杵屋六左衛門 (14代目)
じゅうよだいめ きねや ろくざえもん 十四代目杵屋六左衛門 | |
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1955年 | |
本名 | 杵屋安彦 |
生年月日 | 1900年10月6日 |
没年月日 | 1981年8月23日(80歳没) |
出生地 | 東京都中央区日本橋 |
死没地 | 東京都 |
国籍 | |
職業 | 江戸長唄宗家家元 |
活動期間 | 1911年–1981年 |
活動内容 | 江戸長唄唄方 |
著名な家族 |
父 十三代目杵屋六左衛門(寒玉) 長男 十五代目杵屋喜三郎 次女 十五代目杵屋六左衛門。 |
主な作品 | |
『大江山酒呑童子』 『能阿』 『母を恋ふるの記』 『壇の浦』 他400曲あまり。 | |
受賞 | |
1956年 - 文部大臣賞 1957年 - 毎日演劇賞音楽賞 1958年 - 毎日映画コンクール音楽賞 1961年 - 日本芸術院賞 |
十四代目 杵屋 六左衛門︵じゅうよだいめ きねや ろくざえもん 1900年︵明治33年︶10月6日 - 1981年︵昭和56年︶8月23日︶は、江戸長唄の十四世宗家家元。重要無形文化財保持者︵人間国宝︶。本名は杵屋 安彦︵きねや やすひこ︶。父の代までは三味線方の家系だったが、彼の代から唄方に転向した。
来歴[編集]
●1900年︵明治33年︶10月6日 - 東京都中央区日本橋に十三代目杵屋六左衛門︵寒玉︶の長男として生まれる。 ●1911年︵明治44年︶ - 十四代目杵屋喜三郎を襲名。 ●1916年︵大正5年︶ - 十四代目杵屋六左衛門を襲名、杵屋十四世宗家家元になる。唄方に転向し、四代目吉住小三郎︵慈恭︶に師事。 ●1927年︵昭和2年︶ - 帝国劇場邦楽部長に就任︵ - 1931年︶。 ●1944年︵昭和19年︶ - 旧制東京音楽学校教授に就任。 ●1945年︵昭和20年︶ - 長唄協会会長に就任︵後に名誉会長︶。 ●1958年︵昭和33年︶ - ブリュッセル万博に文化使節として参加。 ●1974年︵昭和49年︶ - 重要無形文化財保持者に各個認定される︵いわゆる人間国宝︶。 ●1981年︵昭和56年︶8月23日 - 死去、満80歳。 新橋芸妓組合の長唄の師匠として、﹁東をどり﹂の新作舞踊の作曲も手掛ける。受章等[編集]
●受賞 ●1956年 - 文部大臣賞 ●1957年 - 第10回毎日演劇賞音楽賞︵東をどり﹁母を恋ふる記﹂の作曲︶[1] ●1958年 - 第13回毎日映画コンクール音楽賞︵﹃楢山節考﹄︶[2] ●1961年 - 日本芸術院賞 ●その他 ●1966年 - 日本芸術院会員 ●1974年 - 人間国宝作曲[編集]
●﹃大江山酒呑童子﹄ ●﹃能阿﹄ ●﹃母を恋ふるの記﹄ ●﹃壇の浦﹄ 他400曲あまりを作曲する。また映画﹃楢山節考﹄の音楽も手がけている。家族[編集]
- 長男 十五代目杵屋喜三郎(唄方、人間国宝)
- 次女 十五代目杵屋六左衛門