森野嘉光
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森野 嘉光︵もりの かこう、1899年4月15日 - 1987年5月2日︶は、日本の陶芸家。画家。本名は森野嘉一郎。塩釉、緑釉窯変色彩の技巧を駆使して作陶を行った。
経歴[編集]
1899年︵明治32年︶京都市東山区入に生まれる。父親は清水焼の陶芸家であったが、画家の道を選び。1921年︵大正10︶京都市立絵画専門学校日本画科を卒業。 同年の第3回帝展に卒業制作﹁比叡の山麓﹂を出品して初入選する。さらに1926年︵大正15年︶に第7回帝展にも日本画で入選したが、この間、父親について青磁、辰砂の研究を始め作陶に転じる[1]。家業を継いだことで嘉光を号する[2]。
1941年︵昭和16年︶、第4回新文展に﹁塩釉枇杷図花瓶﹂を出品して特選を受賞した[3]。
第二次世界大戦後は清水六兵衛、河合栄之助らとともに京都陶芸家クラブを結成。日展への出品を通じて審査員、日展が社団法人化すると評議員を務めた。1963年︵昭和38年︶﹁塩釉三足花瓶﹂で日本芸術院賞を受賞。 1967年︵昭和42年︶に京都市文化功労者、1968年︵昭和43年︶に京都府美術工芸功労者に認定。
1987年︵昭和62年︶5月2日、老衰のため京都府立医科大学付属病院で死去。享年88。
子の森野泰明も陶芸家の道を歩んだ[4]。
脚注[編集]
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |