古牧橋
古牧橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県中野市大字壁田字古牧 - 飯山市大字蓮字上組 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 国道292号 |
管理者 | 長野県北信建設事務所 |
施工者 | 日本橋梁 |
着工 | 1959年(昭和34年)4月 |
竣工 | 1963年(昭和38年)11月 |
開通 | 1963年(昭和38年)12月 |
座標 | 北緯36度48分14.6秒 東経138度21分0.8秒 / 北緯36.804056度 東経138.350222度 |
構造諸元 | |
形式 | トラス橋・桁橋 |
材料 | 鋼・鉄筋コンクリート |
全長 | 296.3 m |
幅 | 6.0 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
古牧橋︵こまきばし︶は、長野県中野市古牧 - 飯山市蓮にある国道292号の橋長296.3 m︵メートル︶のトラス橋・桁橋。
概要[編集]
信濃川河口から193 km︵キロメートル︶の地点に架橋されており、飯山市と中野市を結ぶ[1][2]。 ●形式 - 4径間鋼下路カンチレバー・ワーレントラス橋+6径間単純RCT桁橋 ●橋長 - 296.3 m︵トラス部216.8 m・桁部79.5 m︶ ●幅員 - 6.0 m ●車道 - 6.0 m ●歩道 - 歩道橋あり ●施工 - 日本橋梁︵鋼橋部︶・守谷商会︵下部工・床版・取付道路︶ [1][3][4]歴史[編集]
橋の南西の長丘丘陵は奈良時代には狼煙台、戦国時代には壁田城壁などがあったことから、古くから交通・軍事の要衝であった[1]。 かつてここには、腰巻の渡しがあり、元禄以降、飯山藩の参勤交代において用いられるようになった[1]。1876年︵明治9年︶に壁田村・静間村両村の出願人により全長118 m、幅3.6 mの船橋が架橋されたが、1896年︵明治29年︶の水害によって全て流失したため再び渡船に復した[2][5]。 県の許可を得て、1917年︵大正6年︶に舟橋を架橋した。1921年︵大正10年︶に腰巻舟橋が現在の古牧橋より上流側約300 mに架橋されたが、水害が度重なっていた。1956年︵昭和31年︶9月27日にも流失し[3]、永久橋への架け替えが1959年︵昭和34年︶4月に着工し、1963年︵昭和38年︶11月に竣工した[1][2]。 架橋当初は腰巻橋であったが、橋周辺の住民が下着を意味する腰巻の名を忌避したことから、古牧橋に橋名が変更された[1]。 歩道橋は上流側に1984年︵昭和59年︶架けられた[1][3]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ abcdefg信濃の橋刊行会﹃信濃の橋百選﹄︵初版︶信濃毎日新聞社、2011年7月24日、67頁。ISBN 978-4-7840-7166-1。
(二)^ abc長野県教育委員会﹃歴史の道路調査書XXXI 千曲川﹄︵初版︶長野県文化財保護協会、1992年6月20日、112頁。
(三)^ abc“古牧橋1963-12”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月1日閲覧。
(四)^ “古牧橋” (PDF). 信州﹁土木のお宝﹂. 長野県北信建設事務所. 2020年9月1日閲覧。
(五)^ “古牧橋1876-10”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月1日閲覧。
外部リンク[編集]
- 長野県北信建設事務所 - 管理者
- 腰巻橋(古牧橋) 昭和38年 守谷商会
- 空から眺める千曲川・犀川 千曲川下流 - 国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所