TBSテレビ
種類 | 株式会社 |
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略称 | TBS[1] |
本社所在地 |
日本 〒107-8006[1][注 1] 東京都港区赤坂五丁目3番6号 TBS放送センター内[1] 北緯35度40分18.35秒 東経139度44分4.09秒 / 北緯35.6717639度 東経139.7344694度 |
設立 |
2000年(平成12年)3月21日[1] (株式会社TBSエンタテインメント) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 3010401040467 |
事業内容 | 放送法による放送事業ほか[1] |
代表者 | 代表取締役社長 佐々木卓[2] |
資本金 | 1億円(2022年3月31日現在)[3] |
売上高 | 2240億8900万円(2023年3月期)[3] |
営業利益 | 140億9600万円(2023年3月期)[3] |
経常利益 | 168億1800万円(2023年3月期)[3] |
純利益 | 107億2200万円(2023年3月期)[3] |
純資産 |
3537億0300万円 (2023年3月31日現在)[3] |
総資産 |
4578億7700万円 (2023年3月31日現在)[3] |
従業員数 | 1,173人(2022年4月1日現在)[1] |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 | 株式会社TBSホールディングス 100% |
外部リンク |
www |
特記事項:* 2004年10月1日に 当時の株式会社TBSエンタテインメントが株式会社TBSライブならびに株式会社TBSスポーツと合併し現商号に変更。 |
概要[編集]
TBSテレビ | |
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英名 | Tokyo Broadcasting System Television, Inc.[1] |
放送対象地域 | 関東広域圏 |
ニュース系列 | JNNキー局 |
番組供給系列 | TBSネットワーク |
略称 | TBS[1] |
愛称 | TBS |
呼出符号 | JORX-DTV |
呼出名称 |
TBS デジタルテレビジョン |
開局日 | 1955年4月1日 |
本社 |
〒107-8006[1] 東京都港区赤坂五丁目3番6号 TBS放送センター内[1] 北緯35度40分18.35秒 東経139度44分4.09秒 / 北緯35.6717639度 東経139.7344694度座標: 北緯35度40分18.35秒 東経139度44分4.09秒 / 北緯35.6717639度 東経139.7344694度 |
演奏所 | #スタジオを参照 |
リモコンキーID | 6 |
デジタル親局 | 東京 22ch |
アナログ親局 | 東京 6ch |
ガイドチャンネル | 6ch |
主なデジタル中継局 | デジタル中継局参照 |
主なアナログ中継局 | アナログ中継局参照 |
公式サイト |
www |
特記事項: 2001年9月までラテ兼営、コールサインはJOKR。 2009年4月1日、東京放送ホールディングス(現・TBSホールディングス)からテレビジョン放送免許を承継。 |
TBSテレビ | |
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ときめくときを。 | |
基本情報 | |
略称(愛称) | TBS |
運営(番組供給)事業者 | 株式会社TBSテレビ[1] |
ジャンル | 地デジ難視対策衛星放送 |
放送内容 | 地上デジタル放送のサイマル放送(マルチ編成の場合は主番組のみ) |
衛星基幹放送(BSデジタル放送) | |
放送事業者 | 一般社団法人デジタル放送推進協会 |
チャンネル番号 | Ch.296 |
物理チャンネル | BS-17ch |
放送開始 | 2010年3月11日 |
放送終了 | 2015年3月31日 |
公式サイト | |
特記事項: 地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)に掲載された地区のみ視聴可能。 |
事業所[編集]
本社 〒107-8006 東京都港区赤坂五丁目3番6号 TBS放送センター︵赤坂サカス︶ 関西支社 〒530-0001 大阪市北区梅田二丁目5番22号 ハービスOSAKA11階 名古屋支局 〒450-6312 名古屋市中村区名駅一丁目1番1号 JPタワー名古屋12階沿革[編集]
テレビ放送参入までの歴史についてはこちらを参照1950年代[編集]
●1953年︵昭和28年︶ ●1月16日‥ラジオ東京︵現‥TBSホールディングス︶が地上アナログテレビジョン放送の予備免許を所得。[5][6] ●12月‥株式会社ラジオ東京︵現‥TBSホールディングス︶が、東京都港区赤坂一ツ木町36番地(現在の赤坂五丁目3番6号。近衛歩兵第3連隊跡地(300余坪))において、テレビ局舎の建設を開始。[7][8] ●1954年︵昭和29年︶ ●1月16日‥送信施設となるテレビ鉄塔の建設起工式を挙行。[9][10] ●4月8日‥テレビ局舎の建設起工式を挙行。[11][12] ●9月 初のテレビ中継車︵初代1号テレビ中継車︶が完成。[13] ●10月5日‥初代のテレビ送信機(RCA社製 型番:TT-10AH)及びテレビ鉄塔のアンテナ(RCA社製12段スーパーターンスタイルアンテナ 型番:TF-12AH 地上高:173.1m)を備え付ける。[14] ●12月25日‥テレビの試験電波を発射。[12] ●1955年︵昭和30年︶ ●1月8日‥テレビ局舎の落成式を挙行。[15] ●1月17日‥テレビ局舎完成︵A~Cスタジオを含む︶。[16] ●1月24日‥電波監理委員会より、テレビの呼出名称を﹁ラジオ東京テレビジョン﹂と指定される。[15] ●1月28日 : 郵政省より、地上アナログテレビジョン放送の本放送の免許を取得︵呼出符号:JOKR-TV、チャンネル6、映像出力10kW、音声出力5kW。送信所も同所︶。[14][12][17][18] ●1月 前述の敷地内で、テレビ送信用のタワー(地上高177m)が完成。[19] ●2月10日 : 試験電波の発射を開始。[注 3][20][18] ●4月1日‥開局。午前10時に本放送開始。 開局記念式典を、Aスタジオにて挙行。この日から、﹁東京テレニュース﹂を開始。更にテレビ開局記念番組として、東京都体育館から﹁グランド・テレビ・パレード﹂を公開生放送。[8][18][21][22] ●なお世間一般では、新聞のテレビ欄表記から﹁KRテレビ﹂︵ケイアールテレビ、略称﹁KRT﹂︶や﹁ラジオ東京テレビ﹂︵ラジオとうきょうテレビ︶と呼ばれていた。 ●4月13日‥局としてはテレビ初のプロボクシング中継を行う。[注 4][22] ●5月15日‥テレビの大相撲中継を開始。[22] ●6月1日‥街頭テレビ第1期77箇所の設置を完了。[22] ●7月2日‥この日に大阪球場で行われた、第5回﹁プロ野球オールスター戦﹂第1戦にて、大阪から局初の遠距離中継を実施。[21][22] ●8月20日‥街頭テレビ第2期43箇所の設置を完了。[22] ●12月31日 ●局初のラジオ・テレビ同時年末特別番組として、﹁1955年オールスター歌合戦﹂をこの年から放送︵於:日劇。1957年からオールスター大行進と改題し、1968年まで続く。︶。[22][23] ●この日の大晦日から翌元日に渡っての放送﹁ゆく年くる年﹂にて、銀座・浅草から局テレビ初の3元中継を行う。[22][23] ●1956年︵昭和31年︶ ●1月1日‥皇居参賀の、鳩山一郎首相(当時)以下閣僚の年頭挨拶を独占放送。[23] ●4月2日‥世界卓球選手権東京大会を、独占中継。[24] ●10月13日‥プロ野球 日本シリーズ中継﹁西鉄 対 巨人﹂に於いて、民放テレビ初の福岡からの中継を行う。[24] ●11月15日‥ラジオ東京テレビ、日本テレビ、そして翌月1日にテレビを開局する大阪テレビ放送と中部日本放送の4社で、﹁番組の交流に関する4社協定覚書﹂を締結する。[24] ●12月1日‥大阪テレビ放送と中部日本放送(CBC)テレビが共にこの日に開局したのに伴い、両局との番組交流を強化する。[25] ●12月2日‥単発ドラマ番組﹃東芝日曜劇場﹄放送開始。[注 5][24][26] ●12月31日‥﹁ゆく年くる年﹂を、日本テレビ、大阪テレビ放送、中部日本放送(CBC)テレビとの共同制作で放送。[24] ●1957年︵昭和32年︶ ●7月28日‥日曜日朝の政治をテーマにした座談会番組﹃時事放談﹄放送開始︵1987年3月29日まで︶。[27] ●11月6日‥ソ連(当時)の人工衛星﹁スプートニク1号﹂の世界初のフィルム撮影に成功。AP通信を通じ、全世界に報道する。[28][29] ●1958年︵昭和33年︶ ●1月20日 : 早朝放送を開始。画面に放送界初の時分テロップを入れる。[28][30] ●1月29日 : カラーテレビの実験局の免許を申請。[28][30] ●5月29日‥在京民放で初めて米アンペックス社製の2インチVTR(型番:VR-1000)が2台導入される︵当時の金額で1台2500万円だった︶。[31][32][33] ●6月1日‥北海道放送[注 6]、中部日本放送、大阪テレビ放送、九州放送(RKB)[注 7]と共に、﹁テレビニュースに関するネットワーク協定﹂を締結。[32] ●6月8日‥同局初のVTRを使った番組﹃ナショナル日曜観劇会﹄﹃デン助の裏町人情﹄が放送される[31][32][33][注 8]。これを契機に、同局のVTRを使った番組が増加する[注 9]。 ●7月6日‥大相撲名古屋場所のテレビ中継で、日本初のVTRによる取組の録画再生によるリプレーを開始。[33][34] ●10月31日‥同局のテレビドラマでは初のVTRを使った番組﹁サンヨーテレビ劇場﹃私は貝になりたい﹄﹂︵橋本忍脚本、加藤哲太郎題名・遺書、岡本愛彦演出。VTRは前半で使用し、後半は生放送︶を放送。大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞した︵番組は全編ビデオテープにて現在も保存されており、同局に残された最古の番組ビデオ・アーカイブとされている︶。[32][35][36] ●11月16日‥﹁東芝日曜劇場﹂にて、同番組初のVTRを使用したドラマ﹃マンモスタワー﹄を放送。この年の芸術祭奨励賞を受賞した︵これも前述の﹁私は貝になりたい﹂に続き、番組は全編ビデオテープにて現在も保存されている︶。[32][37] ●1959年︵昭和34年︶ ●1月31日‥カラーテレビ実験局の本免許を取得︵コールサイン:JOKR-TVX[14]︶。[32][38] ●2月2日‥カラーテレビ実験局開局。13時30分より、同実験放送を開始。[注 10][32][39][40][41][42] ●4月10日‥皇太子御成婚パレードを、在京の日本教育テレビ(NET)(当時)や地方の各局と共同で、全国へ生中継する。[32] ●4月14日‥同日のカラー実験放送にて、前述の皇太子御成婚の日の1日を追ったカラー短編映画﹁プリンス・アキヒト﹂を放送。[43][44] ●5月13日: 水曜日と日曜日にて、プロ野球のナイター中継を開始。[32] ●5月15日: 東京国際見本市で、米GE社のカラーテレビ実験放送に参加。その一部を、カラー実験放送としてオンエアし、初のスタジオカラーカメラ実写によるカラー放送を行う。[32][45] ●8月1日‥前述の皇太子殿下御成婚パレード中継での取材協力を機に、NHKに対抗する日本初のニュースネットワークとして、当時の民放テレビ局16社によって﹁ジャパン・ニュース・ネットワーク︵JNN︶﹂を結成。[46][47] ●8月6日‥アンペックス社から、VTR編集機を導入。[33][48] ●8月17日‥﹁JNNニュース﹂が始まる。[47][49] ●8月‥米GE社よりカラーカメラを導入[47]。Fスタジオをカラー放送用に改修する。[50] ●11月14日‥Fスタジオの内装完成、番組﹁若者日本晴れ﹂から使用を開始。[47][50][51] ●12月2日‥カラーテレビの実験放送が、この日から週1回となり、スタジオカラーカメラ実写によるカラー生放送を主体とする内容となる。[39][51] ●12月13日‥﹁兼高かおる世界飛び歩き︵翌年の9月20日に﹁兼高かおる世界の旅﹂に改題︶﹂放送開始。[47] ●12月21日‥プロ野球の、当時の大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)と、実況中継放送の独占契約を締結。[47] ●12月22日‥川崎球場と、テレビ放送独占契約を締結。[47] ●12月30日‥﹁第1回﹃日本レコード大賞﹄﹂を放送︵3日前の12月27日、文京公会堂で実施︶[47]。以後、毎年年末に同番組を放送する。1960年代[編集]
●1960年︵昭和35年︶ ●1月17日‥テレビ送信所を赤坂から東京タワーに移転。映像出力50kW、音声出力12.5kWに増力[注 11][47][51]。これに伴い、同タワーに設置した東芝製の送信機(TA-2141B型 終段管はGE製:GL-6251)と電気興業製のアンテナ(10段スーパーゲインアンテナ 高さ:275m 実効輻射電力:375kW)が共に同局2代目(同タワー初代)の設備として稼働開始[14]。この当時の赤坂送信所に使われていたアンテナの頂部エレメントは1995年3月2日に解体された後、正門前に記念碑として設置され、赤坂サカス完成後の現在は放送センター南側の南公園に移設されている。 ●2月8日‥プロ野球の、当時の毎日大映オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)と、テレビでの実況中継放送の独占契約を締結。[47][51] ●8月‥Fスタジオのカラー化工事が完成[50][52]。更に同スタジオへ、東芝製のカラーカメラを3台導入。[53] ●9月2日 : カラーテレビ本放送の免許を取得。[注 12][52][50] ●9月10日‥カラーテレビ本放送を開始(ちなみにNHK、日本テレビと共に東京地区では初だった︶。開始記念番組として、Fスタジオから、小牧・橘・松山各バレー団出演による﹃カラー・ミュージカル﹁バレー・フェスティバル﹂﹄を放送。[注 13][52][54][55][注 14] ●10月10日‥ラジオ東京が東京証券取引所第1部に株式を上場。[52] ●10月頃(期日不明)‥自社が所有するアンペックス社のモノクロVTRのカラー化の為に、カラー付加器(アタッチメント)を導入。[53] ●11月29日‥株式会社東京放送︵とうきょうほうそう︶と商号変更し、略称をTBSとする[52]。この頃、﹁東京テレビ﹂﹁東京ラジオ﹂という呼称を採用したものの、定着には至らなかった。1970年代[編集]
●1970年︵昭和45年︶ ●2月4日‥ドラマ﹃時間ですよ﹄が連続シリーズドラマとして放送開始︵第30回までモノクロ。以降カラー︶。[78] ●3月16日‥﹁ナショナル劇場 ﹃大岡越前﹄﹂放送開始︵カラー︶。[78] ●4月2日‥連続ドラマ﹃ありがとう﹄放送開始︵カラー︶。[78] ●10月5日‥ゴールデンアワーの番組が完全カラー化︵﹁お天気メモ﹂を除く︶。[78][79] ●1971年︵昭和46年︶ ●2月3日‥局内の全テレビ・スタジオへのカラーカメラの導入を完了。[78][79] ●11月‥気象協会のサテライト・スタジオがカラー化。[79] ●1972年︵昭和47年︶ ●2月28日‥﹁あさま山荘事件﹂の人質救出の模様を、JNN系列局である信越放送と協力して、10時から18時56分まで生放送。[80][81] ●5月‥﹁第1回東京音楽祭﹂開催。初回のこの年は、同月13日に﹁国内大会﹂、同月21日に﹁国際大会﹂︵後年﹁世界大会﹂に改称︶を開催。両大会の模様はテレビ・ラジオの双方で中継された。同音楽祭は、1992年まで毎年行われた。[80] ●10月1日‥クラシックが主体の音楽番組﹃オーケストラがやって来た﹄放送開始︵1983年3月27日終了︶。[82] ●1973年︵昭和48年︶ ●3月1日‥東京タワーの1号送信機更新︵東芝製 蒸発冷却方式TV-55B型︶、同局4代目(東京タワー3代目)の送信機として稼働開始。これにより、1960年に導入された同タワーの前1号機(同局2代目)は、同年9月14日に廃用となる。[83] ●7月2日‥お昼のワイドショー番組﹃3時にあいましょう﹄放送開始︵1992年10月2日終了︶。[82] ●1974年︵昭和49年︶ ●1月7日‥第1次オイルショックによる原油の供給逼迫および原油価格の高騰により、電気事業法に基づく電力使用制限令が出されたことを受け、この日からテレビの深夜放送を自粛。24時︵土曜は24時45分︶で放送を打ち切る。[84] ●1月16日‥連続ドラマ﹃寺内貫太郎一家﹄が放送開始。[84] ●4月1日‥ニュース素材がテレビ・ラジオ共に毎日新聞社へ一本化する。[84] ●11月19日‥近畿地方の準キー局が、これまでの朝日放送テレビから毎日放送︵MBS︶にネットチェンジすることで基本合意。朝日放送テレビは、これまで毎日放送がネットを組んでいた日本教育テレビ︵NET。現‥テレビ朝日︶とネットを組み、毎日放送に代わってANNに属することになった。[84] ●1975年︵昭和50年︶ ●3月31日‥テレビのTBS-毎日放送の新ネットワークがスタート。テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”が解消され、NETテレビ系列で放送されていた﹃アップダウンクイズ﹄や﹃真珠の小箱﹄、﹃皇室アルバム﹄、﹃八木治郎ショー﹄、﹃野生の王国﹄、﹃ヤングおー!おー![注 17]﹄、﹃仮面ライダーシリーズ[注 18]﹄、﹃生きものばんざい﹄などの毎日放送制作番組がJNNのネットワークに引き継がれた。[84] ●5月24日‥連続刑事ドラマ﹃Gメン'75﹄放送開始︵1982年4月3日終了︶。[85] ●9月29日‥朝のワイド情報番組の先駆けとなる﹃おはよう720﹄放送開始︵後に﹃おはよう700﹄に改題を経て、1980年9月26日終了︶。[85] ●10月7日‥スタジオ公開クイズ番組﹃ぴったし カン・カン﹄放送開始︵1986年3月25日終了︶。[85] ●1976年︵昭和51年︶ ●1月3日 ●毎日放送制作のアニメ﹃まんが日本昔ばなし﹄が、TBSテレビ系列にて放送開始。[85] ●大橋巨泉司会による﹃お笑い頭の体操﹄終了の後継番組として、クイズ番組﹃クイズダービー﹄が放送開始︵1992年12月19日終了︶。[85] ●1月26日‥テレビマスター︵主調整室・NEC製︶更新。[86] ●2月1日‥東京タワーの送信所が無人化される。[14] ●10月10日‥世界ジュニア・フライ選手権﹁ファン・グスマン 対 具志堅用高﹂を生中継[87]。具志堅がKO勝ちしたしたのを契機に、以後、1981年3月8日にペドロ・フローレスに敗れてタイトルを失うまでの具志堅の同タイトル防衛戦全てを独占生中継する。 ●1977年︵昭和52年︶ ●7月1日‥連続テレビドラマ﹁赤い激流﹂の放送中に、東京タワーの送信所の主電給線の故障により、約20分間停波し、放送が中断する事故が発生︵同時ネット回線を経由して放送している地方局には影響なし︶。[88] ●9月‥報道局がENG取材システムを導入。[87] ●8月29日‥史上初の3時間ドラマ﹃海は甦える﹄︵江藤淳・作、仲代達矢主演︶を放送[87]。なお番組中、スポンサーの日立製作所も史上初の3分CMを4本放送。 ●9月‥3/4インチVTR(Uマチック)によるENG取材を開始。[87] ●10月3日‥2インチVTRを使用したCMバンクが稼働開始。[87][89] ●10月24日‥ENG素材の録画・編集から送出までを行う﹁ENGセンター﹂が開設。1インチVTRと3/4インチVTR、及び編集システムが導入。[注 19][87][90] ●1978年︵昭和53年︶ ●1月12日‥生放送の音楽ランキング番組﹃ザ・ベストテン﹄放送開始︵1989年10月5日終了︶。[87] ●4月2日‥関口宏司会のスタジオ公開クイズ番組﹃家族対抗クイズ合戦﹄放送開始︵1979年3月25日終了。翌週から﹃クイズ100人に聞きました﹄に改題︶。 ●6月2日‥東京タワーのアンテナが更新︵電気興業製8段2ダイポールアンテナ)、稼働開始。[91] ●9月22日‥テレビ音声多重放送の実用化試験局の予備免許取得。[注 20][92][93] ●11月18日‥テレビ音声多重放送の実用化試験局の本免許を取得︵呼出符号:JOKR-TAM︶。[91] ●11月20日‥テレビ音声多重放送開始︵実用化試験放送︶[91][94]。最初の放送は﹃JNNニュースコープ﹄の2か国語放送[94][95]。 ●11月22日‥ソニー製1インチVTR(型番:BVH-1000)を導入した、1インチVTRビデオ編集センターの第1期工事が完成、稼働開始。[95][96] ●11月25日‥1インチVTR編集・送出による同局初のステレオ放送番組が放送される︵﹃クイズダービー﹄︵第149回︶。翌26日には﹃サウンド・イン"S"﹄が放送︶。[96] ●この年、NHK総合テレビと並んで全日視聴率1位獲得︵TBS史上唯一の全日1位獲得である︶。 ●1979年︵昭和54年︶ ●2月4日‥この年から、﹁別府大分毎日マラソン﹂の中継放送を開始。[注 21][95] ●4月2日‥﹃家族対抗クイズ合戦﹄がこの年の春の番組改編で月曜日夜7時からの放送への時間移行に伴い改題、この日から﹃クイズ100人に聞きました﹄として放送︵1992年9月28日終了︶。[95] ●10月26日‥歌手で俳優の武田鉄矢主演の連続ドラマ﹃3年B組金八先生﹄放送開始。[97]1980年代[編集]
●1980年︵昭和55年︶ ●1月1日‥この日の﹃ゆく年くる年﹄の放送後、ライオン︵旧ライオン歯磨・ライオン油脂︶の一社提供による同社の発足記念特番として、﹃ライオンスペシャル・'80年未来をこの手に!﹄を制作、びわ湖放送を除く全民放テレビ各局で放送︵びわ湖放送︵独立局︶は、同局の大株主である滋賀県の方針によりネットされなかった。︶。 ●2月3日‥この年の﹁別府大分毎日マラソン﹂の中継放送にて、同マラソン初の全コース完全中継を行う。その際、光ケーブルの初使用を行う。[97] ●3月31日‥この日の時代劇番組﹃江戸を斬るV﹄︵第7話﹁御用金奪還!暁の追跡﹂︶にて、同局ドラマ初のステレオ放送を行う︵同番組のステレオ放送は、この回のみ︶。[97][98] ●4月4日‥米ニューヨークの独立テレビ局WOR-TVにて、米東部時間のこの日と翌日(5日)の2夜に於いて延べ8時間に渡り、TBSの番組特集﹃JAPAN TONIGHT!﹄︵ジャパン・トゥナイト︶が放送される。[注 22][99] ●10月4日‥﹃JNN報道特集﹄放送開始。[97] ●1981年︵昭和56年︶ ●2月16日‥子供向けワイドショー番組﹃夕やけロンちゃん﹄にて、同局初の2音声多重放送を開始する。[注 23][100] ●3月27日‥横浜市緑区︵現‥青葉区︶に緑山スタジオ・シティ完成。[101] ●7月14日‥緊急警報放送実験局の予備免許を取得。[101] ●9月27日‥第1回北京マラソンを、中国中央電視台との共同制作で衛星生中継。[101] ●1982年︵昭和57年︶ ●4月2日‥同局初の2時間連続ドラマ枠﹃ザ・サスペンス﹄放送開始。[101] ●6月23日‥この日開通した東北新幹線の大宮 - 盛岡間の全線を生中継。[102] ●10月8日‥萩本欽一らによる公開バラエティ番組﹃欽ちゃんの週刊欽曜日﹄放送開始︵1985年9月27日終了︶。[102] ●1983年︵昭和58年︶ ●2月11日‥連続ドラマ﹃金曜日の妻たちへ﹄放送開始。[102] ●2月15日‥連続ドラマ﹃積木くずし﹄放送開始。[102] ●4月1日‥福島テレビがJNNを脱退したため、同年12月4日のテレビユー福島開局まで放送対象地域外初の国内の支局である﹁TBS福島支局﹂を設置。 ●4月7日‥毎日放送制作のクイズ番組﹃世界まるごとHOWマッチ﹄放送開始︵1990年4月5日終了︶。[102] ●4月13日‥クイズ番組﹃わくわく動物ランド﹄放送開始︵1992年3月25日終了︶。[102] ●5月27日‥連続ドラマ﹃ふぞろいの林檎たち﹄放送開始。[102] ●6月21日‥この日から1週間に渡り、小笠原からの衛星生中継をニュース・情報番組内にて行う。[102] ●8月21日‥ベニグノ・アキノ・ジュニア元フィリピン上院議員に単独密着取材中、マニラ国際空港で暗殺された場面を映像スクープ。同月28日の﹃JNN報道特集﹄内でも取り上げる。︵後の1986年2月に﹁エドゥサ革命﹂が起こる大きなきっかけの事件となった。︶[102][103] ●10月24日: テレビ文字多重実験放送免許を取得。[104] ●11月18日‥テレビ音声多重本放送免許を取得。[104] ●1984年︵昭和59年︶10月1日‥夕方のニュース番組﹃JNNニュースコープ﹄が、終了を19時20分のゴールデンタイム枠にまで拡大する[105]。これに伴い、今まで平日19時又は19時半台の番組が5つとなり、19時20分から40分番組となる[注 24]。[106] ●1985年︵昭和60年︶ ●7月25日‥東京タワーの2号送信機が、50kW規模の大電力送信機に於いては世界初の、全固体化テレビ送信機に更新︵東芝製 全固体化TV-55CSJ型[注 25]︶、同局5代目(東京タワー4代目)の送信機として稼働開始。これにより、1966年に導入された同タワーの前2号機(同局3代目)は廃用となる。[107][108] ●9月28日‥お笑い歌謡公開バラエティ番組﹃8時だョ!全員集合﹄が放送終了。[109] ●10月6日‥歌手の和田アキ子司会の日曜お昼の生バラエティ番組﹃アッコにおまかせ!﹄放送開始。[109] ●VTR機器の2インチ仕様から1インチ仕様への更新を完了。[109] ●1986年︵昭和61年︶ ●1月11日‥﹃8時だョ!全員集合﹄の後番組として、同番組に出演していたザ・ドリフターズのメンバー加藤茶と志村けんメインによるコントバラエティ番組﹃加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ﹄が放送開始︵1992年3月28日終了︶。[110] ●3月31日: テレビ文字多重本放送免許取得︵呼出符号:JOKR-TCM︶。[111] ●4月1日 ●テレビ文字多重本放送開始。[111] ●﹁JNN報道ライブラリー﹂運用開始[112]。 ●4月19日‥草野仁司会によるクイズ番組﹃日立 世界・ふしぎ発見!﹄放送開始︵2024年3月30日終了︶。[112] ●5月2日‥ビートたけし冠司会による視聴者参加型ゲームバラエティ番組﹃痛快なりゆき番組 風雲!たけし城﹄放送開始︵1989年4月14日終了︶。[112] ●7月25日‥明石家さんま主演の恋愛連続ドラマ﹁男女7人物語﹂の第1弾﹃男女7人夏物語﹄が放送開始︵同年9月26日まで。1987年には第2作﹃男女7人秋物語﹄が制作・放送︶。[112] ●10月12日‥過去のテレビ番組やCMを振り返るバラエティ番組﹃テレビ探偵団﹄放送開始︵1992年3月29日終了︶。[112][113] ●1987年︵昭和62年︶ ●3月29日‥﹃時事放談﹄が放送終了。30年弱の番組の歴史に幕を閉じる。[114] ●10月4日‥日曜朝の情報ワイド番組﹃関口宏のサンデーモーニング﹄放送開始︵その後﹃サンデーモーニング﹄と改められ、2024年4月7日からは司会が膳場貴子に交代︶。[115] ●10月5日‥テレビ24時間放送開始[注 26]。[115][116] ●1988年︵昭和63年︶ ●1月1日‥﹁全日本実業団対抗駅伝競走大会﹂の開催がこの年から元旦に行われる様になり、﹃ニューイヤー駅伝﹄の番組名としての実況放送を毎年元旦に完全生中継する。[115][117] ●7月18日‥CMバンク更新。日本の放送業界で初めてテレビ放送の送出媒体として、D-2方式によるソニー製デジタルVTRを使用した、全デジタル式CMバンク及び送出装置の運用を開始。[118][119] ●9月14日‥テレビ・クリアビジョン︵EDTV︶の実験局の免許を取得。[14] ●9月20日: この日、昭和天皇の容態急変で、特別報道体制を敷く。[118] ●1989年︵昭和64年/平成元年︶ ●1月7日‥この日午前6時33分に昭和天皇の崩御に伴い、︵平成元年︶1月9日未明までCM抜きの報道特別番組を編成。[118] ●2月11日‥︵10日深夜︶深夜のバラエティ番組﹃平成名物TV﹄が放送開始。その第1部である、アマチュアバンドの勝ち抜きバンド合戦の音楽バラエティ番組﹃三宅裕司のいかすバンド天国﹄も同時開始︵1990年12月29日終了︶[118]。この番組が、バンドブームの大きな引き金となる。[120] ●7月8日‥JNNが通信衛星を使った中継システム、﹁SNG (Satellite News Gathering) システム﹂の運用を開始。[118] ●8月24日‥テレビ・クリアビジョン︵EDTV︶の本放送を、この日の﹁ザ・ベストテン﹂から開始。[121][122] ●10月1日‥森本毅郎司会による情報娯楽番組﹃噂の!東京マガジン﹄が放送開始︵2021年3月28日地上波での放送終了。2021年4月4日からBS-TBSに移行して継続中︶。[123] ●10月2日‥平日23時からのニュースワイド番組﹃NEWS23﹄放送開始︵当時の番組名は﹃筑紫哲也 NEWS23﹄。後に﹃NEWS23X﹄→﹃NEWS23﹄に改題し、現在も放送中︶。[123] ●10月5日‥﹃ザ・ベストテン﹄がこの日放送された特番﹃さようならザ・ベストテン﹄をもって12年の歴史に幕。最終回は、歴代の司会者・登場歌手などが昔の映像を見返すという構成だった。 ●10月10日‥大型エンターテインメントバラエティ﹃ギミア・ぶれいく﹄が放送開始[123]。総合司会は大橋巨泉が務め、関口宏、石坂浩二、ビートたけしといった面々のユニークな企画で構成され、番組内で放送された藤子不二雄Ⓐ原作のアニメ﹃笑ゥせぇるすまん﹄も人気を集めた︵1992年9月29日放送終了︶。[124]1990年代[編集]
●1990年︵平成2年︶ ●4月1日‥1962年10月1日から続いた﹃JNNニュースコープ﹄︵TBS系︶がこの日に終了、27年半の歴史に幕。 ●4月2日‥﹃JNNニュースの森﹄が、﹃JNNニュースコープ﹄に替わって放送開始。[123] ●5月‥テレビの視聴率が、開局以来の最下位を記録する。[123] ●9月13日‥アメリカ・CBSテレビとの間でニュース報道における独占包括契約の締結を発表︵翌年4月に施行︶。[125] ●10月11日‥連続テレビドラマ﹃渡る世間は鬼ばかり﹄放送開始。[125] ●12月2日‥創立40周年事業として、宇宙特派員・秋山豊寛を乗せた宇宙船︵ソユーズ︶をソ連・カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げる︵﹁TBS宇宙プロジェクト﹂︶。[125] ●1991年︵平成3年︶ ●4月8日‥北方4島から初の衛星生中継を行う。[125] ●4月13日‥土曜ゴールデンタイムの報道ワイド番組﹃情熱ワイド!ブロードキャスター﹄放送開始︵2008年9月20日終了︶。[125] ●9月11日‥同局の緑山スタジオ内に、過去のラジオ・テレビ番組を納めた﹁TBS番組センター﹂が火入れ式、稼働開始。[126] ●9月16日‥CIを導入。一環として、平成初、新しいシンボルマーク﹁ミクロコスモスTBS﹂が決定。これに伴い、長年親しまれてきた業務用マーク︵筆記体︶を廃止[注 27]。また、﹁東京放送﹂と﹁TBS﹂の双方が使われていた対外向けの名称は、これを機に﹁TBS﹂を多用するようになる。[126] ●10月5日‥年に2回の番組改編期特番﹁オールスター感謝祭﹂放送開始︵以後、毎年春と秋の番組改編期に放送︶。[126] ●1992年︵平成4年︶ ●10月12日‥月~木の19時からの帯バラエティ番組ゾーン﹃ムーブ﹄が開始する︵1993年10月に﹃ザッツ﹄に改称、1994年3月24日終了︶。[127] ●11月8日‥﹃東芝日曜劇場﹄、ハイビジョン制作によるドラマ﹁みなと未来・ヨコハマ﹂を放送︵地上波放送はEDTVにダウンコンバートして放送︶。[127] ●12月30日‥﹃元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ﹁ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない﹂﹄を放送。[127] ●12月‥光海底ケーブルによる日米映像伝送実験を実施。[127] ●1993年︵平成5年︶ ●1月8日‥連続テレビドラマ﹃高校教師﹄放送開始︵同年3月19日終了︶。[127] ●4月11日‥﹃東芝日曜劇場﹄が、この日の放送から単発からシリーズに移行。シリーズ第1作は﹃丘の上の向日葵﹄。[128]2000年代[編集]
●2000年︵平成12年︶ ●2月29日‥20世紀末の初、TBSグループ、JNN、TBSネットワークの共通新シンボルマークとして、漢字の“人”をモチーフにした﹁ジ〜ン﹂︵一般公募︶を制定。[140][141][142] ●3月21日‥東京放送は、テレビの娯楽番組制作を行う﹁株式会社TBSエンタテインメント︵現‥株式会社TBSテレビ︶﹂、テレビのスポーツ番組制作を行う﹁株式会社TBSスポーツ︵現‥株式会社TBSテレビ︶﹂、ラジオ現業部門を行う﹁株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ︵現‥株式会社TBSラジオ︶﹂の3つの連結子会社を設立・分社化し、事業を分割。[140] ●3月23日‥新小型SNG車﹁TBS-24﹂が完成。[140] ●4月1日‥新しい前述のシンボルマーク﹁ジ〜ン﹂使用開始[140]。﹃JNNニュースの森﹄︵当時︶や﹃筑紫哲也 NEWS23﹄など全ての﹃JNNニュース﹄番組のサブタイトルや、MBSやCBCなど系列局制作も含めた全国ネット番組のクレジットタイトルなどで表示される[注 28]。また一部系列局でも、ローカルニュース番組のセットに使用されたことがある︵後に廃止︶。 ●4月10日‥平日お昼の大型ニュース・情報生番組﹃ベストタイム﹄放送開始︵2004年3月26日終了︶。[140] ●5月8日‥放送センターのBスタジオがハイビジョン化される。[135][140] ●6月14日‥同局初のハイビジョン専用スタジオとして、緑山のM5スタジオが完成する。[135][140] ●7月31日‥放送センターにハイビジョンのEスタジオが、同年9月29日にはFスタジオが完成︵2つのスタジオ共に、当初は同年12月1日開局のBSデジタル放送BS-i専用のスタジオとして稼働︶。[135][143] ●10月25日‥ECサイト﹁TBS i-shop﹂をオープン。[144] ●11月29日‥ハイビジョンのSNG車﹁TBS-31﹂が運用開始。[135][143] ●2001年︵平成13年︶ ●3月22日‥東京放送は、情報番組・情報生番組の制作を行う連結子会社﹁株式会社TBSライブ︵現‥株式会社TBSテレビ︶﹂を設立・分社化し、事業を分割。翌月(4月)1日より業務開始。[143] ●10月1日‥東京放送は中波放送局の免許︵コールサイン‥JOKR︶を、株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズに承継。これに伴い、テレビ局の呼出符号をJOKR-TVからJORX-TVに、呼出名称も﹁東京放送﹂から﹁TBSテレビジョン﹂に変更。また、コールサイン﹁JOKR-TV﹂は、総務省の取り決めにより分化扱いとなったため返上された。なお、TBSラジオのコールサイン﹁JOKR﹂は、従来通り維持。 ●2002年︵平成14年︶7月1日‥CS放送局﹁TBSチャンネル﹂放送開始。 ●2003年︵平成15年︶ ●12月1日11時‥地上デジタルテレビジョン放送︵呼出符号:JORX-DTV、リモコンキーID:6、物理チャンネル:22︶の本放送開始。 ●12月31日‥﹃K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!﹄でのボブ・サップVS曙太郎戦時の視聴率が、裏番組﹃第54回NHK紅白歌合戦﹄︵NHK総合テレビ︶を4分間上回った。﹃NHK紅白歌合戦﹄開始時1分間の例外を除けば調査開始以来初めて瞬間視聴率で紅白を上回る格好となった。 ●2004年︵平成16年︶ ●キャッチフレーズに“チャンネル・ロック”を採用。地上デジタル放送のリモコンキーIDもアナログ放送の送信チャンネルと同様6chであることを受け、固定︵lock︶や音楽︵rock︶の意味を込めた。 ●10月1日‥東京放送はTBSエンタテインメントを存続会社として、TBSスポーツ、TBSライブのテレビ子会社3社を合併し、株式会社TBSテレビに商号変更。放送︵送信︶・経理以外のテレビジョン放送事業全般を1社に集約し、業務委託する。 ●2005年︵平成17年︶ ●2月7日‥地上デジタルテレビジョン放送・アナログテレビジョン放送の送出を、簡易マスターから統合型マスター︵NEC製アナログ・デジタル統合マスター︶に移行。生番組の一部においてハイビジョン化を開始。同時に、論理チャンネル番号﹁063﹂を廃止した。 ●3月‥TBS平日ワイド大改編﹁TBSの変﹂実施。 ●4月1日‥開局50周年を迎える。 ●11月1日‥PCおよびSTB利用によるブロードバンドテレビ向けの動画オンデマンド配信サービス﹁TBS BooBo BOX﹂を開始。 ●2006年︵平成18年︶ ●3月1日‥生番組のほぼ全てにおいてハイビジョン化される。 ●4月1日‥地上デジタルテレビジョンワンセグの本放送を開始。また、テレビのサービスエリアである関東区域内の報道取材が原則としてすべてハイビジョン化される︵民放初︶。 ●2007年︵平成19年︶3月下旬‥生番組系で使用される字幕︵テロップ︶・CGシステムの更新を開始。4月22日をもって完全に新システムへ移行完了。 ●2008年︵平成20年︶9月1日‥PCおよびSTB利用によるブロードバンドテレビ向けの動画オンデマンド配信サービス﹁TBS BooBo BOX﹂を﹁TBSオンデマンド﹂にリニューアル。 ●2009年︵平成21年︶ ●2月3日‥3月28日までの期間限定トライアルとして﹁TBSオンデマンド無料見逃しサービス﹂と題し、地上波ゴールデン・プライムタイムで放送の﹃ラブシャッフル﹄と﹃ザ・イロモネア﹄をPC向けに広告付きで無料配信。 ●4月1日‥東京放送は株式会社東京放送ホールディングスに商号変更して、認定放送持株会社に移行。同時にテレビ放送免許を含むテレビ放送事業を、株式会社TBSテレビに分割・承継。TBSテレビが一般放送事業者となり、同時に略称の﹁TBS﹂も継承した。 ●11月29日放送の﹃プロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ・内藤大助×亀田興毅﹄が視聴率43.1%を記録、これが年間視聴率1位となった︵TBS番組の年間視聴率1位獲得は史上初︶。2010年代[編集]
●2010年︵平成22年︶ ●3月11日‥放送衛星︵BS︶のセーフティーネットによる、地上デジタル放送難視聴対策のサイマル補完放送を5年間限定で開局。チャンネルはBS296。 ●6月29日‥2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の日本代表VSパラグアイ代表を、TBSテレビとJNN系列局、系列局のない県のテレビ局の秋田放送、福井放送、四国放送︵いずれもNNS・NNN系列。福井放送はANNとのクロスネット︶、サガテレビ︵FNS・FNN系列︶で地上波独占放送し、関東地方での平均視聴率がTBSテレビ史上最高の57.3%を記録した︵これをもって2年連続でTBS番組が年間視聴率1位を獲得した︶。なお、同試合中継後に放送された﹃JNNニュース﹄︵26:00 - 26:15、﹃NEWS23X﹄休止による代替︶は61.2%を記録した。同試合よりも高い視聴率であったが、公式にはカウントされていない。 ●7月5日‥NHKと日本民間放送連盟の申し合わせにより、地上デジタルテレビジョン放送への完全移行を前提に、地上アナログテレビジョン放送においての全番組がレターボックス放送︵画角サイズ16:9。CMは除く︶に移行。 ●7月30日‥ホワイトスペース特区として実験試験局の免許取得︵赤坂、31ch、出力10mW︶。同年8月7日より実証実験を開始[145]。 ●2011年︵平成23年︶ ●3月11日‥この日発生した東北地方太平洋沖地震︵東日本大震災︶で、地震発生から3月14日未明までの間、CM抜きで長時間の報道特別番組を放送。 ●6月30日‥沖縄県大東諸島のデジタル放送中継局開局︵同7月1日試験放送、7月23日正式開局︶に伴い、アナログテレビ中継放送終了。デジタル放送移行後は本来の琉球放送の中継局が設置された。 ●7月24日‥この日正午をもって地上アナログテレビジョン放送を終了︵﹃アッコにおまかせ!﹄放送中に終了︶。アナログ放送ではブルーバックによるお知らせ画面を流し続け、23時58分ごろ、通常のジャンクション︵局名告知︶を放映した後、ブラックバックにマスコットキャラクターの﹁BooBo﹂が登場して﹁アナログ放送は終了します﹂﹁ありがとうございました﹂と一礼し、23時59分00秒に停波。地上デジタルテレビジョン放送に完全移行。 ●2012年︵平成24年︶6月4日‥赤坂サカスを業務区域とするエリア放送の地上一般放送局の免許取得。 ●2013年︵平成25年︶5月31日午前9時‥テレビの送信所を東京タワーから東京スカイツリーに移転︵東京タワーの送信設備は予備送信所として存続︶。 ●2014年︵平成26年︶ ●7月22日‥アニメ専門ECサイト﹁アニまるっ!﹂が﹁TBS i-shop﹂から独立オープン[146]。 ●12月31日‥TBSテレビ開局60周年記念特別番組スペシャル﹃CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ 2014-2015﹄を生中継で放送。 ●2015年︵平成27年︶ ●3月31日‥この日正午をもって、難視聴地域向けのBSセーフティーネットによるサイマル放送終了。 ●4月1日‥開局60周年を迎える。地上デジタル放送の放送局アイコンを変更︵﹁ジ〜ン﹂が消滅。青地に白抜き字のロゴ︶[注 29]。 ●9月28日‥TBS系列全局にて地上波放送における編成上全ての番組をステレオ放送︵一部はモノステレオ放送︶に変更された[注 30]。 ●2016年︵平成28年︶‥C Channel へ出資を行うとともに、スマートフォン向けオンライン動画事業において業務提携を進める[147]。 ●2017年︵平成29年︶ ●10月2日‥マスター︵APC︶・CMバンク・番組サーバ等更新︵東芝インフラシステムズ製[注 31] ほか︶[148]。 ●12月4日‥日本有線大賞がこの日の第50回を最後に廃止並びに特番放送を終了。 ●2019年︵平成31年/令和元年︶ ●3月25日‥﹃月曜名作劇場﹄が終了。これをもって、地上波の2時間ドラマ︵レギュラー枠︶が一時的に消滅[149]。 ●6月29日‥﹃新幹線変形ロボ シンカリオン﹄終了[注 32]。これをもって、子供向けアニメおよび全年齢層を対象としたファミリー・一般向けアニメの制作から撤退。2020年代[編集]
●2020年︵令和2年︶ ●4月1日‥令和初、グループ共通のロゴマークへ変更[150]。同時にシンボルマークの﹁ジ〜ン﹂が廃止。 ●10月1日‥親会社の株式会社東京放送ホールディングスが株式会社TBSホールディングスに商号変更。 ●2021年︵令和3年︶4月1日‥全番組の提供クレジットから黒い縁+白テロップ表記を撤廃︵※一部企業を除く︶し、各社提供・ネットセールス・ローカルセールスを含めてカラー表記に統一。系列局もカラー表記に統一させた。 ●2022年︵令和4年︶ ●4月11日‥動画配信アプリ﹁TVer﹂にて、地上波ゴールデン・プライムタイムに放送されているTBSテレビ系列番組のインターネット同時配信サービス﹁TBS系リアルタイム配信﹂を開始[151]。 ●8月29日‥この日から約1週間ほど、全ての番組の終了時にTBSのロゴムービーと同年夏に導入されたTBSホールディングスのグループ各社共同で使われる﹁ブランドサウンド﹂および﹁From TBS﹂というコールが入った5秒映像が挿入された︵関東地方のみ、系列局では番宣スポット等に差し替え︶。 ●2023年︵令和5年︶7月5日‥﹁TBS GAMES﹂のブランド名でコンピュータゲーム事業への参入を発表[152]。 ●2024年︵令和6年︶3月30日‥﹃日立 世界・ふしぎ発見!﹄放送終了。 補足 TBSテレビジョン︵東京放送︶の新聞ラ・テ等番組表における表記は、ラジオ東京時代︵1955年4月1日-1960年11月28日︶は﹁KRテレビ﹂︵←JOKR-TV︶や﹁ラジオ東京テレビ﹂、東京放送に商号変更後の1960年11月29日から1961年11月30日までは﹁東京テレビ﹂︵東京放送テレビ︶としていたが、﹁TBS﹂に対外呼称を統一した1961年12月1日以降は﹁TBSテレビ﹂となっている。開局当日の編成[編集]
●10:30 - 開局式典実況︵足立正ラジオ東京社長から開局メッセージ︶ ●11:00 - 舞踊﹃二人三番叟︵ふたりさんばそう︶﹄ ●12:25 - 祝賀舞踊 ●13:00 - 映画①﹃ウッカリ夫人チャッカリ夫人﹄②シネマ案内︵これで一旦放送休止︶ ●19:00 - 東京テレニュース ●19:20 - スポーツ・タイム︵スポーツニュース︶ ●19:30 - グランド・パレード[注 33] ●21:00 - 座談﹃テレビよもやま話﹄ ●21:30 - 朝日テレビニュース ●21:40 - お笑い三人衆︵これで放送終了︶番組一覧[編集]
現在放送中の番組については、既に終了した番組及び廃枠分については、
特色[編集]
視聴率[編集]
1963年から2021年までの年度別の最高視聴率︵全て関東地区・ビデオリサーチ調べ︶[161] 。その年のバラエティやドラマなどの確定値を記入している。年度 | 番組名 | 放送日時 | 視聴率 |
---|---|---|---|
1963 | ベン・ケーシー | 1月11日21:30〜22:30 | 50.6% |
1964 | 世界Jウェルター級タイトルマッチ エディ・パーキンスvs高橋美徳 | 1月4日20:00〜21:11 | 47.9% |
1965 | てなもんや三度笠 | 11月21日18:00〜18:30 | 41.6% |
1966 | てなもんや三度笠 | 10月2日18:00〜18:30 | 49.4% |
1967 | 世界Jライト級タイトルマッチ フラッシュ・エロルデvs沼田義明 | 6月15日21:00〜22:15 | 48.5% |
1968 | 世界Jウェルター級タイトルマッチ 藤猛vsニコリノ・ローチェ | 12月12日21:00〜22:15 | 47.3% |
1969 | ザ・ガードマン | 1月17日21:30〜22:30 | 37.4% |
1970 | 8時だョ!全員集合 | 12月26日20:00〜20:56 | 45.7% |
1971 | 8時だョ!全員集合 | 1月23日、30日20:00〜20:56 | 50.4% |
1972 | ありがとう(第2シリーズ) | 12月21日20:00〜20:55 | 56.3% |
1973 | ありがとう(第2シリーズ) 最終回 | 1月18日20:00〜20:55 | 55.2% |
1974 | 第16回 1974年度 輝く!日本レコード大賞 | 12月31日19:00〜20:55 | 45.7% |
1975 | 第17回 1975年度 輝く!日本レコード大賞 | 12月31日19:00〜20:55 | 43.0% |
1976 | 第18回 1976年度 輝く!日本レコード大賞 | 12月31日19:00〜20:55 | 41.9% |
1977 | 第19回 1977年度 輝く!日本レコード大賞 | 12月31日19:00〜20:55 | 50.8% |
1978 | WBA世界Jフライ級タイトルマッチ 具志堅用高vsハイメ・リオス | 5月7日19:30〜20:55 | 43.2% |
1979 | 水戸黄門(第9部) 最終回 | 2月5日20:00〜20:55 | 43.7% |
1980 | 水戸黄門(第10部) | 1月21日20:00〜20:55 | 42.4% |
1981 | 8時だョ!全員集合 | 2月21日20:00〜20:55 | 47.6% |
1982 | 8時だョ!全員集合 | 1月30日20:00〜20:55 | 37.1% |
1983 | 積木くずし 〜親と子の200日戦争〜 最終回 | 3月29日20:00〜20:54 | 45.3% |
1984 | さよなら1984 ザ・ベストテン豪華版 | 12月27日19:00〜21:55 | 34.4% |
1985 | 8時だョ!全員集合 最終回 | 9月28日20:00〜20:54 | 34.0% |
1986 | 男女7人夏物語 最終回 | 9月26日21:00〜21:54 | 31.7% |
1987 | 男女7人秋物語 最終回 | 12月18日21:00〜21:54 | 36.6% |
1988 | クイズダービー | 10月22日19:30〜20:00 | 33.6% |
1989 | 水戸黄門(第18部) 最終回 | 5月1日20:00〜20:54 | 34.1% |
1990 | 水戸黄門(第19部) | 2月5日20:00〜20:54 | 32.1% |
1991 | 金曜ドラマ ふぞろいの林檎たちIII 第1話 | 1月11日22:00〜22:54 | 23.8% |
1992 | 金曜ドラマ ずっとあなたが好きだった 最終回 | 9月25日22:00〜22:54 | 34.1% |
1993 | 金曜ドラマ 誰にも言えない 最終回 | 9月24日22:00〜22:54 | 33.7% |
1994 | WBC世界バンタム級統一王座決定戦 薬師寺保栄vs辰吉丈一郎 | 12月4日19:30〜20:54 | 39.4% |
1995 | スペースJ | 5月3日21:00〜22:25 | 32.6% |
1996 | '96 アトランタオリンピック | 7月28日19:30〜23:34 | 36.6% |
1997 | 橋田壽賀子ドラマスペシャル 渡る世間は鬼ばかり(第3シリーズ) | 3月27日21:00〜22:54 | 34.2% |
1998 | さんまのSUPERからくりTV | 2月1日19:00〜20:00 | 27.0% |
1999 | 木曜ドラマ 魔女の条件 最終回 | 6月17日22:00〜22:54 | 29.5% |
2000 | 日曜劇場 ビューティフルライフ 最終回 | 3月26日21:03〜22:24 | 41.3% |
2001 | WBA世界ライト級タイトルマッチ 畑山隆則vsジュリアン・ロルシー | 7月1日19:10〜20:25 | 27.9% |
2002 | FIFAワールドカップ アルゼンチンvsイングランド | 6月7日20:10〜22:25 | 41.6% |
2003 | 日曜劇場 GOOD LUCK!! 最終回 | 3月23日21:03〜22:09 | 37.6% |
2004 | 日曜劇場 砂の器 | 1月18日21:00〜22:09 | 26.3% |
2005 | 金曜ドラマ 花より男子 最終回 | 12月26日22:00〜22:54 | 22.4% |
2006 | WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ 亀田興毅vsファン・ランダエタ | 8月2日20:25〜21:49 | 42.4% |
2007 | 日曜劇場 TBS開局55周年記念ドラマ 華麗なる一族 最終回 | 3月18日21:00〜22:24 | 30.4% |
2008 | WBA世界フライ級タイトルマッチ 内藤大助vsポンサクレック | 3月8日19:43〜20:54 | 26.3% |
2009 | 2009ワールドベースボールクラシック 決勝戦 日本vs韓国 | 3月20日10:05〜13:54 | 40.1% |
2010 | FIFAワールドカップ 日本vsパラグアイ | 6月29日22:40〜25:10 | 57.3% |
2011 | 日曜劇場 JIN-仁- 完結編 最終回 | 6月26日21:00〜22:48 | 26.1% |
2012 | ロンドンオリンピック サッカー男子準決勝 日本vsメキシコ | 8月7日24:25〜27:00 | 22.7% |
2013 | 日曜劇場 半沢直樹(2013年版) 最終回 | 9月22日21:00〜22:19 | 42.2% |
2014 | 日曜劇場 S -最後の警官- | 1月12日21:00〜22:19 | 18.9% |
2015 | 世界野球プレミア12 準決勝 日本vs韓国 | 11月19日19:01〜22:56 | 25.2% |
2016 | リオデジャネイロオリンピック 女子マラソン | 8月14日21:00〜24:14 | 22.6% |
2017 | 2017ワールドベースボールクラシック 2次ラウンド 日本vsキューバ | 3月14日19:42〜22:50 | 27.4% |
2018 | ピョンチャンオリンピック スピードスケート女子500m決勝 | 2月18日20:00〜22:00 | 21.4% |
2019 | サンデーモーニング | 1月27日8:00〜9:54 | 16.7% |
2020 | 日曜劇場 半沢直樹(2020年版) 最終回 | 9月27日21:00〜22:09 | 32.7% |
2021 | 日曜劇場 ドラゴン桜(第2シリーズ) 最終回 | 6月27日21:00〜22:09 | 20.4% |
2022 | 日曜劇場 DCU (テレビドラマ) 初回 | 1月16日21:00〜22:19 | 16.8% |
2023 | 2023 ワールド・ベースボール・クラシック 一次ラウンド 日本×韓国 | 3月10日19:37〜23:20 | 44.4% |
制作番組[編集]
報道・情報番組[編集]
報道は開局当初から積極的に力を入れてきた分野であり、現在に至るまでTBSテレビの看板的存在となっている。現在、『Nスタ』、『News23』、『報道特集』、『サンデーモーニング』などのニュース番組を報道局が制作し、『THE TIME,』、『ひるおび』、『情報7DAYS ニュースキャスター』などの情報番組を情報制作局が制作している。
一方で、ゴールデンタイムやプライムタイムでは、過去に『JNNニュース22プライムタイム』や『総力報道!THE NEWS』などの大型報道番組を投入し、大規模な番組改編を行ったが、視聴率低迷の影響でわずか1年で終了している。
スポーツ[編集]
2002年から2011年まで、親会社の東京放送ホールディングス(現・TBSホールディングス)がプロ野球・横浜ベイスターズの運営母体を務め、同局ではベイスターズの試合を中継する傍ら、関連番組も制作していた。2012年以降、球団はDeNAに譲渡されたが、引き続きTBSホールディングスの資本が残るため、テレビ中継に必要な放送権は維持されている。
2000年代後半以降の地上波全国ネット中継は、ゴールデンタイムのレギュラー番組および後述する他競技の国際大会中継を優先する編成方針から、ナイターは日本シリーズ・侍ジャパン戦、デーゲームはDeNA・中日(CBCテレビ制作)・阪神(毎日放送制作)・広島(中国放送・TBSテレビ共同制作)対巨人戦に限られている。
バラエティ・音楽番組[編集]
1959年、旅番組の草分けとなる﹃兼高かおる世界の旅﹄がスタートした︵1990年終了︶。また、1968年には戦前から存在していた落語興行﹃落語研究会﹄を復活。現在も月一回ペースでテレビ放送しており、興行・放送ともホール落語の中では高い人気を誇っている。 大掛かりなセットを組んでコントやゲーム番組を行うことに強みを持っており、古くは﹃8時だョ!全員集合﹄や﹃加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ﹄、﹃痛快なりゆき番組 風雲!たけし城﹄、﹃関口宏の東京フレンドパークII﹄などがある。特に1990年代以降は﹃筋肉番付シリーズ﹄が人気を博し、そこから派生した﹃SASUKE﹄は﹃Ninja Warrior﹄︵ニンジャ ウォーリアー︶のタイトルで世界各国で放映され、高い人気を得ている[158]。2000年代後半以降は﹃あらびき団﹄に代表される一風変わった作風の番組も制作しており、特に﹃水曜日のダウンタウン﹄などはその悪意ある演出から人気を博している。2021年からは﹃ラヴィット!﹄をスタートさせ、平日朝8・9時台にバラエティ番組を編成する独自路線が功を奏し、人気を博している。 音楽番組においても﹃ロッテ 歌のアルバム﹄、﹃ザ・ベストテン﹄、﹃うたばん﹄などヒット番組を生んでいる。また、1959年から始まった日本レコード大賞を開始当初から放送しており︵番組としては﹃輝く!日本レコード大賞﹄、生放送になったのは1969年以降︶、この成功に刺激を受ける形で他局が同様の歌謡賞︵日本歌謡大賞など︶を設けるなどの影響を与えたが、1990年代以降は影響力が大幅に減少している。また、1975年からは日本有線大賞の中継も終了した2017年まで独占放送していた。2000年代以降は﹃ベストテン﹄﹃レコ大﹄などの映像資産を活用した懐メロ番組が放送されるようになった。ドラマ[編集]
テレビドラマは内外からの評価が高く、テレビ関係の賞も多く受賞している。テレビ黎明期の1958年に制作された単発ドラマ﹃私は貝になりたい﹄の大ヒットで、ドラマ分野は報道番組と並んでTBSの看板となり、﹁ドラマのTBS﹂と称されている。1960年代から1970年代にかけては﹃肝っ玉かあさん﹄、﹃ありがとう﹄、﹃時間ですよ﹄、﹃寺内貫太郎一家﹄などのホームドラマが人気を博した。 1960年代終盤から10年近く、木下恵介監督と組み﹁木下恵介アワー﹂など多くの話題作を制作。各方面で高く評価される。 1979年には武田鉄矢主演の﹃3年B組金八先生﹄が放送を開始、2011年まで断続的に制作される人気シリーズとなった。 また、時代劇では松下電器と組み、﹃ナショナル劇場﹄→﹃パナソニック ドラマシアター﹄枠で﹃水戸黄門﹄﹃大岡越前﹄﹃江戸を斬る﹄といった長期シリーズを放送していたが、2011年12月の﹃水戸黄門 第43部﹄を最後に終了した。 1956年に放送開始したテレビドラマ枠﹁日曜劇場﹂は、60年以上の歴史を持つドラマ枠で、当初は基幹5局[注 45] の持ち回り制作による一話完結のドラマ枠として放映していた。1993年4月よりTBS単独制作・連続ドラマの放送枠となり、以降は木村拓哉主演作品︵﹃ビューティフルライフ﹄、﹃GOOD LUCK!!﹄など︶や池井戸潤原作作品︵﹃半沢直樹﹄、﹃下町ロケット﹄など︶を中心に高視聴率や話題となった作品も多い。 1972年に放送開始した﹁金曜ドラマ﹂も45年の歴史を持つドラマ枠[注 46]で野島伸司脚本作品︵﹃高校教師﹄、﹃聖者の行進﹄など︶、一大ブームを巻き起こした﹃ずっとあなたが好きだった﹄や﹃花より男子﹄などを中心に高視聴率や話題となった作品も多い。 開局当初から大映テレビ制作作品を断続的に放送しており、﹃東京警備指令 ザ・ガードマン﹄、山口百恵主演の﹃赤いシリーズ﹄、﹃スクール☆ウォーズ﹄、﹃テセウスの船﹄など高視聴率や話題となった作品も数多い。 1986年に制作された﹃男女7人夏物語﹄は、1980年代末期から1990年代初頭にかけて大ブームとなった﹁トレンディドラマ﹂の根幹を築いた作品となり、この手法は同年代のフジテレビのドラマ制作にも生かされるきっかけとなった。 2010年代後半以降は﹁火曜ドラマ﹂が若い女性視聴者からの支持を受け、﹃逃げるは恥だが役に立つ﹄や﹃義母と娘のブルース﹄といった人気作を多数生み出している。 民放では比較的早い1990年代後期からハイビジョン撮影を行なっており、当時の一部作品はハイビジョン実用化試験放送でも放送された。アニメ[編集]
- 深夜アニメ
特撮[編集]
TBSが制作していた特撮番組としては、円谷プロダクション制作の﹁ウルトラシリーズ﹂が有名だが、平成以降は、﹃ウルトラマンティガ﹄から﹃ウルトラマンコスモス﹄︵平成ウルトラマンシリーズ︶は毎日放送、﹃ウルトラマンネクサス﹄から﹃ウルトラマンメビウス﹄と深夜枠で放送の﹃ULTRASEVEN X﹄はCBCテレビが制作した。その後テレビ東京に平成第3期〜令和シリーズの制作権を譲渡した後も、ウルトラマンフェスティバルなどのウルトラマン関連のイベントにも関わっているが、2010年代以降、ウルトラマンフェスはTBSラジオ主催へと変更になっている。 腸捻転解消以降、﹁昭和仮面ライダーシリーズ﹂︵﹃仮面ライダーストロンガー﹄から﹃仮面ライダーBLACK RX﹄まで︶を毎日放送制作の下に放映していたが、平成仮面ライダーシリーズからは、シリーズを共同制作する東映が大株主であり、初代シリーズから﹃仮面ライダーアマゾン﹄までをMBSからネット受けしていたテレビ朝日が制作・放送している︵これに伴い関西地区の放送局は朝日放送テレビに変更︶。大型番組改編[編集]
1987年[編集]
この年に行われた大改編は報道番組が中心であった。 1987年10月、帯ニュース番組﹃JNNニュース22プライムタイム﹄を開始させる。これに伴い、1984年から18時30分 - 19時20分というゴールデンタイムに食い込む形で放送されていた夕方全国ニュース﹃JNNニュースコープ﹄が再び19時までの放送時間へと縮小された。また、最終便ニュース﹃ネットワーク﹄も終了した。 放送時間の確保のため、月-金曜22時に放送されていた﹃月曜ロードショー﹄︵21時からの2時間枠︶や﹃そこが知りたい﹄、﹁金曜ドラマ﹂などを枠移動させた。しかし、鳴り物入りでスタートした﹃プライムタイム﹄だったが、1年で番組が終了。その後﹃JNNニュースデスク'88・'89﹄となったが、1989年秋に月-金曜22時台から帯ニュース番組を終了させ、﹃筑紫哲也 NEWS23﹄で再び23時台に戻った。1992年[編集]
1992年にはバラエティ番組とクイズ番組の大改革が行われている。 前年12月に開局40周年を迎えたものの、一部番組の低迷が顕著だったため、同年に入り、当時の社長・磯崎洋三が大改革を掲げた鶴の一声を発した影響から、春改編より一部番組の終了やリニューアルが実施され、秋改編では月曜日から木曜日の19時台に﹃ムーブ﹄という日替わりのバラエティ番組枠を誕生させた。 ただ、この影響で、月曜日夜にあった﹃クイズ100人に聞きました﹄や﹃わいわいスポーツ塾﹄を筆頭に、水曜日夜にあった﹃わくわく動物ランド﹄、土曜日夜にあった﹃クイズダービー﹄、﹃KATO&KENテレビバスターズ﹄など、1970年代から1980年代にスタートした名物番組の多くを、視聴率の良し悪しや地域差などにかかわらず終了させている。1992年だけでTBSは昭和時代から放送されていたクイズ番組が5本終了することになった。 しかし、この大改革も﹃関口宏の東京フレンドパーク﹄と﹃上岡龍太郎がズバリ!﹄が存続(前者に関してはムーブ枠での放送終了後、司会の関口宏を続投させる形で﹃関口宏のPAPAパラダイス﹄を半年間放送した後、﹃関口宏の東京フレンドパークII﹄にリニューアルした上での再開。後者は番組タイトルを2回変更し、最終的には1996年9月まで放送)したのみで、失敗に終わっている。これらの改革の失敗により、TBSの視聴率はそれまで万年4位であったテレビ朝日にも番組によっては抜かれることが多くなった。 そこに追い討ちをかけるように、1996年にはいわゆる﹁TBSビデオ問題﹂が発覚、この頃より同局に対して世間からは厳しい目が向けられるようになった。2005年[編集]
2009年[編集]
放送地域[編集]
呼出符号、呼出名称、チャンネル[編集]
デジタル放送の概要[編集]
東京都
茨城県
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栃木県
|
群馬県
|
埼玉県
千葉県
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神奈川県
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エリア放送の概要[編集]
免許人 | 局名 | 呼出符号 | 物理 チャンネル |
周波数 | 空中線電力 | 実効輻射電力 | 業務区域 |
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株式会社TBSテレビ[169][170] | TBS赤坂エリア放送 | JOXZ3AA-AREA | 45ch | 665.142857 MHz | 10 mW | 8.9 mW | 赤坂5丁目 赤坂サカス周辺 |
アナログ放送の概要[編集]
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区域外再放送[編集]
山梨県[注 58]・長野県[注 59]・静岡県[注 60]の各一部地域のCATV事業者は各県に系列局はあるものの激変緩和措置として、区域外再放送をアナログ放送終了後3年間(2014年7月24日まで)を限度として実施していた。緩和措置の期間満了後は個別協議により次の通り継続実施していたが、2018年9月30日をもって当局を区域外再放送するケーブルテレビ局は無くなった。
静岡県[注 60]
- 2014年9月30日まで
- 2015年2月25日まで
- 伊豆急ケーブルネットワーク(東伊豆地区)
- 2018年9月30日まで
歴代のキャッチコピー[編集]
音楽・音声外部リンク | |
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「チャンネル・ロック!!」の試聴 | |
CMソングメドレー - YouTube(歌:つじあやの、ビクターエンタテインメント提供アートトラック) |
コーポレート・スローガン[編集]
●この窓は、キミのもの。︵2003年4月 - 2006年3月︶ ●﹁おもしろくって、ためになる﹂テレビ局 TBS︵2006年4月 - 2020年3月︶ ●最高の時で、明日の世界を作る。From TBS︵2020年4月 - 2023年9月︶ ●ときめくときを。︵2023年10月 - ︶マスコットキャラクター[編集]
スタジオ[編集]
TBS放送センター(ビッグハット)[編集]
緑山スタジオ・シティ[編集]
報道用サテライトスタジオ[編集]
ほか
過去に存在したスタジオ[編集]
- 旧・テレビ局舎スタジオ
- 砧スタジオ(略称TMC)
その他[編集]
情報カメラ設置ポイント[編集]
●東京都 ●赤坂︵赤坂パークビルヂング屋上・赤坂サカスアネックス屋上及びサカス広場︶ ●赤坂の情報カメラは﹁本社屋上である﹂との誤解が多いようであるが、正しくは隣接し本社放送センターよりも高層である赤坂パークビルヂング屋上︵ここにTBSテレビとラジオの予備送信設備も設置︶に設置されている。故にTBSの各番組では﹁TBS屋上﹂という表現はなされずに、﹁赤坂のお天気カメラ︵情報カメラ︶﹂と表現される。 ●サカス広場のカメラは移動可能の半固定式であり、イベントに応じて設置位置を適宜移動している。 ●浜崎橋 ●新宿駅南口︵小田急新宿サザンテラス︶ ●井の頭線渋谷駅︵渋谷マークシティ低層部屋上︶ ●隅田川 ●皇居前︵郵船ビル︶ ●東京駅︵東京国際フォーラム︶ ●東京スカイツリー︵2012年3月8日 - ︶ ●羽田空港︵第1ターミナル・第2ターミナルの2か所に設置︶ ●神宮外苑︵2020年11月25日 - ︶ ●豊洲 ●浅草 ●伊豆大島 ●八丈島︵IP伝送による情報カメラ︶ ●父島︵2012年8月28日 - ︶ ●神奈川県 ●横浜 ●横浜・八景島シーパラダイス ●江の島︵新江ノ島水族館屋上︶ ●小田原 ●松田町︵東名高速大井松田IC至近︶ ●横須賀市 ●箱根町芦ノ湖︵成川美術館屋上︶ ●埼玉県 ●浦和 ●千葉県 ●千葉市 ●銚子 ●鴨川 ●成田国際空港 ●茨城県 ●東海村︵常磐線東海駅前。東海発電所対応カメラ︶ ●大洗町 ●水戸市 ●群馬県 ●浅間山︵浅間山の火山活動対応用。画角4:3・SD画質︶ ●高崎市 ●栃木県 ●宇都宮市 ●新潟県 ●苗場スキー場︵苗場プリンスホテル屋上︶ 苗場カメラは、冬季のみで主に天気番組︵コーナー︶で映像が使用される。なお、苗場スキー場がある地域は、新潟放送の放送エリアである。また、系列ホテルである新宿プリンスホテルにはテレビ朝日の情報カメラが設置されている。 ●静岡県 ●静岡放送が自社エリア内である静岡県伊東市および熱海市に設置している情報カメラも専用回線により同社東部総局︵沼津市︶経由にて受信可能︵TBSからのカメラ操作はできないが、静岡放送の了解のもと、映像の独自使用が可能︶ ●TBSの情報カメラは浅間山及び地震対応カメラを除き、すべて画角16:9。銚子、隅田川、浅間山及び地震対応カメラを除きHD対応。 ●地震発生時の瞬間映像を撮影するため、水戸市や千葉市、さいたま市、宇都宮市など関東の複数地点にカメラが設置されている︵ただし全て画角4:3のSD映像︶。 ●このうち、新宿駅南口・浅草・横浜・羽田空港︵第1・第2︶の情報カメラは、TBS NEWS DIGのYoutubeチャンネルで24時間ライブ配信を行っている。 ●過去には、1972年から1994年の放送センター完成まではTBS旧社屋舎鉄塔の地上50m部分に設置されており、本館の屋上︵1971年4月から1972年は別の場所︶にもスタジオ用カメラを設置していた。箱根の星の王子さまミュージアムにも2023年の閉館まで設置されていた︵基本的に常設であるが、使用頻度は低かった︶。映画製作[編集]
日本映画は﹁製作委員会方式﹂で作られる作品が主流で、TBSが制作・出資に関わる映画は、JNN基幹局の毎日放送・北海道放送・CBCテレビ・RKB毎日放送も制作委員会に名を連ねている作品が多い。 1978年 ●水戸黄門 1979年 ●衝動殺人 息子よ 1980年1986年
1987年
1988年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
- ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE
- 黄泉がえり
- MOON CHILD
- あずみ
- 恋愛寫眞 College of Our Life
- ドラゴンヘッド
- 陰陽師II
- 木更津キャッツアイ 日本シリーズ
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
2022年
2023年
2024年
- 映画 マイホームヒーロー
- からかい上手の高木さん
- 九十歳。何がめでたい
- ラストマイル
- スマホを落としただけなのに 〜最終章〜 ファイナルハッキングゲーム
- 若き見知らぬ者たち
- グランメゾン・パリ
主な人物[編集]
●社長と会長に関してはページ下部のTBS歴代社長・会長とテンプレートを参照。 ●役員や番組スタッフ︵プロデューサー・ディレクターなど︶についてはCategory:TBSの人物を参照。 ●ラジオ・テレビ各分社化前に在籍していた人物も多いため、TBSホールディングス#主な人物も参照。 ●編成局長:瀬戸口克陽 ●報道局長:米田浩一郎[172] ●政治部長:後藤俊広[173] ●社会部長:辻真[174] ●ニューヨーク支局長:萩原豊[175]、NEWS23元編集長 ●ワシントン支局長:樫元照幸[176] ●ロンドン支局長:秌場聖治[177] ●モスクワ支局長:大野慎二郎[178] ●中東支局長:須賀川拓[179] ●ソウル支局長:渡辺秀雄[180] ●報道局記者:金平茂紀︵報道特集キャスター、元取締役執行役員、元編集主幹、元報道局長、元アメリカ総局長、元TBSインターナショナル副社長、元ワシントン・モスクワ支局長、﹃筑紫哲也 NEWS23﹄編集長︶ ●報道局記者:日下部正樹︵報道特集キャスター、元アナウンサー、元報道番組部長、元報道番組部スペシャリスト部長、元北京・ソウル・香港支局長︶ ●報道局記者:村瀬健介︵報道特集キャスター、元中東支局長︶アナウンサー[編集]
不祥事・事件・トラブル[編集]
名誉毀損・報道被害[編集]
●2003年11月2日、﹁石原発言捏造テロップ事件﹂。 ●2004年7月26日のニュース番組で、代理母出産を行ったタレント・向井亜紀の講演での発言について、﹁生みの親﹂を批判する印象を抱かせるように報道したため、視聴者から向井側へ非難がよせられた。これに対し向井側は発言の一部のみを切り取って放送するTBSの手法を非難して抗議した。のちにTBSは誤りを認め向井側へ謝罪した。 ●2008年2月16日放送の﹃歴史王グランプリ2008 まさか!の日本史雑学クイズ100連発!﹄で、会津戦争において﹁旧幕府軍が若松城を明け渡したとんでもない理由とは?﹂との出題に対し﹁糞尿が城にたまり、その不衛生さから﹂を正解とした。これに対し、戊辰戦争時の若松城のイメージを損なうとして、3月28日に会津若松市と会津若松市観光公社はTBSと番組制作会社に24日付で抗議文を郵送したことを公表した[181][182]。TBSは訂正放送を行わなかったが、3月30日に書面にて、4月8日昼の番組でそれぞれ謝罪した。 ●2016年2月3日放送の﹃水曜日のダウンタウン﹄で、﹁水戸黄門の印籠は今でも水戸でも通用するのか?﹂と称した実験を茨城県水戸市で行ったが、放送後視聴者から﹁︵水戸市に︶観光に行こうとしたが治安が悪くなったためキャンセルした﹂などと市に苦情が寄せられ、市が調査した結果﹁放送内容は虚偽によるもので市のイメージが損なわれた﹂として放送倫理・番組向上機構︵以下BPOと記載︶に同年3月2日までに意見書を提出したことを明らかにした。今回の水戸市の意見書提出についてTBSは﹁誠意をもって対応する﹂とコメント[183]。BPOの放送倫理検証委員会は同年3月11日、この件については審議の対象とはしないことを表明したが[184]、同年3月23日に当時の社長であった武田信二が定例会見で﹁︵今回の一件により︶水戸市及び水戸市を愛する方々に大変不快な思いをさせてしまったと反省しています﹂と謝罪、陳謝した一方で制作サイドに対しては苦言を呈した[185]。 ●2019年3月7日~8日に放送された﹃あさチャン!﹄などで、詐欺未遂容疑で7日に逮捕された男性について、逮捕前に顔を出さない約束を書面で取り交わし取材に応じていたのに、番組では﹁改元詐欺の男﹂﹁逮捕前のウソ﹂などのテロップとともに、男性の容貌全体がわかる映像が放映された。男性は同年5月29日に不起訴処分となった。男性はTBSに2200万円の損害賠償を求めて提訴した。2023年3月24日に東京地方裁判所は肖像権侵害などを認め、TBSに550万円の支払いを命じた[186][187][188]。同年10月12日、男性とTBSの和解が東京高等裁判所で成立した。男性側の代理人弁護士によると、和解条項にはTBSが男性に対して謝罪し、放送時の映像や画像がインターネット上に掲載されている場合は削除に努めることなどが盛り込まれたという[189]。 ●2023年1月12日放送の﹃news23﹄において、九州地方の現役のJA︵農協︶職員が取材に応じ、職員が過大なノルマを背負わされ、自身や家族が共済の契約を結ぶという問題が多発しているという実態を告発した。しかし、インタビュー映像の加工が杜撰だったことから、告発者が職場で身元が判明して、同年3月末に退職を余儀なくされたという記事が同年5月1日号﹃週刊現代﹄で報じられた。告発者によれば﹁放送前に映像を確認させてもらう約束は破られ、番組では腕時計や自宅は加工されておらず、明らか身元がわかる状態で放送された﹂と主張している。また、このJAの自爆営業問題を追及してきた農業ジャーナリストの窪田新之助によれば、番組の取材を担当した報道局調査報道ユニットの記者が当該元職員に電話をかけ、︵現代に︶記事掲載を見送らせるよう求める隠蔽工作を図ったと主張している。TBS側は﹁現代ビジネス﹂の取材に対し﹁週刊現代等の記事にあるような﹃TBSに裏切られた﹄など当社を非難する趣旨の連絡を取材対象者から受けたことはなく、質問には取材源の秘匿の観点からお答えできません﹂と記事を否定[190][191][192]、逆に報道局調査報道番組部長名義で、週刊現代編集部へ抗議書を送付する事態となった[193]。同年8月、BPOの放送倫理検証委員会は本件について放送倫理違反の疑いがあるとして、審議入りすることを決定した[194]。2024年1月11日、BPOの放送倫理検証委員会は、報道の原則である取材源の秘匿を貫けていなかったと判断し、﹁放送倫理違反があった﹂とする意見書を公表した[195]。偏向的・作為的な報道・演出[編集]
●1968年3月10日、﹁TBS成田事件﹂。 ●2007年10月11日、ボクシングの内藤大助対亀田大毅の世界タイトルマッチで﹁実況、解説が不公平である﹂という抗議電話が相次いだ。なお、TBSラジオでは全く正反対の内容で放送していた[注 71] こともあり物議を醸した。TBSはその後も単独独占生中継であるにもかかわらず﹁マスジャーナリズム﹂を例に挙げ、視聴者もろともお互い様であると締めくくり、ネット、視聴者からの批判が相次いだ。同時に、朝日新聞や産経新聞のほか、毎日新聞からもTBSに対して10月16日朝刊において名指しで批判を受けた[196]。 ●2010年3月11日、関西大学の李英和教授らが朝鮮学校に対する高校授業料無償化についての会見を行ったことを取り上げたニュースで、李教授の﹁朝鮮学校の子ども達の為になることというのは、お金をあげることじゃなくて学校運営を民主的にすることですから﹂と述べた部分を、﹁朝鮮学校の子どもたちのためになることというのは、お金をあげることですから﹂というテロップを付与して放送した。TBSは翌日に訂正とお詫びを自社サイト内のニュースページ﹁News i﹂に掲載、YouTube内のTBS公式チャンネル﹁TBS News-i﹂からは当該動画を削除した[197]。また、この件はBPOにも多数の批判が寄せられた。 ●2015年8月31日に月曜ゴールデン枠で放送された2時間ドラマ﹃SP八剱貴志﹄で、北朝鮮による拉致被害者救出を祈るシンボルであるブルーリボンバッジを贈収賄事件で逮捕される悪徳政治家役︵演‥寺田農︶に着用させ、ネット、視聴者から﹁北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会︵救う会︶や拉致問題に取り組んでいる保守系政治家のイメージダウンを狙った悪質な印象操作である﹂という内容の批判が相次ぎ、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会も正式にTBSに抗議した。TBSの番組担当者は、ブルーリボンバッジの意味を知った上で救う会の公式サイトで購入して着用させた事も認めており、着用理由について﹁ニュースなどで安倍晋三首相をはじめ多くの国会議員がバッジを着用しているのを見て、バッジを付けることで政治家っぽい雰囲気を出せると思った﹂と説明したという。捏造・やらせ・誤報[編集]
●2004年3月5日放送の報道特別番組﹃告白〜私がサリンを撒きました〜オウム10年目の真実﹄で、インタビューに出演した男性に、伝聞に基づく情報を実際に目撃したかのように証言させたとするやらせがあった、と雑誌が報じた。TBSは、誤解をまねく不適切な表現があったと謝罪したが、やらせについては否定した[198][199]。 ●2007年3月12日、﹁TBS掲示板捏造問題﹂。 ●2010年4月2日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で行われていたプロ野球セントラル・リーグ 広島 - 巨人戦において、試合開始前にノックをしていた巨人の木村拓也コーチ︵4月7日死去︶がグラウンド内で突然倒れ、救急車で病院に搬送された際に、夕方の関東圏向けニュース﹃Nスタ﹄でその時点では意識不明であったにもかかわらず速報で﹁急死﹂と報じた︵詳細はNスタ#問題となった放送内容を参照︶。同日の﹃JNNフラッシュニュース﹄及び﹃NEWS23X﹄、TBSの公式ホームページで謝罪し、翌週の4月5日の番組冒頭でもメインキャスターの堀尾正明と長峰由紀が謝罪及び訂正を行った[200][201]。 ●2010年5月19日夜、5月20日朝に、民主党幹部が明かした話として﹁赤松農水相が外遊中に海外でゴルフをしていた﹂などと報じた。情報源であるはずの民主党の幹部も、20日朝になって﹁伝聞だった﹂などとして、具体的な根拠はなかったことを明らかにしたという。これを受けてTBSは、﹁発言に対する裏付け取材が不十分だった﹂として番組内で陳謝した。 ●2012年11月16日放送の﹃みのもんたの朝ズバッ!﹄でNHKアナウンサーの電車内での痴漢行為による逮捕のニュースを放送する際に、誤って安倍晋三の映像を2秒間流した。後にアナウンサーが謝罪した。 ●2013年4月29日放送の﹃私の何がイケないの?﹄に出演した女性が高級外車の購入を決めたと伝えられたが、実際は購入されておらず、価格も異なっていたことが発覚。 ●2014年1月15日放送の﹃奥様はモンスター﹄の収録現場で、﹁とくにデヴィ夫人への絡みは面白くなるから、よろしく﹂とある女性に対してデヴィ・スカルノを挑発するように仕向けるヤラセを行っていたことが判明した。また、その女性の夫とされる男性は婚姻関係が全くなかったことも明らかになっている。 ●2015年1月28日放送の﹃水曜日のダウンタウン﹄で、東京都内の100円ショップで販売されていた福袋を承諾なく取り上げ﹁1つも売れず﹂との内容を放送したが、 実際には同店が用意した福袋10袋は完売しており、事実に反していたという捏造を行い、TBSが謝罪した[202]。また、同日の放送では兵庫県西宮市にあるブックオフの店舗の福袋に関しても、タイトルがバラバラに分かれたコミック単行本の福袋を読まずに売却した顧客を﹁どうかしてる﹂としたが、実際はその顧客は読んだ上で売却しており、また番組スタッフが店舗側に対し﹁完全にバラバラなタイトルで中身を見せずに作ってもらえませんか﹂とやらせを依頼された事を示唆する内容を同店を名乗るTwitterアカウントにより告発され、この点に関してもTBSが謝罪した。 ●2015年6月2日、横浜DeNAベイスターズ対福岡ソフトバンクホークス戦のプロ野球中継で、ソフトバンク・柳田悠岐の打球が二塁塁審・渡田均に当たり、球審がボールデッドを宣告した際、実況のアナウンサーが﹁審判は石ころと同じですよ﹂と連呼し、インプレーであると説明。解説の佐々木主浩もこれに同調した。しかし、公認野球規則5.09︵f︶には、内野手より前にいる審判員にフェアボールが当たった場合はボールデッドになることが書かれており、日本野球機構︵NPB︶がTBSに抗議した。TBSは翌日の同カードの放送時、野球規則の条文をテロップで出した上で、別のアナウンサーが﹁あたかもミスジャッジであるかのような発言がありました﹂と釈明した[203]。 ●2016年6月16日、TBSとテレビ朝日のニュース番組の街頭インタビューで同一の女性が登場していたため﹁さくらか?﹂﹁やらせではないか﹂との声が続出した[204]。なお、産経新聞はこの女性が市民団体の構成員であると報道した事について、事実確認をしていなかった事を認めて謝罪した[204]。 ●2016年6月19日に放送された﹃珍種目No.1は誰だ!?ピラミッド・ダービー﹄の中で行われた﹁双子見極め対決﹂において、出演者の一人だった男性顔相鑑定士の画像を故意にCG加工して見えなくし、さらに当初のルールになかった脱落とする不適切な演出が行われたことが6月27日までに発覚した。鑑定士が同月22日の自身のブログで告発。TBSは同月26日にこの鑑定士に対して番組プロデューサーが謝罪したが、鑑定士はBPOへの申し立てや法的手段に訴えることを検討。鑑定士は﹁番組の構成上面白がってやったのかも知れないが、あまりにもひどすぎる。全国ネットを使ったいじめだ﹂とコメント。今回の件についてTBSは事実関係を確認中とし[205]、翌27日には広報部が﹁行き過ぎた編集があった﹂とコメントしたものの、鑑定士が主張する捏造は否定した[206]。しかし7月8日、BPOの放送倫理検証委員会はこの件について審議入りすることを決定。同番組にはやらせ問題で打ち切りとなったフジテレビ系﹃ほこ×たて﹄と同じ番組制作会社のスタッフが関わっていた[207]。その後、委員会は12月6日に﹁重大な放送倫理違反があった﹂との結論を取りまとめた意見書を発表した。今回のBPOの決定に対しTBSは﹁委員会の指摘を重く受け止める﹂などとコメントした[208]。 ●バラエティー番組﹃消えた天才﹄で2019年8月11日ほか2018年に放送された3回分の放送を含む4回分の放送で、映像を意図的に早回し(約2割程度)する加工をするという不適切な演出をしていたことが同年9月に発覚した。 ●バラエティー番組﹃クレイジージャーニー﹄で2019年8月14日含む複数の放送回にて、ロケ前に準備していた生物をロケ中に発見したかのように放送していたことが同年9月11日に発覚した[209]。なお、前述の﹁消えた天才﹂と共に2番組は9月末で打ち切りとなった。 ●バラエティー番組﹃アイ・アム・冒険少年﹄で2022年1月3日放送の﹃冒険少年 新春!超・脱出島SP﹄正月4時間スペシャルでロケ前にイカダをスタッフが一緒につくる様子などの不適切な演出が同年1月9日掲載の﹃文春オンライン﹄の報道により発覚した[210][211][212][213][214]。番組収録中の事故[編集]
●1970年12月6日、﹃芥川也寸志のコンサート・コンサート﹄をGスタジオで収録中、170人の合唱団が乗ったひな壇が崩れ、骨折などの重傷3人、軽傷11人[215]。 ●2001年10月16日、﹃うたばん﹄の収録中にアイドルグループのモーニング娘。の紺野あさ美がスタジオ内の深さ90センチメートルの溝に転落する事故が発生、紺野は右ひざ上に合計12針を縫う怪我を負った。TBS側は謝罪したものの、デビューを目前に控えていた紺野にとってはコンサートや番組のキャンセルを余儀なくされた。 ●2002年5月5日、緑山スタジオでの﹃筋肉番付﹄収録中、京都大学1年の男性中国人留学生と東海大学3年の男子学生が、競技中に頚椎などを損傷する重傷、さらに1人が頚椎捻挫を起こす事故が発生。5月24日、TBSは﹃筋肉番付﹄の打ち切りを決定し、後に同番組は終了した[216]。ただし、5か月後の2002年10月12日より﹃体育王国﹄に改称する形で事実上再開している。 ●2006年8月28日、緑山スタジオでの﹃KUNOICHI﹄の収録中に参加者が感電し病院で手当てを受ける事故が発生したが、TBSは県警や消防への通報および事故の公表を行わなかったことが判明した。また、事故の際他の参加者への事故の説明を一切行っていなかった。原因はアース設備の不備だったという。TBSは安全確認の徹底に努めるとして謝罪した。 ●2007年3月3日、緑山スタジオでの﹃新SASUKE2007春﹄の収録中、1st STAGE第一エリアのロープグライダーでお笑いコンビのブラックマヨネーズの小杉竜一が着地に失敗し、着地点の浮き島の角に左腕を強打し、左肩を脱臼する事故が発生した。病院に緊急搬送されたが、TBSは事故の公表も警察への通報も行わなかったことが判明した。なお、この事故は放送1週間前の2007年3月14日に既に報道されていた。診断結果は全治3週間。放送では小杉の競技の模様はオンエアーされたが、脱臼に関する部分は一切カットされていた。TBSは収録1ヶ月後、放送2週間後の2007年4月2日に事故を公表した。その後、小杉を含む計5人が負傷し、うち1人は足を複雑骨折して全治6か月の重傷で入院していることを警察に届け出た事が判明した。小杉はある週刊誌によると、救急車ではなくタクシーで病院に向かった事を明らかにした。TBS側は﹁けがは通常起こりうる範疇のもの﹂と釈明した。また、一連の事故に対するマスコミのTBS批判に対し、TBS社長の井上弘は定例記者会見で﹁不当なバッシング﹂と述べた。 ●2007年4月19日、2002年の﹃スポーツマンNo.1決定戦 芸能人サバイバルバトル﹄の収録において、俳優の金子昇が手首を骨折する怪我を負っていたことが判明した。﹃KUNOICHI﹄﹃SASUKE﹄の事故と同様に事故の公表や警察への通報をしていなかった。 ●2007年4月25日、﹃第二アサ秘ジャーナル﹄で、バギーによるタイムトライアルの収録中に、出演者の江口ともみが転倒する事故が発生し、腎臓を損傷し手術で摘出するという重傷を負った。TBSは謝罪したが、後にバギーを管理する那須バギーパークの安全に対する警告がありながら収録が強行されたことが判明した[217]。 ●2008年3月29日に生放送された﹃オールスター感謝祭﹄で、お笑いコンビの次長課長の河本準一が番組内の企画コーナー﹁大相撲赤坂場所﹂︵体にローションを塗って相撲を取るゲーム︶で、マットを被せた発泡スチロール製の土俵で胸を強打し、右胸の肋骨を骨折する全治1か月のケガをした[218]。 ●2010年1月21日、﹃オレたち!クイズMAN﹄で、お笑いコンビのオードリーの春日俊彰がスタントの体験を行うロケの収録中、クッションやダンボールを厚さ約1メートル20センチに重ねた養生マットに背中から落ちる予定だったが、誤って足から落ち左足関節を骨折する事故が発生した。この事故を受けTBS側は﹁ご本人をはじめ、オードリー・若林正恭氏、所属事務所ほか関係各所の皆様に大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした﹂と謝罪。﹁今後このような事故が起こらないように番組制作上の安全管理をさらに徹底していく﹂としている[219]。 ●2012年4月4日、﹃炎の体育会TV﹄の収録中、番組内のコーナー﹁ハンドボール﹂で東国原英夫 元・宮崎県知事が試合中に倒れこみシュートと相手選手との接触・衝突により左肋骨を強打する全治3週間程度のケガをした。 ●2012年9月15日、茨城県常総市の小学校での﹃リンカーン芸人大運動会﹄の収録中、お笑いトリオの森三中の村上知子が右足のふくらはぎを負傷する事故が発生した。 ●2016年9月10日、静岡県駿東郡小山町の小学校での﹃リンカーン芸人大運動会2016﹄の収録中、最終種目のチーム対抗リレーでお笑いコンビのよゐこの有野晋哉がバトンパスで転倒し、左鎖骨を骨折する事故が発生した。これにより、有野は全身麻酔をした上で左鎖骨にプレートを入れる手術を行うことになった[220]。 ●2018年10月、旧埼玉県狭山市立東中学校での﹃リンカーン芸人大運動会2018﹄の収録中、第4種目のイス取り合戦でお笑いコンビのTKOの木下隆行が負傷し、病院に緊急搬送される事故が発生した。 ●2019年7月、﹃炎の体育会TV﹄の収録中、お笑い芸人の宮川大輔がボードに乗って坂を滑ってジャンプする企画のリハーサルで着地する際にバランスを崩し、木製の台の角に腰を打ち付ける全治2週間のケガをした。 ●2019年9月15日、東京メディアシティでの﹃笑いが無理なら体張れ﹄の収録中、お笑いトリオのネルソンズの青山フォール勝ちが収録時に右肩甲骨関節窩骨折などの全治8週間のけがを負っていた。 ●2020年11月15日、関東近郊の乗馬クラブでの﹃news23﹄の収録中、歌手のMISIAが騎乗していた馬が突然走り出し、振り落とされる形で落馬する事故が発生した。ヘルメットを着用していたため頭部への怪我は無かったが、翌日病院にて診断を受けた結果、背骨の第6・第7胸椎棘突起部の骨折で全治6週間の怪我を負っていた事が判明。原因は乗馬スタッフから番組スタッフに対して﹁動かないように﹂と指示を出していたが、何かの拍子で動いてしまい、その際に敏感な馬が反応してしまったと思われる[221]。企画自体はMISIAが放送を希望した事もあり、同年12月17日にメインキャスターの小川彩佳による謝罪を行った後に予定通り放送されている[222]。 ●2022年11月24日、﹃オオカミ少年﹄の企画﹁ソクオチ﹂︵クイズの不正解者がスポンジ状のクッションで満たされた約1.5m下の落とし穴に落下する企画︶の収録中、タレント・歌手の松本伊代がクイズの不正解に伴い落下した際腰を痛め、病院で診療を受けた結果、腰椎の圧迫骨折で治癒には3か月程度の加療を要するとの診断を受けた[223][224]。不適切な表現・取材[編集]
●1990年5月16日、﹁TBSビデオテープ押収事件﹂。 ●2007年11月30日、横綱朝青龍記者会見のため両国国技館近くで待機していたTBS腕章着用者が屋外で喫煙するところを日本テレビに生中継されてしまった。場所が公道上か国技館敷地内かは不明だが、公道上であれば墨田区路上喫煙禁止条例違反、国技館敷地内であっても国技館指定の喫煙所ではないため、いずれにしてもマナーに反する行為であることに変わりはない[225]。 ●2009年10月23日・同21日、生活情報番組﹃2時っチャオ!﹄︵同年3月終了︶に出演していた女性リポーターが、傷害と過失傷害の疑いで滋賀県大津地検に書類送検された。2009年2月、取材で滋賀県内の民家を訪れた際﹁人違いだ﹂と取材を拒否した被害女性宅に強引に上がり込もうとして揉み合い、その際、女性は玄関ドアに指を挟み、左手に1週間のケガを負ったとして警察に被害届を出していた。 ●2009年11月12日、英国人女性殺人事件の被疑者が送検された際、送検車の前に立ちふさがり運転席側窓ガラスを数回叩くなど警察官の職務を妨害したとして、千葉県行徳警察署はTBS情報制作局の男性ディレクターを公務執行妨害の現行犯で逮捕した。同日夜﹁逃亡の恐れがなく、身元がはっきりしている﹂として釈放した。男性ディレクターは釈放後、﹁何か撮影しなければとの思いに駆られた。自分が一番先に車の前に立ちはだかった意識はないが、申し訳ないと思っている﹂と話した。なお、神戸新聞に逮捕されたTBS社員の実名が掲載され、﹃みのもんたの朝ズバッ!﹄の制作などに携わっていたことが判明している。2010年7月1日、千葉地検は、この男性ディレクターについて、起訴猶予処分にしたことを明らかにした[226]。 ●2009年11月29日、男子ゴルフツアー﹃カシオワールドオープン﹄にて、石川遼選手らを取材していたTBSクルーの乗ったカートが観客の女性4人をはねる事故を起こした。被害者のうち一人はカートの下敷きになったまま約10メートル引きずられ、左眼窩底骨折の重傷で高知市内の病院に運ばれた。関係者は業務上過失傷害の疑いで警察から事情聴取された[227]。該当のカートは大会2日目にも強引な運転等によって大会運営を妨害したとされ、運営側から注意を受けていた[228]。この件に関して2010年1月20日高知地裁はTBSに雇われたフリーカメラマンに対して自動車運転過失傷害罪で禁錮2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。担当裁判官は﹁自分の都合で無理に発進して十分な間隔を取らなかった過失は重大﹂と述べた[229]。その後、TBSは日本女子ツアーを含めゴルフ中継でのカート使用を控えている[230]。 ●2009年12月5日に放送された﹃報道特集NEXT﹄及び同月8日に放送された﹃イブニングワイド﹄で、詐欺事件に関して取材を担当していたAPF通信社の記者が、取材対象の外国人男性の郵便物を無断で開封して内容を盗み見ていたことが2010年1月15日に発覚した。この記者は、男性のアパートの郵便受けから公共料金請求書を抜き取って本名を確認した後、再び封をして戻していた[231]。 ●2010年2月14日、バンクーバーオリンピックでカーリングのチーム青森の非公開練習を無断で盗撮し、日本オリンピック委員会により出入り禁止処分となる[232]。 ●2015年に行われた第97回全国高等学校野球選手権大会において、混乱を避けるため取材禁止エリアとされていた甲子園球場の場外で、取材証を持たないクルーが長蛇の列を作っていたファンに対してカメラを回していた。大会本部役員が注意すると、﹁個人撮影です﹂と嘘の説明をしてさらに取材を続行。大会本部はTBSのすべての取材証を取り上げ、翌年の大会の取材証も発行しない厳しい処置が決められた[233]。 ●2016年2月7日に行われた﹃第65回別府大分毎日マラソン﹄で、視覚障碍者女子の部で優勝した選手を取材していた音声スタッフが、大会事務局や中継を担当したRKB毎日放送などの許可を受けずに無断でゴール手前からコースに進入し、伴走者の声を併走しながら収録していた。TBSは翌8日、文書で今回の件について謝罪した[234]。 ●2016年4月21日放送の﹃Nスタニュースワイド﹄内のコーナー﹃ホリダス!﹄で、平成28年熊本地震の震源地に近い熊本県上益城郡益城町の避難所︵益城町役場︶の前から生中継したが、画面に映っていたTBSの記者とインタビューを受けていたピースボートの女性の背後から現れた被災者と思われる男性から﹁見せ物ではない﹂﹁車︵中継車︶邪魔。どかせよ!﹂などと大声で怒鳴られ、生中継を急遽打ち切った。東京のスタジオで現場の様子を見ていたメインキャスターの堀尾正明は慌てた様子で﹁中継を引き取ります。ご迷惑になっているようで、すみません﹂と謝罪したが、この騒動についてツイッター上では﹁報道各社は被災地に迷惑かけすぎ﹂﹁被災者からしたら、報道を建前にしたネタあさりと思われても仕方ない﹂といった非難の声が上がった。TBS広報部は﹁避難所について役場の担当者に許可を取り、ボランティアの受け入れについて放送を行っていました。今後も被災者の方々のお気持ちに十分配慮しながら取材を続けてまいります﹂とコメントした[235]。 ●2016年10月16日放送の﹃サンデーモーニング﹄の中のスポーツコーナー﹁週刊御意見番﹂で、前日の15日に行われた第93回箱根駅伝予選会で中央大学が予選落ちしたことに触れた際、コメンテーターを務める野球評論家の張本勲が﹁情報によるとちょっと内紛があるようだ﹂と発言。これに対して大学側は﹁事実無根﹂であるとして抗議。その4日後の10月20日、番組公式サイト上で今回の発言について﹁誤解を招いた﹂として謝罪した[236] ものの、番組内での謝罪、及びテロップ対応による謝罪は拒否した[237]。 ●2023年5月2日放送﹃ラヴィット!﹄での韓国での食べ歩きロケのVTR︵事前収録︶において、相席スタートの山添寛が、市場で売られていたタッカンジョン︵甘辛唐揚げ︶に無断で自分が使用していた爪楊枝を直接刺して食べたシーンが放映された。不適切な行為への他の演者や店主の指摘に対し山添は﹁ラヴィットヨ、ラヴィッソヨ﹂と、韓国語で﹁おいしい﹂を意味する言葉と番組名を交えた返答をしたのみで、VTR内では謝罪を行わなかった[238]。 この山添の不適切な行為や﹁生放送ではないので、事前にチェックできるにも関わらず放映するスタッフ﹂に対してSNSを中心に批判の投稿が相次ぎ、炎上に発展した。その3日後の同月5日の番組エンディングで、アシスタントを務める同社アナウンサーの田村真子が﹁番組として不適切であったと深く反省し、お店に直接謝罪させて頂きました。関係者の方々にご迷惑をおかけしたこと、ならびに視聴者の皆様に不快な思いをさせてしまったことをお詫びします﹂と謝罪した。また、見逃し配信のTVerで当該部分について削除されている[239]。しかし、この時点で当事者の山添、番組MCの川島明、番組制作サイドの謝罪はいずれもなく、無関係に近い田村に謝罪させたことに対し、さらにSNSを中心に批判の炎上が続く状態となった[240][241]。 その後、週が明けた同月8日の番組エンディングで田村が、明日に放映を予定していた韓国ロケの続編について放映しない事を伝え、MCの川島も﹁改めまして、先週火曜のロケ内容でご迷惑をおかけした方々、そして不快に思われた視聴者の皆様、本当に申し訳ございませんでした﹂と謝罪した[242]。 ●2023年11月5日放送のサンデーモーニング内において放送された、生成AI︵人工知能︶で作られたフェイク画像だと伝えたイスラム組織ハマス幹部が贅沢な暮らしをしている画像などについて、﹁実際には生成AIを使って作られた画像ではないものと考えられる﹂と訂正し、番組公式サイトで謝罪した[243][244][245]。その他[編集]
●2003年3月29日、メディア推進局副理事が東京国税局より9千数百万円の申告漏れを指摘され、うち、7000万円は不正な所得隠しであると認定された。これは取締役として属していた子会社のTBSエンタテインメントから番組制作費を下請けプロダクションへ水増し発注し、水増し分をキックバックさせて得ていたものとされる。本人は不正を認めなかったが、TBSは﹁会社の信用を傷つけた﹂として諭旨解雇処分とした。 ●2005年5月11日、公式サイトに掲載されていたコラム﹃ダッグアウト﹄にて、毎日・朝日・読売の各新聞社からの記事盗用が発覚した。1本のコラムに複数の記事から盗用していた例もあり、盗用された記事は計39件にも及んだ。TBSは当初﹁外部のフリーライターがやったこと﹂と発表していたが、のちに当時の編成制作本部スポーツ局担当部長が行い、フリーライターがやったように見せかける偽装工作が判明し、同部長は解雇された。また、その後の社内調査でこれとは別に3件の盗用があることが判明した。 ●2006年5月6日、﹁白いんげん豆食中毒事件﹂。 ●2009年7月17日、﹃キミハ・ブレイク﹄の収録中、8月1日スタートのドラマ﹃こちら葛飾区亀有公園前派出所﹄の番宣を兼ね、東京都葛飾区の荒川河川敷にて花火数十発を打ち上げたが、その時間は警察に届けていた﹁20時から21時﹂をとうに過ぎた22時45分であったため、所轄の亀有警察署には苦情の110番通報が数件寄せられた。番組ディレクターは、﹁収録が長引いた。ご迷惑をかけてすみません﹂と謝罪、警察は注意と再発防止を指導した[246]。その後の31日には、﹃こち亀﹄の主人公・両津勘吉を演じるSMAP香取慎吾が通報を受けた亀有署の一日警察署長を務めた。本来は﹃ぴったんこカン・カン﹄での企画であり、当初は﹃キミハ・ブレイク﹄内での放送予定はなかったが、上記の通りスケジュールが大幅に押したため、﹃キミハ・ブレイク﹄内での放送となった。 ●2010年の1月から3月に放映されたドラマ﹃特上カバチ!!﹄で、行政書士が、法律で認められていない示談交渉を行う場面が描かれたとして、大阪弁護士会がTBSに正式に抗議し、DVD販売や再放送の自粛を求めた[247]。 ●2010年6月1日にさいたまスーパーアリーナで開催された、韓国のテレビドラマ﹃アイリス﹄のイベント﹁ドラマティック・ライブステージ﹃IRIS﹄﹂において、本来、特設花道として使用する部分を誤って座席スペースとして発券してしまい、該当する観客に席の移動を促したところ、当該観客から抗議を受けるトラブルに発展した。その後、係員が代替の3階席に誘導したが、その3階席に通じる階段が閉鎖されており、4階・5階席への代替に再変更するなどの不手際が相次ぐ。同イベントを主催したTBSは、当該座席を購入した観客の内、会場で既に返金手続きを済ませた観客を除いた全ての人に、代金9800円全額を返金する措置を発表した。 ●2016年10月9日に放送された﹃オール芸人お笑い謝肉祭'16秋﹄で、出演者が下半身を露出するなど低俗な内容により視聴者から抗議の声があったとしてBPOの青少年委員会が同年10月25日に審議入りしたことを発表した。今回の審議入りについてTBSは﹁厳粛に受け止め、また調査に対して真摯に対応する﹂とコメントした[248]。 ●2016年10月18日放送の﹃マツコの知らない世界﹄において、出演者から提供された新聞号外資料約300点のうち8点を番組側のミスにより紛失していたことを2017年7月に公表した[249]。 ●2017年4月上旬、メディアビジネス局担当の男性部長が危険ドラッグと見られる液体を知人女性にかけてけがをさせたなどとして、傷害及び医薬品医療機器法違反︵指定薬物の所持︶の疑いで警視庁に書類送検され、同年8月28日付で懲戒解雇された[250]。その後同年10月12日付で危険ドラッグ所持について略式起訴されたが、女性への傷害については不起訴処分となった。 ●2023年1月23日、広報部社員の40代の女が、同月東京都内または周辺で覚醒剤を使ったなどとして、覚醒剤取締法違反容疑で警視庁代々木署に逮捕された。社員は容疑を認めているという[251]。その後、同年2月10日東京地検に起訴されたことを受け、TBSはこの社員を懲戒解雇したことを明らかにした[252]。 ●2023年5月23日18時頃、同社アナウンサーの宇内梨沙がライブエンタテインメント局・eスポーツ研究所所員として開設しているYouTubeチャンネル﹁宇内梨沙/うなポンGAMES﹂の制作スタッフが、同月17日に実施した﹃SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE﹄︵フロム・ソフトウェア制作︶のライブ配信のゲーム実況動画について、配信設定を変更する際に、誤操作によりContent ID︵映像・音声に著作権を管理する設定︶を﹁有効﹂にする設定を行った。これにより、同配信で使用していた映像と一致するシーンをアップロードしていた動画配信者に著作権の申し立てを適用してしまった。 この件で、宇内が同日中に自身のTwitterで謝罪[253]したほか、翌24日未明に同チャンネルのコミュニティ内でも経緯が説明された。TBSテレビ側は24日20:55頃に公式HPに謝罪文を掲載した。なお、23日24時までにContent IDの参照を停止し、申し立てを取り下げていると明らかにしている。翌週31日に海外の動画配信者に向け英語でも同様の謝罪文を追加した[254]。 宇内は翌25日に木曜パートナーとしてレギュラー出演しているTBSラジオ﹃アフター6ジャンクション﹄の冒頭でも謝罪を行い、宇内自身の思いとして﹁普段一緒に運営しているスタッフさんは本当に信頼していますし、その方が起こしてしまったミス。﹃私がやったことじゃないから﹄ってそんなに静観できない。同じチームとして、迷惑をかけた方に謝りたい﹂と述べ、﹁こういったミスが二度と起きないように、より引き締めて運営を行っていきます﹂と今後についての決意を語っている[255]。なお同チャンネルは、eスポーツ研究所の所管部署が新規IP開発部に変更後の同年7月5日より、YouTubeでの動画投稿とライブ配信を再開[256]。TBSテレビが関係するコンピュータゲーム[編集]
1980年代から90年代初頭は日本ビクターや学研と共同出資していたパック・イン・ビデオ︵ビクターインタラクティブソフトウェアへ社名変更後、マーベラスへ吸収合併︶を通じたゲーム化作品が多かった。 2023年7月に社内で新ブランド﹁TBS GAMES﹂を立ち上げ、自社によるコンピュータゲーム市場参入を発表した[152]。 TBSテレビのバラエティ番組やスポーツ番組を題材としたゲーム作品 ●ファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城︵1987年︶ ●ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦シリーズ︵1991年・1992年︶ ●筋肉番付シリーズ︵1999年〜2001年︶[注 72] ●マッスルちゃんぴよん 〜筋肉島の決戦〜︵2002年︶ ●TBSオールスター感謝祭 Vol.1 超豪華!クイズ決定戦︵2003年︶ ●TBSオールスター感謝祭2003秋 超豪華!クイズ決定戦︵2003年︶ ●アッコにおまかせ!ブレインショック︵2006年︶ ●東京フレンドパークII〜DSで鍛える運動能力〜︵2006年︶ ●世界・ふしぎ発見!DS伝説のヒトシ君人形を探せ!︵2009年︶ ●東京フレンドパークII決定版〜みんなで挑戦!体感アトラクション〜︵2009年︶ ●飛び出せ!科学くん 〜地球大探検!謎の珍怪生物に挑め!〜︵2011年︶ ●クイズ☆正解は一年後 presents あつしの名探偵︵2023年︶ 以下はエポック社の体感ゲームでの同局のバラエティ番組を題材としたゲーム機。エポック社が開発をする際にTBSのみにライセンスを採る形だったため、以下に挙げたものが全てのテレビ番組とタイアップした作品であった。ジャンルは全て﹁バラエティ﹂。 ●東京フレンドパークII フレンドパークへあそびにいこう!!︵2003年︶ ●オールスター感謝祭 超豪華!クイズ決定版 赤坂5丁目体感スタジオ!︵2004年︶ ●東京フレンドパーク2スペシャル!フレンドパークへみんなでいこう!!︵2005年︶ ●東京フレンドパークIIフレンドパークへあそびにいこう!!︵2003年︶ ●サスケ&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦︵2006年︶ ●東京フレンドパークIIパーフェクト!めざせ!グランドスラム!!︵2007年︶ ●究極!筋肉スタジアム!サスケ完全制覇︵2008年︶ 以下は﹁TBS GAMES﹂として開発され、配信・発売されている︵またはその予定の︶ゲーム作品。 ●風雲!たけし城︵2023年9月1日よりRoblox内で配信︶ ●アイ・アム・冒険少年 超・脱出島︵2024年3月7日よりNintendo Switchで発売︶ TBSテレビが開発したオリジナルゲーム作品 以下はいずれも﹃Fortnite﹄上での配信で、同ゲームの実況者であるYouTuberのLiaqN︵りあん︶とのコラボにより開発が進められた[257]。- HUMAN HEAD CLIMB(2024年4月27日 - )
- JAPANESE ZOMBIE SURVIVAL(2024年5月11日 - )
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
- TBSホールディングス(TBS HD)
- JNN
- BS-TBS(BS放送)
- TBSチャンネル(CS放送)
- TBS NEWS(CSニュース)
- TBSオンデマンド(動画配信サービス)
- TBSメディア総合研究所
- TBSラジオ
- 毎日新聞社
- アジア太平洋放送連合
外部リンク[編集]
- TBSテレビ
- TBS系リアルタイム配信|TBSテレビ
- TBS リアルタイム配信 | TVer
- TBS NEWS - TBSの動画ニュースサイト
- TBS - TMDb
- TBSテレビ - メディア芸術データベース