「坂口安吾」の版間の差分

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== 生涯 ==

== 生涯 ==

=== 生い立ち ===

=== 生い立ち ===

1906年(明治39年)10月20日、[[新潟県]][[新潟市]]西大畑通28番戸(現・[[中央区 (新潟市)|中央区]][[西大畑町]]579番地)に、[[憲政本党]]所属の[[衆議院|衆議院議員]]の父・[[坂口仁一郎]](当時45歳)、母・アサ(当時37歳)の五男、13人兄妹の12番目として難産で生まれる<ref name="album"/><ref name="omina"/>。本名「炳五」(へいご)の由来は、「[[丙午]]」年生まれの「五男」に因んだもの。血液型はA型。本籍である新潟県[[中蒲原郡]][[阿賀浦村]]大字[[大安寺 (新潟市)|大安寺]](現・新潟市[[秋葉区]]大安寺)の坂口家の高祖は、碁所の坂口仙得家の末裔という代々の旧家で、「坂口家の[[小判]]を積み上げれば[[五頭山]]の嶺までとどき、[[阿賀野川]]の水が尽きても坂口家の富は尽きぬ」と言われたほどの富豪であり、遠祖・治右衛門(のち甚兵衛)は[[九谷焼]]の陶工であった<ref name="album"/><ref name="nenpukado">「年譜」(文庫版『白痴・二流の人』角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)</ref>。しかし祖父・得七の[[投機]]の失敗により明治以後に没落した。父・仁一郎は政治活動に金銭を注ぎ、炳五の生まれた頃、家は傾きかけていた。邸内の広さは520[[坪]]で、松林の巨木に囲まれた邸宅は母屋と離れを合わせ90坪もある寺のような建物で、裏庭の松林を抜けると[[砂丘]]が広がり、[[日本海]]を見渡せた<ref name="album"/><ref name="ishiomo">坂口安吾「石の思ひ」『光』1946年11月</ref>。祖父・得七は、炳五誕生の10日後、79歳で死去した。

1906年(明治39年)10月20日、[[新潟県]][[新潟市]]西大畑通28番戸(現・[[中央区 (新潟市)|中央区]][[西大畑町]]579番地)に、[[憲政本党]]所属の[[衆議院|衆議院議員]]の父・[[坂口仁一郎]](当時45歳)、母・アサ(当時37歳)の五男、13人兄妹の12番目として難産で生まれる<ref name="album"/><ref name="omina"/>。本名「炳五」(へいご)の由来は、「[[丙午]]」年生まれの「五男」に因んだもの。血液型はA型。本籍である新潟県[[中蒲原郡]][[阿賀浦村]]大字[[大安寺 (新潟市)|大安寺]](現・新潟市[[秋葉区]]大安寺)の坂口家の高祖は、碁所の坂口仙得家の末裔(似た名前の二名の囲碁棋士・[[坂口仙徳]]と[[阪口仙得]]、いずれの末かが不明瞭)という代々の旧家で、「坂口家の[[小判]]を積み上げれば[[五頭山]]の嶺までとどき、[[阿賀野川]]の水が尽きても坂口家の富は尽きぬ」と言われたほどの富豪であり、遠祖・治右衛門(のち甚兵衛)は[[九谷焼]]の陶工であった<ref name="album"/><ref name="nenpukado">「年譜」(文庫版『白痴・二流の人』角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)</ref>。しかし祖父・得七の[[投機]]の失敗により明治以後に没落した。父・仁一郎は政治活動に金銭を注ぎ、炳五の生まれた頃、家は傾きかけていた。邸内の広さは520[[坪]]で、松林の巨木に囲まれた邸宅は母屋と離れを合わせ90坪もある寺のような建物で、裏庭の松林を抜けると[[砂丘]]が広がり、[[日本海]]を見渡せた<ref name="album"/><ref name="ishiomo">坂口安吾「石の思ひ」『光』1946年11月</ref>。祖父・得七は、炳五誕生の10日後、79歳で死去した。




[[ ()|]][[]]1918-1919[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]][[]]<ref name="iwanami">[[]] [[]]2008</ref><ref>[[]][[]]1957[[]]2014</ref>10[[]][[]][[]][[]][[]]︿[[|]][[]]︿[[]]<ref name="ishiomo"/>5[[]]<ref name="omina">[[ ()|]]193512</ref><ref name="ishiomo"/><ref name="ishiomo"/>

[[ ()|]][[]]1918-1919[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]][[]]<ref name="iwanami">[[]] [[]]2008</ref><ref>[[]][[]]1957[[]]2014</ref>10[[]][[]][[]][[]][[]]︿[[|]][[]]︿[[]]<ref name="ishiomo"/>5[[]]<ref name="omina">[[ ()|]]193512</ref><ref name="ishiomo"/><ref name="ishiomo"/>


幼少時の炳五は[[破天荒]]な性格で知られ、ガキ大将として近所の子供を引き連れ、町内や砂丘、[[茱萸]]林、異人池で遊び回り、[[立川文庫]]の『[[猿飛佐助]]』を愛読し[[忍術]]ごっこに興じて忍法を研究していた。炳五の[[従姉妹]]の徳(アサの妹の娘。のちの献吉の妻)によると、ある叔父が「炳五はとてつもなく偉くなるか、とんでもない人間になるか、どちらかだ」と言っていたという<ref name="album"/>{{refnest|group="注釈"|母・アサの兄で、吉田一族の中でもとりわけユダヤ人顔で眼の青い伯父が炳五ににじり寄り、「お前はな、とんでもなく偉くなるかも知れないがな、とんでもなく悪党になるかも知れんぞ、とんでもない悪党に、な」と言った〈薄気味悪さを呪文のやうに覚えてゐる〉と安吾自身も語っている<ref name="ishiomo"/>。}}。小学校での成績は優秀で、ほとんどの科目が10点満点だったが、[[新潟県立新潟高等学校]](現・[[新潟県立新潟高等学校]])に入学すると[[近眼]]で[[黒板]]の字が読めなくなり、[[英語 (教科)|英語]]や[[数学 (教科)|数学]]の成績も下がった。家計は遣り繰りがうまくいかずに[[差押え]]を受けていたため、母から眼鏡を買ってもらえず、炳五はその真相が級友に分かるのが恥ずかしく、ほとんど授業に出なくなる。また横暴な上級生への反抗の気持ちも強く学校を休み、放課後の[[柔道]]などの練習だけ通った。ようやく眼鏡も買ってもらうが、炳五の不注意で黒眼鏡を買ってしまい、友人たちが珍しがって引ったくり、いじっているうちに壊れてしまう。授業が面白くなく、野球漫画を描き、海岸の砂丘の松林で寝転がるなどして過ごし、雨の日は学校近くのパン屋の二階で[[歌留多]]([[小倉百人一首]])に興じる。この頃、[[谷崎潤一郎]]『ある少年の怖れ』などを読む<ref name="ishiomo"/><ref name="album"/>。またこの頃、新潟市のシンボルであった木造の2代目[[萬代橋]]がかけ替えられることが決まり、長い間不思議な悲しみに襲われた<ref>坂口安吾「日本文化私観」(『現代文学』第五巻第三号に掲載)</ref>。

幼少時の炳五は[[破天荒]]な性格で知られ、ガキ大将として近所の子供を引き連れ、町内や砂丘、[[茱萸]]林、異人池で遊び回り、[[立川文庫]]の『[[猿飛佐助]]』を愛読し[[忍術]]ごっこに興じて忍法を研究していた。炳五の[[従姉妹]]の徳(アサの妹の娘。のちの献吉の妻)によると、ある叔父が「炳五はとてつもなく偉くなるか、とんでもない人間になるか、どちらかだ」と言っていたという<ref name="album"/>{{refnest|group="注釈"|母・アサの兄で、吉田一族の中でもとりわけユダヤ人顔で眼の青い伯父が炳五ににじり寄り、「お前はな、とんでもなく偉くなるかも知れないがな、とんでもなく悪党になるかも知れんぞ、とんでもない悪党に、な」と言った〈薄気味悪さを呪文のやうに覚えてゐる〉と安吾自身も語っている<ref name="ishiomo"/>。}}。小学校での成績は優秀で、ほとんどの科目が10点満点だったが、新潟県立新潟学校(現・[[新潟県立新潟高等学校]])に入学すると[[近眼]]で[[黒板]]の字が読めなくなり、[[英語 (教科)|英語]]や[[数学 (教科)|数学]]の成績も下がった。家計は遣り繰りがうまくいかずに[[差押え]]を受けていたため、母から眼鏡を買ってもらえず、炳五はその真相が級友に分かるのが恥ずかしく、ほとんど授業に出なくなる。また横暴な上級生への反抗の気持ちも強く学校を休み、放課後の[[柔道]]などの練習だけ通った。ようやく眼鏡も買ってもらうが、炳五の不注意で黒眼鏡を買ってしまい、友人たちが珍しがって引ったくり、いじっているうちに壊れてしまう。授業が面白くなく、野球漫画を描き、海岸の砂丘の松林で寝転がるなどして過ごし、雨の日は学校近くのパン屋の二階で[[歌留多]]([[小倉百人一首]])に興じる。この頃、[[谷崎潤一郎]]『ある少年の怖れ』などを読む<ref name="ishiomo"/><ref name="album"/>。またこの頃、新潟市のシンボルであった木造の2代目[[萬代橋]]がかけ替えられることが決まり、長い間不思議な悲しみに襲われた<ref>坂口安吾「日本文化私観」(『現代文学』第五巻第三号に掲載)</ref>。



=== 「偉大なる落伍者」への決意 ===

=== 「偉大なる落伍者」への決意 ===

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1948年(昭和23年)1月に『[[二流の人 (小説)|二流の人]]』(九州書房)を刊行。「淪落の青春」(未完)を『ろまねすく』に発表。[[伊藤整]]や[[太宰治]]、[[林房雄]]らのいる『ろまねすく』は前年8月に同人となった{{refnest|group="注釈"|『ろまねすく』の同人は、坂口安吾、[[辰野隆]]、[[伊藤整]]、[[太宰治]]、[[林房雄]]、[[田村泰次郎]]、[[清水昆]]、[[寒川光太郎]]らがいた<ref name="nenkawade"/>。}}。2月に『金銭無情』を[[文藝春秋新社]]から刊行する。この頃から[[ヒロポン]]に加え、[[シクロバルビタール|アドルム]]を服用するようになり、ちょうど太宰治の自殺した6月頃から、[[鬱病]]的精神状態に陥る。これを克服するために、短編やエッセイの仕事は断り、長編「にっぽん物語」(のち『火』)の連載執筆に没頭する。しかし不規則な生活の中でアドルム、ヒロポン、[[ゼドリン]]を大量に服用したため、病状は更に悪化し、[[幻聴]]、[[幻覚|幻視]]も生じるようになる。12月、執筆取材のために[[京都]]へ行くが発熱し旅館に病臥する状態だった。翌[[1949年]](昭和24年)1月に戻った後にはアドルム中毒で狂乱状態、幻視、神経衰弱となり、夫人や友人達の手により2月23日に [[東京大学医学部附属病院]][[神経科]]に入院した<ref name="album"/>。3月に「にっぽん物語―スキヤキから一つの歴史がはじまる」を発表(続きは5月-7月まで)。

1948年(昭和23年)1月に『[[二流の人 (小説)|二流の人]]』(九州書房)を刊行。「淪落の青春」(未完)を『ろまねすく』に発表。[[伊藤整]]や[[太宰治]]、[[林房雄]]らのいる『ろまねすく』は前年8月に同人となった{{refnest|group="注釈"|『ろまねすく』の同人は、坂口安吾、[[辰野隆]]、[[伊藤整]]、[[太宰治]]、[[林房雄]]、[[田村泰次郎]]、[[清水昆]]、[[寒川光太郎]]らがいた<ref name="nenkawade"/>。}}。2月に『金銭無情』を[[文藝春秋新社]]から刊行する。この頃から[[ヒロポン]]に加え、[[シクロバルビタール|アドルム]]を服用するようになり、ちょうど太宰治の自殺した6月頃から、[[鬱病]]的精神状態に陥る。これを克服するために、短編やエッセイの仕事は断り、長編「にっぽん物語」(のち『火』)の連載執筆に没頭する。しかし不規則な生活の中でアドルム、ヒロポン、[[ゼドリン]]を大量に服用したため、病状は更に悪化し、[[幻聴]]、[[幻覚|幻視]]も生じるようになる。12月、執筆取材のために[[京都]]へ行くが発熱し旅館に病臥する状態だった。翌[[1949年]](昭和24年)1月に戻った後にはアドルム中毒で狂乱状態、幻視、神経衰弱となり、夫人や友人達の手により2月23日に [[東京大学医学部附属病院]][[神経科]]に入院した<ref name="album"/>。3月に「にっぽん物語―スキヤキから一つの歴史がはじまる」を発表(続きは5月-7月まで)。



4月に薬品中毒症状と鬱病は治まり、「僕はもう治っている」を『[[読売新聞]]』に発表。「にっぽん物語」の完成を目指し、置手紙を残して外出先から電話をかけて病院を自主退院する。6月には「精神病覚え書」を『文藝春秋』に発表。8月に推理小説「[[復員殺人事件]]」を『座談』に連載開始し、本格推理小説で新境地を拓くが、載誌が廃刊となったため翌年3月に第19章までで中絶となる<ref name="kaidai8">「解題」(『坂口安吾全集8』筑摩書房、1998年)</ref>。未完となった「復員殺人事件」はその展開を惜しまれ、他の探偵小説を書く暇があるのなら、これを完結させるべきだったと大井広介はのちに安吾に苦言を呈している<ref name="tuduki"/>。生活のために執筆を再開するが、軽く使用した薬物のために病気が再発し発狂状態となる。やむなく夫人とともに[[静岡県]][[伊東市]]に転地療養し、[[温泉]]治療でなんとか健康を取り戻し、11月に伊東市岡区広野1-601の借家に移転し、犬を飼い始める。なお、この1949年(昭和24年)から1954年(昭和29年)まで5年間、[[芥川龍之介賞|芥川賞]]選考委員を勤め、[[五味康祐]]『喪神』、[[松本清張]]『[[或る「小倉日記」伝]]』<ref name="mainichi">{{Cite web|title=絵ばなし:昭和傑作列伝 松本清張『或る「小倉日記」伝』 鴎外を追う 孤独を埋める|url=https://mainichi.jp/articles/20190825/ddp/014/040/003000c|website=毎日新聞|accessdate=2021-09-12|date=2019-08-25}}</ref>を強く推すなど新風を吹き込んだ。


4[[]]退68[[]]319<ref name="kaidai8">81998</ref><ref name="tuduki"/>使[[]][[]][[]]111-6011949241954295[[|]][[]][[]][[]]<ref name="mainichi">{{Cite web||title=   |url=https://mainichi.jp/articles/20190825/ddp/014/040/003000c|website=|accessdate=2021-09-12|date=2019-08-25}}</ref>


=== 巷談師の自覚と珍騒動 ===

=== 巷談師の自覚と珍騒動 ===


[[1950]]251[[]][[]][[]][[ ()| ]]5[[]][[]][[]]宿<ref name="album"/>810[[ ]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref name="tuduki"/>[[]][[]][[]][[1951]]263[[]][[|]][[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[]]<ref> [[]]</ref>[[]][[|]][[|]]<ref></ref>

[[1950年]](昭和25年)1月には、ファルス的小説「[[肝臓先生]]」を『[[文學界]]』に発表。続いて戯作者精神を発揮した社会時評「[[安吾巷談]]」を『[[文藝春秋 (雑誌)|月刊 文藝春秋]]』で発表し、文藝春秋読者賞を受賞するが、この頃、再び睡眠薬を服用し、中毒症状の発作を起こした。5月から「街はふるさと」を『[[読売新聞]]』に連載し、執筆のため度々上京して[[文京区]][[小石川]]林町のモミジ旅館に宿泊した<ref name="album"/>。8月に「巷談師」を『別冊文藝春秋』に発表。10月からは探偵小説「[[明治開化 安吾捕物帖]]」を『[[小説新潮]]』に連載。この作品は、探偵・結城新十郎が[[勝海舟]]との談話を交えながらシリーズで解決役となる。安吾は、短編の推理の理想的な形式として日本流の[[シャーロック・ホームズシリーズ]]を書こうとし、日本では[[岡本綺堂]]『[[半七捕物帳]]』のような成功作があるということで「捕物帳」になった<ref name="tuduki"/>。同月には[[石坂洋次郎]]、[[林房雄]]らとの合作によるラジオ小説『[[天明太郎]]』を宝文館で刊行した。翌[[1951年]](昭和26年)3月から歴史考察を記した「[[安吾新日本地理]]」を『文藝春秋』にて連載開始。古代王朝に関する大胆な仮説([[蘇我氏|蘇我]]天皇説)も提唱した鋭い感性からくる歴史観は、その後の作家([[松本清張]]、[[黒岩重吾]]など)が古代史を論ずる際の嚆矢となった。



[[ファイル:Observing writers at the 1st Chatterley trial.jpg|thumb|230px|[[チャタレー事件|チャタレー裁判]]を傍聴する坂口安吾(最前列右から2人目)、1952年1月18日]]

[[ファイル:Observing writers at the 1st Chatterley trial.jpg|thumb|230px|[[チャタレー事件|チャタレー裁判]]を傍聴する坂口安吾(最前列右から2人目)、1952年1月18日]]

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[[柄谷行人]]は解説「坂口安吾とフロイト」において、安吾が自らの[[鬱病]]の原因を「自我の理想的な構成、その激烈な祈念に対する現実の[[アンバランス|アムバランス]]」(「精神病覚え書」)と自己分析していたことに触れた上で、その「自我の理想的な構成、その激烈な祈念」という反復強迫に、[[フロイト]]の言う「[[死の欲動]]」があると分析している<ref name=”karatani”>[[柄谷行人]]「坂口安吾とフロイト」({{Harvnb|新潮文庫|2000|pp=283-302}})</ref>。また同時に柄谷は、日本の近代文学の「[[第一次戦後派作家|第一次戦後派]]」や「[[第三の新人]]」といった戦後の作家や、[[太宰治]]とは隔たる安吾の特異な面を見ながら、「何が彼を近代文学=[[ロマン主義]]的な一般性から隔てているのか」の答えとして、安吾には、「[[理性]]と[[感情]]」([[意識]]と[[無意識]])、「[[現実原則]]と[[快感原則]]」といったわかりやすい二元論とは異質な「死の欲動」があり、その反復強迫にたえず追い詰められていた作家だとしている<ref name=”karatani”/>。

[[柄谷行人]]は解説「坂口安吾とフロイト」において、安吾が自らの[[鬱病]]の原因を「自我の理想的な構成、その激烈な祈念に対する現実の[[アンバランス|アムバランス]]」(「精神病覚え書」)と自己分析していたことに触れた上で、その「自我の理想的な構成、その激烈な祈念」という反復強迫に、[[フロイト]]の言う「[[死の欲動]]」があると分析している<ref name=”karatani”>[[柄谷行人]]「坂口安吾とフロイト」({{Harvnb|新潮文庫|2000|pp=283-302}})</ref>。また同時に柄谷は、日本の近代文学の「[[第一次戦後派作家|第一次戦後派]]」や「[[第三の新人]]」といった戦後の作家や、[[太宰治]]とは隔たる安吾の特異な面を見ながら、「何が彼を近代文学=[[ロマン主義]]的な一般性から隔てているのか」の答えとして、安吾には、「[[理性]]と[[感情]]」([[意識]]と[[無意識]])、「[[現実原則]]と[[快感原則]]」といったわかりやすい二元論とは異質な「死の欲動」があり、その反復強迫にたえず追い詰められていた作家だとしている<ref name=”karatani”/>。



そして柄谷は、安吾が文壇に注目された時期に掲げていた[[ファルス]](全的に人間存在を肯定<ref>「FARCE に就て」(青い馬 第5号、1932年3月)</ref>)ではない、いわゆる近代小説的な、意識による抑圧の理論の「まともな長編小説」を書こうとして鬱病を再発させ、その長編「吹雪物語」の完成後、鬱病を回復させた時期に執筆した「イノチガケ」という作品([[キリスト教]]がいかに日本に到来し広がったかを政治的背景の中で示した作品)に着目し、その中の、幕府が考案した穴つるしの刑によって[[殉教]]が繰り返される光景の「無味乾燥な書き方」や、その「滑稽な」処刑により[[切支丹]]の死の尊厳を封じることができたと書いている随筆「文学と国民生活」を関連させつつ、その滑稽さが「死の欲動」を抑制したと解析している<ref name=”karatani”/>。そのため、その「イノチガケ」(ある意味でファルスの反復)以後の安吾は、初期にファルスを唱えながらもなお抱いていた「近代小説の形態へのこだわり」を捨て去り、多彩なジャンル(「[[日本文化私観]]」のようなエッセイや「織田信長」などの歴史小説)に及ぶ重要な執筆活動を広げ、その活動を通して安吾の中で「近代小説を優位におくハイアラーキー([[位階]])」が消失したとして、柄谷は以下のように安吾の作品総体を評価している<ref name=”karatani”/>。

そして柄谷は、安吾が[[文壇]]に注目された時期に掲げていた[[ファルス]](全的に人間存在を肯定<ref>「FARCE に就て」(青い馬 第5号、1932年3月)</ref>)ではない、いわゆる近代小説的な、意識による抑圧の理論の「まともな長編小説」を書こうとして鬱病を再発させ、その長編「吹雪物語」の完成後、鬱病を回復させた時期に執筆した「イノチガケ」という作品([[キリスト教]]がいかに日本に到来し広がったかを政治的背景の中で示した作品)に着目し、その中の、幕府が考案した穴つるしの刑によって[[殉教]]が繰り返される光景の「無味乾燥な書き方」や、その「滑稽な」処刑により[[切支丹]]の死の尊厳を封じることができたと書いている随筆「文学と国民生活」を関連させつつ、その滑稽さが「死の欲動」を抑制したと解析している<ref name=”karatani”/>。そのため、その「イノチガケ」(ある意味でファルスの反復)以後の安吾は、初期にファルスを唱えながらもなお抱いていた「近代小説の形態へのこだわり」を捨て去り、多彩なジャンル(「[[日本文化私観]]」のようなエッセイや「織田信長」などの歴史小説)に及ぶ重要な執筆活動を広げ、その活動を通して安吾の中で「近代小説を優位におくハイアラーキー([[位階]])」が消失したとして、柄谷は以下のように安吾の作品総体を評価している<ref name=”karatani”/>。

{{Quotation|彼はもはやファルスを唱えない。が、その作品総体がファルス的なのである。その結果として、近代的小説を中心として見る戦後の文学史家において、安吾は二流の作家と見なされてきた。実際、彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である。どんな作家にもあるような代表作というべきものがない{{refnest|group="注釈"|柄谷は、「彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である」と述べているため、この場合の「どんな作家にもあるような代表作」は、近代的小説を中心として見る戦後の文学史における小説らしい小説であり、柄谷が言うところの、「近代小説の形態」をなしている小説(エッセイ的でないもの)を含意している。}}。しかし、安吾が今もわれわれを惹きつけるのは、まさにそのためである。安吾の作品を一冊にまとめるとき、このようなジャンル的区別を否定すべきである。そして、それこそが安吾のいう「全的肯定」にほかならない。|柄谷行人「坂口安吾とフロイト」<ref name=”karatani”/>。}}

{{Quotation|彼はもはやファルスを唱えない。が、その作品総体がファルス的なのである。その結果として、近代的小説を中心として見る戦後の文学史家において、安吾は二流の作家と見なされてきた。実際、彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である。どんな作家にもあるような(いかにもロマン主義的な長編小説といった)代表作というべきものがない{{refnest|group="注釈"|柄谷は、「彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である」と述べているため、この場合の「どんな作家にもあるような代表作」は、近代的小説を中心として見る戦後の文学史における小説らしい小説であり、柄谷が言うところの、「近代小説の形態」をなしている小説(エッセイ的でないもの)を含意している。}}。しかし、安吾が今もわれわれを惹きつけるのは、まさにそのためである。安吾の作品を一冊にまとめるとき、このようなジャンル的区別を否定すべきである。そして、それこそが安吾のいう「全的肯定」にほかならない。|柄谷行人「坂口安吾とフロイト」<ref name=”karatani”/>。}}



また、[[奥野健男]]の論考によると、坂口安吾は多彩な活動をする一方で、気まぐれに放棄された未完作、未発表作も多く、その烈しい精神の振幅の個性を全的に表現しうる方法論を模索しながらも十全に開花させた純文学においての[[長編小説]]は書かれることは無かったが<ref name="okuno"/>{{refnest|group="注釈"|その意味で、奥野は、「坂口安吾は、ついに十全の自己表現の場を見いだしえなかった、永遠に未完成、未熟な悲劇の小説家といえよう」と述べている<ref name="okuno"/>。}}、いわゆる文壇の巨匠や名人と言われるような器用な作家の作品からは得られない特異な魅力のある作家として、広くジャンルを越えて他の多くの作家、創作者からも親しまれている傾向があり<ref name="okuno"/><ref>『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』(河出書房新社、2013年)</ref>、奥野はその安吾の魅力を、他の小説家からは求めることができない「不思議な人間的魅力にあふれている」「ある時は人間の魂の底まで揺がすようなすさまじい感動を、ある時は澄みきった切ないかなしみに似た憧れを与えてくれる」と評しつつ、「失敗作を含めて、坂口安吾の作品の中に、未来の文学へのさまざまな貴重な実験や発想や方法、そして全人的なヴァイタリティをぼくたちは見いだすことができる」としている<ref name="okuno"/>。また、文学作品だけではなく、その[[歴史小説]]や[[推理小説]]も評価され愛好されている<ref name="tuduki"/>。

また、[[奥野健男]]の論考によると、坂口安吾は多彩な活動をする一方で、気まぐれに放棄された未完作、未発表作も多く、その烈しい精神の振幅の個性を全的に表現しうる方法論を模索しながらも十全に開花させた純文学においての[[長編小説]]は書かれることは無かったが<ref name="okuno"/>{{refnest|group="注釈"|その意味で、奥野は、「坂口安吾は、ついに十全の自己表現の場を見いだしえなかった、永遠に未完成、未熟な悲劇の小説家といえよう」と述べている<ref name="okuno"/>。}}、いわゆる文壇の巨匠や名人と言われるような器用な作家の作品からは得られない特異な魅力のある作家として、広くジャンルを越えて他の多くの作家、創作者からも親しまれている傾向があり<ref name="okuno"/><ref>『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』(河出書房新社、2013年)</ref>、奥野はその安吾の魅力を、他の小説家からは求めることができない「不思議な人間的魅力にあふれている」「ある時は人間の魂の底まで揺がすようなすさまじい感動を、ある時は澄みきった切ないかなしみに似た憧れを与えてくれる」と評しつつ、「坂口安吾の作品の中に、未来の文学へのさまざまな貴重な実験や発想や方法、そして全人的なヴァイタリティをぼくたちは見いだすことができる」としている<ref name="okuno"/>。また、文学作品だけではなく、その[[歴史小説]]や[[推理小説]]も評価され愛好されている<ref name="tuduki"/>。



無頼派、新戯作派であり、坂口安吾との交流も多かった[[檀一雄]]は安吾の特異な作家性について以下のように評している<ref name="dan">[[檀一雄]]「作品解説」({{Harvnb|角川文庫|1996|pp=261-266}})</ref>。{{Quotation|安定した全ての気質の解体。道義、人情の解体これらは、いつも過激なまでの生活万般の解体にまで及んでいた。その臂力の雄偉さ。その思考の斬新さ。まことに前人未到のものであり、私にはいつも鬼神のワザに思われたものである。私の生涯のできごとで、この人との邂逅ほど、重大なことはほかにない。おびただしい精神の贈与を、乱雑に、また惜しげも無くドカドカとばら撒き与える人であった。|檀一雄「作品解説『堕落論』」}}

無頼派、新戯作派であり、坂口安吾との交流も多かった[[檀一雄]]は安吾の特異な作家性について以下のように評している<ref name="dan">[[檀一雄]]「作品解説」({{Harvnb|角川文庫|1996|pp=261-266}})</ref>。{{Quotation|安定した全ての気質の解体。道義、人情の解体これらは、いつも過激なまでの生活万般の解体にまで及んでいた。その臂力の雄偉さ。その思考の斬新さ。まことに前人未到のものであり、私にはいつも鬼神のワザに思われたものである。私の生涯のできごとで、この人との邂逅ほど、重大なことはほかにない。おびただしい精神の贈与を、乱雑に、また惜しげも無くドカドカとばら撒き与える人であった。|檀一雄「作品解説『堕落論』」}}

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=== 政治的立場 ===

=== 政治的立場 ===

旧来の[[封建主義]]([[天皇制]]等)<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『天皇小論』参照</ref>と共に[[共産主義]]に対しても批判的立場をとり<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card45898.html 青空文庫『戦後合格者』参照</ref><ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43150.html 青空文庫『インテリの感傷』参照</ref>、反[[再軍備]]の持論として『[[もう軍備はいらない]]』を執筆している

旧来の[[封建主義]]([[天皇制]]等)<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『天皇小論』参照</ref>と共に[[共産主義]]や[[日本共産党]]、[[日本社会党]]に対しても批判的立場をとり<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『坂口流の将棋観』参照</ref>、「[[マルクス・レーニン主義|マルクスレーニン]]筋金入りの集団発狂あれば、一方に[[皇居]]前で[[拍手]]をうつ集団発狂あり、左右から集団発狂にはさまれては、もはや日本は助からないという感じ」と記している<ref>坂口安吾「安吾の新日本地理 安吾・[[伊勢神宮]]にゆく」(『文藝春秋』第二九巻第四号に掲載)</ref>。[[ソ連]]や[[日本共産党]]をたびたび批判する一方で[[中国共産党]]を高く評価しており、「本家[[ソ連|ソビエット]]の共産主義政府が壊滅しても、[[中国共産党|中共]]だけは栄えるかも知れない」ことを予言した<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card45898.html 青空文庫『戦後合格者』参照(『新潮』第四八巻第三号に掲載)</ref>。

{{quotation|…完全なる無内容、それに加うるにいたずらなる喧嘩ずき、まるで人間の文化以前の欠点だけを集成して見せつけられているようであった。<br />

 彼らのやった仕事の総量は、事毎に牙をむいて吠えたがる野犬の行跡に酷似しているが、人間のなすべき事には全く似たところがない。「なすべき」というのは、知識と責任を背景にしたところの、という意で、政党と政党員には当然必要とすべき条件をさすのである。<br />

 彼らのやった仕事の主なるものはと云えば、ナホトカからスクラムをくんで祖国へ敵前上陸の筋金入りの人達をたきつけて益々をこねさせたり、坐りこませたりすることである。尤もこれに対しては、かくの如くに教育して敵前上陸せしめた[[ソビエト連邦共産党|海の彼方の本店]]を咎めることが先でなければならないが、本店の押しつける無法な仕打を修正して受け入れるだけの識見がない無能な三太夫ぶりというものは、どこの国の共産党にくらべてもこれ以下のものは見当らない。この三太夫は[[ヨシフ・スターリン|本店の殿様]]の手打になるのをビクビクしているだけである。<br />

 彼らが行った政策の唯一のことは、他に対する不協力ということである。反対のための反対。[[教条主義|漸進的なるものに対する拒否]]。同じことでも[[前衛党|自分が主導してやるのでなければイヤ]]だという[[全体主義]]であるが、それも[[共産主義における左翼小児病|単に否定し反対するだけの破壊的な方策]]によって全体主義の性格を誇示したにすぎないのである。<br />

…共産党の全てが、共産主義というものが、みんなこのように無内容で、品性下劣なわけではないだろう。日本共産党というものの悲しむべき特性であるらしい。しかし、ナホトカで[[民主運動 (日本)|特殊教育]]をうけ筋金を入れてもらって祖国へ敵前上陸する新特攻隊を見ると、共産党の本家も、その品性の低さ貧しさに於て日本支店の本店たるにふさわしく、人間の良識が求めているものには逆行的であるようだ。|「戦後合格者」}}

「豊かな国のオコボレに縋る方が、現実を救う最短距離」として戦後の日米関係にも肯定的で<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43150.html 青空文庫『インテリの感傷』参照</ref>、反[[再軍備]]の持論として『[[もう軍備はいらない]]』を執筆している。



=== 芸術観 ===

=== 芸術観 ===

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{{Quotation| ある春先、半島の尖端の港町へ旅行にでかけた。その小さな入江の中に、わが帝国の無敵駆逐艦が休んでいた。それは小さな、何か謙虚な感じをさせる軍艦であったけれども一見したばかりで、その美しさは僕の魂をゆりうごかした。僕は浜辺に休み、水にうかぶ黒い謙虚な鉄塊を飽かず眺めつづけ、そうして、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、この三つのものを一にして、その美しさの正体を思いだしていたのであった。<br> この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上ったのである。<br> 僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。<br> 問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて、汝の独自なる手により、不要なる物を取去り、真に適切に表現されているかどうか、ということだ。|『日本文化私観<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html 青空文庫『日本文化私観』参照</ref>』}}

{{Quotation| ある春先、半島の尖端の港町へ旅行にでかけた。その小さな入江の中に、わが帝国の無敵駆逐艦が休んでいた。それは小さな、何か謙虚な感じをさせる軍艦であったけれども一見したばかりで、その美しさは僕の魂をゆりうごかした。僕は浜辺に休み、水にうかぶ黒い謙虚な鉄塊を飽かず眺めつづけ、そうして、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、この三つのものを一にして、その美しさの正体を思いだしていたのであった。<br> この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上ったのである。<br> 僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。<br> 問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて、汝の独自なる手により、不要なる物を取去り、真に適切に表現されているかどうか、ということだ。|『日本文化私観<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html 青空文庫『日本文化私観』参照</ref>』}}


=== 道徳観 ===

『デカダン文学論』(1946年)では、[[道徳]]観が綴られている。

{{Quotation| 私は世のいわゆる健全なる美徳、清貧だの倹約の精神だの、困苦欠乏に耐える美徳だの、謙譲の美徳などというものはみんな嫌いで、美徳ではなく、悪徳だと思っている。(……)<br />

 美しいもの、楽しいことを愛すのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくって大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であって、毫も軽蔑すべきところはない。そして人間は、美しいもの、楽しいこと、ゼイタクを愛するように、正しいことをも愛するのである。人間が正しいもの、正義を愛す、ということは、同時にそれが美しいもの楽しいものゼイタクを愛し、男が美女を愛し、女が美男を愛することなどと並立して存する故に意味があるので、悪いことをも欲する心と並び存する故に意味があるので、人間の倫理の根元はここにあるのだ、と私は思う。(……)<br />

 人間が好むものを欲しもとめ、男が好きな女を口説くことは自然であり、当然ではないか。それに対してイエスとノーのハッキリした自覚があればそれで良い。この自覚が確立せられず、自分の好悪、イエスとノーもハッキリ言えないような子供の育て方の不健全さというものは言語道断だ。(……)<br />

 私はデカダンス自体を文学の目的とするものではない。私はただ人間、そして人間性というものの必然の生き方をもとめ、自我自らを欺くことなく生きたい、というだけである。私が憎むのは「健全なる」現実の贋道徳で、そこから誠実なる堕落を怖れないことが必要であり、人間自体の偽らざる欲求に復帰することが必要だというだけである。人間は諸々の欲望と共に正義への欲望がある。私はそれを信じ得るだけで、その欲望の必然的な展開に就ては全く予測することができない。(……)<br />

 私は風景の中で安息したいとは思わない。又、安息し得ない人間である。私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。そして、私は私自身を発見しなければならないように、私の愛するものを発見しなければならないので、私は堕ちつづけ、そして、私は書きつづけるであろう。神よ。わが青春を愛する心の死に至るまで衰えざらんことを。|『デカダン文学論』<br />(「新潮 第四三巻第一〇号」1946(昭和21)年10月1日)}}



== 主要作品 ==

== 主要作品 ==

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*『坂口安吾エンタメコレクション』(全3巻)春陽堂書店 2019年

*『坂口安吾エンタメコレクション』(全3巻)春陽堂書店 2019年

**解説:七北数人

**解説:七北数人

* {{Cite book|和書 |author=坂口安吾 |title=「[[新しい戦前]]」の時代、やっぱり安吾でしょ 坂口安吾傑作選 |publisher=本の泉社 |date=2023-03-25 |isbn=978-4780722369 }}

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;父・[[坂口仁一郎]](衆議院議員、漢詩人)

;父・[[坂口仁一郎]](衆議院議員、漢詩人)

:[[安政]]6年1月2日生(1859年2月4日) – 1923年([[大正]]12年)11月2日没

:[[安政]]6年1月2日生(1859年2月4日) – 1923年([[大正]]12年)11月2日没


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2024年4月25日 (木) 07:23時点における版

坂口 安吾
(さかぐち あんご)
1946年12月、東京都蒲田区安方町の自宅二階にて
撮影:林忠彦
誕生 坂口 炳五(さかぐち へいご)
1906年10月20日
日本の旗 日本新潟県新潟市西大畑通28番戸(現・中央区西大畑町579番地)
死没 (1955-02-17) 1955年2月17日(48歳没)
日本の旗 日本群馬県桐生市本町2丁目266番地
墓地 新潟県新津市大安寺(現・新潟市秋葉区大安寺)
職業 小説家評論家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 学士哲学
最終学歴 東洋大学印度哲学倫理学科第二科(現・文学部東洋思想文化学科)
活動期間 1931年 - 1955年
ジャンル 小説評論随筆
主題 ファルスアプレゲール、行雲流水、大悟徹底
絶対の孤独、偉大なる落伍者
歴史探訪
文学活動 無頼派新戯作派
代表作風博士』(1931年)
日本文化私観』(1942年)
堕落論』(1946年)
白痴』(1946年)
桜の森の満開の下』(1947年)
二流の人』(1947年)
不連続殺人事件』(1947年)
主な受賞歴 探偵作家クラブ賞(1948年)
文藝春秋読者賞(1950年)
デビュー作 『木枯の酒倉から』(1931年)
配偶者 坂口三千代(旧姓・梶)
子供 坂口綱男
親族 坂口得太郎(曾祖父)、ミタ(曾祖母)
坂口得七(祖父)、ユウ(祖母)
吉田久平(母方の祖父)
坂口仁一郎(父)、アサ(母)
坂口献吉(長兄)、千鶴(妹)
村山セキ(五姉)、喜久(姪)
シウ、ユキ、ヌイ(異母姉)
キヌ、アキ(養女姉、六姉)
七松、成三(次兄、三兄)
上枝、下枝(四兄、七姉)
ウィキポータル 文学
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 殿
 

 

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1946

 

 
 
 

  
 194621101

主要作品

推理小説

巨勢博士

  • 不連続殺人事件(1947年) - 長編
  • 復員殺人事件(第19章までで未完、1949年)
  • 選挙殺人事件(1953年)
  • 正午の殺人(1953年)

結城新十郎

ノンシリーズ

  • 投手殺人事件(1950年)
  • 孤立殺人事件
  • 屋根裏の犯人(1953年)
  • 南京虫殺人事件(1953年)
  • 山の神殺人(1953年)
  • 影のない犯人(1953年)
  • 心霊殺人事件(1954年) - 中編
  • 能面の秘密(1955年)

海外翻案

  • 組立殺人事件(1951年) - ロイ・ヴィカース作品[71]

歴史小説

その他小説・自伝

  • 木枯の酒倉から
  • ふるさとに寄する讃歌
  • 風博士
  • 黒谷村
  • 海の霧
  • 霓博士の頽廃
  • 竹藪の家
  • 蝉――あるミザントロープの話
  • Pierre Philosophale
  • 村のひと騒ぎ
  • 傲慢な眼
  • 小さな部屋
  • 麓(未完)
  • 姦淫に寄す
  • 蒼茫夢
  • 金談にからまる詩的要素の神秘性に就て
  • 逃げたい心
  • をみな
  • 狼園
  • 母を殺した少年(吹雪物語の一部)
  • 老嫗面
  • 南風譜―牧野信一へ―
  • 吹雪物語
  • 閑山
  • 紫大納言
  • 木々の精、谷の精
  • 篠笹の陰の顔
  • イノチガケ
  • 風人録
  • 波子
  • 真珠
  • 二十一
  • 鉄砲
  • 露の答
  • わが血を追ふ人々
  • 白痴
  • 外套と青空
  • 女体
  • いづこへ
  • 戦争と一人の女
  • 石の思ひ
  • 続戦争と一人の女
  • 恋をしに行く
  • 私は海を抱きしめてゐたい
  • ぐうたら戦記
  • 風と光と二十の私と
  • 母の上京
  • 花妖
  • 二十七歳
  • 花火
  • 桜の森の満開の下
  • 暗い青春
  • 金銭無情
  • オモチャ箱
  • 青鬼の褌を洗う女
  • ジロリの女――ゴロー三船とマゴコロの手記
  • アンゴウ
  • 三十歳
  • にっぽん物語(のちの『火』)
  • 天明太郎
  • 肝臓先生
  • 水鳥亭由来(のち「水鳥亭」と改題)
  • 街はふるさと
  • 九段
  • 女忍者使ひ
  • 夜長姫と耳男
  • 吝嗇神の宿(『人生オペラ リレー小説』第2回)
  • 握つた手
  • 女剣士
  • 保久呂天皇
  • 花咲ける石
  • 裏切り
  • 狂人遺書
  • 花咲ける石
  • 青い絨毯

戯曲

  • 麓(未完)
  • 輸血

評論・随筆

  • 今後の寺院生活に対する私考
  • FARCEに就いて
  • 新らしき文学
  • ドストエフスキーとバルザック
  • 長島の死に就て
  • 悲願に就て
  • 枯淡の風格を排す
  • 文学の一形式
  • 牧野さんの祭典によせて
  • 牧野さんの死
  • かげろふ談義
  • 日本の山と文学
  • 文字と速力と文学
  • 作家論について
  • 文学のふるさと
  • ラムネ氏のこと
  • 古都
  • たゞの文学
  • 日本文化私観
  • 居酒屋の聖人
  • 青春論
  • 文学と国民生活
  • 伝統の無産者
  • 咢堂小論
  • 芸術地に堕つ
  • 地方文化の確立について
  • 処女作前後の思ひ出
  • 尾崎士郎氏へ(私信に代へて)
  • 堕落論
  • 魔の退屈
  • 肉体自体が思考する
  • 続堕落論
  • デカダン文学論
  • 戯作者文学論
  • 特攻隊に捧ぐ
  • 私は誰?
  • 恋愛論
  • 大阪の反逆
  • わが戦争に対処せる工夫の数々
  • 教祖の文学
  • 散る日本
  • 推理小説について
  • 不良少年とキリスト
  • 太宰治情死考
  • 志賀直哉に文学の問題はない
  • 戦争論
  • ヨーロッパ的性格、ニッポン的性格
  • 哀れなトンマ先生
  • 僕はもう治つてゐる
  • 精神病覚え書
  • 勝負師
  • 行雲流水
  • 安吾巷談
  • 百万人の文学
  • 推理小説論
  • わが人生観
  • 巷談師
  • 安吾新日本地図
  • 負ケラレマセン勝ツマデハ
  • 飛騨・高山の抹殺―安吾の新日本地図・中部の巻
  • 飛騨の顔
  • 歴史探偵方法論
  • 光を覆ふものなし―競輪不正事件
  • 安吾行状記
  • 安吾史譚
  • 道鏡童子―安吾史譚・その二
  • もう軍備はいらない
  • 人の子の親となりて
  • 坂口安吾下田外史
  • 武者ぶるい論
  • 安吾新日本風土記
  • 砂をかむ
  • 世に出るまで

著作本一覧

単行本


 19356


 19387 19477

 19414


 194310


 194312
6

 19472

 19474


 19475


 19475
9

 19476
FARCE

 19477

 19477


 194710


 194711
20

 194712


 194712
4

 19481

 19481


 19482


 19482

 19484

 194810


 194811

 194812
5

 194812
 2

 19491
11

 19499

 194912

 19501
退

 19505

19509


 195010

 195012
 

 195012

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 19535

195312
7

 19553

 19553

 19554

 19555

 19555

 19555

 19556

 19557

 19558

 19558

4 19559-12

 20212 - 202011稿

選集・全集


9 194712-19488


8 19567-19576


13 196711-197112


7 197112-19723


12 19822-19832


18︿1989-1991

17 1998-2000201212

3 2018


3 2019


 2023325ISBN 978-4780722369 

文庫新版

  • 新潮文庫『白痴』1949年10月、改版1997年、2011年
    • 新版『堕落論』2000年、『不連続殺人事件』2018年、『不良少年とキリスト』2019年
  • 角川文庫『堕落論』『不連続殺人事件』、『明治開化安吾捕物帖』正・続、各・改版2006年ほか
    • 『道鏡・狂人遺書』『暗い青春・魔の退屈』『ふるさとに寄する讃歌』『外套と青空』『ジロリの女』『夜長姫と耳男』『散る日本』『安吾巷談』『安吾史譚』『安吾新日本地理』『白痴・二流の人』『能面の秘密』『復員殺人事件』『私の探偵小説』
  • 創元推理文庫『日本探偵小説全集10 坂口安吾集』1985年
  • 河出文庫『安吾史譚』1989年
    • 『心霊殺人事件 安吾全推理短篇』『復員殺人事件』2019年
    • 『安吾新日本地理』『安吾新日本風土記』『日本論』
  • 講談社文芸文庫『桜の森の満開の下』1989年、ほか9冊
  • ちくま文庫『坂口安吾 ちくま日本文学』2008年
  • 岩波文庫『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』2008年
    • 『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』『風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇』
  • 実業之日本社文庫『堕落論・特攻隊に捧ぐ』2013年
  • 土曜文庫『真書太閤記』、『信長』、『安吾史譚』2017年。オンデマンド出版
  • 中公文庫『勝負師 将棋・囲碁作品集』2018年

文庫漫画版




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公開年月日 タイトル 監督 主演 製作 配給
1951年4月27日 天明太郎 池田忠雄 佐野周二 松竹大船撮影所 松竹
1958年1月9日 負ケラレマセン勝ツマデハ 豊田四郎 森繁久彌 東京映画 東宝
1975年5月31日 桜の森の満開の下 篠田正浩 若山富三郎 芸苑社 東宝
1977年3月15日 不連続殺人事件 曾根中生 瑳川哲朗 タツミキカク / ATG ATG
1998年10月17日 カンゾー先生 今村昌平 柄本明 今村プロダクション / 東映 / 東北新社 / 角川書店 東映
1999年11月13日 白痴 手塚眞 浅野忠信 手塚プロダクション 松竹
2011年11月19日 UN-GO episode:0 因果論 水島精二 勝地涼 ボンズ 東宝
2012年9月29日 BUNGO〜ささやかな欲望〜
告白する紳士たち「握った手」
※オムニバスの一篇。
山下敦弘 山田孝之 ボイスアンドハート 角川映画
2013年4月27日 戦争と一人の女 井上淳一 江口のりこ 戦争と一人の女製作運動体 ドッグシュガームービーズ

評伝・研究・関連文献


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PHP 2009PHP 2013

西西 2012191-227

KAWADE    2013

  2016

  2016


 1983 - 

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 1994 - 

PHP 2009

 2011 ISBN 978-4-426-10888-5

(2003) - 12Y宿 2005 2007()

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注釈



(一)^ ︿[9]

(二)^ [8]

(三)^ [23]

(四)^ [8]

(五)^ [8]

(六)^ [8]

(七)^ 西[37]

(八)^ [13]

(九)^ 100[44]

(十)^ 

(11)^ [1]

(12)^ 15 1999 ISBN 4-480-71045-0

(13)^ 519

出典



(一)^ abcdefghijk1970198920082012

(二)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagah351986

(三)^ abcde101985

(四)^ abcd1970198920082012

(五)^ abc 19671134 2003, p. 609

(六)^ T.Sakaguchi Home

(七)^ abc193512

(八)^ abcdefg1970198920082012

(九)^ abcdefghi194611

(十)^ abcde 2008

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(48)^  

(49)^ ab101985

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(51)^ abcde 2000, pp. 283302

(52)^ FARCE  519323

(53)^ KAWADE 2013

(54)^  1996, pp. 261266

(55)^   1996, pp. 255261

(56)^ ab 2008, pp. 391402

(57)^ ab 19677

(58)^ ab 195681

(59)^ 1958

(60)^ ab 1956629 2003, p. 225

(61)^ 194812

(62)^ http://shogikifu.web.fc2.com/essay/essay021.html

(63)^ 

(64)^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 

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(69)^  https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43182.html 

(70)^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html 

(71)^ 171998-1999

(72)^ abc  2018212


0819989ISBN 978-4480710383 

10198510ISBN 978-4488400101 

20005ISBN 978-4101024028 

1996ISBN 978-4041100202 

20121ISBN 978-4041100011  -19703

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 200811ISBN 978-4003118238 

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19992ISBN 978-4087743845 

 3519866ISBN 978-4106206351 

 ︿KAWADE20139ISBN 978-4309978116 

 29 420034ISBN 978-4106425691 

 34 920039ISBN 978-4106425745 

Ed. James Dorsey and Doug Slaymaker, with translations by James Dorsey, Literary Mischief: Sakaguchi Ango, Culture, and the War. Lantham, MD: Lexington Books, 2010.  (Doug Slaymaker, James Dorsey, Ogino Anna, Karatani Kojin, and Robert Steen),  "A Personal View of Japanese Culture" (, 1942), "Pearls" (, 1942), and "Discourse on Decadence" (parts 1 and 2, 1946).






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