木村知石
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木村 知石︵きむら ちせき、1907年6月10日 - 1983年11月27日︶は、大阪市西区生まれの書家。日展評議員を務めた。
経歴[編集]
1907年︵明治40年︶、大阪市西区に生まれた。1924年︵大正13年︶に黒木拝石に勧誘されたことがきっかけで、拝石に師事する︵同門には小坂奇石がいる︶。1942年︵昭和17年︶には第11回東方書道会展に出品した作品で最高賞を獲得した。
しかし、太平洋戦争の戦時体制が強化され、各書道団体、書家が書道報国会に結集すると、木村はこれを嫌って郊外へ疎開、戦後もしばらく書壇との関係を絶った。
1952年︵昭和27年︶になって日本書作院が、平尾孤往、津金寉仙らの回瀾書道会と手島右卿らの独立書道会︵現在の独立書人団︶とに分裂すると、木村は回瀾書道会に同人として参加し、書活動を再開する。 翌1953年︵昭和28年︶、1954年︵昭和29年︶には日展で特選を連続受賞した[1]。 また、1969年︵昭和44年︶には﹁蘇東坡詩︵老人癡鈍已逃寒︶﹂で日展文部大臣賞を受賞。1976年︵昭和51年︶には日本芸術院賞を受賞した[2]。
1983年、76歳で死去し、勲四等旭日小綬章が追贈された。翌年の日展には﹁鴛鴦延壽﹂が遺作として出品された。
出品作[編集]
●五言対聯︵春来花落︶︵1963年、現代書家三十人展︶︵左手書きを試みたもの︶
●天魔膽落︵1968年、第11回日展︶
●蘇東坡詩︵老人癡鈍已逃寒︶︵1969年、改組日展︶
他
作品集[編集]
- 『木村知石作品集』東京堂出版、1980年
- 『木村知石書法』尚学図書、1982年(現代日本書法集成)
映像[編集]
- 『書・20世紀の巨匠たち』第3巻、天来書院(VHS・DVD)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 田宮文平「『現代の書』の検証2」芸術新聞社、2007年‐ISBN 978-4-87586-136-2
関連項目[編集]
日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |