矢野橋村
矢野 橋村 (やの きょうそん) | |
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誕生日 | 1890年9月8日[1] |
出生地 | 愛媛県越智郡(現今治市)[1][2] |
死没年 | 1965年4月17日(74歳没)[1] |
死没地 | 大阪府豊中市[1] |
受賞 |
日本芸術院賞 1960年 錦楓 [3] 従五位・勲四等瑞宝章 1965年 [1] |
矢野 橋村︵やの きょうそん、1890年︵明治23年︶9月8日 - 1965年︵昭和40年︶4月17日︶は、日本画家[1]。愛媛県越智郡︵現今治市︶出身[1][2]。本名一智、別号﹁知道人﹂[1]。晩年、日本南画院の設立に関わった[1]。
略歴[編集]
1890年︵明治23年︶9月8日[1]、愛媛県越智郡に生まれる[2]。大阪陸軍造兵廠にて勤務中に左手首切断の負傷を負う[2]。その後南画家を志し永松春洋へ師事し[1]、右手一本で創作活動を行う[2]。 1914年︵大正3年︶、第8回文展[注 1]にて﹁湖山清暁﹂が褒章を受賞[1]。1919年︵大正8年︶、直木三十五、福岡青嵐らと﹁大阪文化の抜本的改革を提唱する美術・文学・哲学などを文化総体として捉えた研究団体[2]﹂として主潮社を結成、毎年東京と大阪で個展を開催する[1]。1921年︵大正10年︶には三井飯山、河野秋邨、小室翠雲、池田桂仙、水田竹圃など[5]と共に日本南画院を設立[1]。1923年︵大正12年︶、関東大震災発生のため主潮社展覧会が断絶[1]。翌1924年︵大正13年︶、当時の大阪に美術を学ぶ学校が存在しなかったことから[2]、33歳にして大阪市天王寺区に私立大阪美術学校を設立[注 2]、校長に就任し自ら教鞭を取り[1][2]、全国から南画家が結集し発表と研究の場を得た[5]。大阪美術学校は昭和四年に牧野村大字渚字御殿山︵現・枚方市︶に移転。橋村は校舎に併設した美術館﹁大来館﹂を住まいとした[2]。 1927年︵昭和2年︶第8回帝国美術展覧会︵帝展︶特選、翌1928年︵昭和3年︶第9回帝展でも特選[1]。1934年︵昭和9年︶には大阪府史跡名勝天然記念物調査委員を依嘱される[1]。 1939年︵昭和14年︶乾坤社主宰、創立[1]。同年3月1日、大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫にて29回の大爆発を発生する事故があり、近在していた大阪美術学校が甚大な延焼被害を受けた[2]。1942年︵昭和17年︶大阪日本画家報国会結成、理事長に就く[1]。1944年︵昭和19年︶、太平洋戦争の激化に伴い生徒の招集・徴用によって学校運営が困難となる中、陸軍により大阪美術学校施設が接収され廃校となった[2]。橋村の活躍と大阪美術学校の存在は学校跡地に建設された[6]後の御殿山美術センター︵現御殿山生涯学習美術センター︶開設に大きく貢献するものと考えられている[2]。 1950年︵昭和25年︶大阪府芸術賞受賞[1]。同年、主潮社復活[1]。1958年︵昭和33年︶第13回改組日展にあたって日展評議員就任[1]。1959年︵昭和34年︶大阪市民文化賞受賞。1960年︵昭和35年︶日本南画院創立、副会長に就任[1]。1961年︵昭和36年︶、第17回日本芸術院賞受賞[3]。1964年︵昭和39年︶日本南画院会長[1]。 1965年︵昭和40年︶4月17日、脳出血のため大阪府豊中市の自宅にて死去、74歳没[1]。同日付で従五位・勲四等瑞宝章が追贈された[1]。同年、第8回日展に遺作﹁百丈野狐﹂が出品された[1]。著書[編集]
●矢野橋村﹃浦上玉堂﹄中央美術社、1926年、33頁。全国書誌番号:42030291。 ●矢野橋村﹃南画初歩﹄創元社、1965年、19頁。全国書誌番号:65006296。 ●矢野橋村﹃矢野橋村名作選集﹄清文堂出版、1975年。評価[編集]
﹁その精力的な活動を基盤に、大正中期に直木三十五や福岡青嵐などの参画を得て、大阪文化の抜本的改革を提唱する美術・文学・哲学などを文化総体として捉えた研究団体﹁主潮社﹂の発起や日本南画院の評議員としても活躍した﹂との評価がある[2]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaab“矢野橋村”. 東京文化財研究所. 2016年1月25日閲覧。
(二)^ abcdefghijklmn“ロビー所蔵品展 矢野 橋村 展”︵2013年11月12日アーカイブ︶ - 国立国会図書館Web Archiving Project
(三)^ ab“歴代授賞者一覧”. 日本芸術院. 2016年1月25日閲覧。
(四)^ “展覧会の変遷と開催年︵明治40年~現在︶”. 日本美術展覧会. 2016年1月25日閲覧。
(五)^ ab“日本南画院とは”. 日本南画院. 2016年1月25日閲覧。
(六)^ “大正・昭和の大阪代表する日本画家 矢野橋村の﹁華晨﹂展示 枚方”. 産経ニュース (2015年3月26日). 2016年1月25日閲覧。