藤間藤子
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ふじま ふじこ 藤間 藤子 | |
生年月日 | 1907年10月31日 |
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没年月日 | (1998-10-14) 1998年10月14日(90歳没) |
本名 | 田中君代 |
出身地 | 東京都 |
母 | 藤間勘八(養母) |
子 | 長女 藤間蘭景(日本舞踊家) 孫 藤間蘭黄(日本舞踊家) |
当たり役 | |
常磐津 景清 清元 山帰り 長唄 松の翁 長唄 伊勢参宮 長唄 都風流 清元 北州 | |
受賞 | |
1955年 芸術祭賞受賞 1979年 日本芸術院賞受賞 1985年 女性として初めて重要無形文化財「歌舞伎舞踊」の保持者に認定される 1987年 芸術院会員 | |
藤間 藤子︵ふじま ふじこ、1907年︵明治40年︶10月31日 - 1998年︵平成10年︶10月14日︶は、日本舞踊家、重要無形文化財保持者︵人間国宝︶、日本芸術院会員。東京生まれ。本名・田中 君代︵たなか きみよ︶。
経歴[編集]
●1914年 藤間勘八の養女になる。
●1926年 三代目藤間勘右衛門︵七代目松本幸四郎︶から名取を許され藤間藤子を名乗る。
●1929年 紫紅会を結成。現在も孫の蘭黄が主催している。
舞踊のほか歌舞伎の振付・演出も行なった。
●1992年 NHK古典芸能鑑賞会で、武原はん、吾妻徳穂と初めて荻江節﹃松竹梅﹄で共演する。
●1998年 死去。
振付[編集]
戦後、六代目中村歌右衛門が踊った、常磐津﹃積恋雪関扉﹄︵関の扉︶と﹃忍夜恋曲者﹄︵将門︶は彼女の振付で上演されている。この二つの作品は、現在も彼女の振付で上演されている。
代表作[編集]
●常磐津 景清
●清元 山帰り
●長唄 賤機帯
●長唄 伊勢参宮
●長唄 都風流
●清元 北州 他。
賞歴[編集]
●1979年 日本芸術院賞受賞[1]
●1985年 女性として初めて重要無形文化財﹁歌舞伎舞踊﹂の保持者に認定される。
●1987年 芸術院会員。
家族[編集]
●養女 藤間蘭景︵日本舞踊家︶︵1930-2015︶[2]
●孫 藤間蘭黄︵日本舞踊家 蘭景長男︶
その他[編集]
二代目藤間勘右衛門︵藤間勘翁︶から、現在の藤間勘右衛門まで一家で藤間流︵勘右衛門派︶を支えている。
脚注[編集]
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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