栗林義信
栗林 義信 | |
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生誕 | 1933年8月15日(90歳) |
出身地 | 日本、佐賀県 |
学歴 | 東京藝術大学卒業 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 声楽家(バリトン) |
活動期間 | 1958 - |
栗林 義信︵くりばやし よしのぶ、1933年8月15日 - ︶は、クラシック音楽の声楽家︵バリトン︶。日本藝術院会員。公益社団法人日本演奏連盟常任理事[1]、特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会副会長[2]。二期会会員。
来歴[編集]
佐賀県生まれ。佐賀県立佐賀西高等学校から、東京都立大泉高等学校へ転出し、東京芸術大学へ進学。 学生の頃の日本はドイツオペラが主流だったが、芸大在学中にイタリアオペラを連日聞いて感銘を受け、大学の恩師藤原義江に﹁君はイタリアオペラ向きだ﹂と言われたこともあり、イタリアオペラを志すようになる。[3] 1956年、大学在学中の23歳で初めて受けた第25回毎日音楽コンクール声楽部門で、第1位となる。1957年1月、日本初の声楽の派遣制度のコンクールである、海外派遣コンクール声楽の部で、8人中1位となる。同年東京藝術大学卒業、第4回文化放送音楽賞受賞。1958年、藤原歌劇団主催﹃トスカ﹄スカルピア男爵役でデビュー。1958年、北イタリアヴェルチェッリのヴィオッティ国際音楽コンクール金賞を受賞。これは、海外派遣コンクール受賞により、外国のコンクールの参加義務が生じ、海外コンクールに出場したものである。海外のコンクールを受ける日本人がほとんどいない時期であったという。以降、毎年一人ずつ海外へ派遣されるようになる。[4] 1958年から1961年までイタリアに留学、日本人として初めてミラノ・スカラ座の研究生となる。1961年、都民劇場主催の﹁リゴレット﹂のタイトルロールを演じるために帰国。1962年、﹁イタリアの歌の歌唱﹂で大阪市民芸術賞を受賞。1963年、都民劇場で公演した﹃椿姫﹄が毎日芸術賞を受賞。 1969年、ソビエト連邦のレニングラードやウクライナのキエフ等の主要都市に招かれ、﹃リゴレット﹄や﹃椿姫﹄を客演する。1970年、外務省文化使節大使として東南アジアで夕鶴の公演に参加。1972年、東京芸術祭参加作品﹁蒼き狼﹂ジンギスカン役の演技歌唱により、毎日芸術賞受賞。1975年、第7回サントリー音楽賞受賞。1979年、日中友好協会の招きで﹁夕鶴﹂の中国公演に参加。 副会長をつとめる世界芸術文化振興協会主催のオペラとしては、2002年、オペラ﹁﹃聖徳太子﹄~和を以て貴しとなす﹂の蘇我馬子役のほか[5]、2003年、オペラ﹃元禄のトラビアータ︵椿姫︶﹄音楽監督[6]、2004年、オペラ﹃大正時代のボエーム﹄音楽監督[7]、2005年、オペラ﹃雛祭りのフィガロの結婚﹄音楽監督等[8]、以降、毎年のオペラで音楽監督をつとめる。 2007年に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、2013年に日本藝術院会員へ選任される[9]。 師匠は矢田部勁吉、柴田睦陸。ローマでは、パオレッティに師事。スカラ座では、N・ルッチ、E・ガンボガリアーニに師事。イタリア・オペラを得意とし、﹃リゴレット﹄のタイトルロールなどが多い。東京音楽大学教授を務め、2004年定年、名誉教授。元公益財団法人東京二期会理事長、元公益財団法人新国立劇場運営財団理事、元公益財団法人日伊協会理事、元公益財団法人日伊音楽協会常務理事。人物[編集]
●趣味はゴルフで、自宅の庭に鳥かごのような練習ネットを設置している。埼玉県の日高カントリークラブをホームコースの一つと呼んでいる。[10] ●筑摩書房刊﹃世界音楽全集﹄第31巻には、美しく艶のある声であり、日本人にはまれな豊かな声量を持っているとされている。また、村田武雄により、技術力の高さと声の美しさに対する評価が記されている。[11] ●妻の祖父に下位春吉がいる。受賞[編集]
●1956年、第25回毎日音楽コンクール声楽部門第1位[12] ●1956年、海外派遣コンクール声楽の部で、8人中1位 ●1957年、第4回文化放送音楽賞 ●1958年、﹃トスカ﹄のスカルピア男爵役で、毎日音楽賞受賞 ●1958年、ヴィオッティ国際音楽コンクール金賞︵最優秀バリトン歌手︶ ●1962年、大阪市民芸術賞 ●1963年、﹃椿姫﹄が、第5回毎日芸術賞 ●1972年、﹃蒼き狼﹄のジンギスカン役で、第14回毎日芸術賞 ●1975年、第7回サントリー音楽賞[13] ●1982年、第32回芸術選奨文部大臣賞 ●1988年、第16回ジロー・オペラ賞オペラ大賞 ●1999年、紫綬褒章 ●2007年、日本芸術院賞・恩賜賞 ●2013年、日本藝術院会員に選任[9] ●2019年、旭日中綬章[14][15]雑誌[編集]
●財団法人高速道路調査会発行﹃高速道路と自動車﹄、﹁世界のハイウェイ6イタリアの道路と自動車﹂[16] ●週刊文春﹁わたしの道具遍歴 金のクラブ 銀のクラブ﹂1〜3 1996年4月-5月 - 趣味のゴルフ道具についてのエッセイ参考文献[編集]
●村田武雄﹁栗林義信さんの歌﹂﹃世界音楽全集﹄、筑摩書房、1963年4月10日、116-117頁。脚注[編集]
(一)^ “役員・事務局”. 公益財団法人日本演奏連盟. 2014年4月29日閲覧。
(二)^ “副会長 栗林義信”. 世界芸術文化振興協会. 2014年4月29日閲覧。
(三)^ 栗林義信﹁イタリア・オペラに憑かれて﹂﹃文化庁月報﹄第164号、文化庁、1982年5月、4-5頁。
(四)^ 栗林義信﹁私のコンクール 思い出に残る﹁ヴィオッティ﹂﹂﹃音楽芸術﹄第21巻第12号、音楽之友社、1963年12月、39頁。
(五)^ “国づくりに情熱注ぐ姿 舞台いっぱいに演じる”. 毎日新聞. (2002年11月15日)
(六)^ “オペラ﹁椿姫﹂の江戸・吉原版公演”. 毎日新聞. (2003年8月29日)
(七)^ “オペラ﹁大正時代のボエーム﹂”. 毎日新聞. (2004年8月25日)
(八)^ “オペラ:﹁雛祭りのフィガロの結婚﹂上演”. 毎日新聞. (2005年8月24日)
(九)^ ab“日本芸術院会員に別役実さんら4人”. 朝日新聞. 2014年4月29日閲覧。
(十)^ 栗林義信﹁金のグラブ 銀のクラブ﹂﹃週刊文春﹄1996年4月11日、116-117頁。
(11)^ 村田武雄 1963, p. 116-117.
(12)^ “入賞者一覧”. 毎日新聞. 2014年4月29日閲覧。
(13)^ “過去の受賞者”. サントリー芸術財団. 2014年4月29日閲覧。
(14)^ ﹃官報﹄号外第14号、2019年︵令和元年︶5月21日
(15)^ “令和元年春の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. 2023年1月19日閲覧。
(16)^ 栗林義信﹁イタリアの道路と自動車﹂﹃高速道路と自動車﹄第23巻第2号、高速道路調査会、1980-2-、43-45頁。