吉田精一
人物情報 | |
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生誕 |
1908年11月12日 日本・東京都 |
死没 | 1984年6月9日 (75歳) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 文学(日本文学) |
研究機関 |
二松學舍専門学校 拓殖大学 中央大学 東京教育大学 |
吉田 精一︵よしだ せいいち、1908年︿明治41年﹀11月12日 - 1984年︿昭和59年﹀6月9日︶は、日本の国文学者。学位は、文学博士︵東京大学・論文博士・1960年︶。東京大学教授を経て、大妻女子大学名誉教授。近代文学専攻。1979年に勲二等瑞宝章受章。
年譜[編集]
●1908年︵明治41年︶ - 東京市本所区横網町に生まれる ●1926年︵大正15年︶ - 東京府立第三中学校卒業 ●1929年︵昭和4年︶ - 第一高等学校文科丙類卒業 ●1932年︵昭和7年︶ - 東京帝国大学文学部国文科卒業 ●1934年︵昭和9年︶ - 二松學舍専門学校教授 ●1940年︵昭和15年︶ - 拓殖大学教授 ●1948年︵昭和23年︶ - 日本近代文学会を本間久雄らと創立、理事となる ●1950年︵昭和25年︶ - 中央大学教授 ●1953年︵昭和28年︶ - 東京教育大学文学部教授 ●1956年︵昭和31年︶ - 国語審議会委員 ●1960年︵昭和35年︶ - 東京大学より文学博士の学位を授与される ●1964年︵昭和39年︶ - ミシガン大学客員教授 ●1967年︵昭和42年︶ - 東京大学文学部教授、東京教育大学教授兼任 ●1969年︵昭和44年︶ - 東京大学を定年退官、埼玉大学教養学部教授 ●1971年︵昭和46年︶ - 埼玉大学教養学部長 ●1974年︵昭和49年︶ - 大妻女子大学教授 ●1976年︵昭和51年︶ - 同文学部長 ●1983年︵昭和58年︶ - 日本学士院会員 ●1984年︵昭和59年︶ - 大妻女子大学名誉教授 ●1984年︵昭和59年︶ - 逝去、叙正四位。墓所は青山霊園(1ロ15-8)受賞・栄典[編集]
●1955年︵昭和30年︶ - 毎日出版文化賞︵﹃現代文学論大系﹄︶ ●1956年︵昭和31年︶ - 芸術選奨文部大臣賞︵﹃自然主義の研究﹄﹃現代文学論体系﹄︶ ●1959年︵昭和34年︶ - 日本芸術院賞︵﹃自然主義の研究﹄︶[1] ●1979年︵昭和54年︶ - 勲二等瑞宝章研究内容・業績[編集]
1940年︵昭和15年︶の処女作﹃近代日本浪漫主義研究﹄で頭角を現し、1951年︵昭和26年︶より日本近代文学会の中心となる。また、1983年︵昭和58年︶に近代日本文学の分野で初めて日本学士院会員となった。 文献学批判の立場から、独自の美学的根拠にたつ実証研究を確立した。芥川龍之介、永井荷風、谷崎潤一郎といった現代作家を研究対象とすることは当時のアカデミズムでは異例のことである。東京大学の教授だった時期は短く、名誉教授にはなっていない。「名誉教授#叙勲対象」を参照
著作集25巻があるが、多作な学者を軽視する日本的伝統もあり、その研究の価値が十全に認められているとは言えない[独自研究?]。