上川郡 (十勝国)
上川郡︵かみかわぐん︶は、北海道︵十勝国︶十勝総合振興局の郡。
人口14,180人、面積1,466.08km²、人口密度9.67人/km²。︵2024年4月30日、住民基本台帳人口︶
以下の2町を含む。
●新得町︵しんとくちょう︶
●清水町︵しみずちょう︶
郡域[編集]
1879年︵明治12年︶に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記2町から清水町の一部︵美蔓・羽帯・旭山・御影︶を除き、河西郡芽室町の一部︵上芽室の一部︶を加えた区域にあたる。 郡名は十勝川の上流部にあたることから命名。西に隣接する石狩国上川郡とは大雪山系で隔てられている。歴史[編集]
郡発足までの沿革[編集]
江戸時代の上川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。江戸時代後期、上川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年上川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。安政4年上川郡域にも跨る十勝岳が噴火︵安政噴火︶している。安政6年、6藩分領により仙台藩が上川郡域を拝領。戊辰戦争︵箱館戦争︶終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して上川郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を﹁十勝郡﹂と命名し、開拓使公文録でも﹁十勝郡﹂であったが、その後現在の上川郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では、他にも現在の中川郡、十勝郡で郡名が変更されている。郡発足以降の沿革[編集]
明治9年の大区小区
- 第23大区
- 6小区 : 人舞村、屈足村
- 第23大区
●明治12年︵1879年︶7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての上川郡が発足。
●明治13年︵1880年︶3月 - 浦河郡外十郡役所︵浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川郡河西河東上川郡役所︶の管轄となる。
●明治15年︵1882年︶2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
●明治19年︵1886年︶1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
●明治20年︵1888年︶6月 - 釧路郡外十一郡役所︵釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所︶の管轄となる。
●明治22年︵1890年︶1月 - 釧路郡外十郡役所︵釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所︶の管轄となる。
●明治24年︵1892年︶3月 - 釧路郡外十二郡役所︵釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所︶の管轄となる。
●明治30年︵1897年︶
●7月 - 河西郡外五郡役所︵河西河東上川中川十勝当縁広尾郡役所︶の管轄となる。
●11月5日 - 郡役所が廃止され、河西支庁の管轄となる。
●大正4年︵1915年︶4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、人舞村、屈足村︵いずれも二級村、単独村制︶が発足。︵2村︶
●大正9年︵1920年︶9月 - 人舞村が河西郡芽室村の一部︵大字美蔓村の一部︶を編入。
●大正12年︵1923年︶4月1日
●人舞村が北海道一級町村制を施行。
●屈足村が改称のうえ北海道一級町村制を施行して新得村︵一級村︶となる。
●昭和2年︵1927年︶9月25日 - 人舞村が改称して清水村︵一級村︶となる。
●昭和7年︵1932年︶8月15日 - 河西支庁が改称して十勝支庁となる。
●昭和8年︵1933年︶5月1日 - 新得村が町制施行して新得町︵一級町︶となる。︵1町1村︶
●昭和11年︵1936年︶1月1日 - 清水村が町制施行して清水町︵一級町︶となる。︵2町︶
●昭和18年︵1943年︶6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。
●昭和22年︵1947年︶5月3日 - 地方自治法の施行により北海道十勝支庁の管轄となる。
●昭和26年︵1951年︶9月30日 - 清水町が河西郡御影村を編入。
●昭和33年︵1958年︶4月1日 - 清水町の一部︵上芽室のうち100戸653人︶を河西郡芽室町に編入。
●平成22年︵2010年︶4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。
行政[編集]
浦河郡外十郡長この節の加筆が望まれています。 |
- 釧路郡外十一郡長
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- 釧路郡外十郡長
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- 釧路郡外十二郡長
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- 河西郡外五郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 吉田直太郎[1] | 明治30年(1897年)7月 | 明治30年(1897年)11月5日 | 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く |