福王寺法林
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福王寺 法林︵ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 - 2012年2月21日︶は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事。位階は従三位。山形県米沢市生まれ。本名は福王寺雄一。
人物[編集]
代表作は、﹃島灯﹄﹃ヒマラヤの花﹄等。息子の福王寺一彦も日本画家。
略歴[編集]
●1927年、6歳のときに左眼を失明する。
●1929年、上村廣成に師事し日本画を学ぶ。
●1936年、画家を志して上京する。
●1941年、召集され、中国に出征する。
●1946年、復員し、院展に出展する。
●1949年、作品﹁山村風景﹂が日本美術院展覧会に初入選する。
●1953年、東京都三鷹市に転居し本格的に絵画制作に取り組む。
●1960年、作品﹁北の海﹂が日本美術院賞・大観賞を受賞する。
●1974年、幼い頃からの夢であったヒマラヤへの取材旅行を始め、これ以降、ヒマラヤを扱った作品が多くなる。
●1977年、作品﹁ヒマラヤ連峰﹂で、第27回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
●1984年、作品﹁ヒマラヤの花﹂で日本芸術院賞を受賞する[1]。
●1994年、日本芸術院会員。
●1997年、勲三等瑞宝章受章。
●1998年、文化功労者顕彰受賞。
●2004年、文化勲章受章。
●2004年、米沢市名誉市民顕彰受賞[2]。
●2005年、山形県名誉県民顕彰受賞[3]。
●2012年2月21日、心不全のため死去[4]。91歳没。叙従三位[5]
作品[編集]
●﹃北の海﹄
●﹃島灯﹄
●﹃ヒマラヤ連峰﹄
●﹃ヒマラヤの花﹄
脚注[編集]
[脚注の使い方]
(一)^ ﹃朝日新聞﹄1984年4月5日︵東京本社発行︶朝刊、22頁。
(二)^ “名誉市民”. 米沢市役所. 2022年7月29日閲覧。
(三)^ “山形県名誉県民・山形県県民栄誉賞”. 山形県. 2022年7月29日閲覧。
(四)^ 訃報‥福王寺法林さん死去…﹁ヒマラヤの画家﹂、91歳 毎日新聞 2012年3月1日閲覧
(五)^ 官報本紙、2012年3月19日
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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