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九条尚実

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凡例

九条尚実
時代 江戸時代中期
生誕 享保2年6月21日1717年7月29日
死没 天明7年9月22日1787年11月1日
改名 尭厳→九条尚実
官位 従一位摂政関白太政大臣准三后
主君 桜町天皇桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇
氏族 九条家
父母 父:九条輔実、母:家女房
兄弟 師孝幸教輔子尚実
道前松殿忠孝
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617652殿調[4]

6180cm)[4][5]

系譜[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 稙基が子供の無いままに没したために断絶の危機を迎えた九条家では当初は稙基の弟で二条家の養子となっていた二条宗基を九条家に呼び戻して相続させようとしたが、それでは二条家が断絶してしまうとして反対論が出ていた。そのため、次善の策として幸教の弟である尭厳の相続を希望し、桜町天皇もこの案に賛同していた[2]

出典[編集]

  1. ^ 読みは「ひさただ」(『真宗人名辞典』など)、「なおただ」(『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』など)と二通りある。
  2. ^ 長坂良宏「近世摂家相続の原則と朝幕関係」『近世の摂家と朝幕関係』吉川弘文館、2018年(原論文:『日本歴史』第721号、2008年) 2018年、P23-26.
  3. ^ 長坂良宏「近世摂家相続の原則と朝幕関係」『近世の摂家と朝幕関係』吉川弘文館、2018年(原論文:『日本歴史』第721号、2008年) 2018年、P23-30.
  4. ^ a b 林大樹「宝暦事件の基礎的考察」『天皇近臣と近世の朝廷』(吉川弘文館、2021年) 2021年、P246.
  5. ^ 林大樹「近世後期の天皇避諱欠画令」『日本歴史』805号(2016年)/所収:林『天皇近臣と近世の朝廷』(吉川弘文館、2021年) 2021年、P337.

関連項目[編集]