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| notable_works = {{ubl|'''小説'''|『[[源氏物語]]』|'''日記'''|『[[紫式部日記]]』(18首)|'''和歌'''|『[[百人一首]]』(57番)|『[[紫式部集]]』|『[[拾遺和歌集]]』|『[[勅撰和歌集]]』(計51首)<ref>{{Cite Kotobank|word=紫式部|encyclopedia=朝日日本歴史人物事典|access-date=2020年7月9日}}</ref> }}

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'''紫 式部'''(むらさき しきぶ)は、[[平安時代]]中期の[[歌人]]・[[作家]]・[[女房]]([[女官]])。

'''紫 式部'''(むらさき しきぶ)は、[[平安時代]]中期の[[歌人]]・[[作家]]・[[女房]]([[女官]])。




[[]][[|]][[]][[]][[]](18)[[]][[]]795[[]][[]][[]]

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[[ファイル:Hyakuninisshu 057.jpg|thumb|200px|紫式部 [[百人一首]] 57番「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」]]

[[ファイル:Hyakuninisshu 057.jpg|thumb|200px|紫式部 [[百人一首]] 57番「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」]]

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[[寛弘]]2年([[1005年]])頃に評判を聞いた[[藤原道長]]に召し出され、その娘で、[[一条天皇]]の[[中宮]][[藤原彰子|彰子]]に仕える間に、藤原道長の支援のもと『源氏物語』を完成させた<ref>『百科事典[[マイペディア]]』「紫式部」の項([[平凡社]]、[[2006年]])</ref>。なお、『[[紫式部集]]』には夫の死に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている{{efn|name="shikibu-waka"|意味は「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」。「塩釜」は[[海藻]]を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の[[宮城県]][[塩竈市]]。}}。

[[寛弘]]2年([[1005年]])頃に評判を聞いた[[藤原道長]]に召し出され、その娘で、[[一条天皇]]の[[中宮]][[藤原彰子|彰子]]に仕える間に、藤原道長の支援のもと『源氏物語』を完成させた<ref>『百科事典[[マイペディア]]』「紫式部」の項([[平凡社]]、[[2006年]])</ref>。なお、『[[紫式部集]]』には夫の死に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている{{efn|name="shikibu-waka"|意味は「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」。「塩釜」は[[海藻]]を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の[[宮城県]][[塩竈市]]。}}。



作品については、[[歌人]]として、『[[百人一首]]』に収められている[[和歌]](57番)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」は広く知られており、[[平安時代]]末期に[[中古三十六歌仙]]、[[鎌倉時代]]中期に[[女房三十六歌仙]]に、それぞれ選出された。また子供時代から晩年のほぼ一生涯にわたり自らが詠んだ[[和歌]]から選び収めた[[家集]]『[[紫式部集]]』があり、実名や生没年が不明で資料が少ない紫式部の生活環境の変化や心の変化を知ることができ、平安文学や日本古代中世史などの研究者にとって貴重な資料でもある<ref>[[南波浩]]校注『紫式部集』 (岩波文庫、1973年10月16日)前書き</ref>。そして『[[拾遺和歌集]]』以下の[[勅撰和歌集]]には計51首の和歌が収められている<ref>{{Cite Kotobank|word=紫式部|encyclopedia=朝日日本歴史人物事典|access-date=2020年7月9日}}</ref>。

作品については、[[歌人]]として、『[[百人一首]]』に収められている[[和歌]](57番)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」は広く知られており、[[平安時代]]末期に[[中古三十六歌仙]]、[[鎌倉時代]]中期に[[女房三十六歌仙]]に、それぞれ選出された。また子供時代から晩年のほぼ一生涯にわたり自らが詠んだ[[和歌]]から選び収めた[[家集]]『[[紫式部集]]』があり、実名や生没年が不明で資料が少ない紫式部の生活環境の変化や心の変化を知ることができ、平安文学や日本古代中世史などの研究者にとって貴重な資料でもある<ref>[[南波浩]]校注『紫式部集』 (岩波文庫、1973年10月16日)前書き</ref>。そして『[[拾遺和歌集]]』以下の[[勅撰和歌集]]には計51首の和歌が収められている<ref>{{Cite Kotobank|word=紫式部|encyclopedia=朝日日本歴史人物事典|access-date=2020-07-09}}</ref>。




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== 略伝 ==

== 略伝 ==

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[[寛弘]]2年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]([[1006年]][[1月31日]])、もしくは[[寛弘]]3年の同日([[1007年]][[1月20日]])より、一条天皇の[[中宮]]・[[藤原彰子|彰子]]([[藤原道長]]の長女、のち[[院号]]宣下して上東門院)に[[女房]]兼(現代でいえば)[[家庭教師]]役として仕え、少なくとも寛弘8年([[1012年]])頃まで奉仕し続けたようである。

[[寛弘]]2年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]([[1006年]][[1月31日]])、もしくは[[寛弘]]3年の同日([[1007年]][[1月20日]])より、一条天皇の[[中宮]]・[[藤原彰子|彰子]]([[藤原道長]]の長女、のち[[院号]]宣下して上東門院)に[[女房]]兼(現代でいえば)[[家庭教師]]役として仕え、少なくとも寛弘8年([[1012年]])頃まで奉仕し続けたようである。




[[]][[987]][[]][[]][[]][[]][[]]202[[|]]2<ref>殿62[[1986]]pp. 1-12</ref>97810

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[[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[|]]<ref>{{Cite journal|last=|first=|date=1998|title=|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/koshient/16/0/16_123/_article/-char/ja/|journal=|volume=16|pages=123133|doi=10.24699/koshient.16.0_123}}</ref>

[[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[|]]<ref>{{Cite journal|last=|first=|year=1998|title=|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/koshient/16/0/16_123/_article/-char/ja/|journal=|volume=16|pages=123133|doi=10.24699/koshient.16.0_123}}</ref>


『[[詞花和歌集|詞花集]]』に収められた[[伊勢大輔]]の「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」という和歌は宮廷に献上された八重桜を受け取り中宮に奉る際に詠んだものだが、『伊勢大輔集』によればこの役目は当初紫式部の役目だったものを式部が新参の大輔に譲ったものだった。

『[[詞花和歌集|詞花集]]』に収められた[[伊勢大輔]]の「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」という和歌は宮廷に献上された八重桜を受け取り中宮に奉る際に詠んだものだが、『伊勢大輔集』によればこの役目は当初紫式部の役目だったものを式部が新参の大輔に譲ったものだった。




[[]][[]][[]]2[[525 ()|525]][[1014]][[625]][[]][[]][[1012]] - [[1016]][[]]4035[[1019]][[218]]<ref name="tsunoda-1966-name">[[]][[]]1966</ref>西[[|]]<ref>    [[]][[1966]]pp. 143-170</ref>[[|]]<ref> [[1973]]8pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217</ref>[[]][[]]<ref>{{Cite book| |title=西    |date=199891 |year= |publisher=}}</ref>12[[ ()|]]1021[[|]]稿<ref>{{Cite book| |title=- |date=2023-10-20 |year=2023 |publisher= |author= |page=295-301 |isbn=978-4585390350}}</ref>

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現在、[[日本銀行券]]の[[D号券]]の[[2000円札]]の裏には小さな肖像画と『[[源氏物語絵巻]]』の一部を使用している。

現在、[[日本銀行券]]の[[D号券]]の[[2000円札]]の裏には小さな肖像画と『[[源氏物語絵巻]]』の一部を使用している。

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幼名は、『紫式部集』の宣孝と思しき人物の詠歌に「ももといふ名のあるものを時の間に散る桜にも思ひおとさじ」から、「もも」を幼名と解釈する研究者もいる<ref>[[上原作和]]「紫式部伝4-生い立ちI-幼名「もも」説の提唱」上原作和・編集『人物で読む源氏物語』「藤壺の宮」巻([[勉誠出版]]、[[2005年]]5月)pp. 317-319 ISBN 978-4-585-01144-6。</ref>。

幼名は、『紫式部集』の宣孝と思しき人物の詠歌に「ももといふ名のあるものを時の間に散る桜にも思ひおとさじ」から、「もも」を幼名と解釈する研究者もいる<ref>[[上原作和]]「紫式部伝4-生い立ちI-幼名「もも」説の提唱」上原作和・編集『人物で読む源氏物語』「藤壺の宮」巻([[勉誠出版]]、[[2005年]]5月)pp. 317-319 ISBN 978-4-585-01144-6。</ref>。



[[諱]]は、『[[御堂関白記]]』の[[寛弘]]4年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]([[1007年]][[2月19日]])の条で[[掌侍]]になったとされる記事にある「藤原香子」(かおるこ/たかこ/こうし)とする[[角田文衛]](1963年)説がある<ref name="tsunoda-1966-name" />{{efn|なお、発表後にあった批判に対する反論と誤謬の訂正を加え、『紫式部伝― その生涯と『源氏物語』―』(法蔵館、2007年)に角田説は集大成されている。}}。ただし、推論の過程に誤りが含まれるとの批判があり<ref>今井源衛「紫式部本名香子説を疑う」(『国語国文』34巻1号、[[1965年]]) のち『王朝文学の研究』(角川書店、[[1976年]])および『今井源衛著作集 3 紫式部の生涯』に収録。</ref>、また、もし紫式部が「[[掌侍]]」という[[律令制]]に基づく公的な地位を有していたのなら、「紫内侍」や「式部内侍」として[[勅撰集]]や系譜類に何らかの言及があると思えるがその痕跡が全く見えないとする批判もある<ref>岡一男「紫式部の本名 藤原香子説の根本的否定」(『増訂 源氏物語の基礎的研究 -紫式部の生涯と作品-』東京堂出版、[[1966年]]8月)pp. 598-613。</ref>。その後、萩谷朴の香子説追認論文<ref>萩谷朴「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻(角川書店、[[1973年]]8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217 </ref>も提出されているが、以降、積極的な検討は停滞している。


[[]][[]][[]]4[[129 ()|129]][[1007]][[219]][[]]''''''//[[]]1963<ref name="tsunoda-1966-name" />{{efn| 2007}}<ref>341[[1965]] [[1976]]3</ref>[[]][[]][[]]<ref>   --[[1966]]8pp. 598-613</ref><ref>[[1973]]8pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217 </ref>


[[三枝和子]]『香子の恋 小説 紫式部』、[[帚木蓬生]]『香子 紫式部物語』全5巻のように、創作ではタイトルに香子が採用されている例もある。

[[三枝和子]]『香子の恋 小説 紫式部』、[[帚木蓬生]]『香子 紫式部物語』全5巻のように、創作ではタイトルに香子が採用されている例もある。

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* [[ ()|]]1021西121020<ref>{{Cite book| |title=- |date=2023-10-20 |year=2023 |publisher= |page=295-301 |isbn=978-4585390350}}</ref>

* [[ ()|]]1021西121020<ref>{{Cite book| |title=- |date=2023-10-20 |year=2023 |publisher= |page=295-301 |isbn=978-4585390350}}</ref>

* [[万寿]]2年([[1025年]])以後の没とする安藤為章による説(『[[栄花物語]]』「楚王の夢」の解釈を根拠として娘の大弐三位が後の[[後冷泉天皇]]の[[乳母]]となった時点で式部も生存していたと考えられるとする)。

* [[万寿]]2年([[1025年]])以後の没とする安藤為章による説(『[[栄花物語]]』「楚王の夢」の解釈を根拠として娘の大弐三位が後の[[後冷泉天皇]]の[[乳母]]となった時点で式部も生存していたと考えられるとする)。


* [[]]寿<ref>{{Cite book| |title= |date=2023-9-21 |year=2023 |publisher= |author= |pages=312-317 |isbn=978-4065332542}}</ref>

* [[]]寿<ref>{{Cite book| |title= |date=2023-09-21 |year=2023 |publisher= |author= |pages=312-317 |isbn=978-4065332542}}</ref>

* 4[[1031]][[|]]38[[1030]][[]]<ref>歿[[1971]][[]]2007pp. 216-241</ref>

* 4[[1031]][[|]]38[[1030]][[]]<ref>歿[[1971]][[]]2007pp. 216-241</ref>


=== 墓所 ===

=== 墓所 ===


[[]][[]][[ ()|]]西西[[]]([[]])[[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[]]<ref>{{Cite book| |title= |date=121 |year=196612 |publisher= |pages=q22-23}}</ref>[[14]][[]][[]] 西[[15]][[]][[]][[]][[1989]]<ref>{{Cite web||title=|url=http://murasaki-shikibu.la.coocan.jp/|website=murasaki-shikibu.la.coocan.jp|accessdate=2019-04-07}}</ref>[[]][[ ()|]][[]](1950cm120cm)<ref>{{Cite book| |title= |date=125 |year=2007 |publisher= |pages=255-256}}</ref>[[|]]

[[]][[]][[ ()|]]西西[[]]([[]])[[]][[]][[]][[]][[|]][[]][[]]<ref>{{Cite book| |title= |date=1966-12-01|year=1966|publisher= |pages=q22-23}}</ref>[[14]][[]][[]] 西[[15]][[]][[]][[]][[1989]]<ref>{{Cite web||title=|url=http://murasaki-shikibu.la.coocan.jp/|website=murasaki-shikibu.la.coocan.jp|accessdate=2019-04-07}}</ref>[[]][[ ()|]][[]](1950cm120cm)<ref>{{Cite book| |title= |date=2007-01-25 |year=2007 |publisher= |pages=255-256}}</ref>[[|]]


=== その他 ===

=== その他 ===

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10[[]]使[[|]][[]][[]]<ref>{{Cite journal||author=|year=1970|title=|journal=|page=390-430}}</ref>[[|]]<ref>20019</ref>

10[[]]使[[|]][[]][[]]<ref>{{Cite journal||author=|year=1970|title=|journal=|page=390-430}}</ref>[[|]]<ref>20019</ref>


なお紫式部の娘の大弐三位の子の[[高階為家]]と、清少納言の娘の[[小馬命婦]]の娘と関係があったことを示す歌が[[後拾遺集]]908番に残されている。

なお紫式部の娘の大弐三位の子の[[高階為家]]と、清少納言の娘の[[上東門院小馬命婦]]の娘と関係があったことを示す歌が[[後拾遺和歌集]]908番に残されている。



{{quotation|[[高階為家|為家朝臣]]、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける 小馬命婦

{{quotation|[[高階為家|為家朝臣]]、物言ひける女にかれがれに成りて後、みあれの日暮にはと言ひて、葵をおこせて侍ければ、娘に代はりて詠み侍りける 小馬命婦

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:* あおむら純『紫式部(小学館版学習まんが 少年少女人物日本の歴史)』([[小学館]]、1984年)

:* あおむら純『紫式部(小学館版学習まんが 少年少女人物日本の歴史)』([[小学館]]、1984年)

:* [[千明初美]]『紫式部(学習漫画日本の伝記)』([[集英社]]、1988年)

:* [[千明初美]]『紫式部(学習漫画日本の伝記)』([[集英社]]、1988年)

:* 蛇蔵&海野凪子『日本人なら知っておきたい日本文学』(幻冬舎、2011年)

:* [[そにしけんじ]]『[[ねこねこ日本史]]』([[実業之日本社]]、2014年 - 、[[Eテレ]]アニメ版の声は[[小林ゆう]])

:* [[そにしけんじ]]『[[ねこねこ日本史]]』([[実業之日本社]]、2014年 - 、[[Eテレ]]アニメ版の声は[[小林ゆう]])

:* 北神諒『紫式部(学研まんがNEW日本の伝記)』(学研プラス、2015年)

:* 北神諒『紫式部(学研まんがNEW日本の伝記)』(学研プラス、2015年)


2024年6月10日 (月) 20:13時点における版

紫 式部
(むらさき しきぶ)
紫式部(土佐光起画、石山寺蔵)
誕生 天禄元年(970年
天元元年(978年)?[注釈 2]
死没 長和3年(1014年
長元4年(1031年)?[注釈 1]
職業 歌人作家女官
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
活動期間 990年代 - 1000年代
ジャンル 和歌物語日記文学
代表作
配偶者 藤原宣孝
子供 大弐三位
親族 藤原為時(父)
藤原為信女(母)
ウィキポータル 文学
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(18)795
紫式部 百人一首 57番「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」
眠る紫式部(菊池容斎前賢故実江戸末期から明治初期の作)

概要


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   5


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      ()寿(2007



「内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかある と殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべるものなりけり」[31]

生没年




[32]

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25251014625[41]

310142[42]西

51016[43]5429101666

1017退[44]

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1021西121020[46]

寿21025

寿[47]

41031381030[48]


西西()[49]14 西151989[50](1950cm120cm)[51]



紫式部日記

紫式部歌碑
「めぐりあひて 見しや
それとも わかぬ間に
雲がくれにし
夜半の月影(百人一首 57番)」
    京都市上京区廬山寺内[52]    
紫式部邸址(廬山寺「源氏庭」)

人物評




     

 

10使[53][54]

908

       908




71932643919641



9193481919446371962

 441969620 





 
1991  ISBN 4-12-001994-2 ISBN 4-12-001995-0

1994  ISBN 4-12-202060-3 ISBN 4-12-202075-1

 
1991 ISBN 4-643-91087-9

1994 ISBN 4-8288-5702-8


1991


1992ISBN 4-062-05698-4

2011ISBN 978-4-309-41072-2

 
2000 ISBN 978-4-334-96102-2 ISBN 978-4-334-96103-9

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 200310  / 20096 

 20113  / 20157 

 201112  / 20186 


20219 PHP





1939

 2001

 2011





1958CBC

1962TBS

1965

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2024NHK - 





-  1981

 1984

1988

&(2011)

2014 - E

NEW2015

2019

DZERO-SUM202112 - 3





 (2022813 : )





SHIKIBU feat. 20151stSHIKIBU

CM


1971 : [55]

注釈



(一)^ 31019[1]

(二)^ 970978[1]

(三)^ 

(四)^ 4

(五)^ [6]

(六)^ 

(七)^ 10(*)14() (*2)[10]
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(*)6

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