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[[1957年]]にジョン・レノンがバンド「[[クオリーメン]]」を結成し、1960年に「ビートルズ」に改名。[[1962年]]10月5日に[[EMI]][[パーロフォン]]からデビューし、[[1970年]]4月10日に事実上解散した(法的な解散決定は翌[[1971年]])。"Fab Four"<ref group="注釈">"ファブ・フォー"と読む。FabはFabulousの略で、「素晴らしい4人」あるいは「いかした4人組」という意味を持ち、同名の'''[[ザ・ファブ・フォー|The Fab Four]]'''、そしてこれをもじった'''[[:en:The Fab Faux|The Fab Faux]]'''という[[トリビュートバンド]]も存在する。また、[[2012年ロンドンオリンピックの体操競技]]の女子団体総合で金メダルを獲得したアメリカ代表選手(5人)が「The Fab Five」と呼ばれている。</ref> という通称でも知られる<ref>『僕はビートルズ』第1巻・巻末に記載されている宮永正隆の解説。</ref>。

[[1957年]]にジョン・レノンがバンド「[[クオリーメン]]」を結成し、1960年に「ビートルズ」に改名。[[1962年]]10月5日に[[EMI]][[パーロフォン]]からデビューし、[[1970年]]4月10日に事実上解散した(法的な解散決定は翌[[1971年]])。"Fab Four"<ref group="注釈">"ファブ・フォー"と読む。FabはFabulousの略で、「素晴らしい4人」あるいは「いかした4人組」という意味を持ち、同名の'''[[ザ・ファブ・フォー|The Fab Four]]'''、そしてこれをもじった'''[[:en:The Fab Faux|The Fab Faux]]'''という[[トリビュートバンド]]も存在する。また、[[2012年ロンドンオリンピックの体操競技]]の女子団体総合で金メダルを獲得したアメリカ代表選手(5人)が「The Fab Five」と呼ばれている。</ref> という通称でも知られる<ref>『僕はビートルズ』第1巻・巻末に記載されている宮永正隆の解説。</ref>。




[[#|12]]<ref group="">[[ ()|]]<!-- WP:CARMEN -->1967EP2</ref> 11[[]]111116241[[ ()|]]3011960<ref group="">1[[]]70{{| (1958)|label=|en|South Pacific (1958 film)}}[[]]4431958195917011[[:en:List of number-one albums from the 1950s (UK)|List of number-one albums from the 1950s (UK)]]</ref>[[#|22]]<ref group="">19621019703</ref> 171CD6<ref>{{Cite web2 |title=From Fab Four to fabulously rich |url=https://www.bbc.com/news/business-19800654 |website=[[BBC|BBC News]] |publisher=[[|BBC]] |date=2012-10-04 |accessdate=2019-01-31 |language=en-GB |first=Russell |last=Hotten }}</ref>19651026[[2]][[|MBE]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=181-184}}EMI[[]][[]](CT)CT

活動期間中、母国のイギリスで[[#オリジナル・アルバム|12作]]<ref group="注釈">『[[マジカル・ミステリー・ツアー (代表的なトピック)|マジカル・ミステリー・ツアー]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』は、発売当時(1967年)のイギリスではEP(2枚組)で発売していた。詳細は該当する項目を参照。</ref> のオリジナル・アルバムを発売し、そのうち11作が[[全英アルバムチャート]]で週間第1位を獲得した。11作の週間第1位の合計獲得数は162週。年間売り上げ最高アルバム4作と、第1作『[[プリーズ・プリーズ・ミー (アルバム)|プリーズ・プリーズ・ミー]]』による連続30週第1位はいずれも1960年代の最高数<ref group="注釈">ただし、通算1位獲得数では映画『[[サウンド・オブ・ミュージック (映画)|サウンド・オブ・ミュージック]]』のサウンドトラックの70週と『{{仮リンク|南太平洋 (1958年の映画)|label=南太平洋|en|South Pacific (1958 film)}}』の[[サウンドトラック]]の44週に次ぐ3位。なお『南太平洋』のサウンドトラックは1958年から1959年にかけて第1位を70週間連続獲得しており、全英アルバムチャート連続1位獲得数の歴代1位となっている。詳細は[[:en:List of number-one albums from the 1950s (UK)|List of number-one albums from the 1950s (UK)]]を参照。</ref>。シングルは[[#シングル(イギリス盤)|22作]]<ref group="注釈">バンド活動期間である1962年10月の『ラヴ・ミー・ドゥ』から1970年3月の『レット・イット・ビー』まで。</ref> 発売し、そのうち17作が第1位を獲得。アメリカなど世界各国においても高い販売数を記録し、全世界でのレコード・カセットテープ・CD・ダウンロード・ストリーミングなどの売上総数は6億を超えている<ref>{{Cite web2 |title=From Fab Four to fabulously rich |url=https://www.bbc.com/news/business-19800654 |website=[[BBCニュース・オンライン|BBC News]] |publisher=[[英国放送協会|BBC]] |date=2012-10-04 |accessdate=2019-01-31 |language=en-GB |first=Russell |last=Hotten }}</ref>。外貨獲得への多大な貢献に対し、1965年10月26日に女王[[エリザベス2世]]から[[大英帝国勲章|MBE勲章]]を授与されている{{Sfn|Beatles|2000|pp=181-184}}。



== バンド名の由来 ==

== バンド名の由来 ==

[[ファイル:The Beatles logo.svg|thumb|190px|left|ビートルズのロゴ]]

[[ファイル:The Beatles logo.svg|thumb|190px|left|ビートルズのロゴ]]


 (The Beatles)[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=41}}19604[[]]&<ref group="">[[]][[]]</ref> [[]](Beetle=[[]]Beat=[[]])<ref group="">BEETLES=[[]]3A=BEETLES=BEATLES</ref> [[]]<ref group="">1953[[]][[]]</ref> {{Sfn|Beatles|2000|p=41}}<ref group="">Beetle[[]][[]]</ref>&(Long John & Pieces of Silver)&(Long John & Silver Beatles)(The Silver Beetles)<ref group="">The Silver Beetles</ref>{{Sfn|Beatles|2000|p=41}}19608[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=49}}

 (The Beatles)[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=41}}19604[[]]&<ref group="">[[]][[]]</ref> [[]](beetle=[[]]beat=[[]])<ref group="">BEETLES=[[]]3A=BEETLES=BEATLES</ref> [[]]<ref group="">1953[[]][[]]</ref> {{Sfn|Beatles|2000|p=41}}<ref group="">Beetle[[]][[]]</ref>&(Long John & Pieces of Silver)&(Long John & Silver Beatles)(The Silver Beetles)<ref group="">The Silver Beetles</ref>{{Sfn|Beatles|2000|p=41}}19608[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=49}}

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| [[1940年]][[10月9日]] - {{死亡年月日と没年齢|1940|10|9|1980|12|8}}<br />{{ENG}} [[マージーサイド州]][[リヴァプール]]

| [[1940年]][[10月9日]] - {{死亡年月日と没年齢|1940|10|9|1980|12|8}}<br />{{ENG}} [[マージーサイド州]][[リヴァプール]]

| '''[[ボーカル]]'''<br />'''[[リズムギター]]'''<br />[[リードギター]]<br />[[鍵盤楽器|キーボード]]<br />[[ハーモニカ]]<br />[[エレクトリックベース|ベース]]

| '''[[ボーカル]]'''<br />'''[[リズムギター]]'''<br />[[リードギター]]<br />[[鍵盤楽器|キーボード]]<br />[[ハーモニカ]]<br />[[エレクトリックベース|ベース]]

| 1960年 - 1970

| 1960年 - 1969

|-

|-

| '''[[ポール・マッカートニー]]'''<br />({{Lang-en|''Paul McCartney''}})

| '''[[ポール・マッカートニー]]'''<br />({{Lang-en|''Paul McCartney''}})

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=== 曲ごとに使用された楽器 ===

=== 曲ごとに使用された楽器 ===


使[[]]3{{Sfn|Beatles|2000|p=81}}<ref group=""></ref> [[]][[ ()|]][[]][[]][[]][[ ()|]][[]]<ref group="">[[#]]</ref>[[#|]][[]][[]][[]][[]][[]]1965815[[]][[]][[ ()|VOX]][[]]使[[]]1965[[]]使1966{{Sfn|Beatles|2000|p=233}}<ref group="">[[]]</ref>[[]][[]]{{||en|Tanpura}}[[]][[]][[ ()|]][[|]][[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=340}}[[ ()|]]<!-- WP:CARMEN -->[[ ()|]][[]][[ ()|]]

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外部ミュージシャンの例では、セッション・ドラマーの[[アンディ・ホワイト (ドラマー)|アンディ・ホワイト]]が、デビュー曲となった「[[ラヴ・ミー・ドゥ]]」のレコーディングに参加している。ただし、これはプロデューサーの[[ジョージ・マーティン]]の判断によるもの{{Sfn|Beatles|2000|pp=76}}である。メンバーの意向による参加ミュージシャンの例では、クラシック音楽の分野から「[[イエスタデイ (ビートルズの曲)|イエスタデイ]]」で弦楽四重奏、「[[エリナー・リグビー]]」で弦楽八重奏、「[[ペニー・レイン (代表的なトピック)|ペニー・レイン]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」では[[ピッコロ・トランペット]]のソロに[[デヴィッド・メイスン]]が招かれている。同じロックやポップスの分野では「[[ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス]]」で[[リードギター]]を担当した[[エリック・クラプトン]]や、「[[レボリューション (ビートルズの曲)|レボリューション]]」で[[エレクトリックピアノ]]を弾いた[[ニッキー・ホプキンス]]が挙げられる。プロデューサーの[[ジョージ・マーティン]]は「[[イン・マイ・ライフ (代表的なトピック)|イン・マイ・ライフ]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」、「[[グッド・デイ・サンシャイン]]」、「[[ラヴリー・リタ]]」などの間奏で[[ピアノ]]を、「[[ベイビー・イッツ・ユー#ビートルズによるカバー|ベイビー・イッツ・ユー]]」では[[チェレスタ]]、「[[サン・キング]]」ではオルガンを弾いている。また、[[ローリング・ストーンズ]]の[[ブライアン・ジョーンズ]]は「[[ユー・ノウ・マイ・ネーム]]」のレコーディングに[[サクソフォーン|サックス]]で参加。アルバム『[[レット・イット・ビー (代表的なトピック)|レット・イット・ビー]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』のセッションには[[ビリー・プレストン]]が[[エレクトリックピアノ]]や[[ハモンドオルガン]]で参加している。ただし、外部から参加したミュージシャンはプレストンを除きレコードのクレジットには記載されていない。

外部ミュージシャンの例では、セッション・ドラマーの[[アンディ・ホワイト (ドラマー)|アンディ・ホワイト]]が、デビュー曲となった「[[ラヴ・ミー・ドゥ]]」のレコーディングに参加している。ただし、これはプロデューサーの[[ジョージ・マーティン]]の判断によるもの{{Sfn|Beatles|2000|pp=76}}である。メンバーの意向による参加ミュージシャンの例では、クラシック音楽の分野から「[[イエスタデイ (ビートルズの曲)|イエスタデイ]]」で弦楽四重奏、「[[エリナー・リグビー]]」で弦楽八重奏、「[[ペニー・レイン (代表的なトピック)|ペニー・レイン]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」では[[ピッコロ・トランペット]]のソロに[[デヴィッド・メイスン]]が招かれている。同じロックやポップスの分野では「[[ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス]]」で[[リードギター]]を担当した[[エリック・クラプトン]]や、「[[レボリューション (ビートルズの曲)|レボリューション]]」で[[エレクトリックピアノ]]を弾いた[[ニッキー・ホプキンス]]が挙げられる。プロデューサーの[[ジョージ・マーティン]]は「[[イン・マイ・ライフ (代表的なトピック)|イン・マイ・ライフ]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」、「[[グッド・デイ・サンシャイン]]」、「[[ラヴリー・リタ]]」などの間奏で[[ピアノ]]を、「[[ベイビー・イッツ・ユー#ビートルズによるカバー|ベイビー・イッツ・ユー]]」では[[チェレスタ]]、「[[サン・キング]]」ではオルガンを弾いている。また、[[ローリング・ストーンズ]]の[[ブライアン・ジョーンズ]]は「[[ユー・ノウ・マイ・ネーム]]」のレコーディングに[[サクソフォーン|サックス]]で参加。アルバム『[[レット・イット・ビー (代表的なトピック)|レット・イット・ビー]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』のセッションには[[ビリー・プレストン]]が[[エレクトリックピアノ]]や[[ハモンドオルガン]]で参加している。ただし、外部から参加したミュージシャンはプレストンを除きレコードのクレジットには記載されていない。

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== デビュー直前までの経歴 ==

== デビュー直前までの経歴 ==

=== クオリーメン結成からビートルズへの改名まで ===

=== クオリーメン結成からビートルズへの改名まで ===


19573[[]][[]]76{{||en|Woolton}}{{||en|St Peter's Church, Woolton, Liverpool}}{{Refnest|group=""|{{Sfn|Beatles|2000|p=29}}}}[[]]{{||en|Twenty Flight Rock}}[[]][[]][[]]<ref>{{Cite web |url=http://www.history.com/this-day-in-history/john-meets-paul-for-the-first-time |title=John meets Paul for the first time - History.com This Day in History - 7/6/1957|publisher=A&E Television Networks, LLC |accessdate=2014-03-10}}</ref><ref name="vanth">[[]]</ref> [[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=12,21}}

19573[[]][[]]76{{||en|Woolton}}{{||en|St Peter's Church, Woolton, Liverpool}}{{Refnest|group=""|{{Sfn|Beatles|2000|p=29}}}}[[]]{{||en|Twenty Flight Rock}}[[]][[]][[]]<ref>{{Cite web |url=http://www.history.com/this-day-in-history/john-meets-paul-for-the-first-time |title=John meets Paul for the first time - History.com This Day in History - 7/6/1957|publisher=A&E Television Networks, LLC |accessdate=2014-03-10}}</ref><ref name="vanth">[[]]</ref> [[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=12,21}}


翌1958年2月6日、マッカートニーに紹介されたハリスンがクオリーメンと出会う。「{{仮リンク|ローンチー|en|Raunchy (instrumental)}}」を完璧に弾きこなしたことと、2人よりも多くの[[和音|コード]]を知っていたことでレノンに認められ、バンドに採用される{{Sfn|Beatles|2000|p=12}}。1959年になると他のメンバーは次第に辞めていき、1月にはバンドのメンバーはレノン、マッカートニー、ハリスンの3人だけになる。

翌1958年2月6日、マッカートニーに紹介されたハリスンがクオリーメンと出会う。「{{仮リンク|ローンチー|en|Raunchy (instrumental)}}」を完璧に弾きこなしたことと、2人よりも多くの[[和音|コード]]を知っていたことでレノンに認められ、バンドに採用される{{Sfn|Beatles|2000|p=12}}。1959年になると他のメンバーは次第に辞めていき、1月にはバンドのメンバーはレノン、マッカートニー、ハリスンの3人だけになる。




10&(The Johnny and The Moondogs)19601[[]]<ref group=""></ref>4(The Long John and Silver Beetles)<ref group="">423242</ref>

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=== ビートルズへの改名以後 ===

=== ビートルズへの改名以後 ===


19605<ref group=""></ref> &[[]][[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=44}}退<ref group=""></ref>

19605<ref group=""></ref> &[[]][[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=44}}退<ref group=""></ref>



8<ref group=""></ref> [[西]]5[[]]68{{Sfn|Beatles|2000|p=47}}

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1&&[[]]{{Refnest|group=""|  p.58{{Sfn|Beatles|2000|p=58}}[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=107}}[[]]p.52p.358CREDIT}}

1か月後「カイザーケラー」に移動。「デリー&ザ・シニアーズ」や、リンゴ・スターがドラムスを務める「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」と交代で出演することになり、スターと知己が生まれる。またこの頃、ベストが出番を休むことが数回あったため、スターが代役としてビートルズに参加する機会があった。さらに、この頃[[アストリッド・キルヒャー]]{{Refnest|group="注釈"|写真家。学生時代、ビートルズのハンブルク巡業中に友人となり、数々の写真を撮影。ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.58によれば、後にビートルカットと呼ばれる髪型の提案者であり{{Sfn|Beatles|2000|p=58}}、アルバム『[[ウィズ・ザ・ビートルズ]]』のジャケットのアイディアの元となった写真の撮影者でもある{{Sfn|Beatles|2000|p=107}}(ただし、ジャケットの写真そのものはロバート・フリーマンが撮影している)。また、生前のサトクリフと恋愛関係にあり、映画『[[バック・ビート]]』ではヒロインとして描かれている。カナ表記は、ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語版)では本文(p.52その他)で「アストリット」、p.358のCREDITでは「アストリッド」と、両方の表記が存在する。}}が友人とともに客として店に来るようになり、程なくサトクリフと恋仲となる。



写真家を目指していたキルヒャーによって、撮影されたビートルズの写真は後に『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』などの文献に収録された。同時期にキルヒャーの人で、後にイラストレーター、ミュージシャンとしてメンバーと関わる[[クラウス・フォアマン]]とも親交を結ぶ。ハンブルクで演奏を始めて3か月後、「カイザーケラー」より格上の「{{仮リンク|ザ・トップテン・クラブ|en|The Top Ten Club}}」からの出演依頼を受けるが、満17歳で就労年齢制限に違反していることが発覚したハリスンと、宿舎として用いていた映画館の火に関与したマッカートニー及びベストが強制送還され、レノンも帰国した。一方でサトクリフはキルヒャーの援助を受けてしばらくハンブルクに滞在した。

写真家を目指していたキルヒャーによって、撮影されたビートルズの写真は後に『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』などの文献に収録された。同時期にキルヒャーの元恋人で、後にイラストレーター、ミュージシャンとしてメンバーと関わる[[クラウス・フォアマン]]とも親交を結ぶ。ハンブルクで演奏を始めて3か月後、「カイザーケラー」より格上の「{{仮リンク|ザ・トップテン・クラブ|en|The Top Ten Club}}」からの出演依頼を受けるが、満17歳で就労年齢制限に違反していることが発覚したハリスンと、宿舎として用いていた映画館の火に関与したマッカートニー及びベストが強制送還され、レノンも帰国した。一方でサトクリフはキルヒャーの援助を受けてしばらくハンブルクに滞在した。



[[ファイル:TheCavern Club.jpg|thumb|230px|再建されたキャヴァーン・クラブ。]]

[[ファイル:TheCavern Club.jpg|thumb|230px|再建されたキャヴァーン・クラブ。]]

1961年1月、ハンブルクでの失敗活動を停止していたビートルズは、アラン・ウィリアムスからクラブDJのボブ・ウーラーを紹介され、オーディションの上でリヴァプールの[[キャヴァーン・クラブ]]に定期出演を開始した。また会場までメンバーと楽器を搬送するローディとして[[ニール・アスピノール]]<ref group="注釈">元々はマッカートニーとリヴァプール・インスティチュートの同級生で、1学年下のハリスンとも友人だった。またベストの友人でもあり、ベスト家に間借りしていた。その縁で[[バン (自動車)|バン]]を持っていたことからビートルズの楽器を運搬する為に雇われ、デビュー後も引き続きロード・マネージャーとしてビートルズの身の回りの世話をすることになる。</ref> が、続いて[[マル・エヴァンズ]] <ref group="注釈">ビートルズが出演していたキャバーン・クラブのドアマンとして働いていたが、アスピノール1人では仕事が大変なので2人目のロードマネージャーとして雇われ、アスピノール同様デビュー前から楽器の設営などをはじめビートルズの身の回りの世話をしていた。ビートルズ解散後もレノン、ハリスンと関わっていたが1976年に死去。</ref> が雇われた。

1961年1月、ハンブルクでの失敗から活動を停止していたビートルズは、ウィリアムスからクラブDJのボブ・ウーラーを紹介され、選考の上でリヴァプールの[[キャヴァーン・クラブ]]に定期出演を開始した。また会場までメンバーと楽器を搬送するロード・マネージャーとして[[ニール・アスピノール]]<ref group="注釈">元々はマッカートニーとリヴァプール・インスティチュートの同級生で、1学年下のハリスンとも友人だった。またベストの友人でもあり、ベスト家に間借りしていた。その縁で[[バン (自動車)|バン]]を持っていたことからビートルズの楽器を運搬する為に雇われ、デビュー後も引き続きロード・マネージャーとしてビートルズの身の回りの世話をすることになる。</ref> が、続いて[[マル・エヴァンズ]] <ref group="注釈">ビートルズが出演していたキャバーン・クラブのドアマンとして働いていたが、アスピノール1人では仕事が大変なので2人目のロードマネージャーとして雇われ、アスピノール同様デビュー前から楽器の設営などをはじめビートルズの身の回りの世話をしていた。ビートルズ解散後もレノン、ハリスンと関わっていたが1976年に死去。</ref> が雇われた。



同年4月、2度目のハンブルク巡業を開始し、以前から出演依頼を受けていたザ・トップテン・クラブに出演する。このハンブルク巡業では初めてレコード会社による録音も実現した。また、再会したキルヒャーと一緒にプールに行った際、メンバーの髪が前に下りている状態を気に入ったキルヒャーの提案によって、ベスト以外の4人が後に「[[ビートルカット]]」と呼ばれるようになる{{Sfn|Beatles|2000|p=58}}垂れた髪型を採用した。

同年4月、2度目のハンブルク巡業を開始し、以前から出演依頼を受けていたザ・トップテン・クラブに出演する。このハンブルク巡業では初めてレコード会社による録音も実現した。また、再会したキルヒャーと一緒にプールに行った際、メンバーの髪が前に下りている状態を気に入ったキルヒャーの提案によって、ベスト以外の4人が後に「[[ビートルカット]]」と呼ばれるようになる{{Sfn|Beatles|2000|p=58}}前髪を下ろした髪型を採用した。



=== 4人のビートルズ誕生 ===

=== 4人のビートルズ誕生 ===

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帰国後の8月、レノンの級友だった{{仮リンク|ビル・ハリー|en|Bill Harry}}が音楽新聞「{{仮リンク|マージー・ビート (新聞)|en|Mersey Beat|label=マージー・ビート}}」を発刊。レノンが寄稿した文章が掲載される。そこで、マッカートニーのソロアルバム「フレイミング・パイ」の名前の元となった文章も掲載された。

帰国後の8月、レノンの級友だった{{仮リンク|ビル・ハリー|en|Bill Harry}}が音楽新聞「{{仮リンク|マージー・ビート (新聞)|en|Mersey Beat|label=マージー・ビート}}」を発刊。レノンが寄稿した文章が掲載される。そこで、マッカートニーのソロアルバム「フレイミング・パイ」の名前の元となった文章も掲載された。




1210NEMS[[]]196211[[]]

1210NEMS[[]]196211[[]]

4311{{Sfn|Beatles|2000|p=69}}4106EMI[[]][[]]66815<ref group="">[[#]]</ref>

4311{{Sfn|Beatles|2000|p=69}}4106EMI[[]][[]]66815<ref group="">[[#]]</ref>


直後にスターが加入し、9月からEMIで録音作業が行われる。この時はスターの他に、マーティンが招聘したドラマーのアンディ・ホワイトが参加している。また、エンジニアとして参加した[[ノーマン・スミス]]は、この後『[[ラバー・ソウル]]』までチーフ・エンジニアを務めることになる。

直後にスターが加入し、9月からEMIで録音作業が行われる。この時はスターの他に、マーティンが招聘したドラマーのアンディ・ホワイトが参加している。また、エンジニアとして参加した[[ノーマン・スミス]]は、この後『[[ラバー・ソウル]]』までチーフ・エンジニアを務めることになる。



==== ハンブルクでの録音 ====

==== ハンブルクでの録音 ====

ザ・トップテン・クラブでは、ビートルズは[[トニー・シェリダン]]のバック演奏も担当した。1961年6月22、23日、1962年5月24日、この縁でシェリダンのバックバンドとしてレコーディングに参加([[ビートルズのポリドール・セッション]]を参照)。レコード会社は「トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ」と、バンド名を変えて発売<ref group="注釈">後にビートルズがデビューして人気を得ると、レコード会社は名義を「ザ・ビートルズ・ウィズ・トニー・シェリダン」に変えている。</ref>。「[[マイ・ボニー]]」などの他、シェリダン抜きでレノンのボーカルの「[[いい娘じゃないか]]」、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]ナンバーのビートルズのオリジナル曲「[[クライ・フォー・ア・シャドウ]]」も録音された<ref group="注釈">これらは1995年に発売した『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー1]]』に収録されている</ref>。

ザ・トップテン・クラブでは、ビートルズは[[トニー・シェリダン]]のバック演奏も担当した。1961年6月22、23日、1962年5月24日、この縁でシェリダンのバックバンドとして録音に参加([[ビートルズのポリドール・セッション]]を参照)。レコード会社は「トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ」と、バンド名を変えて発売<ref group="注釈">後にビートルズがデビューして人気を得ると、レコード会社は名義を「ザ・ビートルズ・ウィズ・トニー・シェリダン」に変えている。</ref>。「[[マイ・ボニー]]」などの他、シェリダン抜きでレノンのボーカルの「[[いい娘じゃないか]]」、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]ナンバーのビートルズのオリジナル曲「[[クライ・フォー・ア・シャドウ]]」も録音された<ref group="注釈">これらは1995年に発売した『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー1]]』に収録されている</ref>。



== デビュー以降の経歴 ==

== デビュー以降の経歴 ==

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[[File:Eiga-Joho-1966-February-2.png|thumb|230px|1963年頃]]

[[File:Eiga-Joho-1966-February-2.png|thumb|230px|1963年頃]]

[[File:The Beatles and Lill-Babs 1963.jpg|thumb|230px|right|1963年10月30日,スウェーデンのテレビ番組『DROP IN』で]]

[[File:The Beatles and Lill-Babs 1963.jpg|thumb|230px|right|1963年10月30日,スウェーデンのテレビ番組『DROP IN』で]]

1962年10月5日にイギリスにてシングル『[[ラヴ・ミー・ドゥ]]』でデビュー。{{仮リンク|ミュージック・ウィーク誌|en|Music Week}}のトップ50では1962年12月27日付で最高位17位を記録<ref>ビデオ版『ザ・ビートルズ・アンソロジー』より</ref>。1963年1月11日にリリースされた英国での2枚目のシングル『[[プリーズ・プリーズ・ミー (曲)|プリーズ・プリーズ・ミー]]』がメロディー・メーカー誌1963年3月2日付けのシングル・トップ50で1位<ref name="compleat"/><ref group="注釈">ただし、ミュージック・ウィーク誌は最高位2位であったため、2000年にリリースされたチャート1位を獲得したシングル曲を集めた『[[ザ・ビートルズ1]]』には収録されていない。</ref> を獲得。

1962年10月5日にイギリスにてシングル『[[ラヴ・ミー・ドゥ]]』でデビュー。{{仮リンク|ミュージック・ウィーク誌|en|Music Week}}のトップ50では1962年12月27日付で最高位17位を記録<ref>ビデオ版『ザ・ビートルズ・アンソロジー』より</ref>。1963年1月11日にリリースされた英国での2枚目のシングル『[[プリーズ・プリーズ・ミー (曲)|プリーズ・プリーズ・ミー]]』がメロディー・メーカー誌1963年3月2日付けのシングル・トップ50で1位<ref name="compleat"/><ref group="注釈">ただし、ミュージック・ウィーク誌は最高位2位であったため、2000年に発売されたチャート1位を獲得したシングル曲を集めた『[[ザ・ビートルズ1]]』には収録されていない。</ref> を獲得。



この曲のヒットにより英国で一躍人気グループになり、4月11日にリリースされた3枚目のシングル『[[フロム・ミー・トゥ・ユー]]』ではミュージック・ウィーク誌で1963年5月2日付けから6月19日付けまで7週連続1位となる<ref>『[[ザ・ビートルズ1]]』のジャケットの記述。</ref>。同作以降は『[[シー・ラヴズ・ユー]]』(8月23日発売/1位6週)、『[[抱きしめたい (代表的なトピック)|抱きしめたい]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』(11月29日発売/1位5週)などのシングルが連続して1位を獲得した。

この曲のヒットにより英国で一躍人気グループになり、4月11日に発売された3枚目のシングル『[[フロム・ミー・トゥ・ユー]]』ではミュージック・ウィーク誌で1963年5月2日付けから6月19日付けまで7週連続1位となる<ref>『[[ザ・ビートルズ1]]』のジャケットの記述。</ref>。同作以降は『[[シー・ラヴズ・ユー]]』(8月23日発売/1位6週)、『[[抱きしめたい (代表的なトピック)|抱きしめたい]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』(11月29日発売/1位5週)などのシングルが連続して1位を獲得した。



1963年4月26日に英国でのファースト・アルバム『[[プリーズ・プリーズ・ミー (アルバム)|プリーズ・プリーズ・ミー]]』を発売し、5月11日付けでチャート第1位となり、その後、連続30週間、第1位が続いた。連続第1位が続いている中、1963年11月22日にセカンド・アルバム『[[ウィズ・ザ・ビートルズ]]』を発売し、12月7日に『プリーズ・プリーズ・ミー』を押しのけて第1位を獲得。1964年5月まで21週間連続1位になる。ビートルズはこの2枚のアルバムで51週間、ほぼ1年に渡りイギリスのアルバムチャートの第1位を占有していた。10月13日、当時の人気テレビ番組「{{仮リンク|サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム|en|Sunday Night at the London Palladium}}」に出演。およそ1500万人<ref name="compleat"/> がビートルズの演奏を視聴した。メンバーの発言{{Sfn|Beatles|2000|pp=102-104}}によれば、これによってビートルズはイギリスでの人気を決定的なものとし、さらに11月4日にはロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで開催されたロイヤル・コマンド・パフォーマンス(王室御前コンサート)に出演している<ref group="注釈">このステージでの最後の曲「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」の直前にレノンが「安い席の人々は拍手を。残りの人々は宝石をガラガラ鳴らしてください」と観客に言っている。</ref>。同じ頃、[[ビートルマニア]]と称されるファンの一部の行動が社会問題化し始める(詳細は[[#批判と公的な抑圧]]を参照)。

1963年4月26日に英国でのファースト・アルバム『[[プリーズ・プリーズ・ミー (アルバム)|プリーズ・プリーズ・ミー]]』を発売し、5月11日付けでチャート第1位となり、その後、連続30週間、第1位が続いた。連続第1位が続中、1963年11月22日にアルバム『[[ウィズ・ザ・ビートルズ]]』を発売し、12月7日に『プリーズ・プリーズ・ミー』に代わり第1位を獲得。1964年5月まで21週間連続1位になる。ビートルズはこの2枚のアルバムで51週間、ほぼ1年に渡りイギリスのアルバムチャートの第1位を占有していた。10月13日、当時の人気テレビ番組「{{仮リンク|サンデイ・ナイト・アット・ザ・ロンドン・パラディアム|en|Sunday Night at the London Palladium}}」に出演。およそ1500万人<ref name="compleat"/> がビートルズの演奏を視聴した。メンバーの発言{{Sfn|Beatles|2000|pp=102-104}}によれば、これによってビートルズはイギリスでの人気を決定的なものとし、さらに11月4日にはロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアターで開催されたロイヤル・コマンド・パフォーマンス(王室御前コンサート)に出演している<ref group="注釈">このステージでの最後の曲「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」の直前にレノンが「安い席の人々は拍手を。残りの人々は宝石をガラガラ鳴らしてください」と観客に言っている。</ref>。同じ頃、[[ビートルマニア]]と称されるファンの一部の行動が社会問題化し始める(詳細は[[#批判と公的な抑圧]]を参照)。



=== 世界進出 ===

=== 世界進出 ===

[[ファイル:The Beatles in America.JPG|thumb|230px|1964年2月7日、アメリカに上陸]]

[[ファイル:The Beatles arrive at JFK Airport.jpg|thumb|230px|1964年2月7日、アメリカに上陸]]

[[File:Beatles with Ed Sullivan.jpg|thumb|230px|1964年2月9日、エド・サリヴァン・ショーに出演]]

[[File:Beatles with Ed Sullivan.jpg|thumb|230px|1964年2月9日、エド・サリヴァン・ショーに出演]]


EMI[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=110}}[[]]{{||en|Swan Records}}EMI<ref>[[]]</ref> 

[[]]EMI[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=110}}[[]]{{||en|Swan Records}}EMI<ref>[[]]</ref> 


その後『[[ライフ (雑誌)|ライフ]]』誌や『[[ニューズウィーク]]』誌がビートルズを記事にし、[[ラジオ]]の[[ディスク・ジョッキー]]がビートルズの曲を放送し始めると、ビートルズはアメリカでも知名度を高め、キャピトルによるレコード発売が決定した{{Sfn|Beatles|2000|pp=114-115}}。1964年1月に[[フランス]]公演を行う。その最中にアメリカでキャピトルから発売されたシングル『抱きしめたい』がシングルチャート1位になった<ref group="注釈">ただし、ビルボードで日付上で1位になったのは2月1日。[https://www.billboard.com/charts/hot-100/1964-02-01/ ビルボードHOT100・1964年2月1日付]を参照。</ref>。

その後『[[ライフ (雑誌)|ライフ]]』誌や『[[ニューズウィーク]]』誌がビートルズを報道し、[[ラジオ]]の[[ディスク・ジョッキー]]がビートルズの曲を放送し始めると、ビートルズはアメリカでも知名度を高め、キャピトルによるレコード発売が決定した{{Sfn|Beatles|2000|pp=114-115}}。1964年1月に[[フランス]]公演を行う。その最中にアメリカでキャピトルから発売されたシングル『抱きしめたい』がシングルチャート1位になった<ref group="注釈">ただし、ビルボードで日付上で1位になったのは2月1日。[https://www.billboard.com/charts/hot-100/1964-02-01/ ビルボードHOT100・1964年2月1日付]を参照。</ref>。



[[ファイル:Paul, George & John.png|thumb|230px|1964年6月、オランダのテレビ番組で]]

[[ファイル:Paul, George & John.png|thumb|230px|1964年6月、オランダのテレビ番組で]]

2月にグループとして初めて渡米したが、髪型が一部のアメリカ人の反感を買った。9日に[[CBSテレビ|CBS]]の『[[エド・サリヴァン・ショー]]』に出演。マッカートニーの発言によれば視聴者数は約7300万人{{Sfn|Beatles|2000|p=119}}であった。11日に[[ワシントン・コロシアム]]で初のアメリカ公演を行う。[[カーネギー・ホール]]で2回目の公演を行った後、16日に[[マイアミ]]のドービルホテルで2回目の『エド・サリヴァン・ショー』に出演。この番組の冒頭で司会のサリヴァンは、ビートルズが初出演した9日の放送がアメリカのテレビ史上最高視聴率をあげたとコメントしている<ref name="videoan">ビデオ版『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』の記録映像より。</ref>。4月4日、アメリカでチャート上位5位までを独占<ref>{{Cite web |title=Top 100 Song|Billboard Hot 100 Chart |url=https://www.billboard.com/charts/hot-100/1964-04-04 |work=[[Billboard Hot 100]] |publisher=[[ビルボード|Billboard]] |date=1964-04-04 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>{{Sfn|Beatles|2000|p=139}}<ref name="compleat"/>。


29[[CBS|CBS]][[]]7300{{Sfn|Beatles|2000|p=119}}11[[D.C.]][[]][[]][[]][[]]216[[]][[]]29<ref name="videoan">[[]]</ref>445<ref>{{Cite web |title=Top 100 SongBillboard Hot 100 Chart |url=https://www.billboard.com/charts/hot-100/1964-04-04 |work=[[Billboard Hot 100]] |publisher=[[|Billboard]] |date=1964-04-04 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>{{Sfn|Beatles|2000|p=139}}<ref name="compleat"/>


6月からはデンマーク、オランダ、香港、オーストラリア、ニュージーランドを回る世界ツアーが開催されるが、[[扁桃腺]]炎を患って入院したスターの代役として{{仮リンク|ジミー・ニコル|en|Jimmie Nicol}}が起用される。その後回復したスターはオーストラリアで合流。[[アデレード]]の{{仮リンク|タウン・ホール|en|Adelaide Town Hall}}での公演の際は、集まった30万人から歓迎を受けている{{Sfn|Beatles|2000|p=140}}<ref>Vintage Adelaide. pp.70-71</ref>。7月6日、イギリスで[[リチャード・レスター]]監督<ref group="注釈">本作以降も『[[ヘルプ!4人はアイドル]]』の監督を担当。『[[ジョン・レノンの 僕の戦争]]』では監督に加えてプロデューサーも兼任し、1991年には『[[ゲット・バック]]』の監督を担当している。</ref> による映画『[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ハード・デイズ・ナイト]]』<ref group="注釈">公開当時の邦題は「'''ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!'''」。</ref> が公開。10日に[[ハード・デイズ・ナイト (アルバム)|同名映画のサウンドトラックアルバム]]を発売し、『[[ウィズ・ザ・ビートルズ]]』を抜いて12週間1位を保持していた[[ローリング・ストーンズ]]の[[ザ・ローリング・ストーンズ (アルバム)|ファーストアルバム]]を押しのけて7月25日に第1位になり、そこから21週間連続1位を維持した。

6月からはデンマーク、オランダ、香港、オーストラリア、ニュージーランドを回る世界ツアーが開催されるが、[[扁桃腺]]炎を患って入院したスターの代役として{{仮リンク|ジミー・ニコル|en|Jimmie Nicol}}が起用される。その後回復したスターはオーストラリアで合流。[[アデレード]]の{{仮リンク|タウン・ホール|en|Adelaide Town Hall}}での公演の際は、集まった30万人から歓迎を受けている{{Sfn|Beatles|2000|p=140}}<ref>Vintage Adelaide. pp.70-71</ref>。7月6日、イギリスで[[リチャード・レスター]]監督<ref group="注釈">本作以降も『[[ヘルプ!4人はアイドル]]』の監督を担当。『[[ジョン・レノンの 僕の戦争]]』では監督に加えてプロデューサーも兼任し、1991年には『[[ゲット・バック]]』の監督を担当している。</ref> による映画『[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ハード・デイズ・ナイト]]』<ref group="注釈">公開当時の邦題は「'''ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!'''」。</ref> が公開。10日に[[ハード・デイズ・ナイト (アルバム)|同名映画のサウンドトラックアルバム]]を発売し、『[[ウィズ・ザ・ビートルズ]]』を抜いて12週間1位を保持していた[[ローリング・ストーンズ]]の[[ザ・ローリング・ストーンズ (アルバム)|ファーストアルバム]]を押しのけて7月25日に第1位になり、そこから21週間連続1位を維持した。

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この後、1966年の末まで、イギリスのアルバムチャートはビートルズとローリング・ストーンズが1位争いを繰り広げ、それ以外では[[ボブ・ディラン]]と『[[サウンド・オブ・ミュージック (映画)|サウンド・オブ・ミュージック]]』のサウンドトラックの2者のみがチャート争いに参加するという構図になった。またアメリカのビルボードにおいても、アメリカ編集盤『[[ミート・ザ・ビートルズ]]』(11週連続)、『[[ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム]]』(5週連続)、『[[ハード・デイズ・ナイト (アルバム)|ハード・デイズ・ナイト]]<ref group="注釈">発売当時の邦題は「'''ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!'''」。</ref>』(14週連続)の3作が1位を獲得している。「抱きしめたい」のシングル盤は世界で1200万枚以上を売り上げ、歴代トップクラスのセールスを記録した。アメリカでは、次作のシングル『[[キャント・バイ・ミー・ラヴ]]』が予約だけで210万枚に達し、またイギリスでも予約枚数が100万枚になり『ギネス・ワールド・レコーズ』には最も予約枚数があったレコードとして記載されている。

この後、1966年の末まで、イギリスのアルバムチャートはビートルズとローリング・ストーンズが1位争いを繰り広げ、それ以外では[[ボブ・ディラン]]と『[[サウンド・オブ・ミュージック (映画)|サウンド・オブ・ミュージック]]』のサウンドトラックの2者のみがチャート争いに参加するという構図になった。またアメリカのビルボードにおいても、アメリカ編集盤『[[ミート・ザ・ビートルズ]]』(11週連続)、『[[ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム]]』(5週連続)、『[[ハード・デイズ・ナイト (アルバム)|ハード・デイズ・ナイト]]<ref group="注釈">発売当時の邦題は「'''ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!'''」。</ref>』(14週連続)の3作が1位を獲得している。「抱きしめたい」のシングル盤は世界で1200万枚以上を売り上げ、歴代トップクラスのセールスを記録した。アメリカでは、次作のシングル『[[キャント・バイ・ミー・ラヴ]]』が予約だけで210万枚に達し、またイギリスでも予約枚数が100万枚になり『ギネス・ワールド・レコーズ』には最も予約枚数があったレコードとして記載されている。




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9月に帰国し、アルバム『[[ビートルズ・フォー・セール]]』を録音。10月からはイギリスの27都市で公演を行った。12月4日、イギリスで『ビートルズ・フォー・セール』を発売。日本では1964年2月にシングル『抱きしめたい』でデビュー。日本だけで1965年1月までの約1年間のシングル盤・LP盤を合わせた累計売上は300万枚<ref name="asahi_650119">{{Cite web2 |title=レコード 三百万枚売る ビートルズ |website=[[朝日新聞]](東京夕刊) |date=1965年1月19日 |page=8 }}</ref> に達し、日本での発売元である[[EMIミュージック・ジャパン|東芝音楽工業]]からメンバーにゴールデン・レコードが授与された<ref name="asahi_650119" />。

9月に帰国し、アルバム『[[ビートルズ・フォー・セール]]』を録音。10月からはイギリスの27都市で公演を行った。12月4日、イギリスで『ビートルズ・フォー・セール』を発売。日本では1964年2月にシングル『抱きしめたい』でデビュー。日本だけで1965年1月までの約1年間のシングル盤・LP盤を合わせた累計売上は300万枚<ref name="asahi_650119">{{Cite web2 |title=レコード 三百万枚売る ビートルズ |website=[[朝日新聞]](東京夕刊) |date=1965年1月19日 |page=8 }}</ref> に達し、日本での発売元である[[EMIミュージック・ジャパン|東芝音楽工業]]からメンバーにゴールデン・レコードが授与された<ref name="asahi_650119" />。

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[[File:Eiga-Joho-1966-January-2.png|thumb|230px|right|映画『[[ヘルプ!4人はアイドル]]』]]

[[File:Eiga-Joho-1966-January-2.png|thumb|230px|right|映画『[[ヘルプ!4人はアイドル]]』]]


[[File:Eiga-Joho-1966-February-1.png|thumb|230px|19651026[[MBE]]]]

[[File:Eiga-Joho-1966-February-1.png|thumb|230px|19651026[[MBE]]]]

19652{{Sfn|Beatles|2000|p=41}}[[!4]]7[[! ()|!]]<ref group="">'''4'''</ref> 86[[ ()|]]

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8月15日、ニューヨークの[[シェイ・スタジアム]]で55,600人<ref group="注釈">ただし、この人数には異説がある。ビデオ版『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』ではニール・アスピノールが55,000人と話しているが、マッカートニーは56,000人、スターは60,000人、ハリスンは70,000人だと聞いたとコメントしている。</ref> の観客を集めた野外コンサート開催(詳細は[[#野球場でのコンサート]]を参照)。10月26日にはメンバーに対して、外貨獲得による国家への貢献を理由に[[MBE勲章]]が授与される{{Sfn|Beatles|2000|pp=181-184}}。

8月15日、ニューヨークの[[シェイ・スタジアム]]で55,600人<ref group="注釈">ただし、この人数には異説がある。ビデオ版『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』ではニール・アスピノールが55,000人と話しているが、マッカートニーは56,000人、スターは60,000人、ハリスンは70,000人だと聞いたと発言している。</ref> の観客を集めた野外公演開催(詳細は[[#野球場でのコンサート]]を参照)。10月26日にはメンバーに対して、外貨獲得による国家への貢献を理由に[[MBE勲章]]が授与される{{Sfn|Beatles|2000|pp=181-184}}。




12[[]]<ref name="videoan"/>[[]][[]][[]][[]]<ref name="videoan"/>{{Sfn|Beatles|2000|p=196}}{{Sfn|Beatles|2000|pp=198-199}}

12[[]]<ref name="videoan"/>[[]][[]][[]][[]]<ref name="videoan"/>{{Sfn|Beatles|2000|p=196}}{{Sfn|Beatles|2000|pp=198-199}}


1966年3月、レノンがイギリスの取材記事で「ビートルズは[[キリスト]]よりも有名だ」と発言する。それから5か月後の8月、その発言の一部がアメリカの雑誌に引用され、物議を醸す(詳細は[[#レノンのキリスト発言]]を参照)。4月にアルバム『[[リボルバー (アルバム)|リボルバー]]』の録音を開始{{Sfn|Beatles|2000|p=206}}。この作品からノーマン・スミスに代わってアシスタント・エンジニアだった[[ジェフ・エメリック]]がチーフ・エンジニアに就任。

1966年3月、レノンがイギリスの取材記事で「ビートルズは[[キリスト]]よりも有名だ」と発言する。それから5か月後の8月、その発言の一部がアメリカの雑誌に引用され、物議を醸す(詳細は[[#レノンのキリスト発言]]を参照)。4月にアルバム『[[リボルバー (アルバム)|リボルバー]]』の録音を開始{{Sfn|Beatles|2000|p=206}}。この作品からノーマン・スミスに代わってアシスタント・エンジニアだった[[ジェフ・エメリック]]がチーフ・エンジニアに就任。

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==== 野球場での公演 ====

==== 野球場での公演 ====


1964124{{Sfn|Beatles|2000|p=161}}1965210[[]]使1965815[[]]55,600{{Sfn|Beatles|2000|p=187}}

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==== エルヴィス・プレスリーとの面会 ====

==== エルヴィス・プレスリーとの面会 ====

1965年8月27日にビートルズはロサンゼルスの[[エルヴィス・プレスリー]]宅に招かれた{{Sfn|Harry|2000a|p=283-4}}。プレスリーのマネージャーである[[トム・パーカー (マネージャー)|トム・パーカー]]大佐がエプスタインと「極秘の打ち合わせを行なう」という名目だったが、プレスリー宅周辺には人々が集まった。

1965年8月27日にビートルズは[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]の[[エルヴィス・プレスリー]]宅に招かれた{{Sfn|Harry|2000a|p=283-4}}。プレスリーのマネージャーである[[トム・パーカー (マネージャー)|トム・パーカー]]大佐がエプスタインと「極秘の打ち合わせを行なう」という名目だったが、プレスリー宅周辺には人々が集まった。




{{|date=2023108 () 23:15 (UTC)|}}

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1966年3月、コラムニストのモーリン・グリーブによるレノンの取材記事が「{{仮リンク|ロンドン・イブニング・スタンダード|en|Evening Standard}}」誌に掲載された。この記事の一部がアメリカ公演間際に、アメリカのティーン雑誌「デイトブック」に転載された。元の記事は紙面にして2頁という量{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}だったが、デイトブックはその中の1行である「[[キリスト発言|ビートルズはキリストより有名だ]]」という発言を抽出して掲載した。

1966年3月、コラムニストのモーリン・グリーブによるレノンの取材記事が「{{仮リンク|ロンドン・イブニング・スタンダード|en|Evening Standard}}」誌に掲載された。この記事の一部がアメリカ公演間際に、アメリカのティーン雑誌「デイトブック」に転載された。元の記事は紙面にして2頁という量{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}だったが、デイトブックはその中の1行である「[[キリスト発言|ビートルズはキリストより有名だ]]」という発言を抽出して掲載した。



これが「イエスを冒瀆した」とアメリカで解釈され、ビートルズのレコード、プロマイドやポスターといったグッズなどが組織的に破棄、焼却されるという事態に発展する。特にキリスト教信仰が盛んなアメリカ南部で大きな騒動となり、殺害予告もなされるに至った{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}。この事態に対し、エプスタインはツアー開始前に[[ニューヨーク]]で声明を発し「その解釈が誤解で、ジョン・レノンは神や宗教に対して真摯な態度の人間である。しかし現在の若者にはビートルズの方が影響力がある、と言いたかったのだ」という旨を述べた。またアメリカ各地の興行主に対して公演の中止を受け付けたが、中止を申し出た興行主はいなかった{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}。公演前に[[シカゴ]]レノンが謝罪を行ったが一部地域で騒動は続き、[[バイブル・ベルト]]{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}に着いた頃には乗っているバスの窓が群集に叩かれたり、[[クー・クラックス・クラン]]による襲撃予告が届くなど危険な事態が生じた。全てに公演は予定通り行われた<ref>{{Cite web2 |author=JORDAN RUNTAGH |title=ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実 |url=https://rollingstonejapan.com/articles/detail/26495/ |website=Rolling Stone Japan |publisher=CCCミュージックラボ株式会社 |date=2016-09-04 |accessdate=2020-02-08 }}</ref> が、一部の会場では空席が目立った。

これが「イエスを冒瀆した」とアメリカで解釈され、ビートルズのレコード、プロマイドやポスターといったグッズなどが組織的に破棄、焼却されるという事態に発展する。特にキリスト教信仰が盛んなアメリカ南部で大きな騒動となり、殺害予告もなされるに至った{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}。この事態に対し、エプスタインはツアー開始前にニューヨークで声明を発し「その解釈が誤解で、ジョン・レノンは神や宗教に対して真摯な態度の人間である。しかし現在の若者にはビートルズの方が影響力がある、と言いたかったのだ」という旨を述べた。またアメリカ各地の興行主に対して公演の中止を受け付けたが、中止を申し出た興行主はいなかった{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}。公演前に[[イリノイ州]][[シカゴ]]レノンが謝罪を行ったが一部地域で騒動は続き、[[バイブル・ベルト]]{{Sfn|Beatles|2000|p=225}}に着いた頃には乗っているバスの窓が群集に叩かれたり、[[クー・クラックス・クラン]]による襲撃予告が届くなど危険な事態が生じた。全てに公演は予定通り行われた<ref>{{Cite web2 |author=JORDAN RUNTAGH |title=ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実 |url=https://rollingstonejapan.com/articles/detail/26495/ |website=Rolling Stone Japan |publisher=CCCミュージックラボ株式会社 |date=2016-09-04 |accessdate=2020-02-08 }}</ref> が、一部の会場では空席が目立った。



==== ローマ教皇庁の赦免 ====

==== ローマ教皇庁の赦免 ====

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[[File:Eiga-Joho-1966-September-1.png|230px|thumb|日本公演(1966年)]]

[[File:Eiga-Joho-1966-September-1.png|230px|thumb|日本公演(1966年)]]

[[File:Nippon Budokan 2010.jpg|230px|thumb|日本公演を行った日本武道館]]

[[File:Nippon Budokan 2010.jpg|230px|thumb|日本公演を行った日本武道館]]

1966年に来日し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220922-UIQN32M3BVIFJAGCSE3DT2V55A/|title=ビートルズ来日映像公開へ 警備状況やファン写る|publisher=産経ニュース|date=2022-09-22|accessdate=2022-09-22}}</ref>6月30日から7月2日にかけてビートルズ唯一の日本公演が行われた<ref group="注釈">朝日新聞社編『ビートルズの社会学』([[朝日文庫]])など多くの本が出版されている。この中で[[遠藤周作]]は「高校野球が終って選手たちが泣けば大人は感動するが、ビートルズが終って少女たちが泣けばおかしいと言う。少しもおかしくはない。原理は同じだ。いいじゃないか」と書いている。</ref>。[[日本航空]]JL412便、[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]][[ダグラス DC-8|DC-8]]-53型機(JA8008、松島号)で前の公演地のハンブルクからロンドンを経由したビートルズは、[[昭和41年台風第4号|台風4号]]のため[[アンカレッジ]]で一時降機してウェストウッド・ホテルで休養したため、予定より11時間ほど遅れて6月29日の午前3時39分に[[東京国際空港|羽田空港]]に到着した。羽田空港到着時には、早朝にもかかわらず集まった大勢の報道陣やファンが待つ中、日本航空ののロゴと[[鶴丸]]のついた[[法被]]を着てタラップを降り、警察の護衛をつけたリムジンでホテル(東京ヒルトンホテル[後の[[キャピトル東急ホテル]]])へ[[首都高速]]経由で向かった。29日午後にはホテル内で記者会見を開き、夜には[[東芝音楽工業]]の[[高嶋弘之]]に連れられた加山雄三と[[すき焼き]]を食した<ref>「POPS」1966年8月号の特集「熱狂の三十五分」P31</ref>。

[[1966年]]に来日し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220922-UIQN32M3BVIFJAGCSE3DT2V55A/|title=ビートルズ来日映像公開へ 警備状況やファン写る|publisher=産経ニュース|date=2022-09-22|accessdate=2022-09-22}}</ref>6月30日から7月2日にかけてビートルズ唯一の日本公演が行われた<ref group="注釈">朝日新聞社編『ビートルズの社会学』([[朝日文庫]])など多くの本が出版されている。この中で[[遠藤周作]]は「高校野球が終って選手たちが泣けば大人は感動するが、ビートルズが終って少女たちが泣けばおかしいと言う。少しもおかしくはない。原理は同じだ。いいじゃないか」と書いている。</ref>。[[日本航空]]JL412便、[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]][[ダグラス DC-8|DC-8]]-53型機(JA8008、松島号)で前の公演地のハンブルクからロンドンを経由したビートルズは、[[昭和41年台風第4号|台風4号]]のため[[アラスカ州]][[アンカレッジ]]で一時降機してウェストウッド・ホテルで休養したため、予定より11時間ほど遅れて6月29日の午前3時39分に[[東京国際空港|羽田空港]]に到着した。羽田空港到着時には、早朝にもかかわらず集まった大勢の報道陣やファンが待つ中、日本航空ののロゴと[[鶴丸]]のついた[[法被]]を着てタラップを降り、警察の護衛をつけたリムジンでホテル(東京ヒルトンホテル[後の[[キャピトル東急ホテル]]])へ[[首都高速]]経由で向かった。29日午後にはホテル内で記者会見を開き、夜には[[東芝音楽工業]]の[[高嶋弘之]]に連れられた加山雄三と[[すき焼き]]を食した<ref>「POPS」1966年8月号の特集「熱狂の三十五分」P31</ref>。



公演は6月30日夜および7月1日昼夜・2日昼夜{{Sfn|Beatles|2000|p=218}}<ref>{{Cite web|和書| url=http://music-calendar.jp/2017062901| title=51年前の今日、ビートルズが初来日。武道館公演の全曲完全解説 | work=[[大人のMusic Calender]] | accessdate=2020-7-5}}</ref> に催行(計5回)し、会場はすべて[[東京都]][[千代田区]]の[[日本武道館]]。7月1日の昼の部に収録された映像は、当日夜に[[ザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)|テレビ番組]]で放送された。

公演は6月30日夜および7月1日昼夜・2日昼夜{{Sfn|Beatles|2000|p=218}}<ref>{{Cite web|和書| url=http://music-calendar.jp/2017062901| title=51年前の今日、ビートルズが初来日。武道館公演の全曲完全解説 | work=[[大人のMusic Calender]] | accessdate=2020-7-5}}</ref> に催行(計5回)し、会場はすべて[[東京都]][[千代田区]]の[[日本武道館]]。7月1日の昼の部に収録された映像は、当日夜に[[ザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)|テレビ番組]]で放送された。

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3日間の公演の総観客数は5万人とも2万5千人ともいわれる<ref>「ウィズ・ザ・ビートルズ」松村雄作 小学館</ref>。3日の午前10時44分に、大勢の報道陣に囲まれながら日本航空のダグラスDC-8-53型(JA8006、鎌倉号)で、経由地の香港に向けて離日する。

3日間の公演の総観客数は5万人とも2万5千人ともいわれる<ref>「ウィズ・ザ・ビートルズ」松村雄作 小学館</ref>。3日の午前10時44分に、大勢の報道陣に囲まれながら日本航空のダグラスDC-8-53型(JA8006、鎌倉号)で、経由地の香港に向けて離日する。



[[警視庁]]では警備状況を[[16ミリフィルム]]のモノクロ映像(音声なし)として記録しており、これには演奏が改善された最終日の公演映像などが含まれていることから、2014年にNPO法人の情報公開市民センターが情報公開請求を出したが、「警備手法が明らかになる」として非開示となっていた<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=ビートルズ 1966年の来日 新たな映像公開 警備や最終公演記録 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220925/k10013835751000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-09-25 |last=日本放送協会}}</ref>。2015年に再度請求した結果、ビートルズのメンバー以外の顔をぼかした状態で開示が決まり、2022年に加工された映像が公開された<ref name=":0" />。映像は[[全国市民オンブズマン連絡会議]]が[[YouTube]]で公開している<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20220924/k00/00m/040/266000c#:~:text=%E8%8B%B1%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%81%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%8C,%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82|title=ビートルズの「幻の来日動画」がついに公開 最終日の演奏シーンも|publisher=毎日新聞|date=2022-09-25|accessdate=2022-09-25}}</ref>。


[[]][[16]]2014NPO<ref name=":0">{{Cite web||title= 1966   {{!}} NHK |url=https://web.archive.org/web/20220924204902/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220925/k10013835751000.html |website=NHK |access-date=2022-09-25 |last=}}</ref>20152022<ref name=":0" />[[]][[YouTube]]<ref>{{Cite web||url=https://mainichi.jp/articles/20220924/k00/00m/040/266000c#:~:text=%E8%8B%B1%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%81%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%8C,%E5%9B%9E%E5%85%AC%E6%BC%94%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82|title= |publisher=|date=2022-09-25|accessdate=2022-09-25}}</ref>


==== フィリピン事件 ====

==== フィリピン事件 ====

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=== レコーディング・アーティストへの移行 ===

=== レコーディング・アーティストへの移行 ===

これまでのビートルズの世界各国を巡る活動は、1966年8月29日の[[サンフランシスコ]]・[[キャンドルスティック・パーク]]での公演を以て終了した{{Sfn|Beatles|2000|pp=228-229}}<ref group="注釈">テレビ出演時のライブ演奏や[[ゲット・バック・セッション]]の一環として行なわれた[[ルーフトップ・コンサート]]などは除く。</ref>。

これまでのビートルズの世界各国を巡る活動は、1966年8月29日[[キャンドルスティック・パーク]]にて開催されたサンフランシスコ公演を以て終了した{{Sfn|Beatles|2000|pp=228-229}}<ref group="注釈">テレビ出演時のライブ演奏や[[ゲット・バック・セッション]]の一環として行なわれた[[ルーフトップ・コンサート]]などは除く。</ref>。




1965{{Sfn|Beatles|2000|p=163}}{{Sfn|Beatles|2000|p=199}}調<ref></ref>[[Public Address|PA]]1965815100[[]]30使{{Sfn|Beatles|2000|p=184}}{{Refnest|group=""|1973[[]]PA25600{{Sfn||1977|pp=208-209}}}}{{Sfn|Beatles|2000|p=227}}{{Sfn|Beatles|2000|p=229}}

1965{{Sfn|Beatles|2000|p=163}}{{Sfn|Beatles|2000|p=199}}調<ref></ref>[[Public Address|PA]]1965815100[[]]30使{{Sfn|Beatles|2000|p=184}}{{Refnest|group=""|1973[[]]PA25600{{Sfn||1977|pp=208-209}}}}{{Sfn|Beatles|2000|p=227}}{{Sfn|Beatles|2000|p=229}}
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=== サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドからホワイト・アルバムまで ===

=== サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドからホワイト・アルバムまで ===


19669[[ ]]使[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=231}}[[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=233}}11<ref group="">[[]]</ref> {{Sfn|Beatles|2000|p=235}}[[]]

19669[[ ]]使[[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=231}}[[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|p=233}}11<ref group="">[[]]</ref> {{Sfn|Beatles|2000|p=235}}[[]]


同月、ツアー終了後初めてアビー・ロード・スタジオに集合し「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「[[ホエン・アイム・シックスティ・フォー]]」「[[ペニー・レイン (代表的なトピック)|ペニー・レイン]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」などを録音。これらの曲は当初、次のアルバムに収録する予定だったが{{Sfn|Beatles|2000|p=237}}、キャピトル側がシングルの早期発売を要請してきたため<ref name="compleat"/>、この内の2曲を先行してシングル発売することになった。

同月、ツアー終了後初めてアビー・ロード・スタジオに集合し「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「[[ホエン・アイム・シックスティ・フォー]]」「[[ペニー・レイン (代表的なトピック)|ペニー・レイン]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」などを録音。これらの曲は当初、次のアルバムに収録する予定だったが{{Sfn|Beatles|2000|p=237}}、キャピトル側がシングルの早期発売を要請してきたため<ref name="compleat"/>、この内の2曲を先行してシングル発売することになった。

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1967年2月、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」が両A面シングルとして発売。レコーディングは引き続き行われ、6月1日にはイギリスでアルバム『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (代表的なトピック)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』が発売される。このアルバムは当時のポピュラー音楽界の枠を超えて多大な文化的影響を与えたと言われている。同月25日、3億人が視聴した{{Sfn|Beatles|2000|p=257}}世界同時衛星中継番組『[[われらの世界]]』に出演し、「[[愛こそはすべて]]」を披露する。同曲は7月にシングル発売された。

1967年2月、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」が両A面シングルとして発売。レコーディングは引き続き行われ、6月1日にはイギリスでアルバム『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (代表的なトピック)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』が発売される。このアルバムは当時のポピュラー音楽界の枠を超えて多大な文化的影響を与えたと言われている。同月25日、3億人が視聴した{{Sfn|Beatles|2000|p=257}}世界同時衛星中継番組『[[われらの世界]]』に出演し、「[[愛こそはすべて]]」を披露する。同曲は7月にシングル発売された。




8[[]]{{||en|Haight-Ashbury}}[[]][[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=233,259}}8243[[]][[ ()|]]274[[]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=264-270}}

8{{||en|Haight-Ashbury}}[[]][[]][[]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=233,259}}8243[[]][[ ()|]]274[[]]{{Sfn|Beatles|2000|pp=264-270}}


9月{{Sfn|Beatles|2000|p=274}}からテレビ映画『[[マジカル・ミステリー・ツアー (映画)|マジカル・ミステリー・ツアー]]』の撮影が行われ、年末に[[英国放送協会|BBC]]で放映される。[[マジカル・ミステリー・ツアー (代表的なトピック)|同作のサウンドトラック]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->は、11月にアメリカでコンピレーション形式のLP盤<ref group="注釈">発売当時のアメリカにおいて、EP盤方式が廃れていたことにより、A面にサウンドトラック6曲を収録し、B面にシングルとして発売されていた5曲を収録したLP盤として発売。後のCD化ではこちらのLP盤が採用された。</ref>、12月にイギリスでEP盤が発売される。

9月{{Sfn|Beatles|2000|p=274}}からテレビ映画『[[マジカル・ミステリー・ツアー (映画)|マジカル・ミステリー・ツアー]]』の撮影が行われ、年末に[[英国放送協会|BBC]]で放映される。[[マジカル・ミステリー・ツアー (代表的なトピック)|同作のサウンドトラック]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->は、11月にアメリカでコンピレーション形式のLP盤<ref group="注釈">発売当時のアメリカにおいて、EP盤方式が廃れていたことにより、A面にサウンドトラック6曲を収録し、B面にシングルとして発売されていた5曲を収録したLP盤として発売。後のCD化ではこちらのLP盤が採用された。</ref>、12月にイギリスでEP盤が発売される。

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1968年1月、ハリスンがインドの[[ボンベイ]]で『[[不思議の壁 (アルバム)|不思議の壁]]』を録音。{{仮リンク|ワンダーウォール (映画)|label=同名映画|en|Wonderwall (film)}}のサウンドトラックで11月に発売された。その後メンバー全員で[[リシケーシュ]]のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義に参加。その間にニール・アスピノールと{{仮リンク|デレク・テイラー|en|Derek Taylor}}の主導で[[アップル・コア]]の設立準備を行う{{Sfn|Beatles|2000|p=287}}。5月、ニューヨークでレノンとマッカートニーがアップル・コア設立の記者会見を行う。7月{{Sfn|Beatles|2000|p=292}}、アニメーション映画『[[イエロー・サブマリン (映画)|イエロー・サブマリン]]』を公開。

1968年1月、ハリスンがインドの[[ボンベイ]]で『[[不思議の壁 (アルバム)|不思議の壁]]』を録音。{{仮リンク|ワンダーウォール (映画)|label=同名映画|en|Wonderwall (film)}}のサウンドトラックで11月に発売された。その後メンバー全員で[[リシケーシュ]]のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義に参加。その間にニール・アスピノールと{{仮リンク|デレク・テイラー|en|Derek Taylor}}の主導で[[アップル・コア]]の設立準備を行う{{Sfn|Beatles|2000|p=287}}。5月、ニューヨークでレノンとマッカートニーがアップル・コア設立の記者会見を行う。7月{{Sfn|Beatles|2000|p=292}}、アニメーション映画『[[イエロー・サブマリン (映画)|イエロー・サブマリン]]』を公開。



8月、レノンと妻のシンシアの関係が[[オノ・ヨーコ]]により険悪になったことから、夫妻の息子である[[ジュリアン・レノン|ジュリアン]]にマッカートニーが伝えようとしたメッセージが元になった{{Sfn|Beatles|2000|p=297}}シングル『[[ヘイ・ジュード]]』が発売される。11月、初の2枚組アルバム『[[ザ・ビートルズ (アルバム)|ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)]]』が発売<ref group="注釈">本作では[[クリス・トーマス]]がアシスタント・プロデューサーとして参加している。</ref>。

8月、レノンと妻のシンシアの関係が[[オノ・ヨーコ]]により険悪になったことから、夫妻の息子である[[ジュリアン・レノン]]にマッカートニーが伝えようとしたメッセージが元になった{{Sfn|Beatles|2000|p=297}}シングル『[[ヘイ・ジュード]]』が発売される。11月、初の2枚組アルバム『[[ザ・ビートルズ (アルバム)|ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)]]』が発売<ref group="注釈">本作では[[クリス・トーマス]]がアシスタント・プロデューサーとして参加している。</ref>。



==== アップル・コア ====

==== アップル・コア ====

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その後、アップル・コアの財政が危機に陥り、マネージャーの決定を巡ってメンバー間で対立が起こる。マッカートニーは恋人の[[リンダ・マッカートニー|リンダ・イーストマン]]の父リー・イーストマンを推したが、他の3人は[[アラン・クレイン]]を推した{{Sfn|Beatles|2000|pp=324-327}}。3月12日にマッカートニーがリンダと結婚。同日、ハリスンの自宅を警察が大麻所持の容疑で捜索。同月20日、レノンはかねてから愛人関係にあったオノとジブラルタルで結婚式を挙げる。

その後、アップル・コアの財政が危機に陥り、マネージャーの決定を巡ってメンバー間で対立が起こる。マッカートニーは恋人の[[リンダ・マッカートニー|リンダ・イーストマン]]の父リー・イーストマンを推したが、他の3人は[[アラン・クレイン]]を推した{{Sfn|Beatles|2000|pp=324-327}}。3月12日にマッカートニーがリンダと結婚。同日、ハリスンの自宅を警察が大麻所持の容疑で捜索。同月20日、レノンはかねてから愛人関係にあったオノとジブラルタルで結婚式を挙げる。



4月、[[アビー・ロード・スタジオ]]にてアルバム『[[アビイ・ロード]]』の制作を開始(発売は9月)。8月8日午前10時頃に『アビイ・ロード』の[[ディスクジャケットの]]写真撮影が行われた。当日は暑かったためマッカートニーはスーツにサンダル履きという姿で現場に出向いており、実際にサンダルを履いて横断歩道を渡るカットも撮影された{{Sfn|Beatles|2000|pp=341-343}}。22日、レノンの新しい自宅にて全員が揃った最後の写真が撮影された。

4月、[[アビー・ロード・スタジオ]]にてアルバム『[[アビイ・ロード]]』の制作を開始(発売は9月)。8月8日午前10時頃に『アビイ・ロード』の[[ディスクジャケットの]]写真撮影が行われた。当日は暑かったためマッカートニーはスーツにサンダル履きという姿で現場に出向いており、実際にサンダルを履いて横断歩道を渡るカットも撮影された{{Sfn|Beatles|2000|pp=341-343}}。22日、レノンの新にて全員が揃った最後の写真が撮影された。



9月、レノンとオノが結成した[[プラスティック・オノ・バンド]]が[[カナダ]][[オンタリオ州]][[トロント]]で公演を開催。ハリスンはメンバーに誘われた{{Sfn|Beatles|2000|p=347}}が辞退し、[[エリック・クラプトン]]が参加した。レノンが帰国した後の9月末、アップルで今後の活動に関する会議が行われた小規模なギグから公演を再開するというマッカートニーの提案にレノンが「お前はアホか。俺は辞める」と述べた。しかしアラン・クレインはレノンの意向を公表しなかった{{Sfn|Beatles|2000|p=347}}。1970年4月10日にマッカートニーがビートルズ脱退を表明し、ビートルズは事実上解散となった。

9月、レノンとオノが結成した[[プラスティック・オノ・バンド]]が[[カナダ]][[オンタリオ州]][[トロント]]で公演を開催。ハリスンはメンバーに誘われた{{Sfn|Beatles|2000|p=347}}が辞退し、[[エリック・クラプトン]]が参加した。レノンが帰国した後の9月末、アップルで今後の活動に関する会議が行われた小規模なギグから公演を再開するというマッカートニーの提案にレノンが「お前はアホか。俺は辞める」と述べた。しかしアラン・クレインはレノンの意向を公表しなかった{{Sfn|Beatles|2000|p=347}}。1970年4月10日にマッカートニーがビートルズ脱退を表明し、ビートルズは事実上解散となった。

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マッカートニーの提案{{Sfn|Beatles|2000|p=315}}による[[ゲット・バック・セッション]]は、1969年1月2日から31日にかけて行われた。このセッションは新アルバムの制作作業に加え、スタジオでの練習をすべて撮影し、その模様を[[ドキュメンタリー]]にして放送、そして新曲を披露する公演を行うという企画であった。撮影された映像は後に編集されて、映画『[[レット・イット・ビー (映画)|レット・イット・ビー]]』として公開されることになる。

マッカートニーの提案{{Sfn|Beatles|2000|p=315}}による[[ゲット・バック・セッション]]は、1969年1月2日から31日にかけて行われた。このセッションは新アルバムの制作作業に加え、スタジオでの練習をすべて撮影し、その模様を[[ドキュメンタリー]]にして放送、そして新曲を披露する公演を行うという企画であった。撮影された映像は後に編集されて、映画『[[レット・イット・ビー (映画)|レット・イット・ビー]]』として公開されることになる。




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映画の公開と合わせたため{{Sfn|Beatles|2000|p=322}}、アルバムが発売された頃にはゲット・バック・セッションから1年以上経っていた。一方、『アビイ・ロード』は従来通りメンバーとジョージ・マーティンが[[アビー・ロード・スタジオ]]で制作した作品であり、完成した翌月に発売された。この件について、スターは「世の中がどれ程よじれているかが分かる出来事だ。映画は僕やジョンやポールが編集した方がずっと面白いものが出来ただろう」と述べている{{Sfn|Beatles|2000|p=322}}。

映画の公開と合わせたため{{Sfn|Beatles|2000|p=322}}、アルバムが発売された頃にはゲット・バック・セッションから1年以上経っていた。一方、『アビイ・ロード』は従来通りメンバーとジョージ・マーティンが[[アビー・ロード・スタジオ]]で制作した作品であり、完成した翌月に発売された。この件について、スターは「世の中がどれ程よじれているかが分かる出来事だ。映画は僕やジョンやポールが編集した方がずっと面白いものが出来ただろう」と述べている{{Sfn|Beatles|2000|p=322}}。

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== 解散後 ==

== 解散後 ==

=== 1970年代 ===

=== 1970年代 ===


19718[[]][[]]1972[[15]]

19718[[]][[]]1972[[15]]


1973年、アップル・レコードより2枚組ベストアルバム『[[ザ・ビートルズ1962年〜1966年]]』(赤盤)と『[[ザ・ビートルズ1967年〜1970年]]』(青盤)がリリース。赤盤がビルボードのアルバムチャートで3位、青盤が1位を獲得した。日本のオリコンでは赤盤が7月9日付けで1位、1973年度の洋楽年間チャート1位となっている{{Refnest|group="注釈"|なお本作は、ビートルズの[[海賊版|海賊盤]]の中でもかなり有名だったベスト盤『αΩ(アルファ・オメガ)』(4枚組・全59曲)の対策として企画された公式のベストアルバムである<ref>{{Cite web|和書|title=赤と青の聖典(バイブル) |url=http://www.emimusic.jp/beatles/special/2010.htm |website=SoundTown |publisher=[[EMIミュージック・ジャパン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100911002229/http://www.emimusic.jp/beatles/special/2010.htm |archivedate=2010-09-11 |deadlinkdate=2020年6月 }}</ref>。}}。

1973年、アップル・レコードより2枚組ベストアルバム『[[ザ・ビートルズ1962年〜1966年]]』(赤盤)と『[[ザ・ビートルズ1967年〜1970年]]』(青盤)が発売される。赤盤がビルボードのアルバムチャートで3位、青盤が1位を獲得した。日本のオリコンでは赤盤が7月9日付けで1位、1973年度の洋楽年間チャート1位となっている{{Refnest|group="注釈"|なお本作は、ビートルズの[[海賊版|海賊盤]]の中でもかなり有名だったベスト盤『αΩ(アルファ・オメガ)』(4枚組・全59曲)の対策として企画された公式のベストアルバムである<ref>{{Cite web|和書|title=赤と青の聖典(バイブル) |url=http://www.emimusic.jp/beatles/special/2010.htm |website=SoundTown |publisher=[[EMIミュージック・ジャパン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100911002229/http://www.emimusic.jp/beatles/special/2010.htm |archivedate=2010-09-11 |deadlinkdate=2020年6月 }}</ref>。}}。



またこの年は世界各国でビートルズの[[リバイバル]]ブームが起こり、『[[タイム (雑誌)|タイム]]』や『[[ニューズウィーク]]』などでビートルズが取り上げられた<ref>二見書房刊『ビートルズの復活』(庄司英樹著・1974年)あとがきより。</ref>。更に同年11月にリリースされたスターのアルバム『[[リンゴ (アルバム)|リンゴ]]』では、他の3人が楽曲提供を行ったほか、レコーディングに参加したことでも話題となった。

またこの年は世界各国でビートルズの[[リバイバル]]ブームが起こり、『[[タイム (雑誌)|タイム]]』や『[[ニューズウィーク]]』などでビートルズが取り上げられた<ref>二見書房刊『ビートルズの復活』(庄司英樹著・1974年)あとがきより。</ref>。更に同年11月にリリースされたスターのアルバム『[[リンゴ (アルバム)|リンゴ]]』では、他の3人が楽曲提供を行ったほか、録音に参加したことでも話題となった。



=== 1980年代 ===

=== 1980年代 ===

1980年12月8日(米国東部時間)[[ジョン・レノンの殺害|レノンがニューヨークの自宅前で射殺された]]。 翌年1981年にハリスンが発表したレノンの追悼曲「[[過ぎ去りし日々]]」にはスターがドラムス、マッカートニー率いるバンド・[[ウイングス]]のメンバーがコーラスとして参加。本曲はレノンの死後初めて他メンバーが共演した作品となった{{Efn|但し、3人が一緒にレコーディングしたものではない。元々スターのアルバム『[[バラの香りを]]』に収録するはずだったがお蔵入りしたものにハリスンが新しい歌詞のボーカルと、マッカートニーがリンダとデニー・レインとともにバッキングボーカルをオーバーダビングした。}}。

1980年12月8日(米国東部時間)[[ジョン・レノンの殺害|レノンがニューヨークの自宅前で射殺された]]。 翌年1981年にハリスンが発表したレノンの追悼曲「[[過ぎ去りし日々]]」にはスターがドラムス、マッカートニー率いるバンド・[[ウイングス]]のメンバーがコーラスとして参加。本曲はレノンの死後初めて他メンバーが共演した作品となった{{Efn|但し、3人が一緒に録音したものではない。元々スターのアルバム『[[バラの香りを]]』に収録するはずだったがお蔵入りしたものにハリスンが新しい歌詞のボーカルと、マッカートニーがリンダとデニー・レインとともにバッキングボーカルをオーバーダビングした。}}。



1985年、『[[ギネス世界記録|ギネス・ワールド・レコーズ]]』が「世界でのビートルズのレコード、テープの総売り上げが10億枚以上」と認定した<ref group="注釈">[[ギネス世界記録]]のサイトでは2001年3月19日を達成日として10億枚を超えると推定されている。{{cite web | url=https://guinnessworldrecords.jp/world-records/best-selling-group| title=Best-selling group | publisher=ギネスワールドレコーズジャパン |accessdate=2020-12-31|date=2001-3-19|language=en}}</ref>。

1985年、『[[ギネス世界記録|ギネス・ワールド・レコーズ]]』が「世界でのビートルズのレコード、テープの総売り上げが10億枚以上」と認定した<ref group="注釈">[[ギネス世界記録]]のサイトでは2001年3月19日を達成日として10億枚を超えると推定されている。{{cite web | url=https://guinnessworldrecords.jp/world-records/best-selling-group| title=Best-selling group | publisher=ギネスワールドレコーズジャパン |accessdate=2020-12-31|date=2001-3-19|language=en}}</ref>。



1987年2月26日、ビートルズの作品がCD化され正式にリリースされた<ref group="注釈">この日に発売されたCDは『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ハード・デイズ・ナイト』『ビートルズ・フォー・セール』といった初期のアルバム4作品。同年中に『マジカル・ミステリー・ツアー』を含む全オリジナルアルバム(13作品)がCDとして発売された。なお、以前に正規のものでない形でCDが発売されたことはあるほか、1983年に日本独自の企画で『アビイ・ロード』がCDとして発売された(その後回収されている)。</ref><ref>{{Cite web2 | first=Jon| last=Pareles| title = NOW ON CD'S, FIRST 4 BEATLES ALBUMS| website = [[ニューヨーク・タイムズ]]| accessdate = 2020-12-25| date = 1987-2-25| location = [[ニューヨーク市]]|language=en| url = https://www.nytimes.com/1987/02/25/arts/now-on-cd-s-first-4-beatles-albums.html?auth=link-dismiss-google1tap}}</ref>。同年3月9日、「[[レノン=マッカートニー]]」がアメリカの「{{仮リンク|ソングライターの殿堂|en|Songwriters Hall of Fame}}」に選ばれた。本来はアメリカ国内のソングライターに対するもので、アメリカ人以外の作曲家としては初の殿堂入りとなった。

1987年2月26日、ビートルズの作品がCD化され正式に発売された<ref group="注釈">この日に発売されたCDは『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『ハード・デイズ・ナイト』『ビートルズ・フォー・セール』といった初期のアルバム4作品。同年中に『マジカル・ミステリー・ツアー』を含む全オリジナルアルバム(13作品)がCDとして発売された。なお、以前に正規のものでない形でCDが発売されたことはあるほか、1983年に日本独自の企画で『アビイ・ロード』がCDとして発売された(その後回収されている)。</ref><ref>{{Cite web2 | first=Jon| last=Pareles| title = NOW ON CD'S, FIRST 4 BEATLES ALBUMS| website = [[ニューヨーク・タイムズ]]| accessdate = 2020-12-25| date = 1987-2-25| location = [[ニューヨーク市]]|language=en| url = https://www.nytimes.com/1987/02/25/arts/now-on-cd-s-first-4-beatles-albums.html?auth=link-dismiss-google1tap}}</ref>。同年3月9日、「[[レノン=マッカートニー]]」がアメリカの「{{仮リンク|ソングライターの殿堂|en|Songwriters Hall of Fame}}」に選ばれた。本来はアメリカ国内の作詞家に対するもので、アメリカ人以外の作曲家としては初の殿堂入りとなった。



=== 1990年代 ===

=== 1990年代 ===

1995年、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』のプロジェクトが開始、同年11月、プロジェクトの一環でコンピレーションアルバム『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー1]]』が発売された。本作にはレノンが遺した未発表のデモテープを元に製作された新曲「[[フリー・アズ・ア・バード]]」や、デビュー前から1964年頃にかけての未発表曲やデモ音源、別テイクが収録され、ビルボードのアルバム・チャートで3週連続1位を獲得している<ref group="注釈">12月9、16、23日。[[:en:List of number-one albums of 1995 (U.S.)|List of number-one albums of 1995 (U.S.)]]を参照。</ref>。翌1996年には『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー2]]』、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー3]]』が発売された

1995年、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』のプロジェクトが開始、同年11月、プロジェクトの一環でコンピレーションアルバム『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー1]]』が発売された。本作にはレノンが遺した未発表のデモ音源を元に製作された新曲「[[フリー・アズ・ア・バード]]」や、デビュー前から1964年頃にかけての未発表曲やデモ音源、別テイクが収録され、ビルボードのアルバム・チャートで3週連続1位を獲得している<ref group="注釈">12月9、16、23日。[[:en:List of number-one albums of 1995 (U.S.)|List of number-one albums of 1995 (U.S.)]]を参照。</ref>。翌1996年には『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー2]]』、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー3]]』が発売された



1999年にはアニメ映画『イエロー・サブマリン』のDVDがサウンドを5.1ch化され再発されたほか、映画で使用された楽曲に最新のリミックスなどを施した初のリミックスアルバム『[[イエロー・サブマリン 〜ソングトラック〜]]』が発売された。

1999年にはアニメ映画『イエロー・サブマリン』のDVDがサウンドを5.1ch化され再発されたほか、映画で使用された楽曲に最新のリミックスなどを施した初のリミックスアルバム『[[イエロー・サブマリン 〜ソングトラック〜]]』が発売された。

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2000年10月、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』の書籍版が出版。同年11月、米ビルボードと英ミュージック・ウィークで1位になった27曲を収録したベストアルバム『[[ザ・ビートルズ1]]』が発売。世界34か国で1位を獲得した。

2000年10月、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』の書籍版が出版。同年11月、米ビルボードと英ミュージック・ウィークで1位になった27曲を収録したベストアルバム『[[ザ・ビートルズ1]]』が発売。世界34か国で1位を獲得した。



2001年11月29日、ハリスンが脳腫瘍と肺癌のため死去する。2003年11月、アルバム『[[レット・イット・ビー...ネイキッド]]』が発売。ゲット・バック・セッションで録音された音源に最新のリミックスとリマスタリングを施し、『[[レット・イット・ビー (代表的なトピック)|レット・イット・ビー]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』でマッカートニーが不満を表明していた{{Sfn|Beatles|2000|p=350}}フィル・スペクターによるオーケストラなどの追加部分が削除された。

2001年11月29日、ハリスンが脳腫瘍と肺癌のため[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]で死去する。2003年11月、アルバム『[[レット・イット・ビー...ネイキッド]]』が発売。ゲット・バック・セッションで録音された音源に最新のリミックスとリマスタリングを施し、『[[レット・イット・ビー (代表的なトピック)|レット・イット・ビー]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』でマッカートニーが不満を表明していた{{Sfn|Beatles|2000|p=350}}フィル・スペクターによるオーケストラなどの追加部分が削除された。



2006年11月、人気ミュージカル[[シルク・ドゥ・ソレイユ]]のサウンドトラックとして、リミックスアルバム『[[LOVE (ビートルズのアルバム)|LOVE]]』がリリース。2007年1月、イギリスでビートルズのアルバム・ジャケット画を使用した切手が発売<ref>{{Cite web2 |title=Beatles covers to be on UK stamps |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6212271.stm |website=BBC NEWS |publisher=BBC |date=2006-12-28 |accessdate=2020-02-08}}</ref>。

2006年11月、人気ミュージカル[[シルク・ドゥ・ソレイユ]]のサウンドトラックとして、リミックスアルバム『[[LOVE (ビートルズのアルバム)|LOVE]]』が発売される。2007年1月、イギリスでビートルズのアルバム・ジャケット画を使用した切手が発売<ref>{{Cite web2 |title=Beatles covers to be on UK stamps |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/6212271.stm |website=BBC NEWS |publisher=BBC |date=2006-12-28 |accessdate=2020-02-08}}</ref>。



2009年9月9日、イギリス盤オリジナル・アルバム12作と米編集『マジカル・ミステリー・ツアー』、『パスト・マスターズ』のCDが新たにリマスタリングされたステレオ音源で世界同時発売。同日CD BOX『[[ザ・ビートルズ BOX]]』(これらステレオ音源をまとめたもの)に、CD BOX『[[ザ・ビートルズ MONO BOX]]』も発売された<ref>{{Cite web2 |title=「ザ・ビートルズ」が生まれ変わりました。―最新リマスターCDがチャートを席巻!―|ユニバーサル ミュージック合同会社のプレスリリース |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000000664.html |website=PR TIMES |publisher=株式会社PR TIMES |date=2009-09-16 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。後者には『ザ・ビートルズ』までのオリジナルアルバムのモノラル音源と2枚組の『[[モノ・マスターズ]]』<ref group="注釈">ステレオ盤の『パスト・マスターズ』に対応したアルバム未収録曲集。</ref> が収録されている。ステレオ・アルバム・ボックスをUSBメモリに収録した『ザ・ビートルズ USB BOX』も発売された。このボックスにはオーディオCDのスペックをしのぐ[[FLAC]] 44.1Khz 24 bitで収録された音源の他、CDブックレット、ボーナスDVDをデータ化したものも収録されている<ref>{{Cite web2 |title=ビートルズのリマスターボックス音源をFLACで収録したUSBメモリが発売 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000055108 |website=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2009-11-09 |accessdate=2020-02-08 }}</ref><ref>{{Cite web2 |title=ザ・ビートルズ、初のUSBメモリ作品登場 |url=https://www.phileweb.com/news/hobby/200911/10/238.html |website=PHILE WEB |publisher=[[音元出版]] |date=2009-11-10 |accessdate=2019-09-21 }}</ref>。

2009年9月9日、イギリス盤オリジナル・アルバム12作と米編集『マジカル・ミステリー・ツアー』、『パスト・マスターズ』のCDが新たにリマスタリングされたステレオ音源で世界同時発売。同日CD BOX『[[ザ・ビートルズ BOX]]』(これらステレオ音源をまとめたもの)に、CD BOX『[[ザ・ビートルズ MONO BOX]]』も発売された<ref>{{Cite web2 |title=「ザ・ビートルズ」が生まれ変わりました。―最新リマスターCDがチャートを席巻!―|ユニバーサル ミュージック合同会社のプレスリリース |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000000664.html |website=PR TIMES |publisher=株式会社PR TIMES |date=2009-09-16 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。後者には『ザ・ビートルズ』までのオリジナルアルバムのモノラル音源と2枚組の『[[モノ・マスターズ]]』<ref group="注釈">ステレオ盤の『パスト・マスターズ』に対応したアルバム未収録曲集。</ref> が収録されている。ステレオ・アルバム・ボックスをUSBメモリに収録した『ザ・ビートルズ USB BOX』も発売された。このボックスにはオーディオCDのスペックをしのぐ[[FLAC]] 44.1Khz 24 bitで収録された音源の他、CDブックレット、ボーナスDVDをデータ化したものも収録されている<ref>{{Cite web2 |title=ビートルズのリマスターボックス音源をFLACで収録したUSBメモリが発売 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000055108 |website=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2009-11-09 |accessdate=2020-02-08 }}</ref><ref>{{Cite web2 |title=ザ・ビートルズ、初のUSBメモリ作品登場 |url=https://www.phileweb.com/news/hobby/200911/10/238.html |website=PHILE WEB |publisher=[[音元出版]] |date=2009-11-10 |accessdate=2019-09-21 }}</ref>。



=== 2010年代 ===

=== 2010年代 ===

2010年、オリジナル作品の[[iTunes]]でのデジタル配信が解禁となる。『[[LOVE (ビートルズのアルバム)|LOVE]]』も2011年2月に配信され、同時にアルバムで1位を獲得した。

2010年、作品の[[iTunes]]でのデジタル配信が解禁される。『[[LOVE (ビートルズのアルバム)|LOVE]]』も2011年2月に配信され、同時にアルバムで1位を獲得した。



2011年6月、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』のリマスター版が配信開始。2013年11月11日『[[オン・エア〜ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2]]』が世界同時発売。2014年1月27日、ビートルズ訪米50周年のトリビュート・コンサート『The Night That Changed America: A Grammy Salute To The Beatles』を開催。ラストではマッカートニーとスターが「[[ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ]]」と「[[ヘイ・ジュード]]」で共演し会場を熱狂させた<ref>{{Cite web2 |title=【2014年グラミー特集】ポール「今夜はジョンとジョージを思い出そう」 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000099409 |website=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2014-01-30 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

2011年6月、『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]』のリマスター版が配信開始。2013年11月11日『[[オン・エア〜ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2]]』が世界同時発売。2014年1月27日、ビートルズ訪米50周年記念公演『The Night That Changed America: A Grammy Salute To The Beatles』を開催。終盤ではマッカートニーとスターが「[[ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ]]」と「[[ヘイ・ジュード]]」で共演した<ref>{{Cite web2 |title=【2014年グラミー特集】ポール「今夜はジョンとジョージを思い出そう」 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000099409 |website=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2014-01-30 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。



2015年11月6日にはリミックスが施された『ザ・ビートルズ1』が、ミュージック・ビデオ集のDVD&Blu-rayとのセットで再発売された<ref>{{Cite web2 |title=ビートルズ初「ベスト&MV集」11・6世界一斉発売 50年を経て4Kで蘇る |url=https://www.oricon.co.jp/news/2059205/full/ |work= ORICON NEWS |publisher=[[オリコン]] |date=2015-09-15 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

2015年11月6日にはリミックスが施された『ザ・ビートルズ1』が、ミュージック・ビデオ集のDVD&Blu-rayとのセットで再発売された<ref>{{Cite web2 |title=ビートルズ初「ベスト&MV集」11・6世界一斉発売 50年を経て4Kで蘇る |url=https://www.oricon.co.jp/news/2059205/full/ |work= ORICON NEWS |publisher=[[オリコン]] |date=2015-09-15 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

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2017年5月27日、[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド#50周年記念アニバーサリー・エディション|『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の発売50周年を記念したボックス]]が発売<ref>{{Cite web2 |title=ビートルズ、『サージェント・ペパーズ』50周年記念エディションの発売が決定 |url=https://nme-jp.com/news/36182/ |website=[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME Japan]] |publisher=BandLab UK Limited. |date=2017-04-05|accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

2017年5月27日、[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド#50周年記念アニバーサリー・エディション|『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の発売50周年を記念したボックス]]が発売<ref>{{Cite web2 |title=ビートルズ、『サージェント・ペパーズ』50周年記念エディションの発売が決定 |url=https://nme-jp.com/news/36182/ |website=[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME Japan]] |publisher=BandLab UK Limited. |date=2017-04-05|accessdate=2020-02-08 }}</ref>。



日本では2017年11月18日〜2018年1月28日の日程で「ビートルズ展」が開催され、武道館公演のプログラムなどのほか日本初公開アイテムを含む約400点を展示されている<ref>{{Cite web2 |title=グラミーミュージアム公認! 米国外で世界初のビートルズ展覧会が日本で初開催! 2017年11月18日(土)〜18年1月28日(日)有楽町インフォス |url=https://www.atpress.ne.jp/news/142041 |website=@Press |publisher=[[ソーシャルワイヤー]] |date=2017-11-07 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

日本では2017年11月18日〜2018年1月28日の日程で「ビートルズ展」が開催され、日本公演のプログラムなどのほか日本初公開アイテムを含む約400点を展示されている<ref>{{Cite web2 |title=グラミーミュージアム公認! 米国外で世界初のビートルズ展覧会が日本で初開催! 2017年11月18日(土)〜18年1月28日(日)有楽町インフォス |url=https://www.atpress.ne.jp/news/142041 |website=@Press |publisher=[[ソーシャルワイヤー]] |date=2017-11-07 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。



2018年11月9日、[[ザ・ビートルズ (アルバム)#50周年記念アニバーサリー・エディション|『ザ・ビートルズ』の発売50周年を記念したボックス]]が発売<ref>{{Cite web2|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000160099 |title=ザ・ビートルズ、ホワイト・アルバム50周年記念盤が登場 |website=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2018-09-25 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

2018年11月9日、[[ザ・ビートルズ (アルバム)#50周年記念アニバーサリー・エディション|『ザ・ビートルズ』の発売50周年を記念したボックス]]が発売<ref>{{Cite web2|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000160099 |title=ザ・ビートルズ、ホワイト・アルバム50周年記念盤が登場 |website=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2018-09-25 |accessdate=2020-02-08 }}</ref>。

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2021年11月25日、ドキュメンタリー映画『[[ザ・ビートルズ: Get Back]]』が[[Disney+]]で配信開始<ref>{{Cite web|和書|first=Paul |last=Sexton |title=ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:Get Back』予告編と写真が公開 |url=https://www.udiscovermusic.jp/news/beatles-get-back-docuseries-official-trailer |website=uDiscovermusic.jp |publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN |date=2021-10-14 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。

2021年11月25日、ドキュメンタリー映画『[[ザ・ビートルズ: Get Back]]』が[[Disney+]]で配信開始<ref>{{Cite web|和書|first=Paul |last=Sexton |title=ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:Get Back』予告編と写真が公開 |url=https://www.udiscovermusic.jp/news/beatles-get-back-docuseries-official-trailer |website=uDiscovermusic.jp |publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN |date=2021-10-14 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。



2022年1月28日、ライブ・アルバム『[[ルーフトップ・コンサート#『Get Back (Rooftop Performance)』|Get Back (The Rooftop Performance)]]』が各種ストリーミングサービスで配信開始<ref>{{Cite web|和書|first=Kevin |last=Howlett |title=ザ・ビートルズの「ルーフトップ・コンサート」完全解説 |url=https://www.udiscovermusic.jp/stories/get-back-the-beatles-rooftop-performance-full-audio-feature |website=uDiscovermusic.jp |publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN |date=2021-10-14 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。このアルバムはライブの音声のみ収録され、警察などの音声はカットされている。同年2月9日から5日間限定でルーフトップ・コンサートを劇場公開用に編集した『[[ルーフトップ・コンサート#『ザ・ビートルズ: Get Back (Rooftop Performance)』|ザ・ビートルズ: Get Back (Rooftop Performance)]]』を全国の[[IMAX]]シアターで上映され<ref>{{Cite web|和書|title=『ザ・ビートルズ:Get Back-ザ・ルーフトップ・コンサート』告知ポスターの発売が決定 |url=https://www.musiclifeclub.com/news/20220202_03.html |website=MUSIC LIFE CLUB |publisher=シンコーミュージック・エンタテインメント |date=2022-02-02 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>、後にアンコール上映も行なわれた<ref>{{Cite web|和書|title=再追加上映が決定! 『ザ・ビートルズ Get Back : ルーフトップ・コンサート』延長上映、明日3/4(金)より全国35のIMAXシアターにて! |url=https://www.musiclifeclub.com/news/20220303_09.html |website=MUSIC LIFE CLUB |publisher=シンコーミュージック・エンタテインメント |date=2022-03-03 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。

2022年1月28日、ライブ・アルバム『[[ルーフトップ・コンサート#『Get Back (Rooftop Performance)』|Get Back (The Rooftop Performance)]]』が各種ストリーミングサービスで配信開始<ref>{{Cite web|和書|first=Kevin |last=Howlett |title=ザ・ビートルズの「ルーフトップ・コンサート」完全解説 |url=https://www.udiscovermusic.jp/stories/get-back-the-beatles-rooftop-performance-full-audio-feature |website=uDiscovermusic.jp |publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN |date=2021-10-14 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。このアルバムはメンバーの音声のみ収録、警察などの音声を削除している。同年2月9日から5日間限定でルーフトップ・コンサートを劇場公開用に編集した『[[ルーフトップ・コンサート#『ザ・ビートルズ: Get Back (Rooftop Performance)』|ザ・ビートルズ: Get Back (Rooftop Performance)]]』を全国の[[IMAX]]シアターで上映され<ref>{{Cite web|和書|title=『ザ・ビートルズ:Get Back-ザ・ルーフトップ・コンサート』告知ポスターの発売が決定 |url=https://www.musiclifeclub.com/news/20220202_03.html |website=MUSIC LIFE CLUB |publisher=シンコーミュージック・エンタテインメント |date=2022-02-02 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>、後にアンコール上映も行なわれた<ref>{{Cite web|和書|title=再追加上映が決定! 『ザ・ビートルズ Get Back : ルーフトップ・コンサート』延長上映、明日3/4(金)より全国35のIMAXシアターにて! |url=https://www.musiclifeclub.com/news/20220303_09.html |website=MUSIC LIFE CLUB |publisher=シンコーミュージック・エンタテインメント |date=2022-03-03 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。



2023年11月2日、レノンが遺した未発表楽曲「[[ナウ・アンド・ゼン (ジョン・レノンの曲)|ナウ・アンド・ゼン]]」に生前のハリスン、そして新たにマッカートニーとスターらがオーバーダビングを加えたうえで、最新の技術でミックスを行い「ビートルズ最後の新曲」として発売した。

2023年11月2日、レノンが遺した未発表楽曲「[[ナウ・アンド・ゼン (ジョン・レノンの曲)|ナウ・アンド・ゼン]]」に生前のハリスン、そして新たにマッカートニーとスターらがオーバーダビングを加えたうえで、最新の技術でミックスを行い「ビートルズ最後の新曲」として発売した。

また、11月10日、ベスト・アルバム『[[ザ・ビートルズ1962年〜1966年]]』(通称「赤盤」)、『[[ザ・ビートルズ1967年〜1970年]]』(通称「青盤」)の2枚が2023年の最新エディションとして再発された。両アルバムとも新曲を含む楽曲を追加、スペシャルエディションで発売されたリミックス音源はそのままに、その他は最新リミックスを施した全曲ミックス音源で再発売される<ref>{{cite web |url=https://tower.jp/article/feature_item/2023/10/27/0103|title=The Beatles(ザ・ビートルズ)|最後の新曲「Now & Then」&ベスト・アルバム『赤盤』『青盤』2023エディションが発売|publisher=TOWER RECORDS |date=2023-10-27|accessdate=2023-10-29}}</ref><ref>{{cite web|url=https://amass.jp/170705/|title=ビートルズ最後の新曲「Now And Then」は11月2日発売 曲数追加の『赤盤』『青盤』も発売決定|publisher=amass|date=2023-10-26|accessdate=2023-10-29}}</ref>。11月、全英シングルチャートで1位を獲得。1969年の「[[ジョンとヨーコのバラード]]」以来54年ぶりに全英のシングルチャートで1位を獲得し[[ケイト・ブッシュ]]が保持していた44年ぶり1位の記録を塗り替えた。また1963年の「フロム・ミー・トゥ・ユー」以来、最初と最新の1位の期間が最も長いアーティストとしてもこれまでの記録の[[エルヴィス・プレスリー]]の47年6ヶ月を塗り替えた<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2302218/ |title=ビートルズ、最後の新曲で54年ぶり全英1位 ポール&リンゴが喜びのコメント「感動的」 |publisher=ORICON NEWS|date=2023-11-11 |accessdate=2023-11-11}}</ref>。

また、11月10日、ベスト・アルバム『[[ザ・ビートルズ1962年〜1966年]]』(通称「赤盤」)、『[[ザ・ビートルズ1967年〜1970年]]』(通称「青盤」)の2枚が2023年の最新エディションとして再発された。両アルバムとも新曲を含む楽曲を追加、スペシャルエディションで発売されたリミックス音源はそのままに、その他は最新リミックスを施した全曲ミックス音源で再発売される<ref>{{cite web |url=https://tower.jp/article/feature_item/2023/10/27/0103|title=The Beatles(ザ・ビートルズ)|最後の新曲「Now & Then」&ベスト・アルバム『赤盤』『青盤』2023エディションが発売|publisher=TOWER RECORDS |date=2023-10-27|accessdate=2023-10-29}}</ref><ref>{{cite web|url=https://amass.jp/170705/|title=ビートルズ最後の新曲「Now And Then」は11月2日発売 曲数追加の『赤盤』『青盤』も発売決定|publisher=amass|date=2023-10-26|accessdate=2023-10-29}}</ref>。11月、全英シングルチャートで1位を獲得。1969年の「[[ジョンとヨーコのバラード]]」以来54年ぶりに全英のシングルチャートで1位を獲得し[[ケイト・ブッシュ]]が保持していた44年ぶり1位の記録を塗り替えた。また1963年の「フロム・ミー・トゥ・ユー」以来、最初と最新の1位の期間が最も長いアーティストとしてもこれまでの記録の[[エルヴィス・プレスリー]]の47年6ヶ月を塗り替えた<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2302218/ |title=ビートルズ、最後の新曲で54年ぶり全英1位 ポール&リンゴが喜びのコメント「感動的」 |publisher=ORICON NEWS|date=2023-11-11 |accessdate=2023-11-11}}</ref>。




== ディスコグラフィ ==

== ディスコグラフィ ==


2024年6月6日 (木) 20:17時点における最新版

ビートルズ
基本情報
別名
出身地 イングランドの旗 イングランド マージーサイド州リヴァプール[1]
ジャンル
活動期間 1960年 - 1970年
レーベル
共同作業者
公式サイト thebeatles.com
旧メンバー

[ 1]The Beatles19601970201001[7]1001[8]723[9]

195719601962105EMI19704101971"Fab Four"[ 2] [10]

12[ 3] 111111162413011960[ 4]22[ 5] 171CD6[11]196510262MBE[12]

[]


 (The Beatles)[13]19604&[ 6] (beetle=beat=)[ 7] [ 8] [13][ 9]&(Long John & Pieces of Silver)&(Long John & Silver Beatles)(The Silver Beetles)[ 10][13]19608[14]

[]



解散時のメンバー
名前 プロフィール 担当 在籍期間
ジョン・レノン
英語: John Lennon
1940年10月9日 - (1980-12-08) 1980年12月8日(40歳没)
イングランドの旗 イングランド マージーサイド州リヴァプール
ボーカル
リズムギター
リードギター
キーボード
ハーモニカ
ベース
1960年 - 1969年
ポール・マッカートニー
英語: Paul McCartney
(1942-06-18) 1942年6月18日(82歳)
イングランドの旗 イングランド マージーサイド州リヴァプール
ボーカル
ベース
リズムギター
リードギター
キーボード
ドラムス
1960年 - 1970年
ジョージ・ハリスン
英語: George Harrison
1943年2月25日[注釈 11] - (2001-11-29) 2001年11月29日(58歳没)
イングランドの旗 イングランド マージーサイド州リヴァプール
リードギター
ボーカル
リズムギター
シタール
キーボード
ベース
1960年 - 1970年
リンゴ・スター
英語: Ringo Starr
(1940-07-07) 1940年7月7日(83歳)
イングランドの旗 イングランド マージーサイド州リヴァプール
ドラムス
パーカッション
ボーカル
1962年 - 1970年
初期のメンバー
名前 プロフィール 担当 在籍期間
ピート・ベスト
英語: Pete Best
(1941-11-24) 1941年11月24日(82歳)
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国 マドラス管区 マドラス
ドラムス
ボーカル
1960年 - 1962年
スチュアート・サトクリフ
英語: Stuart Sutcliffe
1940年6月23日 - (1962-04-10) 1962年4月10日(21歳没)
スコットランドの旗 スコットランド エディンバラ
ベース
ボーカル
1960年 - 1961年
チャス・ニュービー英語版
英語: Chas Newby
1941年6月18日 - (2023-05-22) 2023年5月22日(81歳没)
イングランドの旗 イングランド ブラックプール
ベース 1960年
ノーマン・チャップマン英語版
英語: Norman Chapman
1937年 - 1995年7月(58歳没)[15] ドラムス 1960年
トミー・ムーア英語版
英語: Tommy Moore
1931年9月12日 - (1981-09-29) 1981年9月29日(50歳没)
イングランドの旗 イングランド マージーサイド州リヴァプール
ドラムス 1960年
ツアー時のメンバー
名前 プロフィール 担当 在籍期間
ジミー・ニコル英語版
英語: Jimmie Nicol
(1939-08-03) 1939年8月3日(84歳) -
イングランドの旗 イングランド ロンドン
ドラムス[注釈 12] 1964年

1957&&621962105退1960119612退196241021196081962816 & 818[ 13]

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[ 14] 1968 ()退[19][ 15] U.S.S.R.[ 16]U.S.S.R.[ 17]

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1963
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アップル・コア[編集]


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20011129200311...[119]

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2010[]


2010iTunesLOVE201121

2011620131111BBC Vol.2201412750The Night That Changed America: A Grammy Salute To The Beatles[124]

20151161DVDBlu-ray[125]

2016385617moraLOVE

201752750[126]

201711182018128400[127]

201811950[128]

201992750104119701311[129]

2020[]


20211015[130]

20211125: Get BackDisney+[131]

2022128Get Back (The Rooftop Performance)[132]295: Get Back (Rooftop Performance)IMAX[133][134]

2023112 1110196219661967197022023[135][136]111196954144119631476[137]

ディスコグラフィ[編集]




[138]

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発売日 邦題 原題 最高位
1963年3月22日 プリーズ・プリーズ・ミー Please Please Me 1
1963年11月22日 ウィズ・ザ・ビートルズ With The Beatles 1
1964年7月10日 ハード・デイズ・ナイト A Hard Day's Night 1
1964年12月4日 ビートルズ・フォー・セール Beatles For Sale 1
1965年8月6日 ヘルプ! Help! 1
1965年12月3日 ラバー・ソウル Rubber Soul 1
1966年8月5日 リボルバー Revolver 1
1967年6月1日 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band 1
1968年11月22日 ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム) The Beatles 1
1969年1月13日 イエロー・サブマリン Yellow Submarine 3
1969年9月26日 アビイ・ロード Abbey Road 1
1970年5月8日 レット・イット・ビー Let It Be 1

シングル(イギリス盤)[編集]

発売日 邦題 原題 最高位
1962年10月5日 A. ラヴ・ミー・ドゥ
B. P.S.アイ・ラヴ・ユー
A. Love Me Do
B. P.S. I Love You
17
1963年1月11日 A. プリーズ・プリーズ・ミー
B. アスク・ミー・ホワイ
A. Please Please Me
B. Ask Me Why
2
1963年4月12日 A. フロム・ミー・トゥ・ユー
B. サンキュー・ガール
A. From Me to You
B. Thank You Girl
1
1963年8月23日 A. シー・ラヴズ・ユー
B. アイル・ゲット・ユー
A. She Loves You
B. I'll Get You
1
1963年11月29日 A. 抱きしめたい
B. ジス・ボーイ
A. I Want To Hold Your Hand
B. This Boy
1
1964年3月20日 A. キャント・バイ・ミー・ラヴ
B. ユー・キャント・ドゥ・ザット
A. Can't Buy Me Love
B. You Can't Do That
1
1964年7月10日 A. ア・ハード・デイズ・ナイト
B. 今日の誓い
A. A Hard Day's Night
B. Things We Said Today
1
1964年11月27日 A. アイ・フィール・ファイン
B. シーズ・ア・ウーマン
A. I Feel Fine
B. She's a Woman
1
1965年4月9日 A. 涙の乗車券
B. イエス・イット・イズ
A. Ticket to Ride
B. Yes It Is
1
1965年7月23日 A. ヘルプ!
B. アイム・ダウン
A. Help!
B. I'm Down
1
1965年12月3日 A. デイ・トリッパー
A. 恋を抱きしめよう (両A面)
A. Day Tripper
A. We Can Work It Out
1
1966年6月10日 A. ペイパーバック・ライター
B. レイン
A. Paperback Writer
B. Rain
1
1966年8月5日 A. イエロー・サブマリン
A. エリナー・リグビー (両A面)
A. Yellow Submarine
A. Eleanor Rigby
1
1967年2月17日 A. ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
A. ペニー・レイン (両A面)
A. Strawberry Fields Forever
A. Penny Lane
2
1967年7月7日 A. 愛こそはすべて
B. ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン
A. All You Need Is Love
B. Baby, You're a Rich Man
1
1967年11月24日 A. ハロー・グッドバイ
B. アイ・アム・ザ・ウォルラス
A. Hello, Goodbye
B. I Am the Walrus
1
1968年3月15日 A. レディ・マドンナ
B. ジ・インナー・ライト
A. Lady Madonna
B. The Inner Light
1
1968年8月30日 A. ヘイ・ジュード
B. レボリューション
A. Hey Jude
B. Revolution
1
1969年4月11日 A. ゲット・バック
B. ドント・レット・ミー・ダウン
A. Get Back
B. Don't Let Me Down
1
1969年5月30日 A. ジョンとヨーコのバラード
B. オールド・ブラウン・シュー
A. The Ballad of John and Yoko
B. Old Brown Shoe
1
1969年10月31日 A. サムシング
A. カム・トゥゲザー (両A面)
A. Something
A. Come Together
4
1970年3月6日 A. レット・イット・ビー
B. ユー・ノウ・マイ・ネーム
A. Let It Be
B. You Know My Name
2

評価と影響[編集]

音楽的評価と影響[編集]


[ 64][140][141]U2[140]1967[ 65][142]196667

[]


221962[143]1&[143][144]

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[140]

196312196414451114100[145][146]&[146][147][148]

[]


[ 66]

 1950[151]

[151][12]!60[152]

R&B[152][153][154][155]

19641DJ[45]21965[156]

[157]

[]


196266101&&21[40]使19668調21[40]19691[111][113]

[]


NEMS[ 67] 196112[ 68]

[ 69] NEMS[158]19621EMI

196681968[103]

[]


/1963宿4,000100[159]

1965MBE[160]863[161]1965[ 70]

西使[162] 

[ 71]

[]

[]


51964!4196519683[103][163]1967BBC

196919701980VHS[164]

20204DVDBlu-ray Disc

[]


1966BBC OneTHE BEATLES/1967ABC

19821982MGM

1995112

2004  U.S.

2012 2013

20169221966EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years

20211125:Get BackDisney+[165][166]2020Meeting the Beatles in India2022923[167]2023127KDDIWOWOW 1966  [168]

1988

[]


19942000/1976 1976 

2011[169] 

2014

2019[170]

[]


MTV[101]

[]



最初の2作品[編集]


196210 / P.S. EMI&Ardmore & Beechwood Ltd.[171]17[171]196312 / DJM) [172]2[172]

[]


1963222[173]DJMNEMS[173][173]DJM5NEMS5[174][175]DJM51%20%1920%910%[173]

MOJO20059[173]

196525001967

ハリソングス[編集]


1964NEMSHarrisongs Ltd.[174]1969[174][174]1968 ()Startling Music Ltd.

ATV[]


19696%ATVATVATV[ 72]ATV

1970410退ATV[176]

1971ATV[177]

[]


1985ATV274750199512ATVATV[178]

[]


2009625[179][180]

20171ATV[ 73]7[181]

EMI&P.S.21978MPL2DJM[182]19861999[182]ATV[183][184]

[]

[]


(LGB) - 196531965319666

(BFC) - 196511966719723

(BCC) - 1966

[]


(CBFC)

(IBFC)

(TBFC)

[]

注釈[編集]



(一)^ [6]

(二)^ ""FabFabulous44The Fab FourThe Fab Faux20125The Fab Five

(三)^ 1967EP2

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