花柳壽楽 (2代目)
2代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1918年3月7日 |
没年月日 | 2007年1月7日(88歳没) |
師匠 | 2代目花柳壽輔 |
名跡 | 1. 2.花柳壽樂(1965年 - 2007年) |
活動期間 | 1932年 - 2007年 |
活動内容 | 舞踊家 |
家族 | 3代目 花柳錦之輔(息子) |
二代目 花柳 壽楽︵にだいめ はなやぎ じゅらく、旧字体‥壽樂、新字体‥寿楽、1918年︵大正7年︶3月7日 - 2007年︵平成19年︶1月7日︶は、昭和から平成にかけて活躍した日本舞踊 花柳流の舞踊家。人間国宝。本名は青あお山やま 次じろ郎う。花柳流の伝統を継承して古典舞踊を伝えるとともに、創作舞踊にも積極的に取り組み、宝塚歌劇団の演目の振付なども行った。
講談師の3代目錦きん城じょ斎うさい典てん山ざんの次男として東京に生まれる。
昭和7年︵1932年︶義兄にあたる2代目花柳壽輔に入門して師事するかたわら、1937年︵昭和12年︶には6代目尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に修学、卒業後の昭和23年︵1948年︶花はな柳やぎ錦きん之のす助けを名乗り、花柳舞踊研究会の中心となった。
昭和40年︵1965年︶には花柳錦之輔の名跡を長男に譲り、自身は花柳壽樂の名跡を二代目として襲名。五代目花柳芳次郎とともに、家元を継いだばかりの姪・三代目花柳壽輔の後見人となった。
昭和49年︵1974年︶紫綬褒章受章。平成14年︵2002年︶には人間国宝に認定、翌年には日本芸術院会員となっている。平成17年︵2005年︶、旭日中綬章受章[1][2]。
平成19年︵2007年︶肺気腫のため死去、88歳だった。叙正五位[3]。