
1994年 | L.S.B. | 8月20日 札幌芸術の森 野外ステージ[85] | LUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKによる合同ツアー |
1995年 | SHOCK AGE SPECIAL '95 | 7月22日 渋谷公会堂[23] | |
彩の国秩父ミューズコンサート'95 NACK5 GO-ROCK | 8月20日 秩父ミューズパーク[23] | ||
Kiss Miss Live | 10月21日 名古屋ダイヤモンドホール[87] | ||
2001年 | 映画『FINAL FANTASY』試写会 | 8月29日 東京国際フォーラム[95] | シークレットゲスト |
2003年 | 天嘉 弐 -DANGER II- | 12月26日 日本武道館[95] | 所属事務所イベント シークレットゲスト |
2004年 | THE ROCK ODYSSEY 2004 | 7月24日 大阪ドーム[96] 7月25日 横浜国際総合競技場[96] |
両日出演 |
鋼の錬金術師FESTIVAL | 12月19日 大阪城ホール[96] 12月26日 国立代々木競技場 第一体育館[96] |
両日出演 いずれもシークレットゲスト | |
天嘉 参 -DANGER III- | 12月25日 日本武道館[96] | 所属事務所イベント シークレットゲスト | |
2005年 | 劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者 前夜祭 | 7月22日 東京国際フォーラム[96] | シークレットゲスト |
MBS ANIME FES.'05 | 7月30日 大阪城西の丸庭園 | シークレットゲスト | |
2007年 | INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL 2007 | 7月28日 韓国・仁川広域市[97] | ヘッドライナー出演 (日本人アーティスト初) |
2011年 | テレビ朝日ドリームフェスティバル 2011 | 9月23日 日本武道館[105] | ヘッドライナー出演 |
2014年 | SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT "Japan to the World" |
5月29日 国立競技場 (現:旧国立競技場)[124] | ヘッドライナー出演 建て替え前の国立競技場(現:旧国立競技場)における最後の音楽イベント |
記録[編集]
売上記録[編集]
|
|
順位 | アルバム | シングル | シングルトラック | |||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | ||||||
3 | ||||||
4 | ||||||
5 | ||||||
受賞記録[編集]
受賞日 | 賞 | 受賞作品等 |
---|---|---|
1997年12月27日 | SPACE SHOWER Music Video Awards '97 “BEST GROUP CLIP” |
Music Clip「虹」 |
1998年11月21日 | 第31回全日本有線放送大賞 “大賞” |
シングル「HONEY」 |
第31回全日本有線放送大賞 “最多リクエスト歌手賞” |
||
1998年12月31日 | 第40回日本レコード大賞 “優秀作品賞”[279] |
シングル「HONEY」 |
1999年3月1日 | 第36回ゴールデン・アロー賞 “音楽賞” |
|
第36回ゴールデン・アロー賞 “グランプリ” |
||
1999年3月3日 | 第13回日本ゴールドディスク大賞 “SONG OF THE YEAR”[280] |
シングル「HONEY」「花葬」「snow drop」 |
第13回日本ゴールドディスク大賞 “ROCK ALBUM OF THE YEAR”[280] |
アルバム『HEART』 | |
1999年12月7日 | 1999年度ベストドレッサー賞 | |
1999年12月27日 | SPACE SHOWER Music Video Awards '99 “BEST VIDEO OF THE YEAR” |
Music Clip「Pieces」 |
2000年3月15日 | 第14回日本ゴールドディスク大賞 “SONG OF THE YEAR”[281] |
シングル「HEAVEN'S DRIVE」 |
第14回日本ゴールドディスク大賞 “ROCK ALBUM OF THE YEAR”[281] |
アルバム『ark』『ray』、シングル「NEO UNIVERSE」 | |
2000年12月23日 | SPACE SHOWER Music Video Awards '00 “BEST GROUP VIDEO” |
Music Clip「STAY AWAY」 |
SPACE SHOWER Music Video Awards '00 “BEST VIDEO OF THE YEAR” |
Music Clip「STAY AWAY」 | |
2001年3月13日 | 第15回日本ゴールドディスク大賞 “ROCK ALBUM OF THE YEAR”[282] |
アルバム『REAL』 |
2002年3月13日 | 第16回日本ゴールドディスク大賞 “ROCK ALBUM OF THE YEAR”[283] |
アルバム『Clicked Singles Best 13』 |
2006年3月17日 | SPACE SHOWER Music Video Awards '06 “ART DIRECTION VIDEO WINNERS” |
Music Clip「叙情詩」 |
2006年 | 平成17年度文化庁メディア芸術祭 エンターテインメント部門 審査委員会推薦作品[284] |
Music Clip「叙情詩」 |
2008年2月21日 | Yahoo!ミュージックアワード2007 “ベストグループ最優秀賞” |
|
2008年3月 | J-MELO Awards 第1回「アーティスト別 (2007年)」第1位[285] “Most Requested Artist” |
|
2009年3月 | J-MELO Awards 第2回「アーティスト別 (2008年)」第1位[285] “Most Requested Artist” |
|
2010年3月 | J-MELO Awards 第3回「アーティスト別 (2009年)」第1位[285] “Most Requested Artist” |
|
2012年3月 | J-MELO Awards 第5回「アーティスト別 (2011年)」第1位[285] “Most Requested Artist” |
タイアップ[編集]
- *原則として、楽曲がシングルに収録されている場合は、収録シングルタイトルを記載する
- *放送開始日・公開日などは、全て日本における日付を記載する
- *※が付与されているタイアップは、メンバー4人が出演したものを指す
曲名 | タイアップ内容 | オンエア期間など | 収録作品 |
---|---|---|---|
Blurry Eyes | 日本テレビ系テレビアニメ『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』オープニングテーマ | 1994年10月7日 - 1994年12月23日 |
1stシングル「Blurry Eyes」 |
Vivid Colors | 日本テレビ系番組『ぐるぐるナインティナイン』エンディングテーマ | 1995年7月2日 - 1995年9月24日 |
2ndシングル「Vivid Colors」 |
Brilliant Years | 日本テレビ系番組『しんドラ』エンディングテーマ | 1995年4月11日 - 1995年6月27日 | |
夏の憂鬱 [time to say good-bye] |
TBS系番組『M-Navi』エンディングテーマ | 1995年10月6日 - 1995年11月24日 |
3rdシングル「夏の憂鬱 [time to say good-bye]」 |
風にきえないで | フジテレビ系番組『猛烈アジア太郎』エンディングテーマ | 1996年7月1日 - 1996年7月31日 |
4thシングル「風にきえないで」 |
日本テレビ系番組『ミュージックパーク』エンディングテーマ | 1996年8月1日 - 1996年8月31日 | ||
flower | フジテレビ系番組『プロ野球ニュース』テーマソング | 1996年10月1日 - 1997年3月10日 |
5thシングル「flower」 |
Lies and Truth | テレビ東京系番組『TOWER COUNTDOWN』エンディングテーマ | 1996年12月2日 - 1996年12月30日 |
6thシングル「Lies and Truth」 |
the Fourth Avenue Café | フジテレビ系テレビアニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』第4期エンディングテーマ | 1997年2月12日 - 1997年3月5日 |
29thシングル「the Fourth Avenue Café」 |
虹 | ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給映画『劇場版 るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 維新志士への鎮魂歌』オープニングテーマ | 1997年12月20日 (公開) |
7thシングル「虹」 |
winter fall | テレビ朝日系列放送・アメリカCBS製作ドラマ『シカゴ・ホープ』第2シーズンイメージソング | 1998年1月14日 - 1998年3月11日 |
8thシングル「winter fall」 |
milky way | TBS系番組『ワンダフル』テーマソング | 1998年3月2日 - 1998年3月30日 |
5thアルバム『HEART』 |
Shout at the Devil | ダイハツ工業「ムーヴエアロダウンカスタムXX」CMソング | 1998年5月6日 - 1998年9月30日 | |
DIVE TO BLUE | TBS系番組『特捜!芸能ポリスくん』エンディングテーマ | 1998年4月8日 - 1998年9月16日 |
9thシングル「DIVE TO BLUE」 |
「NTTパーソナル関西」CMソング ※ | 1998年6月6日 - 1998年9月30日 | ||
HONEY | TBS系番組『スーパーサッカー』テーマソング | 1998年5月2日 - 1998年9月30日 |
10thシングル「HONEY」 |
「NTTパーソナル関西」CMソング | 1998年6月6日 - 1998年9月30日 | ||
TOKYO MX・BS11系テレビアニメ『ReLIFE』第4話エンディングテーマ | 2016年7月23日 | ||
花葬 | テレビ朝日系番組『真相究明!噂のファイル』エンディングテーマ | 1998年7月4日 - 1998年9月12日 |
11thシングル「花葬」 |
浸食 〜lose control〜 | トライスターピクチャーズ/東宝配給映画『GODZILLA』挿入曲 | 1998年7月11日 (公開) |
12thシングル「浸食 〜lose control〜」 |
forbidden lover | 日本テレビ系番組『知ってるつもり?!』テーマソング | 1998年10月11日 - 1999年3月21日 |
14thシングル「forbidden lover」 |
snow drop | フジテレビ系ドラマ『走れ公務員! POLICE WOMAN』主題歌 | 1998年10月13日 - 1998年12月22日 |
13thシングル「snow drop」 |
What is love | TBS系番組『エクスプレス』テーマソング | 1999年3月29日 - 2000年9月29日 |
6thアルバム『ark』 |
It's the end | PlayStation用ゲームソフト『グランディア』CMイメージソング | 1999年6月19日 - 1999年7月4日 |
7thアルバム『ray』 |
Driver's High | フジテレビ系テレビアニメ『GTO』第1期オープニングテーマ | 1999年6月30日 - 1999年12月19日 |
17thシングル「Driver's High」 |
フジテレビ系テレビアニメ『GTO』44話・45話エンディングテーマ | |||
Pieces | ソーテック「e-one 500」CMソング | 1999年7月24日 - 1999年9月30日 |
16thシングル「Pieces」 |
LOVE FLIES | テレビ朝日系ドラマ『青い鳥症候群』主題歌 | 1999年10月16日 - 1999年12月11日 |
18thシングル「LOVE FLIES」 |
キヤノン「WonderBJ」CMソング ※ | 1999年10月25日 - 1999年12月5日 | ||
いばらの涙 | テレビ朝日系ドラマ『青い鳥症候群』テーマソング | 1999年10月16日 - 1999年12月11日 |
7thアルバム『ray』 |
trick -new wave of japanese heavy metal mix- |
ツーカーセルラー東京・東海「EZweb 誕生キャンペーン」CMイメージソング | 1999年11月20日 - 1999年12月12日 |
19thシングル「NEO UNIVERSE/finale」 |
NEO UNIVERSE | 資生堂「ピエヌ」CMソング | 2000年1月1日 -2000年 3月20日 | |
finale | 東宝配給映画『リング0 バースデイ』主題歌 | 2000年1月22日 (公開) | |
キヤノン「WonderBJ」CMソング ※ | 2000年3月16日 - 2000年9月30日 | ||
hole | 東宝配給映画『リング0 バースデイ』挿入曲 | 2000年1月22日 (公開) | |
STAY AWAY | 資生堂「ピエヌ」CMソング | 2000年6月1日 - 未詳 |
20thシングル「STAY AWAY」 |
fate [everybody knows but god mix] |
PlayStation用ゲームソフト『ディノクライシス2』イメージソング | 2000年9月13日 (発売) |
リミックスアルバム『ectomorphed works』 |
get out from the shell -asian version- |
トヨタ自動車アジア地区CMソング(日本以外のアジア地域限定) | 未詳 | 8thアルバム『REAL』 |
Spirit dreams inside | ギャガ=ヒューマックス配給映画『FINAL FANTASY』主題歌 | 2001年7月11日 (公開) |
21stシングル「Spirit dreams inside -another dream-」 |
READY STEADY GO | MBS・TBS系テレビアニメ『鋼の錬金術師』第2期オープニングテーマ | 2004年1月10日 -2004年 3月27日 |
22ndシングル「READY STEADY GO」 |
養楽多 投資有限公司「養楽多」CMソング(中国) | 未詳 | ||
ORIHICA 特別WEB動画『READY SUITS GO』[286] | 2024年1月19日 (公開) | ||
瞳の住人 | エクシング「ポケメロJOYSOUND」CMソング | 2004年2月25日 - 未詳 |
23rdシングル「瞳の住人」 |
上海江崎格力高食品「慕纱」CMソング(中国) | 未詳 | ||
自由への招待 | ダイハツ工業「ムーヴカスタム Vセレクション」CMソング | 2004年5月12日 - 2004年12月31日 |
24thシングル「自由への招待」 |
Killing Me | テレビ朝日系番組『Matthew's Best Hit TV』エンディングテーマ | 2005年1月5日 - 2005年3月31日 |
25thシングル「Killing Me」 |
New World | 日本テレビ系プロ野球中継番組『1球の緊張感 THE LIVE 2005』上半期テーマソング | 2005年4月1日 - 2005年7月23日 |
26thシングル「New World」 |
叙情詩 | 日本テレビ系番組『スーパーテレビ情報最前線』エンディングテーマ | 2005年4月11日 - 2005年6月27日 |
27thシングル「叙情詩」 |
AS ONE | GyaO『サッカープレミアム』イメージソング | 2005年6月1日 - 2005年6月7日 |
10thアルバム『AWAKE』 |
Link | エクシング「ポケメロJOYSOUND」CMソング | 2005年7月1日 - 2005年9月30日 |
28thシングル「Link」 |
松竹配給映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』オープニングテーマ | 2005年7月23日 (公開) | ||
LOST HEAVEN | 松竹配給映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』エンディングテーマ | 2005年7月23日 (公開) |
10thアルバム『AWAKE』 |
twinkle, twinkle | 王子ネピア「nepia」CMソング(中国) | 未詳 | |
SEVENTH HEAVEN | 日本テレビ系番組『スポーツうるぐす』テーマソング | 2007年4月1日 - 2007年6月3日 |
30thシングル「SEVENTH HEAVEN」 |
SHINE | NHK-BS2衛星アニメ劇場枠テレビアニメ『精霊の守り人』オープニングテーマ | 2007年4月7日 - 2007年9月29日 |
35thシングル「NEXUS 4/SHINE」 |
上海江崎格力高食品「慕纱」CMソング(中国) | 未詳 | ||
Feeling Fine | 台湾麒麟啤酒「麒麟〈生〉激暢ビール」CMソング(台湾) | 未詳 | 9thアルバム『SMILE』 |
MY HEART DRAWS A DREAM | 富士重工業「スバル・レガシィ」CMソング | 2007年5月16日 - 2008年5月8日 | 31stシングル「MY HEART DRAWS A DREAM」 |
上海江崎格力高食品「慕纱」CMソング(中国) | 未詳 | ||
DAYBREAK'S BELL | エムティーアイ「music.jp」CMソング | 未詳 | 32ndシングル「DAYBREAK'S BELL」 |
MBS・TBS系テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』(ファーストシーズン) 第1期オープニングテーマ | 2007年10月6日 - 2008年1月5日 | ||
MBS・TBS系テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』(ファーストシーズン) 第25話エンディングテーマ | 2008年3月29日 | ||
MBS・TBS系テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』(セカンドシーズン) 第25話エンディングテーマ | 2009年3月29日 | ||
Hurry Xmas | 福岡県・天神主催イベント「天神のクリスマスへ行こう2007」テーマソング | 2007年11月16日 - 2007年12月25日 |
33rdシングル「Hurry Xmas」 |
富士重工業「スバル・レガシィ」CMソング | 2008年11月26日 - 2008年12月25日 | ||
DRINK IT DOWN | PlayStation 3・Xbox 360・PC用ゲーム『デビルメイクライ4』テーマソング | 2008年1月31日 (発売) |
34thシングル「DRINK IT DOWN」 |
PlayStation 4・Xbox One・PC用ゲーム『デビルメイクライ4 スペシャルエディション』テーマソング | 2015年6月18日 (発売) | ||
NEXUS 4 | 富士重工業「スバル・レガシィ」CMソング | 2008年5月9日 - 2008年11月25日 |
35thシングル「NEXUS 4/SHINE」 |
上海江崎格力高食品「慕纱」CMソング(中国) | 未詳 | ||
BLESS | NHKバンクーバーオリンピック・パラリンピック放送テーマソング | 2010年2月12日 - 未詳 |
36thシングル「BLESS」 |
I Love Rock'n Roll | ペプシコーラ「PEPSI NEX」CMソング ※ | 2010年3月2日 - 未詳 |
配信限定シングル「I Love Rock'n Roll」 |
GOOD LUCK MY WAY | 松竹/アニプレックス配給映画『鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星』主題歌 | 2011年7月2日 (公開) |
37thシングル「GOOD LUCK MY WAY」 |
CHASE | ワーナー・ブラザース映画配給映画『ワイルド7』主題歌 | 2011年12月21日 (公開) |
39thシングル「CHASE」 |
Don't be Afraid | PlayStation VR向けミュージックビデオ『Don't be Afraid -Biohazard×L'Arc-en-Ciel on PlayStationVR』 | 2016年11月17日 (配信開始) |
41stシングル「Don't be Afraid」 |
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給映画『バイオハザード: ザ・ファイナル』日本語吹替版主題歌[287] | 2016年12月23日 (日本公開) | ||
Don't be Afraid -English version- |
ソニー「ハイレゾ級ワイヤレス MDR-1000X」CMソング ※ | 2016年10月17日 - 未詳 |
配信限定シングル「Don't be Afraid -English version-」 |
FOREVER | 日本テレビ系テレビアニメ『EDENS ZERO』第2期オープニングテーマ | 2021年7月4日 - 2021年10月3日 |
配信限定シングル「FOREVER (Anime Edit)」、43rdシングル「FOREVER」 |
ミライ | PC用オンラインゲーム『BLUE PROTOCOL』オープニングテーマソング | 2023年6月14日 (サービス開始) |
42ndシングル「ミライ」 |
PlayStation 5・Xbox Series X/S用オンラインゲーム『BLUE PROTOCOL』オープニングテーマ | 2023年12月13日 (サービス開始) |
出演[編集]
ラジオ[編集]
- ※レギュラー、パーソナリティ出演のみ記載
- FM NACK5・MIDNIGHT ROCK CITY (1995年10月3日 - 1996年3月26日)
- FM北海道・FM ROCK KIDS(1996年7月6日 - 1996年9月28日)
- TBSラジオ・ボンジュール! L'Arc〜en〜Ciel(1996年10月7日 - 1997年3月11日)
- ニッポン放送・L'Arc〜en〜Cielのオールナイトニッポン(1998年8月28日・2005年7月8日)
- ニッポン放送・L'Arc〜en〜CielのOH! DAIBA TO BLUE(1998年10月5日 - 1999年6月26日)
- TOKYO FM・やまだひさしのラジアンリミテッド内のコーナー「FLYING〜L'Arc〜ATTACK」(1999年10月4日 - 2002年3月28日)
テレビ[編集]
CM出演[編集]
- NTTパーソナル関西(1998年)
- サントリー・BOSS(1998年)
- キヤノン・WonderBJ(1999年 - 2000年)
- ペプシコーラ・PEPSI NEX(2010年)
- ソニー・ハイレゾ級ワイヤレス MDR-1000X(2016年)
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
- ※出演順は「出演順/出場者数」で表す
年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1998年 | 第49回 | 初 | HONEY | 11/25 | 紅白初出場 |
1999年 | 第50回 | 2 | HEAVEN'S DRIVE | 15/27 | |
2000年 | 第51回 | 3 | STAY AWAY | 15/28 | |
2010年 | 第61回 | 4 | BLESS | 11/22 | 10年ぶりの出場 |
2011年 | 第62回 | 5 | CHASE | 09/25 |