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門跡

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2023年12月22日 (金) 15:15; 水野白楓 (会話 | 投稿記録) による版 (→‎沿革)(日時は個人設定で未設定ならUTC

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概要

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沿革

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122122012601280[4]

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[6]殿61115[7]

1316811881780[8]

本願寺の門跡成

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[ 1]2215591915912西西131700西[10]

門跡寺院

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門跡

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宮門跡(親王門跡)

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133615108

摂家門跡

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摂家の子弟が住職となる。個々の門跡寺院に固有の称号ではなく、その時々の住持の出身を指す。室町時代頃から用いられるようになった。

准門跡

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門跡に準ずる格式の寺院のこと。または、他の門跡寺に対して従の関係にある門跡寺のこと。脇門跡ともいう。

天台宗五門跡(京都五箇室門跡)

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醍醐寺五門跡

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五門跡

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浄土真宗で門跡に准ぜられた五寺の総称。五門徒ともいう。江戸時代中期、文化11年(1814年)に真宗木辺派本山錦織寺が、それまでの浄土宗から浄土真宗に復帰し、准門跡に加えられた。

これら6家は明治5年3月にいずれも華族となった[12]。明治29年6月9日、両本願寺の大谷家が伯爵、佛光寺の渋谷家・専修寺の常磐井家・興正寺の華園家・錦織寺の木辺家がそれぞれ男爵に叙せられている。

尼門跡

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皇女や貴族の息女が住職となる寺院。正式には比丘尼御所と称した。「尼門跡」は明治以降の名称である。


[1]10616[1]

御里房

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便

脚注

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注釈

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  1. ^ 親鸞は九条家出身の青蓮院門跡慈円から得度を受け、九条家および同家から分かれた一条家と関係が深かった(妙香院は一条家ゆかりの門跡寺院)ため、両院の影響下に置かれていた[9]

出典

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(一)^ abcd 199095-106 

(二)^  2017, ︿.

(三)^  2017, .

(四)^  2017, .

(五)^ ︿376ISBN 978-4061586215 

(六)^ 19791990

(七)^ 殿-殿-:13092021/:2022 ISBN 978-4-642-02976-6P55-94.

(八)^ 2014129-130135-139 

(九)^  200511-40ISBN 4-7924-0589-0 

(十)^  2017, ︿︿.

(11)^ 1234

(12)^  ︿68ISBN 978-4122035423 

参考文献

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  • 永村眞 編『中世の門跡と公武権力』戎光祥出版、2017年。ISBN 978-4-86403-251-3 

関連項目

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