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二世 藤間 勘祖︵にせい ふじま かんそ、1900年︵明治33年︶10月8日 - 1990年︵平成2年︶12月5日︶は、東京都江東区深川出身。本名‥藤間 秀雄。藤間流宗家の舞踊家。六世藤間勘十郎でもある。勘十郎は二代から五代までは女だったが、六代は男。昔、永代橋に稽古場があった所以から、永代橋=藤間 勘祖のことを呼んでいた。
●1900年︵明治33年︶東京深川生まれ。
●1907年︵明治40年︶六代目尾上梅幸に入門する。尾上梅雄︵おのえ ばいゆう︶を名乗る。
●1908年︵明治41年︶歌舞伎座で初舞台。
●1916年︵大正4年︶ 藤間流宗家五世藤間勘十郎の養子となる。
●1926年︵大正15年︶五世藤間勘十郎が初代勘祖となり、隠居。藤間家を継ぐ。
●1927年︵昭和2年︶ 六代目藤間勘十郎を襲名。六代目尾上菊五郎の後援を得て舞踊家としての名声をあげた。生涯素踊りで通した。
●1937年︵昭和12年︶六代目尾上菊五郎の﹁藤娘﹂を振付をする。
●1940年︵昭和15年︶東京芸術大学の﹁舞踊科﹂の講師になる。
●1944年︵昭和19年︶門弟だった、藤間紫と結婚。
●1951年︵昭和26年︶3月 歌舞伎座で舟橋聖一作、十一代目市川團十郎、七代目尾上梅幸主演、源氏物語の構成、振付。
●1953年︵昭和28年︶11月 三島由紀夫作、十七代目中村勘三郎、六代目中村歌右衛門主演の﹁鰯売恋曳網﹂の構成。振付。
●1961年︵昭和36年︶﹁第1回勘十郎の会﹂を歌舞伎座で開催。﹁関寺小町﹂、﹁佐野源左衛門常世﹂が高く評価される。
●1963年︵昭和38年︶十七代目中村勘三郎主演の﹁大江山酒呑童子﹂を構成、振付。
●1969年︵昭和44年︶4月 十七代目中村勘三郎、十八代目中村勘三郎主演の﹁連獅子﹂を構成、振付。勘三郎父子の姿がリンクし、中村屋 (歌舞伎)の当たり役にある。他の役者も父子で演じるきっかけになった。
●1970年︵昭和45年︶11月七代目尾上梅幸、二代目中村鴈治郎主演、﹁花簪﹂を構成、振付。
●1976年︵昭和51年︶5月六代目中村歌右衛門主演の清元﹁田舎源氏露東雲﹂構成、振付。
●1978年︵昭和53年︶1月歌舞伎座公演、幹部総出演の﹁春ことぶれ﹂を振付。
●1979年︵昭和54年︶9月﹁第2回勘十郎の会﹂を歌舞伎座で開催。六代目中村歌右衛門と長唄﹁二人椀久﹂を踊る。
●1981年︵昭和56年︶9月 十七代目中村勘三郎主演の安藤鶴夫作﹁芸阿呆﹂を構成、振付。
●1982年︵昭和57年︶3月 四代目雀右衛門主演、清元﹁豊後道成寺﹂を振付。
●1984年︵昭和59年︶五代目坂東玉三郎の﹁鷺娘﹂を玉三郎に合う形の振りに直す。
●1985年︵昭和60年︶妻、藤間紫と離婚。
●1988年︵昭和63年︶3月﹁第3回勘十郎の会﹂は国立劇場で開催。八世藤間勘十郎と米寿で﹁橋弁慶﹂を踊る。
●1989年︵平成元年︶9月 ﹁宗家藤間会﹂で﹁井筒﹂を踊る。
●1990年︵平成2年︶9月 歌舞伎座で﹁藤間会﹂を開催。長女、藤間康詞︵高子︶に七代目勘十郎︵後に三世藤間勘祖︶を譲り、二代目勘祖を名乗った。清元﹁四季三葉草﹂の翁を務め、これが最後の舞台になった。
●1990年︵平成2年︶12月 永眠。享年90。
●2000年︵平成12年︶9月 生誕100年を記念して、朝日新聞社より﹁六世藤間勘十郎﹂の写真集が発売される。
●日本舞踊協会理事
受賞・叙勲等[編集]
受賞
●1955年︵昭和30年︶毎日演劇賞受賞。
●1957年︵昭和32年︶紫綬褒章受章。
●1962年︵昭和37年︶毎日芸術賞受賞。
●1963年︵昭和38年︶日本芸術院賞受賞。
●1967年︵昭和42年︶日本芸術院会員。
●1971年︵昭和46年︶勲三等瑞宝章受章。
●1979年︵昭和54年︶文化功労者。
●1982年︵昭和57年︶文化勲章を受章。
その他
●1960年︵昭和35年︶重要無形文化財保持者に各個認定︵人間国宝︶。
●妻は藤間紫だったが、三代目市川猿之助との不倫恋愛や性格の相違などが理由で1985年に離婚した。
●紫との間にできた藤間康詞︵高子︶に七代目勘十郎︵後に三世藤間勘祖︶を譲り、二代目勘祖を名乗った。
●写真集﹁六世藤間勘十郎﹂ 朝日新聞社、2000年
歌舞伎俳優の多くは、彼に日本舞踊を教わる。舞踊家も丁寧に指導した。六代目尾上菊五郎時代からの知己で、名古屋西川流二世西川鯉三郎と三世西川右近親子。女優の水谷八重子、尾上流家元尾上菊之丞ほか。
永代橋=藤間 勘祖のことを呼んでいた。その後、稽古場は人形町、麻布と設けたが、関係者は﹁永代橋の宗家﹂と言っていた。
外部リンク[編集]
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |